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わびしいオヤジ占いその日、一日が幸運に満ちた日かは、朝の満員の通勤電車で決まる。目の前に座っていた人が、降りてくれて、自分が座れたら中吉。隣にちょっとかわいい女の子が座ってくれたら、大吉だ。
2007.05.31
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大自然は 愛 の塊神坂新太郎そして、大自然は 奇跡 の宝庫でもあります。
2007.05.31
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古い8ミリ映画のように朝の通勤ラッシュ。連日の残業の疲れが極限に達した。心臓のあたりが苦しくなった。脂汗が額のあたりから、頬を伝った。運良く、目の前の席が空いた。フーッと息を吐き、腰をおろした。その後、会社がある終点までただただ目を閉じ、苦しみが過ぎ去るのを待った。意識が遠のき、時を忘れた。気が付くと、ドアが開き、周りの乗客が席を立ち、私も流がされるように外に出た。改札口付近で、私と同じくらいの年格好の人が救急隊員や駅員に囲まれ、意識を失ったまま、担架で運ばれて行く光景とすれ違った。急ぎ足の群の中で、まるで、古い8ミリ映画のようにその部分だけが、別の世界だった。遠ざかる救急車の音を耳にした私はあの苦しかったはずの動悸がウソのように消えているのに気づいた。
2007.05.30
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小さいことを重ねることが、とんでもないところへいくただ一つの道だと思うイチローこのインタビューの時、「そんな記録は知らなかった」と言った後で「自分を育ててくれた日本のオリックスでの900数十試合の方が大切だ」と言ったことが印象に残りました。
2007.05.30
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食えないプロプロという言葉を聞くと大金を稼ぐスポーツ選手を思い浮かべてしまいます。さて、本当は、どうでしょう。大金は稼げなくても、プロ的な人は、たくさんいます。プロとは、生きてゆく心の支えになるものです。収入あるなしは関係ありません。誰にも誇れる特技がある人は問題ないでしょう。しかし、大多数の人には、簡単にプロと言えるものは浮かんできません。でもですよ、よーく考えてください。たとえば、ごくごく身近なもので、「主婦」もプロです。掃除、洗濯、買い物、育児…主婦の仕事ほど、多種多様なものはありません。そうそう、こんな人もいました。私の家の近所には釣り竿を作っているオジサンがいます。オジサンは、自分で作った釣り竿で、毎日釣りに行きます。子供の頃から、大の釣りファンだったオジサンは、釣り竿を自分の好みに作りたいと思いました。そして、とうとう20年前、オジサンは、家業のクリーニング屋を奥さんに任せて、わざわざ名人に習いに行きました。その努力のかいあって、オジサンは、竹から、見事な釣り竿を作れるようになりました。でも、「今はカーボン全盛の時代、俺の作った釣り竿なんか誰も買ってくれへん」そう言いながらも、オジサンは、釣り竿を作り続けます。世間の人から見れば、仕事もろくにしないで趣味ばっかりやっているどうしよもない道楽オヤジです。このオジサンは、食えないプロでしょう。売れない釣り竿作りが、オジサンの心の支えになっているのです。
2007.05.29
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心の準備さえできているならば、万事、準備完了だシェイクスピア何をするにも、まず、心の準備ですね。
2007.05.29
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人を慰めることは自分を慰めることであり、人を励ますことは自分を励ますことである三浦綾子三浦綾子さんなら、一つの事件の新聞の切れ端と聖書があれば「氷点」は書けたと思います。
2007.05.28
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ある仕事に三度失敗し、それでもあきらめないなら、あなたはその道での指導者になれる可能性があると思って良いだろう。ナポレオン・ヒル「諦めが肝心」の逆ですね。どっちをとるかは人生観。
2007.05.27
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魂との会話私は、かなり幼い頃から、目に見えない友人たちと会話してきた。二人とも、私の弟と妹になるはずだった。生まれて間もなくこの世を去った弟と妹は私のかけがいのない相談相手だった。そして、何度も、私のピンチを救ってくれた。そんな彼らとの不思議な会話が途切れて間もなく、私に二人の息子が生まれた。二人とも、現代医学でなければ生まれて来なかった超未熟児だ。いつか二人が、かつて私と交わした会話を思い出す日が来るだろう。そして、自分たちは生きているのではなく生かされているそのことを悟るだろう。そして、その時、今度は私が魂になる時がやってくるだろう。
2007.05.27
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女のカン女って不思議よね。二人が同じように咳ばらいをした時に二人の関係に気づくんだから。
2007.05.26
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精神的成長は人との関わり合いの中でのみ可能である人間は一人では生きていけません。
