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勇気夜中の11時過ぎでした。いつものようにパソコンに向かっていた私に一本の電話がありました。…俺、死のうと思って…電話の主は、10数年前、私が代理店をしていた保険会社で私の担当だったT君でした。ダメ営業マンだった私と違って、彼は若くして本社の係長でした。「そんなことじゃ、生き残っていけませんよ」お客さんに断られるとあっさり諦める私を、担当の彼は厳しく励ましたくれたものです。私が代理店を辞めてから後も、彼は本社で頑張っていたはずです。そんな彼が、10年ぶりに私に電話してきたのです。「死にたいって、何ですの?」…ノルマがこなせなくて。できなければ、男じゃない、ビルから飛び降りて、死ねと言われた。もう会社に帰れない。死ぬしかない…外資系に買収された保険会社で、彼は精一杯頑張ったそうですが、解約が続出して、どうしようもない状態と男泣きの彼は、切々と語りました。私は、昔を思い出して、T君に言いました、「ねえ、Tさん、あなたができないんだから、僕やったら、全然あかんでしょうね。でもね、僕は、死にませんよ。10年前、辞めた僕を保険会社の人たちは、きっとダメなヤツと思ったでしょうね。夜中まで走り回って、疲れてノイローゼになって、それでも契約取れなかった。だから、僕は辞めたんです。Tさん、あなたは、僕より10年も頑張った。すごいじゃないですか。そんな会社、辞めて他を探したらどうですか?」…うん、ありがとう。勇気出して、梅ちゃんに電話して良かった。俺、死なへん。女房も子供もいるしな。会社に帰って上司と話してみる。でも、俺、会社も辞めへん。保険の世界でしか生きられへんから…T君との会話は、ここで終わりました。その後、彼がどうなったかは分かりません。ただ、私に分かったことは、会社辞めて、他の道を探すのも勇気なら、会社に残って頑張るのも勇気なのかなってことですね。
2007.02.28
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努力は人を裏切らないと感じました巻誠一郎さん(ジェフ千葉)が、サッカーのドイツW杯予選を1試合も経験せず、代表メンバーに選ばれた時の言葉。努力家のストライカーが日本中に勇気を与えてくれた瞬間でした。
2007.02.28
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春の珍事明け方だった。いつものように大酒を飲んで、午前様で帰ってきた啓介が突然悲鳴を上げだった。啓介は布団をはねのけ、足を押さえてのたうち回っている。「ああー痛い…ひー…痛い」「どうしたの?」飲む打つ買う、その上働かない。さんざん困らせてくれた啓介のことですから、大概のことでは驚かない道代でしたが、あまりの苦しみようを見て、今までの苦労も忘れて、「あんた、大丈夫…」見れば、啓介の足の付け根が赤く腫れています。何かバイ菌でも入ったんじゃ…足を切断することにでもなったら、いくら何でもかわいそうと思った道代は、119に電話した。救急車は5分ほどでやってきた。タンカに載せられた啓介といっしょに道代も三歳の花梨を背負って救急車に乗り込んだ。運び込まれた大学病院では、30過ぎの無精ひげをはやした当直医が待っていた。「酒気を帯びてるね」そうポツリと言った無表情な当直医は手慣れた様子だった。彼は、横たわり、なおも苦しんでいる啓介を見て、ははあん…と何か自分だけ分かったようで、おもむろに痛みのある足のあたりを小さな木槌で叩いた。「ウギャー」啓介は涙を流し、飛び上がらんばかりに叫んだ。そんな啓介とは反対に、憎たらしいほど冷静な当直医は、かすかに微笑んだ。そして、心配そうに見つめる道代を見て言った、「痛風ですね」道代は、「はあ?」と鳩が豆鉄砲でも食ったような顔をした。当直医は、やる気のない教授が大学の授業でもするかのように話し始めた。「昼間に来れば良かったのに…薬でも持って帰る?…10日もすれば治るよ。痛いだろうけど辛抱だね。たぶん、ペンチで挟まれたような感じだろうな…酒はやめることですね…それから、暴飲暴食も駄目、この病気は一見、健康な人がなるからね。でも、放っておくと、腎臓病などを併発するから。対策は水を飲むこと…以上」そこまで言うと当直医は薄ら笑いを浮かべて看護婦といっしょに診察室を出て行った。「啓ちゃん、何よ…痛風だって、お爺ちゃんと同じやないの…救急車呼んで、こんなに大騒ぎしないでも良かったのに…恥ずかしい」道代は泣きそうに言った。どうやら背中の花梨が目を覚ましたようで、「パパ、また、ママ泣かしたの」啓介はバツが悪そうに、「今日は、違うよ。ほんとに痛いんだから…痛いんだって」と、涙をポロポロ流すのだった。
2007.02.27
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よく考えたら商売は綱渡りみたいなものですが、その綱というのは数字ではなくて、実は信頼なんです。 どんな大企業でも時代の変化に対応できなければ淘汰されて行くのは歴史を振り返れば分かることです。しかし、変化の大波小波にも何とか持ちこたえて存在し続ける組織もあります。そんな組織には信頼に応えようとする人間の力があります。
2007.02.27
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和頭塾の問答はメーリングリストで進められる。だから、自分がメーリングリストに返信すればメンバー全員にメールが行くわけだ。最初の問答は「まごころとは如何」だった。最初だからたぶんメンバー全員、様子見気分で1日ほど意見が出なかった。しかし、和平さんの「すぐに問答をはじめなさい」号令が出るやいなや一気に始まった。自分が何か言うとどこかで誰かが反応して意見が出る。みんな忙しい人ばかりだから毎日全員参加とは行かない。でも、30人もいれば、3人に一人が意見を言えば1日10の答えが私のメールボックスにくる。一週間で100前後の答えが飛んでくる。いやはや、「まごころ」という言葉は奥が深いものだ。こういう概念的なことを考えると、自分で考える力をつけることができるように思う。毎日、自分の周りで起きていることでも漫然と見過ごしている大切な出来事がある。そういうことに気づくことができるように思う。一週間で、それぞれのまとめを送って第一回の問答「まごころ」が終わることになる。まごころのまとめで私は、こんな例を添えてみた、「たしか、25年ほど前、アサヒビールは、スーパードライという生ビールを売り出す時、それまでビールにはあってもないようなものだった賞味期限を作りました。そして、日本中の酒屋を回る営業マンに賞味期限切れビールをすべて回収するように徹底したそうです。これは、当時70%のシェアを誇るキリンビールに10%に満たず倒産寸前だったアサヒビールが挑んだ起死回生の手段の一つでした。まさか、この時点で、25年後、アサヒがキリンを逆転しているとは誰も思わなかったでしょうから、お客様に「おいしいビール」を飲んでもらいたいと言う純粋な気持ち(まごころ)が、日本中の営業マン全員を動かし、奇跡的な業績回復を成し遂げたと思えてなりません。私たちの周りにあるすべての現象や発明発見は、大昔から現在にいたる無数の人々の「まごころ」を基に作られてきたのだと思います。 」30人いれば30とおりの答えがある。私のようにクドクドと長い文章もあれば簡潔にまとめた文章もある。和平さんは「みんな正解」と言っていた。やはり和頭塾では考えることが大事なんだと思った。
