JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.12.30
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カテゴリ: 国内旅行
遊歩道を引き返して、石段を上って行くと右側にあったのが「 鐘撞き堂 」。



梵鐘。



「満州事変 支那事変 大東亜戦争 戦没者慰霊碑」。



石段横には、屋根が苔むした石燈籠。



石段に戻って「鐘撞き堂」を振り返る。
こちらの石燈籠の屋根は全面苔生して。



京都・清水寺の舞台の如く、山の斜面にへばりつくように建てられた、「懸造り(かけづくり)」
の社殿が大きく見えて来た。千葉にあった「笠森観音」も同じ様な構造であったが。




ここにも蛇の像が。弁財天は七福神の一人でもあり、蛇や龍の化身ともいわれているのだ。



ここにも地蔵尊が。



前方に「 銭あらい弁天 」。



「銭あらい弁天
いわれ
この銭あらい弁天は北海道蛇紋石として、巳の年に見つけられた二匹の大蛇に抱かれた
タマリ石として作りあげられました。どなた様も鉢の清水で財布の中の銭を洗い清め同額を
浄財として、残りをフトコロに託したへしたならば、キット思いが叶えられると信じます。」と。



小さな祠の内部には白蛇が2匹刻まれた石碑・タマリ石があった。

その御利益は未だ・・・・!?。



「御参拝の皆様へ
当磯山弁財天は八本手を有し頂上に白蛇に巻かれた宇賀神像を拝し、地球上のあらゆる物を
司る菩薩様方が十六人の童子になぞられてそれぞれのお支度で一団となり辨財天の御指示を
お待ちするかの様なお姿で御厨子に安置されて居り、あらゆるお願い事が可能とされ、特に

お使いとされ、昔から大切に保護されてまいりました。良く長い蛇の夢を見ると幸先がよく
縁起が良いとされて居り、野山に行き突然蛇に出合うと、一瞬怖さを感じますが後で明るい
希望や期待に胸さわぎをおぼえたもので御座居ました。辨天様を信仰される皆様、辨天様と
共にやさしく皆様をお守りしている白蛇に感謝と労りのお気持ちでお希望の所を何回か
さすって上げて下さい。益々幸運に巡り合れます事と信じます。 合掌」



そして石段の上に目的の「磯山弁財天」の「 本殿 」の姿が現れた。



「磯山弁財天」は鎌倉時代に再建されたと。
そしてこの「本殿」の建物は釘を1本も使っていないのだと。



「本殿」に入ると「 阿呍(あうん)の大蛇 」と書かれた白蛇の像が出迎えてくれた。
台座には「奉納 阿呍の大蛇」と。
阿呍という名が付けられているが、口を開けた「阿(あ)」の像が見当たらない。
「何故?」と言いたいところだが、大蛇の口が「呍(うん)」と閉じている
「呍(うん)」の像しか無いことから、「運(うん)がある」と言われ、縁起物とされていると。
ダジャレ的に受け止めればよいのかも



見事な極彩色の透かし彫り。
修復の際に奉納されたもののようであった。



「弁財天の由来
音楽、弁才、福智、延寿、除災、得勝を司る天、妙音天、美音天、大弁才、功徳天とも称する。
もと河川を神格化したもので我国にては七福神の一」」



扁額は「磯山宮」と。



内陣。



この時、「本殿」にいたのは私達2人のみ。
よって「本殿」を二人占め。
「本殿」の建物内には狭〜いハシゴのような階段があり・・・さらに上に上る事が出来る
ようであったが・・・。



佐野市出流原町の南東方向の街並みを見る。



「本殿」の西側。



絵の姿は・・・。
下の絵馬にある緑の龍が描かれていたのであろうか?



「開運 絵馬」。



「過日、佐野警察署に賽銭泥棒が境内で複数現行犯逮捕されました。御参拝の皆様には
安心してお詣りが出来る事と思います」と意味深長!?な言葉が書かれていた。



「赤見温泉 フィッシングフラワーパーク」の奥にある池を望む。
後ほど訪ねた池の中の島の木々も紅葉していた。



「本殿」の裏側にも大きな岩の割れ目があった。



人が入り込めるような空洞が奥深くまで続いているようであった。
先程の「風穴洞」と繋がっているのであろうか?



帰りにも「阿呍(あうん)の大蛇」をみて「じゃぁ(蛇)またね!!」と。



物価上昇の折、賽銭笊には1円玉が多かったが。



そして石段を下りながら「鐘撞き堂」を見下ろす。





再び「懸造り部」を振り返る
「木造 朱塗り 桁行五間 梁間四間 貫五段 懸崖型 内側階段あり(木製)」と。



そして「楼閣」が下方に見えて来た。



再び「磯山の大蛇」を横から。今にも動き出しそうに!!
旅友はこの前を何故か足速に!!



楼門の中には太鼓橋風の朱の橋が渡っていた。



小さな石仏も所々に鎮座。



南天の実も楼門の朱に負けじと。



「抜け道」を進み「 涌釜(わっかま)神社 」へ。



扁額「涌釜神社」。



正面から。
大正2年に旧地より現在地に造営遷宮し、名水百選にも指定されている「弁天池」の辺りに
鎮座している。
水の神ならびに子守りの神として子連れの参拝者が多い と。



内陣。
御祭神:天児屋根命、別雷命、菅原道真朝臣命
御利益:水、子供の守護
例大祭日:10月第2日曜日
創建:不詳



斜面に立つ石祠。



「関東ふれあいの道」案内板。



「涌釜神社」の階段、左手前あたりに境内社である「西宮神社」があった。



青く透き通った湧き水を貯める「 出流原弁天池 」を見る。



「出流原弁天池(いずるはらべんてんいけ)
出流原弁天池(県指定天然記念物)は、地下水が古生層石灰岩の亀裂から湧き出してできた
もので、国の名水百選に選はれています。周囲138mの丸い池で、池底は地下洞窟の存在を思
わせる地形・地質となっています。
また、出流原(磯山)弁財天は、藤原秀郷が創建したといわれており、三層楼の舞台造りの
弁天堂に祭られています。本殿からは佐野市街を一望でき、風穴洞からは、四季を通して冷風
が感しられます。」



自然石の台座の上には石碑が。



辨天池テレビ放映記念碑
昭和六十三年六月二十二日午後一時二十五分よりNHK関東甲信越ネットワークの時間帯に
於いて、テーマ水風土と題して弁天池並びに磯山公園一帯の風物が広く関東甲信越地区に
照会放映された事を記念すると共に、新たに弁天池が我々の生命の源であり人間はもとより
地上の生きとし生けるものにとって欠く事のできない貴重なる環境資源であり、幾世代にも
わたって大切に保全してきた多くの先人の努力を思い起し現在其の恩恵に浴して、我々は
此の美しい弁天池の自然の水環境を次の世代の人達に大切に守り申し送る事が我々の任務と
信じ記念として左の事業を行い記念碑を建立する。」。



「奉納 緋鯉 千キロ 昭和五十九年十月十日」と。



                               ・・・もどる・・・



                 ・・・つづく・・・





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Last updated  2023.01.06 08:08:33
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