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告知…? について。


恨んだりしないから「こうしなさい」といってほしかった…けど。無理だった。
02月21日(土)

金曜日に改めて病院へ行き、前回うやむやにされてしまった父の話を聞いてきました。
結論から言えば、どうにもならない。
八方塞り。
早い話、先生が頭を捻っていたのは、
もう一歩先の検査をすればはっきりとした結論が出せるのだが、
父の現在の状態からすると、その検査そのものにリスクがある。
検査をしたことで、起こるかもしれない合併症がある。
だから、はっきりとしたした診断を求めたければ、
リスクを追う覚悟で検査をしなければならない。
だが、たとえばそれで結果が得られたからといって。
検査さえ難しい父の身体でその先の治療が望めるのかと言えば、
それはもっと難しいかもしれない。
これと言った確信がなければ、医者は診断を告げられない。
だから先生は、父の腹部の影について、
考えられるパターンのすべてを私や母や主人に説明してくれた。

でも、それは可能性であって確信ではない。
もしかしたら癌の影響かもしれないけれど、わからない。
そうでない、まったく別の何かかもしれないし。
とにかく、「現状ではこんな診断しかできなくてすみません」と、
先生は頭を下げてくれた。
そして、現状では二つの方法がある。
リスクを覚悟して検査をし、
とにかく今回見つかった影の正体を暴いて治療に当たる。
もしくは、今のところは特に病状も出ていないし。
本人がその影のために苦しい思いをしているわけではないので、ここから先は経過を見る。
ただし、目にわかる異常が出たときにはもう手遅れかもしれない。
本当に、だからどうしろっていうのよ!! って言うような選択しかない。
先生は私たちにどういう治療を望むか、
すぐにではなくてもいいから決めてくださいといった。
医者の立場からは「こうすることが一番いい」と言えない。
何をするにも命に関わることなので、いずれの道もすすめることさえできない結果に、
おそらく私たち以上にジレンマを覚えていたみたいだった。
先週は「先生頼むよ」って思った。
これじゃ、何かのときに父に対して下手な嘘もつけないよって、
正直ちょっとだけ恨んだ。 でも、今通っている病院の担当の先生は、
実は以前父が倒れたときに助けてたくれた担当医だ。 全然かって違いな病状で入院したのに、どうも腑に落ちないことがあるからといって、
真夜中でも惜しみなく検査をしてくれて。
そして大動脈の異常を発見してくれて。
夜通しかけて早急に対応出来る医大を手配し、
結果的には滑り込みセーフで手術することが出来た。
生存率20%という大手術を、無事に乗り切ることが出来た。
そういう、仕事に懸命な。感謝するべき内科の先生がいる病院だ。
でも、そんな担当医が迷いに迷って外科の先生にも意見を求めた。
求められた外科の先生は、今出来る検査をするだけやって。
それでも一存では言えない診断しか出来なかったから、
時間をとって放射線科の先生や内科の担当医と更に意見を徹底交換してくれた。
多分、医療器具がどうこうという問題で先の検査がここではできないというだけなら、
父は設備の整った病院を紹介されて終わっていただろう。
けど、三人のそれぞれの専門家が、「そういう問題」ではない。
直接患部の細胞を採取して調べなければわからない。
身体に傷をつけなければ、診断結果が出せない。
これは、どこの病院に行っても同じだ。
どこで検査をしたところで、父の身体ではリスクを覚悟するしかないのだ。 そういう結果なのだから、
これ以上場所を変えたところで同じことだろう。
だったら、任せ続けるほうが懸命なのだろうと思った。
なんせ、この病院では私も髄膜炎のときに早期発見をしてもらって助かっている(^_^;)。
知能障害も言語障害も、身体の障害もなく無事に元気にしてもらっている。
総合病院なだけに、先生の当たり外れはあるらしいが。
我が家ではとりあえず、いい先生たちにあたっているということだ。
結局、昨夜は一晩考えた。
母はそもそも母自身が精神科に通っていたり、糖尿を持っていたりで、
これ以上何かを強いるのは酷なことだ。
父をどうするべきか、決断することがすでに酷だ。
とりあえず今はクスリで落ち着いている精神の方を、また害しかねない。
でも、両親に子供は私しかいない。
最後に何かを決めるとするなら、それは本人か私しかいない。
けど、こんな選択をどうして本人が出来るだろう?
それ以前に、どうしたらこんな説明だったのよと言えるだろう?
だから、私は考えた。
どこにも答えがなくて、友達に電話もして話を聞いてもらった。
そこに答えがないことはわかっていたけど、
私は話しながら自分で答えを探し続けた。
そして、話の終わりごろには先生からの話には、
「選択がある」ということではなく「私が出した結論」を父には伝えようと決めた。
癌の可能性があることはとことん伏せる。
本人がどう思っていようと、それはそれで、これはこれ。
