JINさんの陽蜂農遠日記

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2023.04.17
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カテゴリ: 国内旅行
「伊能忠敬旧宅」の見学の後は 「小野川」に架かる「樋橋」 に向かって進む。



「佐原の歴史的町並み」案内板
香取市佐原の小野川と香取街道沿いには、江戸時代から利根川水運により繁栄した商家の町並みが
残っていた。和風の町屋や洋風建築など、時代の変遷を映し出す伝統的建造物が、小野川の河畔や
香取街道、下新町通り沿いに佇み、住民の暮らしが息づいていたのであった。
このような落ち着きと風格ある地区は伝統的建造物群保存地区及び景観形成地区に指定され、
まちをより良くするため住民の協力のもとに建築物の外観の保存、再生に努めているのであった。



「樋橋(ジャージャー橋)」手前にある「 だし
今は 観光船・小江戸佐原舟めぐり の乗り場になっていた。



小江戸佐原舟めぐりに出発する舟、そして手前には次に出発する舟が準備中。



「樋橋」手前下に舟をつける船頭。



私も1300円払って「 小江戸佐原舟めぐり 」のチケットを購入。
おみこし会社 ぶれきめら 」の文字が。
「ぶれ」はギリシャ語の「青」で、水郷佐原の水の青・空の青を表しています
会社のトレードマークの 「きめら」はギリシャ神話に出てくる、頭は獅子・胴は山羊・尾は蛇と
いう伝説上の生き物です。それぞれの異なる能力・才能を集めて、より優れた「まちおこし」の
仕事を成し遂げようという願いから名付けました とネットから。




関東地方で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された江戸風情が残る町並みを
サッパ舟風の観光船 から、のんびり、ゆったりよ眺めることができるのであった。
四方を水に囲まれた水郷地帯であるこの地域は、水とは切っても切れない土地柄であり、
農業や生活には櫓(ろ)を使う漕ぎ舟(通称・ろ舟)が欠かせませんでした。
そのろ舟のことをこの地域ではサッパ舟と呼ぶとのこと。

・笹の葉に似ていた、
・サクバタ(作場田)舟が訛って変化した、
など諸説あるとのこと。
船頭さんの操るサッパ舟に揺られて水路をめぐる舟旅は、水郷情緒たっぷりなのであった。



救命胴衣を着けて靴を脱いで足を伸ばしてゆったりした気分で楽しめた。
舟にはこたつがセットされて足元は温かく見学できたのであった。
定員は10名のようであった。



舟めぐり運行コース 」。
「伊能忠敬旧宅」前から出発し、「北賑橋」手前で折り返す のであった。



そして出発。前方に見えてきたのが「 忠敬橋 」。
「忠敬橋」は、香取市佐原の中心部小野川と香取街道が交差する地点に架かる橋である。
もともと大橋(佐原大橋)と呼ばれていたが、1882年(明治15年)1月に佐原の人々が協力して
アーチ型をした橋長8間、幅員3間の石橋に架け替え、「協橋(かなえばし)」と名づけられた。
総工費は4,840円20銭8厘。 第二次世界大戦後は交通量の増加に伴い橋梁幅員が狭くなったため、
1957年(昭和32年)に1.8mの拡幅を行った。 アーチ型をしためがね橋は町の中心にあった
ことから佐原のシンボル的存在であったが、自動車交通量の更なる増大や老朽化により1968年
(昭和43年)4月にコンクリートの新しい橋に架け替えられ、郷土の偉人伊能忠敬翁から
「忠敬橋(ちゅうけいばし)」と名づけられた とウィキペディアより。



下流にある利根川に向かって進む。



右手の「だし」と呼ばれる荷揚げ場には小さな木造の小屋が置かれていた。



内部には、かわいい雛人形が飾られていました。



両岸の全ての「だし」の場所に。



カーブの先、右側には黒塗りの土蔵が。



そして正面には「共栄橋」その先に 「NTT東日本 佐原ビル」の鉄塔 が見えた。



「共栄橋」を潜る。



その先にあったのが「 中橋 」。



ここにも雛飾りが。



中橋 」を潜ると左に緩やかにカーブして進む。



今年、2023年3月12日に「​ さわら雛舟春祭り ​」👈リンク が行われたとのこと。
ここ香取市の佐原地区を流れる小野川を雛衣装を着たお雛様とお内裏様が舟に乗って
パレードするイベント。
「さわら雛舟春祭り」では、5艘の舟が次々と小野川に登場。お雛様・お内裏様や三人官女
などが本物の十二単などの華やかな衣装に身を包み、船上パレードを行ったと。
2艘目の舟には香取神宮の雅楽隊が乗船し、雅楽の生演奏も披露された。
さながら歴史絵巻の世界に迷い込んだような光景に観光客は皆、思わずうっとり!とネットには。



前方にも野鳥の群れが羽を休めていた。
「カルガモ」であっただろうか?



