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◎三億円事件大捜査 正月返上!! [Vol.5] ~ PLAYBACK 1968 IN Shinjuku [終] ●2012年 1月2日 新宿 「居酒屋志ろう」にて ●参加者 / オアシス地球 サトーハチロー(プラン作成) 井上元宏 風月堂 すぃけ~だ Mont.Akagi ひら ueki ★さて、今年も三ヶ月に渡ってお送りしてまいりました「正月返上」、 今回にてオーラスです。最後は新宿の一角で異様な迫力を放つ 「新宿ゴールデン街」です。戦後の闇市から青線、現在の飲み 屋街へと姿を変えても1950年代のムードはそのままでした。 見てくれに反して(失礼)営業店は満杯で空きは順番待ち状態。 ★ゴールデン街地図 以下、画像は拡大します (井上)『当時の警察がローラー作戦で左翼とか学生運動家をしらみつぶしに出来たというの はラッキーだったんじゃないですか?』 (風月)『それもまあ、結果論としてはね』 (サトー)『まあ、今日は丁々発止、やってきましたけど、まあその・・少年については断片的な 疑うに足る状況というのはあると思いますよ。 でも父親にはそれがないんですよ。 それを肉付けしたストーリーが一人歩きするのが、僕はダメなんですよ(笑)』 ▲一部画像は 『ちょっと だけ!「新宿」』 ほかより。 (サトー)『父親の関与ではないけれど、以前から考えてたことがひとつあるんです。まあ仕事柄、 例えば現金輸送車の警備であるとか、そういう職務上の話題を家でしゃべってたと思う んです。それを少年が聞きつけて、やっちゃった・・っていうのはあるかなあ、という気は してるんですよね。 でもまさか自分の息子がやるとは思わず、そうした忸怩(じくじ) たる思いがあって、最期はあそこまで厳しい決断を迫ったのかなあ、と思うんです』 ▲ここは「太陽にほえろ!」なんかで刑事に追われたホシがポリバケツを投げつけながら逃げた、あの路地にちがいない! ← ただの裏さびれた 飲み屋街だと思ったら 大まちがい。 最近は若い世代が新しい コンセプトのお店を出店 している。このコンセプト はスゴ過ぎだけど。 保険証を忘れずに? ★くわしくはこちら(「物体X」も登場します笑) (風月)『だとしたら、ストイックではありますねえ。言ってみれば、不注意というのか・・』 (サトー)『「白バイ警官の格好すりゃ、何でも顔パス、何でもOKだよ」みたいなね。結果的に 未必の故意じゃないけども、犯行の手口を考えるとね。それだったら、なんとなく 納得できるような気がするんですよ』 ※ (以上、酒の席での「戯れ言」が 多数含まれている点、ご承知おきください) (おわり・また来年!) 記事は当分、お休みさせていただきます
2012年04月07日
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◎三億円事件大捜査 正月返上!! [Vol.5] ~ PLAYBACK 1968 IN Shinjuku [12] ●2012年 1月2日 新宿 「居酒屋志ろう」にて ●参加者 / オアシス地球 サトーハチロー(プラン作成) 井上元宏 風月堂 すぃけ~だ Mont.Akagi ひら ueki ★三億円事件と関係はないものの、かつての歌舞伎町のシンボル といえばこの新宿コマ劇場である。1956年から08年まで、半世紀 以上に渡って「演歌の殿堂」として君臨。また、山口百恵やYMO、 サザンオールスターズのカウントダウンライブなどでも使用された。 (井上)『僕なんかももう、三億円事件に関しては頭打ちというか、限界なんですよ。 なので、ここらでひとつ、本にしたい気持ちが前からあるんですが、諸般の 事情を考えると、やっぱり小説にするしかないのかなあなんて思うんですよ』 (風月)『やっぱりそこへ行っちゃいますかねえ・・。 そういえばクロベエさんも小説男 さんと小説バトル、やってましたねえ。途中で終わっちゃったのが残念ですけど。 それと、僕は本当に正確な資料集みたいのが一冊あればいいなと思いますね。 また話題は飛んで、あの白バイ警官の扮装で犯行を行なった意味というのは・・』 (サトー)『あれは 「少年」の発想だと 思うんだよね。白バイ 警官ってなかなか一般 の人間には思いつかな いと思うんですよ』 (風月)『そこでやっぱ り「脅迫関連」の問題 が再浮上すると・・』 (?)『切り離して考え られれば楽なんですが。 府中関係は若い人間、 多磨農協は中年の男と』 (すぃけ)『信託銀そば でずぶ濡れで立ってた 中年男の件は・・』 ▲新宿コマの解体工事は閉館から2年以上たった2011年3月10日から始まり、隣接する 新宿東宝会館も含め約1年の工期予定。跡地はシネコンを核とした複合ビルになるとの噂。 (風月)『あれ、無関係っ て話もありますけどね』 (?)『犯行の最小人数 は二人、ってことになり ますか?』 (井上)『例のT字路での 本多親子の証言でもカロ ーラの運転手は少年の人 相とは違ってましたよね。 で、それらの指示をしたの が、妄想ですけど父親で はないかと考えるんです』 (サトー)『ただし、父親は 犯行時間に限っては近所 の人に目撃されててアリ バイはあるらしいですよ』 ▲対面するミラノボウル側。 ドラマ「俺たちの旅」で中村雅俊演じるカースケらが入った 噴水はまねして飛び込む者が後を絶たないため、84年に撤去されたそう。 (井上)『犯行の日、「息子がかかわっていないかと不安になり、パトカーで警戒中に自宅前を 通ってバイクがあるのを確認した」とされてますよね。これは「犯行が成功した場合は 合図として玄関前の植木鉢や牛乳瓶を逆さまにしてあり、それを確認したんだ」という 珍説(?)がありましたけどね。 サトハチさんは笑うでしょうが(笑)』 (サトー)『それは家に電話一本すればいいことじゃないですか』 (井上)『あっ、また始まった・・ヽ(`Д´)ノ でも誰が聞いてるか分からないし・・』 ▲1957年、第1回舞台作品『廻れ!コマ』の観客で溢れる 正面入口。 「新宿コマ劇場の歴史」 より ⇒ 右写真は拝借したサイトを見失ってしまったのだが おそらく現在のアルタ裏、セントラルロードだと思う。 (風月)『まあ、電話できる状況じゃなかったかもしれま せんけど・・』 (サトー)『息子は家にいるときはいつも、出勤する私に 手を振ってくれた。でも事件当日は記憶にない、 と証言してるけど、なんかあれはちょっと胡散 臭く感じちゃうんだよね』 ★次回はついに最終回! (つづく)
2012年03月31日
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◎三億円事件大捜査 正月返上!! [Vol.5] ~ PLAYBACK 1968 IN Shinjuku [11] ●2012年 1月2日 新宿 「居酒屋志ろう」にて ●参加者 / オアシス地球 サトーハチロー(プラン作成) 井上元宏 風月堂 すぃけ~だ Mont.Akagi ひら ueki ★しかし新宿ゴールデン街の裏にこんな神社があるとは知らなんだ。 毎年11月には酉の市が開かれ、絶滅寸前の見世物小屋の興行が あったり、境内ではフリーマーケットなどの催しも開かれている。 「初恋」でみすずが単車に乗る練習をしていたのがここである。 ▲喫茶店関係に続いて今回は「花園神社」で一服。 (サトー)『実はね、平塚八兵衛は公には一度たりともあれを自殺とは言ってないんですよね。 で、もし「他殺」だった場合、時効は15年ですから、1983年頃に週刊誌で思い出し たように当時のネタがいくつか出るんですよ。「もう書いてもいいだろう」みたいに』 (風月)『2006年でしたっけ?お母さんがコメント出しましたよね。あれを見ても絶対に何も 言うはずはないですよね、完全否定ですから。 まあ当たり前ですけど』 (サトー)『ところで、 立川グループって聞くと なんか暴走族みたいな 確固とした掟のような ものがありそうだけど、 そうじゃなくて、もっと 自由で足取りが?みにく い集団だったはずです。 しいて例えれば、村上龍 の「限りなく透明に近いブ ルー」の世界みたいな。 (井上)『あの頃は本名も わかんないような関係なん てザラだったんでしょ? 今だとネットでハンドル ネームしか知らないような ・・」 ▲さすがに正月、拝殿につづくこの行列! 「正月返上」でお参りが出来たためしはない。 (サトー)『交友関係については相当捜査してますよね。それでおかしくなったり、自殺した 人までいるらしいし』 (風月)『少年が生きてたら62・・関係者が60代前半から半ば、まだちょっと生臭いですね』 (井上)『これはもしかしたら10年以内に誰か証言者が・・? 逆にいうと、あと10年くらいで 何も出ないと、もうアウトかもしれませんね??』 (オシ球・最後の一言)『・・やはり永遠の闇に葬られるんですかねえ・・じゃあ、私、終電がなくなる ので(笑)このへんでお先に失礼します。今日はお疲れさまでした』 (ブログ主、あっさり帰宅。 が、討論会はまだ終わらない・・) (井上)『僕は以前、当時の捜査関係者何人かにお会いして「父親首謀者説」の可能性に ついて話したことがあるんですが、完全に一笑に付されましたね(笑)』 (風月)『それは彼らが鼻からそういう発想自体しないのか、それともトボけてるのか・・』(井上)『いや、もちろんトボけてる感じではなかったです。 それでもお一人だけ、そう考えるのが一番しっくり来る、 とおっしゃった方がいらっしゃいましたが。 なかには 少年説すら完全に否定する方もいましたけどね・・』 ★『花園神社から新宿中央公園まで 地下道だけで移動する事が出来るのか?』 (つづく)
2012年03月23日
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◎三億円事件大捜査 正月返上!! [Vol.5] ~ PLAYBACK 1968 IN Shinjuku [10] ●2012年 1月2日 新宿 居酒屋志ろうにて ●参加者 / オアシス地球 サトーハチロー(プラン作成) 井上元宏 風月堂 すぃけ~だ Mont.Akagi ひら ueki ★「三億円事件に興味がある」と人に話したことあります? その時、相手の口元には妙な笑みが浮かんでいませんか? この笑いには、色んな要因が絡んでるとは思いますが(微笑) ▲今回はヴィレッジゲート跡(右)向かいの「王城ビル」をご紹介。 (風月)『少年が「要注意」で挙がったのが事件の2日後で、死亡したからよけいにそうなっ たと思うんですが、捜査一課長が武藤氏に切り替わって平塚八兵衛氏を投入した のが翌年4月になったのは、かなり「臭いものにフタをした」感じがするんですよ』 (サトー)『やっぱりひとつ譲れないのは、刑事が訪ねて行った、その日に死んでるでしょ。 その流れが大きいと思うんですよ。白バイを使った三億円事件があって、目ぼしい 悪ガキが一人いて、よしこれから挙げに行くぞとなったその夜に死んでますよね。 その前には父親に「出頭させろ」と言ってる。この流れは単なる偶然とは思えない んですよ。 ただ一方で、何の証拠もないんだから「冤罪」だということも出来る』 (井上)『日立か東芝の 現金輸送車を襲えば 一人頭300万になると 話したりというのも遇 然とは思えませんよ』 (サトー)『よく警察に 犯人扱いされて自殺す る人がいますよね。 それを世間は「やっぱり あいつは真犯人だった から死んだんだ」と言う けど、あれはたいてい、 人間不信になってしまっ た結果ですよね』 (風月)『狭山事件なん て5人も自殺してますよ』 (井上)『サトハチさん、 究極の質問しますよ(笑) この事件、将来解明され ▲歌舞伎町のシンデレラ城とも呼ばれる「王城ビル」。かつては喫茶「王城」であり、その後 る可能性はあると思いま 同伴喫茶、テレクラ、カラオケ・居酒屋としぶとく生き残ってきた。手前はなんと児童公園! すか?』 (サトー)『ありますね』 (オシ球)『意外だなあ。 ないって言うのかと思っ た(笑)』 (サトー)『いや、新事実 が出る可能性はあると 思うんですよね。あの金 にしても、僕はまだ土の 中に埋まってんじゃない かって気がしてしょうが ないんですよ』 (オシ球)『ていうか、土 になっちゃったとか(笑)』 (風月)『すると、一緒に拘った人間には金は行ってない可能性もあると?』 (サトー)『う~ん、だから彼が死んじゃったのはアクシデントだったと思うんだよねえ』 (風月)『なるほど。そうなると、その仲間たちは必死になって金を探すよね?』 (すぃけ~)『ただ、必死になって 探せばヤバイという・・』 (サトー)『そうそう、そこのバランス というかねえ、難しいよねえ』 ← 新宿ゴールデン街にたむろする 少年たちを発見した(笑) (つづく)
2012年03月16日
