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「人生の最後には何を食べたい?」「うーん ラーメンかな・・」そんな父との対話を交わしたのはいつの頃であろうか?もしくは、それは僕ではない誰かとの会話が切り取られて記憶しているだけかもしれない「なぜ ラーメン?」と首を傾げる方もいらっしゃるかもしれませんね・・個人的な嗜好性もあるかと思いますが、これは札幌とラーメン文化の強靭な関係性を抜きにしては、なかなか共感しづらい部分かもしれませんさて、もう5年以上前であろうか?そんなラーメン王国の中でも常にトップを争う名店について父に質問してみると、こう返ってきた。「ラーメンは行列に並んでまで食べるものではないのだ!!」なるほど・・と思う、今回、初めて行列に並び、その一杯の味噌ラーメンを食べてきました。札幌味噌の伝統的な深みと店独自の洗練さが見事に調和され、まさにお見事な味なのですが、特筆するならばそれは「驚愕」するのではなく、「気がついたら食べ終わっていた!」というところでしょうか・・そして「どうしても記憶に残ってしまう味」「ふと思い出して、うーん また食べたいなぁ・・」という感じです!この一杯も「献杯」と呼んで差支えないですよね・・秋の終わりの札幌の色彩達と共に渕崎昭彦※ 珍しく(初めて?)ラーメンの写真を撮ってみましたが、札幌味噌の重要要素である、アツアツ感が全く写りませんでした!僕の写真がお店の名誉を損ねてもいけませんので名前のアップは控えさせて頂くことにしますね!
2021.11.29

かつて囲炉裏は、暖を取ること、調理すること、そして照明などの機能的なものの役割と共に、人々が集う場としての役割を担っていたと聞くその起源を追い始めると、どうやら縄文時代にまで遡らなくてはならないようなので、これは割愛するとして・・先日、弟と共に「囲炉裏」の「場」と「時」を共有する機会があった。備長炭の繊細な炎の揺らぎと共に、二人だけで、静かに父への献杯を捧げる、ささやかながら「悼み」の儀だ。炭で静かに焼かれた「アスパラ」を口にしてその溢れでる味わいに驚愕した素材そのものが素晴らしいのであろうが、それが囲炉裏という場で炭で焼かれたからなのか、また それを共有できる相手が存在したからなのか、いくつもの要素が絡んだうえでの味わいなのであろう・・ふと「豊かさとは何ぞや?」と思う直前まで「北海道のウニとイクラとカニを食べさせてくれ!!」とリクエストしていた自分の無礼さを恥じつつ・・「アスパラの本当の味がする」と僕が述べると、「兄よ、本当の味がしないアスパラはアスパラなのか?」とすぐに切り返された。二人で、家族の話を振り返ったならば恐らくその語りは尽きることがない・・・時に、深刻な話よりも、これぐらいの軽めの会話の方が、決して美食家ではなくとも、「食の共有」を大事にしていた父を悼むには良い具合なのかもしれないな・・と思いつつお酒が進むにつれ、いつの間にか「儀」は「宴」へとなっていく・・・(実によくあるケースですよね?)早朝、囲炉裏に敷かれた砂を丁寧に愛おしそうに掃除する弟の後姿が目に映った。「まるで父の背中にそっくりだ・・」とこの物語を締められれば非常に楽だったのだけれど、それは、例え親子であれ他者と比較されるべきものではない無意識に滲み出る純粋で、かつ確かな敬意に値する弟本人固有のそれであった。そして、それで良いのだと心から思う。継承は単なる表層的なコピーや形だけの引継ぎではないのだから※ 毎度のことで本当に恐縮なのですが、僕はいつも重要な写真を取り忘れてしまいます(脳裏には、その空気共に刻み込まれているのですが・・・)ですので、ちょっとだけ写真を載せておきます・・・(焼き鳥?・・・)
2021.11.26