2007.02.26
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ありがとう記念日あなたは、誰の誕生日を覚えていますか?お父さん?お母さん?兄弟姉妹?お爺ちゃん?お婆ちゃん?親戚?友達?好きな人?愛する人?奥さん?御主人?お子さん?大切なお客様?私は、昔、好きだった人の誕生日も覚えています。もちろん、誰にも言えません。手帳やカレンダーに迂闊に印をつけるわけにもいきません。どこでバレて誤解を呼びかもしれませんからね。誰にも分からないようにメモリーされているのです。気まずいサヨナラ涙のサヨナラ自然消滅サヨナラ笑ってスッキリサヨナラいろいろありましたが、みんな一度は好きだった人たちです。一番好きだった、あの頃だけを、こっそり、あの人の誕生日に思い出して、心から、「ありがとう」を言うことにしています。不思議ですが、こんなふうにして「ありがとう」を言うと、憎しみ悲しみみんなどこかに飛んで行って、とっても心が豊かになります。これが私の「ありがとう記念日」です。
2007.02.26
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成功するには、できるだけ早く失敗すること。 どんな天才でも10中八九は失敗です。
2007.02.26
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心で泣いていた10年間、寝たきりで、痴呆症のヨシお婆ちゃんが亡くなりました。もう100歳にもなるヨシさんですから、御主人は30年も昔になくなり、10人いたお子さんも5人は亡くなっていました。お子さんと言っても70歳以上の方ばかりで、それぞれ生活も楽ではなかったようで、月々の入院費の分担金のことで、この10年間、もめ事が耐えなかったと聞きます。そんなこんなで、ヨシさんが亡くなって、「やっと肩の荷がおりたぞ」「ホッとした」「やれやれ…」「本人は、なんも分かってないんやから幸せやの」お子さんたちが口々に、こんなことを言っていると、お葬式に参列していた20になる一番下の息子さんの孫娘の彩が泣きながら叫びました。彩はヨシさんが入院する直前まで可愛がっていた子でした。彩は誰も病院に見舞いに来ないヨシさんを、たった一人、毎週土曜日に見舞っていたのでした、「何、言うてんのや。一番、辛かったのはヨシお婆ちゃんや。5人の子供には先立たれ、残った子供たちには冷たく言われ、ツライから、辛くて辛くて、仕方ないから、ヨシお婆ちゃんは惚けたんや。体は惚けても心で泣いてたはずや」…そのまま泣き崩れた彩に、誰ひとり言い返すことはできませんでした。
2007.02.25
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貧困は不幸ではなく不自由である。本当の不幸とは誰からも必要とされなくなることである。マザー・テレサ
2007.02.25
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見直したで、お父ちゃん私の父は、飲んだくれで、気の弱い典型的なサラリーマンでした。今は半分惚けて、寝て暮らしています。そんな父でも、たまには良いこともしました。その一つを紹介します。あれは、お婆ちゃんが、まだ元気な頃でした。6月頃、まだ、お中元には早すぎる頃に、ミカン箱が四国の愛媛から届きました。差出人は、女性でした。会社から帰った父は、そのミカン箱を見ると、すぐに電話をして、「何にもできませんでした。すみません。息子さんを励ましてあげてください」と話していたことだけ、私に聞こえたのです。このミカン箱のわけは、お婆ちゃんから聞きました。何でも、父の部下だった若い社員が、人間関係に悩みノイローゼになり、仕事上のミスを毎日のように繰り返すようになったそうです。四国の田舎から出てきていた彼が、母一人子一人で育ったと聞いた父は、自分の境遇とだぶらせたそうです。父は8歳の時に父親を亡くしています。父は、ミスを繰り返す若い社員をかばってやったり、食事に誘って励ましてやったりしたそうです。それでも、とうとう、その若い社員は退社して四国に帰って行ったそうです。フェリーで帰る彼を見送ったのは、父一人だけだったそうです。大の男のくせに「お世話になりました。俺、悔しくて、悔しくて…」と子供のように泣きじゃくる彼に父は一番上等の幕の内弁当を買ってやったそうです。そして、船が出た後、父は、彼の実家にいる彼のお母さんに電話したそうです。「息子さんは悪くないです。会社が悪いんです。思い切り甘えさせてやってください」…あれから、かれこれ25年、あの彼が、四国で会社を興して、社員150人ほどの規模にまで成長させてるって聞いたら、誰が信じてくれるでしょうか。私が、老いぼれた父に、彼の話をすると、いつも父は背中を向けて、「わしは、何もしてへん」とだけ言います。
2007.02.24
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真実とは多面的なものだ。自分の見方次第では、いくらでも変化する。 スターウオーズ ジェダイの大騎士「オビ・ワン」の言葉
2007.02.24
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竹田和平さんのこと知らない人は、アマゾンでも行ってください。アマゾン言うても、飛行機に乗って行くジャングルではなくて本屋です。楽天でもイイです。体験記の始まり始まり・・・塾言うても、インターネットのメールでやるから家でもできるわけです。最初は、「私の志」という作文を100字で書くわけです。志?たぶん、夢のことです。梅ちゃんは「私は日本中をいい話を話して回りたい・・・」なんてことを書きました。この作文をメールで送って、和平さんから「入塾を許可します」というメールが来たら晴れて入塾できるわけです。これが和頭塾のホームページ。http://www.mondoujuku.net/このページのこと話したら、何人かに言われたね。「梅ちゃんって宗教やっての?」「ちゃうちゃう・・和平さんも無宗教・・和平さんは歴史の博士になったらいいのちゃうかって思えるほど歴史のこと研究している人やから古式豊かなホームページになっただけ。実際はとっても気持ちの若い人」と話した。この塾の目的はかなり乱れてきている日本に徳を広める人を育てるのが目的。こんなことを教える和頭塾をボランティアでやっている和平さんはスゴイ。ここからは梅ちゃんなりの理解やけどね・・・徳のあることをコツコツやることを貯徳と言うんです。梅ちゃんの場合の貯徳は、いい話をたくさん作ったり集めたり書いたりしてブログにしてる。いずれは、これを自分で「おもしろ・おかしく」話して回ること。貯徳は誰でもできる。歌の好きな人は歌ってください。掃除してもいいね。相談に乗ってもいいね。いろんな専門知識を生かしてもいいね。自分のできることで人の役に立つことをコツコツやるのが貯徳やと思います。(つづく)
