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畑へ空ローリーを牽いて出かける水牛ガマを見送ったあと、私たちも遅い昼食を取ることにしました。インドネシアの独立を記念するムルデカの日を数日後にひかえ、街では制服を着た小学生や中学生たちの行進訓練を見かけました。インドネシア全土を挙げて記念日を迎える準備が粛々と進められていました。そうしたことなどを目の当たりにしたあと、もう一度、畑へと向かいましたが、すでにローリーは本線までもどされ、支線専用機関車(水牛ガマ)たちも機関支区で休息していました。畑からサトウキビを満載して帰ってくる積車を撮影するのは明日に持ち越しです。というわけで、本日の「思い出の1枚」は、その翌日に撮影したカットです。空車と積車では、水牛たちの表情は全く異なります。特に最後の50mほどは上り坂となっているため、全力で踏ん張ってきます。これが蒸気機関車なら爆煙カットですし、撮影場所は「お立ち台」として紹介されるに違いありません(笑)。しかし、全力疾走しても上りきれないことがあり、そうしたときは急遽、続行の編成から機関車だけが切り離されて4重連(4頭立て)となって最後の峻険を越えていきます。全身の力を振り絞って力闘するさまは、蒸機であっても、水牛ガマであっても美しいものです。
2008/08/30
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サトウキビの収穫場所は年によって異なりますし、刈り取りが進むにつれて、線路も延伸されていきます。人力で刈り取られるため、1日の運搬量は自ずと決まってくるようです。支線専用機関車(水牛ガマ)の配備数もそうしたところから決定されているみたいです。今回、私はこの地を初めて訪問しましたが、すでに何回かここを訪れているインドネシア通の先輩の話では、水牛ガマにも新旧の置き換えはなされているようです。また、見たところ、水牛ガマはその多くが雌らしく、機関支区には次世代を担うミニ機関車(子牛)が一緒に配備されていました(畑へ出区したあと、ミニ機関車が物寂しげな声で鳴いているのが印象的でした)。本線をゴロゴロと牽かれてきた空ローリーは1編成10輌ぐらいずつに分けられ、水牛ガマにバトンタッチされます。本線から分かれて大きくカーブしたあと、重連仕様の貨物列車は、はるか彼方にある刈り取り畑へゆっくりと進んでいきました。
2008/08/29
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人が歩くのと同じくらいのスピードで進む蒸機列車。製糖工場からサトウキビ畑まで、わずか3~4kmの距離を1時間ほどかけて行きます。もとよりローリーにはエアーダンパーや板バネといった衝撃吸収装置はついていませんから、レールの凸凹が直接伝わってきて、その上に乗っている私たちも大きく上下に揺さぶられます。しかし、日本では絶対に体験できないことですから、炎天下の移動をそれなりに楽しんでいます。ポッ、ポッーという汽笛が鳴ったあと、ローリーは静かに停まりました。サトウキビ畑に到着です。空ローリーを切り離した機関車は、そのままバックで推進し、線路の端で停車します。機関車が空ローリーを運んできたここまでが本線とすると、ここから先、サトウキビを伐採している畑までは支線ということになります。そして支線でローリーの運搬を担当するのは、立派な角を生やした水牛たちです。見ると、線路の傍には、屋根をサトウキビの葉で拭いた牛小屋が並んでおり、その下で何頭もの水牛が休んでいました。ちなみに私たちは、この水牛たちを支線専用機関車、牛小屋を機関支区と呼んでいました(笑)。水牛たちも、機関車が到着すれば自分たちの出番ということは分かっているようです。それまで寝そべっていた支線専用機関車は、すぐさまアイドリング状態となり、次々と出区していきます。水牛は2頭で1セット。いわば重連編成です。これから畑へ出て行き、帰ってくるのは日が大きく西に傾いた夕暮れです。
2008/08/27
