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「さて、地下弾薬庫からどのように引き揚げて砲座に運んでいたのでしょう?
おそらくチェーンブロックのような機器で揚弾井から砲弾を引き揚げて、高塁道に設置された
運搬用レールに乗せて砲座に運んでいたのではないかと推測します。史料を見ると「鶴頸揚弾機」
や「鏈鎖揚弾機」と言った揚弾機があったようですが、いずれにせよ明治期は電力ではなく
人力での操作でした。
揚弾の構造を示す史料/書籍がないので想像の域を出ませんが、僅かな史料と遺構の状況を
踏まえて、こんな感じだったかなとイラストを描いてみました。あくまで想像なので細かい
ツッコミはなしで(笑)
揚弾井の上に設置されたのは鏈鎖揚弾機で、把手を回せばチェーンが揚弾井を昇降できるように
なっています。地下の弾薬庫に下ろしたチェーンのフックに弾提鏈に掛けた砲弾を吊るして
引き揚げ、台車に下ろして高塁道側の運搬用レールにスライドさせ、レールの上をゴロゴロ
転がして砲座に運んでいた、、、と想像して描きました。
つまり揚弾井上部の鉄製のレール(枠?)は歯車(滑車)を設置した跡、高塁道の壁に残る凹みは
運搬用レールの設置跡と言うわけです。
運搬用レールって正式名称が分からないけど、工場で製品を載せて次の工程に運ぶ時とか、空港の
高塁道の出口から「第一砲座」を見る。
運搬用レールから降ろされた砲弾は、おそらく送弾車に載せ替えられて砲座の即用弾薬置場
(弾室)に置かれたと。
石段上から。
1つの砲座に、2門の榴弾砲、砲座は3か所。
砲床内径は5.92mであると。
砲床には多くの基礎石が並べられていた。
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