JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.03.11
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カテゴリ: JINさんの農園
久能山東照宮「 唐門 」(重要文化財) 。
拝殿正面にあり、 屋根は銅瓦本葺黒漆塗の四方唐破風造 という(重要文化財)
普段は通り抜けが禁止されているため階段を登ることはできなかった。




本社社殿(拝殿・石の間・本殿)の正面に配され 、聖域の正門的な役割を持っています。
形式は四方唐破風造り、四脚門、一間一戸、本瓦葺き、四方唐破風造りとは屋根の4方向に
唐破風を設けたもの で、格式の高く、聖域の正門として相応しい意匠となっています。
構造部は朱色で塗られ、木鼻や門扉、蟇股、唐破風などには唐獅子(左右に阿吽)や
鳥類、植物など多彩な彫刻が随所に施され、 彫刻は極彩色で彩られ、金物や本瓦の軒先、
獅子口には金を使用 しています。久能山東照宮唐門は江戸時代初期に建てられた唐門建築の
遺構として大変貴重な事から明治45年(1912)に国指定重要文化財に指定されています。



さらにズームして。。



高野槙 」。
コウヤマキ(高野槙、高野槇、学名:Sciadopitys verticillata)は、マツ目コウヤマキ科の




高野槙 」。
コウヤマキとは・・・
・高野山で多く見られ、高野山では「霊木」として保護されている。
・成長が緩やかで手入れが比較的簡単である。
・ヒマラヤスギ、ナンヨウスギとともに「世界三大庭園樹(世界三大公園木」)に数えられる。
また、サワラ、ヒノキ、クロベ(ネズコ)、アスナロ(ヒバ)とともに「木曽五木」とされる。
・秋篠宮悠仁親王の「お印」とされている とネットから。



石段の上には「 神庫 」が。



「神庫」への石段下の「 末社 竈(かまど)神社

御希望の方に神札をお頒ちしております」と



久能山東照宮神庫 元和3年(1617)に建てられた建物 で、木造平屋建て、入母屋、銅瓦葺、
平入、桁行5間、梁間3間、 建物の構造体が朱色に壁が黒色に彩色 され、瓦と木組の端部が
金箔欄間部は極彩色 唯一の校倉造
(建材を横に組合せ、積重ねることで壁とする工法、調湿性能に優れ正倉院などにも使用
されました。)の建物で奉納された神宝や鉄砲などが置かれていました。
久能山東照宮神庫は境内を構成する要素として大変貴重な事から 昭和30年(1955)
6月22日に国指定重要文化財に追加指定 されています。



河津桜 」も満開。



「河津桜」。



ズームして。



ここにも2基の石灯籠があったのだろうか?



日枝神社 」。



重要文化財 日枝神社()
祭神 大山咋命(おおやまくいのかみ)
旧御本地堂で薬師如来を安置してあったが、明治三年神仏分離の際に仏像を廃し後に今の
名称に改めた。元和三年(西暦一六一七年)の建造である。」



久能山東照宮日枝神社は元和3年(1617)に建てられたもので、木造平屋建て、入母屋、銅瓦葺、
平入、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、外壁は真壁造板張り、建物全体が朱色で塗られ、
蟇股や向拝の蝦梁の彫刻などが極彩色で彩られ、金物や瓦の軒先などが金が使用されています。
当初は久能山東照宮の本地堂として薬師寺如来像が安置され薬師堂と称されてきましたが、
明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後の廃仏毀釈運動により明治3年(1870)に
薬師寺如来像が大正寺へ移され、天台宗の守護神である山王社の御神体を遷して日枝神社に
改め久能山東照宮の末社となりました。久能山東照宮日枝神社は江戸時代初期の御堂建築の
遺構として大変貴重な事から昭和30年(1955)6月22日に国指定重要文化財に追加指定されて
います。



歴史を感じさせる青銅製の吊り灯篭。



ここにも歴代将軍の様々な葵の御紋が。



天水桶 」。



拝殿、石の間、本殿 」への入口門・ 「東門」
久能東照宮・東門は元和4年(1618年)に造られ、日枝神社より社殿に向かう際にくぐる門。
小さな門となっていますが、彫刻などが間近に見ることができ社殿同様の極彩色の朱塗りが
施されていた。国の重要文化財に指定されている。



入口から、「 石の間 」、「 拝殿 」を見る。



この写真はネットから。

写真:御社殿(側面)

透塀 」。
久能山東照宮 透塀(玉垣)は元和4年(1618)に建てられたもの で、 本社社殿周囲を
囲っている。塀は銅瓦葺、飾金具は金、壁は朱色で塗られ、腰部に施された精緻な彫刻には
極彩色が施されている 。東門も同年に建てられたもので本社社殿の東側に位置し、門の周りは
透塀(玉垣)によって囲われていた。東門は切妻、銅瓦葺、一間一戸、棟門、透塀と同様に
朱色を主体として彫刻部が極彩色に彩られている。透塀と東門は久能山東照宮の境内を構成する
要素として大変貴重な事から 明治45年(1912)2月8日に国指定重要文化財に指定 されて
います。
玉垣の「玉」は神聖なものや美しいものを意味し、「神聖な神様を囲む垣」という意味
言われている。



