JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.01.12
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カテゴリ: JINさんの農園
⑤物資はどこから来たのか?



大ピラミッド建造の時代、それは初めて国という形が生まれつつあった時でした。



古代エジプトでは周辺地域を巻き込む戦いが次々に起きていました。



その原因となった一つがピラミッド建造に関わるもの。



再び最古のパピルスが見つかったワディ・エル=ジャラフ。
ピラミッドからおよそ200km、紅海沿岸に位置する遺跡。



なぜピラミッド建造を記録したパピルスがこの地で見つかったのか?
パピルスを書き記した監督メレルはこの辺境の地で何をしていたのか?



古代エジプトの港町であったワディ・エル=ジャラフ。




辺り一面は白い砂が広がる荒涼とした世界。
長い歴史の中で取り残されたようにポツンと佇んでいた。



衛星写真の地図で発見したこの遺跡。
この建物の正体とは、メレルや労働者が営舎として使っていたのだと。
海沿いに立つこの建物は寝泊まりする施設、いわば「駐屯基地」であったと考えられていると。
実はピラミッドから200km離れたこの場所が、ピラミッド建造のための重要な拠点であったことが
解ってきた。
ピラミッド建造には大量の銅が必要であったと。



ピラミッドに必要であったという銅、海を渡ったシナイ半島の銅鉱山から入手していたと。
ここは海を40kmほど渡れば直ぐに銅鉱山に到達できる非常に便利な立地の場所。



この時代、鉄はまだ広く使用されていなかったと。

ピラミッドの巨大な石を切り出すため銅器具は欠かすことの出来ない重要な役割を担っていた。



銅製錬の再現実験。銅鉱石を窯に入れて熱を加えて行く。そこに燃料としていれるのは
何とロバの糞。これにより温度をゆっくり上げて純度の高い銅を精錬し、様々な器具を
作ることが出来たのだと。



しかし実際に銅のノミを使い石を切り出して見ると、柔らかい金属である銅はあっという間に




石を切り出すためには消耗の激しい銅を大量に手に入れる必要があったのだ。



この様な港はシナイ半島の鉱物を採掘するために重要であった。
ここに作業員のチームを数ヶ月間配置することで、大量の銅をシナイ半島で採掘し
十分な量を確保したのであった。
この当時、シナイ半島で採掘された銅は、一つの鉱山で10万トンを越える量であったと。
ピラミッド建造に欠かせない膨大な量の銅を調達すること、これこそがメレル達がこの海辺に
拠点をおいた理由だったのだ。



しかし辺境のこの地で銅を集めることはけっして簡単なものではなかった。
周辺地域との戦いに直面する危険なものであったことが最近の調査から見えて来たのだと。



その鍵となるのが、最古のパピルスの発掘現場で、新たに発見された無数の横穴。



人の手で掘られた横穴の入口には、よく見ると石灰岩を切り出した大きな岩が置かれている。
発見された横穴31本の入口全てにこの様な20トン以上にも及ぶ巨大な岩で塞がれていたのだと。
プラグの様に巨岩を入口に押し込むことで横穴は貴重品を保管する倉庫のような役割を
果たしていたのだ。



メレル達はこの横穴で舟を守っていたのだと。
銅などの物資を運ぶ舟はこうした横穴の中に収納されていたのだと。
この地に派遣されたエジプト人はベドウィンと呼ばれる砂漠の民を恐れていたのだ。
ベドウィンはこの横穴に侵入し貴重品を略奪したのだと。
横穴の中には火がつけられ、燃えた形跡の残る横穴も発見されたのであった。



古代エジプトにおいて、水上交通は最も重要な移動手段。
ナイル河や運河を渡り地中海へと漕ぎ出す中で、造船技術は独自の発達を遂げていたのだ。
当時の舟はエジプトでは育たないレバノン杉などの木材を使用したものであった。
遠くレバノンの地で育った木材もまた貴重な物資の一つであったのだ。



そして
⑥ピラミッドはなぜ廃れた(すたれた)のか?



かって王の威厳を示すため、とてつもない大きさで造られたピラミッド。
しかしある時期を境に変化が起きた。



これは大ピラミッドが造られてからおよそ300年後に造られたもの。
とても小さな簡素なピラミッド。



何故、ピラミッドは廃れてしまったのか?



ヒントは一人の人物の墓に眠っていた。
この場所は墓の中で最も大きく美しい部屋。
4300年前のものにも関わらず色鮮やかに残っている。
部屋の数は何と32室もあるのだと。



この墓の主は「メレルカ」という人物。
いったい何者なのか。墓に立つ像の横には、メレルカが生前持っていた数々の称号が
刻まれていた。
そこには「王の都の監督官」、「司祭」、そして「王の最も親しい友」、実はメレルカは
王の下で政治を執り行う「宰相」であったのだ。



その称号の数は84にも及んでいたと。
途方も無い数の役割を担っていたメレルカ。



彼が築いたこの巨大な墓には一箇所不可思議な場所があった。
よく見てみると削り取られたような跡。
メレルカに使えた召使いは捧げものを持って立っていたが、この壁から完全に除去されて
しまったのだ。これは大きな過ちを犯したことに対する懲罰であったと。
壁画から消し去ることで、罪を犯した部下が来世には行けないように厳罰を課していたのだと。



