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2021.10.16
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カテゴリ: 海老名市歴史散歩
【海老名市歴史散歩】 目次

「自然と歴史のさんぽみち」は、ここが「ひさご塚公園(市指定史跡瓢箪塚古墳)」で
あることを教えてくれた。
海老名市国分南3丁目30。



海老名市国分南3丁目~4丁目の「住居表示街区案内図」。



右手前方に「ひさご塚公園(市指定史跡瓢箪塚古墳)」への石段が現れた。



「ひさご塚公園」案内板。



石段を上って行った。



正面に「瓢箪塚古墳」が現れた。
海老名市国分南3-1055。




相模川とその両岸の平野を見下ろす、ここ座間丘陵上には、7基の古墳が確認され、
上浜田古墳群を形成しています。上浜田古墳群は、円墳、方墳・前方後円墳からなる4 ~ 5世紀代
にかけての古墳群であり、瓢箪塚古墳は同古墳群内で現存する唯ーの前方後円墳で、市内最大の
古墳です。
瓢箪塚古墳は、地元では「ひょうたん山」と呼ばれ、古くから親しまれてきました。
また、明治4 3年には郷土史家中山毎吉(つねきち)によりその著作『神社名勝古蹟誌』の
なかで、瓢箪塚古墳の計測結果が記されるなど、古墳としても古くから認識され、大正8年には、
当時の海老名市村が墳丘部分を保存のために購入し、村有地としました。
平成8年の発掘調査の結果、神奈川県内では最古級とみられる埴輪片が出上し、4世紀から5世紀
初頭にかけて造られた古墳であることが判明しました。
造られた当時は前方部がもう少し南に延び、墳長80メートル級の規模であったろうと
推定されます。」




「瓢箪塚古墳推定復元図」。
全長約80m、海老名市内最大の前方後円墳。
1996(平成8)年の発掘調査で埴輪片が見つかっている。



「郷土かるた 「ま」」
「松風に 豪族ねむる 瓢塚(ひさごづか)」。



「瓢箪塚古墳」を上って行った。



苔が生えて滑りやすかったが。



そして「瓢箪塚古墳」の頂上へ。
秋葉山古墳群のあとに造営されたとみられる県下でも有数の規模を誇る大規模な前方後円墳。
眺めの良さから古墳築造の地に選ばれたものと考えられていると。
1933年以降東側を中心に削り取られ、現在前方部先端は失われているのだと。







「リーフィアタワー海老名ブリスコート」&「同アクロスコート」が見えた。
地上31階建て、海老名市最高層タワーマンション。



そして次に右手前方の「上浜田6号墳」を訪ねた。



県道のひさご隧道の上に位置し、住宅地の中の路地を入ると袋小路になったところに
フェンスに囲まれてかろうじて残っているといった感じであった。




この付近には瓢箪塚古墳を始めとする6基以上からなる古墳群があり、字名から「上浜田古墳群」
と呼んでいます。
上浜田古墳群には7号墳の北側や5号墳の南側にも古墳があったといわれ、相模川流域では屈指の
古墳群です。
上浜田6号墳は、発掘調査により周溝の一部が見つかり、一辺が22m程度の方墳であったと
推定されています。
出上した壺形上器から4世紀に築造されたこの地域の豪族の墓と考えられています。」



上浜田古墳群全体図(地形図は1965年当時)



6号墳平面推定図。



6号墳の頂上の発掘跡はシートで覆われていた。



左手に「海老名プライムタワー」・地上25階、107.8m高。



更に南下して「浜田三塚公園」に向かって進む。



「自然と歴史のさんぽみち」はここが「三塚公園」であると。



「大山」の頂上は依然として雲に隠れていた。



ここが、この後に訪ねた「曹洞宗 春日山 鳳勝寺」の墓地への入口(裏口)。



左手に目的の「浜田三塚公園」入口があった。



「浜田三塚公園」。



そして正面が「上浜田1号墳(馬捨塚)」。



「三塚(上浜田古墳群 第1~3号墳)」案内板。



この付近には瓢箪塚古墳を始めとする上浜田古墳群があります。
上浜田古墳群は、4 ~ 6世紀にかけて築造された相模川流域屈指の古墳群です。


このうち1 ~ 3号墳が近接していたことから「三塚」と呼ばれ、浜田町区画整理事業のなかで
1・2号墳が現状保存されて「浜田三塚公園」となっていますが、1号墳(馬捨塚)、2号墳ともに
未調査のため墳形や年代は不明です。
3号墳は、昭和48 (1973 )年の発掘調査の時にはすでに墳丘が失われていましたが、直径約35 ~
36mの周溝が確認されました。
この周溝から径30m前後の円墳と推定されていますが、出土遺物は無く、築造年代は不明です。
平成14 (2002)年の発掘調査て2号墳の西側にあった4号墳は、中世の塚てあったことが確認され
ています。

浜田三塚公園の南側には上浜田遺跡があり、浜田町区画整理事業に先立って発掘調査が
行われました。
この発掘調査て縄文時代早期の土坑基3基と滑石製缺状耳飾が埋葬した時の状態で出土し、
使用方法がわかる事例として貴重であることからこの耳飾6点が神奈川県指定重要文化財に
なっています。
また、奈良~平安時代の竪穴住居跡116軒、掘立柱建物跡1 6棟も見つかり、相模国分寺で
使われていた瓦や「進入」と書かれた墨書土器なども出土しています。
谷戸の部分からは鎌倉~室町時代の武家屋敷跡と推定される建物群が確認され、中国や朝鮮
からの舶来品の陶磁器、国産品の陶磁器などが出土しています。この建物群は、中世武士に
関わる貴重な遺構として神奈川県指定史跡(浜田歴史公園)として保存されています。」



「上浜田古墳群」の配置図。



「上浜田遺蹟」の発掘調査状況と出土品。



こちらの「1号墳」を上って行った。



「1号墳」の頂上に。



1号墳の頂上の発掘跡も土嚢とシートで覆われていた。



そして巨大な「鳳勝寺」の墓地が見えた。



そしてこちらが「2号墳」。



「2号墳」の頂上もシートで覆われていた。




                              ・・・​ もどる ​・・・


                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.05.18 18:50:17
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