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この日は藤沢市遠藤にある宝泉寺を訪ねる。
その前に、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)内にある浅間神社に立ち寄る。
農道沿いにある脇門から大学キャンパス内に入る。
浅間神社の境内はこじんまりとした雰囲気。正面には社、右手に『浅間神社』と
刻まれた石碑が。
浅間神社の誕生については、文書に「明治三十年其ノ氏子トナル」との記述があり、
明治三十年頃に遠藤地域で富士浅間神社への信仰が深まり、およそ100年以上前から
浅間神社が始まったと。
平成二年四月にSFCが開設された際、浅間神社がSFCに近かったものの、
移設する事無く現在地に残ったと。慶応義塾もこの際協力し、社殿を改修したとのこと。
そして10分弱走り宝泉寺(ほうせんじ)前に到着。
宝泉寺は、福井県の永平寺と横浜市の總持寺を両大本山にあおぐ曹洞宗の寺院(禅寺)。
山号は「玉雄山」。「萩の寺」としても知られている。
修行僧に食事、坐禅などの時刻を伝える雲板は市の指定重要文化財となっている。
また、境内の森は「ふるさとの森」として藤沢市指定をうけているとのこと。
明治末から大正初期にかけて、ここ宝泉寺の近くにあった馬場で毎年3月10日に
草競馬が行われたと。その馬場はその距離の短さから「鉄砲馬場」と呼ばれていたと。
コースが周回でなく、鉄砲と同じで「行ったきり」だから。
また、鉄砲の弾が真っ直ぐ飛ぶことから「鉄砲」には真っ直ぐという意味もあると。
出場するほとんどの馬は、農耕馬や荷馬だったが、近隣から多くの見物客が集まり、
多くの露天商が集まるほど賑わっていた。賑わいの中から多くの男女が結ばれたことから
「見合競馬」とも呼ばれたと。
『寶泉寺縁起』によれば宝泉寺は、福井県の永平寺と横浜市の總持寺を両大本山にあおぐ
曹洞宗の禅寺。永正16年(1519年)、相模国高座郡小出村字遠藤(現・藤沢市遠藤)に、
開山を如幻宗悟、開基を後北条氏の家臣である仙波土佐守として開創された。
開創当時の宝泉寺は境内も広大で、17棟の建物からなる大寺院だったが、
1923年(大正12年)の関東大震災ですべての建物が倒壊してしまった。
しかし、第二十八世住職龍紋大和尚は檀信徒の御力添えを得て、1926年(昭和元年)、
本堂を向山に再建したと。
寺に保存されている釈迦涅槃図や修行僧に食事、坐禅などの時刻を伝える雲板は
市の指定重要文化財となっている。
何故か西国霊場観音と刻まれた石碑。
西国33ヶ所の観音が納められている観音堂が境内にあるから?
宝泉寺境内略図。
宝泉寺の山門。
この山門は2005年4月の再建で左右に仁王様が堂々と。
山門の扁額には、山号の『玉雄山』。
紋は五山の桐、本山の総持寺の寺紋が五七桐紋であることからであろうか?
山門手前左手には六地蔵が。
『不許薫酒入山門』=「薫酒山門に入るを許さず」の石碑が右手に。
酒は修行を妨げる元となるので、寺域にはふさわしくないという宣言。
薫と呼ばれる臭いが強い野菜には古来、五薫があり、韮(にら)・大蒜(にんにく)・
辣韮(らっきょう)・葱(ねぎ)・浅葱(あさつき)を指すのだと。
開口の阿形(あぎょう)像。
上半身裸形で、筋骨隆々とし、阿形像は怒りの表情を顕わにしていた。
口を結んだ吽形(うんぎょう)像。
吽形像は怒りを内に秘めた表情。
山門左手の寶泉大仏像(釈迦牟尼大仏)。
寶泉大仏像は、高さ10m、重さ8トン、青銅製で、原型は洛陽(河南省)の龍門石窟の
奉先寺石窟の本尊釈迦牟尼大仏で、中国上海交通大学及び中国芸術院等の
古代芸術研究グループにより中国で制作され、平成8年6月に開眼供養されたと。
日本の大仏は通常右手に梵字の幸福を表し、左手は人々を救うと云う意味で手の平を
上に向けているが、寶泉大仏の左手は邪悪なものはおさえると云う意味で手の平を
下に向けているところが違うのだと。
水子・子育地蔵菩薩像。
左手で赤子を抱え、足下にも二人が。
粗末な木小屋に鄙びたお顔の木彫りの等身大のお地蔵様が。
赤い布の帽子を被り、赤い羽織を纏い同じく赤いよだれかけの我が子を
左手に抱きしめ、右手には錫杖を持って立っている姿。
一木造りであろうか、木目が浮き出、所々に割れも入っていたが素朴そのもの。
赤い建物は閻魔大念珠堂。
閻魔堂の前で合掌し赤い珠を持ちゆっくり下に引くと珠が落ちて滑らかな音を響かせ
自分の前に赤珠が来るまで回すと閻魔様が願主を常に見守って不善業から守って頂けると。
金毘羅大念珠堂。
金毘羅堂には大念珠があり、それぞれに54個の念珠があり、両方を回すことで、
108の煩悩を払ってくれると。私も一生懸命回しました。
八角形の観音堂。
観音堂は、寛延2年(1749)に旧境内に堂を構えたが、大正12年の関東大震災で倒壊し、
平成6年に再建。観音堂に祀られている「三十三観音像」は、第十九世泰山和尚
が西国霊場巡礼を果たせなかった母親の願いを成就させるために祀ったもので、
「遠藤観音」と呼ばれ深く信仰されているのだと。
【つづく】
江の島灯籠 2024へ(その7) 2024.08.30
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江の島灯籠 2024へ(その3) 2024.08.26