「人は死から生を学ぶ」そんな言葉を聞いたのはいつの頃であっただろうか、それが 誰かが僕に発した言葉であったのか、また、何かしらの物語の一説で出会ったのかその記憶すら辿れないぐらい以前の話なのだろうその言葉の意味を知っている事と、自らの中にその意をしかと落とし込み、そして、その深い真理と共に生きることでは大幅に異なる父のことを語ろうと思えば幾らでも語ることができるのかもしれない、そしてそれは同時に、何も語っていないことと同義であるようにも思える。そんな思索の中にいると、話が全く進行しなくなってしまうのでひとつだけ「将棋」の事を・・・生活の中で共にする家族の志向性、嗜好性あるいは思考性は、様々な意味に於いて多かれ少なかれ影響を与える(受ける)ことになる、そして、その中でも父を通して学んだ「将棋」は、ある意味、僕に様々な作用を与えたもちろんプロの棋士を目指すようなレベルの話ではなく、それは、あくまでひとつの娯楽であり、コミュニケーションツールであり、ある意味、思考的な勝負でもあった。更に将棋は、運や偶然性の入る余地がほとんどないため、結果は己の責任として受け止め、「負けを自ら認めること」を知る。相手の状態を把握しながらも、常に最善の手を模索し、当然ながら「継続性」と「忍耐性」、「先人たちの定石の研究」はもちろん、「脳の体力」を必要とする。とはいえ、子供の頃の自分がそんな事を意識するわけもなく、結果のみに一喜一憂しているだけだ。また、父は「将棋とは・・」みたいな教育論を饒舌に語る人でも、説明をする人ではなかったが(でも、なぜか横からの口出しは多かった!・・苦笑)その時代を生き抜いた人特有の勘、あるいは感を通じて、その「起点となるべく思考方法」の源泉につながる「一手」を、意識、無意識に関わらず自然な形で置いていったのではなかろうか・・そして その「一手」を「ただの一手」と捉えるのか、「より生きていくうえでの発展的なもの」へと認識して、どう汲み取るのかは僕も含めた受け手次第である。かつて父側の祖父(僕の曾祖父)は、ある冬の寒い夜「ちょっと将棋を指してくる」と出かけてそのまま帰らぬ人となったと聞いた事がある。家に伝わる昔からの習慣なのか否かは知らない、だがお通夜の場では、いつも誰かが線香番をしながら将棋を指し、適度な談笑を交えつつ最後の時を過ごしていた。そして それは儀式であるかのように父の通夜の際も同様に引き継がれた写真に残されている将棋の駒組は父が生前よく使用していたものと聞かされた、そして、その将棋盤は誰にも引き継がれることなく父と共にその一遍の物語を終えることを選んだ。献杯と共に渕崎昭彦
2021.11.24

喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます本年9月22日 父 渕崎善昭(享年76歳)が 永眠いたしました。本年中に賜りましたご厚情に深謝すると共に明年も変わらぬご厚誼の程お願い申し上げます令和3年11月渕崎昭彦
2021.11.18
アウラギター音楽院 フラメンコギタークラス新規開校のお知らせです(月曜日終日:秋葉原校)今まで 金曜日終日&土曜日午後3時までの2日間が秋葉原校が担当でしたが、この度 月曜日:終日も併せて担当させていただくことになりました。今まで 時間枠が空いておらずご不便をおかけしてしまうシュチュエーションもありましたが、この度、新規開講に伴い、受講時間などかなり融通できるかと思います!ギター初心者の方には、まずは持ち方やフォームから開始しコツコツ基礎技術を中心に進めていきますギターの経験はあるけれどもフラメンコは初めて!という方は基礎技術からスタートして、フラメンコ独特のリズム(コンパス)やその考え方を中心に進めます既にフラメンコギター経験がある方はその技量に応じて、必要な技術、リズム、フラメンコ特有のルールや考え方等を中心にしながらそれぞれのレベルに応じて対応していきますまた、フラメンコギターの技術のみを学びたい、楽器はギターではないけれどもフラメンコのリズム(コンパス)や考え方を学びたいという方にも対応しております基本 一か月 40分×3クラスが基本コースとなっていますが、60分クラス、月2回のクラスなどリクエストに応じて対応可能ですので詳細は、下記リンク またはアウラギター音楽院まで気軽にお問い合わせくださいませ!併せて 金曜日&土曜日日中 秋葉原校 土曜日16時~ 渋谷校 木曜日 ~15時 入谷校に関しても 引き続きクラス実施予定ですのでよろしくお願い致しますhttps://www.guitarschool.co.jp/fuchizaki
2021.11.10
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