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先週末からニコニコ動画が見られない、ということで。どうやらサイバー攻撃を受けているらしい。で、自分にとって不便なのが私はニコニコ動画内のdアニメサブスクで放送中のアニメを見ているので、それが見られないという… 現在、サーバーの再構築をしている、という話ですが、これ、復旧がいつになるやら。ニコニコ動画は普段dアニメ以外にはほとんど見ていないのですが、ないと不便なんだよなあと。
2024.06.12
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今回の都知事選、現職の小池都知事と蓮舫氏の対決構造がニュースで大きく取りあげっれてますが、実際は史上最大の30人規模の立候補者が出ている状況とか。そのため、候補者ポスターの掲示板の幅が足りないとか・・・ で、そうなると今はまだ選挙期間前なのですが、選挙期間になったら報道の公平性、の建前上、一人を話題にする場合は他の候補者の名前もすべて出さなければいけない、ということになるのでしょうか? ラジオのような音声メディアだと延々と候補者の名前を読み上げ続けることになるのですかねえ?それとも一括でニュースにしないとか。
2024.06.13
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本日、ネットのジャンプ+で毎週連載されていた将棋マンガ「盤王-バンオウ-」が最終回を迎えました。 ・・・いやあ、まさに大団円! この作品は500年以上生きる吸血鬼の主人公が、江戸時代にふとしたきっかけで知った将棋にはまり、以後、不老不死であることで研鑽を続け、才能としては凡人であったが300年の経験で遥か高みに到達、現代のプロと竜王戦で勝負するという物語。しかし、とても真摯、かつ、熱量があって面白い作品でありました。 単行本にして全8巻という長さですが、登場キャラの魅力でぐいぐい引っ張り、将棋を知らなくてもぐっとくる。そこには「自分が不老不死の吸血鬼であるゆえに、短い生命にすべてを将棋にかける人間に対してのリスペクト」があって。だからこそ戦いの輝きが眩く。そして最終決戦が近づくにつれ、読者の自分も「ああ・・・終わらないで・・・」と寂しさがこみ上げる。 そして迎えた最終回は、祭りが終わって日常が戻ってきた、でもその中で彼や彼にかかわった人々が変わっていく姿がうれしく。とてもいい余韻を残して終わりました。 すばらしかった!原作の綿引智也先生、作画の春夏冬画楽先生、おつかれさまでした!二人の次回作に期待します!
2024.06.07
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4月の所定内給与 前年同月比2.3%増も 実質賃金はマイナス続く 急激な物価高に給与の上昇が追いついていないため、25か月連続実質賃金マイナスという・・・というか、本当にあらゆるモノの値段が上がっているのでどうしたものかと。 で、思ったのはこれはバブル以降30年間、ずっと日本人の労働者が「安くてよいものを作る」ことが原因なのかもしれないと。たとえばチェーン店ではワンコインでそこそこのトンカツ定食が食べられた、それが「当たり前」だと相場がなってしまった結果、ギリギリの利益だったものが物価上昇で価格を維持できず、一気に値段が上がったような雰囲気になってしまうという・・・この辺は段階を踏んで全体の物価や賃金が30年上がっていたら、ここまでショックはなかったんだと思います。 もはや多くの国民が賃金上昇どころか現状維持すら難しい時代になってる・・・ こうなったら消費税廃止が一番公平&誰もが恩恵受ける経済政策だよなあ。
2024.06.05
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政治資金規正法改正案、衆院特別委で可決 6日に衆院通過へ 変な話だなあ、と思うのは、今回の政治資金規正改正法案の原因は自民党の裏金問題に端を発したもので、いまだに全容解明もなされていない。にもかかわらず、いわば犯罪の犯人の側が法律を作るという・・・そのうえ、内容も最も求められていた「資金の流れの透明化」「金額の一円単位の規制」といったものは無視され、また最悪なのは「領収書の10年後の公開」という、完全に風化を待っているという。 まさに「今後も今の裏金資金集めを続けます」宣言でしかなくて。 TBSラジオの朝の番組でリスナー投稿に「私たち一般の小売店などにはインボイスで煩雑な作業を強要し、資金の流れを明確にしろというのに、政治家たちは適当にごまかせるなんてやってられない」という意見が読まれましたが、まさにそのとおりだよなと。 こういう怒りは「文句があったら選挙で落とせばいい」にはならない。選挙で選んだ人間こういうことをしたのだから。
