JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.08.08
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カテゴリ: 鎌倉市歴史散歩
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「妙隆寺」の前にあった案内板。
後に訪ねた「宝戒寺」まで300mと。



「小町大路」を北に進み左折し進むと正面に石碑が。
鎌倉市雪ノ下1丁目13−26。



鎌倉町青年會の「若宮大路幕府舊蹟」碑。
「鎌倉ノ幕府ハ始メ大蔵ニ在リシカv嘉禄(かろく)元年(1225)政子ノ薨(コウ:死)ズルト共ニ
将軍藤原頼経(よりつね)之ヲ宇都宮辻(うつのみやつじ)ニ遷シ 後十一年ニシテ
嘉禎二年(1236)再ビ此ノ地ニ遷ス 爾来九十八年頼経以後六代ノ将軍 相繼ギテ政ヲ此ニ聽ケリ
元弘三年(1333)新田義貞ノ鎌倉ニ亂入スルニ及ヒテ 廢絶セリ」

【鎌倉幕府は初め大蔵にありましたが、 嘉禄元年(1225)頼朝の妻の政子が死ぬと、
将軍藤原頼経は幕府を宇津宮辻に移動させました。その11年後の嘉禎二年(1236)には

それ以後98年間、頼経以後六代の将軍が相継いでここで政治を行いました。
1333年新田義貞が鎌倉に攻め入ったことにより亡びました。今は石碑があるだけです】



「大佛茶廊」。
若宮大路の東側の住宅街に、「天皇の世紀」「鞍馬天狗」の昭和を代表する作家、
大佛次郎(おさらぎじろう)の別荘があった。
以前は土曜・日曜・祝日に親族の方がカフェを開いていたが現在は閉鎖中。
大正時代に建てられた、「おもてなし」をするために建てられた日本家屋。

土・日・祝のみ営業

そして再び「小町大路」に来た道を戻り「宝戒寺」に向かうと左手にあった石碑は
「土佐坊昌俊邸址」碑。
「堀河館ニ義経ヲ夜襲シ利アラズシテ死セシ者 是土佐坊昌俊ナリ 東(吾妻)鑑文治元年
(1185)十月ノ條ニ 此ノ追討ノ事人々ニ多ク以テ辞退ノ気アルノ處 昌俊進ンデ領状(承諾)

下野(しもつけ)ノ國ニ有リ憐憫(れんびん:憐情)ヲ加ヘシメ給フベキノ由之ヲ申ス云々トアリ 
其ノ一度去ッテ又還ラザル悲壮ノ覚悟ヲ以テ門出ナシケン此ノ壮士ガ邸ハ 即チ此ノ地ニ
在リタルナリ」

【土佐坊昌利は、堀川の館にいる源義経(よしつね)を夜におそいましたが、逆に殺されて
しまいました。吾妻鑑(あづまかがみ)によると、この事が次のように書かれています。

進んで引き受ける旨申し上げると、頼朝は、大層喜びました。そして、出発の間際に頼朝の前に
参り、自分には年老いた母や幼い子供たちがおり、下野(しもつけ:群馬)の国に残して行きます
ので、 もしもの事があれば情けを掛けてやって欲しい旨申しあげた、などと書かれています。
一度行けば、帰ってこれないと言う、悲壮な覚悟で門出した武士の屋敷が在ったのは、
この場所であります。】



そして右手に「宝戒寺」の入口が現れた。



「鎌倉 大聖天」碑。
「宝戒寺」は秘仏である大聖歓喜双身天王(だいしょうかんぎそうじんてんのう)
(歓喜天・聖天様(かんぎてん・しょうでんさま))をお祀りしているのだ。



「天台宗圓頓寶戒寺」碑。
「宝戒寺」の山院号は金龍山釈満院。
詳名は
「金龍山釈満院 円頓宝戒寺 (きんりゅうざん しゃくまんいん えんどんほうかいじ) 」。



参道を進む。



「宝戒寺」境内配置図。


   【https://hokaiji.com/%E5%A2%83%E5%86%85/】より

「北條執権邸舊蹟」碑。
「往時此ノ地ニ北条氏ノ小町亭在リ 義時以後累代ノ執権概ネ皆之ニ住セリ 彼ノ相模入道ガ
朝暮ニ宴筵(えんえん:宴会)ヲ張リ 時ニ田楽法師ニ対シ列座ノ宗族巨室(重臣)ト倶ニ 
直垂(ひたたれ:礼服)大口(おおくち:大口袴)ヲ争ヒ解キテ  纏頭(てんとう:褒美)ノ山ヲ築ケリト
言フモ此ノ亭ナリ 元弘三年(1333)新田義貞乱入ノ際 灰塵(かいじん:灰)ニ帰ス 今ノ宝戒寺ハ 
建武二年(1335) 足利尊氏ガ高時一族ノ怨魂忌祭ノ為 北条氏ノ菩提寺東勝寺ヲ此ノ亭ノ
故址(こせき:旧跡)ニ再興シ  以テ其ノ号ヲ改メシモノナリ」

【昔この場所に、北条氏の小町亭がありました。北条義時(よしとき)以後代々の執権
(将軍代理職)はたいていここに住みました。あの北条高時が、朝に夕に宴会をして、ときには
田楽法師に対して、列席している重臣と共に、 ひたたれや袴(はかま)を投げ与えて褒美(ほうび)
の山を築いたというのもこの場所であります。1333年に新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉に
攻め入った時、戦火で焼けて灰になってしまいました。現在の宝戒(ほうかい)寺は、 1335年に
足利尊氏(たかうじ)が建てたものです。この寺は高時一族の恨みを鎮めるために、北条氏の菩提寺
であった東勝寺を、この屋敷跡に建てて名前を変えたものであります。】