2007.02.23
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笑えない話美紀さんは、優しいお父さんとお母さんに育てられたお嬢様です。裕福な家庭で、何不自由なく育てられた美紀さんは、お父さんの会社で働いていた宏幸さんに養子になってもらい結婚しました。1年後、美紀さんと宏幸さんの間には、とっても可愛い赤ちゃんが生まれました。赤ちゃんは、幸助くんと言います。美紀さんのお父さんが尊敬する松下幸之助さんからとった名前です。将来は、立派な経営者になって欲しいとの願いからだそうです。さて、ある日、美紀さん、幸助くんのオムツを替えていると、不思議なことに気づきました。幸助くんの、おちんちんが皮にくるまっているのです。男の子のおちんちんは、生まれてすぐは皮にくるまっているもので、成長に伴って、徐々にむけてくるものです。が、美紀さんは、そのことを知りませんでした。遠い昔に見たお父さんのおちんちんの面影は、もうありません。箱入り娘の美紀さんは、何人かボーイフレンドはいましたが、おちんちんをシッカリ拝見できる関係になったのは、宏幸さんが初めてでした。「この子、大変、お医者さんに見せなくちゃ」と言いながら、泣き叫ぶ幸助くんのおちんちんの皮をむこうとしました。もちろん、ほとんど、むけなかったのですが、その時、幸助くんのおちんちんにばい菌が入ったようで、幸助くんは尿道炎になってしまったそうです。尿道炎は、まもなく完治したのですが、それから、6年後、小学校に上がった幸助くん、後遺症と言ったら語弊があるかもしれませんが、毎晩のように、おねしょうをするそうです。美紀さん、いまだに、自責の念にかられて、幸助くんに小言一つ言えないそうです。
2007.02.23
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何かを学ぶためには、自分で体験する以上にいい方法はない。 アルベルト・アインシュタイン(理論物理学者)
2007.02.23
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♪上を向いて歩こう♪S君は、先日、自分の歩き方が変わってきたのに気づきました。長年、猫背で、どちらかと言えば、前屈みで下を向いて歩く癖のあった彼が、空が見える歩き方をしているのです。こうなって、悪かったことは、道に落ちているお金をめっきり拾わなくなったことです。かつては、S君、週に1度は、小銭を拾っていたんですよ。反対に、良くなったことは、運が良いなあって思うことがよく起こるようになったことです。神様は、天に住んでいるから、地を向いてたヤツより、天を向くようになったヤツを応援するんでしょうかね。そんなS君の最近のテーマソングは♪上を向いて歩こう♪1961年、坂本九さんのヒット曲です。
2007.02.22
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あたまの中で考えるとむずかしいものも、実行に移してみれば何ということはない ロバート・M・パーシグ(哲学者)哲学者ならではの言葉ですね。最近は情報過多のせいか、哲学者が多くて困ったもんですなあ・・・
2007.02.22
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成功の法則は?「成功してるヤツと失敗するヤツの違いって何やろ?」東京都内にあるホテルのレストランで、1年前、サラリーマンを辞めて独立した古い友達に会いました。久しぶりに、彼と会った私はビックリしました。以前の彼は、二枚目俳優なみの男前でしたが、今の彼は、とても陰気で、華がなくなっていたのです。「俺は、まだ成功なんかしてないから、偉そうなことは言われへんけど…」私が、こう答えると、彼は、怖い顔をして、「うまく行かないんで、いろんなセミナーに出たり、人脈つくりしてるんやけど、お金使うばっかりで、あんまり効果ないんや…それで、聞いてるんや」「ごく基本的な法則はあるやろうけれど、そんなことは、何十年も昔ならいざ知らず、今は、本屋さんに売っている。インターネットでも、わかるよ。高いお金出して、習いに行く必要はないと思う。がむしゃらに、お客さん探すことの方が大切や」「その、お客さん、探す方法が分からないんや。おまえの会社、10何年もつぶれてないやんか。なんか、コツあるやろ」「そうやなあ、何度も危機はあったけど…なんとか、乗り越えてこれたのは…あえて言うならば、笑顔やと思う。俺は、どんなに苦しい時も、笑顔を忘れなかった。泣きながらでも笑ってたぞ。デェヘヘヘ…あしたのジョーのボコボコに殴られてヨロヨロ立ち上がって笑うのと同じやな。こりゃ、ちょっと、冗談やけど。俺の知ってる商売繁盛している店には必ず明るい笑顔があるよ。また、行ってみようとお客さんが思う店には明るい笑顔がある。夜、街灯に虫が寄ってくるやろ。あれと同じやで。」「そんなもん、どこの店でも、笑顔あるやろ?」「違うんや。俺の言う笑顔は、ただの笑顔やない。商売の為に、即席で、作った笑顔やないんや。普段から、ニコニコするように心がける。心の底から、明るく生きようと心がける。そうすりゃ、俺のように、お人好しでも、不況や危機に出会っても、何とか乗り切って行けるもんや。これは、家庭やサラリーマンでも同じやで、高いお金を出して、いろんなテクニックを身につける前に、笑顔を磨いた方がええのちゃうか。独立して3年は、法則も糞もない。笑顔オンリー、あとはヤケのヤンパチやで…」「そんなもんかなあ…俺が、昨日聞いたセミナーのコンサルタントは…本を10冊も出してて…何万部も売れたそうやで…あの人が言うには…」「そんなに売れた本を読んで成功するんやったら、日本中、成功者だらけになってしまうで…」と私が笑うと、彼はムキになって、その後、延々1時間余り、いろんなコンサルタントや有名社長から聞いた話をしゃべりました。私なんかよりずっと物知りで、頑張ってる彼ですが、別れ際の疲れた背中が、とっても気になりました。知識や人脈も大切ですけれど、その前に他人を思いやる暖かい笑顔やと、私は思ってるんです。その方が幸せやと思うんです。笑顔がなくなってしまったら、お金入って来ても死に金になってしまう。笑顔なくすくらいやったら、事業なんかやめた方がいい。こう思うんですけど、どうでしょう?
