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徒歩で甲府駅に戻る。予約した特急列車の時間まで1時間弱あったので
急いで甲府城趾へ向かう。
北口広場に移設され公開されている藤村記念館。
1875年(明治8年)に当時山梨県令(現在でいう県知事)であった藤村紫朗の指示により
睦沢村亀沢(現在の甲斐市亀沢)に建てられ、睦沢学校(むつざわがっこう)として開校。
「旧睦沢学校校舎」の名称で1967年(昭和42年)に国の重要文化財に指定された。
線路の渡線橋手前にあり、甲府城の北の出入り口の山手渡櫓門(やまのてわたりやぐら
もん)。
高さ約12m、幅約14m。
山手門(やまのてもん)。
山手門は城門として、山手渡櫓門は武器庫としての役割を果たしていたといわれて
いるとのこと。
跨線橋(舞鶴橋)を渡る。
跨線橋の金網越しの左横には蔵造りの町並み 「甲州夢小路」が。
古民家を移築したり、蔵や倉庫、石畳など昔ながらの建築様式を取り入れ、明治・大正・
昭和初期の甲府城下町を再現。遠くからでも見える茶色の塔は、明治初期まで200年
以上にわたって住民に時刻を知らせていたといわれる「時の鐘」。
見学は時間の関係上次回とした。
線路の向こうには甲府城内稲荷櫓。
甲府城の建物は現存しておらず、この稲荷櫓が現在のいわば甲府城の顔。
舞鶴城公園案内図。
甲斐国では戦国期から甲府が政治的中心地となり、躑躅ヶ崎館(武田氏居館)を中心と
する武田城下町が造成されたが、武田氏滅亡後に甲斐を領した徳川氏や豊臣系大名が
甲斐を支配し、この甲府城を築城したのだ。
内松陰門。
屋形曲輪と二の丸をつなぐ門。
石積みの階段を上がる。
正面には天守台跡が。
天守台だけが造られているにもかかわらず、実際に天守が建てられなかったとのこと。
富士山の頂上が。
天守台から稲荷櫓を望む。
この日は月曜日で休館日であった。
甲斐駒ヶ岳も見えた。
稲荷曲輪門。
見事な石垣が残されていた。
武徳殿。
1933(昭和8)年築。甲府城二の丸に設置された施設。
鉄門。
2013(平成25)年復元。鉄門は「くろがねもん」と読み、本丸の南西、本丸と天守曲輪
(てんしゅくるわ)のさかいめにあった櫓門。
鍛冶曲輪門から外に出る。
甲府駅南口。
甲府駅に佇む武田信玄公。
1969年、信玄の命日でもある4月12日に建てられたもので、銅像の高さは3.1m
重さは5tであるとのこと。
武田神社は駅の反対側の北口方面にあるが、何故か信玄公は南口に鎮座。
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