JINさんの陽蜂農遠日記

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2020.12.12
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カテゴリ: 国内旅行
国道278号を進み、函館市志海苔(しのり)町を流れる志海苔川の手前を右折して
「志海苔ふれあいひがし広場」の駐車場に到着する。
駐車場の横は、「函館空港」の滑走路であった。



折しも、全日空の飛行機が離陸して行った。



「空港緑地志海苔ふれあい広場 中央広場案内図」。



しかし、この駐車場は目的の「志苔館跡」の駐車場ではないことに気が付き
車で来た道を戻り進んだが、駐車場が見つからないので、道路脇の空きスペースに駐車し
散策を開始する。




「和人殉難慰霊碑」と「阿伊努(アイヌ)悵魂慰霊碑」の2基の慰霊碑。
戦った相手同士の慰霊碑が同一座にあるということは珍しいのではと。
ラグビーの「ノーサイド」に似て。



「志苔館 和人殉難御霊 阿伊努悵魂御霊 慰霊碑
由緒
下北半島、津軽方面に於いて南北朝の戦いに敗れたる南朝方の武士達、道南に館を築きて
ありしが、康正ニ年(一四五六)志苔館付近にて阿伊努(アイヌ)の蜂起あり 翌長禄元年
館は攻め落とされ その後再び永正九年(一五一ニ)戦いあり 館は陥落し廃館となった。
ここに コシャマインの戦いにおいて亡くなりし館主和人御霊 阿伊努御霊 双方を同一座に
お祭りしたものであります。
祭神 小林良景命 小林良定命 他
和人殉難御霊 阿伊努悵魂御霊
例大祭 七月ニ十ニ日」



「御祭神
志苔館(しのりたて)   小林重弘命(こばやししげひろみこと)
             小林良景命(こばやしよしかげみこと)
             小林良定命(こばやしよしさだみこと)
和人殉難御霊・阿供努帳魂御
合祀後の御祭神
戸井館   岡部季澄命(おかべすえすみみこと)
国分館   江口顕輝命(えぐちあきてるみこと)
花沢館   蠣崎季繁命(かきざきすえしげみこと)
比石館   厚谷重政命(あつやしげまさみこと)
大 館   相原政胤命(あいばらまさたねみこと)
原口館   岡部季澄命(おかべすえすみみこと)
禰保田館  近藤季常命(こんどうすえつねみこと)
覃部館   今泉季友命(いまいずみすえともみこと)
穏内館   蒋上季直命(こもつちすえなおみこと)
脇本館   南條季継命(なんじょうすえつぐみこと)
中野館   佐藤季則命(さとうすえのりみこと)
茂別館   安藤家政命(あんどういえまさみこと)
与倉前館 
弥衛門川館 小林政景命(こばやしまさかげみこと)」



御祭神となっている館主のいた「​ 道南十二館 ​(どうなんじゅうにたて)」👈リンク 配置図。
「道南十二館」は、蝦夷地(後の渡島国、現北海道)渡島半島に
あった和人領主層の館の総称。松前藩の歴史を記した『新羅之記録』に十二の館が
記されていることから、この名がついた。
東は函館市に所在する志苔館から西の上ノ国町の花沢館まで、渡島半島南端の海岸線に

安東氏の被官である館主はこれらの館をアイヌ民族や和人商人との交易や領域支配の
重要拠点とした。
「道南十二館」配置図をウィキペディアより。



「史跡 志苔館跡」碑と「史跡 志苔館跡」案内板。



「史跡 志苔館跡」碑。







「史跡志苔館跡
   昭和九年八月九日 史跡指定
   昭和五十ニ年四月ニ十七日 史跡追加指定
志苔館跡は、函館市の中心部から約九キロメートル離れた標高ニ十五メートル程の海岸段丘
南端部に位置している。
西側には志海苔川が流れ、南側は志海苔の市街地および津軽海峡に面し、函館市街や対岸の
下北半島を一望することができる。
館跡は、ほぼ長方形をなし、四方は高さニ~四メートル、幅十~十五メートルの土塁で囲まれ、
その外側には、壕が巡らされている。
郭内は、東西七十~八十メートル、南北五十~六十五メートルで、約四千百平方メートルの
広さがある。
また、館跡の正面にあたる西側には、ニ重に壕が掘られ、さらに外側に小土塁が巡らされている。
松前藩の史書『新羅之記録」によると、室町時代頃、道南地方には十ニの和人の館があり、
志苔館もその一つで、小林太郎左衛門良景が居住していたことが記されている。
この記述によれば、康正ニ年(一四五六)志苔館付近でアイヌの蜂起があり、この戦いにより
翌長禄元年五月十四日志苔館が攻め落とされたといわれている。
戦いの後、再び小林氏が館に居住していたが、永正九年(一五一ニ)四月十六日にアイヌの蜂起が
あり、志苔館は陥落し、館主の小林彌太郎良定が討死したといわれている。
その後は、小林氏が松前藩に従属したために、志苔館は廃館となった。」



