JINさんの陽蜂農遠日記

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2020.08.14
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36.歌川芳艶 東海道 吉原  文久3年(1863)

「吉原の左富士の名所を、行列が通り過ぎています。
将軍と思われる人物は、馬に乗り、従者が後方から赤い傘を差し掲げています。
行列の従者それぞれの表情が異なるように描かれている点もみどころです。」



37.歌川国綱 東海道 嶌田 文久3年(1863)

「島田宿と企谷宿の間を流れる大井川を、島田宿側から見た風景です。
しかありませんでした。大井川は川幅が広い上に川筋が一定していないため、
橋や川も渡せず、人足による徒歩渡し(かちわたし)で渡るしかありませんでした。
川の増水で川留めとなることも多く、そのため東海道ーの難所として知られていました。」



38.月岡芳年 東海道 舞阪 文久3年(1863)

「浜名湖と遠州灘がつながる今切の渡しを、行列を乗せた屋形つきの豪華な船が渡っています。
この船は御座船と呼ばれる貴人を乗せる船のことです。」



39.二代歌川広重 東海道 吉田 文久3年(1863)

「吉田城は、現在の豊橋にあたります。画面手前に豊川に架かる豊橋(吉田大橋)が
描かれています。豊橋は東海道の中でも屈指の大きな橋であり、橋と川と城郭を
同時に描くことができる景観に好まれ、他の東海道作品にも多く取り上げられています。
画面中景には吉田城が描かれています。」



40.ニ代歌川広重 東海道 赤坂 文久3年(1863)

「旅籠の前を通る行列と、旅籠の屋内から行列をながめる女性たちが描かれています。
大きな火鉢にあたる女性たちは、豪華な簪(かんざし)や着物を身に着け、華やかな印象です。
初代広重は「東海道五拾三次」の「赤坂」の場面において、宿の内部を俯瞰的に描いています。
本作の右端に見切れてみえる中庭のソテツと石燈籠は、初代広重による赤坂の場面にも
登場しており、まるで初代広重の画風を継承するような演出となっています。」



41.河鍋暁斎 東海道  岡崎 文久3年(1863)

「岡崎宿といえば、矢作橋の風景がよく知れらていまが、その矢作橋を雲で隠しあえて
描かずに、矢作川の舟渡しの場面です。川は波が立ち、行列が乗った豪華な舟の吹き流しや
幟が風を受け、動きのある描写がされています。
その先の光景には、徳川家康の出生地とされる岡崎城が配されています。」



42.歌川国綱 東海道 鳴海 文久3年(1863)

「画面手前に白馬に乗った将軍の後ろ姿が大きく描かれています。
鳴海宿は有松絞が名産として知られており、画中の店先にも色とりどりの有松絞が
かけられています。
店の看板には「正札付大安売」「現金掛値なし正札」の文字もみえます。
行列の先の後景には、金のシャチで有名な名古屋城が見え、上空には鶴が飛び交い、
おめでたい構図となっています。」



43.歌川芳形 東海道 桑名 文久3年(1863)

「将軍と思われる年若い人物が馬に乗りあがろうとしています。
画面を左に桑名城の石垣い見えることから、この画は宮宿ら桑名宿の聞に広がる
伊勢湾上をつなぐ海上路「七里の渡し」を渡り、桑名の渡し口に到着した場面を
描いたものと考えられます。」



44.歌川国周 東海道 水口 文久3年(1863)

「行列が水口宿に入ってきました。これから休憩でも取るのでしょうか。
従者の笠の紐を外すようなしぐさを見せ、茶店の女性は従者の荷物を受け取っています。
茶店の屋根には色とりどりのまねきが飾られています。」



45.歌川芳盛 東海道之内 京都参内 文久3年(1863)

「長い旅路を経て、行列が京に到着しました。
内裏の紫宸殿で、将軍が公家の正装である束帯姿を身に纏い、天皇に拝謁している場面が
描かれています。」



46.歌川国貞(三代豊国) 東海道 京都名所之内 四条河原 文久3年(1863)

「京の四条河原の川床で、将軍を迎える宴が催されているようです。
画面手前には華やかな装いの芸妓と禿の姿の少女が描かれています。」



46.「浦賀圍図」

「江戸時代末期の黒船来航により、江戸幕府は大きな緊張感に包まれ、その対応として、
三浦半島から房総半島にかけての海岸線の守りを固めました。この海防を絵図に記した
ものが「御固図」とよばれるもので、この絵図でも海岸線沿いに諸代大名などを割り当て、
強固な防御施設を配備している様子がわかります。江戸城に近い海上には砲台を備えた
「御台場」が築造され、絵図中には櫓や大砲、藩主の家紋の入た幟旗も見えます。」



47.伊豆相模武蔵安房上総下総太平鑑 嘉永7年(1854)

「泰平鑑という表題ですが、幕末の海岸防備を擢いた「御固図」の一つです。
この図の特徴としては、防備に当たる各藩の家紋や藩主の名前に加え目印となる
纏や簡易な印を背に入れた陣羽織なども一覧の形で表しています。
また、画面中央には、アメリカ国旗をはためかせた「蒸気船」が何艘も描かれ
その大きさについて長さ幅を詳細に記入しています。そして、そこから漕ぎ出した
小船(カッター船)を望遠鏡で覗いたように大きく表現しており、交渉にあたる幕府と
アメリカ使節団の互いの緊迫感が感じられます。」



