全27件 (27件中 1-27件目)
1
おはようございます、ひなこです。私が日本に戻ってから、市役所市民税課から届いた封書。「ん?」なんだか意味がよく分からない。父は、税金は年金から自動的に引き落としだったので、年金として入金される金額は既に税金支払い済みの金額だったのです。だから、未払いというのはあり得ない。よく読むと、1月1日に住民票があり、一定以上の収入のある人は、その年度の市道民税を払うんだそうです。えっ?死んでる人から税金取るの?はい、取るんです。例えば、1月2日に亡くなっても、支払うんだそうです。無茶苦茶。でも、故人は支払えませんよね。なので、誰が払うのか責任の所在を明らかにする届けを提出せよ、と。私宛の文章には、何月何日までに提出がない場合は、ふゆのひなこさんを相続人代表者と見なします、と書いてあったので、提出しなくても別に良いかと思いましたが、今払えるなら払ってしまいたいと思い、市役所に行きました。しかし、その場で支払うことは出来ず(システムの関係で今納付書を出せないので、納付書が郵送されてから支払いしてと言われた)、帰ってきました。しかし、従順な日本人だからこんな無茶苦茶なこと出来るけど、海外だったら誰も払わないと思います。日本は、「親の因果が子に報い」じゃないけど、子供が払うんだろうけど、例えばオーストラリアでこんなこと言っても、従う人は誰もいないでしょう。ちなみにオーストラリアには、相続税も贈与税もありません。そして、常々オーストラリアからは親玉英国にたんまり貢ぎ金が渡ってるんじゃなかろうか、と疑っていた私ですが、今回の日本の死んだ人からも税金を絞り取る政策を見て、日本も敗戦国として未だにアメリカに貢ぎ金が渡ってるからこんなに税金取られるのかも、という思いが浮かびました。ご機嫌よう!
2024年06月26日
こんにちは、ひなこです。先ほど、司法書士事務所から電話があって、「私の住民票が1/2しかない! 2/2はどこ行った?」と。いやいや、私は市役所から受け取った書類をそのまま持っていっただけで何も触っていません。でも、「そんなはずはない。あなたが抜いたんでしょ」なんて言うんですよ。私も海外在住ですから、そんなことを言われて黙ってはいませんので、ギャースカ反論しましたが、「兎に角市役所へ再度行き、ちゃんとした書類を取ってきやがれ!」と言われて市役所へ行きました。で、結局、それは市役所のチョンボでした。市役所側が認めました。なので、市役所と司法書士さんが電話で話し合い、市役所が法務局に行き、事情を説明して、正しい住民票と差し替えるということになったようです。こんな年になって怒鳴られるとはな、と思いながら帰宅すると、司法書士さんから電話があって、「先ほどはすいませんでした」と謝ってくれました。司法書士さんも、まさか市役所が間違うとは思わないから、私を疑ったんでしょうね。割りを食う私。トホホ。ご機嫌よう!
2024年06月25日
おはようございます、ひなこです。有料で、病院付き添いサービスがあるとのことで父名義で入会したコープさっぽろ。(病院付き添いは家族がやる、そういうシステムの特養に父が入ったら使おうと思っていた。自分は父が施設に入ったら日本を出る予定で、後見人には付き添いは頼めないから)しかし、結局その制度は使いませんでした。父の入った特養は、家族の付き添いなしで(うちだけ特例だったのかもしれませんが) OKだったので。加入手続きをしたコープさっぽろの店舗に、父の死亡した事実の分かる書類、私の認め印、私の身分証明書、私の口座情報が分かるもの持参で行きました。先ずは、カードに残っていたポイントを使いきって下さいと言われ、「電卓お持ちになります?」なんて言われたけど、スマートに断り、お高い梅干し2つとお高いお豆腐2つを選んでサービスカウンターに戻ると、「凄い!計算したかのようにピッタリの金額!」と言われました。「わたくし、一応珠算1級ですので!計算したんですよ、暗算で!ホホホ(高笑い)!」言いませんでしたけどね。心の声です。そこから手続きをして、2週間後に、私の口座に出資金の千円が振り込みになるとのこと。この手続きの後、やっと米や味噌を買って帰りました。これで、取り敢えずご飯と味噌汁は自炊できるようになりました。ご機嫌よう!