2007.02.21
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高い目標を持つことを恐れてはいけません。不可能が可能になることを期待するのを、恐れてはいけません。 自分の限界の中だけに生きるのをやめるのです。(『心の扉を開く』アイリーン キャディ)
2007.02.21
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泥まみれの日記正男と幸子は新婚だ。6月に式を挙げたのだから、やっと一ヶ月の新米夫婦だ。妻恋しさに、歩けば15分の駅からの道のりも、ほんの5分で正男は駆け抜ける。「ただいま」威勢良く、正男が家に帰ると、いつもは明るく、「お帰りなさい」と迎えてくれる妻の幸子が、無言で無表情、ついでに、どことなく空々しい。「どうした?どこか悪いのか?」と正男が心配げに訊ねると、幸子は、背中を向けたまま「机の上」とだけ言った。「机の上?」なんだか分からない正男が、自分の机の上を見ると、泥まみれでボロボロのノートが置いてあった。見覚えのあるノートだ。見れば、すぐに分かった。高校時代、正男が付き合っていた彼女と綴っていた交換日記だった。その日記帳は、彼女と別れた日、涙を流しながら、思い出の品といっしょに実家の庭に埋めたはずだった。懐かしい日記帳を見つめ、一瞬、頭の時計が止まった正男だが、すぐに我に返った。そして、幸子に、「これ、どうして、ここに?」と尋ねた。幸子は、「お母様が、庭の植木を植え替える時に、見つけたって、さっき、持ってきたの」と言った。「昔のこと…昔のこと…」正男は、幸子の機嫌を取ろうと一生懸命に笑顔を作った。しかし、幸子は、まだ、こだわっていた。「ねえ、私って、身代わり?」「そんなわけないよ」懸命に否定した正男だが、幸子の即座の「だって…」への返答に困ってしまった。それもそのはず、泥だらけの交換日記の相手も幸子と言う名前だったのだ。
2007.02.20
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真似はオリジナルを創出するために、絶対必要なこと赤ちゃんが言葉を覚えるように何だって最初は真似から始まる。
2007.02.20
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ティファニーで朝食を私がニューヨークに行ったのは、もう15年も前でした。その時、たしかマンハッタンの5番街で、きれいな宝石店の前を通りかかりました。「Tiffany」と書かれた看板を見て、ブランドにまったくと言って無知な私でも、ここが、かの有名なティファニー宝石店であることは分かりました。その時の印象ですが、店の中に、やけに日本人が多いことに驚いたことを覚えています。日本人のブランド好きは、この頃、すでに始まっていたのでしょう。聞くところによると、ある世界的高級ブランド店の売り上げの半分が日本人によるものだそうです。不況と言われている国内を見ても、ブランド品を扱う店は結構、流行っています。口うるさい賢ぶったオジサマ連は、「日本人は身の程知らずだ。海外では、車、家、それから、ブランド品なのに、日本人は、車も家もない女子高生までがブランド品を身につけている」と怒り心頭です。でも、いいじゃありませんか。それで幸せならば。それで楽しいならば。家なんか、どこにあるか分からなくても、バック一つで自由で気ままに生きられる。これ以上の幸せがあるでしょうか。そうそう思い出しました。この週末は、ちょっと古いけど、オードリー・ヘップバーン主演の「ティファニーで朝食を」を久しぶりに見てみようと思っています。何にもなくても、てっとり早く幸せな気分になれる映画ですから。
2007.02.19
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人生は敗者復活戦ぞ元池田高校監督 蔦文也1950年に東急フライヤーズに投手として入団したが、わずか1年で退団。1951年から池田高校に社会科教諭として赴任。1952年から同校の野球部監督に就任。ボール3個とバット2本だけしかなかった。20年が過ぎた1971年夏、ついに甲子園初出場を果たした。監督として甲子園に春夏通算14回出場し、37勝、優勝3回、準優勝2回という素晴らしい成績を残す。
2007.02.19
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クローン病を知ってますか?クローン病は、あまり聞き慣れない病名です。私は、つい最近、旧友が、実は、この病気の患者だとうち明けてくれて知りました。病名の由来は、発見者ブリルー・ビー・クローン医師の名前からとったものです。とかく最近、話題のクローンとは違います。念のため。簡単に言えば、口から肛門に至るまで消化器官がひどい炎症を起こす病気です。治療方法が、まだ確定しておらず、完治の見込みは今のところありません。放っておけば、腸閉塞などを起こして危険な状態に陥ります。そこで、手術をしても、一時的に良くはなっても、しばらくすれば再発します。また、大腸の手術では、ステロイドを大量に服用するため、副作用に悩まされることになります。日本には、約8万人で少数ですが、アメリカでは100万人も患者がいるようです。このことから、肉などの高脂肪食品によって引き起こされる病気ではないかとする説もあります。この病気は、あまり知られていないため、患者の苦しみは分かりづらいようです。特に、トイレは、一日10回以上も行くこともあるそうです。この病気の腹痛の苦しみは、普通の人の苦痛とは比べものにならないそうで、駅などで、トイレが混雑している時、障害者手帳を見せて順番を譲ってもらおうとするそうですが、嫌な顔をされて、とってもツライそうです。また、食べ物も消化の悪いものや肉や脂肪の多いものは食べられないそうで、お粥や餅などを主に食べます。満員電車などで、長く立っていると貧血を起こすことも少なくないようです。クローン病は、うまく付き合っていけば、直接、死に至ることは少ないようです。しかし、社会生活を普通に営むには、大変つらく苦しい病気です。私の旧友は、もともと、ラクビーをやっていて大柄で健康そうな人だったのですが、大学生の時に、急にゲッソリ痩せてしまい、顔色も青白くなり入院しました。高校時代は、ダイエットの話をしたくらい太っていた人が、これ以上痩せないように薬を飲んでいるのです。彼のことを思って、病気のことを調べて知れば知るほど、胸が痛みます。こんな苦しみと20年以上も戦っていたとは…。彼は、20年間、戦って、やっと、酒を飲めないわけを友達に話せるようになったと笑っていました。月並みですが、私のできることは何でもしてやろうと思っています。と言っても、彼のグチを聞いてやることぐらいですが…
