JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.02.07
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カテゴリ: 海外旅行
今年も、いつもの旅友Sさんとポルトガル旅行に行く予定を立てています。
参加ツアーは阪急交通社(TRAPICS)の
【ブリティッシュエアウェイズ航空利用<北スペインの聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラ
観光付!決定版ポルトガル8日間】



当初に申し込んでいたツアーは、催行が危ういと判断し、既に催行が決定していたツアーに
急遽変更しました。やはり最初に申し込んだツアーは催行中止になったようです。
今回は、昨年ウズベキスタン旅行でご一緒し、お世話になったKさん姉妹も参加されるとの
ことで賑やかな楽しい旅になりそうです。



最終旅行日程表も送られて来ました。

札幌出発、仙台出発の方も成田まで来て合流されるとのこと。



予習用にブックオフで購入しました。
地球の歩き方はやや古いですが。



スペインには10年以上前の2008年6月に行きましたがポルトガルは今回が初めてとなります。
ポルトガル共和国・通称ポルトガルは、南ヨーロッパのイベリア半島に位置する共和制国家。
北と東にスペインと国境を接し、国境線の総延長は 1,214km に及ぶ。西と南は大西洋に面す。
ヨーロッパ大陸部以外にも、大西洋上にアソーレス諸島とマデイラ諸島を領有している。
首都はリスボン。
ポルトガルはユーラシア大陸最西端の国家。
ヨーロッパで最初に海路で中国や日本など東アジアとの接触を持った国なのです。




ポルトガルの国旗は旗竿側5分の2に緑、旗尾側5分の3に赤の縦二色に
盾など国章の主要部分を配した旗。
一説に、緑は希望を、赤は共和国成立の革命を表すとされる。
また、緑は希望と誠実さを表すとともに勇敢なるアヴィス騎士団
(ポルトガルアヴィス朝建国に関わる)のシンボルカラーであり、赤は大航海時代、

犠牲の血を表している、とする説もある。
金色(黄色)の球状の物体は、大航海時代の航海用具・天測儀である。
ポルトガルの先人による測量術発展と、それによる新規航路の発見を表し、
つまりはポルトガル海上帝国の輝かしい歴史を表していると。
盾の中の七つの黄色い城はルコンキシュタ(レコンキスタ、国土回復運動)の終わりに
アフォンソ3世がベルベル人(ムーア人)から奪い返した城砦を、五つの青い盾は
オーリッケの戦い(1139年)をめぐる初代ポルトガル王アフォンソ1世の伝説にある敵
の五人の王を、青い盾の中にある五つの白い円はキリストの五つの聖痕を表すとされている。



14世紀に入りポルトガルは積極的に海上交易に進出し,1385年ジョアン1世 (名王) は
海商ブルジョアジーの支持を得てカスティリアから独立を守り,アビス朝を開いた。
その子エンリケ (航海王子) は西アフリカ探検を推進して大航海時代を準備した。
バスコ・ダ・ガマは海路インドに達して,海上の香料交易ルートを確立し,ポルトガルは
黄金時代を迎えた。しかし,その繁栄は長く続かず,16世紀後半には没落の道をたどりはじめ,
1580年ポルトガルはスペインに併合された。
1640年ジョアン4世 (再興王)は,スペインの勢力衰退に乗じて独立を回復し,ブラガンサ朝を開いた。
以後,植民地ブラジルの砂糖産業,金鉱開発に努めたが,経済的,軍事的に対イギリス従属を
強めていった。 18世紀後半ポンバル侯の改革によってポルトガル経済は若干立直りをみせたが,
1807年ナポレオン軍の侵入を受けて王室はブラジルに亡命し,国土は半島戦争により荒廃した。
20年自由主義革命の勃発によりジョアン6世 (温厚王)は立憲王政を承認し,22年植民地ブラジルは
独立した。彼の死後王位継承をめぐって国内はマリア2世を支持する自由主義派とドン・ミゲルを
擁護する保守反動派に分れ,19世紀前半内乱が続いた。
51年サルダニャ公の内乱平定によりポルトガルは革新党,進歩党の二大政党による安定期を迎え,
産業革命が進行した。
19世紀末には共和主義が台頭し,王政の財政危機,政局不安定から 1910年 10月共和国が樹立した
のであった。
1410年から1999年までにポルトガルが領有したことのある領域(赤)、
ピンクは領有権を主張したことのある領域、水色は大航海時代に探索、交易、影響が
及んだ主な海域である。