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インドネシアの蒸気機関車は、サトウキビの収穫にあわせて、年に数ヵ月だけ稼動するのですが、本線でのサトウキビ運搬はディーゼル機関車もしくはトラックが担当し、ヤードの中でローリーの入換えだけに従事する蒸気機関車も少なくありません。そうしたなか、スンバルハルジョでは、サトウキビ畑へ行く機関車に添乗することができました。朝、機関庫の中で撮影していると、何人かの機関車スタッフから「俺の写真も撮ってくれ」と頼まれました。撮れた写真をデジカメのモニターで見せると、「できれば、その写真を送ってほしい」と。日本のように、簡単に写真を手にすることができないお国柄。快く引き受けました。午後、畑まで空車のローリーを牽引していく蒸機の機関士は、午前中、機関庫の中で写真を撮ってあげた人でした。私たち日本人撮影隊一行は、サトウキビ畑へ向かうローリーに添乗させてもらったのですが、途中、何度かローリーが脱線し(線路がヘロヘロなので、ローリーの脱線は日常茶飯事です。そうした場合でも、2、3人でローリーを持ち上げてすぐに復旧させてしまいます)、運転停車中に運転席に乗せてもらいました。機関士とは、すでに顔見知りですから、同乗も快く許してくれました。蒸気機関車といっても、日本のように計器がいくつも並んでいるわけではなく、中央のカマの周囲に必要最小限度の部品がついているだけ。いたってシンプルです。燃料はサトウキビの絞りかすを乾燥させたバガス。それを機関助手が時折、カマに押し込みます(ローリーに乗っていると、バガスの燃えかすが煙突から火の粉となって降ってきますから、投炭、もとい投バガスの瞬間が分かります)。機関車は空ローリーを後ろ向きに引っぱっていますので、運転席での操縦も後方を見る形になります。普段は穏やかな笑顔で、どちらかというとシャイな感じのするこの機関士ですが、運転中の眼差しは、やはり真剣です。そうだ、この写真も彼に送ってあげよう。「お父さんの仕事中の姿だよ」と、家族に自慢するでしょうか。
2008/08/26
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「どうだい、俺の担当機関車。ここでは新型さ。馬力もあるんだぜ。1枚写真撮っていきなよ」と言ったかどうかは分かりませんが、自慢そうに語りかける口ぶりには、機関車に対する深い愛情をヒシヒシと感じ取ることができました。確かに磨き上げられたボディからは、齢ン十年を超える蒸気機関車とは全く異なるオーラが出ていました。インドネシアの製糖工場ではこれまでサトウキビ畑に出ていた蒸機が、ヤードでの入換え作業に転換するなど、今、急速にDLとの世代交代期を迎えているようです。エネルギー効率の点から見れば、DLへの機種変換は当然のことかもしれませんが、おもちゃのような機関車が炎天下、けな気に働く姿はやはり感動ものです。願わくは、今の状況が1年でも長く続かんことを。
2008/08/25
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ジャティバランの扇形庫をあとにして向かった先はパンガという町でした。ここにも大きな製糖工場があり、ヤードに集積されたさとうきび運搬ローリーを、小型蒸機と小型ディーゼル機関車が工場の中へと運送していました。私たちが線路際で飽かず入換作業をながめるのと同様、彼の地の人たちにとっても、製糖工場のヤードは格好の娯楽と憩いの場となっているようでした。小さい子どもにせがまれたのでしょう。イスラムのベールを身にまとった若いお母さんが息子たちを連れて機関車見物に来ていました。さとうきびを満載したローリーを牽引する蒸気機関車のフロント部分にはスタッフが添乗し、線路に砂を撒いています。砂を撒くことで線路との摩擦抵抗を少しでも増やし、空転を防ぐためです。そうした作業を黙々と進めながら、目の前をゆっくりと汽車が通り過ぎていきます。南国らしい緩やかな時間が流れています。
2008/08/24
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転車作業が一段落すると、あとは緩やかな休憩の時間です。転車台を見下ろす場所から、扇形庫へと移動してみました。庫の中から外を見てみると、作業員の方が網扉にもたれて休んでいます。その向こうには、青い「トーマス」。扉の木枠がアクセントになり、これはこれで面白い構図。初っ端からこんな味わい深い情景に連続して出会えるなんて、と思いながらシャッターを切っていきます。このあと、機関車をバックにして、作業に精を出してくれた工場の人たちを記念撮影しました。ワイワイ、ガヤガヤ……。結構いい年をしたおじさんたちですが、なかには10代の若者が取るような仕草や表情をする人も。さまざまなポーズでカメラに収まってくれるところに、インドネシア人の人懐っこさと人の良さがあるんですね。