2007.05.26
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そうなったら、その時、考える2月14日に長男のマサは、無事12歳の誕生日を迎え、この4月に中学生になりました。マサの夢は、もう3歳の物心ついた頃から電車の運転手になることです。親である私からすれば、「JRで、新幹線を運転するようになるんやったら」と言ったりするわけです。しかし、マサは、「電車やったら、どこでもいい。ローカル線のワンマンカーでもいい」と言います。「そんなところへ行って、廃線になったらどうするんや」と私が心配すると、「そうなったら、その時、考える」と事もなげに答えます。親なんてバカですね。そんな先の先、考えても、取り越し苦労に終わることは、今までの人生で何度も経験済なのについつい、考えてしまう。たかだか12年生きただけのマサに教えられてしまいました。好きなこと、楽しいこと、やってれば道は自ずと開けるのです。
2007.05.25
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自分の子は、自分の持ち物ではない綾戸智絵と言われて自由奔放な性格に育った彼女は「おねがいだから・・・」と頼み込んで、「放っておいて」と言う身体の弱ったお母さんを全国ツアーにも連れて行く親孝行娘なのです。
2007.05.25
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たみちゃん元気に長生きする人は、どんな人でしょうか?私の身近に良い見本がいます。うちには、97歳の婆ちゃんがいます。名前は「たみ」ちゃん。このお婆ちゃん、かかりつけの医者に「やめろ、肺ガンになるぞ」と言われながら、60数年間、たばこを吸い続けています。たみちゃんの捨てぜりふは、いつも、「わしは、ガンにはならん」です。たみちゃんには、72歳の娘がいます。その娘さんが、「お母さん、やめて、ノドに詰まらせたら死ぬよ」と言われながら、30年、毎日、毎日、お餅を食べています。お餅は、長生きの素だそうです。そして、孫娘から、「一度くらい出たら」と言われながら、「あんな、年寄りくさい所に行けるか」と言って、一度も老人会には行っていません。たみちゃんの一番の理解者は6歳のひ孫です。最近足が弱くなった”たみちゃん”は、元気良く駆け回る”ひ孫”をニコニコ眺めながら、「早く、あの子みたいに飛び回れるようになりたいのお」と、毎日、あっちこっちの接骨医に通っています。私たちは、たみちゃんのことを”信念”の人と呼んでいます。
2007.05.24
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世間で言う常識は誰が決めたのだろう相手に対する思いやりがなければ常識なんて人を拘束する道具にすぎない?
2007.05.24
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ガンバレ、おかあさん もう、学校に行く時間だというのに、クミちゃんは、ランドセルを背負うともしない。お婆ちゃんが、たまりかねて怒っても、「学校なんて行かない」と言って聞かない。近所で評判の明るい笑顔のカワイイ子だったはずの小学校1年生のクミちゃんが、登校拒否になったのは、去年の10月頃だった。ちょうど、クミちゃんのお母さんが、腸の難病クローン病のために入院したころだった。お母さんが11月にした手術は幸い成功だった。が、免疫力の低下と、ちょうど、冬場にさしかかってインフルエンザのような感染症にかかる恐れがあるため、面会謝絶になってしまった。クミちゃんのお母さんは、とうとうお正月も帰って来なかった。お母さんは、お父さんから、クミちゃんが学校に行っていないのを聞いて、病院の公衆電話から家に電話してくるようになったのが、2月始めだった。(入院病棟では、携帯電話は禁止です)「ひろみちゃんが、学校に行かないとおかあさん、おうちに帰れないよ。ガンバッテ、学校に行こう」3ヶ月ぶりに聞いたお母さんの声に励まされて、やっとクミちゃんは学校に通い出した。あとで、分かったことだが、口の悪い友達に、長い間、入院すると死んでしまうぞと言われたことがショックだったらしい。そして、3月3日、ひなまつりの日だった。クミちゃんが、笑顔でスキップしながら、顔見知りの私のところに駆けてきた、「おかあさん、帰ってきたの」家で寝ているお母さんの前では今もマスクをしているそうだが、クミちゃんの笑顔は、もとどおりになった。
2007.05.23
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「初心忘れるべからず」さえ忘れなければ、たいていのことはやり遂げられるいろいろあって意欲を失うものなのですが最初の勢いを思い出せば乗り越えられるものです。
2007.05.23