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◎三億円事件大捜査 正月返上!! [Vol.5] ~ PLAYBACK 1968 IN Shinjuku [9] ●2012年 1月2日 新宿 居酒屋志ろうにて ●参加者 / オアシス地球 サトーハチロー(プラン作成) 井上元宏 風月堂 すぃけ~だ Mont.Akagi ひら ueki ★近所に「元・銀行員だった」という人がいます。歳は50代 後半、三億円事件の話をしたら 「さすがに何億、という のはなかったけど、何千万という金はしょっちゅう運んだ。 エンジンかけっ放しで、たこ焼き買いに行ったりしてたよ」 ▲今回はジャズ喫茶「ヴィレッジゲート」跡をご紹介。 (風月)『それではもうお一方、初参加のひらさんお願いします』 (ひら)『僕は最初に観た事件の関連ドラマ・・紛らわしいんですが「時効警察」じゃ なくて「時空警察」とか、作家の岩川隆さんの「謀略三億円事件」なんかの 影響が強いのかも知れません。 初期のブログで結構否定されてた、日米安保がらみの説とか。 「父親が息子を・・」ってことになると、息子の死亡が逮捕状が出る直前じゃ ないですか。それを考えると、「国家のために」やらなくもないかな・・と。 怪しいと思える状況証拠はけっこう多いんですよね。 話は飛んで、犯人の白バイ警官のヘルメットの件ですが、私は仕事が通信業で、 会社に二つ目のヘルメットをくれといっても余程の理由がないとくれないんです。これが警察だったらなおさらそうじゃないかと思うんです。それであのヘルメットが本物である可能性はどうだったのかを考えたりもしました。私は息子の犯行というのも疑念を持ってて、父親がそのままやった可能性はどうなのか、とも思ってるんです』 ▲右のビルが深夜ジャズ喫茶「ヴィレッジゲート」跡。似た店名が多いですね。 (風月)『すると、ビートたけしがやった一橋ドラマにアウトラインが近いのかな?』 (ひら)『ええ、ただやはり目撃証言とは合わないので、少年グループの誰かを使って やった、それを息子が知ってしまったので口封じに、という説です。 (風月)『それは新しいな・・』 (すぃけ~)『でもそれで殺す、までするかな??』 (ひら)『そこが、要は日米安保のためなんです。(中略)安保締結の直後にいきなり 捜査の規模を縮小してるんですよね。 それと父親が平塚八兵衛に対して 「公安をあげて対抗する」とも言ってますよね。 つじつまが合うんですよ。 10億円近い捜査費用をかけたって、アメリカやCIAに「いいかげん終息しろ」 と突かれても顔向けができる』 ▲スイングジャーナル昭和43年6月号より。 東京紅團 小説家の新宿を歩く ▲本文とは関係ありません (風月)『すると、三億の金は「もどった」と?』 (ひら)『もどってますね。真偽のほど は分かりませんが、その後の信託銀行の決算では盗まれた三億円を計上し なかったとか、「保険でおりた」と言いますけど、保険会社の話ではそもそも 「盗難にあったお金の保険はない」という話も聞きました。いくらでも「狂言」が 使えますから』 (全員)『・・う~ん・・』 (つづく)
2012年03月09日
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◎三億円事件大捜査 正月返上!! [Vol.5] ~ PLAYBACK 1968 IN Shinjuku [8] ●2012年 1月2日 新宿 居酒屋志ろうにて ●参加者 / オアシス地球 サトーハチロー(プラン作成) 井上元宏 風月堂 すぃけ~だ Mont.Akagi ひら ueki●さて、討論会も開始後2時間経過、一同かなり酔いも回り、 ろれつが回らなくなる方、エロ話に興じる方、「俺が犯人だ」 などと叫びだす方など、座も楽しく盛り上がってまいりました▲今回はジャズ喫茶「ジャズヴィレッジ」跡をご紹介。 (すぃけ~)『改めて、サトハチさんは犯行の動機はなんだったと思いますか?』 (サトー)『また僕ですか?(笑) ・・う~ん、やっぱりゲーム感覚ってのはあったと 思いますよ。結構めんどくさいことやってるじゃないですか。「これやった ら面白いんじゃねえの?」みたいな感覚があったと思うんですよ。 その 感覚も相当に新しいですよね。あの当時としたら』 (Akagi)『早朝に脅迫状の壁新聞を貼ったりとかいろいろと努力してますもんね。 でもあまりに何回もやり過ぎで、狼少年じゃないけど、警察が本気に ならなくなる弊害はある』 (風月)『あれ、何をしたかったのか本当に分からない。何を確認したかったのかが』 (サトー)『12月5日に 信託銀行に脅迫状を 送ってますが、これは ちゃんと「陽動」にな ってるんですよ。他の はなってない。だから おかしいんですよ』(井上)『その脅迫状の 差出住所が「戸倉」に なってたのは、当初は 少年は参加する予定が なかったからで、彼ら 特有のお遊びで戸倉を 使ったんじゃないかと 私は考えるんですよ』(Akagi)『電話帳に「高 木門」と音が近い名が あったので使ったが、 戸倉に「町」と付けてし まった点で戸倉とは関 係ない人物だろう、とい うのが私の説なんです。 ▲ やはり歌舞伎町にあった「ジャズヴィレッジ」跡。映画「初恋」に登場した ジャズ喫茶「B」のモデルになった店である。現在は風俗店の入るビル。 (※ここで残念ながらMont.Akagi氏は帰宅。事件について最後に一言をお願いすると・・) (Akagi)『そうですね・・ 単独犯が完全に不可能だったら、とっくに否定されてる はずなんですが、否定しきれなかったってことは可能性があるはずだと。 「私くらいは単独犯説を守ろう」、という気持ちが正直、あります(笑)今後 も単独犯の視点で色々検証していってみたい。今日はお疲れさまでした』 ・ ・ (風月)『このへんで、初参加のお二人にお話を伺いたいと・・まずuekiさんから』 (ueki)『私はS少年及び複数犯説で、父親の関与はなしです。根拠はまず土地勘で、 Akagiさんは京王線沿線説ですが、私は中央線沿線でもいいと思います。 いずれにしても多摩地区で、盗難車の置き場所などの点からも、おそらく本町 住宅周辺の人間だろうと思います。複数犯の根拠はやはり遺留品です』 映画「初恋」・ジャズ喫茶「B」店内のシーンより。 犯行は一人でやった可能性はあると思うんですが、脅迫関連は やはり少年以外の人間がやったと考えないと説明がつかないですね』 (風月)『極論すれば、事前に「手伝ってた」人間は、最終目的を知らず に手伝ってた可能性だってなくはないですよね。一部分を分担 してやらされたら全体像は見えないですから』 (ueki)『そうですね。 それと多磨農協の脅迫状の指定ルートを見ると、 やはりある程度年配で、そこを走って調べた人間でないと無理 で、さすがにS少年にはそこまでの緻密さはないと思いますね』 (つづく)
2012年03月03日
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PLAYBACK 1968 IN Shinjuku ~ 異説・「新宿説」を追え!? ~ [6] ●2012年 1月2日 新宿 居酒屋志ろうにて ●参加者 / オアシス地球 サトーハチロー(プラン作成) 井上元宏 風月堂 すぃけ~だ Mont.Akagi ひら ueki(今回はサトハチ氏が「S少年説」を斬る!!) (Akagi)『最後の多磨農協脅迫で、脅迫状を持っていくよう指示されたのがS少年 の母校、明星学苑の青木教諭だった件で、私は犯人が単純に電話帳の 最初に載っていた人物を選んだだけ、という説を以前お話しましたよね』 (井上)『それなんですが、電話帳の最初のページをめくって決めますかねえ?』 (サトー)『当時の電話帳は、「府中市」はなくて「三多摩」と「23区」なんですよね』 (井上)『でも・・学年主任なんですよね』 (Akagi)『それは知ったこっちゃない ですよ。(一同笑) それと、脅迫状を置いた場所と自宅が遠い点ですね』 (オシ球)『あそこ行きましたけど、なんか奥まったヘンなところにあったなあ・・』 (サトー)『ただね、僕は青木先生とS少年を結びつけるのはあまり好きじゃない。 逆にS少年説の信憑性が下がると思うんだよね。どっちでもいいと思う』 さて、こちらは途中で休憩した「喫茶らんぶる」風月堂の筋向いにあるレトロな洋館風の造りの元・名曲喫茶で地下席が評判。創業昭和25年。らんぶるとは「琥珀」の意味。右写真は昭和31年、現在の地に移転後。 (サトー)『やっぱりね、S少年が一番怪しいとは思うんですよ。ただ、一連の脅迫事件には 関与してないと思うんだよね。そう考えるのが一番自然だと思う。S少年が犯人 だとすると、イコール、複数犯ですよね。そして私は父親は絡んでないと思う。 ズバリ言えば、証拠がなかったのと、遠慮による捜査のしづらさだと思います。 以前、クロベエさんの話でさすがだな、と思ったのは、警察は最も怪しいはずの S少年宅の家宅捜索をしてないんだよね。天井裏から青酸カリが出てきたのも 事件の4ヶ月以上も後でしょう。 もしかしたら白バイ警官の制服がポロッと出て きたかも知れないんですよ。彼がもしシロだとしても、その捜査をやってない。』 (Akagi)『存命中に目を付けてたのに、自殺したとなったら、徹底的に捜査すべきだった。 私はその、一警官に対してなんで遠慮したりするのかが分からない・・』 ▲地下席は天井が高くゆったりとくつろげます。 (サトー)『そこがポイントで、私は「保留」したんだと思いますよ。グレーのまま置いといた。 それと、これ以上突っ込んだらまた身内から犠牲者が出る恐れがあって、火中 の栗を拾うような真似はできなかったんだと思う』 (風月)『それで年が明けちゃって、4月に投入されたのが平塚八兵衛氏で・・』 (サトー)『なんで投入したかっていうと、やっぱりグレーだったからですよ。 で、75年に もう一回やり直してますよね。これだってグレーだからやり直してるんですよ』 (Akagi)『当時の日本の警察の能力がそんなに低かったとは思えないんですけどねえ・・』(サトー)『やっぱり金が出なかったのが大き いと思いますよ』(Akagi)『金はいくらでも隠せたはずなんです。 信じられないでしょうが、昔のワリチョーとか ワリコーって、何千万、何億持っていこうが 全く本人確認なしで預けられたんですよ。 私がなけなしの10万円を預けに行ったとき、 隣の窓口でヨボヨボのお爺さんが8千何百 万円預けるのを目撃しました(笑)』(?)『それ、意外とお爺さんだから怪しまれ ないんじゃないですか?(笑)若いヤツだっ たらどうだか・・』 (つづく)
2012年02月17日
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PLAYBACK 1968 IN Shinjuku ~ 異説・「新宿説」を追え!? ~ [5] ●2012年 1月2日 新宿 居酒屋志ろうにて ●参加者 / オアシス地球 サトーハチロー(プラン作成) 井上元宏 風月堂 すぃけ~だ Mont.Akagi ひら ueki(討論会のつづき・今回は「あまりにガサツな 準備期間」・・から犯行に使った発炎筒など) (風月)『犯人は犯行日のギリギリまで準備を終えてませんよね。 私だったら恐くて出来ないですよ、あんなの』 (Akagi)『10日前の11月30日の段階でなんにも出来てないんですよね』 (井上)『そこに私は「若さ」を感じるんですよね』 (サトー)『僕もそれは同意(笑)』 (Akagi)『複数犯なら、手分けしてダーッとやりゃあいいのに、と思うんですよ』 (サトー)『私は多摩五郎に関していえば、おそらくカローラ一台でいけるだろうと思ってたの が、やっぱりこれは二台いるな、と思って慌てて盗んだんじゃないかと思うんです。 草色カローラはかなり走行距離があった点から見て、やはり足代わりに使ったと。 私が唯一Mont.Akagiさんの単独犯説に疑問があるとすると、草色カローラやスカ イラインに残されてた遺留品が、単独犯だとあまりに趣味・嗜好がバラバラすぎる と思うんですよ。捜査かく乱のために競馬新聞などを入れたんだというかも知れな いけど、それにしては入れる時期が早過ぎる。特にスカイラインに関しては。 たとえ犯行は単独犯としても、や っぱりあの車は例えばワル仲間 同士で使ってたんだと思いますよ』 (風月)『第三現場の草色カローラ に精神安定剤が残ってたとか?』 (サトー)『薬の包装紙ですね。今 でいうバファリンみたいな物かな。 あと、クリームパンの包装紙も』 ▲ 討論会が行なわれた居酒屋志ろうが入るビル と入口 ▼ (サトー)『発炎筒や、脅迫状の文字の切り貼り に使った電波科学や近代映画と違って、第三 現場の草色カローラに残っていたヤングレディ は意図的な物じゃないですよね。このカローラ にあった遺留品はバラエティに富んでますね』 (?)『犯行に使った発炎筒に電波科学の付録 の東芝テレビの配線図が巻かれてましたけど、 当時の学生運動の匂いとか、公安にいた人間 の発想だとかを・・過去にブログで見ましたが』 (?)『僕はそれはないと思うなあ(笑) 公安 だと言うんなら、もう尻尾出てますよ、そこで。 発炎筒って、実は事件の翌年にアナーキストが 天皇に向けて投げたのが最初らしいんですよ。 まだまだ「一般化」されてなかったんですよ』 (すぃけ~)『電波科学の中からわざわざあのページを選んでるのは?』 (サトー)『それは単なる偶然でしょう。焼け焦げて判別できなくなる物を捜査かく乱には 使わないと思いますよ。事実、あれは赤外線で調べてやっと出たんだから』 (何人か) 『え~?』 『それはちょっと納得できないなあ・・』 『偶然過ぎる・・』 (Akagi)『犯行日前日の夕方から雨でしたから、犯人はその中で発炎筒点火の予行 演習をやったに違いない、と思うんですけどね』 ← ビートたけしの (つづく) 新宿を歩く