2024年06月25日
おはようございます、ひなこです。実家を譲渡する相手が見つかり、ヤッター!と喜びましたが、故人である父名義からは何も出来ません。先ずは、私名義にするため遺産相続手続きの必要があります。母の時に依頼した司法書士さんは亡くなってしまったので、今滞在しているマンスリーマンションから近い所にある司法書士さんにお願いしました。市役所に必要書類を取りに行ったのは私です。父の生まれた時からの戸籍謄本がとんでもない量で、1時間も待ちました。まぁ、十勝に行かなくても良かったから、それに比べたら楽ですが。父の家は武士だったので、昔の人々の名前が、時代劇のノリ。手書きの文字を解読するのは、私には大変難しいのですが、これは自分用にワンセットキープしてじっくり読みたいと思いました。ファミリーヒストリーですよ。この父の戸籍謄本が大変な量だったので、私の住民票を頼んだのが忘れられていました。ふとそれに気付き、「私の住民票は?」と尋ねると、「住民票はまた違う申請書を書いて頂かないと」なんて言われて、「でも、住民票も要るとお伝えしたんですけどねぇ」とごにょごにょ言っていたら、「あ、本当だ。住民票にチェック入ってます。完全にこちらのミスですね。忘れてます」と出してくれました。あー、すぐ気付いて良かった。二度手間になるところだった。別の日に来たら、私のミスにされたかも。司法書士さんに書類を持っていくと、慣れていらっしゃるのでパッと見て、「うわー、凄いね。明治○年に仙台から北海道に来たんだね。ふむふむ」なんて、興味深く読まれてました。知らない人々の名前満載です。皆、私と血が繋がっているんだなぁ。なんか不思議。翌日午後「書類ができました。印鑑を持って事務所に来てください」と連絡があり、その翌日午前中に委任状にハンコを押してきました。現在、私名義に登記されるのを待っているところです。ご機嫌よう!
2024年06月24日
おはようございます、ひなこです。父の死後の後処理で、1番頭を悩ませていたのが、実家の処分方法でした。近所にも空き家が沢山ありますし、もう、解体だな、と思っていました。隣の家の娘さんに、「更地にしたら、もらってくれる?」なんてお伺いを立てたりもしました。しかし、思わぬ展開になりまして、解体はなしになりました。近所の方々が、「家の中見せて」とドンドン2階にまで押せ押せでやってきたんですが(苦笑)、「コロナ前ならこの家の解体は百万でできたろうけど、コロナの後は倍になったから、二百万はかかるよ。リフォームして売れば?リフォームの業者紹介しようか?」とも言われました。なんと、解体にそんなにかかるのか!リフォーム業者に関しては、丁重にお断りしましたけれども。そんな中、ある近所の方が、「解体はしないでおいてもらえないか。こんなことを言うのはあれだけども、できるなら家で使わせてもらいたい。贈与税も払うから」とのオファーが!業者に頼んで処分しなくちゃと憂鬱だったタンス等々の大型家具も、全部そのまま残してあっていいとのこと。それは助かります。ということで、解体せず、そちらに贈与することになりました。といっても、父の名義からは何も出来ないので、先ずは私名義に相続手続きをするところ始まります。ご機嫌よう!
2024年06月23日
おはようございます、ひなこです。アマゾンで買った印刷済のハガキです。字が下手~。切手は郵便局から買いました。もうすぐ値上がりするようですが、切手代。近所の方々には、手渡ししましたが、市外にいる親族(母の親族なんだけど)、母の友達、地元の父方従姉1名には郵便ポストに投函して出しました。あ、長いこと2年に渡りお世話になった、デイサービスにも出したんだったな。そこで、買った枚数が尽きたので、これまたお世話になったケアマネージャーさんには、メールで知らせ、地元の母方従姉にはそのうち電話をする予定。どこで線引きしたら良いのか、介護タクシーの会社、ショートステイの施設、老健、お世話になったお医者様達、等々にもハガキ出すべきなのかな、と一瞬は思いましたが、なんだか忙しくて、それ以上は出しませんでした。「まぁ、いっかぁ」と言いながら。結構、ケアマネさん経由で広まるんじゃないかな。仕事上、連絡取り合ったりするでしょうからね。(しかし、やはり連絡のハガキを出すのが礼儀というものか?と思う自分もいて、少し落ち着いたら出すかもしれません)(追記: うだうだ言いましたけど結局更にアマゾンから死亡通知のハガキを購入して出しました。色々あった老健には出さなかったけど)ご機嫌よう!