「史跡志苔館跡の保存について
志苔館が廃館になった十六世紀中期以降、館跡がどのように使用されていたかは不明ですが、
明治時代にはかなり荒廃が進んでいたようです。このため、地元の人達の手により保存の
努力がなされ、そのことは郭内に残されている記念碑からもうかがい知ることができます。
大正時代には、北海道庁による調査が行われ、保存状態が良好なことから、昭和九年に史跡に
指定され、昭和五十ニ年には指定地周辺部も追加指定を受けています。
函館市では、史跡の保存と活用を図るため、国・道の補助を受けて、昭和五十一年度から
「史跡志苔館跡土地買上事業」を実施して指定地の公有化を進めるとともに、昭和五十八年度
から六十ニ年度にかけて、「史跡志苔館跡環境整備事業」を実施しました。
この環境整備事業により、郭内外の遺構確認発掘調査を実施し、志苔館が構築された当時の
様子を明らかにするとともに、調査結果に基づいて遺構の復原・整備を実施しました。
また、あすまや等の施設を設置し、この館跡を歴史学習の場や市民の憩いの場として広く
利用していただくよう整備してまいりました。
この館跡を私たちの手で保存し、後世に伝え残していくために、次のことを守ってください。
一、土塁等に登らないこと
一、木の枝を折ったり、芝生をいためたりしないこと
一、自転車、バイク、自動車等を乗り入れないこと
一、火気を使用しないこと
一、ゴミは捨てないで持ちかえること
                                  函館市教育委員会」



「案内図」。
土塁に囲まれた内部に、左から東西に長い掘っ立て柱の「建物跡」、中央にも南北に長い
掘っ立て柱「建物跡」、そしてその右には用途不明の策に囲まれた建物、北側の隅には
井戸跡も。

志苔館 - お城散歩

函館市の中心部から約9km離れた高さ25mほどの津軽海峡に面した海岸段丘の南端部に
築かれていることが解る写真。


  【https://twitter.com/yuki_oha/status/1238385952189378561】より


「郭外遺構
郭外には、主に外敵からの防御を目的とした壕、土塁、門、柵、のほか、橋、土橋等が
配されている。
壕は、土塁外側の四方に巡らされている。
館の開口部に当たる西側には、重の壕が掘られ、北、東、南側は自然の沢を利用して
壕としている。
発掘調査の結果、館を構築した当時は、西側に外柵を設け、その中央の門を通過し、
薬研(やげん)の二重壕に架けられた橋を渡り、さらに門を通過して郭内に入る構造であった
ことがわかった。
その後、郭外は郭内とともに造り替えられていった。外柵は埋められて土塁が築かれ、
郭内側の壕も薬研から箱薬研へ、また橋も土橋へと移行した。
ここには、館の構築当時の姿を、できるだけ復原するとともに、その後に構築された土塁、
土橋等も保護・保存し、館の変遷がわかるようにしている。」


「開口部の変遷」



南側の堀。青函海峡の先には津軽半島も見えた。



北側の堀。



土塁を超えて内部への入口を内部から振り返る。



東の方向を見る。
草の背丈が高くなり、杭の配置が判りにくくなっていた。



「郭内遺構&出土遺物」案内板。



「郭内遺構
郭内には、主に14世紀末から15世紀にかけて存在していたと考えられる建物、相、堀、井戸など
の遺構が発見されている。
建物跡は7棟分発見されているが、柱と柱の間の寸法の違いから大きく三つの時代に分類する
ことがてきる。
建築時期からみて、14世紀末から15世紀初頭頃と推定される柱間寸法7尺(約2.12m)以上の
ものと、15世紀中頃と推定される柱間寸法6.5尺(約1.97m )のものが掘立柱の建物である。
16世紀以降と推定される柱間寸法6尺(約1.82m )のものは礎石を使用していることが
明らかとなっている。
また建物跡の周囲には、囲いや敷地割を目的とした柵と塀の跡が発見されている。当初は柵が
設置され、後に塀へ変わって行ったものと考えられる。
これらの変遷を想定すると、右図0ようになる。」

