JINさんの陽蜂農遠日記

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2016.05.15
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カテゴリ: 海外旅行

バスを降り歩き出すと、左手にいきなり。

写真の建物に残された無数の銃弾の跡には言葉を失ってしまった。

紛争が収まった後,多くの建物は修復されたが一部は資金面で,

また一部は負の遺産として残されているのだと。

この後も、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争の跡が色濃く残るモスタルの

旧市街を歩いたのであった。(所々に砲弾を受けた壁のボツボツの跡が) 

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聖ペーター教会の鐘楼。

紛争により破壊され、2000年に再建。

高さは100m以上もあって、モスタルで一番高い建物。 

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モスタルの市街案内図。

ネトレヴァ川に沿って開けた街。 

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ネレトヴァ川に通じる小川(Radobolja川)もこの日は水量豊か。 

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バザール。

旧市街のスタリ・モストに続く道の両側はバザールとなっていて、各種土産品が

道の両側からせり出して来ていた。

しかしここでは、日本語での例のしつこい売り込みはなし。 

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バザールを更に進み振り返ると聖ペーター教会の鐘楼が遠くに。 

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スタリモスト橋上からネレトヴァ川下流側を見る。 

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スタリモスト橋上からネレトヴァ川上流側を見る。 

中央には1618年に建てられたイスラム寺院 コスキ メフメット パシナ ジャーミャ. ジャーミー 

(Koski Mehmed-pašina džamija )。

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スタリモスト橋を渡り左折して進む。 

それぞれの家屋の屋根は平たい石を瓦の如くに敷いていた。

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クロアチア系住民とムスリム系住民が街を流れるネレトヴァ川を挟んで対峙し、

川にかかったこの橋がクロアチア系武装勢力によって破壊されたことで知られる。

内戦で橋が破壊されたが、川から橋の大理石を拾い上げ、パズルのように

再度組み合わせて再建したのだと。

ボスニア紛争はムスリムとクロアチア人の対立を象徴する戦場がモスタルであったと。

モスタルでは、この小さな橋をはさんでカトリック(クロアチア人)とイスラム(ボスニア人)に

分かれて、三年間も撃ち合いが続いたのだ。

また、モスタルにはセルビア人(正教会信徒)も住んでおり、その割合はモスタル全人口のおよそ

20%弱にも上った。彼らはいわゆる「民族浄化」の被害を受け、そのほとんどがこの町を去ったと。 

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まずは昼食にこのレストランに。 

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ボスニア・ヘルツェゴビナが本場のCevapcici(チェバプチチ)。 

皮なしのソーセージあるいは、葉巻型のハンバーグといった感じの“チェバプチチ”。

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店の近くからのスタリモスト橋、そしてその奥に急峻な石灰岩の岩山がそそりたつ。 

モスタルの地名は木製の橋を守る「橋の番人」を意味するモスタリ(mostari)から

来ているとされているのだと。

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橋の上の観光客は絶えることはなかった。 

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トルコ・イスタンブールで見かけた色彩豊かなランプが土産品として売られていた。 

オスマントルコの支配が長く、街の雰囲気も売っているものもトルコそのまま。

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何故かマトリョーシカが土産物に。

そしてトルコ風銅製?水差しも。

イスラム寺院モスクで、礼拝の前に手足を清めるための水を入れる首の長い水差し。

さらに、この日の私のリュックにも付けてある、いくつものガラスの小さなナザールボンジュウ

(トルコの有名なお守り)をシルバーのチェーンでつないでいだものも多くの土産物屋で

売られていた。

ここモスタルにははトルコっぽい土産ばかりがいたるところで。

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橋の奥の小高い山の頂上には十字架が建っているのが見えた。

この山の上からもこの橋に向けて砲撃が行われたのだと。

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スタリモスト橋は中心部が湾曲した橋で、全幅4m、全長30m 、川面からの高さは24m。  

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橋の上は凸凹があり、石も滑りやすそうだったので慎重に。

いや滑りやすいので凹凸を?

更にここモスタルの観光ルートの石畳は丸い石を敷き詰めてあるため、

でこぼこで歩きにくかったのであった。

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この橋には、それを守る要塞化された塔が二つ備えられており、北東にあるのが

ヘレビヤ塔 (Helebija) 、南西がこのタラ塔 (Tara) 。

この二つは「モスタリ」 (mostari) と呼ばれるが、その意味は「橋の護衛者たち」。 

1992年-1998年の国章?が掲げられていた。

金枠青地の盾に銀(白)のベンド(斜め帯)に6つの金(黄)の百合(フルール・ド・リス)を描いたもの。

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スタリモスト橋の1本南側にある“Stari Pazar”という橋も下部はアーチ構造。

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橋を渡りネレトヴァ川原におりスタリモスト橋を見上げる。

この帰りに踏み石から滑り左足首を捻ったのであったが、翌日はやや痛みが

あったが、持ってきたバンテリン液を塗りそのうちに痛みもなくなったのであった。 

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町の若者たちにとっては、橋からネレトヴァ川に飛び込むのが伝統になっていると。

しかし、川は非常に冷たく、かなり危険な芸当。

この慣例は橋の建造当初からあったらしいが、記録によって裏付けられるのは、

1664年以降のことであるとのこと。

1968年には公式な飛び込み大会が開催され、以降毎年夏に行われているのだと。

さらに最近では観光客からお金を貰って飛び込む若者も出ているのだと。

この日も手摺りを乗り越えた男が・・・、しかし飛び込むことはなかったのであった。

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石橋クリヴァツプリヤ(Kriva Cuprija)。

ネレトヴァ川に西側から流れこむRadobolja川に架かっていた石橋。

スタリモスト橋に非常によく似ており,小型ながら殆ど相似形。

スタリモスト橋建設に先駆けてプロトタイプとして建設されたと云う説があるのだと。

しかし建設年は1566年というからスタリモスト橋と同じ年。

工法を含めて少しだけ先行させるパイロットプラントいやパイロットブリッジか?

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小川の両側にはこれも歴史を感じられた石積みの家屋。 

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この日のモスタル現地ガイドのナイスガイが見送ってくれた。 

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屋根の修復を行っている大工さん。

隣の家の壁(左下隅)には多くの弾痕が。 

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Last updated  2019.11.01 21:46:22 コメントを書く


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