2024.06.06
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今はスマホで漫画を読むのも普通になっているようですが、それに合わせた縦に流れることを最初から想定したマンガも普通にみられるようになっている。 で、これなんですが、どうも私は苦手で。というのは横開きタイプのマンガになれているのもありますが、それ以上に「一度に入ってくる視覚の情報量が少ない」と・・・つまり、間延びして感じてしまうんです。 これは人間の目は左右両方についていて通常の漫画見開きタイプの視角に入ってくる情報量は一度に2ページ分のものです。が、スマホタイプだとどうしても片側1ページ分になる。また、上記のような下に下にスクロールさせて読ませるタイプだと、コマとコマのつながりが間延びしてしまう感覚で。 いわゆる4コマ漫画のようなタイプならいいのですが、そうじゃないストーリーものだと視野の枠外が見えることもあって、没入感が浅く感じてしまう。特に、従来マンガだと見開きでガッ!と迫力を出す構図が、似たように画面いっぱい使っても縦型だとインパクトが弱い、迫力を感じられないというか。 今の段階では横開きの従来マンガの方が没入感あるな。
2024.06.09
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ある意味、怖いと思う事。それは漫画家で今は参議院議員の赤松健氏が立ち上げた、廃刊になっている昔の漫画を作者に許可を取って公開、PV広告料を作者に還元する「マンガ図書館Z」というものがあるのですが、そちらの払われる支払方法に一部海外クレジットカードが利用できなくなったという。 どうして規制されたか?というと、「レイプや拷問などの表現があるものに対する利用規制」という・・・つまり、完全な表現の自由への介入で。これに関してはつい数か月前、同人のネットサイトでも同様のことが行われ話題にはなっておりました。 私たちは表現の自由の侵害はこれまで国家が国民に行うこと、というイメージがありましたが、最近では民間企業の建前上のコンプライアンスの網に引っかかって一律で規制、あるいは取引停止措置が行われるという。しかも、国家と違って民間企業だから各社の方針、ということになるので規制のしようがない。 とくにマンガ図書館Zに関しては「過去の歴史のアーカイブ」でもあり、その時代の表現を今の時代の倫理基準で見られなくなる、そんな矛盾もあり。 上のような状況だと、多くの名作、古い、新しい関係なくあらゆる表現に民間企業が介入できるという、恐ろしい話です。
2024.06.04
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漫画「機動警察パトレイバー」でカミソリ後藤隊長が言ったセリフ「俺は偶然は2つまでは信じることにしている」というのがあって。これって至言だと思いました。人生の中で偶然が重なることはまれにあります。が、それは2つまで。それ以上の偶然は「そうなるように持っていこうとする意思がないと発生しない」ということ。 【独自】菅氏「たまたま総理の友人」 たまたま学生時代の友人が総理大臣になった、そこまでは偶然として認めよう。その友人が新規の学校の理事長であった、それも認める。しかし、そこからのあまりの偶然の多さは異常です。 あまりに都合のよすぎる関係や獣医学部開設の限定条件、その決定の速さ、告発記者会見寸前の前川前事務次官の出会い系スキャンダル・・ これは方向性が決まっていないとこうならない。何より野党が求めている決定プロセスの公文書に「官邸の最高レベルからの指示」があったということを認めていない時点でじゃあ、誰がこの文章を作ったのか?少なくとも前川前事務次官というトップが命令として受け取っている以上、それ以上の立場の人であることになる。そうなると相当限られる。しかし、内閣はそれを調べる必要はないと・・・ 偶然は2つまで、というのは本当によく考えられた言葉です。
2017.06.12