2008/08/23
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まるで機関車トーマスだ。一目見た瞬間、そう思いました。青い塗装に小さなボディのタンクロコ。それが白壁の扇形庫の前に鎮座しているさまは、まさしく鉄道模型の世界です。実際に働く蒸気機関車として、この世に存在していること自体が、鉄道の神さまの粋な計らいとしか思えません。そして、その姿をわが目で確認したくて遠くインドネシアにまで足を運んだのです。扇形庫の前には小型の転車台が設けられていました。機関車が1台載るだけの小ささは、これまた模型の世界。我々が到着するやいなや、ヤードに留置されていた機関車は転車台へと移動し、遠く日本から来たファンのためにポーズを取ってくれました。それを前から、横から、後ろからと、いろいろな角度から撮影し、一段落すると今度は工場のスタッフがわらわらわらと出てきて方向転換のサービスです。もちろん、転車台にモーターなどはついていませんから、人力の手押しです。小なりとはいえど、そこは機関車。人力で動かすにはそれなりに重たいようで、前に押したり、後ろに引いたりしながらの作業です。ようやく一回転させましたが、なんともアナログチックで、見ていてとても楽しい。流行の言葉じゃありませんが、まさしく「地球に生まれてきて、よかったー!!」
2008/08/22
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福岡から台湾(台北)、香港と乗り継いで、ようやくインドネシアのジャカルタ空港(ジャワ島)に降り立ちました。これまでお隣のバリ島へは何度か行っているのですが、ジャカルタ空港にはバリ島からの帰りにトランジットで降りたことが一度あるだけです。丸1日をかけての移動に、インドネシアが南半球に位置する遠い異国の地であることを改めて実感しました。インドネシアに鉄道は走っているの? 不思議に思う人がいるかもしれません。実は私もよく知らなかったのですが、ジャワ島では鉄道が発達しており、電車だけでなく、長距離の夜行列車も多数運行されています。日本で活躍した一世代前の車輌が第二の人生を送っていることでも有名です。入国して一夜明けた朝、ジャカルタから西の方へ移動するため、特急が停車するガンビアという駅へ行きました。朝の通勤時間帯ということもあって列車密度は結構高く、次々と列車がやってきます。そのなかで驚いたのは、普通電車のドアが開きっぱなしになっていたことです(快速など、冷房が効いている電車は、さすがにドアが閉まっています。ちなみに、そうした上位クラスの列車には日本製の中古電車が使われています)。ドアは1つだけでなく、すべてが開いていることから、基本的に閉める意思がないようです。日本では、ドアが閉まらなければ大問題となりますが、そのあたりは大らかというべきでしょう。後日、この通勤電車に乗ったのですが、冷房の効いていない車内に乗車率200パーセント以上の混雑具合からすると、ドアが開いている方が涼しいことを実感しました。考えてみれば、屋根の上にまで乗客があふれるわけですから、ドアが閉まらないくらい、どうということはないのかもしれません。お国柄の違いを見た気がします。
2008/08/21
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ミュンヘン駅では小型の3軸小型ディーゼル機関車が入換作業に精を出していました。この写真では黒くつぶれてよく分かりませんが、3つの車輪は1本のロッドでつながれています。小型の赤いディーゼル機関車が客車2両(しかも、それぞれカラーリングが異なる)を牽引しているところなど、本当に鉄道模型の世界を見ているようでした。
2007/09/07
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今回の訪欧では、少しでも時間ができると、滞在している町の中央駅へ行って駅撮りをしました。路面電車以外、列車の走行写真はあまり撮れなかったのですが、ミュンヘンでは中央駅の隣り駅のすぐ上を道路が走っていますので、黄昏どきの1時間ほど、その歩道からミュンヘン中央駅に出入りする列車を撮影することができました。本日の「思い出の1枚」は、ミュンヘン中央駅をあとにするディーゼル機関車牽引の客車列車です。この機関車を見ていると、今は姿を消してしまった日本のディーゼル機関車DD54を連想してしまいました。DD54は西ドイツのマイバッハ社製エンジンとメキドロ社製液体変速機を搭載した機関車で、窓下を突出させた「くの字」状のヨーロピアンスタイルが特徴でしたから、外観が似ているというのも、あながち無理な連想ではないでしょう。
