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2009,1,5、午前、10時21分、夫は永眠しました。昨年の28日にどうしてもお正月は自宅で迎えたいと本人のたっての希望で無理して家に連れて帰ってきました。帰ってきた当初はとても体調がよく、病院へいるときよりも食欲があり、玄米小豆のおかゆも、鍋の蠣、白菜、くずきり、ほぐした魚の身、ビフイルス菌入りのヨーグルト、フルーツゼリーなどを食べてくれました。31日までお風呂にも入り・・・ただ家族はたいへんでした。骨に転移して、腰が立たなくなっていたので湯船に入ると立ち上がることが出来ないのです。ベットに入るまで時間がかかり、そのせいもあってかその晩は咳がひときわひどくなっていました。翌一日、新しい年が明けました。大晦日はおそばを食べました。そのとき珍しくおそばにお餅を入れてほしかったと言うのです。お餅を入れようと思いながらそばのほうを先にゆでてしまったのでお餅を今から焼くには間に合わないので明日、お雑煮をするからと夫を慰めて翌日、お雑煮を作りました。お雑煮を食べてからその日は一日中、寝ているのでよほどしんどいのかなとなんだか不安になり、その晩、夫は眠れなくて少し目をつぶっては起きて、私の名前を何度も呼び布団をける、腕を布団から出す。裸になる。気が気ではありませんでした。喉が笛を吹いたような音ときゅうきゅうときしんだ音がするのです。ストーブをつけて部屋を暖め、夫の背中をさすったり、手をさすったり、布団を何度もかけなおして・・・・でも夫はパジャマを脱いで裸になろうと苦しそうにもがくんです。あわてて服を着せようとすると怒り出すし手がつけらないくらいでした。「一日早いけど、明日病院へ戻ろうか?」と言うといやだと首を振るんです。朝までとうとうそんな状態がつづきました。でも朝になるとよほど本人も苦しかったのか「病院へ戻ろうね」というと納得しました。息子に電話をして迎えに来てもらいおんぶして車に乗せました。車の中では安堵した顔をしていました。病院に着くと私がすぐに車椅子を取りに行き、息子が車椅子に乗せて病室まで運びました。すぐにレントゲンを撮り、医者には「かなり、危ない状態。いつ心臓が止まるかわからないです」と言われました。その日、夫は「明日また来るね」と言う私の言葉にベットから手を振りました。手を振るなんて初めてです。なんだかおかしい~~~と思いながら病院を後にしました。翌日、様子が変わっていました。血圧計が取り付けられ点滴に囲まれて夫は苦しそうでした。ベットの中から笑って迎えてくれると思い込んでいたのでショックが大きかったです。ベットに近づくなり私は涙があふれました。「こんな姿になるなんて・・・」昼の食事が来ていました。何とか食べさせようと思いましたがとても食べさせられる状態ではありません。ナースセンターに行って「朝は食べたのでしょうか?」「それが食べたんですよ」それを聞いて少し安心しました。「今、食べさせてもいいのでしょうか?」「今食べさせては喉に詰まります。危ないから食べさせないでください」いよいよ来るときが来たと言う思いを抱きました。「明日はきっと笑ってるよ」と言う母の言葉に励まされて帰りました。翌日、様子は同じでした。夫は笑ってはくれませんでした。もう、夫の顔を正視できないほど苦しそうなのです。先生にいうと「では眠らせましょう。そのほうが楽でしょう」「お願いします」「明日まで仕事があるのでそれが終わったら泊まりこみます」「そうしてあげてください。様態が変わったら携帯に電話します。そして個室が空き次第そちらの方に移します」父のときに経験しているのでいよいよ覚悟を決めなければならないと思いました。母と私は言葉も交わすことなく家路に急ぎました。翌朝、眠れなくて4時から起きていました。今日はいろいろと用事がある。どことどこに行ってそれから・・・・なるべく早くに病院へ行かなければと体が宙に浮いた感じです。新聞を取りにいってパンとコーヒーの食事をして早々と顔を洗いました。電話が鳴りました。このころは電話がなるとびくっと鼓動がします。病院からでした。呼吸が荒くなっているので来て下さいと・・・・不吉な予感。父の場合はそれから一週間でした。一週間ぐらいは・・・・と思いながら病院ヘ向かいました。年初めで、病院の駐車場は一杯でなかなか空きません。中をぐるぐる回りながら、端によったり下がったり、にらみつけらながらようやく一台置けるスペースを見つけて車を置くと病院の中を走りました。エレベーターで5階まで上がり、夫の名前の入った病室を見つけて中に入ると夫は脳波計の数字に監視されていました。「ようこよ・・わかる?」看護師さんが寄ってきて「奥さんがこられるの待っていましたよ。耳は聞こえるので話しかけてあげてください」「待っててくれてたん。ありがとう~~ようがんばったね。