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1933年に建立された石碑。石碑がある場所は、寒川神社の神輿(みこし)が浜から戻る際に
小休止する御旅所。御旅所を出発する際、地域の人々が麦の茎を燃やして神輿に投げ掛ける
習わしがあったと、石碑には刻まれていた。この習わしには、海の塩で清めた神輿をさらに
火で清める意味があったとされると。
裏面は逆光で・・・。
2.景時父子が討死してからしばらく後のこと。景時の奥方を守って信州に隠れていた家臣7人が、
世情が変わったのを見て鎌倉に梶原氏の復権、所領安堵(領有権を認めること)を願い出た。 しかし許されず、七士はその場で自害しこの地に弔ったという説。
寒川町の寺社旧蹟を巡る(その26) ・ … 2022.07.29
寒川町の寺社旧蹟を巡る(その25)・ … 2022.07.28
寒川町の寺社旧蹟を巡る(その24) ・ … 2022.07.27 コメント(2)