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独特のフォルムをしたモ514号車桜の春に余生を過ごすモ755号車本巣のあとは桜を追いかけて樽見鉄道を北上し、木知原へ行ったのですが、有名な桜並木は予想どおり満開には少し早く、見ごろは1週間あと、といった感じでありました。そこで事前に調べておいた名古屋鉄道のモ510形を見にいくことにしました。モ510形は、1926(大正15)年、のちに合併する美濃電気軌道のセミボ510形として計5両が製造された半鋼製ボディを持つボギー車です。半円筒形をした前頭部の5枚窓、戸袋の丸窓など、独特なスタイルから人気の高い車輛です。現在、旧谷汲駅にはモ514号車とモ755号車が保存されています。名鉄谷汲線が廃止となったのは2001(平成13)年10月ですから、今から12年前のこと。当時、わたくしはまだ休テツ中で、この翌年に長~い眠りから覚めたわけですから、モ510形の現役には今一歩で間に合わなかったのでございます。あと数年早かったら……というのは、テツの永遠の命題なのでありますが、このモ510形についても、同じことが言えそうです。僚友のモ755号車とともに谷汲線の歴史を伝えるモ514号車。保存会の手により美しく保存され、架線がないことに気づかなければ、今にも走りだしそうな雰囲気であります。ああ、走っているところを一目見たかったなあ。撮影地:名鉄谷汲線旧谷汲駅今日4月10日は、駅弁の日(日本鉄道構内営業中央会、1993年)、婦人参政記念日、婦人の日(労働省1949)、交通事故死ゼロをめざす日、建具の日(全国建具組合連合会、1985年)、ヨットの日(ヤマハ)、四万十の日(1989年)、瀬戸大橋開通記念日、LPガス消費者保安デー(毎月)だそうです。
2013/04/10
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内子駅前の保存機関車C12内子線に向かいながら、内子駅の前にはC12が保存されていたことを思い出しました。今もそのまま残っているだろうか。時刻表を確認すると、次の列車を撮影するまでに、ちょっとだけ立ち寄る余裕はあるようです。前回このブログで、内子駅のC12を取り上げたのは2008年夏のこと。あれから4年半の年月が流れたのです。あのときは保存状態のよさに驚いたのでありますが、今回機関車のまわりをひと巡りすると、やはり所どころに錆が浮いていました。わたくし同様、機関車も年をとったのです。ああ。でも、まだまだ状態は良好。わたくしがC12の写真を撮っている時には、おそらく現役の蒸気機関車のことなど知らないであろうカップルが、機関車の前で記念撮影をしていました。これからも鉄道の歴史を後世に伝える語り部として、末長く存在してもらいたいものです。撮影地:内子線内子駅今日3月3日は、雛祭り、耳の日、結納の日、三の日、平和の日、金魚の日、女のゼネストの日、民法ラジオの日だそうです。
2013/03/03
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エイデン鞍馬の守り神折角鞍馬まで来たのだから、鞍馬寺へ足を運ばないわけにはまいりますまい。お寺は駅から程近く、名所だけあって、電車が着くたびにたくさんの観光客が下り立ちます。わたくしは「家内安全」「無病息災」に、「大願成就」というオールマイティーな文句を加えてお願いいたしました。はい、わたくし、欲張り者でございます。鞍馬駅の前には巨大な天狗のモニュメント、駅構内には往年の山登りのスペシャリストがカットモデルとなって展示されていました。こうした山の守り神によって日々の安全運転が保たれているのでございましょう。撮影地:叡山電鉄鞍馬駅今日11月23日は、勤労感謝の日、手袋の日(日本手袋工業組合、1981年)、外食の日(日本フードサービス協会、1984年)、Jリーグの日(1993年)、いい兄さんの日だそうです。
2012/11/23
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福知山駅前に保存されているC11 40号機やってきた先は福知山駅。大昔、まだ蒸気機関車が現役だった時代、そう、国鉄時代でありますが、雪の福知山機関区を訪ねたことがございます。扇形庫の中や、その周囲にC57、C58、D51などが休憩しているのを嬉々として撮影したのを覚えています。あれからン10年。休眠時代もありましたが、いまだに鉄をやってます(笑)。現在、福知山駅は高架駅となり、機関庫もなくなり、往時の面影は全く失ってしまいましたが、鉄道の町・福知山を後世に語り継ぐシンボルとして、駅前(南口)にターンテーブルに乗ったC11 40号機が保存されています。この40号機、デフのステーが円弧状をしているのが特徴。少し調べてみると、現役時代からこの形だったようであります。乗っているターンテーブルは福知山機関区で使用されていたもの。この写真では分かりませんが、ターンテーブルのまわりの地面には、タイルで周囲に広がるレールが表現されています。なかなかニクい演出でございます。C11の保存状況は良好。さすがは鉄道の町の保存機関車であります。今後もこの状態が続くことを祈って、本日のメインイベントに移りましょう。撮影地:福知山線福知山駅今日8月6日は、広島平和記念日、国立公園クリーンデー、ハムの日、太陽熱発電の日だそうです。