そしてポルトガル語を話す国はどんな国?
ポルトガル語を母国語とする人口は、世界で約2億5000万人である。
そのうちポルトガルの人口は1000万人程度、約2億人のブラジルがポルトガル語を
公用語にしているため、話者人口が多い。
ポルトガル語の話者の80%以上がポルトガルではなくブラジル国内という珍しい言語である。
世界的にみると、7~8番目に大きな話者人口である。
現在ポルトガル語を公用語としているのは、以下の諸国と地域である。
ポルトガル、ブラジル、アンゴラ、モザンビーク、カーボ・ベルデ、ギニア・ビサウ、
サントメ・イ・ブリンシペ(他にマカオ、東チモール、インドのゴア等)の国である。



そして旅行で覚えて行きたいポルトガル語。

[ こんにちは! ]  [Olá] オラ

[ 元気ですか? ]  [Como está?] コモ(エ)スタ?

[ 元気? ] [Como estás?] コモ(エ)シタス?

[ 元気だよ、ありがとう ]  [Estou bem, obrigado/a] シュトウバイン、 オブリガード(男性)
                                  オブリガーダ(女性)

[ 元気です! ]     [Estou ó[p]timo/a] シュトウ オッティモ(男性)オッティマ(女性)

[ うまくいってる? 調子はどう? ] [Tudo bem?] トゥドバイン?トゥドベイン?

[ ハイ!順調 ]     [Tudo [bem] トゥド!(上の質問に対する答えかたです。)

[ まぁまぁだね ]  [Mais ou menos] マイゾメノシュ 
                     (手のひらを下に向けてヒラヒラさせて、まぁまぁ、という表現をする)

[ お会いできて嬉しいです。 ]        [Prazer] プラゼール

[ お会いできて光栄です! ] [Muito prazer] ムイントプラゼール! 

[ おはよう ]        [Bom dia] ボンディーア

[ こんにちは ]     [Boa tarde] ボアタールデ

[ こんばんは ]     [Boa noite] ボアノイト(ボアノイテ)

[ さようなら ]     [Adeus] アデウシュ

[ またね〜 ]        [Tchau/Chau] チャウ!

[ また後でね! ]  [Até logo] アテロゴ。

[ また明日ね ]     [Até amanhã] アテアマニャ

[ では また! ]  [Até já] アテジャ(テジャ)

[ 次回までね!次会う時まで ] [Até a próxima] アテアプロッシマ

[ ハイ ]   [Sim] シン スィン

[ いいえ ] [Não] ナウ ナォゥ

[ お願いします ]  [Se faz favor] ス ファスファボール

[ ありがとう ]     [Obrigado/a]     オブリガード 男性 / オブリガーダ 女性

[ 本当にありがとう。感謝します。 ]  [Muito obrigado/a] ムイントオブリガード 男性 /
                            ムイントオブリガーダ 女性



平均気温は東京より7℃ほど高く2~3月の首都リスボンの平均気温は12~15℃と。
ポルトガルは、南西から押し寄せる大西洋の暖流のおかげで、緯度から考えればとても
温暖な地なのです。首都リスボンは北緯38度でほぼ仙台と同じ緯度なのですが。
そして時差は日本より9時間マイナス。



今回のツアーでは成田空港からブリティッシュ・エアウェイズで
ロンドン・ヒースロー空港経由でポルトガルの首都リスボンに向かう。
イギリスはシェンゲン条約に加入していません。
シェンゲン条約とはヨーロッパの加入国を大きく1つの国としてみなすような条約なのです。
もしイギリスが加入していればロンドン・ヒースロー空港で入国し、
ロンドン→リスボンを国内線のような感覚で搭乗することになります。
しかしイギリスはシェンゲン条約に加入していないので、入国審査の必要はなく
入国審査はポルトガルのリスボンで受けることになるのです。
そして成田で預けた荷物もそのままリスボンまで。