2種の野鳥が仲良く。
「コブハクチョウ」と「カルガモ」であろうか。



「コブハクチョウ(
「コブハクチョウ」は顔がピンクがかり、ひたいに名前の通りのコブがあります。



そして小野川沿いの街路灯にはオブジェが。



振り返って。



そして「 JR鹿島線 」の「 小鮒橋 」。



その先に「 新橋 」。



前方に緑の欄干の橋が。



万代橋 」。



引き返す前便の舟とすれ違い。手をふる我が自治連の会長。



そして前方に国道356号・利根水郷ラインに架かる「 北賑橋 」が見えて来た。



正面に「だし」が見えた。



そしてこの先・「 北賑橋 」手前でUターンして折り返す。



この「だし」の場所には雛飾りの小屋はなかった。



この黄色い花木はソシンロウバイであっただろうか?



「JR鹿島線」の下を通過し「 開運橋 」へ。



「開運橋」の欄干にある、 「鯉」のオブジェ に触ると「開運」すると船頭さんから。



「カルガモ」の群れを再び。
雌雄同色で嘴の先が黄色いのが特徴。



だし 」。
小野川から物資を陸に上げるための河岸である「だし」が今でも残っていて、
川沿いの通りから川岸へ降りる階段があちこちに保存されているのであった。



「だし」に置かれた雛飾り小屋の先に大きな土蔵の如き建物が現れた。
明治34年の建造物を改装した「 フランス料理店・夢時庵(ムージャン) 」と。
ネット情報では閉店しているようであるが・・・。



家紋の如き文字は「正上」と書かれていると師匠から。
寛政12年創業の「いかだ焼本舗正上」の蔵であったのだろうか。



「だし」に置かれた雛飾り小屋を再び。
柳が芽吹き、緑の葉が風に靡くこの場所の光景は美しいのであろう。



そして前方に終点手前の橋・「忠敬橋」が見えて来た。



そして終点の「樋橋」に到着し下舟。



「樋橋」の先には次に訪ねた「 伊能忠敬記念館 」の建物が確認できた。



樋橋 」。
その隣に「 手づくり郷土賞 」の銘板。



樋橋(とよはし)
樋橋は、江戸時代の初期、佐原村の灌漑用水を東岸から西岸に送るため、木製の大きな
樋をつくり小野川に架けられたものです。
もともとこの橋は、人を渡すためにつくられたものではなく、後に大樋を箱型につくり、
丸太の手摺を付け板を敷いて、人が渡れるようになりました。
橋の名は、大樋でつくられたので樋橋といい、また大樋から水がジャージャーと流れ落ちて
いたのて「ジャージャー橋」とも呼ばれました。
昭和に入り、コンクリート製となり、現在の橋は平成四年に架け替えられたものです。」



「樋橋」の上から乗舟・下舟場を見下ろす。



「樋橋」を渡り、対岸から「 伊能忠敬旧宅 」を再び。
「小江戸佐原舟めぐり」の観光客の数も増えて来ているようであった。



そして「樋橋(ジャージャー橋)」は落水施設の故障により落水できない状態がこの日も
続いていたが、2023年3月24日に復旧が完了し、午前9時から午後5時まで30分間隔で落水し、
その水音を聞かせてくれるようになった とネットには。
もとは江戸時代の前期につくられた佐原村用水を、小野川の東岸から対岸の水田に送るための
大樋であった。300年近く使われ、戦前にコンクリートの橋になってからも橋の下側に
つけられた大樋を流れる水が、小野川にあふれ落ちて「ジャージャー」と音を立てるので、
「ジャージャー橋」の通称で親しまれていたとのこと。
今の橋は観光用につくられたもので、この樋橋の落水は「残したい日本の音風景100選」に
選ばれていると。




                               ・・・もどる・・・


                 ・・・つづく・・・





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Last updated  2023.04.18 11:32:14
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