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カズちゃん一人の初老の女性が肝臓ガンで亡くなった。カズちゃんは、私の従姉妹にあたるが年齢では、むしろ親のような年代の人だ。カズちゃんが、一番、輝いていたのは、20代30代だろう。国際線のスチュワーデスから身を起こし、タイ国の首都バンコクでタクシー会社を作った。ベンツやリンカーンなど高級車ばかりを取りそろえたタクシー会社はアジアでは珍しく瞬く間にバンコクでナンバーワンのタクシー会社になった。当時の日本の総理大臣だった佐藤栄作さんを案内した時、カズちゃんは人生の絶頂期を迎えた。カズちゃんの転落は、結婚からかもしれない。ダンディーな男性と結婚したがまったく働かず、浮気に浪費ばかり繰り返す彼とは、一人娘が生まれて間もなく別居し離婚した。あっという間に会社は傾き、日本に帰って来てからは、バンコク時代に作った財産を食いつぶすだけの人生だった。最後の10年間は、古いアパート住まいだったらしい。たしか、アパートに住み始めた頃だった。偶然、カズちゃんと再会した私は、いっしょに商売をやらないかと誘ったことがある。「もう10歳、若かったらね」が1日考えた末のカズちゃんの結論だった。かなりヤケになっていたカズちゃんは、近年、親戚とも不通になっていた。2年前だった。カズちゃんから実家に電話があったそうだ。「私、もうすぐ、肝臓ガンで死ぬの」と言っても、私の両親たちはカズちゃんを助けようともしなかった。きっとウソだろうと思っていたらしい。カズちゃんの訃報は、カズちゃんが亡くなってから3ヶ月後に知らされた。カズちゃんの死体は、実験用に病院に寄付された。引き替えは入院費免除だった…たしか、私が8歳くらいだった頃、バック一杯の札束を持ってカズちゃんは、やってきた。当時高級品だったマスクメロンを山ほどスポーツカーに載せて。そのメロンを一口食べた私が、「おかあちゃん、呼んでくるわ」と言うと、「あんたは、やさしいなあ」と微笑んだ若くキレイだったカズちゃんの横顔が今も思い出される。
2007.05.22
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自分のありのままの姿を知る者こそが 本当に自由を得ることができる ゲド戦記
2007.05.22
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守るべきものあっちこっちでドンパチ、いつまで経っても平和がこないのなら地球なんか捨てても良いんですよ。たかが、星クズですからね。大切なのは愛や夢です。でも、これも守る必要ないかもしれません。愛や夢の対象は自然に残って行くものですから。むしろ、愛や夢は与えるものですね。その反対に、愛や夢のないものは、 自ずから消えようとします。私たちがなすべきことは、たくさん笑うことですね。笑いのあるところに、たくさんの愛も夢も芽生えます。そして、愛や夢へのありがとうの気持ちとして、心優しくなりましょう。人が優しさを失うとどこかで不幸な人たちが現れます。人がみんな優しくなれば、人類の不幸はなくなるのです。
2007.05.21
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いつか必ず道は開ける。俺は、やるぜ!ダルビッシュ有類い希な才能の持ち主の彼には実績を上げれば上げるほどお父さんの祖国イランとの問題がつねに付きまといクローズアップされてきました。多くのプロ野球選手がアメリカの大リーグを目指そうとする中で彼だけが日本国内で投げ続けることを主張し続けています。永遠の平和が訪れる日を願って・・・
2007.05.21
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ふたりのカリスマ栄介君は、この地方都市では、ちょっとは知れた美容師です。雑誌に載っている新しいヘアスタイルでも、ちょっと変わったリクエストにも、応じられる凄腕なのです。そんな彼は、誰にも内緒で、日曜日の閉店後、深夜バスに飛び乗り、東京に出かけます。新しいヘアスタイルを研究するためです。そんな努力もあって、彼の店に来る若い女性たちは、「お願いします」とペコペコ状態です。どっちが、お客さんか分かりません。実は、栄介君には、二つ下の弟がいます。慎吾くんです。彼も、栄介君と同じ専門学校を出て美容師になりました。でも、彼は、最新のヘアスタイルには興味がないようです。お店も持ちません。彼は、老人ホームや福祉施設を訪問し、お年寄りや身体の不自由な方のヘアスタイルを整えます。寝たきりの方でも、10分か15分で、手早くカットします。慎吾君は、もともと、お兄さんほど器用でなかったのですが、今ではほとんど休みが取れないくらいの忙しさです。ふたりを見ると、カリスマとは競争を勝ち抜くことではなく、オンリーワンの道を見つけることだと分かりました。
2007.05.20
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毎日が瀬戸際だと思い、一日一日を精一杯生きる。鈴木敏文現在では常識となったコンビニを日本の文化に根付かせた人です。
2007.05.20
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日記は自分だけのバイブルバイブルと言えば、聖書ですが…私は、日記も、バイブルだと思うのです。と言いますのは、何年か、曲がりなりにも書き続けた日記を振り返って読みますと、誰しも、「ああ、いろいろあったけど、何とか、ここまで来たんだ」と思えるわけです。これは、すごい安心感ですよね。この安心感は、まさしくバイブル的なものです。生きる希望とでも申しましょうか。このバイブルは、名文を書く必要ありません。誤字脱字、大いに結構です。たくさん書く必要ありません。3行?いえいえ、1行でもいいのです。毎日?いえいえ、週休二日でも、隔日でも、自分が一番楽しいリズムでいいのです。そして、嘘でも本当でもいいのです。あ、そうそう、アンネの日記のように、ノートに名前をつけて親友にしてしまうのもいいですね。字を書くのがイヤな人は、書かなくてもいいのです。絵の得意な人は、絵日記。歌の得意な人は、歌日記。…人の数だけある「自分だけのバイブル」なんとなくワクワクしてきませんか?