2007.02.18
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カッコ悪いことから逃げないヤツが、本当にカッコいいんだ。ひょっとしたらカッコ悪いことをできる人が一番強いのかもしれない。
2007.02.18
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春なのに♪春なのに…お別れですか♪(歌 柏原芳恵 作詞作曲 中島みゆき)この季節になると、送別会の二次会だろう。若い女の子たちが歌う、この歌を聴くと幸子は自然と目頭が熱くなった。中学の卒業式の頃、ヒットしていた曲だ。幸子は、商店街のはずれにあるスナックのチーママだ。この店は、総合病院の奥さんが趣味で始めたらしい。そのママは、自分が友達とカラオケを歌う時くらいしか店に出てこないので、事実上のママは幸子ということになる。たまたま、ママの夫が院長を勤める総合病院に肝臓病で入院していた幸子の身の上を聞いて、同情した院長から又聞きしたママが、この店で働くことを勧めてくれたのである。家庭の事情で中学までしか行っていない幸子にとって、中学の卒業式は忘れられない。幸子の父は、飲んだくれで、酔うと手のつけられないほど暴れた。幸子が物心ついた時には、幸子の母は、とうに離婚して、どこに行ったか分からなくなっていた。だから、幸子は母をたった一枚の写真でしか知らなかった。幸子を育てたのは、父の母である祖母だった。その祖母は優しい人だったが、幸子が小学校6年生の時に亡くなった。中学に上がる頃になると、幸子は、自分に注ぐ父の目つきが変わったのに気づいた。父は日に日に女の身体になって行く幸子に興味を持ちだしたのだ。だから、迂闊に家の風呂には入れなかった。着替える時もトイレの中で、鍵をかけなくてはならなかった。夜は、父の寝息を確認しなければ眠れなかった。そんな幸子の相談相手は、中1と中3で担任だった林田だった。林田は、30過ぎなのに、もうハゲあがっていて、お腹も出ていた。典型的なもてないタイプで独身らしく、学校の近くのマンションで一人暮らしをしていた。そんな林田の住むマンションに幸子は何度も真夜中に訪ねて行った。「先生、たすけて、また、あいつが…」夜中に父に襲われて、家を飛び出した幸子が行くところは林田のところくらいしかなかった。林田は、そんな幸子を黙って部屋に入れて、たった一つの布団に幸子を寝かせて、自分は登山用の寝袋で眠った。「先生がハンサムだったら、私、先生の奥さんになって、ここに住むんだけどなあ」幸子は一週間か二週間ほど、林田のマンションに泊まって、こんなことを言って家に帰って行くのだった。酒を飲むと暴れる父だが、正気では気の弱い男で、一週間も幸子が家を開けると寂しいらしく、嘘のように大人しくなった。それも二週間も続けばいい方で、また悪い癖が出るのだった。そのたびに幸子は林田の所に逃げ込んだのである。そんなふうにして、幸子は中学の卒業式を迎えた。住み込みで温泉旅館に就職することになった幸子は「お世話になりました」と林田に言った。その時、積もる想い出話の途中で林田が、「よかったら、俺といっしょに…」と小声で言ったような気がした。「先生、今、なんて言ったの」幸子はもう一度聞き直したが、クラスの他の連中がワアーッとやってきて真剣に聞くどころではなかった。それから何年過ぎたろう。幸子の働いたいた温泉旅館は、不況のあおりで客足が途絶え倒産した。たまたま、その旅館で知り合った板前と一緒になったが、その男が博打好きで、その借金を返すために、深夜まで働いた幸子は深酒と睡眠不足で肝臓を壊してしまった。入院費も払えないその男は、いつの間にか消えた。元より、父は頼りにならない。思い切って事情を担当の看護師の友梨に話したのが、良かったのか。今の幸子は独りぼっちだけれど、落ち着いた暮らしをしている。やっと幸子は人生を振り返る余裕ができたのだ。そんな時、思い出すのは、中学時代世話になった林田のことと、卒業式の日に林田が小声で言った「よかったら、俺といっしょに…」だった。何度か電話しようと思ったが、散々世話になっておいて、何の連絡もしない。こんな不義理な女が、ノコノコ出ていけるわけもない。それに、先生だってお嫁さんもらってるかもしれない…そんな幸子がカウンターの中にいると、開店間際にやってきたのが、入院当時担当だった看護師の友梨だった。「私、結婚するの。それで、病院辞めることになったの。たまたま近くまできて、サッチャンのこと気になったから寄ってみたの」30分ほど話していると、常連の客がやってきた。友梨は、別れの挨拶に来ただけのようで、入ってきた客の顔を見ると席を立った。そして、友梨は、大事な忘れ物を思い出したように切り出した、「…あ、そうそう、あの人訪ねてきた?」「あの人って?」「ええっと、サッチャンの学校の先生よ」「先生って?」「私、サッチャンの事情聞いたでしょう。あの時、話を聞いた院長はサッチャンの卒業した中学校に電話したのよ。そしたら、先生が飛んで来て…林田さんって言ったかな。院長にペコペコ頭下げて、サッチャンのこと頼んでたのよ。御主人がいるようだと院長が言ったら、自分が来たことは内緒にして欲しいって言ってたわ。院長の奥さんがこの店、紹介したのも、あの先生が保証人みたいなものだからと思うけど…ごめんね、余計なことかもしれないけど、気になったもんだから…」友梨が帰って、店の客の相手をしながら幸子は、何と言って林田に電話しようか、そればかりを考えていた。
2007.02.17
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テクニックやノウハウも必要かもしれない。でも、恋を成就するのはテクニックではない。自分の思っていることをすべて素直に出せればそれでいい。
2007.02.17