もうがんばらないでええよ。幸せにしてくれてありがとう。一杯一杯幸せをくれてありがとう。」もうひとりの看護師さんもこられて「やっぱり、奥さんがこられるのを待っていたんですね。それまで下がっていたのが急に上がったんですよ」血圧計が70になったり69になったりその下の数字が8,7,9,6,5とめまぐるしく動いていました。「痛かったね。苦しかったね。よう~がんばったね。ありがとう・・ありがとう、天国に行ったらようこの事見守ってね後からようこも行くからそのときは迎えに来てな。13年間、楽しかったよ。幸せだったよ。ありがとう、ありがとう」私は叫び続けました。すると夫の左の目から涙が落ちたんです。「あっ・・・涙が出てる!」驚いた私はその涙を拭いてあげました。すると右の目からも涙がこぼれてきました。「お母さん、見て、涙が出てる」母も夫の名前を呼びながら「ありがとう。畑を耕してくれてありがとう」と泣きながら話しかけました。「あっ見て・・・あごが動いている」と言ったとたんそれまで、酸素マスクがはずれそうになるくらい激しく動いていた顔がぴたりと止まりました。そして薄い水色の絵の具が大地にしみこむように顔の色が額からすうっと変わっていきました。脳波計が0になっていました。「待っててくれてありがとう。苦しいのに我慢して待ってくれたんやね。ありがとう。もうゆっくり休んでね」すぐに数人の看護師さんと二人の先生が来られました。「お正月、家に帰れて良かったね。一番、帰りたかったんだからね。がんなのにあまり苦しまなくて良かった。」先生は身体を乗り出していってくださいました。その言葉にまた涙がどっとあふれました。今日で夫が亡くなって6日です。死に顔を何度も見つめて、骨も拾ったのにまだ信じられないでいます。「ホントに死んだの?」「しんだんよね」「そうか、いないんだ」ホントは大きな声で怒鳴りたい。何でしんだんよ。自分だけ先に行って・・・。とうとう私をひとりにしたくせに・・・。そんな私を見て息子が「大丈夫か」と肩をそっと叩いてくれます。ブログのお友達へたくさんの励ましのお言葉にたくさん勇気をいただきました。ありがとうございました。ひめようこ、これからまだまだ歩いていかなければなりません。葛藤と孤独からまだ抜け出せないでいますががんばります。ありがとうございました。厚くお礼申し上げます。楽天ブックス ↓連載小説 「リスキー」はこちらからhttp://ameblo.jp/himeyouko/
2009.01.10
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あけましておめでとうございます。昨年は皆様にはたくさん励まして頂き、力強いお言葉にとても救われました。何とか年を乗り越えることが出来て、新たなる年の空気も感慨深く、今の運命が不思議に思えます。昨年の28日にどうしても家に帰りたいと言うだんなを連れて帰りました。病院は27日頃から同室の患者さんたちは家に帰るのでだんなはその前から病院は誰もいなくなるとひがんでいたらしいのです。無謀にも連れて帰ってきたのはいいのですがトイレにもお風呂にも何とか連れて行っても一度座ると立てない。トイレの廊下をはってベットに戻ったりお風呂では裸のだんなをマットの上に寝かせてそれを私と母がベットまで引っ張る。悪戦苦闘の4日間でした。痛みは何とかモルヒネでコントロールできているみたいです。ただモルヒネは副作用が便秘です。だから下剤も一緒に飲むので下痢が3週間続いていました。トイレはもう連れて行けないと判断したのでオムツにしました。昨日、あわててポータブルトイレを買ってきたのですがそれにも座ることが出来ないのです。本人は運動して鍛えれば立てるようになると信じていました。「何で腰が立てないんだ?」とつぶやくのです。今までかわいそうで言えなかったのですが「骨にがんが転移しているからよ」と言いました。ようやく本人は観念して「しょうがない、全部、面倒、見てもらうよ」と言いました。「どんな形になっても最後まで私が全部、見てあげるから心配しないで・・」と言うとだんなは納得しました。あんなに元気だっただんな二人で海に泳ぎに行ったり、釣りに行ったり山に行ったりそんな日々が思い出されて涙が出ました。腎臓がんで骨に転移して一歩も自分では歩けなくなるなんて・・・。トイレにもお風呂にもひとりでは入れない。自立する言うことはオムツで慣れると言うことなんですね。病院へ戻るのは3日ですがお風呂は事故があってはいけないのそれまで拭くだけにしようと思います。今年は精一杯、だんなが快適に過ごせるようにがんばりたいと思います。皆様の応援、感謝しております。今年もよろしくお願いいたします。M(__)m
2009.01.01
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