2007.05.19
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「すみません」ではなくて「ありがとう」15年ほど前、ダメ営業マンだった私を同じ営業所の先輩だったMさんは、いつも励ましてくれました。その一つが、「すみません、ではなくて、ありがとう、と言うんだ」でした。長年の癖だったのでしょう。当時の私は、お礼を言う時、「すみません」と言っていました。さして、そのことが悪い事とは思わなかった私ですが、頑張って営業成績抜群のMさんを見習おうとしました。不思議なことですが、そんな小さなことを変えるだけでも、自分の中の何かが進化するような気がしたものです。最近、ふと気づいたのですが、「ありがとう」は、「難しいことが有った」と書いて「有難う」なんですね。つまり、運がいいという意味です。そう思ったら、「ありがとう」を言うのが今頃になって楽しくなってきました。
2007.05.19
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女は、こんな時、泣くもんです仕事柄、出張の多い私は、アポイントの合間を縫って、地方の野球場を訪ねることにしています。夏の高校野球の地方予選を見るためです。席は、あえて無料の外野席ではなくて、内野席、それも、応援団のすぐ横に座ることにしています。高校生たちの近くに座ると、かつての自分がタイムスリップするようで、とても感動です。感動は、生きるエネルギーですからね。たしか、数年前のあの日、同行してくれた20になったばかりの新入社員のS子といっしょに観戦しました。S子は、何があっても、あんまり動揺しないタイプです。入社3か月で、すでに苦情処理のスペシャリストです。そんなわけで、球場に来る道中のコンビニで買ったおにぎりを食べながら観戦している私たちのところに、缶ジュースを一杯入れたカゴを抱えた、たぶん、試合中の選手のお母さんらしきご婦人が、どう見ても部外者の私たちにカゴを差しだし、「応援してやってください。お願いします」と言ったのです。たった、これだけの言葉ですが、気迫やら感情やら、母性愛やら、もう、すごいオーラを感じてしまった私は、「ええ、ありがとうございます」と言って、缶ジュースを一本ずつ手にしました。一方、何にも感じてないらしくS子は、缶ジュースをグイグイ飲みながら、「私たち関係ないのになあ。お母さんって大変ですね」と、あっさりと言ったので、「君も、あんな、お母さんになれるかな。心して飲めよ」と私は忠告するかのように言いました。さて、勝負の方は残酷な結末でした。どうやら、その缶ジュースのお母さんの息子さんがピッチャーのようで、満塁ホームランを含めてカンカン打たれ、かわいそうに、コールド負けでした。応援席に向かって、「ごめんね。ごめんね」と何度も頭を下げるお母さん。そのお母さんに、「よくやったす」「あいつ、よくやったす」「あいつが、いなければ、ここまで来れなかったす」「こっちが、感謝したいくらいです」と、泣いてるお母さんを励ます補欠の部員達。そして、グランドでは一列に並んで、監督といっしょに「ありがとうございました」と一礼する選手達。ユニホーム姿の選手たちの隅っこで、たった一人制服のマネージャーの女の子が泣きじゃくっていました。そんな様子を見ながら、立ち上がった私は、S子に「マネージャーの女の子も泣いてたね」と言うと、あっけらかんとしているはずのS子が、「女は、こんな時、泣くもんです」と言って、鼻をすすりました。
2007.05.18
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不可能な事はないと信じなさい。そうして潜在意識を活用すれば、信じたとおりの現実に遭遇するだろうマーフィー
2007.05.18
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坂道「この二三日、かあちゃんから電話がないのが気になる。でも、こっちから電話しないでおこう」明日が決勝という夜、昌男は、足に少し痛みを感じていた。もともと、柔らかい筋肉で疲労の溜まりにくい体質の昌男は、これまで、筋肉痛をほとんど感じたことがなかった。それが、今回は、極度のプレッシャーのせいか、疲れがピークに達しているようだ。明日の決勝で一位になれば、オリンピックへ行ける。夢にまで見たスタジアムに行ける。昌男は、小学校2年生の時、ある選択をしたことがある、「学習塾に行って勉強するか?それとも、家の前の坂道を毎日走るか?どんなスポーツするにしても足腰やからな」問うたのは、父だった。「勉強は嫌いやから、俺、坂道走る」あの日から、来る日も来る日も、昌男は坂道を登り降りした。不思議とツライと思ったことはない。いつもツラクなる前に、父がストップをかけてくれたからだ。その父が、数日前、心臓病で倒れた。付きっきりの母も明日は来ないだろう。その夜、昌男は、子供の頃の夢を見た。坂道走りを始めた頃のことだ。あの時は、一回登るのが精一杯だった。坂道の真ん中あたりで、いつも、後ろから駆けてきた父に軽く抜かれたものだった。夢の中の昌男も、一生懸命、駆け登っていた。しかし、真ん中まで、走っても、父の足音は聞こえない。そのまま、登り切って、振り返っても父はいなかった。ただ、「昌男、もう、ひとりで、練習できるな」そう父の安堵に満ちた声だけが聞こえた。翌朝、目を覚ますと、昨夜の筋肉痛はすっかり良くなっていた。絶好調の昌男は、一位でゴールした。夢が叶った瞬間だった。報道人に囲まれ、多くの人々に祝福される昌男に、昨晩亡くなった父の訃報が知らされたのは、興奮からようやく覚めたロッカー室だった。