「北條九代屋敷 頼経公已後代将軍家鋪」と刻まれた石碑。
北條九代とは北條得宗家のことであろう。
北條時政・義時・泰時・時氏・経時・時頼・時宗・貞時・高時 の9人。
しかし「頼経公」はこの中にいない。源氏三代が果てたあと執権義時が京の公家から迎えた
四代将軍「藤原(九条)頼経」の邸宅がこの場所にあったのだろう。



「金龍山寶戒寺伽藍復興大勧進御案内」
当山は今より凡そ六百八十余年の昔、後諟醐天皇みずから開基となられ、勅願により五代国師
慈威和上を開山とされ、征夷大将軍足利尊氏公に命じ鎌倉幕府北条氏一門慰霊、並びに鎮護国家、
円頓大戒弘通(一隅を照らす人の養成)四宗兼学(円・蜜・禅・戒・念・法華経を中心とし、
台蜜を修し、参禅に努め、戒律研鑽し、お念仏を 誦す)の道場として、七堂伽藍、三ヵ院、

於ける大火、
明治の廃仏毀釈又震災者等により 七堂伽藍ことごとく消失し、昭 和期に五十六世
慈潤大僧正の代より再建をはかり、今日に至って居りますがこの度左の様に復興運動を計画いたし
ましたので、皆様の御協力、御協 を切にお願い申し上げます。
・・・・・以下略・・・・・」


「宝戒寺
新田義貞の鎌倉攻めにより、この寺の南東にある「腹切りやぐら」で、最後の執権・北条高時を
はじめ北条一族八百七十余名が自害したと伝えられています。
滅亡した北条氏の霊を弔うため、また修行道場として、後醍醐天皇が足利尊氏に命じ、北条氏の
屋敷があったとされるこの地に寺を建立させました。
境内には四季を通じて花が咲き、九月には白いハギで理めつくされる「萩の寺」として有名です。
●宗派   天台宗
●山号寺号 金龍山円頓宝戒寺
●建立   建武2年( 1335 )
●開山   五代国師(円観慧鎮)
●開基   後醍醐天皇」



「掲示板」。



右手にも山門が。



「廣林庵」。
「宝戒寺」関連の建物であろうが非公開であった。



左手にあったのが「庚申塔」群であろうか。



鳶職の人たちの「慰霊碑」。



「聖德太子堂」。
聖德太子様をお祀りしている。
聖德太子様は仏教を深く信仰され、仏教の保護に尽力された。また優れた工芸技能者の育成を
図ったといわれ、これにちなみ諸職人の守り神として信仰されていると。
毎年1月22日に聖德太子講が厳修(ごんしゅう)されるとのこと。



内陣。



聖德太子像であろうがお顔は見えなかった。



石製の絵馬掛所(えまかけどころ)。



扁額「聖徳皇太子」。



こちらは「德崇大権現(とくそうだいごんげん)」。



鎌倉幕府執権北条高時公を德崇大権現(とくそうだいごんげん)としてお祀りしている。
鎌倉幕府が滅亡した5月22日には北条氏鎮魂の為、毎年大般若転読会(だいはんにゃてんどくえ)
が厳修(ごんしゅう)されると。



「十三重塔」。



「柏槇(びゃくしん)」。



東久邇宮の御手植の「柏槇」の碑。



そして「大聖歓喜天堂」。
秘仏である大聖歓喜双身天王(だいしょうかんぎそうじんてんのう)(歓喜天・聖天様
(かんぎてん・しょうでんさま))をお祀りしている。
毎年5月23日には諸願成就を祈念し大聖歓喜天供(だいしょうかんぎてんく)が
厳修(ごんしゅう)される。



扁額「大聖天」。



内陣。



「本堂」横の「平成水琴」。
柄杓で水を流してみたが、美しい音色が聞こえて来たのであった。



そして「本堂」。



内陣。
御本尊と右手に脇立の「梵天(ぼんてん)」・県重要文化財。



中央に本尊の「子育経読地蔵大菩薩(こそだてきょうよみじぞうだいぼさつ)」
(鎌倉二十四地蔵尊 札所第一番)
貞治四年・三條法印憲円(さんじょうほういんけんえん)作
明治三十二年国宝指定現在重要文化財 。



中央に御本尊「子育経読延命地蔵尊」と書かれた赤い提灯。



「鎌倉霊場 地蔵尊廿四所順拝」碑。
「宝戒寺」のご本尊は鎌倉二十四地蔵尊の第一番とされる子育て経読み延命地蔵様。



この石碑は?



「宝篋印塔」。
1333年滅亡した北条氏並びに鎌倉合戦東勝寺(とうしょうじ)戦没諸精霊を供養する慰霊塔。
鎮魂の祈りを込めた写経、写経石が納められていると。



鐘楼。



梵鐘。



墓碑であろうか。



「宝戒寺」の墓地。



井戸と石灯籠。



「銘木 無患子(むくろじ)」。



境内にある無患子(むくろじ)の実を用いて作られた『無病御守』が頒布されていると。
無患子には病魔を追い払うという言い伝えがあり、このお守りは病気を患わないように
祈願されているのだと。
無患子の実は真っ黒で、かなりの硬さがある。この実は羽根突きの羽根にも使われていたと。



近くに小さな石地蔵尊が。



以前に戴いた「鎌倉三十三観音第ニ番 宝戒寺」の「佛母准胝観音尊」の「御朱印」です。



以前に戴いた「鎌倉二十四地蔵第一番 宝戒寺」の「子育経読地蔵尊」の「御朱印」です。



以前に戴いた「鎌倉・江ノ島七福神 宝戒寺」の「毘沙門天」の「御朱印」です。




                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.08.28 07:03:40
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