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川越城(かわごえじょう)御殿を訪ねました。
川越城は、埼玉県川越市にある城跡。江戸時代には川越藩の藩庁が置かれた。
別名、初雁城、霧隠城。関東七名城・日本100名城。通常、川越城の名称を表記する
場合、中世については河越城、近世以降は川越城と表記されることが多いとのこと。
正面より見た玄関。銅板葺きの巨大な唐破風屋根で、中央鬼板の『葵の紋』の
金箔が目をひくのであった。
扇谷上杉氏と古河公方の争奪の地で会った武蔵で、上杉氏の本拠として武将の
太田道真・道灌築いたのが川越城。石垣を用いず、曲輪の周囲に堀を、土塁を築いて
櫓を建てたのだ。やがて城は北条氏、徳川氏の勢力範囲に組み込まれ、江戸時代になって
近世城郭へと大改修されたのであった。全国に4例しかない御殿が本丸跡に往事の
建坪の6分の1の規模で建っているのです。
御殿東側の櫛形塀。
櫛形塀は、正面左側だけに残っていたが、1968年(昭和43年)の修理に際して
右側を復元。櫛形の窓には格子がはめ込まれていた
玄関を入ると、15畳の使者之間そして下の写真の13畳半の使番詰所と続く。
内部の庭も見事。
坊主当番詰(十二畳)は 第2展示室になっていました。
川越城本丸御殿の歴史に関する展示も行われていました。
「日本100名城のスタンプ 全員集合!」
私も『日本百名城 スタンプラリー』に参加しているが、未だ半分にも満たない状態。
このスタンプ全部が集まる日はいつになるのであろうか?
「本城住居絵図」。
『川越城本丸御殿』 年表
10畳の家老詰所(老中之間)には、3体の人形を使って家老たちが藩政を論じる場面が
生々しく再現されていた。
当時の堀の様子がよく理解できるのであった。
川越城本丸御殿広間。三十六畳にもなる大きな部屋。
杵黒熊毛槍鞘(きぬぐろくまげやりざや)。天下三名槍のひとつ"お手杵"の鞘のレプリカ
とのこと。参勤交代の行列で使ったと。
広間の仕切りの杉戸絵も松、竹林、蘆雁と時代を感じさせる見事なもの。
幹の色が減色してはいたが。
北側から見た本丸御殿。
北側の入口は『中之口』と呼ばれ、間口2間半の小規模な玄関。
屋根は当初は入母屋屋根であったと考えられているとのこと。
帰ろうと思い靴を履きながら外を見ると雨が。傘を販売していないか受付で訪ねてみると
否と。しかしもう一人の方がチョット待って下さいと。そして何処からか白き傘を持ってきて
くれて、古い忘れ物の傘なので持ち帰って良いと。親切に甘えてこの傘で川越駅までの
旧街道を散策したのでした。
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