2007.05.17
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スランプを味わうプロゴルファー 中嶋常幸トッププロだった中嶋さんがスランプに陥ったキッカケは師でもあるお父さんの死でした。以後、7年間、一勝もできず、引退の二文字がチラつくようになった時、難病で余命一ヶ月の少年との出会いがスランプを味わおう、人生を味わおうとする考え方に変わったと言います。中嶋さんは、見事にカンバック優勝を飾り、50歳を過ぎた今もトップ争いに加わる活躍を続けています。
2007.05.17
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彼の名はイーグル赤倉タイ国を知ってますか?日本と同じ仏教国です。たとえば、年金をもらっている方が、タイに行けば、ゴルフのワンコース程度の庭付きの豪邸に住めて、メイドを雇い、悠々自適の生活が送れます。一方、この国には、食べるモノにも困る多くの貧しい人々がいます。そんな国に、貴子さんという若い女性が留学しました。勉強ではありません。タイ式ボクシング。日本で言うキックボクシングを習う為です。そこで、タイ式ボクシングをやっている青年と知り合いました。二人は恋仲になり、結婚することになりました。貴子さんと青年は、貴子さんの故郷でもある日本にやってきました。タイでは、貧しい生活しかできないからです。青年は、日本で仕事を探しました。でも、日本語のできない彼は、雇ってもらえません。悩んだあげく、青年はボクシングのプロになることにしました。強くなれば、ファイトマネーが入るからです。頑張ったかいもあって、ジムでは、実力を認めてもらえるようになりました。日本人でない青年は、数少ないチャンスをものにして行きました。でも、とても二人が食べて行けるほどのファイトマネーはもらえません。貴子さんは、スーパーやレストランでアルバイトをしました。そんな綱渡りのような貧しい生活をしながら3年が過ぎた頃、貴子さんは、働けなくなりました。お腹に赤ちゃんができたのです。どうしよう…二人でもやっとなのに、赤ちゃんができたらどうなるんだろう…どうしようもない不安の底にある二人に、ジムの社長から声がかかりました。「世界タイトルに挑戦しないか?」「ボク?」「ああ、相手は、7戦連続防衛の強いチャンピオンだ」「…」「おまえが勝てば、世界記録だ。たった12試合目で世界チャンプなったヤツはいない」多くの人がチャンピオンの勝利を信じて疑わない中、青年は、観客席で見守る貴子さんと生まれたばかりの赤ちゃんの為に、死にものぐるいで戦うことを誓いました。第一ラウンドからノックアウトを狙ってくるチャンピオンのパンチをかいくぐり、青年は、パンチを必死で返しました。気がついた時は、試合が終わっていました。青年は、最終ラウンドまで、チャンピオンと戦ったのです。しかも、圧倒的な判定勝ち。キラキラ輝くチャンピオンベルトを巻かれた青年がフラッシュを嵐のように浴びる中、赤ちゃんを抱いた貴子さんがリングに上がってきました。これまでの苦労を思い出して涙が止まらない貴子さんから、我が子を受け取り胸に抱いた青年は、どんなに鋭いパンチが次々に飛んで来る試合中でさえ、決して閉じなかった瞼を思わず閉じたのでした。(2004年1月10日)イーグル赤倉は、一度、ケガで陥落しますが、すぐにタイトル奪還。その後、イーグル京和と改め、現在もチャンピオンです。なお、日本プロボクシング史上、デビュー以来首尾一貫しミニマム級で戦い世界チャンピオンになり指名試合防衛した選手は現役王者のイーグル及び新井田豊のみです。
2007.05.16
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名前を覚えることに喜びを感じなさい。だれかが、名前をひとり覚えるたびに100ドルあげると言ったら、覚えることは決してむずかしことではなくなるだろう。「人を惹きつける人間力」ボブ・コンクリン、創元社
2007.05.16
