JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.02.17
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カテゴリ: 国内旅行
そして、「六萬部寺(ろくまんべじ)」の奥の駐車場に到着。
平治の乱後、伊豆国流罪となった源頼朝は、配流地の蛭ヶ小島で父義朝の菩提を弔いながら
過ごしていたという。
六萬部寺の経塚は、頼朝が、父祖の冥福と源氏の再興を祈念し、法華経六萬部を 埋納した
場所と伝えられている。

1180年(治承4年)7月4日、伊豆山権現の僧文陽房覺淵(もんようぼうかくえん)を北条館に
呼び出している。
山木館襲撃が8月17日であるから、約1.5ヶ月前のこと。
頼朝は、挙兵前に法華経を千回唱えるつもりでいたのだという。
しかし、忙しくなり千回を達成することが難しくなってしまう
そこで、「たとえば八百回だとしたら功徳をつむことはできるのか?」 と覺淵に訪ねた。
すると覺淵は「八百回でもご利益はあるでしょう」と答えたという
本堂に対面する形で「経塚」があった。



「経塚」の前にあったのが「南無日蓮大菩薩」碑。



そして「六萬部寺」の本堂。
「六萬部寺」は現在は日蓮宗の寺。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原攻めの際に、韮山城を攻める豊臣方の出城として
使用されたという。本堂には花頭窓が。
 静岡県田方郡函南町柏谷430。



扁額は山号の「王城山」。



「永代供養 悠久廟」。



小さな「稲荷神社」。



「本堂」前の石仏。聖観音立像であろうか。



「本堂」前には七重石塔も。
六萬部寺境内とその周辺が「向原館跡」だと言われている。
鎌倉時代には狩野川の古流が流れ込み、台地側は一面の湿地帯であった。
館の遺構は明らかではない。
近年の研究によれば、韮山城攻めの付城(陣城)の可能性が高いようだ。 
なるほど、韮山城まで一望できる地形であり、寺の本堂裏手には低いが土塁が残り、
西側に面して切岸状の地形を見れば陣城の可能性は極めて高いように思われた。



そしてこちらが「六萬部寺」入口の山門・四脚冠木門(かぶきもん)。
我々は裏口から境内に入ったのであった。
「日蓮宗」、「六萬部寺」と。



右には「法界萬霊」塔。「南無妙法蓮華経 王城山 六萬部寺」の文字が。
法界とは、真理の世界、全宇宙のことで、萬霊とはこの世の中の、一切の生きもののこと。
この塔は供養塔としてあるが、造立することが供養の目的ではなく、造立し万霊をこの塔に
宿らせ供養することが目的であるとのこと。



「頼朝公経塚」と。



「鎌倉殿十三人の配役」発表の新聞記事。
秋元才加(あきもとさやか)さんが木曽義仲の愛妾・巴御前役に選ばれたと。
武勇に優れ、敬愛する義仲とともに戦場を駆け抜ける強く気高き女武者であると。
そして青木崇高さんが、木曽義仲に扮(ふん)すると。
木曽義仲は源氏の棟梁(とうりょう)の座を争う頼朝のライバル。快進撃で都に乗り込み、
平家を追放する武功をあげるが、後白河法皇と頼朝の政治力に翻弄(ほんろう)される人物。



「鎌倉殿の13人」の相関図。


https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/07/09/gazo/20210709s00041000180000p.html

「稲妻堂」。
昔々稲妻ケ池に棲んでいた龍が、婦人に化けて「あの世で苦しんでいる」と頼朝に訴えました。
頼朝が法華経を読経したところ、龍の苦しみは消え成仏できました。
その尊像を造り稲妻大明神として祀っています と「経塚」案内板には。



「稲妻堂」碑。



そして再び「頼朝公の経塚」。



「頼朝公の経塚」案内板。



「頼朝公の経塚
経塚とは、経典などを土中に埋めた塚のことです。この地の経塚は古墳を転用したと
考えられています。
​平安時代未期、伊豆に流された源頼朝は、父の冥福と源氏再興を願って、治承4年(1180年)
7月、僧と共に法華経を六萬部(六万部)読経しました。それを祝して 経塚 を築きました。
当初は高さ3メートル、縦15メートル程あったと言われています。これが「六萬部寺」いう
寺の名前の由来になっています。その後頼朝は、平氏を倒して鎌倉幕府を開き、見事に
祈願成就することとなりました。
山門横には「稲妻堂」があります。昔々稲妻ケ池に棲んでいた龍が、婦人に化けて「あの世で
苦しんでいる」と頼朝に訴えました。頼朝が法華経を読経したところ、龍の苦しみは消え
成仏できました。その尊像を造り稲妻大明神として祀っています。」


「経塚のイメージ」。
石室を造り、その中央に六萬部読経した記録を納めた経筒を配し、それを土盛りしたもの。
土盛りの上部には五輪塔を奉納。



「源頼朝/日蓮上人/六萬部寺」
​​


源頼朝の年表をウィキペディアより。





日蓮上人の年表部をズームして。



「頼朝公の経塚」に近づいて。
古墳を後世経塚(柏谷の横穴群と同時代の古墳(円墳))に転用したと思われる経塚。
源頼朝が韮山蛭ヶ小島に配流中、父祖の冥福と源氏の再興を念じ自ら衆僧とともに
法華経六萬部を読誦し、この地に経塚を築いたのが経塚の由来。



「六萬部寺」の墓地を見る。



再び「本堂」を見る。



鳳凰の姿が螺鈿細工の如くに。



駐車場近くから富士山の勇姿を。



境内にあった張り紙。
『ほんの少しの違い』
出来ない人は言葉で説得し
出来る人は行動で説得する
出来ない人は話したがり
出来る人は聞きたがる
出来ない人はお金を求め
出来る人は成長を求める
出来ない人は過去にこだわり
出来る人は未来にこだわる
出来ない人は不可能と思い
出来る人は可能と思う
出来ない人は他人のせいにして
出来る人は自分のせいにする
出来ない人は一人で頑張り
出来る人はみんなで頑張る
出来る人も出来ない人も
能力にほとんど差はない
ほんの少しの意識の違いによって
結果に差が生まれる。』
さあ皆さん一つだけでもチョイスして、本年は昨年以上良い年にしましょう!
新型コロナウイルス早期終息を祈念します。 合掌



そして近くにあった「天降(あまおり)神社」に立ち寄った。



「向原鎮守天降神社」碑。
静岡県田方郡函南町柏谷443。



石段を上がると社殿が姿を現した。



狛犬(阿形像)。



狛犬(吽形像)。



社殿の内陣。



                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.03.08 21:25:59
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