今が生死

今が生死

2023.01.24
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テーマ: 宮沢賢治(13)
カテゴリ: 読書
宮沢賢治は1993年(昭和8年)9月21日に喀血(結核)して37歳で亡くなったが、亡くなるまでに実に多くの詩や童話を書いており、いくつかの作品を自費出版しているが全く注目されていなかった。
亡くなった翌年の1934年2月16日にホテルで賢治を偲ぶ会が行われた際、賢治の弟、宮沢清六が賢治から託されたトランクを戦火を免れた蔵から発見して持参した。
トランクの中に賢治が使っていた黒い手帳があり、その中に雨ニモマケズの詩があり、それを回し読みして多くの人達の心に残り、地元の新聞にも紹介されて、一躍、宮沢賢治の名が広がったと言われている。
賢治の作品は難解なものが多く、雨ニモマケズが見いだされなければ、ずっと誰にも知られない無名作家で終った可能性が高い。雨ニモマケズはカタカナと漢字で平易に書かれており、大人から子供まで誰にも理解できる内容で、社会に受け入れられ、それにつられて難解な他の作品も次々に宮沢清六等によって出版され、多くの人に読まれるようになった。
いわば賢治を世に出すきっかけになった作品だがいつどこでどのようにして生まれた作品であろうか。
賢治は盛岡高等農林卒業後東京に出て法華経の国柱会での活動をするが、妹の病気の看病で郷里花巻市に帰り花巻農学校の先生になった。先生をやりながら理想の花園農村建設を目指して、羅須地人協会を作って活躍するが、共産主義的活動だとして官憲に見張られるようになり、羅須地人協会を辞めて東北砕石工場の技師兼営業マンとして働いてた。
雨ニモマケズの詩を書いた手帳の日付けが1931年(昭和6年)11月3日になっていたが、その頃は病気で東北砕石工場を休んで自宅で場闘病中だったと推察されている。
雨ニモマケズの最後はソウイウモノニワタシハナリタイで結ばれており、そういう者にまだなれていない時に死に見舞われてしまい、志半ばで無念の死だったように思われたが、死後、雨ニモマケズが発見されたおかげで志を遂げたのではないかと思う。





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Last updated  2023.01.24 17:27:04
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Re:宮沢賢治と雨ニモマケズ(01/24)  
かんぼう さん
宮沢賢治は1993年(昭和8年)9月21日に喀血(結核)して37歳で亡くなったが、亡くなるまでに実に多くの詩や童話を書いており、いくつかの作品を自費出版しているが全く注目されていなかった。
亡くなった翌年の1934年2月16日にホテルで賢治を偲ぶ会が行われた際、賢治の弟、宮沢清六が賢治から託されたトランクを戦火を免れた蔵から発見して持参した。
トランクの中に賢治が使っていた黒い手帳があり、その中に雨ニモマケズの詩があり、それを回し読みして多くの人達の心に残り、地元の新聞にも紹介されて、一躍、宮沢賢治の名が広がったと言われている。
◎いいお話ですね。私も宮座賢治博物記念館に行きそれを見ました。短い人生ですが中味の濃い素晴らしい味わい深い人生ですね。法華経の世界が溢れています。
彼は立派に志を生きている時に唱えていますよ。凡夫のまま即仏の境涯、願望、生前の姿はその最後に述べられています。人は願望を込めて今実行している自分の境涯を書いている、生きているものです。 (2023.01.25 10:00:15)

Re:宮沢賢治と雨ニモマケズ(01/24)  
 カタカナでの表記が印象的で、成功したように思える作品です。
難解な他の作品も有るのですね。主に法華経などの仏教的な作品でしたか。 (2023.01.25 12:54:59)

中味の濃い素晴らしい味わい深い人生  
楽天星no1  さん
かんぼうさんへ

[短い人生ですが中味の濃い素晴らしい味わい深い人生ですね。法華経の世界が溢れています]