2007/09/06
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オーストリアのあとはドイツへ行きました。ドイツでベースとなったのはミュンヘンで、この町にもトラムがありました。夕方、カメラを片手に王宮の近くを歩いていると、トラムの線路脇にある花壇の前で若い女性たちがおしゃべりしているのに出くわしました。ちょうど路面電車がやって来ましたので、すかさずシャッターを切ったのが本日の「思い出の1枚」です。花と美人と路面電車。おしゃれな1カットが撮れました。
2007/09/04
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ウィーンでは産業技術博物館を訪れました。この博物館はその名が示すように、産業や技術の発展過程を分かりやすく理解できるよう、船や車、飛行機、鉄道などの実物や模型を使って展示が行われていました。見学を終え、博物館の外に出て路面電車の停留所に向かって歩いていると、街角の公園の片隅にクラウスとおぼしき蒸気機関車が保存されているのを見つけました。この保存機の存在は観光ガイドブックにも記載されていませんでしたので、ちょっぴり拾い物をしたような気分になりました。それにしても、機関車の前でレールを大きく湾曲させているところなどはマンモスの牙のようにも見え、日本では考えられないデザインです。小型のBタンク機は保存状態もよさそうで、市民の愛情が感じられました。
2007/09/04
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本日の「思い出の1枚」は、オーストリアのウィーンにある国会議事堂前を通過する路面電車です。国会議事堂の前面には緩やかなエンタシスをもつ石柱が並び、屋根と石柱との間の切妻面には賢人と思われる人物たちの彫刻が施され、まるでパルテノン神殿のようです。ちなみに、中央奥に見える尖塔は、ウィーン市庁舎のものです。ヨーロッパの各都市にある市庁舎は、こうした尖塔を持つ立派なものが少なくないようです。ベルギーのブリュッセルやルーバン、オーストリアのウィーン、ドイツのミュンヘンなどで見かけたいずれの市庁舎も、同様の尖塔を持つ重厚な中世建築でした。議事堂の前を通過する路面電車は低床タイプの連接車で、新型車輌らしく車輪が見えません。中世の建物が居並ぶ音楽の都ウィーンには、やはり路面電車がよく似合うようです。
2007/09/03
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今回の旅の目的の1つにオーストリア・グラーツにあるエッケンベルク城を訪ねることがありました。グラーツへはウィーンから列車で2時間半ほどかかりますが、途中、センメリング地方という石造りの鉄橋がいくつもある非常に景色の良い場所を通っていきます。センメリング鉄道がベースになっているのですが、実は鉄道の遺産として世界遺産に登録されているのです。今回は車窓からその美しさを堪能しましたが、次回はこの景色の中を駆け抜ける列車をぜひとも撮影したい、と思いました。さて、グラーツです。実はこのグラーツも最近、世界遺産に登録されました。この日は1日に2つの世界遺産を観ることができたわけです。目的とするエッケンベルク城はグラーツの町はずれにあり、グラーツ駅前から路面電車を利用していくことができました。お城といっても山城ではなく、平地に建っている洋館風の建物です。広大な敷地の中には孔雀が放し飼いにされ、オス鳥が鮮やかな尾羽を広げてわたしを迎えてくれました。エッケンベルク城には豊臣期の大坂を描いた屏風が保管されていることがごく最近分かり、その屏風を観たくて、わたしはこのお城を訪ねたのです。城内、「東洋の間」と呼ばれる(最近は「日本の間」に変わったとも言われる)部屋に飾られた「大坂図屏風」は期待にたがわぬものでした。この屏風が日本から遥か彼方のオーストリア・グラーツへ運ばれたのは東インド会社を通じてであろうと言われています。エッケンベルク城の見学をすませたのち、ウィーンへ帰るためにグラーツ駅へ行きました。乗車予定の列車が到着するまでにしばらく時間がありましたので、お決まりの駅撮りを行いました。この駅には、ホームのすぐそばに小規模の機関庫がありましたので、そちらの方へ行ってみました。首からカメラを下げた東洋人が機関車の撮影をしていることに対しては、機関庫の人も鷹揚に対応してくれました。本日の「思い出の1枚」は、グラーツ駅構内で撮影したオーストリア国鉄の電気機関車です。旧型から新型まで形が異なっているのがおもしろいところです。