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アニメのDVDは2、3話で一本、などが当たり前になっています。これに対して「ぼったくり」という人がいますが・・・ 以前に聞いたお話で「これは製作予算回収という意味と、もう一つ、レンタルビデオ店への配慮もある」と聞きました。 実際DVDにはもっとデータを長時間入れることは可能です。(現に昔のアニメやキッズ向けだと一枚に5話、なんて入っていますから)ですが、レンタル店の場合、同じ1クール13話作品を3話づつであれば4~5回、2話づつであれば6~7回貸し出しできるので、店側にもメリットがある、ということらしいです。(特にマニアックな深夜アニメの場合、借りる客数も少ないので)製作サイドにとって、未だに個別のセルDVDより全巻買い取ってもらえるレンタル店は大口の顧客ですから。 確かに連続モノのストーリーであれば、最初から最後まで借りる客をターゲットにしている以上、5話入って3回で終了、では店側の利幅も少ない、ということなんでしょうなあ。レンタルの場合、基本一本あたりの貸し出し金額は同じだし。 もっとも「アニメDVDが高い」と言う不満は仕方がないかとは思います。そもそもTV放送って作品やDVDの「宣伝」のはずなんですが、いつの間にかユーザーが「アニメはタダで見るのが当たり前」と思ってますから。 最近、単行本付録のODAが増えていますが、これもTV放送では予算が回収できない、というジレンマが産んだ新たな商売なのですし。最近では違法動画等の影響で、アニメレンタルDVDの貸出率も伸び悩んでいるとか。 今の日本のアニメ市場というのは「思ったより大きい」けど「(細分化されていて)思ったほど儲からない」というのが現状みたいです。
2009.03.11
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ノベルゲームを作るにあたって、自分でいろいろ思っていたことを実験したのですが、そんな中、以前からもしかしてノベルゲームの画面作りにおいてキャラの立ち絵の枚数より、背景絵の多さの方が大切なんじゃないかと思ったりして。 ノベルゲームって「画面が動かない(変化が無い)」ものの極地な気がします。いわゆる紙芝居にセリフ文字を読ませるという手法をとっているので、画面が冗長になりやすい宿命を持っています。(ゆめりあなど立ち絵キャラがアニメする例外もありますけど) そんな中、例えば原稿用紙5枚、2000文字のテキストを読ませる場合でも、背後の絵を細かく入れ替えて移動時間列にそって読ませるのでは、雰囲気がガラッと変わります。 学校校門から自宅に移動の際、友人と話しながら歩く同じテキストでも 学校校門>帰り道>自宅前という3枚と 学校校門>帰り道1>商店街>駅前>帰り道2>自宅前 という6枚では、文章を読んだ感覚がまったく違う。これは私も実験してみて驚いたのですが、後者の方がはるかに受け入れやすい、というか文章の長さを感じさせないだけでなく、一緒に歩いている一体感を感じます。 また、背景が多いといろんな演出が使えます。例として、セリフではハアハアと呼吸のみテキストを書き、背景を次々と入れ替えて走っている感じを表現したり、思い出がよみがえるフラッシュバックのような演出など。また、いちいち場面描写(風景描写)しなくても背景を入れ替えるだけで場所移動をプレイヤーに認識させるので、説明テキストがカットでき、ユーザーにも見た目にも変化がついてわかりやすいです。 同人ノベルゲームって、キャラを書くことに一生懸命で背景の変化が物足りない(枚数が圧倒的に足りない)のは、キャラ絵を描くのは好きだけど、背景を書くのは苦手、あるいは面倒くさいと思っている人が多いからだと思います。ですが、特に長文になりがちなテキストノベルの場合、場面変化はテキストをリズムよく読ませる手法として、とても重要だと思います。 特に物語が急展開する後半などでは場面をパッパと変えていくと疾走感もうまれて、一枚のビジュアルシーンを書き込むより、またテキストを長々と書くより印象強く物語を展開できます。 また、背景画は慣れると本当に簡単に描けます。私は以前、アニメの背景を描かれていた先輩に「一時間塗り」と呼ばれる一枚の背景を一時間程度でそれなりに着色できる方法を教わったので(TVアニメの世界では大量の背景を消費するので、パターン化、効率化がすごい)この技法は大変重宝しました。絵、そのもののクオリティーはさほど必要はありません。要はパターンが多いことが重要なので。 と、いうわけで前回お話した、後半に行くにしたがって印象がどんどん弱くなるキャラ立ち絵パターンを増やすより、背景画を増やした方がノベルの演出として効果的かも、というお話。
2008.10.02