2012年02月10日
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PLAYBACK 1968 IN Shinjuku ~ 異説・「新宿説」を追え!? ~ [4] ●2012年 1月2日 新宿 居酒屋志ろうにて ●参加者 / オアシス地球 サトーハチロー(プラン作成) 井上元宏 風月堂 すぃけ~だ Mont.Akagi ひら ueki (討論会のつづき・今回はジュラルミン ケースについた土と本町団地直行説など) (サトー)『その土だけが平塚八兵衛的には許せないんだよね。あの土の件さえなければ 「本町団地直行でいいじゃん」って言えるんだけど・・わざわざ別の鑑識の人間 連れてきて、無理矢理「こっちでもいいんじゃないの」って言わせてるじゃない ですか。やっぱりあの直行説は不利なんですよ。逆に言うと、土さえ目をつぶ れば、この直行説もそれなりに説得力あるんですけどね』 (Akagi)『ただ、多摩五郎がピカピカにきれいだったのは、走行中に雨で泥が洗い落とさ れたと言ってますよね。私は当時、そんなに舗装された道は無かったと思うん ですけどね』 (サトー)『あれはちょっと微妙ですよね。それに あれ、雨の日に本当に泥が落ちるのかを実験し てないですよね、たしか』 (風月)『犯人は一旦、安心出来る所でジュラル ミンケースを開けたいはず、という考え方もあり ますが、ケースの鍵の問題ってのもありましたね。 鍵がかかってないのを知ってたのかどうかという。 (サトー)『ワリと、意外にもそれが開いちゃって、 残ったケースは厄介だからその日に本町団地に 捨てに行った、というのが私の説なんです』 ▲昭和63年、左写真の右方向から。奥に甲州街道。 若者で 賑わう南口も、昭和20年代は一般人には近寄りがたかった。 ★東京-昭和の記憶-より ▲新宿駅東南口。映画「初恋」▼で印象的な コンクリートの階段が登場した。 (すぃけ~)『東元町3を左折して北上しても脇道へ入って、日立の 中央研究所から恋ヶ窪方面へあっという間に抜けられるんですよ。 その時点では逃げてる車はカローラとは全く分かってないし、そも そも本多親子の車と遭遇した車も確証は無かったんですよね』 (?)『運転してた男は長髪だったと証言してますが、長髪だったの は・・ あのグループだとS少年じゃなくて〇山ですね』 (サトー)『普通に考えたら、あのケースをカローラで運ぶのはアホ ですよね。丸見えじゃないですか。やっぱり犯人は、ケース三個 分の量と大きさってのを知らなかったと思いますよ。それを事前 に調べてたとは思えないんだよなあ・・』 (?)『銀行関係者が金を損失してその穴埋めの為にやった、という 説も根強くありましたね。「君が犯人だ!」という本も銀行絡み でしたね』 (サトー)『確かにあの当時そういう噂もあって、週刊誌にも載ってるん ですよね。輸送車の運転手と支店長は警察に相当しぼられて ますよね。やっぱり、洩れるとしたらそこでしょうから。それと 当時の銀行って、今と比べてやっぱりすごくズサンなんだよね』 討論会に使用した 居酒屋志ろう ← こちらも (つづく) どうぞ
2012年02月02日
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PLAYBACK 1968 IN Shinjuku ~ 異説・「新宿説」を追え!? ~ [2] ●2012年 1月2日 新宿 居酒屋志ろうにて ●参加者 / オアシス地球 サトーハチロー(プラン作成) 井上元宏 風月堂 すぃけ~だ Mont.Akagi ひら ueki (討論会のつづき・今回は主にあの「三億円本」について) 『〇〇本はねえ、色んなネタをくっつけて 合わせて作ってんだろうな~と思うワケ です。〇×が犯人グループにいた、という 話があって、それをボカすためにあのスト ーリーを書いたんじゃなくて、当時の怪しい 奴らのエピソードをくっつけて書いたものが あれだと思ってるんですよ。 何でかっていうと、作者は他の事件でも似た ようなことやってるから。要は大手の新聞社 が「追っかけたけどこれちょっと記事に出来 ないね」っていうネタっていっぱいあるわけ ですよ。そういうネタを買って書いてる、 僕はこれが事実だと思うんですよ』 ▲討論会のようす。よく飲みました。 『それに、事件発生から30年後に都合よくヨ〇ダとか いうオッサンが電話かけてくるワケがない(笑)』(Akagi)『私、あの本すぐに読むのをやめちゃったんです。 聖徳太子の千円札を昭和43年の銀行が出すわけがな いと思って。あれ本当に聖徳太子だったんですか?』 『ええ、それはインクのついてた方の話ですよね?』(Akagi)『あの時代に私、聖徳太子の千円札なんて見た ことないですよ。昭和39年に伊藤博文に替わってて、 4年前に廃止された札を銀行が市中に出すわけがない ですよ。その時点で興味なくなっちゃってあとは全然 読んでないです。それをブログに最初のネタで出させ ていただいたんですよ』 『あの本は雑誌の連載時と単行本ではあんまり変って ないんですが・・ひとつ気づいたのは、マ〇ダに〇クの ことで詰め寄る場面で、「彼の肉親でもない私がなぜ、 そんなことまで知っていなければならないんだ」という セリフがあるんですが、この「彼の肉親でもない」という 部分は雑誌連載時にはないんですよ・・』 ← 前回の「白十字」のとなりには昭和43年当時すでに営業していた 「船橋屋」「ローレル」のほか、古くからの店が軒をつらねる。 ↓ ▲同じく、新宿3丁目にて。(下地図・★印) ▲前方のビルは「大塚家具」。ここがあの・・(次回掲載) (サトー)『Akagiさんは、少年がここまで言われるのはおかしいとおっしゃってました が、改めて基本的な考えをまとめていただくと、どういうことになりますか?』 (Akagi) 『まず、警察が組織をあげてあの家族をかばう意味がわからない。だったら、 ものすごい数の事件が隠蔽されてたんじゃないか、そんなことあるのか、っていう。 それと、彼が犯人なら複数犯ですからその仲間は警察とは関係ないのになぜ彼ら まで守られなければいけないのか。 なぜ逮捕されないのか。 3つ目に、多摩地区の住人の生活実感として中央線の北側に犯人のアジトがあった とは思えないんですよ。しかも不思議なことに、南側の京王線沿い、それも西武線側 の匂いがものすごくするんですよ』 (風月)『 いつ聞いても Akagiさんの話は犯人 の足跡をそこに住む人 なりの動きから考えて らっしゃるので、逆に 新鮮なんですよね』(※「少年説」派に囲まれ 孤軍奮闘するAkagi氏の 話には、確かに不思議な 説得力があった・つづく) ← こちらも どうぞ
2012年01月19日
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PLAYBACK 1968 IN Shinjuku ~ 異説・「新宿説」を追え!? ~ [1] ●さて、今年も行って来ました、正月返上。 今回は初参加の方が2名、1月2日13時に 新宿アルタ前に集合、幻の(?)新宿説 を追う、という企画。記事はその写真を 交えながら、なんと当時の「喫茶シロー」、 現・「居酒屋志ろう」での新春討論会の 模様を何度かに分けてお送りします。 例によって、実名がバンバン飛び交う ●参加者 / オアシス地球 サトーハチロー(プラン作成) 内容のため、支障のない範囲でごく一部を 井上元宏 風月堂 すぃけ~だ Mont.Akagi 再現、会話のつじつまが合わない箇所が ひら ueki 多々ありますが、なにとぞご容赦を。 (Akagi) 『私が去年の集まりで皆さんと話して 驚いたのは、皆さん全員がS少年が犯人、という 説だったことなんですよ。私は「全く有り得ない」 と思ってたんで・・ これにビックリしたんですよ』 (風月)『やっぱり犯人像が大きいと思いますよ。 Akagiさん、全然違う考え方なんで。 あと、 平塚八兵衛の捜査の矛盾をどう考えるか、って のもありますよね。やっぱり変でしょ』 (※以下、一部発言者の名は控えます。「新宿説」 は出てくるか? 笑。とりあえずは写真の方で。 話題は、過去にこのブログのコメントを最も賑わ したと思われる「あの方・首謀者説」に及ぶ) ▲アルタ前に集合。当時は昭和元年創業の「二幸食品店」 小説「初恋」でみすずがサンドイッチを購入した。 『元々、95年頃に某・作家の方から聞いたんですが、私も最初は あまりに話が飛躍しすぎてて、「そんなバカな」と思ったんですよ」 『・・もしもそういう事だとすれば、八兵衛の捜査の不透明な感じ、 違和感というものも払拭できるわけですが』 『私はある方から、例の「札のコピーを 見せてもらったことがあるんですよ』 『えっ?それは一橋本に出てるやつとは 違うんですか?』 『ええ、あれとはまた違う番号なんですよ。 で、「事件には4人からんでる」っていうんですよ』 (以下、実名が登場するので残念ながら自粛) ▲激写するすぃけ~だ氏と、一行。 ▲喫茶店「白十字」跡。一部文献では少年とおかまマスターが 出会った場所との記述があるが、実際は「喫茶シロー」である。 『以前にクロベエさんの話で、警察車両のミラーの曲げ方っていうのがありましたが、 やっぱりこれは一般の人間はなかなか知らないことだと思うんですよ。それと、「イタチを 退治するため」といわれた例のモノありますよね。新興住宅地でイタチが出て困るっていう。 これ、当時から住んでいる人に聞いてみたんですが、そんなもの出た事ないっていうんですよ。 『〇〇本は事実に基づいているが、それをデフ ォルメかつ、暗喩してるので、読み解かないと 額面通りには受け取れないんですよね』 『あの~唐突ですが、ハンチング帽っていうのは 当時の若い人はみんな被ってたんですかね?』 『う~ん、ちょっとわかんないス。その辺は クロベエさんが詳しかったんですがね・・』 『私なら、一歳半のとき被ってる写真があります けど(笑)』 さて、話題はのっけからヒートアップ(?)、 このあと全員、酔いが回ってどう展開するか? 書けない部分が残念!一回目はこんなところで。 あの時代の新宿と詳しい 地図は「東京紅団」をどうぞ
2012年01月13日
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打ち上げの宴 ●参加者 / オアシス地球 サトーハチロー(プラン作成) 井上元宏 風月堂 すぃけ~だ Mont.Akagi 皆さん、こんにちは。お久しぶりです。 ちなみに今日、またひとつ歳をとってしまいました。 あ、そんなことはどうでもいいのですが・・ さて、だいぶ日が経ってしまいましたが、今年の「正月返上!」終了後の 打ち上げリポートを簡単ではございますが、ご紹介したいと思います。 一行はJR日野駅から立川駅へ移動、写真の 雑居ビル内(昨年と同じ)で目ぼしい店を物色、 「時間限定・生ビール半額」の店に即決定。 Mont.Akagi氏は一旦帰宅後、また合流との ことで先に四人で始めさせていただいた。 まず・・ ★『関係車両の左フェンダーミラーが曲がって いた件』という軽い話題から捜査報告は始まる。 「時効間際の新聞に”特異なクセ”というかたちで 報道されている」とサトハチ氏が解説。 以下、問題提起と意見をひたすら列挙します。 ★一年前から犯行計画はあったか?そして"首謀者'の存在はあったのか?★ 「もしかしたら若者特有のゲーム感覚だけで本番まで突っ走ってしまった可能性もある] 「事件発生後の新聞報道で「大藪春彦の小説をヒントにした説」があった。 意外にもその説が当たってる可能性はある」 "首謀者”の存在を匂わせる痕跡も、たまたまそう見えるだけで「深読み」、「考えすぎ」かもしれない。 ★立川グループが犯人だとしたら、あまりにも警察はオソマツすぎないか? S少年以外を見逃す理由がないが?★ (これは特に単独犯派・Mont.Akagi氏からも『警察とは何の関係もない 他の立川グループのメンバーが逮捕されなかったのはなぜか?』という 疑問として提示された) 警察は結構、オソマツ(なときもある)。結果的に見逃してしまったという可能性 もある。 だから彼らが犯人だとしてもフシギはないし、逆に「逮捕されなかった から隠蔽だ」という理屈もどんなものか? ★S少年がクロだとして、それを警察は隠蔽したか否か?★ 「組織ぐるみの隠蔽」は考えづらくないか? 八兵衛氏がS家の捜査に手を抜いたとしても、結構つまらない理由でそうしたかも しれない。 警察組織ぐるみの隠蔽という説はウラが取れないので、正否はともかく仮説として デキがよくない(笑) ★S少年説はほぼ確定か?★ ネットなどの書き込みで「警察官の息子が犯人」と知ったかぶって書いてる例があるが、 そういうのを見ると、「じゃあ、多摩農協脅迫の意味を説明してみろ!」と怒りがこみ上げる(笑) 脅迫事件とセットで説明しないと、S少年犯人説はアヤシイ、アヤシイってだけで何も言ったことに ならない。 多くの小説や「犯人はオレ(キミ)だ」系の本のほとんどは農協脅迫の説明を スルーしている。 ▼ややヒート・アップしたところで今回の「正月返上!」の道中、気になった物件の残りをご紹介(笑) ▲府中町田線沿いで遭遇したとてもグツトな物件。 ▲その近くで発見の「普通の車庫にムリヤリ 「グッド」じゃないのかなあ?「ツ」も小さくないし。 トラックを入れてるお宅」。ホントにギリギリ それともなにか予測もつかないような意味が?? です。 乗り降りできるのか?? ●さて、やっぱり「永遠の謎」を多数残したまま、今年の「正月返上」も無事終了。 長い間お付き合いくださり、ありがとうございました。 《 おわり 》 ●例によって、また当面記事はお休みさせていただきます。 またお会いできる日を楽しみにしております。 オアシス地球