そしてポルトガル・リスボンに到着し、深夜にリスボン市内のホテルに到着そして宿泊。
そして翌朝からの5日間で7つの世界遺産を含む、11の観光地を訪ねるのだ。
【世界遺産1】バターリャ観光
【世界遺産2】ポルト歴史地区
【世界遺産3】サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼の道(歓喜の丘) 
【世界遺産4】サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)
【世界遺産5】コインブラ大学
【世界遺産6】トマールのキリスト修道院
【世界遺産7】リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔



2日目の朝は8:30にホテルを出発し、バスにて北上しこの旅行での最初の観光場所
バターリャへ。
[約123KM、約2時間]着後、バターリャ観光(1時間)。
世界遺産の『バターリヤ修道院』を訪ねるのです。

『バターリヤ修道院』
バターリャ修道院は、ドミニコ修道会の修道院であり、ポルトガル・レイリア地方の都市である
バターリャにある。ポルトガルにおける後期ゴシック建築の傑作であり、マヌエル様式も
用いられている。バターリャ修道院は、切妻屋根、尖塔と小尖塔、控え壁によって
多くの人々を驚嘆させる。バターリャ修道院は、ポルトガルの独立を象徴する建築物であり、
1983 年、ユネスコの世界遺産に登録されたと。



観光後、更にバスにて北上しポルトへ。[約186KM、約2時間30分]。
ポルトは工業が盛んなポルトガル第二の都市。
【世界遺産2】ポルト歴史地区観光(3時間)
◎サンフランシスコ教会、◎ポートワイン工場(見学と試飲)、○ドン・ルイス1世橋(橋の上を
歩きます!)、○サン・ベント駅(ポルトガルの伝統的なタイル装飾「アズレージョ」を鑑賞。

『サンフランシスコ教会』。
ボルサ宮の隣り、ドウロ川沿岸に偉容を誇るバロック式教会。
1233年に第4代ポルトガル王サンチョ2世(Sancho Ⅱ,在位1223~1248年)により建てられ、
17~18世紀に改修が施された。
内部はターリャ・ドゥラーダと呼ばれる金泥を塗った木彫りの彫刻で装飾されている。
キリストの家系図「ジェッセの家系樹」も必見。

「ポルト サンフランシスコ教会」の画像検索結果

『ポートワイン工場(見学と試飲)』。
1790年に創設者ジョージ・サンデマンがポルトガルワインのセラーを購入したのが始まり。
ポートワインはドウロ地域の中心、シマ・コルゴ地域にあるキンタ・ド・セイショで
生産されたブドウを使用している。
“ドン"の愛称で知られる、学生マントとソンブレロ(騎士帽)のシルエットは1928年に登場した。

ドウロ川沿いにあるポルト ワイン工場のサンデマン見学。

『ドン・ルイス1世橋』。
ドン・ルイス1世橋はポルトガルのポルトにある道路・鉄道併用橋で、ドウロ川に架かっている。
世界遺産「ポルト歴史地区」に含まれ、2016年からは「ポルト歴史地区、ルイス1世橋および
セラ・ド・ピラール修道院」として、登録名にも明記された。
ポルトの中心部とヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア地区を結んでいる。



サン・ベント駅の『アズレージョ』。
駅構内に足を踏み入れると、壁一面にアズレージョの世界が広がります。
アズレージョとは、ポルトガル伝統の装飾タイルのこと。
サン・ベント駅構内のアズレージョは、ポルトガルを代表するアズレージョ画家、
ジョルジュ・コラコによって1930年に制作されたものです。
ジョアン1世のポルト入城やセウタ攻略など、ポルトガルにおける歴史的な出来事が
描かれています。



そして2日目はポルトに宿泊。
3日目は8:30はホテル発。
国境を超えスペインにあるサンティアゴ・デ・コンポステーラへ。[約230KM、約3時間]
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は、キリスト教の聖地であるガリシア州の
サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路・フランス人の道 (Camino Francés)。
おもにフランス各地からピレネー山脈を経由しスペイン北部を通る道を指すと。
フランス人の道 (Camino Francés)はフランスとスペインの国境にある
サン・ジャン・ピエ・ド・ポーの街からサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの
約780kmであり、サンティアゴ巡礼路のうちで最も多くの巡礼者が歩いている道。

サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の地図


パリ→サンティアゴ・デ・コンポステラは何と約1,700キロの巡礼路であると。

fin.jpg


【世界遺産3】サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼の道にある○歓喜の丘へ。
『歓喜の丘』。
千年以上も前から、巡礼者たちはヨーロッパ西の果てにある
「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」を目指して歩き続けました。
なぜイベリア半島の端にある「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」が、
エルサレムやローマに並ぶ『キリスト教の三大聖地』の一つとされたのでしょうか?
それは、1世紀頃にエルサレムで殉教したキリスト十二使徒のひとり聖ヤコブ
(スペイン語名・サンティアゴ)の墓が、約800年の時を経て遠く離れたこの地で
発見されたからなのです。
聖ヤコブの遺骸を祀る聖堂が建てられたサンティアゴ・デ・コンポステーラは聖地となり、
祈りに向かう信者が各地から訪れました。
特に『聖遺物崇敬』が盛んだった中世、巡礼者の列は絶え間なく続いたと言われています。
サンティアゴ・デ・コンポステーラの街を見渡す近郊の丘まで辿り着いた者たちは、
巡礼の最終地点となる大聖堂の尖塔を眼下に望み、喜びの声を上げたと言われています。
後に「歓喜の丘」と名付けられたこの丘に立つと、巡礼者たちが聖なる地を初めて目にした
瞬間の喜びの想いが胸に伝わってきます。



キリスト教の聖地【世界遺産4】サンティアゴ・デ・コンポステーラ観光(2時間30分)
そして、聖地を目指し長旅を続けた巡礼者が憧れの大聖堂を訪ねるのだ。
『サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂』。
11世紀に建造が開始された「サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂」は、その荘厳さ
内部装飾の豪華さを含め、キリスト教三大聖地の一角に相応しい『壮大なモニュメント』。
巨大なカテドラルの内部には、「聖ヤコブの墓」の上に主祭壇が造られ、祈りを捧げる
礼拝者を厳かに迎えます。そして、金色に輝く彫刻装飾が施された祭壇の中央には、
これこそが巡礼の象徴に他ならない『聖ヤコブ像』が鎮座。



巡礼の終着点○オブラドイロ広場を訪ねる。

『オブラドイロ広場』。
オブラドイロ広場はガリシア州最大級の広場で、サンティアゴ デ コンポステーラの
重要なシンボル。
広場に面してそびえ立っているのは、11 世紀初頭に建築された
サンティアゴ デ コンポステーラ大聖堂。外観は美しいバロック様式ですが、
館内の 12 世紀に建造された栄光の門に施された彫刻はロマネスク芸術を代表する傑作。



そしてこの日はポルトまで[約230KM、約3時間]戻り前日のホテルに連泊。
そして4日目からは最終日までひたすらバスにてリスボンまで南下しながらの観光。



4日目は9:00にホテル発。
コインブラへ。[約116KM、約1時間30分]
ポルトガル最古の大学で有名なコインブラ観光(1時間30分)。
ヨーロッパ屈指の伝統を持つ【世界遺産5】○コインブラ大学、○カテドラルを訪ねる。

『コインブラ大学』。
13世紀に設立された世界最古の大学のひとつである。ポルトガル屈指の名門国立大学とされる。
大学が街の中心とみなされ、黒いマントを着たコインブラ大学の学生が行き交う。
約2万2千人が学んでいる。8つの学部が存在し、その学部ごとにシンボルカラーがある。
2018年のQS世界大学ランキングでは総合401位。



『コインブラ・カテドラル』。
コインブラの旧大聖堂は、ポルトガルのコインブラにある、同国で最も重要なロマネスク様式の
建築物の一つ。1139年のオーリッケの戦い後、ポルトゥカーレ伯アフォンソ・エンリケスが
初代ポルトガル王アフォンソ1世として即位し、首都と定めたコインブラに建設された大聖堂。



