JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.02.14
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カテゴリ: 綾瀬市歴史散歩
【綾瀬市歴史散歩 目次】

更に「神崎遺跡」の散策を続ける。
「1号住居跡」前から南方向を見る。



右手奥に「神崎遺跡資料館」を見る。



「7・8・9・13・14号住居跡」案内板。



「平成2 1年以降に発掘調査したこの一群の住居跡は遺跡保護のため、発掘調査は最少限に
しました。そのため、住居跡の大きさなどの詳細は明らかになっていません。
しかし、13号住居跡は確認のため、一部を掘り下げたところ、予想外の発見がありました。
3種類の形の土器が住居の床の上から出土したのです。
弥生土器は使い方により形が異なりますが、主に甕形土器(煮炊き用)、壺形土器(貯蔵用)、
高坏形土器(供え用)の3種類からなります。13号住居跡の床からは、当時の生活の復元に
必要なこのセットが発見されたのです。残る未調査部分には何が眠っているのか期待できる
資料にもなりました。出土土器は資料館に展示しています。」



「現在地」。




養生されていることが理解できた。



「15・16・17・18・19号住居跡」案内板。



「平成2 5年に環内の南端部の状況を確認するため発掘調査したところ5件の住居跡が
見つかりましたが、遺跡保護のため発掘調査は最少限にしました。そのため、住居跡の
大きさなどの詳細は明らかになっていません。しかし、この確認により、環濠内全体に
住居が作られたことが明らかになりました。また、19号住居跡は古墳時代後期のもので、
弥生時代とは異なり、かまどが備えられています。神崎遺跡は弥生時代後期以降、
近世まで無人の地であると考えられていましたが、この住居跡の発見により、環濠集落廃絶後、
500年ほどして一時期人が住んでいたことがわかりました。」



「現在地」。



「16・19号住居跡」。



「移住者のムラ」案内板。



「今から1,800年前、前方に見える東海道新幹線の向かって右方向200先(駅名でいうと浜松、
豊橋あたり、現在の愛知県から静岡県にかけての地域)に住んでいた人々が、集団でここに
移住し、環濠集落と呼ばれるムラをつくったことが発掘調査により明らかになりました。
発掘調査により土器等モノの移動が明らかになることはよくありますが、人の移住を
証明できることはほとんどありません。
神崎遺跡は出土した土器の95 %以上が東海地方の土器に酷似していること、しかも、
その土器は神崎遺跡周辺の土でつくられていたこと、さらには、竪穴住居の形も「横長型」と
いう地元のものではなかったことから、日本列島内での集団移住が明らかになりました。」



「​ 神崎遺跡
東海地方(今の浜松・豊橋付近)から集団で移住した人々が作った集落である』という事まで
判ったのだと。
この説明板では、海上に点線があるが、海上を移動して来たのであろうとのこと。



「静岡県浜松市伊場遺跡出土土器」(左)と「神埼遺跡出土土器」(右)



「神崎遺跡AR体験。
神崎遺跡ではAR (拡張現知)による復元CGを楽しむ事が出来ます。遺跡内でスマホを
かざしながら歩くことで、弥生時代の生活を見たり、当時の住居の中をのぞくことが
出来ます。」



前方に以前訪ねた藤沢市内にある「寿昌寺」の大きな屋根が見えた。
手前の「目久尻川」の中央が藤沢市と綾瀬市の境界。



そして「11・12号住居跡」手前から復元された「1号住居跡、2号住居跡」を見る。



「11・12号住居跡」案内板。



「長期間にわたり同じ場所に住み続けると、人々は古い住居を壊して新しい住居をつくります。
発掘調査では、このような場合、新旧の住居跡が重なっ確認されます。これを住居跡の重複と
いいます。神崎遺跡からは平成25年の発掘調査で初めて居跡の重複が確認されました。
出土土器からは時間の変化が読み取れなかったため、集落の継続期間は短いのですが、
住居を建て替える必要があるくらいの年数は、人々はこの地に住んでいたようです。」
更に、墓域が形成されていないことから比較的短期間で廃絶したと考えらているのだと。



「現在地」。



「10号住居跡」の復旧状況。
柱が有った場所等が判るように復旧されているのであった。



そして「神崎遺跡資料館」の裏側を見る。



「国指定史跡 神崎遺跡公園」案内板。



そして閉館していた「神崎遺跡資料館」の内部の様子をネットから。














                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2021.09.05 07:23:36
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