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17歳の君へ17歳は、人生で一番、面白い。面白いという意味は、幸せとは限らない、不幸せとも限らない。君たちが、10年20年たって、ちょっとは落ち着いた大人になって、過去を振り返って時、自分の人生の中で、一番、いろいろ自由に感じたと思うシーンだということだ。もう一つ、「17歳」という言葉の入った小説でも映画でもいいから、3つ以上当たってみることだ。3つ当たれば、3人分の人生、いや、3倍、いや、3乗の人生を感じられるはずだ。17歳とは、そんな時期なんだ。
2007.02.16
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勝負強いとは転んでも早く立ち直る人のことで転ばない人のことではない。ソフトブレーン創業者 宋 文州
2007.02.16
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信じること海外生活が長いと、知らない人を疑うようになると聞いたことがあります。その方が言うには、初めての相手とは、リスクの大きなことはやらないようになり、どんなに人柄が良く見えても、すぐには信用しなくなるそうです。また、日本では、人を騙す人は悪い人です。しかし、海外では、騙される方が悪いのです。自分の身は自分で守る自己責任が、世界では常識です。これは、昨今の外交交渉を見ても分かりますね。日本国内にも、そんな自己責任の波が少しずつ押し寄せてきています。そんな時代だからこそ、家族を大切にしたいものです。大切にするとは、守ることだけではありません。お互いを信じることです。信じ合っているという心の温もりが、生きて行く支えになるのです。
2007.02.15
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世界とは、鏡のようなもの、 それを変えるには、あなたを変えるしかない 現代の魔法使いアレイスター・クロウリーの言葉です。
2007.02.15
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書評「僕が15で社長になった理由( わけ)」家本賢太郎 著本の題名を見た時、私は、この人は、どのような英才教育を受けたのだろうと思いました。しかし、私の薄っぺらで、在り来たりな推測は、本を読み始めて数分で覆されてしまいました。ごく普通の野球大好き少年だった彼が入院したのは、11歳の時でした。原因不明の高熱や身体の不調が続き、その原因が分かったのは2年後でした。病名は脳腫瘍でした。腫瘍は、体中に転移し、手術の数は10回以上に及びました。14歳の時に、彼は、とうとう話すこともできなくなります。半年間のリハビリの末、何とか上半身だけでも動かせるようになった彼を救ったのは、入院中、お父さんが買ってくれたパソコンと当時広まり始めたインターネットでした。15歳の時、彼は自分がハンディを抱えて前向きに生きる証として、無謀にも会社を興します。車椅子に乗って登記書類を自分で作ったのです。費用はすべて年齢を偽ってネット上で請け負ったアルバイトで捻出しました。会社を作る時の最難関は、両親の説得だったそうです。似合わない背広を着て、車イスに乗って、お客さんの会社を訪問し、ブルブル震えながら名刺交換をしました。当初は順調だった事業ですが、一時、倒産の危機を迎えます。どうしても、倒産させたくなかった彼は、3つあった営業所を閉め、20人の社員に給与を前払いして辞めてもらい、たった一人でやり直します。罵声を吐いて辞めて行く社員も何人もいたそうです。17歳頃から、彼は、突然、少しずつ歩けるようになります。これは現代医学上の奇跡と言われ、彼は今も大学の先生方の研究用モルモットだそうです。彼が19歳の時、彼が社長をしているクララオンラインという会社は、レンタルサーバー業界で第6位の業績を上げるまでに成長しました。超えられない壁を前にして、途方にくれている方には、是非お勧めした本です。
2007.02.14
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「失敗」と「敗北」は違います。失敗は必ず経験しておかなくてはならないもの。敗北は絶対にしてはいけないものです。
2007.02.14
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彼女のラッキーナンバーKさんは国際線のスチュワーデスです。彼女は幼稚園の頃から夢だった仕事に就いてとっても幸せだと言っています。今でこそ、いつもニコニコしているKさんもかなり悩んだこともありました。Kさんは学生時代からずっと英語が大の苦手でした。それはスチュワーデス研修中も、ずっと変わりませんでした。毎日毎日、夜中まで勉強していましたが、英語だけはいつも同期生の中で最下位争いをしていました。ある日、とくにヒアリングが苦手で、教官から今のままでは国内線しか乗務できないとまで言われました。その夜、落ち込んだKさんは、一人部屋でポロポロ涙を流しながら眠りについたそうです。その夜の夢は不思議な夢でした。たしか写真で見たことのある赤ちゃんの頃のKさんがオムツもはかずにヨチヨチつたい歩きしているのです。その赤ちゃんのKさんが倒れそうになった時、幼い頃、可愛がってくれた亡くなったはずのお婆ちゃんが抱きかかえてくれたのでした。夢はそこで終わりました。目を覚ましたKさんは、時計を見ました。デジタル時計は4:44でした。まだ夜明け前でした。それでも、4という数字が3つも並んで、縁起が悪いように感じて心配で朝まで眠れませんでした。6時にベッドから起きたKさんはいつものように英語のヒアリング教材を聴こうとスイッチを入れました。その時、Kさんはハッとしたのでした。英語がハッキリ聞き取れるようになっていたのでした。一ヶ月後、国際線に搭乗できるようになったKさんがその夢のことを実家のお母さんに電話すると、「4はねえ・・・シと読んで縁起が悪いという人が多いけれど、お婆ちゃんはヨンと読んで縁起が良いと言ってたからねえ」と話してくれたそうです。
2007.02.13