2024年06月22日
おはようございます、ひなこです。家の片付けをしていると、近所の方々がやって来て、立ち話になります。この場所に越してきたのは、私が5歳の時だから、55年前です。(家は大きな地震が2回あった後建て替えた)だから、気心知れた仲、というか、皆さん遠慮なく、「家はどうするの?ちょっと家の中見ても良い?」とか、「庭の花をもらって良い?」とか、年下の私に、はっきりした物言いをされます。という私も、父が亡くなったという知らせのハガキを書き、ちゃんと弔事用切手も貼ったのに、「郵便で出すより早いから!」と近所の5軒の皆さんに、自ら手渡ししたんですけども!ハガキには、手書きで追加として、香典とかお花とか、マジ心配しないでね、という内容のことを付け加えたので、誰も香典とかくれなくて、それも楽でした。それで、私は実家を空にしないとならないので、「このテレビもらっていい?」とテレビとテレビ台をもっていく方がいるかと思えば、「2階の整理ダンス頂戴」と言う人がいれば、「玄関前の階段の最後の段の所のこのストール状の足台が欲しい。親が車から降りる時の台にしたい」と言う人がいたりもして。(父が要支援の介護度になった時に1割負担でつけてもらったステップです)いや、私、助かるんですよ。貰ってくれたら嬉しいです。ただ捨てることになるよりは、他の誰かに使って貰えたら良いじゃないですか。だけど、ふと、「あー、うちの親はこのタンスは自分のもの、と疑うことなく使っていただろうけど、こんな風に人の手にすっと渡って行くんだなぁ」なんて思いが浮かんできて。実はこの世で私たちは何も所有していないんじゃないか、なんてちょっと哲学入ってる思いが浮かびました。自分の物と疑わないこれもあれも、あっという間に他人の物になっていくんだな、みたいな。例えば、皆さんが今住んでいるその土地には、100年前には、誰か他の人が住んでいた訳じゃないですか。日本では、家は壊して新築が多いんでしょうが、オーストラリアだと、外観はそのままで、内装だけリフォームで売りに出す家がほとんどで、ここは自分の家と思っていても、実は同じ家の事を自分の家と思っていた人々は自分の前に沢山いたわけで。という感じというか。上手く説明できていませんね。すみません。実家の両親が使っていたものが、目の前でさばけていくのを見て、感じたことでした。ご機嫌よう!
2024年06月21日
おはようございます、ひなこです。骨納めを無事に済ませ、一旦実家に戻り、家に残っていた食料品などを持ち、バスで滞在先のアパートメントホテルへ。(ほとんど家出ババアの出で立ち)そして、橋を渡った川向こうにある父の特養へ。日本に来てからも、マスクは全然してなかったのですが、特養なので「おっとマスク、マスク」とマスクをしての出発です。😷途中、坂を上っていたら息苦しくて、「何だ、この苦しさは?」と思ったら、マスクをしてるからだと気付いて、顎マスクにしました。特養に入る前に焦って直しましたが。父の特養には、ミャンマーの人達が働いているので、手土産は、羽田空港で購入した、新宿仲村屋のカリーあられと、カリー濃えびにしてみました。そして、通された所の椅子に腰掛け待っていたら、びっくりするほどの大荷物を職員さんが台車に積んで持ってきて下さいました。購入したという加湿器は、特養に寄付し、他の父の私物は特養が処分できますよ、とのことなので、ありがたくお願いし、スーツケースだけコロコロ転がして帰ってきました。サムソナイトだから!タクシーで実家に持ち込み、実家で大一仕事、又ゴミ出しだなと思っていたので、楽をさせてもらいました。そうそう、もう1つ、スポーツバッグも老健に入所した時持参したのですが、特養では、老健から来た時、そのようなバッグはなかった、とのこと。まぁ、安物だし、いいですけど、ちゃんと名前だって書いたのになぁ。(無くなっていたのがサムソナイトの方だったら、苦情を言ったでしょう)この日は2つのことを済ませて、一日を有効に使いましたが、コンビニのおにぎりとかバナナとか、そんな食事ばかりです。スーパーに買い物に行く時間がないんです。まぁ、少し落ち着いたら、もっとまともにしたいと思っています。身体に悪いから。アパートメントホテルの近くにはスーパーマーケットがないので、貸し自転車が2台、入り口の所に置いてありますが(♪木にもたれた貸し自転車~ コテージから光をぬって来た~)自転車を漕ぐ気力もなくて、多分、行きなれている実家周辺のスーパーにバスで買い物に行くと思います。私の実家って、便利な場所にあったんだなーと、知りました。ご機嫌よう!
2024年06月20日
おはようございます、ひなこです。ひなこ定食日記。現在、地元で滞在しているお部屋には、一応キッチンがついていますが、まんま会社の給湯室で、冷蔵庫もホテルの客室にある冷蔵庫みたいな小さいもので、料理をするって感じじゃないんですよねぇ。カキフライ美味しかった😌❤️。週一通ってもいいな。茶碗蒸し美味しかったですけど、「お母さんの茶碗蒸し食べたいなぁ~💧」と思いながら食べました。カキフライの上の3種のおかずは、ウドの酢味噌和え、切り干し大根の煮物、ひじきの煮物です。これがですねぇ、染みましたねぇ。「私って、昭和6年生まれの母に、こんなもんばっかり作ってもらって、それを食べて育ったんだな」と感慨深く。自分で水入れる、自分でお盆を下げると、社食みたいな食堂でしたけど、飾らないところだから気楽にふらっと1人で入れました。私が行った日は、機械が壊れてたから口頭で注文しましたが、本当は食券を買うシステムのようです。こういうのが嫌いな人は気に入らないでしょうが、私は全く気になりませんでした。タブレット注文なんていう方が緊張して焦ります。お盆を下げた時に、「ご馳走様でしたっ!美味しかったですっ!」と元気に言って出てきましたが、男性シェフが照れてました。私、押しが強いのか!?ご機嫌よう!