2011年05月01日
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都合により、当面の間記事はお休みさせていただきます。 府中 ~ 日野 ~ 豊田 -- マニアック盗難・目撃エリアを往く 「疑惑の迷走地図・9」 <あ~、オーラスだ> ●参加者 / オアシス地球 サトーハチロー(プラン作成) 井上元宏 風月堂 すぃけ~だ Mont.Akagi 【9】 多摩平から日野駅へ 塗料店 ・・ 多摩五郎盗難・・ バイク目撃 こちらもやはり事件 前に白スプレーを 求める男がいたとの 情報があった、日野 台6743(当時)の 小柳ペイント八王子 支店。 (地図・19) 今でも犯人がふらり と立ち寄りそうな(?) 佇まいを残している。 ちなみに鮫陵源に 放置された自転車が なぜか返却されてい た「K電機化学」は このすぐ裏手にある。 (あくまで推測です) ↑ なぜ正月に営業してるのか?ストリートビューだから(笑) ▲さて、いよいよ次は濃紺カローラ、多摩五郎が盗まれた多摩平4-9の多摩平団地。(地図・18) 当時の63号棟(南側駐車場)、現・多摩平四丁目アパートであるが、ヘタなマンションより 立派な九階建てとなり、もはやアパートや団地と呼べる雰囲気ではない。 被害者は葛西 直矢で事件5日前の12月5日夕方から6日朝にかけ、手口は犯人十八番のエンジン直結。 ▼事件の二十日ほど前から若い二人連れの不審な男が三多摩地区の 自転車店や部品店に現れ赤灯などを探している。 その中の一店はPOPな三階建てのビルに生まれ変わっていた・・ (地図・20) 左側の建物とパズルのように噛み合ったデザインがちょっとニクい(笑) ▲店外で待っている男? 外にもう一人工員風の男がいたが店内には入らず、この パターンは他店でも共通していた。 参考記事 ▲これまた事件当日の12月10日午前4時過ぎ、日野自動車工業付近、現・メルセデスベンツ 日野(写真左)前にエンジンをかけた不審なオートバイが長時間駐車していた。(地図・21) 目撃者は採石工事業者でバイクからは蒸気が上がっていた。 当時はそのすじ向かい (写真右)の場所に大坂上駐在所があった。 落川といい、不思議と近くに警察がある・・ 参考記事 ▲さて、今回の「正月返上捜査」もいよいよ ▲日本情緒あふれる駅舎の日野駅に到着。 終わりを迎えようとしている。写真は一応 充実した一日だった。白バイになりそこねた のゴール地点、日野駅へ向かう途中にあっ ホンダドリームの盗難場所を残したのがチト た移転後の大坂上駐在所。 (地図・22) 残念だがこれは又の機会に。お疲れ様でした! ●次回はこの「正月返上!Vol .4」の「反省会」の模様をちょっとだけお送りしたいと・・ 思うのですが、なにぶん、二ヶ月以上も経過したのと酔っぱらっていたのでほとんど 覚えていません(苦笑)。参加者の皆さんにお願いですが、当日の印象に残った会話を 私あてにメールいただけると非常に助かります。メールなき場合、こちらからお電話させ ていただきます(笑) お忙しいところ恐縮ですが、何卒よろしくお願いいたします。
2011年03月06日
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府中 ~ 日野 ~ 豊田 -- マニアック盗難・目撃エリアを往く 「疑惑の迷走地図・8」 <毎回メンドクサイ> ●参加者 / オアシス地球 サトーハチロー(プラン作成) 井上元宏 風月堂 すぃけ~だ Mont.Akagi 【8】 中央線豊田駅から多摩平へ 塗料店 金物店 ・・ シート盗難・バイク目撃 ●犯人が偽白バイ偽装、及びトランジスタメガ ホンの塗装に使用した「白のスプレー塗料」 の購入情報は他の盗難、目撃情報の間を 縫うように中央線豊田駅南側から多摩平、 日野台周辺に集中する。 ← 「犯人は必ずどこかで白スプレーを買って いる・・」男たちの執念の追跡がつづく(笑) 今回と次回でご紹介するそれら店舗は、犯人 の塗装作業が犯行日の2~4日前であるという 推測からリスト・アップされた時期のもので あろうと思う。 ▲1968年12月7日午後、日野市豊田977の中村 塗装店(水野稔 52歳・経営)にて白色スプレー 塗料300cc 1本を購入した男がいた。 (地図・14) お正月で休みなので何とも判断しかねるが、 完全な「塗装業」へと業態転換した感じがする。 驚くべきことに、今回探訪した塗料店、金物店 は42年後の今も現存し、どうやら全て営業中だ。 ← 歩いてすぐのJR中央線豊田駅を通過し、 次は駅反対側の北口へ出る。 当ブログに幾度か登場した独特な外観 の駅舎の階段を上り、繁華街側へ。 ▲68年11月25~26日に車のシートカバーを盗難された被害者が経営の多摩平1、堀田玩具店・ 跡は現在ソフトバンクのモバイルショップに。 (地図・15) こちらはあまりの変貌ぶりに何が なんだかわからない(笑) ・・が、昭和40年代あたりは木造の店舗がずらりと並んでいたのでは ないだろうか。実際の盗難場所はこの裏の「富士電機(現存)の駐車場」とされるが詳細不明。 シートは翌69年3月7日、小金井本町住宅で発見されたスカイライン1500に掛けられていた。 ▲すぐ北側の豊田駅前交差点で、事件当日の12月10日の午前4時40分頃、配達を終えて帰宅 中の牛乳販売店主の軽四輪の前に突然白バイが飛び出す。男は白ヘルメット姿で22~3歳、 身長165~170cmで駅方向(写真左)へ向かったとされる。(地図・16~?マークの可能性有) この情報は当初、かなり有力視されていた。 中央は現・みずほ銀行日野支店。 こちらも事件の5日前 ごろに白スプレーを 買い求める男がいた という多摩平6-16の 利研刃物店。 (地図・17) 刃物店と称しているが おそらくは金物屋さん であり、塗料なども 置いていたのでは ないかと思われる。 ここは次回ご紹介する 紺色カローラ(多摩五 郎)の盗難現場の目と 鼻の先である。 塗料店は、次回にもう 一軒ご紹介します。 【つづく】 ★次回はいよいよ「正月返上!」最終回(予定)です!!
2011年02月28日
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府中 ~ 日野 ~ 豊田 -- マニアック盗難・目撃エリアを往く 「疑惑の迷走地図・7」 <今回はyahoo地図で> ●参加者 / オアシス地球 サトーハチロー(プラン作成) 井上元宏 風月堂 すぃけ~だ Mont.Akagi 【7】 京王線 平山城址公園から豊田へ 料亭 鮫陵源跡 【後編】 ~ 旧・八王子自動車教習所 ●さて、鮫陵源での緑色カローラ盗難は、犯人にとって唯一の「民家の敷地内」という いつもとは勝手のちがうリスクの高い仕事だった。犯人は「エンジン直結」を庭先で 行なうことに躊躇し、いったん車を手押しで道路まで出している。 このとき家人が チラリとでも人影を目撃し、そしてそれがもしも「二人以上」であったなら・・?? 意外に忘れがちなのが、家人がカローラ盗難に気付いた12月1日に、道路側に放置されていた 「K電気」の名前入りの自転車である。当初、警察には届けず、翌2日に自転車は消えていた。 その後、料亭から豊田駅を挟んで約1.5キロの「K電気化学株式会社」で発見される。 自転車はここから盗難、というより結果的に「拝借」されたものだった。 ▲真向かいには巨大なマンションが建った。 ▲石垣と竹垣、石灯籠がかろうじて残り、往時 威圧感アリアリである。不動産屋さんが欲しか の面影を残す。さんざん撮っておいてなんだ ったのはホントは南に広がる鮫陵源側の丘陵 が、やはり人の家なのでどうも後ろめたい。 地帯なのだろうな、などと思ってしまった。 ふと気付くと、写真を撮っているのは私一人 で、他の皆さんは 遠巻きに見ていた (笑) ← 庭の中を撮るのも ほんとはマズイのだ が、ここを撮らないと 来た意味がないので どうかお許し頂きたい (誰に?) ここがあの草色カロー ラが盗まれた場所で ある。 なるほど、以前 Mont.Akagi氏がおっ しゃっていたように、 縦長の池や庭石が あり、車の周囲には 思ったほどスペース はなかったようにも 見える。 ★95年撮影の小説男氏の写真 ★Mont.Akagi氏撮影 ★無事持ち主へ・・しかし・・? 両脇の門柱はおそらく「当時モノ」と思われるが、カローラ一台を通すのにこの間口 ではけして広くはない感じがした。小説男氏の写真ではもっと大きな車が停めてある が、それこそギリギリだったと思う。 私は今回の探索現場中でこの鮫陵源が最も立ち去り難かったが、後ろ髪を引かれる思いで 我々が次に目指すのは、北へ約700m、中央線の高架を越えた所にある「八王子自動車教習 所」(現・飛鳥ドライビングカレッジ日野)である。 (地図・13) ▼写真左奥は中央線豊田駅 なんとこの盗難未遂は 鮫陵源でのカローラ盗難 の、ヘタすると数時間前? これも犯人の仕業であれ ば、サニー盗難に失敗して 仕方なく事前に目を付けて おいた鮫陵源のカローラを 狙った、という可能性も あながち否定できないの ではないか。 第三現場に放置された車 はサニーだったかもしれ ない・・?? 【つづく】
2011年02月20日
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府中 ~ 日野 ~ 豊田 -- マニアック盗難・目撃エリアを往く 「疑惑の迷走地図・6」 <ぶらり空中散歩・平山> ●参加者 / オアシス地球 サトーハチロー(プラン作成) 井上元宏 風月堂 すぃけ~だ Mont.Akagi 【6】 京王線 平山城址公園 平山団地 【後編】 ~ 料亭 鮫陵源跡 【前編】 ●2008年12月19日の記事で、かのショーケンこと萩原健一がヴォーカルのG.S 「ザ・テンプターズ」が、主演映画「涙のあとに微笑みを」を事件現場に近い 明星学苑にて事件当日に撮影クランクインしていた、とお伝えしているが、 その映画の中でショーケンが母親役の新珠三千代さんと住む団地として撮影 に使用されているのが、この平山団地である。 なんという因縁の深さ・・ (情報・井上元宏氏) ・・ヤマハスポーツ350R1を盗まれた松本仁悦氏のお宅は、部屋番号では向かって 右側になる。それなら、当然窓から見通しの利く右のヒバの木にクサリでしばった のではないか、というのが再捜査本部の見解である。・・まあ、分かりませんけどね。 ▲そのお宅がこちらである。もう、入居者は何度 ▲すぐ向かいには屋根付きの二輪置き場がある。 入れ替わったことだろう。「ピンポンダッシュ」 92年撮影のMont.Akagi氏の写真 を見ると してサトハチ氏に罪を着せようかと思った(笑) それ以降に作られたようではある。 ▲さて、この細い坂道を上がるといよいよ料亭 ▲坂道はもっと長いのかと思ったが意外に短い。 鮫陵源跡である。以前はこの右側に商店が 中央にポールが立っていて車は通れないが、 あったらしいが、現在は影も形もない。冒頭で 無ければカローラ程度なら通れそうである。 ご紹介した映画ではこの坂をショーケンが駆け かつての「鮫陵源」は、平山団地を含む広大 下りて来るシーンがあるらしい。近日確認予定。 な敷地に遊園地と料亭、養魚場、釣堀を有する 一大娯楽施設であったが、昭和11年に開業、 終戦を待たずに7年後の18年に閉園した。早 すぎたのか、そもそも無謀な計画だったのか。(左) 当時からの 石垣が今も残る。(右)現在の平山 団地入口の滝合 橋駐在所付近に あった「東門 」。 右側に「鮫陵源」 の文字が読める。 生垣が取り払われ ずいぶんスッキリして しまった料亭鮫陵源 跡。 (地図・12) 大娯楽施設時代には ここに「北門」があった。 ●昭和43年11月30日 ~12月1日にかけて、 この敷地内に停めた 緑色のカローラが盗 まれ、事件当日、国 分寺街道から入った 空き地・第三現場で 発見された。 現金輸送車の監視用、 とされた。 所有者は女将の長町 てる(61) ●鮫陵源を探る! ●平山のディズニーランド ●人生を楽しむ力 by カサブランカ 【つづく】 ●次回は「鮫陵源跡」のつづきから、「豊田方面」へ向かいます???
