JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.04.21
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カテゴリ: 大和市歴史散歩
【大和市の神社仏閣を巡る】目次

「境川」に沿って暫く北上し、その後北西に向かい「浄照院跡」に到着した。



「じょうしょういんあと。
浄土宗親緑山一心院仏導寺の末寺。開山・開基は不明。昔は清浄院といい、遊行寺に属した
寺で本尊は阿弥陀如来でした。」



「昭和九年 南無涅槃釈迦年尼佛」(左)と
右の塔婆には「施餓鬼会 為釈迦堂諸精霊追善菩提」と。



「深見村傳兵衛 青木氏歴代諸霊之霊位」と刻まれた墓石。



「青木家之墓」。



そしてその先にあったのが「深見神社」の東参道の石鳥居(明治29年10月建立)。







「深見神社」の南側に廻り境内へ。正面に「拝殿」が見えた。
大和市深見3367。



「御由緒
深見神社(旧社格郷社)
御祭神 闇龗神   (くらおかみのかみ)
    武甕槌神    ( たけみかずちのかみ )
    建御名方神   ( たけみなかたのかみ )
例祭日 九月十五日

我国の神社総覧とでもいう記録で最も古いものは延長五年(九二七)に奉進された
「延喜式」神名帳である
これに記載されている神社を延喜式内社と呼びならわし古社であることを意味し当神社も

創建年代と御祭神は「総国風土記」によれば「相模国深見神社雄略天皇二十二年三月
(約一千五百年前)に祭るところ闇龗神なり」と記されている
神社縁起によれば「武甕槌神東国鎮撫のため常陸鹿島に在られしとき船師を率いてここに
進軍され伊弉諾神の御子の倉稲魂神と闇龗神(雨神)は美田を拓き土人を撫して郷を開かれた」
とある 即ち深見の名の起こった所以である

から分霊を受けて従来から祀られていた闇闇龗神は境内にある御倉稲荷神社に合祀された
以来深見神社の祭神は武甕槌神(武運長久)となった
平成二十四年三月に現社殿再建七十年を節目として 創建時の御祭神の闇霞神を本殿に合祀した
明治九年 火災により社殿工作物などを悉く消失
明治四十二年 末社の諏訪神社(建御名方神)合祀
昭和十七年三月 現在の社殿再建」



「手水舎」。



「社殿・拝殿」。



近づいて。
深見神社の創建年代は不詳ですが、雄略天皇22年(485)の創建と伝えられ、延長五年
(927)に完成した延喜式の神名帳に明記された延喜式内社の一社。
江戸時代に編纂された新編相模国風土記稿には「鹿島社」として見え、明治6年には郷社に
列格したとのこと。



社殿前の両脇には五色の吹き流しが。真榊(まさかき)と呼ばれるものであろうか。
真榊(まさかき)とは、神事の場で祭壇の左右に立てる祭具。 緑・黄・赤・白・青の
五色絹の幟(のぼり)の先端に榊(さかき)を立て、三種の神器を掛けたもの。
「五色」(ごしき)は、古代中国の「五行説」(ごぎょうせつ)に由来している。
万物は、木・火・土・金・水の五つの要素で形成されているとの考え方であると。
木は青・火は赤・土は黄・金は白・水は黒を表現しているのだと。



社殿の見事な龍の彫刻。



社殿横の建物は?



ハルニレ(なんじゃもんじゃの木)



「かながわの名木100選 深見神社のハルニレ
和名:ハルニレ(ニレ科)
幹はまっすぐに高く伸び、県内でも屈指のハルニレの巨木である。
当神社の御神木で、樹種がわからなかったので「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれて
親しまれてきた。
大和市の天然記念物に指定されている。
樹高 30m  胸高周囲 4.0m  樹齢 約 400 年(推定)」
ハルニレは北海道から九州の夏緑林帯に分布する落葉高木である。
樹高45m、胸高周囲8m、樹齢約600年に達するものもあると言われている。」