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ネットで話題になりました第2次世界大戦中の各国を擬人化(で、いいんだよな)した人気漫画「ヘタリア」が、当初TVアニメ放送予定が中止になった、ということがありまして。 作品内容に関しては各自読んでいただいて感想を持っていただければ、と思います。 ここからは個人の感想。 「この手のギャグって、やっぱり差別の温床になるよなあ・・・」 いや、「ヘタリア」は面白かった。マンガとして大変楽しめました。これは「読者を楽しませる」というエンターテイメントとして大正解ですから、作者にはまったく罪はない。 ただ、読んでいて心の隅に常に「笑えない」部分があって。 例えば私達は、特殊な仕事とか、相当な海外旅行経験者でない限り、その土地の文化、風俗、国民性などは文献やTVなどの情報でなんとなくイメージするしかない生き物です。 そして、そのイメージはわかりやすくするために、極端な情報ほど浸透しやすく、そして深く残ります。 今も海外で根強く残る日本の印象、というのは、例えば「メガネをかけ、出っ歯でカメラをぶら下げた」イメージであったり「侵略戦争の悪の権化」であったり、「金持ち」であったり「ニンジャ」であったり・・・ これらは日本人にとっては「そんなヤツいねえよ!」と馬鹿馬鹿しく思えたり、あるいは不快感を持たれたり。しかし、それと同等のことを他国を「擬人化」という形で笑いのネタにするのは、相手にも同じように失礼なことをしているような気がして・・・ 以前にイギリスの伝説的お笑い番組「モンティーパイソン」を見た際、あの番組では「国籍差別ギャグ」というのを頻繁に使うのですが、他国のネタは笑えて、自国が扱われるとちょっと不愉快になるという・・・まあ、非常に身勝手な感情だなあと、我ながら呆れたりしたのですが。 最初の話題に戻りますと、「他国を馬鹿にしたから悪い」というより「極端な情報を面白く仕入れることで他国を理解したような気分になる」のが怖い、と思うのです。 それに国の擬人化、といっても、当時の政府のやり方を擬人化したものですからね。民族とは違う、もっと言えば個人の性格とはまったく違いますから。そして、そのイメージは「○○人だからダメだ」「△△人は優秀」みたいな、根拠のないナショナリズムを生み出す温床になります。 同じ「日本人だから」というくくりで、世界で活躍するイチローも、最低の犯罪者も一緒に語られるような、そんな違和感を感じるんですよね。 それに、国籍って自分では選べませんから。究極、生まれ育ってきた地球上の単なる座標です。
2009.01.28
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自分の仕事しているゲーム会社ですが、基本はいわゆる「開発会社」というやつで。販売は大手メーカーからですが、自社の名前を結構出して、かなり話題作などにも関わっています。 で、最近思うのはいわゆる大手メーカーから「え?こんなあなたの会社の代表作を外注でうちに出すの?」というか・・・それこそ、過去にその大手メーカーを支える看板作品をうちみたいな外部の会社にほぼ開発全部委任みたいな。そういうこともあります。 で、思ったのですが大手メーカーでも最近は開発部署のリストラが進み、社内開発力が極端に落ちている会社もあります。というか、下手したらゲームがマトモに作れる人材がいない、というか。 特にアクションゲームのような作品は単にCG映像を作るだけではない、それこそ操作レスポンスやプレイ感覚、バランス調整のような「ゲームとしてのノウハウ」が、そういう大手の会社からずいぶん抜けてしまった(追い出してしまった)結果、技術が空洞化し、それを補うためにうちのような開発会社に依存するような、そんな感じじゃないかと。 あの有名タイトルを開発したい、とその会社に面接を受けても、実際作っているのが自分達のような中堅開発会社だからなあ・・・そういう意味では依頼が多いので業績もよく、有名作品にも携われるうちみたいな所の方が、ゲーム屋としては恵まれてます。
2013.01.24
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ずっと以前から思っていたのですが。よく、Winnyなどの規制に反対する人の言葉の中に「殺人犯が包丁で人を殺したからといって包丁を禁止するようなものだ」というのがあります。 これは正しい意見だと私も思います。つい先日も、こんにゃくゼリーを禁止しよう、というヘンな動きがありましたが。 ただ・・・この「包丁の理論」は、包丁を料理に使っている人が大半である、という大前提があります。当然ですがその前提があるからこそ、規制することがおかしなことで。 翻って、Winnyなどのソフトの使われ方はどうでしょうか?というか、Winnyを使っているような人って、どれだけ「まともな」使い方をしているんでしょうか?これは任天堂DSのマジコンにも言えるのですが。 単に動画や音楽をタダで見られる、というメリット享受を守るために、包丁の理論に摩り替えていませんか?実際、フリーのP2Pというシステムに頼らなければならない使い方をしている人の方が圧倒的に少ない以上、そして、何より流通しているデータの9割が何らかの著作権違反のデータである以上、上記の理論は通用しないんじゃないですかねえ? ごくレアなケースを持ち出して全体の言い訳をするのは、結局、なんの説得力もないからなあ・・・