2012/08/06
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過去のヘッドマークが並んだ交通科学博物館の企画展交通科学博物館では現在、「ブルートレインいまむかし」という企画展を行っており、関連展示でヘッドマークを掲示しています。おお、懐かしい。一番手前の「富士」は大分で撮影したことがありました。奥から3つ目の単独「なは」はPFが牽引していました。また、一番奥の「彗星・あかつき」も、スマシオのカーブで撮影しましたね。ヘッドマークを見ると、撮影の思い出がよみがえってまいります。このなかで貴重なのは、手前から2つ目の「赤富士」。これは試作品のヘッドマークで、長らく下関機関区に保管され、過去に一度だけ公開されただけで、今回の展示が、実質的には初披露に近いものだそうです。まさにマニア垂涎のお宝。なにげに飾られていますが、ファン必見のしろものであります。ぜひ、弁天町のこーはくまでお運びを。撮影地:大阪環状線弁天町駅交通科学博物館今日7月9日は、ジェットコースターの日、第1回ウィンブルドン・テニス開催(1877年)だそうです。
2012/07/09
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交通科学博物館開館50周年記念ヘッドマークをつけたC62 26号機大阪環状線弁天町駅に隣接して交通科学博物館(通称こーはく)がございます。わたくしの子どもが小さかったころに行ったきり、長らく訪ねていませんでしたが、先日、ちょっと用事がありましたので、久しぶりに訪問してきました。長いブランクがありましたので、もっと小さくてゴチャゴチャしたイメージをいだいていたのでございますが(失礼)、広くて立派。屋外の実車展示コーナーにはD51(なめくじの2号機というあたりがマニアのつぼに入ります)をはじめ、ブルドッグ顔のキハ81などが鎮座しており、数年前に行った東の鉄道博物館(てっぱく)にも引けはとらないと思ったのであります。ラインナップされたなかにはC62もございました。なぜ、26号機なのか、という点はさておき、ただ今、この機関車には交通科学博物館開館50周年の記念ヘッドマークが掲げられています。こーはくが開設されたのは大阪環状線が完成したのと同じとき。大阪環状線って、もっと前からあったものと思っていたわたくしは、改めて意外と最近なんや、と思うと同時に、弁天町駅ができたときにこーはくが作られたのだと知り、ふむふむ、なるほど、と感心したのでございます。撮影地:大阪環状線弁天町駅交通科学博物館今日7月8日は、質屋の日(各地の質屋組合)だそうです。
2012/07/08
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ミニトロッコを牽いて走る馬路森林鉄道高知県安芸郡に馬路村(うまじむら)という一大林業地があります。今はご多聞にもれず、林業は今ひとつの状態で、むしろ、おいしいポン酢じょうゆで有名でございます(わが家も愛用しております)。林業が盛んだったころ、馬路村には森林鉄道が走っておりました。線路が網目のように張り巡らされ、トロッコを牽くDLやSLが大活躍したと言います。今はそれも昔話でございますが、観光鉄道としてSL型の姿をしたDL機(松山の復元「坊ちゃん列車」と同じ考え方であります)が1周300mほどのサークルを、ミニトロッコを牽いて走っております。帰省した折、この森林鉄道も撮ってまいりました。ま、観光鉄道ですから、公園のお子様向け列車と似たようなものでありますが、ドラフト音と汽笛を鳴らしながら走る姿は、それなりに雰囲気がございます。同じ馬路村の中、といっても10km以上離れているようですが(馬路村は、とにかくでかいのです)、梁瀬というところにも、もう1つ観光森林鉄道があるようです。そちらはDL型でございますが、次回はそれも撮りに行ってみたい、と考えている今日この頃でございます。今日6月5日は、世界環境デー(国連)だそうです。
2012/06/05
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馬づら電車デハ3岩手軽便鉄道花巻駅跡碑空港へ行くまでに少し時間がありましたので、花巻市内に保存されているデハ3、別名「馬づら電車」と呼ばれる幅の細い車輌を見に行きました。何とも味のある姿であります。道路と併用して線路が引かれていたため、車の通行に支障をきたさないよう、幅の狭い車体になったと言われています。金網で囲われているため、写真的には今ひとつでありますが、その分、保存状態はよく、夜にはライトアップもされるそうでございます。もう1つはJR花巻駅の近くにある岩手軽便鉄道の花巻駅跡石碑であります。岩手軽便鉄道は釜石線の母体となった鉄道で、今回の釜石線訪問にあたっては、敬意を表する意味からも、この石碑を見てみたいと思っていたのでございます。宮沢賢治は東北本線と岩手軽便鉄道の信号機を題材に「シグナルとシグナレス」という童話を書いています。今回の撮影行にあたっては、青空文庫で「銀河鉄道の夜」に目を通したのでありますが、次はこの「シグナルとシグナレス」を読んでみたいと思っているのでございます。今日5月28日は、ゴルフ記念日(ミズノ、1994年)、花火の日、ニワトリの日(毎月)だそうです。
