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先日、入社同期、そして先輩・旅友のSさん、Oさんと箱根の仙石原にある
卒業した会社の健康保険組合が運営する保養所に行ってきました。
我が家から車で茅ヶ崎のSさん宅へ、そしてSさんの愛車で二宮のOさん宅へ。
そして西湘バイパスで小田原方面へ。
昼食は国府津駅近くの1号線沿いの老舗「のんき亭」で昼食。
私は「天プラ定食」 を注文。
大きなどんぶりに入った豚汁はかなりの具沢山。
じゃがいも、にんじん、豚肉はもちろん、かなり煮込まれており、
白味噌との相性もよく美味であった。
そして更に西湘バイパスを小田原方面に。
箱根口ICから一夜城歴史公園に向かう。
一夜城はここ数年行ってみたいと思っていた城跡。
しかし何故か日本百名城には入っていない城なのである。
早川を渡る。
そしてひたすら急カーブの坂道を 上って行くと石垣山一夜城歴史公園の駐車場に到着。
クラブツーリズムのツアーバスが駐まっていた。
国指定史蹟 石垣山一夜城東登口より城址散策に向かう。
標高257m、小田原城本丸から僅か3kmの位置にある石垣山は、本来「笠懸山」と
呼ばれていたが、天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏を水陸15万の大群を率いて
包囲し、その本陣として総石垣の城を築いたことから「石垣山」と呼ばれるようになったのです。
石垣山一夜城歴史公園案内図。
この城が、世に石垣山一夜城または太閤一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、
山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ、
一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城中の将兵が驚き
士気を失ったためと言われているのだ。
秀吉は、この城に淀君ら側室や千利休、能役者を呼び茶会を開いたり、天皇の勅使を迎えたと。
城道(東口)石段を登ったところの大手口。
度重なる大地震で石垣がずれ落ちたままで通路を塞いでいた。
説明板の手前を右に行き二の丸へと向かう。
更に進むと左側に石垣が現れた。
この城は関東で最初に造られた総石垣の城で、石積みは近江の穴太衆による
野面積みといい、長期戦に備えた本格的な総構えであったといわれ、度重なる大地震にも耐え、
今日まで当時の面影が大変よく残されているのであった。
二の丸に向かって更に石垣に沿った坂道を登る。
石垣山の石垣が「危険」と。
石垣の石に自分の体を預けているが如き老木。
石垣の縁の点でそれぞれの石が支えられ、震災後の熊本城の
飯田丸五階櫓(いいだまるごかいやぐら)の如し。
平坦な場所に出て更に進むと、二の丸の北側には「櫓台跡」の石碑が建っていた。
現在は天守台同様に小さな土壇となっているが、関東大震災までは
立派な石垣が残っていたと。
そして「二の丸跡」。
約90mx70m一番広い面積を持つ場所は広大な芝生公園となっていた。
以前はここに巨大な御殿などが建っていたのだろう。
「これより本丸登口」と表示された場所から高台に更に向かう。
多くの石垣が崩れていたが、それでもなんとなく雰囲気が感じられるのであった。
当時は両側が立派な石垣に囲まれた立派な入口であったのであろう。
そして本丸跡に到着。
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