2009.01.21
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パクリやらオマージュやら いつも拝見するゲーム企画者の方のご意見ですが。私は意外とそうは思わないたちで。これはあくまで個人的感覚だからなのですので、こんな人もいる、と思ってくださいな。 作品のパクリとオマージュの違いというのは、私の考えでは「製作者が必死に隠そうとするのがパクリ、喜んで「そうなんですよ!あの作品に影響を受けまくったんです!」と語れるようであればオマージュ、だと思っています。 で、それに関してよい、悪いの判断を出来るのは基本「作った側」でしかなくて。この作品に対してシャフトが「これはうちの作品の権利をパクっている!」と法廷に訴えれば、話はそこからです。が、そうでないとしたらお客も含めて外野がとやかく言っても始まらない。むしろ他ジャンルの影響(アニメ、漫画、映画など)を受けまくるのはゲーム業界ではごく普通のことで。 もし、これが正規に契約し、同じようなゲームを出す予定があったとしたらこれはやばいかもしれません。が、個人的にこのゲームは客層であるオタ層から「所詮はパクリゲー」と三下扱いされるのがオチかと。(ラブプラスそっくりのゲームもあれもそっくり、と話題にはなったけど売れた、という話は聞かない)本家を脅かすようなパワーを類似品が持ち合わせるというのは本当に稀なケースです。 以前にジブリアニメの魅力は宮崎作品の中身の魅力であって、絵柄がジブリっぽいから売れたのではない、という話をBlogで書きましたが、外側だけ借り物で売るというのは難しい。特に、自分も含めオタクってのは同人に関しては寛容でも「ガンガル」みたいなパチモンには厳しいですから。 本当のパクリってのはそれこそソースコードをコピった、とか、絵素材をトレースした、というモノだと思いますので。ちゃんと一から作っているのであれば、権利者以外口を出せる事じゃないし。 私も個人でオリジナル同人ソフトを作っていますが、他作品から影響をうけまくったところと、その中で自分のオリジナリティーを出そうと足掻いている場所が混在します。それらがミックスされて「オリジナル作品」と呼んでいますから。 もっとも、島国さんをフォローするつもりはありませんが、たしかにここまで露骨にやられるのは、まどか☆マギカをすごく楽しく見ていた私としても、奥歯でアルミホイルを噛んだような嫌な気分ですけどね。 その感覚を多くの人が持っている、と信じたい。
2011.05.10
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先週の週刊少年チャンピオンにての「空が灰色だから」は強烈に救いがないというか・・・とんでもない爆弾を見せつけられたようで背筋が寒くなりました。 元気と明るさが取り得の小学校の熱血女子教師が、クラスで地味で大人しい生徒を「もっと元気出せよ!友達と遊べよ!大きな声出せよ!」と応援するのですが、その生徒にとってはそういう体育会系のノリは単なるプレッシャーにしかならず、やがて登校拒否になる。しかし、その先生は原因が自分である事にまったく気がつかない。部屋に引きこもる彼に外から「気にの事を先生は応援してるぞ!」と大声で叫び、彼が登校拒否していることを近所の人にも聞かれ、ますます自分の殻に閉じこもっていく・・・ 読んでいて昔、保育園の保母をしていた母の言葉を思い出しました。「例えば10人子供がいたら、その中に必ず1~2人は「大勢の人間と遊んだりする事がプレッシャーに感じる子供」がいる。そういう子供は自分の世界で楽しい事を見つけて遊べる。決して孤独な訳じゃない。むしろ、無理やり大勢の人間と付き合わせることの方が対人恐怖症になることがある。要は人間同士の距離感にも個性があることを認めることだ」 世の中、体育会系のノリが全て。元気で社交的なことが正義、というばかりではない、というのと、自分が良かれと思って押し付けるこの手の「元気強要」は酒が飲めない人間に飲酒を強要するのと同じ行為なんだろうなと。 明るい人も、暗い人も社交的な人も内向的な人も無理なく共存できる。それが本当に「住み良い世界」なんですが・・・
