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1990.07.01
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ナポリのサン・パオロ・スタジアムにて決勝トーナメント1回戦のカメルーン-コロンビア戦を観戦。記念すべきワールドカップ初観戦だ。スタジアムへはローマからツアーのバスで行った。バスの駐車場からスタジアムまで結構な距離をただひたすら歩く。スタジアムは郊外にあるため、駐車場との間は住宅地のような場所でお店など何もない。せっかくナポリに来たのだから観光も付けてくれればいいのに。 イタリアでは開幕戦でアルゼンチンを破ったカメルーンが注目を集めており、スタジアムはカメルーン・フィーバーといった雰囲気である。アフリカっぽい太鼓を叩いて「カメルン♪チャッチャ、カメルン♪」といって踊り歩くサポーターたち。 カメルーンサポ スタジアム外の露店ではフラッグやマフラーを売っていたので、早速イタリア90のフラッグと帽子を買う。大きなフラッグを振りながらいざスタジアムへ。中では日本であるような大会のプログラムやパンフレットは売っていなかった。 スタジアムは陸上トラックがあるのでそれほど見やすいわけではなかったが、とにかくワールドカップということで気分が高揚していた。日本にはない大きなスタジアムは圧巻である スタジアム前で旗を振る 今大会はイングランドをはじめとするフーリガンが問題になっていたので、アルコール類も中では販売禁止で、ビールは売っていたけどノンアルコールのものだった。当時は日本でノンアルコール・ビールは珍しかったから、飲んでいたYさんに少しもらう。うーん、確かにビールとあまり変わらない感じかな。売り子のお兄さんは大きな声で「アックア・ミネラーレ~(水のこと)」と言っている。イタリアの人は声が太くてよく通るね。 でかいスタジアム 試合はコロンビアのGKイギータがオウンゴールに匹敵するミス。それが効いてカメルーンが2-1で勝利した。カメルーン・フィーバーが続きそうな勢いである。
1990.06.23
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今日は朝食で同席だった隣部屋のKさんとYさん(2人とも25才くらい)、そしてHと4人でローマ観光へと繰り出した。前日の疲れが残りまくっていたが気合いで出かけた。時差については日本にいる時から深夜のワールドカップ中継を見ていたため、すでにイタリア時間になっており問題なし。 まず地下鉄でカラカラ浴場へ行き、そして旧アッピア街道というのをひたすら歩いた。ここは一方通行だが、車がものすごいスピードで、我々の歩いているすぐ傍を通って行くのでめちゃめちゃ怖い。ローマは車が多いし、スピードは出し放題だし、歩行者にとってはとんでもなく危ないね。 そしてまた暑いんだこれが、まさに真夏。これじゃソ連が負けるのも仕方ないよ(前評判高かったが1次リーグ敗退)。こんな暑いんじゃサッカーどころか外を出歩くことすらままならん。しかしそこは悲しいかな日本人観光者、そうは思いつつも1日になるべく多くの物が見たいので、暑い昼間も町をうろうろするのである。 さてひたすら歩いたあと、サン・カリストのカタコンベ(地下墓室)に着いた。ここのカタコンベは地下5層、長さ20Km以上というとてつもない広さで全容は分かっていないそうだ。だからガイドなしには中へ入ることができず、我々一行は英語のガイドについて行った。当然英語が分からないので何言ってんのかサッパリだった。英語が出来ないとどこに行っても不便である。 カタコンベの近く そのあとフォロ・ロマーノをひたすら歩きまくり、パラティーノの丘もひたすら歩きまくった。どうしてこんなに今日は歩くのだといった感じだけどひたすらKさん、Yさんに付いて行く。そしてもう一度真実の口へ行った。昨日来たときは気づかなかったけど、反対側に土産物を売ってるところがありいくつか購入。そこのお兄さんは気さくな人で、キューセンリラとハッセンリラでイチマンナナセンリラ、ヨイ?などと日本語を話してくれて、なかなか楽しかった。まあ町中を歩いていてもコンニチワとかニホンジンデスカとかよく言われるけどね。 疲れ切って腹の減った我々はベネツイア広場からコルソ通りを歩き、トラットリアに入ってメシを食った。生ハムメロンとスパゲティボンゴレはうまかったけど、メインの子件のローストはうまくなかった。観光地で日本人がよく来るのだろうか、日本語のメニューもあった。 さて問題はここからである。我々は腹ごなしにスペイン階段でも行ってから帰ろうかと気分よく歩いていた。そこへ40才くらいのオッさん2人が英語で道を尋ねてきたので、KさんとYさんに対応してもらった。