2024年06月19日
おはようございます、ひなこです。前回は、羽田空港で、ひとしなやさんの朝御飯を頂きましたが、今回は一ノ井さん。銀鮭定食!ご飯が固い!味噌汁、しょっぱい!ネギしか入ってない!それも煮てはいない生のネギ。高齢者のの食事には向かないなぁ。漬物、旨い!大根のいぶりがっこかしら。ピンクのは、蕪の甘酢漬)鮭の焼き方が最高!パリパリの皮を全部食べてしまいました。うちの母に「鮭で1番旨いのは皮なのに、お前は何故残すんだ?」とよく言われていたものでした。あー、豆腐うまっ。染みるなぁ。お蕎麦やさんなので、お蕎麦を食べていらっしゃる方も多く、皆のズルズル音を聴きながら、「日本に帰って来たんだなぁ」と思いました。羽田空港第1ターミナル、朝6時、開店です。ご機嫌よう!
2024年06月18日
おはようございます、ひなこです。後継人の先生に問い合わせ、遺骨を預かってもらっている葬儀社の方に連絡。その場所が、私が全く土地勘のない地域だったので、「何時に行く、って言えないですー。迷子になるかも~。私、車ないんで、多分行きはバスで行くと思います。帰りはタクシーを利用しますけど」なんて言ったら(よく喋る奴だなと思われたことだろう)、「だったら、私がお宅まで届けますよ」と言って頂きまして、翌日の朝9時に、ということになりました。翌日、恥ずかしいからその方がみえる前に家の前の伸びきった雑草を抜こうと思って15分前に実家に着いたのに、既に実家の前には車が止まっていました。日本人、凄いなぁ。一番安いパッケージだったのでしょう、父の位牌やお骨を包んであった布も、母の時と比べるとレベルダウンしてましたね。母は一応、家族葬みたいなお通夜も含めたものを父が喪主で執り行いました。父のお骨は、白い紙の手提げ袋に入っておりました。母の骨納めの時は、ネットに白い風呂敷で包めと書いてあったので、実家にあった新品の白いシーツを切って縁をかがり縫いして風呂敷を作った倹約家の私です。父の時のためにと、取っておきましたが、出番無し。紙袋で良くなったんだ。支払いなど残っていないか確認をしたら、全て支払いは後見人の先生の方から済んでいるとのこと。1年半ぶりの父の家への帰還です。でも、こんな空き家に置いておいてもなぁ、と思い(水道を止めたから水もないし、花も飾れない)、永代供養墓所に入金済みの墓苑に問い合わせをしてみました。そこには既に母も入っています。空き家にいるよりは、そっちの方がいいか、みたいな。「本当は49日に納骨なのは知っていますけど、私、市外に住んでいるので早めに受け取って頂きたくお電話しております」と。そうしたら、「明日持ってきて頂いて構いませんよ」とのこと。近所の方が「車で連れていってあげるよ」と仰有ってくれていたので、お願いし、花屋さんに行って、仏花を2つ購入。そして、翌日、墓所の事務所で書類手続きと骨箱のお炊き上げ料金三千円を払い、納骨無事に終了。(白い紙袋もお炊き上げしてくれるとのこと)お坊さんにお経を詠んでもらうと更に別料金がかかると言われましたが、それは頼みませんでした。ところで、割と最近知りましたが、関西では、骨箱に喉仏だけなどしか入れないんだそうで、骨箱は小さいんだとか。えぇー?残りの骨はどうなるの?!と聞いたら、「火葬場が処分するんちゃう」と。えぇー?びっくりしました。北海道の桜餅は関西風でも、そこは全く違います。北海道は関東風です。ご機嫌よう!