昼食後、トマールへ。[約69KM、約1時間15分]
着後、昔の面影が色濃く残るトマール市内観光(1時間)
ポルトガル最大の修道院【世界遺産6】◎キリスト修道院を訪ねる。

『トマール・キリスト修道院』。


融合した建築物で、1160年にテンプル騎士団によって建設が開始されました。
建設当初は勃興したばかりのポルトガル王国の対ムーア人への防波堤の役割を果たしていました。
14世紀にテンプル騎士団に対して解散命令が出た後は、その名をキリスト騎士団へと改編し、
その後もこの修道院を守り続けています。テンプル騎士団の教会らしくエルサレムにある
オマール・モスクをモデルとした円堂が有名です。
その他、墓の回廊と沐浴の回廊、サンタ・バルバラの回廊、ジョアン3世の回廊が見られます。



観光後、ナザレへ。
[約80KM、約1時間30分]でホテルに到着予定。

5日目は8:15にホテル出発。
ナザレのシティオ地区にて写真ストップ。

『ナザレのシティオ地区』。
ナザレと言えばここ,というほど有名な風景が,シティオ地区の展望台から臨めます。
映画のワンシーンでも有名な,美しく伸びた海岸線に,スペイン瓦の建物が並んだ風景は,
ポルトガルを訪れたら一度は是非見ておきたい美しさ。



その後、カルダス・ダ・ライーニャへ[約29KM、約30分]
着後、王妃の湯治場として有名なカルダス・ダ・ライーニャで○朝市を見学(30分)。

『カルダス・ダ・ライーニャの朝市』。
カルダス・ダ・ライーニャは、『王妃の温泉』または『王妃の鉱泉』という意味である。
市のみで人口25,316人。温泉と陶器産地として知られている。
街の中心にあるレプブリカ広場で開かれる朝市では、特産の陶器も売られている。
ポルタ・ダ・ヴィラと呼ばれる朝市はこの街の台所だ。近郊の村々から運ばれてきた野菜や果物を
中心に、チーズやナッツ、手づくりのお菓子なども売られている。
ここでおみやげを探すのもいいし、売り手と買い手のやりとりを見ているだけでも楽しい。



その後、谷間の真珠と言われるオビドスへ。[約7KM、約15分]
着後、城壁に囲まれた白い小さな町○オビドスで散策<

『オビドスの白き壁の街並み』。
13世紀、新婚旅行でこの地を訪れたポルトガルのディニス王とイサベル王妃。
美しい景色を気に入った王妃に、このオビドスをプレゼントしたのだと。
以来、革命によって王室が滅びるまで代々”王妃の村”として栄えるた。
城門をくぐると、白い壁の家と石畳でできた細い道。
迷路のような中世の美しい街並みは保存状態が良く観光地として人気。



各自昼食後、ロカ岬へ。[約132KM、約2時間]
ユーラシア大陸の最西端○ロカ岬観光(30分)。

『ロカ岬』。
ユーラシア大陸最西端の岬である。位置、北緯38度47分、西経9度30分。
西には大西洋が広がり、その遥か先にはポルトガル領のアゾレス諸島がある。



6日目は9:00にホテル出発。リスボン市内観光(1時間30分)
【世界遺産7】○ジェロニモス修道院、○ベレンの塔、○発見のモニュメント)
観光後、旧市街散策(1時間)(○ロシオ広場、○アウグスタ通り)

『ジェロニモス修道院』。
16世紀のポルトガルの栄光を今に伝える白亜の大寺院。
マニュエル1世(Manuel I/1469~1521年)が、ヴァスコ・ダ・ガマの海外遠征で得た
巨万の富を費して建てたもの。16世紀初頭の着工から300年以上の期間をかけて19世紀に完成した。
その完成度の高さからポルトガル建築の最高峰と讃えられる。1983年、世界遺産に登録された。



『ベレンの塔』。
16世紀初めに建てられたマヌエル様式の塔。白く優美な外観は、純白のドレスをまとった
貴婦人に喩えられる。テージョ川を監視し、リスボン港を守る要塞として建設されたもので、
長く厳しい航海から帰り着いた船乗りたちを迎え入れる故国ポルトガルのシンボル的存在だった。
1983年、世界遺産に登録された。