2011年02月13日
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府中 ~ 日野 ~ 豊田 -- マニアック盗難・目撃エリアを往く 「疑惑の迷走地図・5」 <空から平山を見てみよう> ●参加者 / オアシス地球 サトーハチロー(プラン作成) 井上元宏 風月堂 すぃけ~だ Mont.Akagi 【5】 京王線 平山城址公園 平山団地 【前編】 ●高幡不動駅から今度はふた駅目、平山城址公園駅でついに念願の初顔合わせとなる 「孤高の単独犯説支持派」、Mont.Akagi氏と落ち合う。スキンヘッドにおヒゲという風貌 だが、人なつっこい笑顔のせいで恐くはない(笑)。いつも思うが、何年もネット上で親しく 語り合っていても実際にお会いする、というのはやはり独特の恥ずかしさがあるものだ。 ▲多摩川の支流、浅川にかかる滝合橋を渡れば平山団地の全貌が姿を現す。 残念ながら、この橋上に「物体X」らしき物は見当たらなかった(笑) 「もうひとつの方」でもあれば完璧だったのだが・・ ▲逸る気持ちを抑えて寄っておくべき現場があった。 ▲橋のたもとに戻っていよいよ平山団地へ。 68年12月2~3日、平山1014(現・西平山2-1-12) ところで先ほどの現場で家の表札を見て 滝合小入口付近の農道で舞踏の師匠、佐々木キン いた井上氏が「あっ!」と声を上げた。 (43)が青色の大型オートバイに追い抜かれた。 なんと友人の実家。正月で在宅かと携帯 (地図・9)この後向かう盗難現場から800m、12日後。 で電話するが残念ながら本人は不在。 ▲のどかなお正月の昼下がり、怪しい一団がまず目指すのは犯人が偽白バイで第三現場 から犯行現場まで引きずった「スバル360用シートカバー」の盗難現場、16号棟裏である。 「ここからはお静かに」と隊長のサトハチ氏が釘をさすが、すぐにまた漫画や映画の話が ギャーギャーと始まってしまうのだった(笑) 16号棟裏手にて。 (地図・10) 右の丘の上に次回 お送りする料亭、 鮫陵源跡がある。 スバルのシートカバ ーを盗まれたのは 伊藤かつ弘(35)で 写真右手に当時から あった駐車スペース 辺りなのか、場所の 詳細は不明。 時期はなんと12月8 日~9日と、10日の 犯行日直前、犯人最 後の盗難物である。 さて、そこから西へ 回りこむと、いよいよ 偽白バイに改造され た「ヤマハスポーツ R1」の盗難現場、22 号棟がそびえ立つ。 (地図・11) 68年11月19~20日に かけて、この棟に住む 運転手松本仁悦が入 口付近にキーを付けた まま駐車中に盗難。 なお、関連本などで も平山団地と呼ばれ ているが、正式名称 は「東京都住宅供給 公社 平山住宅」で ある。 ▲「雨の追憶 図説三億円事件」より。ショップにて ▲左のイラストでは棟の入口付近がよく再現 風防を取り付けたその日、この対策を忘れてしま されているのが分かる。ここは各盗難現場 い、バイクは忽然と姿を消す。好事魔多し。 の中でも不気味な緊張感が漂っている。 【つづく】 ●次回はヤマハバイク盗難のつづきから、「料亭・鮫陵源跡」へ向かいます!
2011年02月06日
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府中 ~ 日野 ~ 豊田 -- マニアック盗難・目撃エリアを往く 「疑惑の迷走地図・4」 <クリックで拡大しすぎ> ●参加者 / オアシス地球 サトーハチロー(プラン作成) 井上元宏 風月堂 すぃけ~だ Mont.Akagi 【4】 京王線 高幡不動 大政寿司 ●京王線百草園駅から今度はひと駅、 高幡不動駅に降り立つ。 やはりナンバーが「1129」の青いバイク が停まっているのを帰宅中の世田谷区 役所職員が目撃した「大政寿司」である。 この時、店がすでに閉店していたなら 犯人は青バイを一方通行の道に逆向きに 放置したまま、どこで何をしていたのか? ▼09年秋、モダンな外観に劇的ビフォー アフターされた現在の大政寿司。 なんとなくペラペラな超薄型、トンガリ 物件に見えるが実際はそうではない。 「高幡不動尊」を抱える駅なので、正月 時期、お店もまた相当な混雑だろうと 覚悟していたが、さほどでもなくすんなり 二階の席で昼食を取ることができた。 ▲イラストのバイクの向きが逆であるが、これは参考文献の 「大捜査3億円事件」の間違いであろうと思われる。念の為。 ▲(1992年 10月30日 Mont Akagi氏 撮影) ▲(2009年 3月30日 すぃけ~だ氏 撮影) よく見ると、元々中央にあった出入り口を右手に移動し、またそこをふさいで 中央に移動するというめんどうな改装を繰り返している。 (大きなお世話) ▲本日、第一回目の捜査会議だというのに早速 ▲写真の「お通し」もとても美味しかったのだが 飲酒はするわ、携帯ばかりいじくってるわで 部屋がまるで「おさわりバー」(古い)のように 会議は進まない(笑) 井上氏はさっき撮った 暗く、誰の写真も一様に「ドドメ色」に写って 「多摩川の物体X」の画像を見てはニヤニヤ おり、補正するとさらにドドメ色になるので している(?) 掲載中止。 (モノはサザエの壷焼きなど) ▲出た!これぞ当店自慢の「三億円セット」 ▲おっ、なんだか普通のブログっぽいぞ!(笑) ならぬ、正月用メニュー「なごみ」 1200円。 やはり食べ物をおいしそうに撮るのは難しい お味はお世辞ヌキでたいへん美味です!! ですね。(上はサトハチ氏撮影でクヤシイ) 普段はサラダ、味噌汁付きのランチ、「ひめ」 じつはこのブログで紹介していることをお店に 他に「なでしこ」など、女性にちなんだ名が 教えたい気もあったが、なんとなく言い出し ついている。 女性店員は美人ぞろいですぞ。 かねてしまった・・ 帰り際に一階の カウンターも激写! ご覧のように、板前 さんもイケメンである。 ビューチーな女性店 員さんに聞いてみた ところ現在のオーナー さんは30代で、店には いないが「会長」という お方が60歳くらいとの こと。 参加者全員の頭の中に 「60(歳)-42(年前) =18(歳)」という計算 式が浮かんだことは いうまでもない。 あなたもお近くへお寄り の際はぜひどうぞ。 国宝高幡不動尊ご用達! すし おおまさ ひのタウン情報より ●次回はこれまたメイン・イベントの一つ、「平山団地」方面へ向かいます!
2011年01月30日
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府中 ~ 日野 ~ 豊田 -- マニアック盗難・目撃エリアを往く 「疑惑の迷走地図・3」 <クリックで拡大> ●参加者 / オアシス地球 サトーハチロー(プラン作成) 井上元宏 風月堂 すぃけ~だ Mont.Akagi 【3】 聖蹟桜ヶ丘 百草園・落川 ●さて、多摩川の関戸橋で遭遇した初春の縁起物・「物体X」が脳裏から離れない 一行の、「関東甲信越 小さな旅」はつづく。 どんなに場所が様変わりしていよう とも、とにかく行かなきゃ気がすまない。そこに立ってみて初めて見えてくるものが・・ あんまりなくても(笑) 次の目的地は府中市から多摩市をまたいで日野市の落川、 これまた犯人のものかもしんない青バイ、白バイの目撃場所である。 ▲京王線聖蹟桜ヶ丘駅までけっこうな距離を歩いたが、次の目的地の最寄り駅の 「百草園」まであと2km、「徒歩で行ってしまえば」という意見も出るものの、私を 気づかったのか(笑)、京王線を利用。そんなにトシいってないぞとハッピー&ブルー! とはいえ、参加メンバーとは最高15歳ほどの年齢差があるのだが・・ なお、同い年のMont.Akagi氏が合流するのは午後の平山城址公園である。 ▲私はこの駅名を「ひゃくそうえん」と読むものだとばかり思っていた。 あっ! 「バッカでえ~」とか笑ってるそこのあなた! 自分だってそうだったクセに!(笑) なお、「分倍河原」と「分梅町」も間違えやすいので要注意である。 なぜ切符があるのか? ▲小さいけどモダンな造りの「百草園駅」(左)を降りると現場は目と鼻の先である。 京王線と平行して川崎街道が走り(中)、ここは事件現場と盗難頻発地帯の平山・ 豊田界隈とのちょうど中間地点である。現場の東端には回転ずしの店がある(右)地図・7 ●1968年12月初旬、落川988の有料駐車場 で、近くに住む建築業者と従業員が古ぼけた シートをかけた「青いバイク」が停まっている のを二度目撃。 (右は読売新聞より) また、同じ場所で事件 前日の9日午前9時頃、 府中市のミキサー車 運転手がやはり古い シートをかけた「白バ イ」を往復で二回目撃。 三人が見たバイクは同 じ大きさでシートも同一 だったとされる。 ●これが犯人のバイク であれば、白バイ偽装 前から後にかけてちゃ っかり保管場所として 使っていたわけで、大 胆な行動である。 移動されたり、警察に 通報される危険性は 充分にあったと思う。 ▲現在は近辺のビル・店舗用の広い駐車場があるが、むろん建物などは当時とは無関係。 手前が川崎街道、奥が京王線。 至近距離に「百草交番」があった点にもちょっと驚く。 ●次回はいよいよ、かねてからの念願だった高幡不動駅前の「大政寿司」に潜入!! 犯人も味わった(?)本格江戸前の味覚に舌鼓を打つ! 乞うご期待!!