2024年06月17日
おはようございます、ひなこです。たまにニュースにありますよね。親が亡くなった死亡届も出さず、遺体は家に放置されミイラ化、子供が親の年金をずっともらい続けて使っていた、なんて。先ずは、実家から、父の年金証書など年金に関係する書類を持ち出し。私の父は、厚生年金と企業年金基金という2つの年金をもらっていたので、それらに「父が亡くなりました」という連絡手続きが必要です。その手続きで、年金支給が停止されます。方法は、それぞれ全く別でした。企業年金基金の方は、死亡届送付依頼というのをネットで手続きすると、郵送で送ってくれます。そうしたら、それに記入して返送するようです。一方、厚生年金の方は、地元の年金事務所に出向きます。待ち時間が短くなるので、本当は予約を入れることが推奨されているようですが、予約なしでも大丈夫でした。私は海外が長いので、待たされることには慣れているので、苦にもならず、ボケッと待っていられました。許容範囲。ネット情報で、私の父の死亡を確認できる書類、私が父の娘だと確認できる書類が必要と知り、市役所に行ってそれぞれ入手しましたが、私の父との間柄の方は必要ありませんでした。父の書類の方も、コピーをとってもらい、原本は返却して頂きました。又、何か他のことに使うことを想定して。結構高いんですよね、市役所から出してもらう書類。死亡した人と生計を一緒にしていた人は、未払い分の年金を貰えるとのことでしたが、私は放棄しました。(母が亡くなった後、父の口座に母の年金の未払い分の入金があったと記憶しております)同居して介護をしていた時なら、父と生計を共にしていたという認識がありましたけど、施設に入ってからは、私は地元を離れてというか日本にいなかったし、後継人の先生に全てお任せでしたからね。でも、年金事務所の方(私が日本で働いてた頃は、社会保険事務所って呼んでいたような気がする元総務部の私なのであった)に、そこの認識について、しっかり何度も聞かれました。どうやらこの請求は年金を支給されていた人の死後5年以内に手続きということになっているので、最初は手続きしなかったのに、後になって「やっぱり貰えるものは貰っておけ」と気を変える人が結構いるからだそうです。こちらの手続きには、未払い分を受け取る人の銀行口座の通帳など必要です。私は要らないと言ったので、必要ありませんでした。続く。ご機嫌よう!
2024年06月16日
おはようございます、ひなこです。夫の注射打ちの任務が終了するのに合わせた出発日になるよう航空券の手配をしました。行きは空のスーツケース2個持参でエコノミークラス、帰りは荷物パンパンになるだろうから、ビジネスクラスにしました。前回の帰国便での経験から、「行きはドーハから成田空港行きにして、帰りは羽田空港発の新しく運行開始されたJAL便のドーハ行きの方が良いんじゃないかな」と思ったので、先ずは、カタール航空のアプリから行きの片道エコノミークラスを手配して、その後日本航空のサイトから帰りのビジネスクラスを手配。しか~し、最安値の文字を見ると見境なしにそこを押してしまう哀しい性を持つひなこ。ついうっかり、又もや、行きは羽田空港着、帰りは成田空港発を購入してしまいました。とほほ。なので、行きのエコノミークラスは、ドーハから羽田空港までJAL便で、帰りのビジネスクラスは成田からずっとカタール航空になりました。購入したのは逆の会社からなんですけど、何故かそっちの方が安かった。理由はよく知りません。日本に帰ったらやること一杯ですが、頑張れ、私!と気合いを入れて、いざ出発!ご機嫌よう!
2024年06月15日
おはようございます、ひなこです。安全地帯の玉置浩二さんが、「親が死んじゃったら、故郷の旭川にも帰らなくなった」と仰っているのを聞いたことがありますが、私もその境遇になった訳ですよね。既に、2023年12月中旬から3週間程帰省した時点で、実家のストーブが壊れ(!)、それ以降ホテルに宿泊するはめになり、「いやぁ、遂に、地元でホテルに泊まるようになっちゃったな」と感慨深かったのですが、今回は、実家のガス電気水道電話全部止めちゃってるし、出発前に、マンスリーマンション?アパートメントホテル?を手配しました。多分、これが最後の帰省なんだろうな、という気分が濃厚に漂います。ちょっと哀愁帯びちゃいますが、最後の帰省の思い出になるように、手続き関連と並んで、それも書いて残しておきたいな、と思います。ご機嫌よう!