2012.04.24
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先日、コミケの危険地帯というタイトルでBlogを書きましたが、実際問題、よく今までコミケが中止せずに続けられているなあと感心することがしばしば。 私もコミケ歴は学生時代から長いのでリアルタイムでいろんな事件、世間からのパッシングを経験しているだけに、今コミケのある奇跡とありがたさを身をもって実感しています。 ざっと大きなコミケでの問題を羅列しても 1、宮崎事件・・・オタクという存在を世間に決定的に印象付け、そして以後20年にわたってマスコミや世間のオタク迫害の歴史のきっかけとなった(それ以前はオタク=内向的であるが一つの趣味に没頭する人、みたいな可もなく不可もない存在だった)ちなみに宮崎勤もコミケにサークル参加していた。 2.そのアオリを喰らったコミケへの偏見・・・テレビ番組で当時晴海会場の人ごみをバックに「ここに10万人の宮崎勤がいます」という発言&とんねるずの番組で「宅 八郎」なる芸能人によって世間からの評価がオタク=気持ち悪い と確定した。 3、幕張メッセ追放・・・すでに確定していた幕張メッセでのコミケが、青少年保護条例などによって突如キャンセル、これが当時コミケ継続最大の危機と呼ばれた。結局、晴海会場に戻って継続されたものの、コミケの抱える「猥褻表現」というものを世間がどのように受け止めているか、また、いかに大きなイベントであっても「根無し草」であるかを見せるきっかけになった 4、C42における熱射病にて数百人が倒れる、通称「ジェノサイドコミケ」。私も参加していたが、あの暑さは今思い出してもぞっとする。朝8時に一般行列に並んで入場したのが1時近くになったという伝説。コミケ雲の伝説もこの時に生まれたとか。 5、有明会場になってから発生したのが準備会に対しての脅迫行為(手紙によるテロ予告)、実際にあった自動発火装置によるボヤ事件、徹夜組の増大に伴う付近住人、警察とのトラブル、一部参加者の暴走(入場待機列を崩しての入り口殺到>転倒者多数)、昨今では特定サークルに対する脅迫行為で公安当局が動いた事件(アキハバラ開放同盟なる組織に中核派などが絡んでいた)。 6、そして何よりフジテレビの「電車男」による知名度増加&ネットによる新規オタク急増。と、同時に参加者間のトラブル(参加者の素人化で今までのお約束が通じない) 人が多くなるというのは、それだけで注目を集めるのと同時に制御が難しくなる上、準備会の負担も大きくなります。っていうか、今でも現実的な危機として「コミケ中止」というのは存在しています。毎回50万人規模の参加者を集めつつ、行政にも、大手企業にも、そして付近住人にも守られていない厄介者。それがコミケの立ち居地なのです。 ちなみにコミケで最終日にいわゆる「男性向けエロ系」が集まっている理由、ご存知ですか?これは「最も問題が起きやすいと考えられる男性向けを最終日にすることで前日日程のサークルには最悪影響が出ないようにする」という、本当に身を切るような配慮までしているのです>昔のコミケカタログより。 いつまでも、あると思うなコミケット。アキバの惨劇で歩行者天国が中止されたり、WFが例のエスカレーターの事件で次回開催が不明になったりと、長い歴史のあるイベントもあっという間に消えたりします。 我々参加者に出来ることは何か?難しくはありません。「皆がルールを守ってお互いに気を配り、整然と」コミケを遂行するのみです。 アレだけのイベントで何事もない、ということがどれだけ大変かを皆さんも、もう一度再確認してくださいね。
2008.08.05
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ちょっと気になったツイッターまとめを「ドット絵は手抜き」 発言で炙り出された古い日本人が持つドット絵信仰脳の問題点。中学生に本気になる大人達は危ない 私はPC88時代からゲームを自作していたゲーム世代でした。 当時、ゲームの中で使える表現は基本ドット絵しかない時代で。しかも、一度に画面に出せる色数が制限されていて、さらに大きさや数、描ける容量も今から考えると笑っちゃうようなものでした。 ですが、当時はゲームで使える描画方式が基本それしかないという。一応、3次元表現もありましたが、とてもじゃないけどドット絵にも劣る、スッカスカな四角や板切れを置いた世界。 そんな中、私のようなドッターと呼ばれる絵描きは「擬似的に3次元表現をする」という、涙ぐましい努力をしていたんです。だんだん拡大する絵を並べて奥行きを出したり、パレットを変化させる事によって遠近感を演出したり。 