2012/05/28
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近江鉄道ミュージアムに展示されている電気機関車これまでにも彦根の町は、北びわこ号撮影の行き帰りに何度も通っていますが、いつか訪れたいと思っていた場所がありました。それが近江鉄道ミュージアムでございます。彦根駅の近江鉄道側駅前広場は最近きれいに改修され、それに伴って近江鉄道ミュージアムも整備されたようです。この日は早めに帰らないと名神が大渋滞するのが目に見えていましたから、普段は午後の回送列車を撮り、さらに米原から京都まで走るEF65+C56のEL・SL回送を見送ってから高速に乗るのでありますが、それは最初から諦めておりました。しかし、午後の早い段階で高速に乗るのは、いくら何でも、もったいない。そこで彦根駅に隣接されている近江鉄道ミュージアムへ寄ってみることにしたのでございます。結果的に、この選択は大正解。近江鉄道ミュージアムは月に1回程度しか開館されておらず、GW中ということもあり、この日は開館日に当たっていたのでありました。ラッキー!資料館で入場料を支払い、館内を見学したあと、屋外展示されている電気機関車を撮影いたしました。水色と茶色のED14型電気機関車が4輌。そのほかにも凸型電機が数輌並んでおり、保存状態に若干のくたびれ感が見られるものの、私鉄の電気機関車を間近に眺めることができ、これはこれでOKと、満足感をもって帰阪することができたのでございます。撮影地:近江鉄道ミュージアム今日5月14日は、種痘記念日だそうです。
2012/05/14
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機関車だけ、給水塔と一緒に、と機関車中心のカットを撮影したあと、細部の観察に移ります。ほかにファンがおらず、機関車を独占して撮影できるため、人に気を使わなくてよいのがうれしいところでございます。まずは足回り。ロッド、クランク……と仔細にながめてまいります。油がしっかりと注された走行部分には、走る機関車特有の生命感を感じます。きれいだなあ。このギラリ感がたまりません。続いてボイラー回り。ゆっくりと歩みを進めていると、大きく西に傾き、赤味を増した太陽の光を浴びて、サイドのタンクに付けられたナンバープレートがギラリと一瞬、オレンジ色に染まりました。くう~、きれい! ああ、これを見られただけで十分。DD51といい、C12といい、今日1日の出会いに感謝しつつ、家路を辿ることにしました。撮影地:若桜鉄道若桜駅今日8月2日は、学制発布記念日、パンツの日だそうです。
2011/08/02
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メインイベントは終わったし、さあ、あとは鳥取名産のスイカでも買って家に帰ろうか、と思っていたのでありますが、まだ日も高いし、どこか寄り道するところはないかしらん、と思いを巡らせました。はい、わたくし欲張り者でございます。鳥取といえば、そうそう、若桜鉄道があったじゃないですか。以前にも一度行ったことがあるのですが、この鉄道にはC12が保存されており、調べてみるとこの日はドンピシャで公開日にあたっております。公開時間は夕方4時半までですから、移動距離と時間を考えると微妙な具合でございます。ま、どっちみち帰り道ですから、ダメもとで寄ってみましょう。山あいの駅に到着したのは展示時間を残すところ15分という時刻でございました。入場券を買って駅構内へ。お目当てのC12は、給水タンクの前で静かに佇んでおりました。保存機関車とはいえ、このC12は走行が可能な機関車であります。ただし、石炭を燃やして走るのではなく、コンプレッサーで圧縮した空気をシリンダーに送って走行するのだそうでございます。走行の形態はともかくとして、動き、走る機関車だけあって、現役機関車というオーラは十分感じることができます。ギリギリの到着ではありましたが、その分、ギャラリーはわたくしだけ。思う存分、C12との対話を交わすことができたのでございます。撮影地:若桜鉄道若桜駅今日8月1日は、大阪~神戸間で国内初の往復乗車券販売(1874年)、八朔、水の日(国土庁、1977年)、洗濯機の日、花火の日だそうです。
2011/08/01
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三岐鉄道丹生川駅のそばには貨物鉄道博物館がございます。館内が公開されるのは毎月第1日曜日(1月のみ第2日曜日開館)。普段は閉まっているのでありますが、館外にも機関車や貨車が展示されています。そのなかにB4形39号蒸気機関車がございます。貨物鉄道博物館のホームページによると、この39号機は次のように紹介されております。日本鉄道が発注した英国製の蒸気機関車で、1906(明治39)年に国有化され、1922(大正11)年には東武鉄道B4形39号となって、貨物列車牽引に活躍しました。1966(昭和41)年に引退してからは、東京都の昭和鉄道高校で大切に保存されてきました。ほ~、なるほど。館外展示されている貨車や機関車を見学していると、ちょうど電車がやってきましたので、B4形と組み合わせてシャッターを切りました。新旧の対比という点で、ちょっとおもしろいかな。撮影地:三岐鉄道伊勢治田~丹生川今日7月10日は、納豆の日(全国納豆協同組合連合会、1992年)だそうです。