2024年06月14日
おはようございます、ひなこです。突然ですが、実は今、又日本におります。何故なら、とうとう父が亡くなってしまったからです。大往生でした。日本人男性の平均寿命プラス10歳!女性だと、平均寿命が87歳位ですから、97歳まで生きました、というのと同じでしょうか。父の一族は短命な人ばかりなので、本当に予想外というか、一族のぶっちぎりの長寿記録達成です。当然、父の弟たちも何十年も前に亡くなっています。母方は、とっても美形のおじさんととっても美人の母と瓜二つのおばさんは若くして亡くなりましたが、1番上のおばさんは94歳まで生きたので、うちの母が第2位。現在は、1番下の札幌のおばちゃんだけが健在です。80過ぎてるはずですが。信じられないわー。私より年上のいとこたちは、おばちゃんじゃなくて、今でもお姉ちゃんって呼んでます。私、顔が似てます、おばちゃんに。そして、おばちゃんの2番目の息子と私が似ている。話がそれました。後見人の弁護士の先生から、「○○病院から何時何分頃連絡がありました」と日本時間の深夜にも拘わらず直ぐに訃報のメールが来たのですが、実は出鼻をくじかれました。夫の手術後、私の注射打ちという任務があったので、それを全うしてから帰国したからです。自分の腕に自分で注射は打てないじゃないですか。怖い、怖い。まぁ、親は2人しかいないので(私には日本人の義理の両親もいないですし)、2度と同じことをすることはないんですけども、普段やらないことなので、ちょっと書いて残しておこうかな、と思ってしたためております。さて、そんな訳で、直ぐやらねばならないことは、私の事情をよく理解してくれている父の後見人の先生が、代理として行って下さいました。なので、最初のところは未経験です。多分、病院から死亡診断書をもらう、(6枚コピーすること、とノートに私のメモ書きがありますが、この誰かの経験談はその通りなのか、どうなんだかわかりません) 役所に死亡届を出す、火葬許可申請書を提出する。火葬して、火葬場から埋葬許可証を受け取る(納骨時に必要。はい、母の納骨の時に持ってきてくださいねと言われました)というようなことを、後見人の先生が済ませてくれたはずです。父の遺骨は、私が帰るまで葬儀屋さんに預かってもらっていました。その1は、これくらいでしょうかね。自分でやってなくて、なんか、すみません。先程も書いたように、父の兄弟姉妹は皆亡くなっていて、母の一族と違って、親戚付き合いの薄~い一族だったので、いとことか、誰がいるのか私も分からない状態だし、お通夜とか葬儀とかはなしで、直葬になりました。これは、私がいないからそうなったのではなくて、もし、私が日本で介護中に亡くなっていたとしても、直葬にしたと思います。だって、誰も来る人もなく、遺体と一緒に二人だけ(というか)一晩過ごすというのは、私、絶対出来ないです。親不孝しましたけど、1番の親不孝は、親より先に亡くなることって言いますから、とりあえず、そこはなんとかクリアしたかな。ひとりっ子なので、事後処理、奮闘致します。続く。ご機嫌よう!
2024年06月13日
おはようございます、ひなこです。お腹を空かせて、うちの庭にふらり登場した三毛猫ちゃん。ご馳走様でした!チョロチョロするので写真が撮れないぞー。座ったので撮ろうとしたら、起き上がろうとしている。やっと横になりました。ニャー😼ご機嫌よう!
2024年06月12日
おはようございます、ひなこです。トルコ産のブルーベリーです。美味しいなぁ、ブルーベリー。ヤムヤム。いや、トルコ風に、「チョク ギュゼル」と言うべきか。今日は短くご機嫌よう!
2024年06月11日
おはようございます、ひなこです。玉子が入っているから、厳密な意味では違いますが、ぶつ切れたうどんっぽい、エリシテ。(卵が入っていないハムルとかいうのは、もっとうどんぽい)自分で作ったこともありますが、面倒だから乾麺を買ってきました。トルコでは、バターをからめて食べますが、1度めんつゆで食べてみたんですけど、やはり長くないとダメですね。まぁ、海外にいると、ズズッとすすり食いば大ひんしゅくなのでできないんですけど。フェタチーニスパゲッティをぐでぐでに柔く煮て、うどんもどきにしたりしています。ご機嫌よう!
2024年06月10日
おはようございます、ひなこです。食器の水切りかごの受け皿に、白い跡がつきました。オーストラリアとか日本だと、ちょっとお掃除をサボると、ぬるぬるになったりしますが、こちら大変乾燥しているので、乾いた受け皿に白い跡が。まぁ、私が手抜き家事をしているのが悪いんですが、「なんだ、こりゃ」の気分でした。丁度、夫が使ったレモンが生ゴミの1番上にあったので、水で濯いでレモンでゴシゴシしたら取れました。これも硬水だからですよね、きっと。硬水の話が多いですが、もう人生初なので、ちょっと取り憑かれていますかね。ご機嫌よう!