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タケコプター幼稚園児向け雑誌のオマケにドラえもんの台紙を切り張りすればできるタケコプターがついていました。これを見た6歳の一太朗が大喜び。「わーい、わーい」こんなに喜ばれたらすぐにでも作ってあげるのが親バカの中の親バカの私です。ゴムを顎に引っかけて「はい、イッチャン、できたよ」頭のてっぺんにタケコプターをつけた一太朗は大喜びで走り回ります。「わーい、わーい」そんな我が子の飛び回る姿を見るのは親としての至福の喜びです。いろいろ苦労の多かった子だけに喜びもひとしおです。そんなふうにして見ていると何を思ったか一太朗がイスの上に乗ってそこから飛び降りたのです。二度三度、飛び降りたり上ったりを繰り返してはクビをひねっています。「おかしいなあ・・・」なるほど、テレビで見たドラえもんではタケコプターを頭の上につければ飛べるはずなのです。しかし、現実の世界はそうは行きません。かわいそうだけれど我が息子は現実を少しかいま見てしまったわけです。ただ、一太朗はこれくらいで諦めるような男ではありません。「もっと高いところからでないと飛べないんだ」と言って2階のベランダの柵を乗りこえ飛び降りようとした一太朗を「このバカヤロー」と必死で押さえ込んだ私の全身には戦慄が走ったのでした。
2007.02.13
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成功者がまず最初に持っていたものはなんの根拠もない自信だった。学歴でもないし人脈でもないし血筋でもなし性別でもないし性格でもなしたぶん、何の根拠もない自信くらいだと思うですが・・・
2007.02.13
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「頭を下げてオリックスと契約すればいい」と一番最初にノリに対して公式に言ったのが落合監督だったはず。そのアドバイス?に耳を傾けず最後まで無謀な男の意地?を通して年俸8000万を棒に振ったあげく自由契約になり、どこにも行くところがなくなったノリに助け船を出すのは、結局、落合中日。お金の問題はないだろう。たぶん、数百万円という格安で獲得できるからだ。しかし、今回は温情が多分に含まれているような気がしてならない。落合監督が日本シリーズで勝てないのはこの温情がここ一番でいつも悪く出ているからと思うからだ。さて、今年はどう出るか、楽しみが一つ増えた。ところで、ノリを自由契約にしたオリックスは2年前に巨人が守備ができないとクビにしたローズをなんとテストするそうだ。何をテストするか?どれくらい守れるか。。。らしい。。。どうやら、こっちは、楽天より下に行きそうだ。
2007.02.12
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言葉なかなか目標が達成できない時、大きな紙に、頭に思い浮かぶことをすべて書き出してみます。全部、書き尽くしたら、重要ではないと思う順に、一つ一つ消して行きます。数が少なくなるに従って、消すことに勇気が必要になります。こうして、最後に残った一つの言葉が、あなたに教えてくれます。まず、何をすべきかを。
2007.02.12
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この世でどれほど成功しようとも、自分が何者であるか、という生きた真実を知らない限り、あなたは芽を出さなかった種のようなものであり、人間としての存在の真の目的をつかみそこなっているのだ。山川紘矢
2007.02.12
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「思い」はどこへ数年前、生まれながらにして、脳の一部が接合して生まれたイラン人の双子姉妹が100名もの医師団の奮闘の甲斐なく、切断手術に失敗し出血多量で亡くなった話を聞いたことがあります。29歳でした。二人とも大学生で、しっかりした考えの持ち主だったようで、一人は弁護士に、一人はジャーナリストになりたかったそうです。とても悲しい話です。ところで、人が死んだら、その思いは、どこに行ってしまうのでしょうか?私は中学生の頃、二歳年下の妹と、激論したことがありました。当時、「死んだら、すべて無くなる」と言っていた私は、「なくなるわけない、思っていることは、どこかにあるはず」と言った妹に、「証拠を見せろ」と言いました。妹は、「今、私は考えている。そのこと自体が証拠や」と真面目な顔で答えました。あまりにも平然と答える妹の自信満々の態度に、私は返す言葉がなかったことを覚えています。今の私は、あの頃の妹の説を信じたいです。亡くなったイランの姉妹の思いを誰かが継いで、きっと叶えてくれる。そう信じたいです。そして、いつか、人生に希望を無くしている人に出会ったら、この姉妹の話をしてあげようと思います。
2007.02.11
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僕は学生になるべく研究をやるな、 と言っている。『何をやるかより、何をやらないかが大切だ』 と言っている。だってそうでしょう。一人の科学者の一生の研究時間なんてごく限られている。 研究のテーマなんてごまんとある。ちょっと面白いなという程度でテーマを選んでいたら、 本当に大切なことをやるひまがないうちに一生が終わってしまうんですよ。利根川 進先日のデルコンピューター創業者も同じことを言っていましたね。「成功する人は他人と同じことはやらない」「何をやるかより、何をやらないかが大切」そして、利根川博士は「人間の脳は15歳で完成する」とも言っています。
2007.02.11
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天才はいつでも初心者だ。 黒澤 明新しいことに取り組む時わくわくしながらやるでしょうまるで子供のように。あの感覚が大事なんですよ
2007.02.11
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天使の心落ち込んだら、 高いところに行きましょう。天使になったつもりで、下界をみてください。アリのような人間たちを見て下さい。そして、ひとりひとりに人生があることを思ってください。下界に降りてもその気持ちをずっと抱いてください。そのうち、あなたは本当に天使の心を持つ人になっているでしょう。
2007.02.10
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何をやるのかを決めるのは簡単。何をやらないかを決めるのが難しい。マイケル・デル
2007.02.10
