JINさんの陽蜂農遠日記

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2016.10.16
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カテゴリ: 藤沢歴史散歩
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次に同じく遠藤にある御獄神社(みたけじんじゃ)を訪ねる。

御獄大神(みたけおおかみ)とも呼ばれているようだ。

道路に面した脇門より入る。

遠藤の地名の由来は1177年頃~1180年頃(治承年間)に遠藤盛遠(文覚の俗名)の

采地(領地)であったことから。

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御獄神社 由緒書。

創建年代は不明とのこと。

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鐘楼。 

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脇門左側に石碑が2本。

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関東大震災記念碑。 

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遠藤地区上水道記念碑。  

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白山神社。 

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御獄神社の縁起碑。 

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こちらが御獄神社の正式参道。 遠くに石の鳥居が見えた。

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階段を上がった場所から社殿を見る。 

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社殿は西向きに建てられており、階段上部から富士山が見えるとのことであったが・・・・・。 

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狛犬の阿形 。 

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社殿。

御祭神は日本武尊、大己貴命、少彦名命、素盞嗚命、菊理媛命、倉稲魂命、木花咲耶姫命 。

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社殿の

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社殿の左側の木鼻の獅子の彫り物も見事。

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社殿と本殿。 

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社務所、神楽殿。

境内社。

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脇門の階段を上がった右手に、見慣れた藤沢市教育委員会の庚申塔の案内板。
県指定重要文化財(有形民俗文化財) 平成十八年(2006)二月十四日指定
   御嶽大神の庚申塔
市指定重要文化財(有形民俗文化財) 昭和五十二年(1977)四月十三日指定
   万治二年庚申供養塔
二列の石造物の後列三基の中央の塔には、青面金剛像と猿二匹が彫られています。青面金剛像
はふつうは六臂ですが、左の上手に三股叉・下手に棒、右の上手に輪宝・下手に羂策(縄)を持
つ四臂の珍しいもので、明暦二年(1656)や高座郡大庭庄遠藤村などの銘があります。同時期の
同系統の石工による四臂の庚申塔が茅ヶ崎市八幡大神・金山神社・神明宮、寒川町下大曲神社、
平塚市長楽寺・正福寺にあり、いずれも神奈川県指定重要文化財とされています。

後列の左の塔は、万治二年(1659)銘のもので、三猿像の上に「奉供養南無山王大権現」と刻ま
れています。山王は、近江の日吉神社(滋賀県大津市日吉神社)が祀る比叡山に鎮まる神を指し、
江戸時代初期の庚申供養塔に多く見られる形態です。

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その下には複数の青面金剛(しょうめんこんごう)庚申塔が並んでいた。

道教の教えでは、人間の体内には三つの霊が宿っているのだと。

魂(コン)、魄(ハク)、三尸(さんし)である。

人が死ぬと、魂(コン)は天に昇り、魄(ハク)は地下に入る。

問題は、残りの三尸(さんし)と言う虫が悪さをするのだと。

三尸は宿主が死んだ後は自由に遊び回れる存在なのだ。

祭りなどにも行けるから、早く宿主が死ぬのを待ち望んでいるのだと。

そして、具合の悪いことに、旧暦で60日に一回巡ってくる庚申(かのえさる)の日に

三尸は宿主の体内を抜け出せる。天に昇って天帝に宿主の日頃の行状を報告する役目も

負っていて、その報告によっては寿命を短くされるのだと。

翌朝に目を覚ます前には戻っていると。

庚申の日になる前日から集団で徹夜すれば三尸は体内から出られない。

この集会を3年18回続けた記念に建立したのが庚申塔(正式には庚申待ち供養塔)。

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まずは、右側で横を向いている青面金剛庚申塔。

ちょうど年号の部分が欠けていて、建立年は不明。

しかし、合掌六臂で持ち物もはっきりしていて、

三猿に鶏、日月とフルセットな典型的なもの。

病魔・病鬼を払い除くといわれる青面(しょうめん)金剛像、

謹慎の態度を表すという三猿(見ざる・聞かざる・言わざる)が台座に彫ってあり、

邪鬼を踏みつぶしているのだと。

六臂とは六本の腕を持っていること。 

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市指定重要文化財の明暦2年(1656年)建立の青面金剛庚申塔。

折れているのが痛々しいが、青面金剛の左右に控えているのは猿。

そして、この青面金剛は四臂。

青面金剛の変移について、関連のありそうな庚申塔。

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その右手の青面金剛は三頭身、六臂。

基部には、三猿もいるが、青面金剛の両脇も猿。

普通ならば、ここには鶏のはず。

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もう一基の文化財指定は、文字庚申塔であるが、文字の部分はほとんど解読不可。

案内文によると万治2年(1659年)の建立。

先ほどの四臂の青面金剛庚申塔の3年前の建立。

三猿揃っていたが、かなり大柄でずんぐりした印象。 

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次に遠藤という村名の名付け親の遠藤武者盛遠(えんどうむしゃもりとほ )供養碑に向かう。

途中説明板はすぐに見つかったが肝心の供養碑が見つからなかった。

遠藤武者盛遠(文覚上人)供養碑には  

「遠藤村の皇国地誌に〔往昔より本郡に属す。起源詳ならず口碑は治承年間(1177ー1180)、

遠藤武者盛遠の釆地(領地)なりしを以て村名とし後に大庭庄遠藤村と号す・・」とある。

盛遠は誤って摂津渡辺党の源渡の妻 袈裟御前を殺してしまい、出家して文覚と称した。

現在の碑は明治十年の県の調査後、発掘した五輪塔と共に内田重左衛門が再建したものという。

遠藤まちつくり推進協議会」と。

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あちこち探している中、近くを通りかかた地元の叔父さんに尋ねると、

民家の庭の中にあるのだとわざわざ案内してくださったのだ。

外にいたこの家の方の許可をいただいて庭に入ると右手に小さな祠が。 

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この祠は昭和52年に再建立したらしい。

願主の名も。

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昔、近くの北原の畑の中に、小高い塚が有り(高さ90cm周囲約11m)、その上に五輪塔が

建てられていたと。言い伝えによれば旧領主であった遠藤武者盛遠の招魂墓であったと。

現在の碑は明治12年に内田一次氏により再建され、庭のこの祠に納められているのだと。 

左側にはその五輪塔が。

招魂墓とは実際の墓ではなく、道教では死者の霊魂の離散防止のために

作られた墓とのこと。

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遠藤武者盛遠(文覚上人)供養碑をあとにし、車を進めると左手に

日吉神社が。比較的新しい神社であった。

4年前の改修工事では江戸後期の文政年間の木札が発見されたとのこと。

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Last updated  2021.11.08 06:47:55
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