透塀 」沿いにあった「 家康公御手植えのみかん ー駿府城より分木」。



「拝殿」を横から。「国宝」の文字が。



移動して。



国宝 本殿 石の間 拝殿 」と。



「拝殿」、「石の間」、「本殿」の間取り図。
拝殿   : 桁行五間、梁間二間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝三間、銅瓦葺
石の間 :  桁行一間、梁間一間、一重、両下造、銅瓦葺 C&Dの出入口あり。
本殿      :  桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、銅瓦葺



写真中央が「石の間」。出入口の扉が確認出来た。



久能山東照宮拝殿は 元和3年(1617)に建てられたもの で、 入母屋、銅瓦葺、屋根正面には
千鳥破風、桁行5間、梁間2間、3間向拝付、棟梁は中井正清(初代京都大工頭)
外壁は黒の漆塗り、金物の多くは金で仕上げられ、組物や木鼻や蟇股、海老虹梁などの彫刻、
桁に描かれた絵画は極彩色が施されています。 本社社殿は本殿、拝殿、石ノ間が接続し一体と
なっている所謂「権現造」 でこの後、造営される日光東照宮(栃木県日光市)はじめ全国の
東照宮の規範となっています。久能山東照宮拝殿は極めて貴重な事から 平成22年(2010)
12月24日国宝に指定 されています。



中井大和守正清 は、永禄8年(1565)に法隆寺門前の西里で誕生しました。
正清は、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦後に、徳川家康公より上方の大工支配を仰せつかったと
伝えられています。その直後には徳川家の御大工として二条城、伏見城の作事に携わり、
慶長11年7月に従五位下大和守に叙任され、公儀大工の第一人者となりました。
徳川家康公は、二条城、伏見城、江戸城、駿府城の城郭や、知恩院、増上寺の作事でみせた
正清の手腕を高く評価しました。そして、「何事も御普請方之儀、大和次第」と言い、
正清に全幅の信頼を寄せ、名古屋城、内裏の作事を命じました。正清はまさに東奔西走の
日々を過ごし、慶長17年(1612)に従四位下に昇叙しました。その位階は大名に与えられる
もので、大工棟梁としてはきわめて異例の出世でありました。この時期の正清の作品で現存する
ものは少ないですが、仁和寺の金堂(国宝)は、慶長18年に上棟した慶長度内裏の紫宸殿を、
寛永年間に移築したもので、京都に残っている正清の代表作として貴重な建物です。
元和2年(1616)4月、徳川家康公は駿府城に薨去されました。御遺骸は遺言により久能山に
埋葬され、正清に社殿の造営が命ぜられました。これが久能山東照宮で、正清が渾身を込めて
造った社殿は四百年の時を経て今もその姿を伝えています。
久能山東照宮の造営を終えた正清は、元和5年正月21日、徳川家康公のあとを追うかのように、
近江水口で55歳の生涯を閉じました。
このように、久能山東照宮は、徳川家康公の側近として仕えた中井正清の最晩年に全身全霊を
込めて造った最高傑作といえるでしょう。」と ネットから。

写真:重要文化財 中井大和守正清肖像画」 中井正知氏・中井正純氏蔵 大阪市立住まいのミュージアム寄託 撮影:京極寛

四方唐破風造り であることが解かるのであった



黄金の木鼻、精緻な彫刻を見る。



木鼻にズームして。



団扇型の松の彫刻をズームして。



「唐門」から上って来た石段の下の石鳥居を見る。

久能山東照宮の唐門 |静岡県の情報サイト we love 静岡

ズームして。



唐門の扉?の見事な彫刻。



白梅?と青い鳥の姿が。



近づいて。



反対側の扉?



同様に。



唐門の横梁の見事な彫刻。



そして振り返って「拝殿」の入口部を。
江戸時代奥に入れる者は将軍だけ、御三家の徳川家も立ち入る事は出来なかったと。



近づいて。



中央の蟇股の彫刻・「甕割りの彫刻」。
中国の故事、政治家・司馬温公の「甕割り」の彫刻。
子供の頃、一緒に遊んでいた友が水甕に落ちてしまったのを救うため、
その甕に石を投げつけると、甕に穴が開き、仲間が水と一緒に流れ出てくる場面。
高価な甕を割った少年の物語で『命の大切さ』を表しています と。


別の場所にあった案内板
久能山東照宮
司馬公の甕割り
この絵は中国北宋の政治家、司馬温公の少年時代のお話です。
ある日、一緒に遊んでいた友達が水甕の中に落ちて溺れてしまいました。
もう一人の友達はハシゴをかけて助け出そうとします。
いっぽう聡明な司馬少年は「それでは間にあわない!」と近くの石で甕を割って助け出しました。
この故事の彫刻が久能山東照宮拝殿の正面に施されております。
御祭神徳川家康公が現代の私達へ向けて、「命の尊さ」を説かれているといえるでしよう。」

国宝 久能山東照宮 公式 on X:

右側。



左側。



内陣を望む。



蟇股内部を花鳥の透彫とするなど細部も整った意匠が。



下段中央。



その左。



下段最左。



下段右。



その右。



最右。



拝殿(右側)最奥の下段の蟇股。

久能山東照宮 拝殿の蟇股の彫刻 雀と牡丹<br /><br />いろんな動物や鳥の彫刻がされています。

吊り灯篭。



木鼻(右)。



ズームして。



吊り灯篭越しに「拝殿、石の間、本殿」への入口門・「東門」方向を見る。




                               ・・・​ もどる ​・・・





                  ・・・ つづく ・・・








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Last updated  2024.03.12 05:40:07
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