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2月14日誰もがチョコレートに心を寄せる日に私はバースデーケーキを手にブラブラ夜道を帰る丸8年前の今日君は生まれた新生児室に並んだ10人の赤ちゃんその中で一番小さい君は一番の暴れん坊だった手を振り足で蹴っていただからいつも君は産着から片方の肩と腕をはだけていた看護婦さんはそんな君を遠山の金さんと呼んでいた初めて君を抱っこした日母親のベッドの上で君が寝ているのも知らず私は危うく君の上に座ってしまいそうになったそれほど君は小さかったそんな君も8才とうとう8マンになった早寝早起きの君だからもうとっくの昔の眠っているだろうだからせめて8年前の瞼の君に言おう誕生日おめでとう※4年前に作った散文です。この子も、もうすぐ中学生になります。神様 ありがとうありがとうありがとうありがとうありがとう・・・
2007.02.09
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私はあなたの味方です。苦しんでいる人を楽にしてあげたい時、まず言うべき言葉です。
2007.02.09
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ポリシーは100円未満近所の駄菓子屋のおばちゃんが亡くなった時の話です。町内では、放送局とあだ名されるほどおしゃべりだった人です。おばちゃんは、たこ焼きと100円までのお菓子を子ども相手に売っていました。畳2枚ほどの小さな店でした。おばちゃんのポリシーは100円未満にこだわったことです。カルビーポテトチップが一袋100円で売り出された頃でした。おばちゃんは、小さな紙袋に3つに小分けして、子供だった僕たちに30円で売ってくれました。そんなおばちゃんも、入退院を繰り返すようになっていました。ラクビーボールのようだった身体も空気が抜けたように痩せてしまいました。僕が久しぶりにおばちゃんを見たのは、亡くなる2週間前でした。おばちゃんは、自分の店の前に立って、まるで懐かしいものでも見るように眺めていました。その様子が、なんとなく近寄りがたく思えた僕は、いつもなら、気軽に声をかけるところを、あえて近寄らずに見つめていました。それから間もなく迎えに来た、息子さんの運転する車に乗せられて、おばちゃんは病院に入院して天国に召されたのです。
2007.02.08
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熊猫焼香(日本語でお祈りパンダ)と呼ばれるウイルスが2006年1月から中国国内だけで猛威をふるっている。感染するとアイコンのほとんどがパンダが焼香する絵に変わるためそう呼ばれる。表示されるパンダの絵はかわいいが、今や多くの感染したPCユーザーがパンダを嫌っていると中国メディアは報じている。ニュースソースおもしろい記事なので転載します。こんなにかわいいウイルスなら感染されてみたい!なんて言わないでね。
2007.02.08
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何をするにしても勇気は大事です。うまく行かないことが重なるとどうしても消極的になります。そこを勇気を振り絞って乗り越えると運がやってきます。
2007.02.08
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そう言われてみれば、半ズボンの男の子は減りました。ちょっと長めのズボンの方がカッコいいからだそうです。私の子供の頃は男の子半ズボンは腕白と健康の代名詞のようなもので冬の寒さの中、親が長ズボンをはくように言うにも関わらず意地を張って半ズボンをはいていた思い出があります。弱いと見られるのがイヤだったのです。もう、そんな時代ではないかもしれませんが・・・
2007.02.07
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ブルース・エドワーズを知ってますか?彼女は彼との結婚を迷っていた。47歳。彼も彼女も、一度、結婚に失敗していた。しかも、彼は筋萎縮性側索硬化症(ALS)という不治の病にかかっていた。それでも、「彼は、17歳から私の心の中にいた人。結婚しなければ、後悔するわ」彼女は、彼との結婚を決心した。彼との結婚式には、パーマー、ニクラウス、トレビノ、プレーヤー、アーウィンら40人以上の有名プロやキャディー達が出席した。そう彼女の名前は、マーシャで、彼の名前はブルース・エドワーズ。ブルースは、ゴルフの世界では知らない人がいないほど有名なキャディーだ。しかも、30年以上、かつての新帝王トム・ワトソン一筋だ…かつて、誰よりも筋肉隆々だったブルースは、ワトソンのバックを軽々と担ぎ、芝の芽をしっかり読み、ワトソンの39勝全てに関わってきた。ワトソンが勝てなかった時、「他の選手のところへ行った方が稼げるよ」とブルースに言った。しかし、ブルースは、首を横に振って、ワトソンを励ましつづけた。そんなかつて新帝王と呼ばれたワトソンでも、年齢には勝てなかった。最長7年も勝てなかった時があったのだ。そんなブルースに悲劇が襲った。前妻が家に放火し全焼、そして、病気は身体の自由を奪った。すべてを失ったブルースは、ろれつの回らない口でワトソンに言った。「俺をクビにしてくれ」ワトソンは、言った。「やれるところまで、いっしょにやろう」ワトソンは、ブルースと同じ病気に苦しむ人たちを励ますために、チャリティーゴルフを主催するようになった。ブルースが死ぬまで面倒を見るつもりだという。ガリガリに痩せたブルースは、もう軽々とはバックを持てない。そんな時、ワトソンが、何年かぶりに、全米オープンに招待された。ワトソンは、もう53歳。往年の力はない。おそらく、タイガー・ウッズを始め世界の猛者が揃うこのゲームでは、予選落ちだろう。そう誰もが思った。しかし、この大会で、初日、ワトソンは首位に立った。あの誰よりも強かった新帝王ワトソンが蘇ったかのようだった。ブルースは、声を上げて泣いた。そして、4日後、堂々と最後までトップ争いをして24位でホールアウトしたワトソンとブルースには、誰よりも大きな拍手が送られた。そんなギャラリーの中には、涙を流しながら拍手をするマーシャもいた。この日から、たしか10ヶ月後、ワトソンはマスターズ初日の出場のためにいた選手のロッカールームでエドワーズの死を聞く。
2007.02.07
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