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朝寝坊「おい、6時だぞ」布団越しに、夫の腕が寝ている初子を揺すぶった。朝寝坊常習犯の初子の朝は、「私ったら、また、寝過ごしちゃって」と毎朝のように寝ぼけ眼で新聞を読む夫の背中を見て始まる。こんな生活を30年近く続けているのだ。たぶん、初子が夫を起こしたことは片手の指もないだろう。そんなこんなして、たよりなげな初子だが、二人の男の子を育てた。独立している長男は、JR在来線の車掌をしていて、つい最近、初孫も生まれた。まだ家にいる次男は、大学2年生で去年、新人賞にノミネートされ損なった歌手だ。そんな平和を絵に描いたような家庭に嵐が吹き荒れた。夫が心臓発作で倒れたのだ。長男は、非番ですぐに駆けつけてくれた。でも、次男はレコーディングのためにロンドンにいた。大急ぎで、帰ってきた次男の顔を見ると、夫はニッコリ笑って逝った。初子は、通夜の日も、葬儀の日も、初七日の日も、「これから、一体、誰が起こしてくれるのよ」と、たわいのないことを言い泣きじゃくって息子たちを困らせた。そんなことがあって、ようやく落ち着いた日の朝だった。初子は、いつものように、「6時だぞ」と揺すぶり起こされ、「私ったら、また寝過ごしちゃって」と新聞を読む背中を見ながら言い、いつものように朝食の準備を始めた。トントン…初子は包丁を持つ手を、ふと止め、あの背中の方を振り返った。すると、そこには、次男の微笑む姿があった。
2007.05.15
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人に話を聞いてもらうためには、人とは違うこと、 人が言わないことを探さないといけない・・・ 自分が知っている『変わった他人』のことを話せばいい。イッセー尾形太陽という映画で、昭和天皇を演じたイッセー尾形さんには在りし日の陛下の魂が宿っていたように感じたのは私だけでしょうか。
2007.05.15
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K軍曹最後の一ヶ月Kはもともと、グアム米軍基地の軍医だった。カリフォルニアに妻子を残しての、グアム基地任務3年も、残り一ヶ月となっていた。そんなKが、突如、イラクへの任務を言い渡された。 「一ヶ月すれば、予定通り、妻子のもとに帰してやる」 そう上官から言われて、陥落直後の任地に向かった。彼が降り立ったイラクは、テロによる 危険はあったものの、一時の戦時下に比べれば、気の許せる時間はあった。 彼の任務は、旧イラク国営病院で、軍人やイラク人の診察治療だった。そんなKが、なんとかイラクでの生活に 慣れてきたのは、この地に着いて一ヶ月過ぎた頃だった。そろそろ、カリフォルニアに帰れると思ったKに、 「交代要員が遅れているので、もう一ヶ月、滞在してほしい」 との追加命令が出た。ガッカリしたkだが、そう思う間もなく、トラブルが発生した。彼の勤務する病院に生まれて7ヶ月ほどの赤ん坊が母親に抱かれて運び込まれてきた。イラク人の子だった。血色は悪く、一目で、内臓器官の障害と分かる状態だった。Kは、すぐに診察すると、「すぐに手術が必要だ」と叫んだ。しかし、イラクには、赤ん坊の手術に必要な施設も薬もない。彼は、イスラエルにいる大学時代の友人と連絡をとった。友人は、「イスラエルまで来てくれれば、何とかなるんだが」と言葉を濁した。放って置いたら、この子は死んでしまう。Kは意を決したように、赤ん坊と母親を車に乗せると空港に走らせた。そして、戦闘機を使って、赤ん坊を運ぶように指示した。それを聞いた上官が烈火のごとく怒った、「イラクとイスラエルは、敵同士だぞ。しかも、イラク人を助けるのに戦闘機を使うとは」「イラク人もイスラエル人も、同じ人間であります」「きさまは、それでも、アメリカ軍人か」「自分は、軍人である前に、医者であります。医者の仕事は、人の命を救うことであります」「そこまで言うなら、覚悟はできているだろうな」「もちろんであります」上官は苦笑いしながら、Kを見送った。イスラエルでの手術は無事終わった。赤ん坊の命は助かった。しかし、Kは即刻除隊となり、本来、軍曹として授与されるはずの勲章もなかった。Kは、カリフォルニアの片田舎の医者に戻ったのだ。
2007.05.14
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すべての終わりは新たなる始まりである「心にひびく知恵の言葉」よりじゃあ、一体、何が始まるのでしょうか?何が始まるかをプラスに考えられるか。そこが一番大事。
2007.05.14
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愛とはブラックホール15の歳になるまで、私は本をまともに読んだことがなかった。そんな私が、たった一回の失恋で心にポッカリ穴が空いて気でも違ったのだろうか。本を読み始めた。小説、詩、心理学、哲学…それこそ、一日に1冊は当たり前、2冊なんて簡単という勢いだった。そんな日々が、3年か4年続いた。浪人中も、そんな調子だったので成績は上がらなかった。気が付いたら、6畳の部屋が押入はおろか天井まで本で一杯だった。その後もペースこそ衰えたが本を読み続けている。あれから、かれこれ25年を過ぎた。まだ、ポッカリ空いた穴は埋まっていない。この穴はきっと、宇宙の果てにあるというブラックホールと同じで、何でも飲み込んでしまうに違いない。そう思い始めた。そして、やっと分かった。愛とはブラックホールなのだ。
