JINさんの陽蜂農遠日記

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2014.01.27
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カテゴリ: 国内旅行

徒歩で甲府駅に戻る。予約した特急列車の時間まで1時間弱あったので

急いで甲府城趾へ向かう。

北口広場に移設され公開されている藤村記念館。

1875年(明治8年)に当時山梨県令(現在でいう県知事)であった藤村紫朗の指示により

睦沢村亀沢(現在の甲斐市亀沢)に建てられ、睦沢学校(むつざわがっこう)として開校。

「旧睦沢学校校舎」の名称で1967年(昭和42年)に国の重要文化財に指定された。

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線路の渡線橋手前にあり、甲府城の北の出入り口の山手渡櫓門(やまのてわたりやぐら

もん)。

高さ約12m、幅約14m。

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山手門(やまのてもん)。

山手門は城門として、山手渡櫓門は武器庫としての役割を果たしていたといわれて

いるとのこと。

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跨線橋(舞鶴橋)を渡る。

跨線橋の金網越しの左横には蔵造りの町並み 「甲州夢小路」が。

古民家を移築したり、蔵や倉庫、石畳など昔ながらの建築様式を取り入れ、明治・大正・

昭和初期の甲府城下町を再現。遠くからでも見える茶色の塔は、明治初期まで200年

以上にわたって住民に時刻を知らせていたといわれる「時の鐘」。

見学は時間の関係上次回とした。 

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線路の向こうには甲府城内稲荷櫓。

甲府城の建物は現存しておらず、この稲荷櫓が現在のいわば甲府城の顔。

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甲府城は別名、舞鶴城(まいづるじょう)。

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舞鶴城公園案内図。

甲斐国では戦国期から甲府が政治的中心地となり、躑躅ヶ崎館(武田氏居館)を中心と

する武田城下町が造成されたが、武田氏滅亡後に甲斐を領した徳川氏や豊臣系大名が

甲斐を支配し、この甲府城を築城したのだ。

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内松陰門。

屋形曲輪と二の丸をつなぐ門。 

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石積みの階段を上がる。 

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正面には天守台跡が。 

天守台だけが造られているにもかかわらず、実際に天守が建てられなかったとのこと。

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謝恩碑(塔)

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富士山の頂上が。 

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天守台から稲荷櫓を望む。

この日は月曜日で休館日であった。 

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甲斐駒ヶ岳も見えた。 

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稲荷曲輪門。 

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見事な石垣が残されていた。 

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武徳殿。

1933(昭和8)年築。甲府城二の丸に設置された施設。  

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鉄門。

2013(平成25)年復元。鉄門は「くろがねもん」と読み、本丸の南西、本丸と天守曲輪

(てんしゅくるわ)のさかいめにあった櫓門。 

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鍛冶曲輪門から外に出る。 

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甲府駅南口。 

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甲府駅に佇む武田信玄公。

1969年、信玄の命日でもある4月12日に建てられたもので、銅像の高さは3.1m

重さは5tであるとのこと。

武田神社は駅の反対側の北口方面にあるが、何故か信玄公は南口に鎮座。

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Last updated  2017.09.21 19:14:43コメント(0) | コメントを書く


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