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LM2さん
lavender80さんComments
江戸川区花火大会が開かれた。
観客動員数は日本一である。
ここ最近の動員数の発表数値は、139万人である。
ウィックすると、打ち上げ花火の数は、隅田川花火大会が多いが、観客動員数では日本一を誇る。
何度か参加して気が付いたのが、駅からアクセスできるところは混みがちで、その中間部で、歩いていくにはしんどいところが、あたり前のことだが、空いている。
自転車で、土手に行き、駐輪した後、土手を歩くと人ごみの多さと若干のスキマ具合が見えてくる。
小岩在住の親戚のおばさんと合流する。
おばさんは、初回から江戸川区花火大会を見ている。
当時は、土手で子供たちが草ぞりをしていたそうだ。
現在は、野球場並みに混んでいるので、土手の草ぞりはできない。
花火も正面とか、近くもいいが、適度な距離を置いて、ゆっくり見たくなる。
ビールも氷で冷やした屋台が近くにあり、350円で買える。1本をゆっくり飲みながら、花火をみる。
今回、学んだのは、花火は、篠崎と小岩の中間の土手がいい、ということと、土手の直座りは、熱い(温かい)ということ。
折り畳み椅子を用意したほうがいい。
昼間の熱を吸い込んだ土手のアスファルトが、夕方に熱を発散している。
今回は、微風のため、続けて打ち上げられていく花火の不思議な光景を見ることが出来た。
大玉が1発上がる。
そして、次の大玉が上がるとき、前の大玉の煙の軌跡が、歌舞伎の蜘蛛の巣のように残っていることだ。
その煙が崩れずに次々、風に乗って流れていく。
たくさんの中空に打ち上げられた大玉とその残した蜘蛛の巣のような煙の航跡?が次の花火の後にくっきり中空に浮かび上がる。
そして、微風に乗って流れていく。
微風のこの日に見られる美しい情景だと思う。
さて、ここまで、前置きで、ここからが本当に書きたかったことだ。
最近、縄文時代について調べている。
日本人が気が付かないで行っている行為の中に縄文の痕跡を見出そうとアンテナを立てている。
すると、花火大会が、変形された現代の縄文儀式に見えてきた。
縄文時代に興味を持たれている方は、遺跡から発掘される土器や住居から、当時の生活をなんとか類推しようと考える。
だが、土の中に残る当時の生活の残骸は、土器とか石が中心となる。
時間が経ちすぎて、植物や動物の骨などが土に還ってまう。
だから、少ない手がかりで、当時の再現を試みる。
だが、物的証拠を細かく科学的に分析しようとしても、見えてくるのは物証で、その土器をもった彼らの思考や自然観は想像の域をでない。
だが、ここで、芸術家や宗教学者、民族学者の手を借りると、違ったものが見えてくる。
生と死を象徴する土器といった視点や、人が集まる原始的な理由など、人の心の中に隠れている欲求や願を引き出すアプローチの仕方がある。
最近、そのラジオ局のような周波数チャンネルに自分のチューニングが合ってきているのを感じる。
その視線で、花火大会を見るとどうなるだろうか。
見えてくるのは、現代に出現した変形した縄文儀式となる。
縄文時代、人々は環形サークルに集まった。
民族学者のアプローチでは、死と再生を願って自然もしくは天に対して儀式(お祭り)が行われていた。
それは、祖先の霊との交感の場でもあった。
その祭りが、いまでも私たちの周りにある。
それは、盆踊りだ。
もともと、盆踊りの原型は、踊りがあり、死者への弔いがあり、次の子孫繁栄のための子供の誕生を願う儀式がその根底にある。
それは、縄文から続く日本人がもつスピリットだと思う。
花火大会で、 打ち上げる花火も、天に戻る垂直型の魂の尾のようである。
天と地をつなぐことは、お墓参りや、霊媒、占いなどに頼り、人々が行ってきた。
おそらく、遊び好きの霊もいて、中には花火に乗っかって天に戻ろうと、ジェットコースターのような打ち上げ花火ごっこをしているじゃないだろうか。
そして、この時期、河原には、人が集まり、同時に祖先、もしくは霊が集まっている。
縄文時代は死んだ人は、集落内に埋葬されたため、そこで開かれるお祭りに集まる霊は基本的に自分の近い先祖となる。
そして、死者の弔いとともに、生の誕生が重なる。
盆踊りも花火大会も男女がムラムラくる夏のイベントに感じるのは、祝祭の花火に再生の願いが込められているからだ。
当然、集まる祖先霊は、だれとだれが運命的な出会いとなるか、見えないところで交渉しているに違いない。
もともとこの花火大会も、江戸期に発祥したとのこと。
ウィックにこうある。
「1733年、畿内を中心に飢饉に見舞われ、江戸ではコレラが猛威を振るい多数の死者を出した暗い世相の中、将軍吉宗が死者の慰霊と悪霊退散を祈り両国大川(隅田川のこと)の水神祭りを催し、それに合わせて大花火を披露し、これが隅田川川開きの花火の起源になったと言われている。」
死者の弔いが関係している。
そこで、祝祭や花火を行うことで貯めていたことも一気に消費することで、集まる人に返せないほどの贈り物を与えることをする。
そこで、集まる人は1つにまとまっていく。
少なくても花火が見える場所に家を構える江戸川区民は、屋上やベランダなどに親戚、ご近所が集まり、結束を深めているかもしれない。
また、この花火で生じる経済効果もある。
これだけ大量の人がいれば、飲み物や食べ物が売れる。
花火を打ち上げることで行われる大量消費が、周りに、経済効果として還元されていく。
今の社会に合わせてお祭りの仕組みが変形している。
また、心の面ではどうだろう。
あまりにも周りが明るすぎて、自分が生まれている感謝とか、宇宙の地球で今、ここにいる感謝や、生かされている感動などをかみしめる場になっていない。
貴重な命の誕生を願う時代の心が、人口増となり、せっかく生まれた人が、生きる価値を失い、自殺までしてしまう状況に変化している。
どうせなら、花火大会を通して、地球の70億分の1の出会いとして、自分や、家族、親戚、近所の方、彼女、友人とともに過ごす時間に感謝するイベントに再生させたい。
生きる、という答えは、見えづらいけど、確実に分かっているのは、縄文時代から続く、命の連鎖と誕生を願う心を確認するべきだ。
日本人には、その心が流れている。
その心を受け止めて、確認し続けていくことが、生きる、ことになっていく。
いろいろ書いてまとまりがついていないけど、花火大会、夏の祭り、盆踊りには、祖先の霊との交感と、貯めていた物、お金を祝祭日に一気に使い、集まる人の結束を高める効果がある。
その出発点は、縄文時代のなにかしらのお祭りから派生する。
それが、現代の様々なお祭りの根底に流れている。
日本人は、それに今でも影響され続けている。
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