2011/07/10
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午後からの用事も無事すませ、夕方のフリータイムをどうしようか、と考えた末、高松と言えば琴電でしょう、ということで志度線をブラッと見て回ることにしました。志度線に海辺のポイントがあるのは知っていたのですが、すでに大きく陽は西に傾き、撮影には今いちの状態です。明日も晴れそうなので、本番は翌日回しとし、ロケハンだけをしました。そして何げなく立ち寄った道の駅で、思いがけないものを見つけました。琴電の335号車が保存されていたのです。近くで見ると保存状態は極めて良好。これまでにも日本各地の公園などで保存されている機関車や車輛をいくつも見てきましたが、この335号車は最良の部類に属するでしょう。茶色の旧塗装が施されたオールドタイマーの姿は、これまでにも何度か撮影していますが、この335号車はその独特のモーター音を響かせて、今にも走りだしそうな雰囲気です。いやあ、本当に良いものを見せてもらいました。今日8月5日は、タクシーの日(東京乗用旅客自動車組合、1984年)だそうです。
2010/08/05
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肥薩線には嘉例川駅や大隅横川駅など、趣きのある木造駅舎が残されています。特に嘉例川駅は明治36年(1903)に開業し、JR九州で現存する最も古い木造駅舎の1つとして、国の登録有形文化財にもなっています。ロイヤルブラックの観光特急「はやとの風」や単行の普通を撮影したあと、嘉例川駅に足を運びました。開業してから、すでに100年以上の年月が経っている駅舎内の待合室やホームには、木製の長椅子が置かれています。また、改札口も木製です。待合室の椅子に座ってホームを眺めていると、駅員さんが乗客一人一人の切符に入鋏している姿が一瞬、幻のように浮かんでは消えました。ノスタルジックで、どこか温かみを感じるこの駅舎は、これからも末長く存続してもらいたいものです。さらにこの駅では、観光客を目当てに駅弁が売られています。「百年の旅物語 かれいがわ」というこの駅弁は人気が高く、JR九州の駅弁ランキングでは3年連続1位を誇っているそうです。折角の機会ですから、2個買い求めました。朝早くから行動していますので、お腹も空いており、すぐにも賞味したいのですが、その前にちょっと撮影です。反対側のホームの端に弁当を並べ、駅舎をバックに撮影する様子は、偶然来合わせた観光客の目には奇異に映ったようで、「あれは何をしているんだろうね」と話していたそうです。改札口そばの長椅子に座っていた妻は、その会話を聞きながら他人のふりをしていたそうです。今日7月17日は、アメリカの宇宙船アポロとソ連のソユーズのドッキングが成功した日(1975年)だそうです。
2010/07/17
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三岐鉄道を撮影するのは今回が二度目。まだまだロケーションが分かりませんので、撮影ポイントを探しながら移動します。そうしているうちに、大安駅の近くにある児童施設の横に凸型電機が保存されているのを見つけました。ED22 2号機です。オールドタイマーの凸型電機が残されているとは思いませんでしたので、正直驚きました。保存場所は屋根で覆われ立派なのですが、機関車のライトや窓のガラスは壊れ、運転席前部のドアも開けっ放しになっているなど、お世辞にも保存状態が良いとは言えません。柵などを設けず、自由に見学できるようにしたのが逆効果になったのかもしれません。機関車のそばにはポイントを切り換える転轍機も保存されていました。これなどは、少し前までの駅舎の中ではごく普通に見られました。駅員さんが指さし確認をしながら、ポイントの切り替えをしていたのを思い出します。今日5月19日は、横浜駅(現在の桜木町駅)が開業した日(1872年)、織田信長軍が桶狭間の戦で今川義元軍を破った日(1560年)だそうです。
2010/05/19
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スクリューとともに、東京湾に停泊する羊蹄丸担ぎ屋の女性を見守る駅長と駅構内の様子青森駅構内で入換作業に従事していたDE10と上野行きの夜行列車に想定されているスハフ44今日8月17日は、プロ野球ナイトゲーム記念日、パイナップルの日だそうです。品川530さんのブログを見て以来、お台場にある船の科学館を訪ねてみたいと思うようになりました。青函連絡船の羊蹄丸が、船の科学館の別館として展示・公開されているからです。昔、四国に住んでいましたから、岡山県の宇野と香川県の高松を結ぶ宇高連絡船には数え切れないほど乗りましたが、青森と函館を結ぶ青函連絡船に乗ったのは、C62ニセコをはじめとする北海道の蒸気機関車を撮影しにいった高校生の夏、一度の経験しかありません。大阪から東京、さらに上野発の夜行列車に乗り継ぎ、青森から青函連絡船に乗ったのですが、それが羊蹄丸だったのかどうかは、今や遠い記憶となり、霞んでしまっています。瀬戸内海の穏やかな海を航行する宇高連絡船と違い、青函連絡船は外洋型の巨大な船舶です。