彼が世界一の宗教と確信した法華経をバックボーンにして精一杯生きたことは確かですね。ただ昔でも37歳はかなり若かったですね。24歳で亡くなった妹トシは美人薄命で、37歳で亡くなった賢治は定めし佳人薄命と言ったところでしょうか。
長く生きれば幸せ、短い人生は不幸とは一概に言えませんね。短くても長くてもその人生が充実していれば幸せですね。 (2023.01.25 16:39:27)

Re:宮沢賢治と雨ニモマケズ(01/24)  
かんぼう さん
連絡
26日の今日のブログ片言たじたじ旅は熊野の海岸が雪で真っ白の絶景が朝の散歩で天からご補備を頂きました。自然界が魅せる技ですが得難い南国の雪景色の風景。めったに見えない奇跡の自然界がみせた絵師の妙を写真でおさめました。 (2023.01.26 16:21:35)

南国三重県熊野海岸に雪  
楽天星no1  さん
かんぼうさんへ

凄いですね。熊野に雪が降りましたか!!
北海道や東北では厄介者で交通は途絶えるし、窓から見える景色は雪の白一色で面白くも何でもない。早く溶けてもらいたい。
一方では厄介者、一方では珍客として歓迎される。人間も時と場合によってはそのようになることがありますね。 (2023.01.26 20:45:59)

宮沢賢治の作品  
楽天星no1  さん
ケイサン9574さんへ

死後に遺品ともいえるトランクの中から莫大な詩や童話があふれ出てきました。
青空文庫で検索して頂けば莫大な作品が出てきます。法華経を直接書いている作品は殆どないと思いますが、作品の背景として法華経が燦然と輝いている作品が多いと思います。
数が多すぎて全部上げることはできませんが、主なものは、銀河鉄道の夜、グスコーブドリの伝記、セロ弾きのゴーシュ、注文の多い料理店、風の又三郎、心象スケッチ春と修羅、よだかの星、ボラーノの広場、烏の北斗七星、など沢山あります。
短編が多いのでどれかを選んで読んでみたらいかがでしょうか?
銀河鉄道の夜はジョバンニとカンパネラが銀河に行く列車に乗り込んで様々な人と会って話をしながら銀河に行く話ですが、ジョバンニが途中でカンパネラと別れてしまう悲しい話があります。
カンパネラについては今までずっと早死にした賢治の妹トシのことだろうと評論家達は言っていましたが、最近になって無二の親友保阪嘉内ではないかという解説者(菅原千恵子さん達)が出てきました。
保阪嘉内は盛岡高等農林の時同じ寮に入っていた親友で心の友と思っていました。そこで自分が確信した法華経の話をして一緒にやっていこうと何度も誘いますが嘉内はうんと言わず、しまいには言い争いになってしまって絶交状態になってしまいました。その悲しみを抱いていた賢治は物語の中で嘉内をカンパネラとして登場させたのではないか言っていますが、私もその説に賛成です。保阪嘉内は山梨県韮崎市の出身で賢治から72通の手紙を受け取っており、賢治研究の大切な資料になっています。
(2023.01.26 20:53:55)

Re:南国三重県熊野海岸に雪(01/24)  
かんぼう さん
楽天星no1さんへ
一方では厄介者、一方では珍客として歓迎される。人間も時と場合によってはそのようになることがありますね。
●めったに見えない自然界の得難い南国に海岸が真っ白い雪景色。見て頂き有り難う。今日のブログはホーレンソウをアップで撮っています。何度も葉をかいていただいています。根っこを残していますから何度でもいただけます。
貴方がご指摘のとウリです。御書に穢土というも浄土というも土に2つの隔たりは無し。我らの感じ方、味方だと。仰せです。
失敗をピンチと捉えるか、チャンスと捉えるかですね。
これから1泊2日で白川郷の雪景色を見学に行ってきます。
今日のブログはホーレンソウ、家庭内生ごみの事10掲載しています。 (2023.01.27 06:51:50)

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