48.海陸御固御場所附 江戸末期

「伊豆から房総に至る「御固場」を描いた瓦版です。
防備に当たる各藩の家紋や藩主等の名前が記されています。
左側にある「御台場」は他の2図よりもリアルに描力かれ、一番御台場・(武州川越藩)松平誠丸、
ニ番御台場・(奥州会津藩)松平肥後守、三番御台場・(武州忍藩)松平下総守と担当する
藩主の名が記されています。中央下には、小さく江の島が描かれています。
また、左側には各大名等の配置表(場所附)が添付されています。
こうした情報も、当時の庶民の関心事だったようです。」



防備に当たる各藩の家紋や藩主等の名前が記されています。



50.歌川貞秀 新版東海道五十三次名所双六 慶応元年(1865)

「負秀は、歌川国貞門下の中でも特異な存在で、師風を超え、鳥瞰的な視点から描く、
独自の画風を生み出しました。この作品は、その本領を発揮し、「御上洛東海道」を
鳥瞰的な構図で表した双六となっています。
最下部に、「振り出し」地点となる江戸が描かれ、右から左へ、蛇行するように上部へと
上がり、「上がり」の京を目指します。旗のあるところが行列の目印です。上洛の行列は
どこまで進んでいるのでしようか。
ぜひ細部までご覧ください。」



展示ブース。
正面に藤沢宿コーナー「藤沢宿と江の島の美人画」。



「おまけ展示」コーナー。



「鳥瞰図の世界へようこそ
鳥瞰図とは、ある一定の角度からの風景を見にろして描いた絵のことで、風景や地図によく
使われてきました。別名、「パノラマ図」とも呼はれます。
日本美術では、古くは安土桃山、江戸から幕末と継承してきた鳥瞰図表現が見られます。
こうした流れの中で、浮世絵においても同様の描法を用いた作品が多くみられ、企画展で
ご紹介した歌川貞秀(作品番号・34・50 )も、その系譜を辿ります。
初三郎は、日本美術史における鳥瞰図描法を最大限に活かした、「初三郎式鳥瞰図」を
編み出しました。手前に海や市街地の広がりを描き、奥に青や縁の山地を描く手法が特微です。
見晴らしの良さと、山海の美しさの両方を兼ね備え、鑑賞者を紙上の旅へといざないます。」



「先駆者 吉田初三郎
吉田初三郎( 1884 ~ 1955 )は、日本の烏瞰図の先駆者です。初三郎の手掛けた鳥瞰図は、
「初三郎式烏図」と呼ばれ、制作した鳥瞰図は16000点を超えるといわれています。
初三郎が活躍した大正から昭和にかけて、日本で旅行プームが起こりました。
島瞰図は、旅行案内図として、需要が高またのです。見た目が楽しくわかりやすい、
さらに、写真よりも自由に表現できたため、かってのメディアにとって、利用価値
の高い手段でした。そのため、初三郎を筆頭に、当時は鳥瞰図絵師が次々と誕生します。
初三郎は、工房体制で弟子らと協力をして多くの制作依頼をこなしてきました。
弟子の中には、初三郎の工房から独立し、活躍した者もいます。まさに、企業や実業家から
注文を受けて初作した、商業デザイナーの先駆けともいえる人物です。」



吉田初三郎 箱根名所図繪 大正8年(1919)

「初三郎の鳥瞰図の裏には、名所に関する説明書きが書かれています。
「凡そ日本に著名な山水郷や温泉場の多い中に、箱根ほど交通機関の利用されて
ゐる所は少い。」
箱根は日本各地の温泉地の中でも人気がありました。当時は珍しかた登山電車が走り、
眺望が楽しめる自動車道路も整備されました。
更に、馬車、人力車、駕籠なども利用でき、山間部を気軽に移動できる温泉地として、
人気を博しました。」



相模湾を箱根方向から見た景色。



吉田初三郎 富士山名所図繪

富士山を中心に置さ、手前に箱根、奥には日光から八ヶ岳、日本アルプスと、富士山を
取り囲むように関東近辺の山々が描かれています。
遠くにそびえる山々の色彩は、距離感を山すために、薄水色や薄紫色で表現されています。
初三郎は富士山を好み、鳥瞰図を描く場合、とんなに富士山から遠い地域ても、必ずといって
よいほど、富士山を描き込んでいたようです。
初三郎は、当時「大正の広重」と称賛されていました。
画面左上には、「大正廣重初三郎画」と書さ込まれており、自負していたことが伺えます。」



「脇役として描かれた江の島
メインではない地域を描く場合、その土地を象徴する名所を取捨選択し、少ない情報で、
その地域だと分かることが重要です。湘南地域を拡大してみると、
「大船」「かまくら」「よこすか」「づし」「江の島」・・・と記されています。
江の島の大きさは、鳥瞰図全体から見ると非常に小さいですが、陸につながる橋も
しっかりと描きこまれています。」



この繪では「江の島」の位置が正しい位置に。



しかしこの地図では「平塚」と「大磯」の間に。



この地図ではほぼ正しい位置に。



そして展示室を出て、エレベーターホールに。
「広重と巡る名所江戸百景」が川崎浮世絵ギャラリーにて。



「月岡芳年 血と妖艶」は太田記念美術館にて。



「モノで読む古事記」は國學院大學博物館にて。



そして帰路へ。


                              ・・・​ もどる ​・・・

                   ・・・完・・・





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Last updated  2020.08.14 01:15:52
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