2011年01月23日
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府中 ~ 日野 ~ 豊田 -- マニアック盗難・目撃エリアを往く 「疑惑の迷走地図・2」 <クリックで拡大> ●参加者 / オアシス地球 サトーハチロー(プラン作成) 井上元宏 風月堂 すぃけ~だ Mont.Akagi 【2】 住吉町 鎌倉街道 関戸橋 参考新聞記事 「小学生・オートバイをみた」 ▲さて、小学生が二度目に「青バイ」を目撃した ▲逆側より。右は前回下ってきた府中町田線 地点、NEC府中工場と日新郵便局付近から下 (鎌倉街道)だが、当時は影も形もなかった。 って、今度は一回目の目撃地点、住吉町3-1 サトハチ氏の見解では中央の歩道辺りが の中央高速下付近の市道である。 (地図・5) かつての市道であり、青バイはこの後向かう 関戸橋方面(写真右手前側)から北(奥側) へと走り去った。 参考・1966年(事件2年前)の空撮 1974年・府中町田線 建設中 ▲中央自動車道をくぐり、京王線中河原駅との ▲私、初登場(笑)。トイレも市街地ならコンビニ 中間で何のヒネリもない名前の病院を発見。 のおかげで助かる。風月堂氏は大変なヘビー おかしいと思うからおかしいのか。この手の スモーカーで、いつも携帯灰皿持参。飲み会 モノが好きな風月堂氏だけが反応してくれた。 で禁煙に失敗した人もいた(笑) (地図・▲) 事件当日、犯人が 日野方面から通った という目撃情報が あった多摩川の関戸 橋を反対側から渡る。 (地図・▲) 井上氏が「橋の名前 がいい」と一部マニ アにしか分からない コトをゆってた(笑) 意外なほどきれいな 水がサラサラと流れ、 鉄橋を京王線の電車 が渡る。はるかに奥 多摩の山並がつづく。 なお、今回の徒歩で の総移動距離はサト ハチ氏の万歩計に よると、約9kmだった。 橋の上より対岸の 京王線「聖蹟桜ヶ丘」 周辺を臨む。 (「旅ブログ」か?) 富士山がちょこっと 頭を出してるが、いか んせん京王デパート がジャマ(笑) 犯人が通った42年前 はこの風景もスカスカ だったにちがいない。 ところで、先日から コメントで参加者にしか 分からない意味深なコト を書いてましたが、ここ でついに公開です・・ 衝撃画像・多摩川の物体X 橋の欄干で見たものとわ? あ、ちょっとまだクリックしないで下さい(笑) 何点か注意があります。 18歳未満の方や意外に多いと言われている「主婦層の方」は見ないで下さい。 それと、見てもけっしてこのブログを嫌いにならないでください(笑) ・・必ず自己責任でお願いしま・・ あっ!静岡県の主婦の〇〇〇さん、クリック しちゃったんですね!? なお、この写真は近日中に自動的に消滅する・・?(地図・6にて) ▲・・井上氏はさっそくそれを携帯で撮ってどこかへ ▲「Gメン75」のOPのように歩いてくれ、と 送信してたし・・ そんなわけで誰のイタズラか、 いう私のリクエストには応じることもなく、 新年早々大変おめでたいモノに遭遇した一行は 次の目的地、「京王線百草園駅」へと 不思議な劣等感にさいなまれつつ・・ 向かう。 (地図・▲にて) 【つづく】 ●今回の記事は「事件性」が低くてすみませんでした(笑)
2011年01月16日
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あけましておめでとうございます。本年も「アナロブログ」をよろしくひとつ。 府中 ~ 日野 ~ 豊田 -- マニアック盗難・目撃エリアを往く 「疑惑の迷走地図」 <クリックで拡大> ▲今回は他の人に富士山を発見されてしまった・・ ●参加者 / オアシス地球 サトーハチロー(プラン作成) 井上元宏 風月堂 すぃけ~だ Mont.Akagi 【1】 分梅 本宿 日新町 ●「三億円事件にかかわらなかったら、こんな街へ来ることも一生なかっただろうな・・」 またそんなことを考えながら片道2時間半、正月2日の朝9時半に降り立った京王線 分倍河原駅は思ったより小さな駅だった。 参加者のうちのサトハチ氏、風月堂氏 はすでに到着。続いてすぐ近所にお住まいのすぃけ~だ氏、井上氏が続々と到着。 三年越しで念願の初顔合わせとなるMont.Akagi氏は午後からの参加だが、なんだか 照れくさい。 あの 「心霊写真」の"霊" だったらどうしよう(笑)などと考えつつ・・ ▼の新聞記事全文 ▲今年もやってまいりました、いつものメンツ(笑) ▲まずは1968年11月27日AM11時頃、リヤカー 分倍河原駅南西、都道18号にて。 (地図▲) で竹ざお行商中のAさんが信号無視の白バイ 手にしてる紙はサトハチ氏作成の探訪ルートの (青との情報もあり)に追突されるという騒動の 解説書。皆、昨年と同じスタイルのようだが(笑) あった府中市分梅町1-13付近、「分梅駐在所 なぜか赤と黒に分かれたのだった。それにしても 交差点」。(地図・1) バイクは逃走したが後の 今回もどこへ行っても「逆光」に泣かされた。 捜査で白バイにこの時の傷も確認されている。 こちらは上画像内 の見出しとは別の 新聞記事で「青バイ」 とある。 そもそも犯人が白バイ に塗り替えたのは 事件直前のはずだし、 二週間前に乗り回し てるってのも・・? (1969年10月4日 読売新聞夕刊) ▲分梅町1-19-3の府中ガス西部営業所跡地と ▲そこから北西へ800mの本宿町2-21では事件 みられる場所。(地図・2)68年6月25日AM7:45 前日の12月9日16時半頃、昭島市の建築業者 頃、同所長、佐藤陽の妻、すみ子が「店の前の が"薄汚れた白バイ"に乗った22、3歳の男と 緑のごみ箱下の封筒を多磨農協へ届けろ」との すれ違った。 (現・本宿交番交差点 地図・3) 電話を受けるがごみ箱があるのは清水ヶ丘の この後写真左下方向へ府中町田線を進むが、 本店で、犯人は本店店頭に併記された電話番 サトハチ氏によると事件当時この道路はなく、 号を見間違えたとされた。 以降の現場の特定には相当苦労したらしい。 ▲ちょっと休憩。その道すがらに発見した恐ろしく ▲物置の屋根を大木がブチ抜いている物件を 古いポストをすぃけ~だ氏が激写していた。彼は 発見。(本宿町2-20にて)え?「こんな写真 デジカメ、フィルム、それに「昭和な」雰囲気に でお茶をにごすんじゃねえ」? 以降も時々 撮るためにポラロイドカメラまで携行していた。 出てきますんでよろしく。 (地図・▲付近) ▲ここからは小学生が「青バイ」を目撃した情報が 途中の小学生が分梅駐在所方面 (▲写真 点在する府中市日新町、住吉町のエリアに入る。 奥・左方向)へ走り去る青いバイクを目撃。 小学生が通った府中第五小前を通過する一行。 これが二度目の目撃談で、バイクのナンバー 事件12~13日前の14時頃、日新町 1-5 で下校 は「1129」だった。 正面はNEC。 (地図・4) 【つづく】 ●次回はこの「小学生青バイク目撃談」のつづきより。 なお、この件にご興味のある方は 懐かしい過去記事での「クロベエ・小説男バトル」を こちらのコメント欄 でご覧下さい。
2011年01月08日
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正月オフ会のお知らせは こちら (現在、ざっと月いちペースでの更新となっております) 休載企画 (たまにやります) 「これを小ネタ・・と呼ぶのはナンですが」 ●「三億円事件に重要参考人 府中市の元運転手」の見出しが新聞のトップを 飾ったのは事件一年後の1969年12月12日。 (詳しくは こちら と こちら) その重要参考人、K青年は39年後の2008年9月、旅先、というよりは 放浪先の沖縄で一人寂しく自らの命を絶った--- その死は「あの時」とは違い、週刊誌一誌が小さく記事にしただけだった。 晴れて釈放後は世間の好奇の目にさらされ、就職は断られ、アルバイトを 転々とした。 そんな彼にやっとひとすじの光明が差したかに思えた。 銀座の宝石商がK青年に養子縁組の話を持ちかけたのだが・・ 「真相はこれだ! 昭和8大事件を撃つ」(祝康成・新潮文庫) によると、 『宝石店社長は彼の境遇に同情した、ということだったが、実際は養子にして 実子との資産争いに利用した』 その後、K青年は裁判で養子縁組を解消された。 まるで小説か二時間ドラマにでもありそうなこの巧妙な罠・・ 「強運が味方した」といわれた三億円事件の"実行犯"に比べ、彼のこの異常 とも言える数々の運の無さには驚くばかりである。 一度貼られた「三億円犯人」のレッテルは、まるで背中におぶさる死神のように、 生涯引き剥がすことは出来なかったのか。 (新聞資料提供 / クロベエ氏・ ツッチー刑事氏)
2010年12月11日
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(※この記事は随時更新します) 正月返上大捜査 Vol.4 あなたもぜひご参加を!! ●さて、また恒例の「正月返上!再捜査」の時期が近づいてきました。 今回は 日野~豊田~八王子の盗難エリア というマニアックな地域です。 前回同様、みなさまのご参加をお待ちしております。 ★期日 / 2011年 1月2日 (日) (電車や徒歩での移動です)交通費・飲食代は自己負担 ★ 現在の探訪予定地 ★○午前中(9:30~) ・「青バイ」目撃地点(数箇所あり) ・関戸橋経由で多摩川横断(犯人が事件当日通った説あり) ・京王線百草駅南口 「白バイ」目撃現場 ・京王線高幡不動駅前の「青バイ」目撃現場 ・某寿司店で昼食(混雑の場合、他店にて) ・高幡不動にて初詣 (進行・混み具合によっては中止)○午後(13:30~18:30) ・ヤマハスポーツ350R1 盗難場所/ 白バイ用ボディシート盗難場所(平山団地) ・草色カローラ盗難場所(料亭・鮫陵源 駐車場) ・八王子自動車教習所跡(赤色サニー盗難未遂現場) ・N塗装店(白スプレー購入者あり) ・H玩具店跡(ボディシート盗難された店主の玩具屋) ・白バイ目撃地点(事件当日の早朝、牛乳配達員が目撃) ・R刃物店(白スプレーを求める男あり) ・青色カローラ(多摩五郎)盗難場所(多摩平団地) ・K八王寺支店(白スプレーを求める男あり) ・某サイクリング店(赤色灯の購入希望の男あり) ・白バイ目撃地点(事件当日の早朝、採石工事業者が目撃) (※以下、時間があった場合) ・ホンダドリーム盗難場所(井上モータース跡地) ・八王子 三徳食堂跡(赤バイク野郎出没場所) ・昭島のガソリンスタンド(犯人が給油した?) (終了後) 立川駅近辺の飲み屋で「捜査会議+新年会」 【候補地・順路は予定・追って更新】 ●日程計画・サトーハチロー ★集合場所・時間2011年1月2日・第1集合 AM9:30京王線 分倍河原駅前・マクドナルド前・第2集合 PM13:30京王線 平山城址公園駅 (改札外)・第3集合 PM19:00JR立川駅構内 (改札外)※ご注意 ご参加希望の方は事前にお名前、携帯番号、参加 場所をブログ・トップページ右列の「メッセージを送る」 よりお知らせください。 (他の方には読めません) なお、第2集合ならびに第3集合の時間はそれまでの 進行具合により相当にずれる可能性があります。 相当距離を徒歩で移動する可能性がありますので、 防寒具の用意ならびに歩きやすい靴でご参加頂きますよう お願い致します。(時間の都合でタクシー利用の場合もあり) ●現在までの参加者 (敬称略) オアシス地球 / 井上元宏 / サトーハチロー / 風月堂 / すぃけ~だ / Mont.Akagi 毎年、ヘンな時期の開催ですみませんが、 多数のご参加をお待ち申し上げます。
2010年12月09日
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●現在、ざっと月いちペースでの更新となっております。 休載企画 (ごくたまにやります) 「ちょっと小ネタですが」 バカ正直にも ほどがある? ボーナス支給日 はともかく、取引 銀行まで教える 必要があるのか? と普通は考えそう なものだけど、 やっぱりおおらか な時代だったの かなあ? 「おたくの知り合 いの者」で通る ところもスゴイ。 注目すべきは 犯行当日にあった 「ボーナスは出な かったでしょう」(笑) という電話である。 「おめえが強奪した んだから出るわけ ねえだろ!」とツッ コミたいところだが (犯人だった場合) 「午前10時すぎ」と いう時間は犯人なら 犯行後、即電話して いることになる。 当日の電話の時点 で「輸送先が東芝」 という情報はまだ 限られた人間しか 知らない時間帯の はずだし.. う~む。 ★え? その翌日にも問い合わせが?(過去記事) 昭和の義賊か、はたまたねずみ小僧か? ●(右見出し)三億円事件のあった昭和 43年12月10日直後から三鷹市と文京区の 福祉協会などに「三鷹市 井の頭 1の1の1 山本武」なる人物から数回にわたり計43万 1千円が振り込まれた、という話題。 今の価値なら300万くらいになろうか。 郵便振替という方法が珍しかったそうだが タイミングが事件直後からである点以外、 事件との関連を示すものはほとんどない。 ●(左見出し)『43年8月夜、府中市是政の 多磨農協理事方からコロナが盗まれ、翌朝 町田の墓地に放置されていた』というもの。 この朝、墓地近くでもサニーが盗まれ、 府中市矢崎町の池に突っ込んで乗り捨て られていた。 警察では『三億円事件の犯人がコロナで 金の処理場所を探して墓地で動きがとれ ず乗り捨て、再度盗んだサニーで府中に 戻り池に突っ込んだ』とみたらしいが・・ え?事件前から「金の処理場所探し」?その 根拠は何か? なお、手口はエンジン直結。 (資料提供 / クロベエ氏 ツッチー刑事氏)