もし、当時に今のポリゴン的表現手法が使えたのであったら、私たちは躊躇なくその表現を選んだはずです。 ドット絵表現に温かみがあると思わない理由はまさにそれで。これは昔の玩具、けん玉とかおはじき、ベーゴマといったものには温かみがあるが、今のゲーム機には温かみがない、というのと同じで。当時の子供にはゲーム機がなかった。おもちゃがそれしかなかった。当時の子供だって3DSが普通に買えるようであったらきっとそれで遊んでいるかと。 何より、ドット絵はあくまでキャンバスと同じです。そこには温かみのある絵も、硬質で無機質な絵も、へったくそな手抜きの絵もあります。ドット絵だから、ポリゴンだから、というのはおかしな話で。 元の発言者が「ドット絵は手抜き」と思うのは、単にその部分を経験していないからの迂闊な発言ですし、当時「すげえ!」と思った世代が驚きを今の子供に「これに驚けないなんて想像力がない!」ということにはならないと。
2012.01.22
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となりの801ちゃんがアニメ化中止になった件に関して、こんな情報が流れましたが。 えっと、これって正直「考えにくい」のです。というのは、アニメ製作の現場でTV局プロデューザーの力ってここまで大きくないです。(特にすでに雑誌や単行本などで宣伝まで始めていた訳だし) TV業界のドラマやマンガを見ると悪徳プロデューサーが権力を傘にセクハラ、パワハラやりまくりのイメージですが、実際の話、プロデューサーにとって一度計画し発表した作品が放送無事終了するまで「なんとしても続けないと」自分の死活問題になります。 そして、水面下の時期であればいざしらず、こうして発表してしまったものを自分の趣味的な内容変更できないから、という理由で中止する、ということはちょっと考えられないですね・・・特にTVアニメの世界は他のドラマやバラエティー番組と違ってアニメ製作って事前の準備が大変なので。(一本のアニメの企画立案から放送まで2年とか普通です) 今回の放送中止は、実際のところ作者などが直接語らない限りわかりませんが、「プロデューザーの趣味の一存で」ということは無いと思います。(そもそも内容を大きく原作と変えたいのであれば、発表より先に原作者に打診してます) もしあるとしたら内容より製作側の問題、あるいは「これでは絶対に儲けにならない」という資金的、スポンサー的な意味合いを考慮する方が現実感あります。(いくら京アニだといってとなりの801ちゃんではキャラグッズやDVDなどで売り上げが確保できない、または京アニが今、忙しくて結局きちんと製作できるかわからないなど) 不思議なもので、人間、何かあったときに「悪いうわさほど信じる」ものです。特にネットでの風説程度のことを「やっぱり、そういうことだと思った」という感じで信じたがります。 公式発表、あるいは作者自ら語らない限り(いや、作者に対しての情報も全てとは限らない)ネットの情報なんてどれも「噂」レベルです。 あなたは「ごく近い関係者に聞いた話なんだけど」という枕詞さえ入っていれば、全ての噂を信じますか?というお話。PS,当然、この文章だって私の「推測」です。信じたり、リンク張って「これが真実」みたいなことは言わないでね。
2008.09.07
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結果不振選手批判はブラック企業の論理 この辺は旧日本軍の狂信的な「精神論が現実を凌駕する」を未だに引き継いでいる体質なんだろうな。スポーツ界というのは。 たとえば日本のお家芸と言われていたスポーツが他国に奪われる理由の最大の原因は「相手に研究され、根性部分を技術で対策されてしまった」というのがあると思います。>>私は日本的精神論とは、(1)足りないリソース(資源)を気持ちで補わせる(2)全体的問題を個人の努力に押し付ける、だと考えている。結果が出せないことに批判が集まるたび、ここ数年続くブラック企業を想像してしまう。全体として足りないリソースを残業などの個人の努力で補う。「できる、できない」は気持ちの問題。それと似た空気を五輪の期間中も感じている。 まさにその通りで。最初から無理なスケジュール、無理な予算であることを達成のために「サービス残業」で補ったとき。100円の商品だが実際は150円の経費が掛かっている、しかし50円はサービス残業なので人件費が発生していない、ことにされている。それがどんなに売れても残業代には当てられない。それが出来ない奴は怠惰だ、なまけている、やる気がない・・・ 特に最近は不況の影響で企業がスポーツの自社クラブから次々と撤退している。選手としては有力なのにスポンサーがいなくて育成教育ができない。特に道具や設備に金のかかるスポーツは練習さえできなくなる。 また、メダルに届かなかった選手に対して「税金泥棒」と罵声を浴びせる輩は、自分が学生時代、全国模試で上位3位に入れなかったから親から無駄飯喰らいの役立たずだ、と言われた人なんだろうか? メダルに期待するのはかまわないけど、メダルが取れないのはだれの責任でもない。世界の相手がもっと強かった、それだけなのに・・・