エントランスから船内に入ると、豪華客船の中に乗り込んだような気がします。博物館の展示室となった船内下部の貨物収納エリアには、青森駅前から青森駅構内、さらにDE10とスハフ44を収めた船内へと続く当時の様子が再現されています。駅前の商店街で名産品の売り込みに大声を上げる売り子たち、大きな荷物を背負った担ぎ屋の人たちを見守る青森駅長、出航のドラをたたく船員、青い客車と赤いDE10など、それぞれの特徴的なシーンをつないだ展示は、見る者に等身大で迫ってきます。大宮の鉄道博物館をはじめとして今、鉄道にまつわる博物館は人気を集めており、近い将来、JR東海も新たな鉄道博物館を計画していますが、船の視点から鉄道を見た羊蹄丸は貴重な存在だと思いました。昨年の夏に訪れた大宮の鉄道博物館と並んで、記憶に残る鉄道関係の博物館となりました。
2009/08/17
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冬の給水塔夏の伊勢奥津の給水塔今日7月22日は、皆既日食、下駄の日(全国木製はきもの業組合連合会)、てんぷらの日だそうです。名松線は松阪と伊勢奥津を結んで走る路線ですが、もともとは松阪と名張を結ぶ予定でした。名松線の名前の由来もそこにあるのですが、線路は名張まで敷設されることなく、伊勢奥津で止まっています。現在の利用状況を考慮すると、名張まで延長されることは恐らくないでしょう。かつて名松線では、C11が走っていたようです。伊勢奥津には、今でも当時の名残である給水塔が錆びたまま残されています。名松線へは昨年末に一度、訪ねていますが、緑のシーズンにもう一回来てみようと思いましたので、先日、それを果たしてきました。伊勢奥津駅のはずれにある給水塔は蔦に覆われ、様子が一変していました。ホームにはキハ11が停まっていますが、給水塔の下にC11が停まっていればなあ、と思いながらシャッターを切りました。
2009/07/22
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今日6月21日は、近畿日本鉄道で冷房特急の運転を開始した日(1957年)、父の日、冷蔵庫の日、交番の日、スナックの日(全日本菓子協会)だそうです。ウェスパ椿山駅前に保存されている78653号機は、現役復帰が検討されるだけあって保存状態は良好です。キャブ内にも自由に立ち入ることができますが、往々にして悲惨な状態になっている各地の静態保存機のキャブと比べて、ここも格段にきれいな状況です。動輪やピストンなどの足回りも、ペンキなどでゴテゴテと厚化粧されることなく、自然な状態で残されています。保存会の方たちが普段から手入れをされていることがよく分かります。先日、JR東日本がC61 20号機の現役復帰を発表したところですし、九州でもハチロクが熊本と人吉の間で走り始めました。走行できる状態で蒸気機関車を維持・管理するのは、大変な労力とコストがかかりますが、走っている蒸気機関車からは無言のうちに歴史の重みを感じることができます。それこそが文化遺産の持つエネルギーなのです。いつの日か、この無骨な大正機のカマの焚き口から再び紅い炎が見られることを心から祈りたいと思います。
2009/06/21
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今日6月14日は、フラッグデー(アメリカ、13邦の星条旗が国旗として制定された日、1777年)だそうです。C12 167号機が保存されている若桜鉄道の若桜駅は、木造の味わい深い駅舎です。全国各地には木造駅舎も、まだまだたくさん残っていますが、無人のために手入れが行き届かず、寂しい状態になっている駅をたくさん見かけるなかで、この若桜駅は駅員さん、若桜鉄道のみなさん、さらには町の人たちの愛情を強く感じる駅舎です。何よりも、駅本屋とプラットホームをはじめとして、物置や灯り室、転車台や給水塔など、あわせて9件の建造物が国(文化庁)の「登録有形文化財」として登録されていることは、特筆すべき点です。「登録有形文化財」は、急速になくなりつつある近代建造物を保護・保存しようという目的で設けられた制度で、軽微な改築なども許されています。難しい縛りをかけるのではなく、まずは建造物を「残す」ことに主眼が置かれている制度です。所有する自社の建造物を「登録有形文化財」に登録しようと考えた若桜鉄道の姿勢は高く評価すべきだと思います。この駅では、駅本屋の外側にある木製の出入口と思われる所に布製の等身大人形が配置されており、こうしたところに、この鉄道会社の遊び心が窺えます。ともすれば、人けのない寂しい場所ともなりかねないローカルの駅舎ですが、こうした人形がいるだけで人の温もりを感じることができ、何やら話し声まで聞こえてきそうな気がします。あ、そうそう、若桜鉄道には「隼」という駅があり、この駅も「登録有形文化財」になっているのですが、立ち寄ってみて驚きました。無人駅であるにも関わらず、ライダーのメッカとなっているのです。というのも、バイクメーカー、スズキの大型ツーリングマシンに「隼」というモデルがあり、そのオーナーたちが全国からこの駅をめざしてやってくるからです。わたしが行ったときも1人のライダーが駅舎をバックに記念撮影をしていました。「鉄」以外の人に注目を浴びる駅があるのだ、と驚くとともに、ちょっぴりうれしくなりました。