で、どうやら話を聞いていると、2人はアルゼンチンチームのスタッフのようである。そして「マラドーナ・カントリー!」とか調子の良いことを言っている(笑)。ただ我々もサッカー馬鹿なので話がやたら盛り上がってしまった。そこでこれで別れるのもなんだからビールでも飲もうと2人は言ってきた。冷静に考えれば、最初に道を聞いてきたんだよねぇアンタたちはってな感じだが、これだけ話が盛り上がっちゃうと疑わないよな。 で、彼らについて歩いて行くと、ちょっと細い道へ入ったところに店があった。そして店の中の怪しい青いネオンランプを見て、あ~こりゃやべえ詐欺に違いないとそこで気付いた。この店どこからどう見ても危ない雰囲気だったからねぇ。だけどすっかりノリノリのKさんは2人と一緒に店内へ入っちゃった・・・。中に入って連れ戻す勇気なんかないので、YさんとHに「これだめだよ、ヤバいよ」と伝えた。 しかしYさんは、もうKさんが中にいるから行くよと言って店へ入ってしまい、結局未成年(19才)の2人だけが店の外に残されてしまった。何も考えずにくっついて来たから、ここがどこだかさっぱり分からず途方に暮れる。お店の近くではそれっぽいお姉さんが立っているし、とにかく怖かったからまず店を離れて大きな通りへ出た。夜の地下鉄はやはり怖かったので、バスでテルミニ駅まで行けば帰れると思いバス停を探した。バスターミナルのようなところにインフォメーションのオッさんがいたから「テルミニ、ブス、ナンバー?」と聞いて、英語が良く分からなかったけど492番のバスという事をやっとのことで理解して駅まで行った。そこからの道は分かっていたから何とかホテルにたどり着いた。もうへとへと。 その後のKさんとYさんが気になっていたが、1時間くらいしたらホテルに帰ってきた、良かった。そして2人に聞いてみたら、席に座ったとたんに女の子がわ~っと来て、すぐに帰ろうとしたけど怖いお兄さんが出てきちゃったそうだ。結局ビール1杯飲んですぐに帰ったけど、一人100ドル取られたとのこと。今となっては笑い話だけど、まあお金で済んで良かったよ。本当にぼったくりバー詐欺ってあるんだなぁ。というわけでこの日はいろんな事がありすぎた。 しかしなかなかサッカーの話にならんな(涙)。ワールドカップはいよいよ明日からトーナメント1回戦である。
1990.06.22
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無事に着いた。最後の高度を1万mほどから下げるときは怖かった。ふわーーーっと落ちる感じが長くてスリルありすぎ。帰りもひょっとして同じだろうか?同じだったらやだな~もう飛行機乗りたくないな~。 さてレオナルド・ダ・ビンチ空港に着くと、まずパスポートをチェックされるのだけれど、はいどーぞーってなもんでかなり雑だった。途中で税関も通ったのだがこれも何もなしにスルー。なめられてるのかズボラなのかよく分からん。 そしてそのままロビーのような所へ出た。成田と違って人はそれほどいなくて、スリもとりあえず気にしなくてよさそう。しかしウロウロしてる間に両替をする機会を失ってしまった。それからツアーのバスに乗ってホテルへ直行。ホテル・ダニエラといって☆☆☆だけど落ち着けるホテルだ。テルミニ駅から徒歩15~20分ほど。地下鉄の駅もあるから、まあまあ便利である。 さてさっそくT/Cをリラに替えるべく同室で同い年のHと共にテルミニ駅の方へと繰り出した。彼はやはり一人でこのツアーに参加していて知り合った。彼も自分と同じく海外旅行は初めてで全く頼りにならず、仕方ないから自分の地図を頼りに先導して歩く形となった。はっきり言って方向音痴なんだけど、知らない町を気ままに歩くのは好きである。だから言っておくけど道に迷ったって自分のせいじゃないぞ。 まず両替の前に腹が減ったからテイクアウトのピザ屋に恐る恐る入った。まず目の前にあるいろいろなピザのうちの1つを指さして適当な大きさに切ってもらった。店のおばさんはそれを店の奥へと持って行きレンジで暖めてくれた。ドリンク?のような事を聞かれたから「ノー・グラツィエ」と答えた。Hはイタリア語話せるじゃんと感心していたが、このくらいで話せるって言われても。。。ピザはうまくなかったなぁ。やはり出来合いのでなく、ちゃんと注文して焼いてくれる方がいいのだろう。 次に両替所に行って両替を。誤魔化される事もあると本に書いてあったが、ていねいにまずレシートを渡してくれ、リラの札を1枚1枚確認して渡してくれた。あとテルミニ駅周辺はひったくりやジプシーがいると聞いたので、どんな奴らなのかと思っていたが遭遇せず残念であった。ホテルへの帰りは案の定道に迷ったが、地図を頼りになんとか辿り着く。ふう。 午後はオプショナルのツアーに参加ということで市内をバス観光。