JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.03.07
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カテゴリ: JINさんの農園
日本平の無料駐車場に車を駐め散策開始。
富士山を背景に「 日本平 」と刻まれた石碑。
静岡県静岡市清水区村松4046−1。



この「日本観光地百選」1位受賞記念碑は駐車場内に設置されていた。
日本観光地百選首位当選 」と刻まれたこの記念碑は、昭和25 年毎日新聞社主催の
「日本観光地百選」平原の部で1位に選出されたときの記念碑。
「日本平」と刻まれた石碑と並んで撮影すると富士山を背景に入れ込めるため、定番の




富士山をズームして。



日本平デジタルタワー 」方向を見る。



左手には「河津桜」がピンクに染まり開花が始まっていた。



ズームして。



日本平の碑 」。



裏面には。



「日本平は、昭和26年3月6日に県立自然公園に、昭和34年6月17日に国の名勝に指定されました。
すぐれた自然の風景地として、また、眺望地として保護されています。」



駐車場から富士山を望む。



日本平 山頂 MAP


「日本平」の地図部分を。



「日本平 川崎家」へ休業中?
右側の屋上は「パノラマ展望台」になっていたようであった。



坂道を上って行った。



日本平夢テラス



石仏の姿が。



享保ニ(1717年)丁酉三月廿五日 守屋源右衛門 」と刻まれていた



「日本平公園 案内図」。



「日本平夢テラス」に向かって 坂を上って行った。



日本デジタル放送所 」の巨大アンテナタワーが聳える。
静岡県のテレビ放送を送信する集約電波塔。静岡県のテレビ放送の親局送信所であるとのこと。
2005年度グッドデザイン賞・静岡県建設業協会賞優秀賞を受賞していると。



ズームして。
アナログテレビ放送の送信所であった日本平テレビ・FM放送所に隣接する敷地に建設されたため、
これまで日本平からの電波を受信してアナログテレビ放送を視聴していた世帯の多くでは、
デジタルテレビ放送の視聴のためにアンテナを増やしたり、方向調整などをする必要がない。
地上波アナログテレビ放送で、静岡瀬名、静岡麻機、静岡賤機、静岡籠上、静岡羽鳥、静岡丸子、
静岡興津などの中継局の放送波を受信していた世帯も、そのほとんどが日本平デジタルタワーの
受信エリアに集約された。これらの地域の世帯で新たに地上デジタル放送を受信するためには、
アンテナの増設か、アンテナの向きの調整が必要になる場合がある とウィキペディアより。



山頂に向かう途中に駿河湾と富士山を一望できる見晴台が整備され、2つの石碑が設置されていた。
いずれもまだ新しく、平成25年の富士山世界文化遺産登録を記念して建てられたもの。
この2つの石碑が設置された場所は見晴らしも良く、大人数での記念撮影の人気のスポット と。
そして、 日本平夢テラス庭園 の手前には 富士山の山頂をイメージしたイルミネーションケーブル が。



日本平夢テラス庭園 をズームして。



向かって 右側の赤茶色の石碑は平成27年2月23日(富士山の日)に寄贈された石碑 で、
表面には 元内閣総理大臣中曽根康弘氏による題字「眺望の地 富士山」 が刻まれていた。



向かって左側の石碑は平成27年6月に寄贈されたもので、 表面には梅原猛氏による題字
「草木国土悉皆(しっかい)成仏 国土は富士なり」 が刻まれていた。



富士山をズームして。



さらに。



そして 日本平夢テラス庭園 を後にしてさらに坂を上っていくと左手には母子像が。



見つめ合う母と娘。
「赤い靴」は履いていなかったが、以前は赤く塗られていたが消えてしまったのであろうか?



「​ 赤い靴はいてた女の子 異人さんにつれられて行っちゃった ​」👈リンク。



廻り込んで。



娘の顔を。



童謡 赤い靴をはいていた女の子を尋ねて
野口雨情の詩になる童謡"赤い靴"をはいていた女の子にはモデルがありました。
明治37年7月15日清水市宮加三(旧不二見村)に生まれた「岩崎きみ」がその子です。
「きみ」とその母親「かよ」とは、故あって北海道にわたりますが、この地で母は、 まだ2歳に
なったばかりのわが子を、アメリカ人宣教師ヒエット夫妻に、その養育を託すさだめとなりました。
やがて宣教師夫妻には母国への帰国が命ぜられますが、この時すでに、「きみ」は不治の病に
おかされており、夫妻はやむなくこの幼な子を孤児院に残して旅立ちました。
「きみ」はひとり、癒えることのない病の床にあって相見ることもかなわぬ母を慕いながら、
わずか9歳の短い生涯を終えたのでした。
いま、この女の子は、東京六本木にある鳥居坂教会の共同墓地に眠っております。私たちは、
この幸せ薄い母と子のかなしみに思いを寄せ、母と子をふるさとの地、不二見村を見おろすこの
日本平山頂に、再び相いあわせようと考えました。
ここに全国数万人に及ぶ人々からの浄財を得て、この像の建立ができましたことに、 人間の善意と
尊厳に大きな感動と希望をおぼえるものであります。
     母と子よ、永遠に安らかなれ
  昭和61年3月31日
          「赤い靴」の女の子母子像建設委員会
                母子像制作  高橋 剛」



