PR
Keyword Search
Comments
Calendar
はらわれてきた。
すでに300年も前の江戸時代初期(1654年)、ふくれあがる江戸の水不足をまかなうため、
玉川上水が開かれ、江戸からおおよそ50キロメートルも離れた羽村から玉川の水が市中に
引かれた。
時は変わって明治となり、首都が東京に移されるや発展する都市に不可欠な 近代水道の建設が
急務となった。
そして、 明治23年(1890年)
、ここ旧東京府南豊島郡淀橋町に34万平方メートルの敷地を求め、
玉川上水によって導かれた多摩川の水をここで沈でん・ろ過のうえ、 200万人の市民に上水
を
供給できるという、当時としては、画期的な規模の 淀橋浄水場が建設
されることとなった。
明治31年その一部が完成し、神田、日本橋地区へ給水が開始され、ここに東京の近代水道が
誕生した。
以後、明治、大正、昭和と東京の歴史とともに歩み続けた淀橋浄水場は、昭和40年(1965年)
東村山浄水場にバトンを渡し、給水開始以来60数年の歴史を閉じ、その跡地は、新しい東京の
象徴ともいうべき超高層ビルの街に生まれ変ることとなった。
ここに展示されているものは、内径1,000ミリメートル蝶型弁といい、かつて淀橋上水場で
使用されていたものである。
東京は、今、この超高層ビルの街が象徴するように、ますます発展しようとしている。 そして、
この大都市が必要とする水も、遠くはるか20キロメートルも離れた 利根川上流にまで求めている。
ここに展示された蝶型弁から、かつてここに都民の水をかなかうため、満々と水をたたえた
浄水場のあったことを、想いおこしていただき、あわせて大都市における水がいかに大切な
ものであり、またその確保が大変困難なものであることをご認識いただれば、はなはだ幸いです。
1974.4 元東京都水道局長 元淀橋浄水場長 小林重一」
御用邸のある町・三浦郡葉山町を歩く(その… 2024.06.16
御用邸のある町・三浦郡葉山町を歩く(その… 2024.06.15
御用邸のある町・三浦郡葉山町を歩く(その… 2024.06.14