「市指定史跡名勝天然記念物(記第ニ号) ハルニレ
指定年月日 昭和四十七年ニ月ニ十五日
樹種 落葉高木(ニレ科)
形状 樹高30m
胸高周囲 4m
推定樹齢 約五〇〇年
ハルニレは夏緑樹林帯(ブナ帯)の木で、北国の山地に多くみられます。
県内では丹沢山地の一〇〇〇m以上の地にみられますが、深見のような低地では珍しいことです。
このように珍しい木で、何という名の木かわからなかったため「なんじゃもんじゃの木」と
呼ばれるようになったと伝えられています。
葉は鋸歯状で表面は脈がへこみザラついています。四、五月、葉の開く前に小さな花を
七、十五個ほど束状につけます。六月には扁平な広い翼を持った果実が熟して落ちます。
大和市教育委員会」


「なんじゃもんじゃの木」の白い花をネットから。


    【https://twitter.com/hiroshisj/status/1122266900367417345】より

「靖國社」碑。



「靖國社(厚木空神社)」。
厚木空神社は、昭和19年11月に海軍厚木飛行場の敷地内に、首都防衛の任に就いていた
第302航空隊の殉職将士を祭神とする天照大神を祭る社殿が鎮祭建立されたもの。
終戦時、進駐してくる米軍が社殿を破壊することを恐れた若手将校により、祭神103柱の
霊璽簿と鎮祭の時賜った宝剣(靖國神社宮司鈴木孝雄陸軍大将から奉納された靖國刀)とともに
深見神社境内に奉遷された。
その後、昭和26年4月7日、新たに祭神として深見集落出身で明治10年の役以来の戦没者を合祀し、
厚木空神社を宝剣靖國刀に因み靖國社と改め、毎年4月第1日曜日を例大祭の日と定め祭事が
行われている と。



後方の石碑には「雄飛」の2文字が刻まれていた。



「靖國社(厚木空神社) 内陣」。



その横には「御倉稲荷社」。



境内社であり、以前は闇龗神と倉稲魂神がお祀りされていた「御倉稲荷神社」。
現在は闇龗神が本殿へ合祀されたため、倉稲魂神のみがお祀りされているのだと。
深見神社の古社地と云われ、かつてはこの辺りに深見神社の拝殿が東向きにあったとされると。



「御倉稲荷神社 内陣」。



「御倉稲荷神社」の横にあった石碑「敬龍」ではないかと先生から。



「社務所」。



「神楽殿」。



再び「深見神社」の東参道の石鳥居(明治29年10月建立)。



扁額「深見神社」。



そして石鳥居を潜り境内へ。



右手に「社務所」。


「靖國社(厚木空神社)」と「御倉稲荷社」を見る。


こちらが「深見神社」の西参道の石鳥居、



社号標「延喜式内 深見神社」。
ちなみにこの地の名称「深見」は、『和名抄』に「布加美郷」と記されている古くから伝わる
呼び名で、太古(どのくらい昔のことを指すのかは不明)この一帯は相模湾が湾入していて、
古くは「深海」あるいは「深水」(どちらも読みはふかみですね)として相模原の東岸一帯の
ことを指していたと云われています。
神社がある場所は境川によって削られなかった台地上に当たります と。



「相模國十三座の内郷社深見神社碑」。
尖頭角柱型(せんとうかくちゅうがた)の石碑で、高さ146cm×幅31cm×奥行25cm。
寛政3(1791)年の銘があり、深見村の領主である旗本坂本家が造立したと伝えられている。
正面には「相模国十三座之内深見神社」と刻まれ、延喜式内社であることがうたわれている。
※延喜式内社…「延喜式」神名帳に載っている神社。神衹官のまつる官弊社と、国司のまつる
国弊社に分類され、さらに大社と小社にわけられる。



西参道の鳥居の横にあった「富澤稲荷神社」。
大和市深見3367。



「社殿」。



「相武郷土熱愛之碑」。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2021.09.05 06:05:00
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