2024年06月09日
おはようございます、ひなこです。インスタグラムを見ていたら、関西の1歳10カ月の女の子が既に関西弁を話していて、「もう関西弁なんだ!」と驚きました。当たり前なんですけど。でも、よく考えたら、うちの息子は北海道弁でしたね。長男が、2歳の頃かな。関東出身の友人が、「A君、お姉ちゃんにかわいいかわいいしてくれない?」と言いましたが、私の息子には意味が通じていなくて、固まっていました。友人「ひなこさん、A君、かわいいかわいいって分からないのかな(海外育ちだし)」私「いや、北海道では、めんこめんこって言うんだよ。だから、めんこめんこしてって言ったら通じるよ」友人「ひなこさん!私のことからかってます?!」私「からかってないって。北海道では可愛いことをめんこいっていうから、めんこめんこなの」今なら直ぐググって調べて、「ほんまや」となるだろうけど、そんな時代じゃないですから、友人は半信半疑ながら、今度は、「A君、めんこめんこして」と怪訝な顔で言いました。すると息子は直ぐに、友人の頭をナデナデしたので、友人、大変驚いておりました。友人「凄い、北海道弁で育ってる~!」って。息子が大きくなってから、「なんとか」って日本の人に言ったら、意味を分かってもらえなかったと私に言ってきて、「それは北海道限定だな」と答えたこともあります。でも、彼らは北海道のことをかなり誇りに思っているので、卑屈にならず、「だからなんだ、北海道ではそう言うんだ!そっちの勉強不足!」ぐらいに思っているみたいですが!1月初旬にトルコに帰ってくる時、地元の空港で、お正月に未だ小さな赤ちゃんを連れて帰省していたご夫婦と地元の見送りのご両親のお別れの場面を目撃してうるうる涙目にながら、私も長男は地元で里帰り出産だったので、当時のことを思い出しました。あれは、何年前?なんと!35年前だ!長男、今年、35歳か!おじさんやん!(ママはおばあちゃんだろ!と返されそう)知らない間に35年も過ぎていました。通りでお母さんも亡くなる訳だ。お母さ~ん。💧と、年始が終わり今の居住地に帰るところの里帰りの人々で大混雑していた地元の空港で、1人母を偲びました。BGM🎶あの頃君は若かった~ご機嫌よう!
2024年06月08日
おはようございます、ひなこです。↑注射は怖いので、お花を添えてみました。退院する時、「家に帰ってから、これこれの薬を」って処方箋をもらったんですが、その中に毎日10日間、腕に打つ注射というのがありました。んっ?腕に注射?自分じゃ打てないよな。看護師さん「奥さんに打ってもらって下さい」私「はいっ?!」お口あんぐり。看護師さん「ケラケラケラ」いやいやいや、笑うてる場合やないやろ!看護師さん「大丈夫、大丈夫、ちゃんと教えますから」いや、そりゃまぁ、あなたは看護師だから簡単な通常業務だろうけど、私、人生初の大仕事ですよ!さて、看護師さんによると、その1 毎日同じ時間に、午後12時に1日1回打つこと。その2 毎日、左右の腕、交互に打つこと。今日が右なら明日は左という風に。その3 肘の所から小指から人差し指までの指4本置き、親指を伸ばした、はい、ここを消毒して、皮膚を引っ張って、ここに打つ!液が無くなった後針は直ぐ抜かないで、10秒待ってから、抜く。「簡単でしょ?」だから、私、やったことないんだって!夫もビビってました!大丈夫なのか、って。で、結果どうなったかというと、ちゃんと出来ました!ぶっつけ本番とは思えませんでしたね。自画自賛。手先の器用な日本人のはしくれとしての面目をなんとか保てました。秘訣は、恐れず迷うこと無く躊躇せず、自信を持ってドーンと大胆にやることですかね。なんて、他人の腕だから出来るけど、自分の腕には出来ないだろうな。自己愛多め。きっと夫は、実験動物にされた気分だったと思います。私を100%信頼することは不可能だったでしょう!特技:皮下注射と、これからは追加しようかしら!あの、注射器をトントンと指ではじいてからの、空気を抜く動作をしていると、「私、看護師やん!」と内心ほくそ笑んでしまいます。フフフ。ご機嫌よう!
2024年06月07日
おはようございます、ひなこです。ほんの少し前まで、なんか寒いなとヒーター(トルコ語ではソバ。私は耳にする度毎回蕎麦を連想する)を点けていたのに、6月に入って、ここのところ連日の30℃超えで、私は暑くて寝られません。去年は温泉巡りでしたが、今年は病院ばっかり行ってますねぇ。まぁ、私は付添人で、病人は夫なんですが。今回は、イスタンブールA病院に2泊しました。夫が腹痛で、胃カメラ、大腸内視鏡検査をしましたら、極初期のステージ1のレンズ豆ほどの大きさの直腸がんが見つかりました。直腸がんを見つけて下さった先生は、大学病院での手術を勧めてくれました。(料金お安め。しかし、紹介されたお医者様は高め料金の別待遇を選択することも可能な先生でした)それで最初は、大学病院に予約を入れたんですが、そこは例の私が結膜炎を拾ってきた病院だったんですけど、「いやいや、お金が払えるなら、一流のイスタンブールの名医にかかった方が後悔しませんよ!」という忠告も多々あり、結局大学病院はキャンセルして、イスタンブールの国一番の直腸がんの権威として有名な専門医の所に行きました。「よくこんな初期に見つけましたねぇ。こんな人いないですよ、とっても稀なケース」と言われました。でも、念のためにPET検査を癌専門病院で受けるよう、そして血液検査も別の所で受けるよう言われ、その結果が出たら又来てね、ということでその先生のクリニックから一旦帰宅。(日本と違って分業です)で、PET検査をして、その結果のリポートが来たので専門医に連絡をしたら、明日の午後に来てくださいと言われて、翌日伺うと、転移はないので血液検査はしなくてよし、これからA病院に行けるなら、明日の朝手術できますよと言われて、急遽入院しました。手術は無事に終了し、手術翌日の昼前に退院でした。早っ。手術当日から、「廊下を歩いて!」と歩かされましたし。結局、夫の腹痛は、ピロリ菌により十二指腸潰瘍になっているかららしいのですが、胃カメラをしてくれたM病院の先生が、「腎臓が悪いから、ピロリ菌除去の抗生物質を飲まない方が良い」と勧めてくれなかったんですよねぇ。潰瘍に効く薬は、副作用が起きたし、どうするのかしら。まぁ、癌が見つかったのは幸運だったんですが。A病院は、5つ星ホテルのようだったM病院とほぼ同じだけど、ちょっとゴージャス感を少なくした感じというか、もっと地に足がついている感じ。で、看護師さん達の質は、こっちの圧勝でした!なんと言っても、これが一番の肝ですよね。だから、印象がとても良かったです。夫も同意見でした。あと、コーヒーや紅茶、ホットチョコレートの自動販売機があちこちにあったのと、熱湯や冷水を補給できる場所もあちこちに完備されていました。(部屋の中にも電気ケトルありました)ご機嫌よう!