八角形の「日本平夢テラス」を見る。



そして石段を上り、「 山頂 吟望台 」から「 日本デジタルタワー 」を見る。
手前に八角形の「 日本平夢テラス 展望回廊 」が「日本デジタルタワー」の周囲に。



山頂 吟望台 」からの絶景。



ズームして。



さらに。



吟望
昭和5年、日本平観光の発展を図る道路整備に着手した清水市では、徳富蘇峰に委嘱して
眺望の良い場所を4か所選び、それぞれ「望岳台」「超然台」「鐘秀台」「吟望台」と
命名されました。4箇所には記念の石柱が建てられ、そのうちの一つが日本平山頂にある
「吟望台」の石柱です。駿河湾、伊豆半島、富士山を一望できる絶景ポイントでもある吟望台は、
近年では清水の港あかりを含めた夜景スポットとしても好評を得ています と。



吟望 「日本平デジタルタワー」を見る。




日本平夢テラス 展望回廊 」手前から「日本平デジタルタワー」を見る。



吟望䑓の周囲のフェンスにあった展示パネル。
名勝 日本平
日本平の価値
◎自然的要素
景観   :・山頂部から一望できる四周眺望・雄大な富士山
      ・清水港、三保半島(三保松原)、清見潟、久能山、    
       伊豆半島から御前崎にかけての駿河湾一帯、南アルプス
地形・地質:・北東から北西側・・・活しゅう曲をあらわす、なだらかな丘陵
      ・南東から南西側・・・浸食によって形成された急峻な崖地
植物    ・ソメイヨシノ・オオシマザクラ・スジダイ・タブノキ・ヤブツバキなど」
歴史文化的要素
[日本武尊伝説]
 ・その昔、日本武尊が賊を平定した後、この山の頂上に登り、四方を眺めたところから
  日本平と呼ばれるようになった。
[久能寺への参詣道]
 ・平安から中世にかけて久能寺への参詣道が通る
[徳富蘇峰が富士山展望地点を名付ける]
 ・4箇所の展望地点に石碑を建立
日本平公園基本計画
基本理念  「富士山に代表される四周眺望」の魅力や「富士山」を介した文化性を視座とし
       視点場となる緑地環境の再生と「名勝日本平」の文化的資産としての価値を
       継承・発展させる
基本テーマ 「風景美術館=日本平」
       日本平は国の名勝地、県立自然公園に指定され、日本観光地100選「平原の部1位」
       に選ばれた標高高307メートルの丘陵地です。山頂部からは2013年6月に
       世界文化遺産に登録された「富士山」を北北東に望み、銀下にはその構成資産と
       なった「三保松原」や日本三大美港の「清水港」の美しい景色が広がります。」



日本平の文化と周辺の史跡
日本平から描かれた富士山
世界遺産「富士山」は、その崇高さから数多くの絵画作品に描かれています。その中でも伝雪舟
「富士三保清見寺図」(永青文庫蔵)は、富士山絵画のひとつの手本となっており、日本平か
富士山を眺めることで、絵画の風景を味わうことができます。」



「清見寺蔵 富士三保清見寺図」
横長の画面に富士と三保松原、清見寺を中心とする景観を描いた本図は、近年の研究により
雪舟の原画ではなく、室町時代に描かれた忠実な模本と考えられているが、現存作例の極めて
乏しい雪舟の真景図を考える上で非常に重要な作品と位置付けられている。
また本図は、二代藩主・細川忠興に雪舟門人の祖父をもつ松田円斎が献上したものである と。



日本平周辺の史跡他 」。



日本平の地形・地質
日本平のある有度山には、東西約6キロメートル、南北6キロメートルの範囲に広がる。標高
307メートルの独立した丘陵です。北側は緩やかな斜面となっている一方、駿河湾に面する南側は
急な崖が連続する地形になっています。
山の北側斜面には茶畑やみかん畑が広がる一方、南側の崖のふもとでは石垣いちごの栽培が
盛んです。日本平を散策すると、所々に地層を見ることができます。地層の中の石は角が取れた
丸い形をしており、安倍川の河原にある石と良く似ています。この石は円礫といい、有度山の
成り立ちを示すものです。
有度山は、古い方から順に、根古屋層、久能山層、草薙層、子鹿層、国吉田層の5つの地層に
よって造られています。根古屋層は約44万~27万年前の海底の地層で、深層の所々に円礫の層が
挟まれています。この地層からは、貝やサメの歯など、海に住む生き物の化石が見つかります。
久能山層は、大昔の阿部川が造った扇状地の礫層で、ナウマンゾウの歯が見つかっています。
さらに、草薙層は浅い海(内湾)の泥層、その上に重なる子鹿層と国吉田層は扇状地の礫層です。
これらの地層は、およそ10万年前から急速な隆起を始め、丘陵へと姿を変えてきました。
隆起にともなって地層が北向きに傾くとともに、駿河湾に面した部分は波によって削られ、
崖地形ができました。波で削り取られた地層の砂礫は北東方向に流され、三保半島の一部に
なったと考えられます。」