2009/06/14
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ジェットコースターの事故により閉園してしまったエキスポランド。これまでなら正月でも若いカップルたちで賑わっていたのに、モノレールの万博記念公園駅前は閑散としていました。閉まっている入場門を横目に、わたしたちはエキスポランドの外周路に沿って歩みを進めました。お目当ては、エキスポランド内に保存されているD51を見るためです。近くに住んでいながら、エキスポランドの中にD51が保存されていることを全く知りませんでした。今年の正月、京都の実家に帰ってきた品川530さんと阪急の撮影に行った折、モノレールからD51が見えるということを教えてもらったのです。それで早速、散歩がてら、どんなふうに見えるのか、観察しに行ったというわけです。保存されていたのはD51 764号機でした。柵のすき間にレンズを差し込み、キャブや動輪などをサイドから撮っているうち、雲間から差し込む夕陽を浴びて、前面のナンバープレートが一瞬、強烈な光を放ちました。たくさんの人が訪れる公園の中、さらにモノレールからも眺めることができる場所に展示されていたということもあって、保存状態は比較的良いようです。しかし、エキスポランドの先行きが不透明な現在、D51 764号機の今後がどうなるのか、とても気がかりです。
2009/01/08
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名松線では、かつてC11が客車列車を牽いていたそうです。残念ながら、わたしはそのシーンには出会えなかったのですが、終点の伊勢奥津駅には、今でも蒸気機関車時代に使われた給水塔が残されています。すでに全体が錆に覆われ、パイプの一部などが脱落しているところもあるのですが、産業遺産として次代に引き継ぐ意味は大きいと思います。そしてさらにいえば、この給水塔のそばに実際に煙と蒸気を上げる機関車を並べてみたいものです。日本各地には、蒸気機関車を走らせてほしいと思う場所がいっぱいあります。ロケーション的には名松線も十分その資格があると思います。クリスマスプレゼントもしくは新年のお年玉としてJRの英断を期待したいものです。
2008/12/26
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北上市内に「展勝地」という公園があり、その一角に車輌が静態保存されていることを知りましたので、北上線へ行く前に立ち寄りました。北上市立公園「展勝地」には約1万本の桜と10万本のつつじがあり、「日本のさくら名所100選」にも選ばれた東北有数の名所として知られています。もちろん、今はそのシーズンでないため、桜の華やかさも花見の賑わいもなく、公園には秋の静かな時間が流れていました。車輌保存スペースには、雪かき車のキ100とC58 342号機、車掌室と貨物室が一体になったワフ29500の3輌が並んでいました。立派な屋根があり、手入れも行き届いて、静態保存車輌としては恵まれた状態にあると思いました。これら3輌をグルリと見回しながら撮影していきましたが、この中でも、雪かき車は初めて実車を間近で見ました。SL現役時代に北海道を訪ねたとき、構内のはずれに留置されていたのを見たような記憶がないでもありませんが、初見に近い印象です。へえ、雪をかき分ける部分はこんなに鋭角になってるんや。この車輌を後ろからキューロクなんかが押してたわけやね、と雪国の生活体験を持たないため、現実の状況が今ひとつ把握できないまま、想像だけをふくらませていました。特に印象に残ったのは運転室部分です。旋回窓や前方に下がった雪かき部の上板などが、人の顔のように見え、思わず「鉄人28号や!」とつぶやいていました。実際は似ていないのですが、パワーを秘めた武骨感が、幼いころに熱い血をたぎらせた「鉄人28号」のイメージと重なり、昭和世代のおぢさんの胸を打ったのです。
2008/11/16
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福知山駅前広場にC11 40号機が保存・展示されています。昭和19年から昭和31年まで篠山線で走っていた機関車です。以前は篠山市内にある公民館前広場に展示されていたのですが、平成19年に「鉄道のまち福知山」のシンボルとするため、移設されました。静態保存機というと状態の良くないものが多く、観ていてつらくなる場合も多いのですが、この40号機は福知山駅付近の連続立体交差化に伴い最近手入れがなされたようで、新品同様の輝きを放っています。現在は福知山機関区で使用されていた転車台の上に乗り、現役当時の面影を今に伝えています。以前、このブログで愛媛県の内子駅前に保存されているC12の写真をご覧いただいたことがありますが、それと同じようにきれいな機関車です。こうした光り輝く静態保存機にめぐり合うと、地元の方々の機関車に対する格別の愛情を感じることができ、観ているこちらもうれしくなってしまいます。この日は天気も良く、青空に白い雲が湧き上がっていました。カメラを構えて機関車のまわりをウロウロするうちに、雲の形が何となく煙のように見えてきました。それならばいっそ煙突と引っ付けたら、と思って撮ったのが本日の「思い出の1枚」。ほら、C11 40号機が現役に復帰しちゃった!