まず、サン・ピエトロ寺院に行ったのだがこのスケールの大きさには驚いた。ガイドブックを見ても何とも思わないが、やはり実物を見ると違うね、すごい感動なのだ。すごいとかしか言えない自分が情けないが、本当にうまいものを食った時に、うまいとかしか言えないのと同じで仕方ない。 そのあと水のないトレヴィの泉へ行った。大会開幕までに終えるはずの工事が延びて、結局決勝戦までに間に合えばいいや、という事になってるらしい。イタリアは実にこのパターンが多いが、様子を見てると決勝までに出来そうにないなこりゃ。 さてこのトレヴィの泉近くで食べたジェラート。1口食べてみて、日本で売ってるイタリアンアイスというのはぜーんぶインチキだと分かった。これはうますぎてうますぎてウソみたい。この分だと毎日ジェラートを食べることになりそうだなぁ。 有名だから行っておかないと 続いてツアーバスはコロッセオに行き、そしてその近くの日本語を話す店員さんがいるヴェネツィアングラス店へ行って(買い物しろってことだけどしなかった)、次に有名な「真実の口」に手を入れて、ホテルへと戻った。非常に疲れた。夏のイタリアは暑いし、夜遅くまで明るくて起きている時間が長いから観光もかなりハードである。それにイタリア語は分からんし、英語もしゃべれないし、どうなっちゃうんだろうね~この先。
1990.06.21
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日本を出て約3時間半、今上海上空にいる。とはいっても飛行機の中だから、まだ日本にいるのと変わらない気分である。JRで成田まで行ったのだが、千葉駅を過ぎたあたりから田舎な風景が広がった。ああたんぼ、右も左もほらたんぼといった感じで、自分は本当にイタリアへに行くのかよ~と思った。のどかな田園風景見てるとまるでリアリティがないよ。 初めての海外、初めての成田空港ということで到着すると緊張感が身をつつんだ。ただ、それから飛行機に乗るまでいろいろ手続きがあったりしたわけだけれど、予想したよりあっけなかった。よくドラマなんかで空港での別れのシーンとかあるけど、それと実際とで重なる部分はほとんどなかったね。まあ見送りもいなけりゃ、別れもないのだから当たり前か。ドラマの見過ぎだ。 アリタリア航空の飛行機に乗ると、もちろんいるのはイタリア人のスチュワーデス。いたよ、すんごい美人。ほえーえれえべっぴんさんだべと、思わず言ってしまったわけではないが、とにかくきれい。しかしこれでこの飛行機が落ちない事がはっきりしたね。なぜってもし落ちたら、これは世界人類にとって大きな損失だからである。かなり強引なこじつけだが、とにかくこの飛行機は落ちない事に決定~。いやーよかったよかった。本音はというと単に飛行機嫌いゆえ、ものすごく不安だったのである。落ちないでぇ。もし落ちるならワールドカップ見終わった帰りに落ちてくれい。 飛行機が離陸すると、フワーッと来る来る例のエレベーターにのるとよく味わうあの気分。はっきり言ってキライ。やめてくり~、ああ気持ち悪い。でもそれは初めだけで、後は安定していて揺れがなくなった、助かった。 しばらくすると機内食が出て来る。よく分からんチーズ・パイのようなものが出てきたが割とうまい。アリタリア航空らしく、スクリーンでは映画でなくワールドカップを放映していた。観戦ツアーの人が多く乗ってるし、タイムリーだと思うけどすでにこのゲームは見ているので、別に映画でもよかった。 座席はエコノミーだからもちろん狭いけど、予想したほど居心地は悪くない。ただまだ15時間以上乗ると思うと気が滅入るな。家から成田はなんて遠いんだと思ったけど、やはりイタリアは遠いのである(注:南回りの便)。そして眠いんだけど興奮して眠れない。目をつぶるとスタジアムの歓声が聞こえてきちゃうんだ。 日本の家を出てから約24時間がたった。狭い機内で丸1日過ごすというのは拷問のようなものだ。途中、トランジットのためインドのデリーで飛行機を降りて少し歩けたのが救い。デリーはインドということで当たり前だがインド人がいた。なぜこんな当たり前のことを言うかといえば、恐らくインド人を生で見るのが初めてだからである。 デリーではスチュワーデスが入れ替わったようで、機内になんと例の美人がいなくなってしまった。むむ~、これでは飛行機が落ちてしまうかもしれないじゃないか、頼むよ~(笑)。しかし早く着かないかな、飛行機は長く乗るものじゃないよ。やっと寝れたかと思うと機内食で起こされるし、食ってまた寝るから胃がもたれるし。これじゃ体がおかしくならないほうがおかしい。 飛行機初めてなんで(笑)
1990.06.20
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