2007.05.13
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人生はさとるのが目的ではないのです。生きるのです。人間は動物なのですから岡本かのこそう言われてしまうと何にも言えなくなってしまう。太郎さんも、こうやって育ててもらったからああなったんでしょうねえ。
2007.05.13
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幸せの連鎖(独善的親バカ論)私は、世間の人々からすると、かなり過保護な父親だそうだ。ところで、昨今話題になっている子供を虐待する親たちは、自分も過去に親から虐待された経験を持つケースが多いらしい。ならば、私の子供が親になった時は、きっと自分の子供を過保護にするだろう。つまり、過保護の連鎖だ。これなら誰にも迷惑かけないし、他人から見ても、「あら、親バカしちゃって」と陰口たたかれるくらいだ。何よりも、親も子も幸せだ。つまり、私の過保護は、幸せの連鎖を作っているんだ。うんうん、ざまあみろ。
2007.05.12
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どうして自分を責めるんですか?他人がちゃんと必要なときに責めてくれるんだから、いいじゃないですかアルバート・アインシュタインそう言ってくれる人がほしい時、ありませんか?そんな人がいない人のために天才アインシュタインが言ったのです。
2007.05.12
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浮気朝、加代子は出勤前の夫に、スーツの肩についた長い髪の出所を見つけた問いつめた。すると、夫は、イライラしながら「ちょっと、浮気したくらいで ブツブツ言うなよ」と投げ捨てるように言って飛び出して行った。夫が浮気をした…加代子は頭にカアーと血が登った。浮気浮気浮気…浮気と言う文字が頭の中で、爆竹が次から次へと爆発するかのようだ。「絶対に許さない。別れてやる…」その興奮を遮るように電話の呼び出し音が聞こえた。「なんだ、いたの、なかなか出ないもんだから」高校時代の同級生からだった。「あのね、高3の時の英語の先生 覚えてる?あの先生がやっと結婚するらしいので、みんなでお祝いしようということになって」…旧友からの電話も上の空で聞いた。おかげで少し興奮が覚めた。「たしか、あの先生の口癖は、英語は音読だった。声を出して読むと目だけで読むのとでは感じ方が違うって言ってたっけ…浮気浮気浮気…たしかに、口で言ってみると少し感じが違う。浮気ってことは本気じゃないってことなんだ…本気じゃないんだ。 少しホッとした…」そこへまた、電話がかかってきた。 夫だった。「なあ、浮気って言ったけど、何にもしてないんだぞ。信じてくれよな…一緒に飲んだだけだからな…じゃあな、また帰ってから」さっきとはガラッと変わった夫の低姿勢に加代子はニンマリした。「よーし、 帰ってきたら、ネチネチいたぶってやるか」
2007.05.11
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年金辞退、現在18人…最高年170万円、厚労相も返上組 4月から始まった公的年金支給停止制度を利用し、自主的に厚生年金などの受け取りの辞退を届け出た人が、4月だけで18人いたことが、社会保険庁のまとめで10日、明らかになった。 返上者の内訳は、男9人、女9人。地域別だと、北海道2人、本州11人、四国3人、九州2人となっている。返上者の年金総額は年額約1500万円で、個別額では同約170万円が最高。いずれも5月分から支給が止まる。柳沢厚生労働相もこの制度を利用している。 返上はいつでも撤回して再び受給することもできるが、返上分を将来上乗せして受け取ることはできない。返上による特典はない。 ( 5月11日3時11分配信 読売新聞)日本政府は、現在、財政危機。そのピンチを救おうと具体的に行動した方々、十分、表彰に値すると思います。
2007.05.11
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大切なのはどれだけ沢山のことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかですマザー・テレサ弱者と敗者は違います。マザー・テレサは弱者を救済することに人生を捧げた人です。
2007.05.11