この時、メレルカ達官僚は、王に変わり強大な権力をふるうようになっていたと。



それを可能にしたのが、ピラミッド建造を通じて生まれた成熟した社会、現代に繋がる国という
形であった。



労働者の食料を調達するために、新たな農場や牧場の運営が始まった。
レバノンから木材を調達するために、交際的なネットワークも構築されたのだ。
ピラミッド建造という一大プロジェクトによって形作られていった「物流ネットワーク」。




それとともに物資の積み下ろしを行う巨大な港やダムの建造などインフラの整備も
急速に進められていったのであった。
エジプト全土を行き交う莫大なエネルギーはいつしか官僚達が握る一点へ集中して
いったのであった。
巨大なピラミッドよりも建設のために構築されたネットワークやインフラがより重要に
なっていったのだと。



メレルカの墓の壁画には、妻の演奏する音楽を楽しむメレルカの姿。
実はこの妻は王の娘であったと。
当時の王は権力を握ったメレルカの元に娘を嫁がせていたのだ。
メレルカは古代エジプトを牛耳る絶大な力を手にしていたのだ。



それまでは現人神である王が中心に行政や神官などが回ってきたのが、それぞれの力が
強くなって王の権力が衰えていった。それ以後は巨大な建造物を立てるのは出来なくなったのだと。



ピラミッドは王の権力が衰えて行ったことで、次第に廃れて行き、古代エジプト文明は
新たな局面を迎えることになったのだと。



そして最後に
⑦ピラミッド復活の謎



三大ピラミッドの間近で大エジプト博物館の建設が進んでいる。
敷地面積は実に東京ドーム10個分。
建設が進む大エジプト博物館の内部。「ラムセス2世の石像」が据えられた入口の大空間。
2020年に全館オープン予定であったが、2019新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、
2021年に延期されたとのこと。



今まさにこの場所で、古代エジプトの最も有名な王にまつわる調査が行われている。
その王こそツタンカーメン。
ピラミッドの黄金時代からおよそ1000年後、わずか9歳で即位した少年王である。
ツタンカーメンの黄金のマスク



人類史上最高峰の宝であると称される黄金のマスクは、20歳前後で亡くなったツタンカーメンの
面影を今に伝えている。



今からおよそ100年前1922年に発掘されたツタンカーメンの王墓。
ほとんど埋葬された当時のまま、きらびやかな副葬品が残されていたため20世紀最大の
発見と言われてきたのだ。
その副葬品の数は5000点以上。
1922年12月:「控えの間」の写真。
天界の牝牛の形をした儀式用のベッドなどたくさんの副葬品が安置されていた「控えの間」。



ツタンカーメンのミイラが納められていた黄金の棺。



全身純金で出来たエジプト発掘史上類を見ない宝物。
使われた金の重さは実に110kgに及んだと。



ツタンカーメンの黄金の玉座
ツタンカーメンの墓に収められていた、2000点以上の副葬品の中の一つ。
ツタンカーメンの黄金のの高さは104cm、幅53cm、奥行き64.5cm。



が描かれている。王と王妃はサンダルを片方ずつ履いており、夫婦の仲がとても良かった
ことを示している。
また、背もたれ上部には太陽神アテン神も描かれており、この背もたれのレリーフにある衣服の
部分は銀で装飾され、人物の各部分には、赤の鉛ガラスと青ガラスが使われ、目には
アラバスターの象眼がはめられている。
椅子の左右の肘掛けにはツタンカーメンの即位前の名前と、即位後の王としての名前が刻まれ、
脚にはライオンの彫刻がある。



目もくらむほど多くの黄金の副葬品を残したツタンカーメン。
しかしその華やかさとは裏腹に埋葬された王墓はピラミッドと大きく様変わりしていた。



ツタンカーメンが眠っていた「王家の谷」、歴代の王たちおよそ60の墓が見つかっている。
それはまるで迷路のように地下世界へ広がっていた。
盗掘を防ぐため王たちピラミッドを捨て地中深く眠りについたのであった。



もはやピラミッドは過去の遺産とかしたはずであった。
ところが、現代のスーダンに残された古代の墓、その姿は正に正四角錐のピラミッド。
エジプトの文化を吸収した人々によってピラミッド型の埋葬施設が続々と広がっていったのだ。



大ピラミッドが建造された時代からおよそ2000年、憧れの存在としてピラミッドは永遠の
シンボルとなったのだ。古代エジプト文明の象徴たるピラミッドは新たな世界へと広がり
受け継がれていったのであった。



誕生からおよそ4500年、大いなる謎が続々と明らかになった大ピラミッド、
そこには古代文明の叡智や国家の誕生の歴史が刻まれていたのであった。



人類とともに有り続ける巨石建造物ピラミッド、悠久の時の中に佇んでいるのである。





                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・END・・・





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Last updated  2021.01.12 08:32:11
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