「出土遺物
発掘調査による出土遺物には、陶磁器類、金属製品、石製品、木製品等の遺物がある。
陶磁器類は.船載陶磁器(中国製陶磁器)と国産陶器に区分され、個数にして76点出土している。
船載陶磁器は青磁、白磯、鉄釉(てつゆ)、国産陶器は瀬戸、越前、珠洲(すず)、かわらけ
等かある。
金属製品は、古銭22点、銅製品18点、鉄製品279点が出土している。
石製品は.硯・砥石が8点、木製品は、井戸枠、著、曲物、桶の一部等が出土している。」



北東方向にある「建物跡」方向を見る。



「遺構遺跡
発掘調査により、さまざまな遺構が検出されたが、調査終了後、埋め戻し、保存をしている。
ここには、志苔館が築かれた初期の頃と推定される14世紀末から1 5世紀初頭(南北朝時代から
室町時代初期)の門、建物、柵、井戸の遺構を表示している。
人り口部分には、門とともに郭内を防御するかたちて冊が設けられている.
西側から中央部分にかけては、長軸約20m、短軸約11mの掘立柱建物(桁行7間、梁間5間で四面に
庇を持つ。柱間寸法は7尺以上)が2棟並び、周囲には柵が設置されている。
東側には柵で囲まれた建物、それに用途は不明だが建物のものと思われる柱が配列している。
北側の隅には、井戸がある。」



用途不明の「建物跡」とその先に「井戸跡」。



「建物跡」碑。



「井戸跡
発掘調査により地表下約4mのところから木製の井戸枠が発見されている(郭内に存在した
雎一の井戸である。
この本製の井戸枠は、四隅に置いた柱を桟でつなぎ柱と柱の間に縦板をならべた
「方形隅柱横桟式」と呼ばれるものである。
この井戸は、形式的に見て、また本州の発見例と比較して、おおよそ室明時代頃に造られた
ものと考えられる。
井戸の中からは、箸、曲物、桶の一部、銅銭等が発見されている。
ここには、発見された井戸枠と同し構造ものを地表に復原し表示している。」



復元された「井戸枠」。



北側から中央の「建物跡」を見る。




下記のごとく刻まれていると、ネットから。
「千秋不●
志苔館墟碑
志苔之館●●荒廃久埃初爲陸軍用地後轉皈于民有宇賀同窓會憂其遺跡之●滅●方●●
●●其●●●●●●保存焉頃議●●將●碑表之●會長中宮亀吉氏●我●事一●長●●●
次郎氏表田志苔●者●起●●●●●禄老年小秋●●●●●夷酋●奢●之●●戰不●死子
良定亦俄遭夷虜虜猛襲錐防戰厄力●●不敵遂屠両死館●●●●實永章正二年之春●小松●台
臣事松前●子孫相承十有八●●●●●維新●嗚呼古英雄之遺跡 ●●于寒畑荒草之中不●
●志●●●●舎戦適會●本道開拓軍十●●興乃欲●●警蹟村石以傳于●●●文之余田善
哉會●表章之擧荳●●●其時者哉●悪可●●乃摩●享併記當●●●●一首代銘

 宇●●●●  志苔●館 ●  阿登斗遍婆  ●●●●氏  雨●●栄利
  大正●年●月●●
                 函館支廰長
                  北●道廰支廰長從二位勲四等河毛三郎撰書
正二位●●●」



「留目政治先生頌徳碑」。
志苔館は明治時代に入ると個人所有になっていたらしく、宇賀小学校の校長だった
留目政治を中心とした保存活動が行われ、同窓会に寄贈されたようです。
保存状態の良さが、昭和9年の史跡指定へと繋がったのだと。

「名存久地
 留目政治先生頌徳碑先生南部大向村人也執教鞭於宇賀校舎有五年諄々不倦夙肇同窓會指導青年
 而専盡瘁智德向上興習俗改善又克繹史蹟勗之保存焉爾來會運月進教化歳顯師恩寔大也浴薫陶者
 景慕轉難止万勒事績報鴻恩以傳是後人矣  大正八年九月     宇賀同窓會」



そして西側の「建物跡」。



土塁の合間の通路の先に「函館山」が見えた。



ズームで。



「西門跡」に向かって下っていくと、堀に架かる木橋が。



「門跡」碑。



そして右手奥に東屋を発見。



続100名城のスタンプは、志苔館内にあるここ東屋に置かれていた。



スタンプ置場。



スタンプを無事に頂きました。



志苔館跡から車で10分ほど北へ行くと「トラピスチヌ修道院」がある。
フランスから派遣された8名の修道女によって明治31年に創設された我が国最初の女子修道院
なのであったが、この「​ トラピスチヌ修道院 ​」👈リンク 以前に訪ねたこともあり、
「五稜郭」を優先しスルーしたのであった。

                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.12.12 05:36:42
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