2010年11月11日
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(6) ●主に読者のサトーハチロー氏よりご提供の三億円事件関係の 資料を元にお送りしております。その少年の「自殺」はあまりにも小さく、あまりにもあっさりと新聞の片隅で報じられていた・・(左写真中央は 前々回の記事)
2010年10月12日
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(5) ●主に読者のサトーハチロー氏よりご提供の三億円事件関係の 資料を元にお送りしております。 ■府中署捜査本部は事件当時、立川市在住の貿易会社経営A(25)を参考人と して追及。事件当日のアリバイがなく、オートバイ、車の運転に長け、金遣いが 荒く、自社の経営資金の出所などがはっきりしない、またアメリカに出国して帰 国していない点などで別件の恐喝容疑の逮捕状を用意。時効間際に浮かんだ 「最後の容疑者」だけに本部は極度に緊張している。 (記事より抜粋) ▲「最後の容疑者」A氏が時効間際に捜査線上に浮上したことを四大紙より 先にスクープしたのは、内外タイムスという大衆娯楽紙だった。 (09年9月に「リアルスポーツ」として“新創刊”するも、同年11月倒産) これを打電したのは「共同通信」であり、実は他の四大紙の社会部記者に とってA氏の存在は周知であったが、何度もシロになっており、あえて第一 報はスルーされていた。 朝日・読売・毎日は「後追い」で記事にはしたが、サンケイの紙面にだけは 最後まで載ることはなかった。 だまっててごめんなさい・・ じつはわたしも 持ってました・・ 三億円。 (ネタがないにもほどがある・・) ●この商品を発売しているのは 愛知の「ケイ・エスカンパニィー」 なるメーカーで、中身はよくある タラのすり身なんかで作った おつまみっぽい菓子でマヨネーズ 付き、価格は20円。 本紙幣は「珍味銀行券」であり(笑) 紙幣番号は全商品共通の 「K1234567S」である。 「国立印刷局製造」の表記もある。 次はぜひとも、「参億円」のを お願いしたいものである。 その時は福沢諭吉サンの肖像に ヘルメットをかぶせることを お忘れなく! 全国有名駄菓子店にて 絶賛発売中!! ▲たとえそれが既出の画像だったとしても、「拡大すると見えてくるもの」 もある。 (ネタがないにもほどがある) 例えばこの写真の場合、それは画面奥で通行人と談笑して いる(?)警官だったり、中央の刑事のエラそうな態度だったり、手前の笑顔の中学生が 今頃は50代後半であろう事実だったり・・といった具合である。 「三億円事件」って、本当に遠い、遠い出来事になってしまったんだなあ・・と、 今さらのように一人、センチメートルな気分にひたる、秋の夜です
2010年10月03日
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(4) ●主に読者のサトーハチロー氏よりご提供の三億円事件関係の 資料を元にお送りしております・・が、 今回はまず、記事の内容からこちらへ移動するのが妥当と判断いたしました、 クロベエ氏&ツッチー刑事という方御提供の二年前のなつかしい新聞記事から。 ★捜査本部は現金輸送車が放置されていた第二現場に白のトヨペット・コロナが とまっていた新事実を入手、偽白バイの男とは別の者が加わって現金を輸送車 からこのコロナに積み替えたと見る一方、単独犯がカローラで現金を運んだと する考えも捨てておらず、捜査は別れ道にさしかかった。 このコロナは事件当日の 午前9時すぎに第二現場 にあり、現金の積み替え 作業が行われたとみられ る9時25分頃には姿を消 していたと近所の会社員 が証言。 近隣住民は普段この場所 に車をとめず、白いコロナ の所有者もなく、コロナ側 からカローラの目撃情報 がないこと、カローラに遭 遇した親子が現金ケース は無かったと証言したこと で本部は現金輸送を担当 したのは白いコロナの可 能性があるとみている。 ●捜査本部内では二つの 意見が対立、また第二現 場周辺に現金ケースが隠 されている可能性から大 規模な捜索を行った。 (新聞記事提供・ クロベエ氏 ツッチー刑事) (以下、記事提供・サトーハチロー氏) ▲こちらはそれから四日後の報道であり、まだかなり情報が錯綜している。 そもそも「第三の車」とは、「偽白バイ、カローラ」に続いての「コロナ」であり、 草色カローラはもちろん、紺色の多磨五郎カローラも目撃情報から上がって いるのだから、コロナは「第四の車」としてもよさそうなものだが、「単独犯、 複数犯の兼ね合いもあったりして」 ・・ まあ、まだ混乱してるわけですね。 このコロナ(クラスの)車とは、「カローラよりも大きく、コロナによく似ていた」 という目撃情報と、「タイヤ痕から割り出した車幅がカローラより2センチほど 大きい」という現場検証の結果によるものだが、ご存知のとおり、コロナの名 はこの後、報道から次第に姿を消してしまう・・ ○三億円事件翌年の東芝府中工場のボーナス輸送額は4億3千万円に 「増加」した 。 ただし、すでに日本信託銀行とは取引停止となっており、 ボーナス用の現金を調達したのは、三井・住友・太陽の三行であった。 ○三井と住友は府中駅近辺からの輸送で距離にして約2.5km。 ○太陽銀行は小金井支店からの輸送で距離にして約4.5kmであり、 前年同様、府中刑務所裏を通ることになった(写真のクルマ)。 この太陽銀行の輸送車には小金井署の丸川晴雄巡査部長が同乗。 ・・他の二行の車には警官は同乗しなかったのだろうか?
2010年09月21日
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(3) ●今回はサトーハチロー氏ではなく(笑)、他の方から送っていただいた、 なんと昭和40年の「少年マガジン」の現物(!!)を中心にお送りします。 これ、いただいちゃっていいんでしょうか?やっぱり返すべきかな・・?? (今回の「三億円事件度」は「2」くらいです。ご了承ください。) 「1965年4月 18日発行」 定価50円。 何といっても まず表紙が 白バイ警官! しかしここま でカッコイイ 憧れの存在だ ったっけか? この3年半後、 偽白バイ警官 が三億円事件 を起こしたと 知った時、自 分も含めた少 年たちはどう 思ったか? (記憶にない) 漫画は人気作 家中心の9本 のみで、他は 「秘境探検物」 や「スパイ物」 といった読み 物、クイズや 懸賞で構成さ れている。 「ウルトラマン」 の放映が始まり 怪獣ブームが 巻き起こるのは 翌年で、表紙や グラビアは怪獣 一色となる。 ▲「世界のミイラ物語」、今週号は「ふしぎなくんせいミイラ」だっ! 今でこそ小学生 のガキでも携帯 を持ってやがる ご時世だが・・ 当時のガキンチョ に許された通信 手段、それは トランシーバーだ! しかしお小遣い で買える代物で はナイ・・ そこでこうした懸賞に応募しまくるのだが・・当ったためしはなかったあぁっ! ちょっと目がイッちゃってる(?)ハーフの子が持つ、「けいたい無線機」の 文字が悲しい・・ しかし交信可能な距離は100mもなかったと思う。 そのうちに「これでは直接会って話した方がいい」と飽きてしまうのであった・・ そして少年雑誌 といえば、この イカガワシイ 通信販売の広告 が忘れられない。 銃が五百円ほど だが、今だと 三千円以上か? これらは後に 「有害玩具」と まで呼ばれ、社 会問題化した。 子供にも出来る 簡単かつ安価な 支払い方法は 「切手の送付」であり、(「小為替」というのも使えた)広告には平仮名かカタカナで その手順が説明されている。「フウトウノ ウラニハ アナタノ トコロバンチ ナマエモ ハッキリカイテ クダサイ」って、三億円事件の脅迫状か!(笑) 雑誌の裏表紙などには決まってこのような「買ったら親に怒られそうな」、 しかし子供にとっては「すふんげえ」魅力的な商品が、ズラリと並んでいた・・ ほかにも、当時の男子の必須アイテムとしては シーモンキー 昆虫採集セット 豆カメラ 天体望遠鏡などありましたなあ・・ またいつか、触れたいと思います。 ● 遠い夏休みの使者 ● 私の自宅は「JR 東京駅まで快速 で70分」のわり にはド田舎であ る。(苦笑) 裏手には原生林 と山々が広がる。 先日、近所の 二十歳くらいの 兄ちゃんが、左 のような物体を 見せてくれた。 なんと、私ですら 初めて目にする 「オオクワガタ」 だ! クワガタといえば、 「コクワ」「ノコギ リ」「ミヤマ」を 見ただけだ。 さっそく手に取ってみると・・ 動き回るその感触がなんとも不思議な感じ。 黒い体色の色ツヤがすばらしい。 体長は7センチくらいか・・? なぜか当時流行った、「クワガタやカブトムシのプラモデル」を思い出した。 しかしオオクワガタよ、やはり出会うのが40年遅かった。なにしろこっちは もう、 「これ、売ったらいくらぐらいか」 などと考え始めている、イヤラシくも 悲しい大人になってしまっているのだ(笑) そんな私の不純なたくらみを察したか、兄ちゃんはオオクワガタをそそくさと ケースにしまうのであった・・ (注・このお兄サンも販売目的で捕まえてるわけではなく、大切に飼ってます)
2010年09月09日
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(2) ●読者のサトーハチロー氏よりご提供の三億円事件関係の 資料を元にお送りしております。 その昔、 新聞の番組 評というのは 結構辛口だっ たと記憶して いる。 それでも酷評 されていても 興味を持って 観た気がする。 なぜなら、他 に娯楽が少な かったからで もある(笑) 「映画劇場」 も★の数で 面白さを表し たりしてた。 「裏切られた」 「後半は余分」 とまで言われて いるこの番組を なんとか自分の 目で確かめて みたいが、その 手段がない・・ 岡本喜八監督 をもってしても 三億円事件は 難物だったらし い。 (1975年 11月14日 朝日新聞) こちらは、 今年の 「正月返上! 大捜査」の 際に訪れた 西武多磨川 線多磨駅 (当時・ 多磨墓地前 駅)南の踏切 でのトラメガ 盗難を伝える ニュース。 (上写真は 現在の様子) 「小ネタ」と 判断されてし まうのか、ほ とんど聞かな い話題である。 しかし偽白バ イに使用され たトラメガも けして取り付 けやすい代物 ではないと思 うが・・ この盗難も 100%犯人の 仕業である 確証はないも のの、容疑は 極めて濃厚、 ということら しい。
2010年08月28日
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(1) ●主としてサトーハチロー氏よりご提供の三億円事件関係の 資料を元に、数回にわたりお送りいたします。 1969年 6月9日 (月) サンケイ 新聞より (画像内 イラスト) 「雨の 追憶 図説 三億円 事件」 むらきけい 文芸社 P144より ▲ちょっとまぎらわしいが、これは例の「K青年」ではなく、事件の約半年後に 「事件の朝、近所の男が鋲の打ってあるトランクを自宅に運び込むのを見た」と いう府中市の主婦の通報に端を発した騒動だったが、結果的にはどうやら 「ガセネタ」であり、唯一記事を扱ったサンケイ新聞も続報は次第に尻すぼみに なり、遠回しに誤報と認める形となった。 ちなみに、イラストの主婦はフィリピン人のように見えるがそうではない(笑) なお、左下の広告もまぎらわしいが(笑)、実際、ここに載っていたものです。 ●「別冊宝島 20世紀最大の謎 三億円事件」をお持ちの方は P104~105 (ムック版)に詳細があります。 (リンク先は「文庫版」です) ▲ 30年余り前の1900万円とは現在のいかほどか?? 文面からして「続報」らしいが、この犯人が捕まったのかは不明。 モンタージュは「東京ロマンチカ」の鶴岡雅義さんの顔にヘルメットを かぶせ、そのまま使用したものと思われる(ウソ)。 犯人は逃げきったのかが気になるが、生きていれば70代後半から80代?・・ ※(補足)記事は1979年3月6日の朝日新聞夕刊と判明。 ちなみに、平塚八兵衛氏が亡くなった年である。
