今が生死

今が生死

2018.08.02
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カテゴリ: 悲しかったこと
するはずがないと西郷どんの人物像に傷がつくからと触れたがらない人が多い。しかしどんな人間もいいところもあるし悪いところもあし、間違ったことをすることもある。明治新政府が出来て朝鮮にそのことを認めさせようとしたが頑としてそれに応じようとしなかったことに腹を立てて朝鮮を軍事力で打ちのめそうとしたことは事実であの西郷がそんなことを言うはずがないと言っても駄目である。
新政府が出来るまでは朝鮮の釜山で日本の対馬藩(長崎県)を通じて交易がおこなわれていたが今度は新政府が出来たので日本政府と交易するようにしてくれと言っても応じず、明治6年釜山の交易所の役人を対馬藩兵を追い出して新政府軍が入った時に三井の商人もそこに入ってそこを拠点に密貿易を始めた。朝鮮側からそれを取り締まる「伝令書」なるものが掲示されそれは密貿易に対するものだったが日本を馬鹿にする文言が含まれていたとして西郷を含む新政府の高官はいきり立った。朝鮮を軍事力で叩き潰せという声の中で西郷は自分を朝鮮への使者にしてくれと申し出るのである。先週のテレビで禁門の変後長州征伐の時一人で長州に乗り込んで戦争にしないで長州を降伏させたように一人で朝鮮に乗り込んで戦争にしないで朝鮮を降伏させてきますというならかっこよかったが実際は板垣退助への手紙で「自分が一人で朝鮮に乗り込むと必ず彼らは自分を殺すだろう。そうすれば朝鮮はひどいことをするとして攻め込めばよい。そうすれば世界の理解も得られる。」と述べている。
伝令書に端を発したいがみ合いから戦争まで起こそうとしていた。しかも自分の命をそのための捨て石にするというのだ。その時代は国のために命をささげるということはよくあったことかもしれないがたかが「伝令書」の文言で戦争を思い、しかも自分の屍を乗り越えて戦ってくれというのだからあの西郷にして浅薄、薄情のそしりは免れないと思う。しかしこの考えは岩倉使節団が帰国して挫折することになり、中央政府を去って鹿児島に帰ることになるが、伝令書などに振り回されてあの西郷が軍事力で朝鮮を威圧しようなどと考えたことは情けないと思う。
私は西郷を好きである。英雄だと思う。しかしだからと言って間違ったことをしないとは限らない。一人の人間としてよいことと悪いことは冷静に見ていく必要があると思う。





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Last updated  2018.08.02 23:18:56
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