JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.03.11
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「飯田神社」の横の道を北上する。



左手にあったのが「上飯田西公園」。



「いちょう団地入口」交差点を通過する。



その先の信号のない交差点の左角に白い石碑があった。



「甲子塔(かっしとう、きのえねとう)」(元治元年(1864年)銘)。
横浜市泉区上飯田町2391。
泉区唯一の「​ 甲子塔 ​」👈リンク。
西暦年を60で割って4が余る年が甲子の年となると。

開催される阪神甲子園球場であるが、大正13年( 1924年) 8月1日に竣工式が行われたが
この1924年が、甲子の年だったのであると。なるほど!!
そして「60年に1度の縁起の良い年」だから、「長く続けたい物事はこの日に始めると良い」と
いうことで「甲子園」と名付けられたのだと。
甲子園は、1984年に還暦を迎えた。次に甲子の年になるのは2044年。あと23年・・・??。
「甲子塔」は甲子日待ちを行っていた甲子講の人々が建てた供養塔。
甲子日待は甲子の夜に禍を転じて福を授けてくれる大黒天を祀り、夜遅くまで飲食を共に
しながら語り合う行事だったと云う。
左手のものは道祖神なのか庚申塔なのかは判別不能。



庚子塔左側面にある文字の中に「上飯田村」だけがなんとか判読できたが。



更に「いちょう団地」に向かって進むとY字路があった。




「南無妙法蓮華経題目塔」であろうか。



「明和九・・・」の文字が。



どこか懐かしい昭和レトロな「いちょう団地」には、巨大な給水塔が立っていた。



「上飯田せせらぎ緑道案内」は悲惨な姿で。



ここを右折して「正一位飯嶋稲荷神社」に向かう。




個人宅の敷地内にあるが如くに。



今年の節分が前日であったため、大きな幟旗が。
「稲荷」ではなく「稲成」。その名前には、大願成就などの意味が込められているのだと。



社号標「正一飯嶋稲荷神社」。



石鳥居の先に「社殿」。



狛犬ならぬ狛狐(阿形像)が、よって稲荷社なのであろう。
「玉」を咥えているのであろうか?
玉は昔から「神の霊力」を象徴するものとされているのだと。



狛狐(吽形像)。
咥えている巻物は知恵・神様からのお言葉をあらわしているのだと。



そして「正一位飯嶋稲荷神社」の「社殿」。



「社殿」の内陣。



幟には「奉献飯嶋正一位稲成大明神」と。



隣の民家は「飯嶋家」、個人所有の神社なのであろうか?
この付近に「飯嶋家」が多いようであったが。



左手に「いちょう団地」を見ながら北上する。



左手にあったのが「旧横浜市立いちょう小学校」・
「横浜市立飯田北小学校」と平成26年4月1日に統合し、「横浜市立飯田北いちょう小学校」に
なり移転した模様。
建物は「いちょうコミュニティハウス」になっていた。



「いちょう団地前」交差点を進むと「いちょう小学校前」交差点の角に石碑が。



「いちょう団地」碑。
横浜市と大和市にまたがる神奈川県最大の公営住宅であると。
広さは27万2476.9m2。
境川を挟み、住所が横浜市側の「上飯田」と大和市側の「下和田」の2つに分かれている。
建てられたのは今から約40年前の1971(昭和46)年。
以後、改築や増築を行い、現在の棟数は1から84棟まで と。



この団地は40年ほど前に作られた県営住宅で、近くの大和市に東南アジアからの移民受け入れ
センターがあったことから、この団地にも多くの外国人が住むことになったのだと。
日本語、カンボジア語、ベトナム語、中国語、スペイン語、英語の案内板が。
「韓国語」がない理由は??



そして再び「いちょう団地前」交差点まで戻る。



この先、右手の細い路地にあったのが「ニ十三夜塔」と「道祖神塔」。
横浜市泉区上飯田町3635-3付近。
二十三夜塔とは、庚申講(こうしんこう)と同じく民間信仰のひとつとして、人々が集まって
月を信仰の対象として「講中」といわれる仲間が集まり、飲食をし、お経などを唱えて月を拝み、
悪霊を追い払うという月待行事(月待行事)を行い、その記念や供養のあかしとして建てられた
もので、月待塔(つきまちとう)ともいいます。



「​ ニ十三夜塔 ​」👈リンク は泉区では唯一つのもので中屋敷の二十三夜講の人達が
月待の記念か礼拝祈願の対象として建てたものとのこと。
正面「二十三夜塔 講中 中屋敷 両山野」と。



全国的には二十二夜塔や十五夜塔も多くあるが、二十三夜は月齢でいう「下弦の月」で、
月が出る時間がほぼ午前0時で、その時刻と幻想的な月の形が信仰と重なり、「二十三夜」を
一般的なものとしたようだと。
「二十三夜」は月齢でいう「下弦の月」と。


    【https://ameblo.jp/anglersstuff/entry-12596882467.html】より

左側面 「相州鎌倉郡上飯田村 両山野」。



右側面 「壬 文久二年 戌 正月吉祥日」。



「道祖神塔」。



左側面。



右側面。「上飯田村」の文字は読めたが・・・。



「五軒庭プロムナード及びせせらぎ緑道案内図
五軒庭プロムナードは、「魅力ある道路づくり事業」の一環として本興寺仁王門から
第ニ柳明橋を経由し、羽太郷土資料館(郷土の農機具等展示)付近までの道を整備したものです。
また、せせらき縁道は「小川アメニティ事業」として大山道に沿って整備され
一部五軒庭プロムナードと結ばれており、約1.8kmの散歩道とし一周できるように
なっております。
歴史的な資産や自然を楽しみながら魅力ある散策路としてご利用下さい。」



そして次に訪ねた「本興寺」に向かって坂道を上って行った。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2021.05.25 16:17:01
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