2007/09/02
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ヨーロッパの鉄道はかなりの割合で電化されていますが、電車だけでなく電気機関車が牽引する客車列車も数多く存在しています。大都市の中心駅は、その多くが上野駅のように行き止まり式のホームになっており、電気機関車が牽引する客車列車には不都合な構造となっているのですが、そこは合理性を重んじる風土。電気機関車がつく編成の最後尾となる客車には運転台がついており、逆向きに走るときはそこで運転制御するようです。つまりは運転席付(または制御室付)客車とでも申しましょうか。電車のように動力を分散してパワーを均一化させるのと、機関車に動力を集中させるのとでは、どのような違いがあるのでしょうか。ただ、機関車だと貨物列車の牽引に転用できるという利点もあるでしょう。日本のように機関車が風前のともし火となっている国から彼の地に行くと、何と機関車が元気な国よ、とうれしくなってしまいます。本日の「思い出の1枚」は、チューリッヒ中央駅に進入してくる電気機関車牽引の2階建て客車列車です。もう1枚はその編成の最後尾、運転台付客車です。どうです? これだけ見るとまるで電車のようで、客車だなんて思えないでしょう?
2007/09/01
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今回の訪欧旅行では、国と国との移動や観光地への訪問にほとんど鉄道を利用しました。その折に気づいたのが、列車内へ自転車を持ち込む人が多かったことです。日本でもたまに車内へ自転車を持ち込んでいる光景を目にしますが、自転車を折りたたみ、キャリーバックに収納しているケースがほとんどです。ところが、ヨーロッパでは自転車をそのまま(しかも壁際にぶら下げる形で)収容できるスペースを持った車輌が連結されているのです(客車の半分くらいがカーゴルームとなっていました)。自転車用のライダースーツに身を固めた老若男女も数多く見かけましたが、ラフな服装の方も多数いました。日本の観光地では車が渋滞して、何をしに来たのか、と思うこともしばしばですが、自転車を利用すれば環境にもやさしく、現地での移動も簡単。レンタサイクルではなく、マイ・バイスクールなら費用の節約にもつながります。ある意味、とても合理的で、日本との文化の違いを強く感じました。ツール・ド・フランスのように、自転車が熱狂的に支持されるのも、何となく理解できます。バイスクール・カーゴの設定は、日本の鉄道会社でも一考に価するサービスだと思うのですが……。
2007/08/31
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ブリエンツ・ロートホルン鉄道の山頂駅は標高2240mあたりにあります。すでに森林限界を超えていますので、まわりに高い木はなく、夏場のこの時期だと牧草が生い茂り、遠目には緑の絨毯を敷き詰めたようで、とてもきれいです。途中、登ってくるまでに放牧されている牛をあちらこちらで見かけました。首につけられたカウ・ベルが遠くから、近くから、カラン、コロンと心地よい音色を立てています。まさしく「アルプスの少女・ハイジ」の世界です。ブリエンツ・ロートホルン鉄道の列車は、2輌の客車を機関車が後ろから押し上げて頂上へと登っていきます。蒸気機関車がメインですが、ディーゼル機関車も数輌運行されており、わたしが乗った下り列車はディーゼル機関車が牽引するものでした。しかし、下るときには再び雨が降りだしていましたし、上りのときに蒸機の勇姿は堪能していますから、ゆったりと客車の揺れに身を任せていました。「本日の思い出の1枚」は、ブリエンツの頂上駅で撮影した登山列車です。眼下に広がる青いブリエンツ湖、牧草の緑、山の稜線を渡る白い雲……、スイス・アルプスの良いところを凝縮してみました。
2007/08/30