2008/10/08
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内子駅前にはC12が保存されていました。各地で残されている蒸気機関車のうちでも、この231号機は、きれいに静態保存されている機関車としては上位クラスに入ると思います。この231号機は内子線最後の蒸気機関車で、内子町内や小田川流域で生産される木炭や材木などの運搬に従事したそうです。在りし日の姿を永く後世に伝えるため、駅前広場を再整備するとともに保存工事が行われました。日本のタンク機関車としてはC10、C11、C12、E10や4110などが挙げられ、E10や4110にも惹かれるのですが、残念ながら現役の姿を見たことがありません。個人的には、C11より一回り小さいC12の方が好きです。デフレクターがないのも却って魅力的です。蒸機現役時代に私は加古川線へC12を何度か撮影しに行っていますが、加古川線には、この内子駅前の231号機と連番になる230号機がいました。この機関車を見たとき、そのことを思い出し、とても懐かしい気分になりました。今のきれいな姿のままで231号機が末永く保存されることを祈りたいと思います。
2008/08/01
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この日は撮影ポイントを次々と変えながら久大本線を移動したのですが、豊後森駅に昔の扇形庫が残っているので、そこにも立ち寄りました。かつては久大本線を走る蒸気機関車の拠点としてにぎわったのだろうと想像される立派な扇形庫ですが、駅から機関区につながる線路はすでに取り払われ、広大な空き地が出現していました。扇形庫の窓ガラスは損傷も甚だしく、錆びたターンテーブルを見ているうちに、「つわものどもが夢のあと」という言葉を思い出してしまいました。一部に保存計画があるようですが、貴重な鉄道文化遺産ですので、ぜひとも未来へ残していってもらいたいものです。さらに願わくば、もう一度、このターンテーブルに熱く息づく蒸気機関車が乗らんことを。
2007/12/14
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車庫前の引き込み線は展示線となっており、きれいに整備された関電のモーターカーをはじめ、レストアが完了した車輌や、これから取りかかる車輌など、あわせて5、6輌が並べられていました。そして、その横を乗車体験会用にあつらえられた座席車(トロッコ)を牽いて立山砂防軌道の5t機が通り過ぎていきます。乗車体験会では順番待ちの列ができており、オープンエアーの座席車には、子どもだけでなく大人もいっぱい乗っていました。逆推進で座席車が前になって進んでいくときには、むしろ大人の方が子ども以上にうれしそうな顔をしていたようです。
2007/11/16
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中央本線とあわせて王滝村で開催されている森林鉄道フェスティバルにも行きました。場所は木曽福島の手前から御岳山の方へハンドルを切って10kmあまり走ったところにある松原スポーツ公園の一角です。そこに「りんてつ倶楽部」の方たちが車輌を保存しています。車庫は真新しく、保存運転線の長さは400mを超しているそうです。この日は立山砂防軌道の5t機が乗車体験会用にあつらえた座席車(トロッコ)を牽いて400mほどの保存運転線を何回も往復していました。寝覚ノ床あたりでは今ひとつだった黄葉も、標高が高い王滝村ではピークを迎えており、黄色や真紅の葉が快晴の青空に映えていました。
2007/11/15
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「SLえちご日本海号」の運転にあわせて頚城鉄道の保存車輌も展示されていました。「頚城」を「くびき」と読むことさえ、ごく最近まで知らなかったほどですから、どこに存在した鉄道なのかという知識も、ほとんど持ち合わせていませんでした。同行の品川530さん、T島さん、鈴屋さんにぶら下がる形で訪れた頚城鉄道でしたが、コッペル2号機をはじめとする保存車輌をひと目見たときの感想は「うん、これはいい!」というものでした。保存会の方々が精魂込めて修復した車輌は、西陽を受けて照り輝いていました。展示終了の時刻が迫り、車庫のなかに押し込む保存会のみなさんの後ろ姿からは、保存車輌に注ぐ愛情をひしひしと感じました。
2007/11/06
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筑豊本線の筑前山家駅前に西鉄の路面電車が保存されています。西鉄の路面電車と出会った経験はほとんどないのですが、博多からかなり離れた筑前山家駅前になぜ路面電車が保存されているのか、その理由は見当がつきません。少し調べてみると、以前は白地に赤と青のラインが入った塗装で保存されていたようですが、今はクリームとワインレッドのツートンカラーになっています。比較的最近に塗りなおされたみたいで、塗装面はきれいです。
2007/10/17
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このときの九州行きでは保存機をいくつか撮影することができました。その1つが268号機です。この機関車は以前にもこのブログで紹介したことがありますので、機関車の歴史についてはそちらをご覧ください。そのときは鳥栖駅のホームから撮影したのですが、今回は駅のそと、機関車のそばにある陸橋から撮影しました。古典小型機ですが、覆い屋が架けられ、手入れもきれいにされており、保存状態は良好です。
2007/10/16
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嵯峨嵐山駅前にはナメクジドームのD51 51号機が保存されています。この機関車は、昭和12年7月に川崎車輌会社で製造され、その後、西日本の主要幹線を34年間で254万キロあまり走りました。以前、くずはモールに展示されていたそうです。保存機関車の移転というのは珍しいことではないかと思います。ボイラー前面の縁が丸くなっていることや、煙突から一体となったドームなど、一般型のD51より私はナメクジの方が好きです。でも、保存車両となっているナメクジの数は意外と少ないようです。
2007/07/19