2014.02.13
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同人サークルが脱税で追徴金を要求された、って事件が数年前にありましたけど、そもそも税金を納めなければならないほどのサークルってどのぐらいの売り上げなんでしょうか・・・ 一番解りやすいのは個人所得としての「雑所得」が該当します。年間を通して20万円以上の「所得があった場合」には申告義務が発生します。 例えば1冊500円の本で原価が300円だとした場合、1000部。しかし、実際は輸送費やイベント参加費、その他モロモロあればもっと売らなければダメでしょう。 印刷コストは大部数を刷るほど安くなります。が、年間を通してコミケ以外も含め、委託ショップ、通販、各種イベントに参加して1000冊以上の売り上げがあるサークルというと、かなり限られます。 また、複数の同人誌を出せば売り上げが必然的に上がりますが、当然、印刷コストは種類倍になる(同じものを印刷することによって安くするのとは違う) それに20万円の利益があっても「それに対しての税金」はさほど高くない。所得隠しで脱税し、莫大な追徴金を払わされたサークルって一体どれだけ売れていたのか見当が付きません。 日本最大規模のイベント、コミケで大半のサークルの売り上げが一回200冊以下の現状だとすると(コミケカタログより)、申告をしなければならないほどのサークルって本当に「ごく限られている」のだろうなと。 同人ソフトの場合、単価が1000円~2000円と高いので(CDプレス費用も500枚以上であれば同人誌より安い)、可能性はぐっと上がります。もっとも、同人ソフトも一部を除いて売れないのは本と同じ。逆に紙に書く原稿より製作にコストがかかるので(複数人数製作が基本だったり、本より制作期間が長くなる)こちらも厳しい。 この計算からも同人が儲かるという幻想は消えます・・・やはりほとんどのサークルがとんとん、あるいは赤字である以上、趣味の延長の世界であり、利益という意味で考えれば、すばらしい絵やゲーム作りなどの才能でもない限り、同じ時間、アルバイトをした方がいいですな。 もっとも「それでもやる!」からこそ、同人は面白いのですが。
2008.08.25
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自分の立場を理解した上での、覚悟の上でのこういう発言だと思いますが(ツイッターで迂闊に情報を漏らすような発言とは違いますので) 上記の方もいわれていますが、ここ最近の、特に2ちゃんの情報を集めたゲーム系情報Blogの記事はあまりにもひどい、と感じています。これは同業者である事以上にゲーム好きとして。 しかもそれが単なるアングラのコミュニティーであるのであれば問題ないのですが、アクセス数が大きくなると、本当にデマ発生装置として影響を与え始める。特に発売前のソフトであれば買おうかどうしようか迷っているお客さんの足を、確定しないような情報で引っ張る。しかも本人(管理人)は情報がウソだろうが本当だろうがアクセス数さえ増えればOKの立場。 なんだかすごく「気持ちの悪い」ものです。 この手の話になると、真面目に応える側が「大人気ない」とか「無視すりゃいいのに」という意見がありますが、もう無視できないことをやっている、と気がつかないと・・・特に発言の一部だけ切り取って誇張したり、まったくしていない発言を捏造されたり、ということを広められるのは、当人の人間関係とか会社の運営にリアルで影響を与える事がある。 一番怖いのは、この手の責任感の無い人間がアクセス数という「権力」を持つ事によって、将来的に市場に歪んだ影響力を持つ事じゃないかと。ゲームの面白さとか関係ない場所での誹謗中傷は何も産まない。 責任感の無い人間が投げているモノも言葉という「石のつぶて」である。そして、当人はどんなに相手が怪我をし、血を流しても石を投げているという感覚は無い。指差し、笑うだけ。*わかりにくい書き方でしたので修正&追記します。
2010.09.21
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