JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.02.04
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カテゴリ: JINさんの農園
更に熱海梅園の紅葉を追う。


陽光に輝く紅葉を振り返って。



「熱海梅園のご案内」。
現在地はEの手前。



梅園五橋「雙眉橋(そうびばし)」 方向を見る。



「雙眉橋」は梅園のほぼ中央に位置するアーチ型の橋。
小川の両岸のみどころをまたぐ二つのアーチ型の橋という意味だと思いますが、この橋の




移動して「雙眉橋」をズーム。



この付近は、この日が見事な紅葉のピークではと。



黃、オレンジ、赤、緑のカオスの世界をカメラで追う。









石段の上を清流が流れるが如くに。



駐杖橋(ちゅうじょうばし) 」は唯一朱色に塗られた印象深い橋。
熱海梅園は日本一遅い紅葉でも有名だが、紅葉の季節にこの橋は最も映えるのであった。



澤田政廣記念美術館のお知らせ 」。
あたみっこ澤田政廣 』展覧会が令和5年8月25日(金)~令和5年12月17日(日)に開催中。

熱海の海辺に育ち19歳で彫刻家を志し、高村光雲(たかむらこううん)の高弟山本瑞雲
(やまもとずいうん)に師事した。93歳で没するまで、多くの木彫作品をはじめ、絵画、陶芸、
版画、書など、さまざまな芸術領域にわたり創作。力強く生命感と詩情にあふれた作品は、
人々の胸に多くのロマンを語りかけるのだ と。



近づいて。






そして真赤に変身したモミジ葉に射し込む陽光を。



その先にあったのが「 梅見の滝 」。



「梅見の滝」。
熱海梅園の中にある滝。梅園入口から奥の方にある。
適度な水量で滝が落下している。滝の流れ落ちる岩肌が洞窟のようにくり抜かれており、
滝の裏側から鑑賞できる のであった。
滝の水量も多すぎず少なすぎず適量で、紅葉とセットで眺めると味わい深かったのであった。



滝の裏側を移動し、くり抜かれたそれぞれの大きな孔からシャッターを押す。







滝の裏側の通路は「 梅見の滝内通路 」と。



順路と案内板。



近づいて。



再び朱の「駐杖橋」を見下ろす。



梅見の滝 」碑がここに。



小松勇次先生之像
「小松勇次先生之像」は、熱海梅園を国から払い下げを受けた当時(1960)の市長。
この像は澤田政廣作によるもの と。



茂木氏梅園記念碑 」の上部には「 茂木氏梅園記 」と。



下の如く刻まれているとネットから。



茂木氏梅園記碑文の日本読
  内閣総理大臣兼宮内大臣従二位勲一等伯爵 伊藤博文 篆額



茂木氏梅園記の要約
初代総理大臣 兼 宮内大臣従二位 伯爵 伊藤博文 篆額
温泉がよく病気に効くのは、ただその中に含まれている塩気や鉄精にばかり頼らず、 適当な
運動をするからである。 もし、一日中室にいて、温泉に浸かっていたら倦きもし、疲れもして、
養生にならない。
山に囲まれ、東南に海を臨む熱海は、温泉で知られている。人々は斜面を削って家を建て、そこに
住んでいる。また、東京から遠くなく、その上、気候が温暖なため冬から春にかけて多くの
都会人が来浴する。
私は、初めてこの地に足を運び、山を巡ってまちの西側を散策すると、起伏に富んだ景色のよい
場所を見つけた。そこは清流が乱石にぶつかり、その発する音は風雨のようで、分れたり、
合流しながら勢いよく葦藪(よしやぶ)の間を流れ下っている。
清流の西側に松や檜がうっそうとした丘があり、そこに登って休んだ。振り返って見ると、
あたりはのどかに落ち着き、しばらく帰ることを忘れていた。
明治十八年(一八八五)四月、岩倉具視大臣の命令を受け、滊館を落成させた。私は、
「この地の温泉の効用は顕著であり、今、この館が完成して療養施設は備わったが、保養の場所が
ないのが残念である」と人々に説いた。そして、前に見つけた場所について話し、そこを造成する
ことを提唱した。
すると、中山保次郎神奈川県議会議員が進んでこれに賛成し、横浜の茂木惣兵衛にもちかけた。
すると惣兵衛は喜んでこれに応じ、中山氏及び地元の日吉、小松、露木の諸氏と相談してその
事業に乗り出した。
草木を伐採し、穢れを流し、地形にならって梅三千株や松・杉・楓・柳を植栽した。すると、
清流は益々清く、趣のある岩もたくさん出てきて、山水花木、四季の眺めも美しくなった。高みに
四阿をつくり、流れには小橋を架け、遊園の設備も整った。
人々はここに集まり、酒を酌み、詩を吟じ、全てを忘れ、心なごみ、楽しむことができる。これで
こそ、初めて温泉養生の効用を完全に引き出したといえよう。
梅を最も多く植えたので、「茂木氏梅園」といわれる。茂木氏は豪商であり、どんなことでも
できるだろうが、彼はそうせず、私財を投じてこの事業をおこない、それを私することなく
大衆のために開放した。実に偉いではないか。
さらに、この花木泉石の名勝は、単に風雅な遊びに適しているばかりでなく、国のために尽くして
いる人々の疲れを癒し、志気を壮大にし、発想をあらたにさせることができる。その効果は非常に
大きい。以上を記し、来園者に伝える。
 明治ニ十年四月内務省衛生局長 兼 元老院議官従四位勲三等  長與専斎 撰
                                                                                    市河三兼 書
                                                                                    宮亀年    刻
【碑の裏側に】
茂木氏がこの園の造成に取り掛かると、横浜の平沼専蔵、朝田又七の両氏も資金を提供するなど
協力したことも伝えるべきだ。東京の庭師小川九兵衛が工事を監督した。もともとの天与の
地の利もあるが、工事が完成して眺めると、益々素晴らしく、工事にかかわった人々の努力や
苦労も忘れてはならない。このことも碑の裏側に氏名などを記し後世に伝える。
                                 専斎又記す」


そして「​ 熱海市立澤田政廣記念美術館 ​」👈リンク そして手前に橋が。




                                 ・・・​ もどる ​・・・



                  ・・・​ つづく ​・・・







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Last updated  2024.02.22 18:36:33
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