先週先生が言葉を濁したのは、結果がこれと言い切れないから。
言い切るためには、リスクのある検査をしなければならないから。
だから迷った。
答え先延ばしにした。
けど、だったらそんな検査いらないよね!!
する必要ないと私は思うよ。
だって今元気だし、そんな検査のために入院したり身体をどうこうする検査なんか、
じいちゃんだってイヤだと思って。
だから、私そんな検査いらないですよって断っちゃった…って。
もしかしたら、リスクがあってもしっかりとした診断を出して、
治療するほうが確かなのかもしれない。
私が決めたことで、父の寿命を短くすることになるかもしれない。
でも、検査するほうに多少なりとも分があるなら、
先生たちは決断を素人である家族に委ねることはしないだろう。
早い話、どっちにしても五分五分なんだ。
誰にも未来はわからないんだ。
ただ、いずれを選ぶにしても覚悟がいるから、
答えをこっちに求めたのだろう。
でも、そんな覚悟ならとっくにしている。
それこそ腹部大動脈が破裂してから手術をしますというときに、
「手術は成功するかどうかわかりません。
たとえ無事に手術が終わっても、
現状より良くなることは、まずありえないですよ。
むしろ、これからまだ別の場所に何かが起こって、大病を患う可能性は大ですし。
酷な言い方ですが、お金もかかります。
そういうさまざまな予想が出来る患者さんを支えながら、生活していくだけの覚悟はありますか?
 その覚悟がなければ、私たちは手術が出来ないんですよ」
そこで担当した先生は、もしかしたら「医者としては言ってはいけない」かもしれないことを、
でもそこにあるのが患者の命だけではなく、家族の命や生活もあるということ踏まえてを、あえて口にしてくれて。
私はその先生に対して
「どんな覚悟でもしますから、今出来ることをしてください」
と言って、手術の同意書に判子をついた。
今後の介護、生活、何より次にはいつくるかわからない父の異常。
それは半年後かもしれなければ、十年後かもしれない。
でも、いつ爆発するかわからない爆弾を抱える覚悟は、その時にしていた。
見えない導火線のついた爆弾は一人一個持っている。
生まれたからには、いつか必ず絶える日はくる。
だから生きてることが尊いはずなんだから。
結局、私は父の悪運にかけることにした。
本人が持っているだろう寿命の長さを信じることにした。
脳梗塞で倒れた上に、腹部大動脈破裂という大病を半年のうちに続けてやった父に。
今また検査入院をさせて、
おそらく「酷な結果」しか出ないんじゃないかと思われる真実を、あえて私は求めたくはない。
それに、父の性格(根本的に告知系は向かない人だ!!)を考えれば、
そのほうがいいと思って。
母は私が決めたことを報告すると、
「一人で背負わなくていいからね」と言った。
一度は覚悟していたのは、母も同じだったらしい。
というか、あの判子をついた時から、私が背負ったものの重さに、
母は母なりに気を使っているのだろう。
だから、せめて毎日楽しい我が家でいられるように、
主婦二人で協力して勤めようねって、言い合った。
そして、旦那にも話した。
旦那は「それでいいと思う」と同意した。
それでも本人が「どうしても白黒付けたい!!」と希望すれば、別だけど。
そうでなければ、それでいいと思うと言って、
今日はショートステイに行っていた父の所に、私と一緒に話しに行った。
いざ話しを切り出したとき、父は緊張しきっていた。
どうしてか、私は吹き出して笑った。
私が笑ったので、父はちょっとホッとした顔をした。
「なんでもなかったのか?」
そう聞かれて私は「まあね」と答えた。
「なんでもなかったというよりは、なんにもわからなかったっていうが実際みたい…」
私は自分が決めたとおりに話した。
父は「そんな検査なら確かにしたくない」と言った。
でも、やっぱり自分の中にあるいくつかの可能性に対しては、
不安が隠しきれないという顔をした。
そして「いっそ…」と言って言葉を濁した。
いっそ、現状ですべてがわかっていたらどんなに楽かと言いたかったのか。
それとも、他に何かあったのかは、私にはわからない。
ただ、帰りぎわに私はすでに一つの後悔をしていた。
先生には悪いけれど、「誤診だった」といってしまえばよかったとか。
とってつけたような嘘でもなんでもいいから、
単に、腎臓と肝臓が重なって移ったのが影になったとかなんとか。
もしくは、水がたまってたんだけど、
さして問題はないことが結論づいたから、この件はここでおしまいっ!! って。
でも、これまでの診断の経過を知っている父に、
へたな嘘をつけばもっと疑われることになりかねないし。
かえって自分は癌だと思い込まれる可能性もある。
だから、やっぱり「わからなかった」っていう事実だけは曲げずにいてよかったのかな? とも思う。
結局、八方塞という事実には、どんな事実も今のところ敵わないけど。


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