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風の噂ずっと以前だけど、駅のホームの売店で働いている女の子と付き合ったことがある。彼女が言ってた、「…1年も売店で働いていると、ほとんどのお客さんの顔を覚えてしまうの。2年働いていると、その人たちが電車に乗る前に売店で買う新聞や仕草でその人の気持ちの変化が分かるようになったの。同じようにスポーツ新聞を読んでいても、 ベンチに座って眉間にしわを寄せて読んでいるときは贔屓のチームや選手が負けた時で、買った新聞を立ったまま大好物の入っている包みでも開けるように急いで見るときは勝ったときなの。そうそう、いつもはスポーツ新聞や女の子のヌードやゴシップが載っている新聞や雑誌を読んでいる人が経済新聞や朝日新聞を読んでいるとやっぱり何かあったんだろうなあと思ってしまうの…」そのときは何げなく聞き流した彼女の話が思い出されたのは、彼女の今の仕事が占い師だと風の噂で聞いたからだ。
2007.05.10
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速度を上げるばかりが人生ではないマハトマ・ガンジーそのとおりですね。でも、なかなか、これが難しい。
2007.05.10
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小さな面倒親友と呼べるような友達を持ちたい、 頼りになる人脈が欲しい、 と誰もが思います。でも、なかなか出会えません。そんな機会は、どこにあるのでしょうか?どうやら、親友との出会いは、自治会の清掃当番や運動会のテント張り、学生ならボランティア、学園祭やクラブ活動などの小さな面倒から始まるようです。こんな小さな面倒をちょっと頑張ってこなすと、意外な人脈ができたりします。理由ですか?小さな面倒を引き受ける人たちは、いい人だからでしょうか?もちろん、そのとおりです。でも、それだけではありません。彼らの中には、地域のことや、学校のこと、子供たちのこと、 などの未来を考えている人がいるからです。未来を考える人たちは、前向きです。 前向きな人は、明るく楽しい。楽しく生きている人には、自然に運が向いてきます。そんな人たちと友達になりたいと思うのは自然の流れです。ちょっと、最近、寂しいアナタ、小さな面倒から逃げていませんか?
2007.05.09
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楽しまずして何んの人生ぞや吉川英治幼い頃、貧乏のどん底を経験する。父や異母兄との不和から小学校を中退し、職を転々、ドックに勤めた頃には生死の間を彷徨った。この事が幸いしたのか、文才を発揮する。しかし、家族との縁は薄く、争いが絶えなかったようである。それでも、この作家は人生をしっかり楽しんだ。出世作は「鳴門秘帖」
2007.05.09
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ものは考えようT神社は、自動車のお祓いで有名です。年始めになると、特設の駐車場は、お祓い待ちの車で一杯です。そこの神主さんのところにちょっと不満そうなオバさんがやってきました。「すみません、この一日にお祓いしてもらったんですけど、その帰りに、ちょっとぶつかちゃって…ほんとうに、ここのお祓いは効くんですか?」神主さんはニッコリ笑いました。「ところで、おケガは?」「いえ、ケガはありません。でも、車は前がつぶれてしまいました」「お祓いをしたから、その程度で済んだのです。もし、お祓いをしなかったら、あなたは、ここに来ることはなかったでしょう」そう自信満々に神主さんに言われると、さすがのオバさんも、返す言葉もなく、「ありがとうございました」とだけ言って帰って行ったそうです。
2007.05.08
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美しいものを、美しいと思えるあなたの心が美しい相田みつをもう、ほんとにまあ・・・この方の言葉には頭が下がります・・・
2007.05.08
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古い手帳書類を整理していたら古い手帳が出てきた。パラパラっとめくると住所録に昔の彼女の電話番号を発見。たぶん、今でもあそこにいるだろうな。ちょっと、かけてみようなかな。今の彼女に悪い…でも、ちょっとだけあの声聞いてみたい…などなど思いめぐらす。そんなわけで、ほんの1行以外は、用済みの古い手帳は引き出しの中で今も待機中。
2007.05.07
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重いものをみんなすてると、風のようにあるけそうです高村光太郎彫刻以外にも絵画や詩等でもいかんなく才能を発揮した。亡くなった妻への思慕を『智恵子抄』という詩集にまとめたことで詩人としても有名になった。そんな彼は七年間、世俗を離れ、隠遁生活を送ったことがある。戦争中に、戦争を肯定する著作を書いた事への自戒の念からと言われている。
2007.05.07
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