『発見のモニュメント』。
テージョ川岬に立つ一大モニュメント。ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路へ旅立った際の
船出の地として知られ、1960年にエンリケ航海王子の没後500年を記念して建てられた。
高さ52mの巨大モニュメントの先端には、ヴァスコ・ダ・ガマをはじめとする33人の偉人像を
従えて王子の像が立つ。



『サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台』。
グロリア線ケーブルカー終点のすぐ右手、緑豊かな小さな公園のなかにある展望台。
赤レンガ屋根の連なりと青いテージョ川、遥か前方に佇むリスボンの象徴サン・ジョルジェ城が
一望できる。特に西日に輝く夕刻の眺めが美しい。休憩に最適なカフェもある。



昼食は、リスボンの台所○リベイラ市場にて各自で楽しむ。

『リベイラ市場』。
カイス・ド・ソドレ駅の前にある市民の台所、リベイラ市場内にオープンしたフードコート。
リスボンの有名店が軒を連ね、いろいろなものを少しずつ食べることができるから旅行者にも最適だ。




昼食後は【世界遺産】シントラ王宮観光とシントラの街散策のオプショナルツアーに
参加予定。

『シントラ王宮観光とシントラの街散策』。
1910年の共和制宣言まで王家の夏の離宮として使われていた。
13世紀に原型が築かれて以来趣向を凝らした改築が繰り返され、中でも16世紀に
マニュエル1世が増築した一画が圧巻。
中心部にあたる礼拝堂と「白鳥の間」は14世紀末に改築されたもの。



夜もオプショナルツアーに参加予定。
『ファドディナーショー』
ポルトガルといえば哀愁漂うファドは必見。
イタリアにカンツォーネ、フランスにシャンソン、アルゼンチンにタンゴ、ブラジルにサンバが
あるように、ポルトガルにはファドがある。主に「Casa de Fado」と呼ばれる。
ポルトガルの夜をいざなうファドショーとディナーを楽しめる。



そして7日目は5時前の早朝にホテル発、空港へ。
〔07:15~07:20〕リスボン発

『リスボン空港』。
ウンベルト・デルガード空港は、ポルトガルの首都リスボンにある国際空港。
TAP ポルトガル航空及びポルトガリア航空の本拠地である。
正式名称は「リスボン空港」。
この空港は1942年10月15日に開業し、第二次大戦中、ドイツとイギリスの航空会社両方に
使用されていた。2007年8月1日にターミナル2が作られた。各ターミナル間は
無料のシャトルバスが運行されている。 2016年5月15日に反サラザール派の将軍であった
ウンベルト・デルガードに因んで、リスボン・ウンベルト・デルガード空港に改称した。



空路、ブリティッシュ・エアウェイズにてロンドン経由で帰国の途へ

『ヒースロー空港』。
イギリスの首都ロンドンの西部にある最大規模の空港で、国際線利用者数では2013年まで
世界一の空港だった。所有・運営は、民間会社のイギリス空港会社 (BAA) である。
空港コードはLHR (IATA) /EGLL (ICAO) 。
ブリティッシュ・エアウェイズ、ヴァージン・アトランティック航空のハブ空港になっている。
滑走路は並行に2本あり、それぞれ3,902m、3,658mの長さを持ち、
パリのシャルル・ド・ゴール空港、フランクフルトのフランクフルト空港と並び、
ヨーロッパの大規模空港である。
旅客ターミナル4つと貨物ターミナル1つを持つ。
ロンドン市内などとのアクセスは比較的便利なものの、周辺を住宅地に囲まれていることから
騒音規制が厳しいことでも有名である。



パスポートも残有効期限を確認。



今回も、いつもと同様に下の写真の如く、トランクとリュックで準備を
始めています。



そして今回もいつもの様に、旅友のSさんが愛車で我が家まで迎えに来てくれる予定。
今回もやや忙しい旅になりそうですが、元気に楽しんで来たいと思っているのです。





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Last updated  2019.11.02 01:32:03
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