2024年06月06日
おはようございます、ひなこです。さくらんぼがなってきました!嬉しい!ご機嫌よう!
2024年06月05日
おはようございます、ひなこです。現在、村に住んでいるので、高齢者が多いです。で、葬儀がある日は、村のモスクのスピーカーから、「本日は何処其処の誰某さんの葬儀の礼拝があります」みたいなお知らせが流れるのですが、結構頻繁に耳にします。あら、又今日も、みたいな。まぁ、己の死についても思い出させてくれるので、良いことかなとは思います。ご機嫌よう!
2024年06月04日
おはようございます、ひなこです。村に住んでいるので、夜に犬がワンワンうるさくて目が覚めたりもするし、日の出後には、鳥さん達が、ピーチクパーチクうるさくなってきます。そんな鳥の声を聞いていたら、頭の中で聖子ちゃんが、🎵水色の朝に包まれ 目覚めれば鳥の声~と歌い始めました。作詞は、松本隆さん、作曲は財津和夫さん、アルバム「パイナップル🍍」の中の「水色の朝」という曲です。まぁ、私の場合、目が覚めたら鳥の声じゃなくて、未だ寝たいのに鳥の声うるさいぞと思っているので、歌とはちょっと状況が違いますが。「パイナップル」なかなか良いアルバムですが、ひなこイチオシ聖子ちゃんのアルバムは、「ユートピア」です!あ、耳栓して寝ればいいのか、と今気付いた。でも、私、寝ている間に無意識に取っちゃうんだよなぁ。 そういえば、鳥つながりで、この前、燕の鳴き声聞きましたが、「土食って虫食って口渋~い」とは鳴いてなかったです。トルコ語だったんでしょうか。ご機嫌よう!
2024年06月03日
おはようございます、ひなこです。トルコのバズラマというパンです。ふわふわしています。柔いパン好き日本人もあんまり噛まなくていいから気に入るかも。オーストラリアのクランペットの親玉というか、バズラマを横綱とするなら、クランペットは序ノ口みたいな。オーストラリアのクランペット↓。大きさもこちらの方はバズラマよりずっと小さいです。バズラマに、プナルという会社のビヤズというクリームチーズと自家製イチゴジャムを挟んで「美味しい~🍓」と堪能しながら、ちょっとスコーンを連想していて、いや、スコーンというよりクランペットか、とクランペットのことをふと思い出しました。イギリスの人には、「あのー、スコーンもクランペットもオーストラリア発祥ではなくて、イギリスやスコットランド発祥ですから」と言われそうだな。ご機嫌よう!
2024年06月02日
おはようございます、ひなこです。キンドルでお安く購入しましたが、放置してあったこの本。(紙の本だったら、実際の本が目に留まるから、もっと早く読み始めたかも)寝る前にちょっとずつ読んで、小説はほぼ完了しました。あとは、手紙とか、詩とか、エッセイ、日記、書評とか、他の人による伝記もあるようです。日本語訳の全集には、こういう細々したものは入っていないのかな?100年前の話を読む私もあれですけども、まぁ、小学生の時から、シャーロック•ホームズが馬車に乗ってガス燈の灯る霧のロンドンを移動し、手紙であちこち連絡を取り、新聞広告に目を光らせているのを喜んで読んでいたから、子供の頃から変わってないか?日本の時代小説は読まないですけど、時代劇は親が見てたから、結構見せられたかもなぁ。ご機嫌よう!
2024年06月01日
全27件 (27件中 1-27件目)
1