富士山の高さと駿河湾の深さ
日本一高い富士山の標高は3776メートル、日本一深い駿河湾の水深は2400メートル以上も
あります。海底から山頂までの高低差は6000メートル以上で、ヒマラヤ山脈の高さに匹敵します。
日本一深い駿河湾では、陸のプレートの下に、伊豆半島を乗せた海のプレートが沈み込んでいます。
日本平の降起は、プレートの沈み込みにともなう地般変動に関係していると考えられます。」



4つの石碑と徳富蘇峰
日本平が富士山眺望の名所として知名度を高めた要因のひとつが、徳富蘇峰の存在です。
大正15年に日本平に登り、山頂からの風景を絶賛、昭和10年に徳富蘇烽が選んだ4箇所の
富士山展望地点に、顕彰碑が建てられました。」
01望嶽台  日本平から下った東斜面の舌状に突き出した台地が展望台の1つに選ばれました。
                登山道と接しており、遠くに富士山、眼下に清水区市街地と清水港を望むことが
      できます。
02吟望台  日本平山頂広場にあり、蘇峰はこの情景に藤田東湖の「秀でては不ニの嶽と為り
      巍々として千秋に聳ゆ」を口ずさみ、わが大和民族の国民性は、この霊山に由って
                代表すると感嘆を禁じ得なかったと伝えられています。
03鐘秀台  久能寄リの有度山山頂で、前面に富士と三保を、背面に久能の峡谷と駿河区市街地を
      望み、さらに御前崎灯台も遠望できる場所です。
                ※現在は木々に囲まれています。立入禁止範囲です)
04超然台  有度山山頂( 307.2m )で、吟望台と鍾秀台の三角形の一頂点です。
     「四顧さえぎるものなき雄大な眺望は、正に超然台の名にふさわしい」と当時の新聞に
     掲載されました。
      ※整備範囲外です」

静岡市のお茶
お茶のはじまり
我が国のお茶は、平安時代に最澄や空海などの僧侶が唐(中国)へ留学した際にお茶を
持ち帰ったのが始まりとされています。その後、鎌倉時代には栄西禅師(1141 ~ 1215 )が
「喫茶養生記」を表し、「茶は養生の仙薬なり、延齢の妙術なり」とお茶の効能を紹介したため、
お茶への関心が高まりました。
静岡市のお茶は、鎌倉時代中期に栃沢(葵区)生まれの聖ー国師(1202 ~ 1280)が、仏教の修業を
終え、宋(中国)から帰国した際に持ち帰ったお茶の種を、足久保(葵区)に蒔いたのがはじまりだと
伝えられています。
また、同じころ、栄西禅師からお茶の種を譲り受けた明恵上人(1173 ~ 1232)が全国に広め、
その内のー箇所が「駿河の清見」(清水区興津付近)との記録があり、これらが清水のお茶の
はじまりとされています。
ブランド茶について
徳川家康公も愛した歴史と本物の味わい
静岡本山茶
静岡本山茶は安倍川・藁科川流域で栽培され、静岡市を代表する茶産地です。静岡本山茶は
豊かな自然環境に恵まれ、上品な味と香気が強いのが特徴で、高品質のお茶が生産されています。
徳川家御用達のお茶として愛飲されました。
針のような形状の茶葉 金色の水色
清水のお茶
清水のお茶は、鎌倉時代の「駿河の清見」(清水区興津付近)に始まり、明治時代には「清水港」が
日本一の茶輸出港となリ発展を遂げました。「小島」「両河内」「庵原」「日本平」と4つの
茶産地があり、山霧が育む繊細な茶葉に適した浅蒸し茶作りにこだわり、針のような形状の茶葉と
金色透明な水色が特徴です。
ここから広まった「やぶきた茶」
日本各地に広がる茶園の約8割を占める優良品種「やぶきた」は1908 (明治41)年、静岡県安倍群
有度村(現在の静岡市)の杉山彦三郎翁が選抜した品種です。やぶを切り開いた茶園の北側に植えた
茶樹から優良品種を選抜したことで、「やぶきた」の名前が付けられたと言われています。
1955 (昭和30)年、静岡県の奨励品種に指定されたことで、急速に普及しました。現在、やぶきたの
原樹は静岡県立美術館の近くに移植され、大切に維持されています。」



「​ 静岡市のお茶産地 ​」👈リンク。



日本平 夢テラス
日本平夢テラスは、静岡県と静岡市が、日本平山頂において一体的に整備をしました。
日本平夢テラスからは、富士山や三保松原、駿河湾、市街地を広く見渡すことができます。
展望回廊は標高300.5mにあり、1周約200m、八角形の形状 をしており、静岡市内で育てられた
オクシズ産の木材を使用しています。デザインは新国立競技場を設計した隈研吾建築都市設計
事務所が担当。」



日本平夢テラスからの眺望 三保松原 」。




                                 ・・・​ もどる ​・・・




                  ・・・​ つづく ​・・・








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Last updated  2024.03.07 07:28:05
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