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このD51 351号機も撮影直後に一度、紹介させていただいております。保存場所は南木曽駅から500mほど中津川方面に行ったところにあるSL公園です。腕木信号とともに中央本線旧線上に保存されています。この機関車は新製後、長らく金沢や福井で働いていましたが、昭和42年3月に横手へ移動、さらに昭和46年10月に木曽福島機関区へやってきて、末期の「木曽路のD51」の1両として活躍しました。この公園の中を旧中山道の妻籠宿へ貫ける道が通っているため、この機関車も観光客の目に触れる割合が高いのですが、保存状態はあまり良くなく、その点が少し残念です。
2007/07/18
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本日の「思い出の1枚」は、加悦SL広場に保存されているC58 390号機とC57 189号機です。加悦SL広場については、昨年、訪れた直後にこのブログで紹介させてもらいました。重要文化財の2号機関車をはじめ、文化遺産として指定されている車両が数多く保存されています。各地の保存機関車の多くは単なるモニュメントとなっており、省みられることが少ないため、劣悪な状態になっているものが見受けられます。過去の遺物として考えるのではなく、未来へ残すべき文化遺産として見直す必要があるのではないか、と思います。C58 390号機は昭和21年7月新製後、小樽築港機関区に配属され、昭和22年4月苗穂機関区、同年9月、北見機関区に転属し、昭和50年7月に廃車されるまで石北本線で活躍しました。加悦鉄道にやってきたのは廃車された年の10月だそうです。切詰デフが、いかにも北海道の機関車らしさを誇っています。一方のC57 189号機は昭和21年新製後、新潟機関区に配属され、昭和24年9月直江津機関区に転属、昭和41年3月、豊岡機関区に転属するまで北陸本線で活躍しました。豊岡機関区配属時代は播但線で運用されています。昭和45年7月、新津機関区に転属、昭和46年11月に廃車となって昭和48年に加悦町へやってきました。現在は赤いナンバープレートをつけて展示されています。
2007/07/17
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東京にも蒸気機関車がいくつか保存されています。有名なのは新橋駅のSL広場に置かれているC11 292号機ですが、残念ながら撮影できていません。今度、東京へ出張したら撮ってこなければ……。上野の国立科学博物館玄関横にはD51が保存されています。国立科学博物館は自然史系博物館なので、蒸気機関車を展示・保存するのは理にかなっていると思います。このD51 231号は昭和14年7月に日本国有鉄道長野工場で製作されてから、東海道本線・山陰本線・その他で活躍し、昭和50年12月15日、北海道追分機関区で休車となったものです。博物館の展示品だけあって保存状態は良好に見えます。スノープロウ、切詰デフ、シールドビームの補助灯などが北海道の機関車らしさを伝えています。
2007/07/16
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本日の「思い出の1枚」は、四国・予讃線の多度津駅そばに保存されている8620型蒸機です。松山から高松へ移動する電車の中から撮影しました。多度津駅は予讃線と土讃線の分岐点で、車両工場と広い係留線が併設されたJR四国の要であり、乗務員区所である多度津運転区も併設されています。ハチロクは駅のすぐそばに保存されていますが、以前は街中の公園にあり、駅前が整備されたのにあわせて移転されたようです。多度津駅構内にはレンガ造りの給水塔も残っているそうなので、今度多度津に行くときはそのあたりも確認したいと思っています。
2007/07/14
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中央本線(西線)沿線にはD51もいくつか保存されています。本日の「思い出の1枚」は、木曽福島駅のそばに保存されているD51 775号機です。ブログへアップするにあたって履歴を調べてみました。この機関車は昭和17年に福井へ新製配備され、その後、長く北陸本線で活躍していましたが、昭和46年に福井から木曽福島に移動してきて昭和48年6月の電化まで「木曽路のD51」の一員として脚光を浴びています。同年8月に運転された「さよなら列車」の牽引機にも選ばれ、有終の美を飾ったのちに廃車。そして現在の木曽福島駅そばへ保存されたようです。この機関車は駅のホームや松本方面へ向かう列車のなかからも見ることができます。ということは、撮影の仕方を工夫すれば現役の電車と保存蒸機を並べて撮ることが可能かもしれません。775号機を撮影中もその考えが浮かんだのですが、次の電車が到着するまでにかなりの時間があったのと、このあとに向かう予定との関係でD51だけを撮影して移動しました。
2007/07/13
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わたしの鉄道写真は、昨年の1月から全面デジタルに移行したのですが、その結果、写真の整理方法も大きく変わりました。それまではポジをルーペで確認したあと、保存するカットを1カットずつ仕分けしたうえで撮影データも付していたのですが、そうした手間が要らなくなりました。デジタルの便利さはこうしたところにも現れているようです。写真整理のポイントは、撮影後、できるだけ早いうちに整理しておくというのはフィルムもデジタルも変わりませんが、ポジの時代はなかなかそういうわけにいかず、今も未整理のままになっているフィルムが山積しています。デジタル移行時からは、そうしたことのないよう、撮影後、できるだけ日をおかずにデータを整理するようにしていますので、ここ1年半ほどのうちに撮影した写真は把握しやすくなっています。先日もデジタルデータのインデックスプリントをながめていると、撮影に行った先々で保存車両を結構写していることに気づきました。このブログでもあまりご覧いただいていませんので、今日から数日間、各地の保存車両をアップしたいと思います。本日の「思い出の1枚」は、昨年11月に中央本線の秋景色を撮影した折、奈良井宿で写したC12 199号機です。普通C12にはデフレクターがついていないのですが、この199号機には装備されおり、そのため、一見するとC11のように見えます。観光地・奈良井宿の駐車場の一角に置かれているので一般の人の目にも触れ、観光効果を上げるのに一役かっています。しかし、デフレクターに錆が浮いていたり、雨のしずく跡が至るところについていたりで、保存状態はあまり良くないな、と思いました。
2007/07/12
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