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山と湖の国スイスで、どうしても乗ってみたい登山鉄道がありました。その名はブリエンツ・ロートホルン鉄道。スイスに数ある登山鉄道の中で、蒸気機関車が定期運用されている鉄道です。ベルギー、フランス、さらにはスイスと、晴天に恵まれ、真っ青な空に白い雲を配した写真を撮影できていた今回の訪欧旅行ですが、ここにきて初めて雨に降られました。どうしても晴れてほしい日が、予想に反しての雨。朝、チューリッヒのホテルを出るときにはため息しかでませんでした。ブリエンツに到着しても雨は続いていました。登山鉄道の起点となるブリエンツの海抜は566m。一方、頂上のロートホルンの標高は2244m。この間の距離は7.5kmで、小型の蒸気機関車が麓と山頂の駅を約1時間で結んでいます。平均の勾配が250パーミルといいますから、1kmで250m上ることになります。これだけの急勾配ですから、使われている機関車は、平地にあるとき前傾しています。頂上に登っても霧で視界が悪い可能性もあり、乗車するかどうか、とても迷ったのですが、この次はいつここへ来ることができるか分からないということを考えると、やはり乗っておこうと思いました。幸い、雨は小降りになり、雲も一部が切れ始めています。心地よいドラフト音を耳にしながら、走り出して5分も経たないころから急速に天気が回復し始めました。振り返ると眼下に青いブリエンツ湖が広がっています。その向こうにはアイガーをはじめとするアルプスの山並みがそびえています。はるばるやって来てよかった、と心から思いました。
2007/08/29
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本日の「思い出の1枚」は、チューリッヒ中央駅で停車中の列車を撮影しているときに撮った1カットです。どこかへバカンスに出かけるのでしょう。リュックを背負った男性と見送りにきた女性が、ごく自然な仕草で口づけをかわしました。そのあともあっさりと別れていきます。日本では、こうはいかないでしょうね。まるで映画の1シーンを観ているようでした。
2007/08/28
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わたしがスイスを訪れた8月1日は、ちょうど建国記念の日でした。事前の情報では、建国記念日はレストランや商店がほとんど休みとなるため、食事に注意すべし、と言われていたのですが、幸いなことに、ホテルの近くのビアホールは元気よく営業しており、特に不自由を感じることはありませんでした。おいしいビールに、名物の料理を堪能したあと、ちょっとだけ路面電車に乗って夜のチューリッヒ市内を散歩してみることにしました。昼間と違う光景は、異国情緒満点です。しかもお祝いの日ということで、午後9時を過ぎたころから市内の各所で花火が上がり始めました。橋のたもとで花火を撮影したあと、トラムの電停に行くと、前方で大きな花火が上がりました。信号待ちのため、電車もちょうど停まっています。すかさず両者を入れてシャッターを切りました。思いがけない拾い物をした感じでした。
2007/08/27
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フランスのあとは、スイスへ移動しました。「TGV」に乗って着いた先はチューリッヒ。湖と中世の建物に囲まれた静かな街です。ホテルに荷物を置いたあと、カメラを持って市内へ出かけました。チューリッヒは路面電車が縦横無尽に張り巡らされ、その運行間隔も日本の比ではありません。少し待っていれば、次々と電車がやってきます。いかに市民の足として定着しているか、ということです。逆にバスの姿をあまり見ませんでした。環境にやさしい、などということをことさらに言う必要もないくらい。これが自然な姿なのかもしれません。チューリッヒのトラムも連接車です。新旧両タイプのトラムがすれ違う一瞬に、町を代表する教会の塔を配した1カットが本日の「思い出の1枚」です。
2007/08/26
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フランスでは、パリから「TGV」を利用した1デイ・トリップでモン・サン・ミッシェルを訪れました。「TGV」にはこのあと、フランスからスイスへ移動するときにも乗りましたが、日本の新幹線と同じようなスピード感あふれる走行は感激ものでした。ただ、日本と違うのは、パリから30分も走ると車窓に牧歌的な景色が広がることです(本当に、線路のすぐ近くで牛が寝そべっています)。世界で1、2を争う高速鉄道と牧場の組み合わせ。日本ではお目にかかれないシーンです。モン・サン・ミッシェルは、数ある世界遺産の中で、日本人が行ってみたい場所の1つとして常に上位にランキングされています。ある僧侶が夢の中で聴いたお告げに従って建設が始まったといわれますが、英仏の百年戦争のときにはイギリスに対する砦として、また、フランス革命時には牢獄として利用されたという歴史を持っています。約半日をかけて寺院の中を散策しましたが、小高い丘陵に尖塔や回廊がバランスよく配置されており、あらためて世界遺産にふさわしい建造物だと実感しました。
2007/08/25
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ブリュッセル市内には北駅、中央駅、南駅と3つの駅がありますが、フランスに向かう特急「タリス」は南駅から発車します。乗車予定の特急「タリス」が入線するまでに時間がありましたので、出入りする列車を駅構内で撮影して楽しみました。小雨に煙る駅構内の一角に小型のディーゼル機関車が停まっていましたので、フランスからやって来た「タリス」の撮影が一段落してから近づいてみました。3軸のディーゼル機関車というのは、日本では見られないタイプです。動輪もスポーク状で、運転席の窓が傾斜しており、前後にひさしが伸びているあたり、いかにもヨーロッパの機関車らしい雰囲気を醸し出しています。模型にして机の上に飾っておきたくなるような機関車です。
2007/08/22
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ベルギーのブリュッセルからフランスのパリに移動しましたが、そのときは特急「タリス」を利用しました。「タリス」は「TGV」と同じくヨーロッパ有数の高速列車です。「TGV」と外観が同じで、塗装が異なるものがありますが、わたしが乗ったのは先頭部分が丸いタイプの車輌でした。本日の「思い出の1枚」はパリに到着した際に撮影した特急「タリス」です。軽食のサービスなどもあり、そのスピードとあわせて、とても快適な列車でした。
2007/08/21
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わたしにとって初めての訪欧は、何を観ても物珍しく、新鮮な気持ちでシャッターを切ることができました。建物もその1つで、写真やテレビでしか見たことがなかった景色が目の前に広がっていることに感動して、あっちを見ては1カット、こっちを眺めては1カットと、ついつい撮影枚数が増えていきます。そこにおもちゃのようなトラムが走ってくれば、これはもう猫にマタタビ、熊にハチミツ。ニンマリしながらシャッターを切らせていただきました。煉瓦造りの建物に沿って走る連接トラム。いかにもヨーロッパ風の落ち着いた景色です。
2007/08/20
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ヨーロッパから帰国後、すぐに高知へ帰省しましたので、長期にわたってブログをお休みしました。今日からしばらくの間、ヨーロッパで撮影してきた写真をご覧いただこうと思います。関空からルフトハンザ機でフランクフルトに飛び、乗り換えてベルギーのブリュッセルに向かいました。ベルギーでは世界で一番美しい広場と言われ、世界遺産の1つである「グランプラス」などを散策しました。「グランプラス」へは2日にわたって訪れましたが、今の時期、夜は広場の建物がライトアップされていますので、その写真を撮影するべく夕暮れを待ちました。しかし、緯度の関係から、暗くなり始めるのは午後8時過ぎです。名物のムール貝などを食べて時間を過ごしました。本日の「思い出の1枚」は、「グランプラス」の中にあるライトアップされたブリュッセル市庁舎です。ブリュッセル市内では路面電車と地下鉄が市民の身近な足となっています。宿泊したホテルの前を路面電車が走っており、運の良いことに部屋からも見ることができました。荷物を置くと早速カメラを取り出し、撮影したのが、もう1枚の本日の「思い出の1枚」です。中世風の町並みに雰囲気のある街灯、ロータリー部分を横切っていくトラム……。ヨーロッパにやってきたということを実感した瞬間でした。
2007/08/19
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