2010年08月20日
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三億円事件 こだわり続ける元捜査員 【 後 編 】 戦後史開封 昭和40年代編 扶桑社文庫 750円 送料無料 (オリジナル版は絶版) 「戦後史開封」(同取材班・編) 産経新聞社 扶桑社(1995年 1月)より一部を掲載・敬称略 昭和50年12月10日午前零時、三億円事件は事実上の時効を迎えた。 私生活を犠牲にして捜査してきた延べ17万人の刑事たちの7年間は報われなかった。 最後の特別捜査本部キャップとなった元警視庁捜査一課管理官、北野一男は 「このときのことを話すのはつらい」という。「発生時も雨だったが、時効の日も雨だった。 『最後まで涙雨を降らせやがって』 と思っていたら、深夜にはみぞれ雪になった」 当時、捜査本部には事件の解決を祈って岩手県の婦人が送ってくれた風鈴が夏から吊るしっ 放しになっていた。 「なんか、芭蕉の『夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡』って感じだったよ」 平日の日中の犯行だったことや、現場付近に東京学芸大、東京経済大、東京農工大など 大学が多かったことから、犯人像のひとつに”学生”も浮かび上がった。しかし、「捜査方針と して組織的に学園に入ってやるのはまずい」と大学内での捜査をしないことが決まったという。 43年は大学紛争が吹き荒れ、東大、日大をはじめ、全国116大学で紛争が起きていた。 当時はまだ、捜査のためキャンパスに入った私服刑事がリンチを受けるような時代だった。 刑事上の時効になった50年12月10日の前夜、各テレビ局は特別番組を組んだ。 ニールセン調査によると、遅い時間帯にもかかわらず、視聴率は極めて高かった。 NHKが午後10時15分から放映した「三億円強奪事件」は11,7%を記録、前日同時刻が 1.2%で実に十倍の数字だ。 民放でも日本テレビ 「11PM 『時効成立!?』 が8,3%、 NET (現テレビ朝日) 「ザ・23 『時効!?三億円事件』」 が6,7%など-- 軒並み好成績だった。 発生から20年経った昭和63年12月10日には民事も時効となり、事件は遠い出来事になった。 もしも今(※1995年)、犯人が現れたらどうなるか。-- 警視庁の公式コメントは「所要の捜査を行うことになります」 -- とはいえ、捜査権は 公訴を前提としているため、実際には任意で事情聴取するぐらいしかできない、という。 ▲「 朝日クロニクル 20世紀 第6巻 1961‐1970 ― 高度経済成長」 朝日新聞出版 より 犯人への課税の可能性はどうか。 -- 「法定申告期限は最高で7年。三億円事件のような不労所得も課税対象だが、7年を過ぎ るとうちの方では何もできない」(国税庁) 日本信託銀行に被害額と同額の保険料を払った日本火災海上保険は「すでに公的には 求償不能だが、もし犯人が判明した場合には、その時点で対処方法を検討したい」という。 三億円事件と16年後の昭和59年に起きた「グリコ・森永事件」との犯人類似説を唱えて いるのが、直木賞作家の井出孫六(63)だ。 井出は三億円の犯行時間、現場からわずか数百mのバス停で当時勤めていた出版社に 出勤するため国分寺駅行きのバスを待っていた。以来、事件への関心は人一倍強い。 「三億円事件の犯人が多磨農協に送った脅迫状と、グリコ・森永の”かい人21面相”が 警察に送りつけた挑戦状は論理構成が似ている。東京弁を河内弁に置き換えたらそっくり。 時間の経過を考えたら、犯人の年齢だって一致するでしょう」 同一犯人と言えるほどの論拠はないが、脅迫状によって犯行の”環境”づくりをすると いった犯行計画の周到さに加え、犯人が犯行現場の地理に詳しい、車の運転がうまい、 緊急配備と大捜査(ローラー作戦)を潜り抜けている -- など、両事件の共通点は多い。 民事の時効が成立した昭和63年12月10日と同時期、事件の関係者の一人が結婚した。 被害者である日本信託銀行国分寺支店の現金輸送車を運転していたC運転手である。 Cが他の三人の行員と一緒に事件に遭ったのは31歳のときだった。偽白バイ警官に 「車にダイナマイトが仕掛けられた」と脅された際、キーを抜かずに車を離れたことから ”グル”ではないか」と疑われたこともあった。 疑いはすぐに晴れたものの、Cはその後、「事件が終わるまで結婚はできません」と 20年間、独身を貫き、結婚したときは50歳を超えていた。 かつて特別捜査本部があった府中署内に23年以上保管されてきた 偽白バイの本体は2年前に処分されたが、現役捜査員の強い要望で ナンバープレートだけは額に入れて飾られている ---
2010年08月03日
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三億円事件 こだわり続ける元捜査員 【 前 編 】 戦後史開封 昭和40年代編 扶桑社文庫 750円 送料無料 (オリジナル版は絶版) 「戦後史開封」(同取材班・編) 産経新聞社 扶桑社(1995年 1月)より一部を掲載・敬称略 「犯人の知られざるアジトが国分寺市の恋ヶ窪にあった---。 奪った現金をそこで何かに積み替えたのだ」 と、今もひとつの確信にこだわり続けるのは、 事件二ヶ月後の昭和44年2月から45年5月まで警視庁捜査一課係長として特別捜査本部に 詰めていた齊藤訓正(68)(以下、年齢は1994年当時)だ。 斉藤がその「恋ヶ窪」にこだわるのはなぜか。 「犯行現場離脱を急ぐ犯人は、現金を積み替えた第二現場から真っ直ぐ第四現場の本町 住宅へ向かったというのが定説だが、一旦は小金井とは逆方向に向かったのを、近くの親子 連れが目撃している。つまり、犯人は右折しても左折しても大差ない所へ行こうとしていた。 それは地理的に恋ヶ窪しかない」 犯人の車を目撃したのは国分寺市東元町の農業、本田正一(78)と達雄(47)の親子。 車で東へ向かっていた二人は、T字路の現場で右(南)方向から方向指示器をつけずに 突っ込んでくるカローラを見つけ、曲がり角の前に車を止めた。 12月にしては珍しい土砂降りの雨で、辺りは暗い。 達雄は、 ”座高が高く顔の長い男がカローラの運転席に 身体を斜めにするように座っていた” -- のを記憶している。 「一度は左折しようとして我々の車にぶつかりそうになり、一旦バックし、今度は右折して 猛スピードで去っていった」 斉藤は、この「出合い頭」をもっと重視するよう捜査会議で何度も主張した。しかし、発生直後の 有力情報の氾濫や、捜査上の余裕が少ないとの理由でなかなか受け入れられなかったという。 ▲ スピード違反取り締りの花形”白バイ”が44年には全国で3000台に。特殊速度計、カメラなどの 七つ道具で睨みをきかせた。 (昭和41年5月) 「決定版 昭和史 16 昭和元禄」 毎日新聞社より 「第四現場の本町住宅に運んだカローラの中で金をトランクから抜き取ったという説も根強かった が、車中は狭いし無理があった。恋ヶ窪のアジトで作業を済ませ、空きトランクごと団地に捨てに 行ったのだ」と斉藤は推理する。 しかし”アジト”はとうとう発見されなかった。 捜査員の中にも「恋ヶ窪重視論は推測の域を 出ないのでは」という声があった。だが、「捜査初期は情報、捜査材料が多すぎ、本当のポイント を見逃しかねない状態に陥っていた」という斉藤の胸中には、「もう少し早く恋ヶ窪に目を向けて いたら」との思いがよぎる。同時に、「自分の捜査方針が正しかったのか、今となっては分から ない」ともいう。 事件発生時の警視庁機動捜査隊長で、44年4月からは捜査一課長として陣頭指揮をとった 武藤三男(77)は「犯人はいくら運ばれているかを承知して現金輸送車を狙った。状況からみて それは間違いない。けどね、三億円なんて普通、強奪されるって考えられる額じゃなかったよ」 事件から5年もたった49年3月から捜査一課長の南雲寛治(74)は、当初の「これはいただきだ」 という楽観ムードとは全く逆の展開の、何とも「気が重い」状態で事件を引き継ぐことになる。 「今後どう捜査を進めたらいいのか、見当もつかなかった」と振り返る。 奪われた巨額の金の行方もさっぱり?めなかった。 50年5月から捜査本部に投入された 石井千代松(68)は、金が動きそうなところは微に入り細にわたりチェックしたと強調する。 「大変な金額を強奪した犯人がそれを捨てたわけはないが、百万円以上の金が動いた 形跡がないんだ」 三億円事件以前、戦前戦後を通じて現金強奪事件での最高被害額は昭和40年9月、 青森県弘前市の青森銀行弘前支店前で起こったひったくりの「三千百万円」。 多額とはいえ、三億円事件の十分の一。 犯人は約二ヵ月後に捕まった。 (つづく)
2010年07月24日
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三億円事件犯人は 捕まる はずが な い? ★戦後ニッポン 犯罪史 増補新装版 批評社 2,520円 送料無料 文 ・ 礫川全次 「戦後ニッポン犯罪史」 批評社 (2000年06月)より一部を掲載・敬称略 文献・「三億円犯人」大下英治 「戦後史開封」産経新聞社 「三億円事件」一橋文哉 (※ 本書では少年をBと表記していますが、混乱を避けるため、Sに統一させていただきました) 元警視庁捜査一課長の齊藤訓正は 『立場上口に出せなくても、捜査員の多くは S少年への疑いを捨て切っていないのではないか』 と言い切る。また、同じく捜査員 の石井千代松も 『S犯行説は時効直前の昭和50年の時点でも強かった』 と証言する。 ある捜査幹部は、Sが再度シロとされた時点で、当時の警視庁副総監から 『本当にSじゃないのか』 と電話で念を押されたという。 Sがシロだとされたのは、多磨駐在所へ脅迫電話があった時期に東京・練馬区の 東京少年鑑別所にいたこと。さらには、銀行に届いた脅迫状と筆跡も違っていた -- などの理由からだったという。 (「戦後史開封」より) しかし、この論はほかに共犯がいた場合はもちろん成り立たない。警察はまた、S少年 には事件当日のアリバイがあるとした。(※前回記事、オカマX氏の一件)犯行当日の 下準備という事を考えると、S少年が犯人ということは有り得ない、というのだ。 多少でも疑惑を 感じれば、平気で 犯人扱いしかねない 警察が、S少年に対 してはずいぶん気を 使っているようである。 事件直後の12月15日、 捜査本部はS少年をクロと にらみ、逮捕状を持って 少年宅へ向かった。 (※ 上記記述は大下英治 「三億円犯人」。一橋文哉 「三億円事件」によれば少 年宅に向かったのは立川 署の刑事で逮捕状は別件 の恐喝容疑であったという) 対応した母親は「いない」 とウソをついた。 少年が青酸カリで自殺を遂げ たのは、その日の夜である。 逮捕状が出ている有力な容疑 者に、やすやすと自殺を許す というのも不思議な話である。 こういう事になったのは、少 年の父親がたまたま警官だっ たから、としか考えようがない。 ▲「決定版 昭和史 16 昭和元禄」 毎日新聞社より ・・捜査本部は少年をクロとにらみ、逮捕に向かう。両親(父親)も息子が犯行に加わって いることを認めざるを得なかった。しかし、警官の息子がこのような犯罪を犯したとあれば、 警察全体に傷がつく。 そこで父親は息子に因果を含め、隠し持っていた青酸カリを渡す。 捜査本部も父親の措置を黙認し、S少年の死後、クロ説を改め、シロ説を打ち出す ---- もしこの推測が誤っていないとすれば、この事件の「真犯人」が捕まるはずはない。 10億円近い費用と、7年の歳月をかけた大捜査は、全くの無駄だったということになろう。 この事件はほぼ間違いなく複数犯による犯行であり(S少年は白バイ担当)多磨農協脅迫 事件を含め、事件全体を計画、指揮し、脅迫状作成などの準備を行った有能なリーダーが 存在するはずである。 (前出の大下英治氏はオカマのX氏も共犯の一人に擬している) そのリーダーを始めとする犯人たちは、今頃どこで何をしているのだろうか。 巷間には、この時の犯人が後に「グリコ・森永事件」を起こした、とするウワサがある。 一笑に付せないものがあるようにも思うのだが、どうなのだろうか。【付記】 その後1999年に至り、この事件についての注目すべき論考があらわれた。言うまでも無く 一橋文哉の『三億円事件』である。この事件の真犯人(リーダー)は恐らく一橋氏がアメリカで インタヴューした人物に間違いないだろう。また、実行犯が当時、福生にいた少年グループで あったというのも当っているように思う。 しかし、この本はこれまで諸書が言及してきたS少年に対する疑惑を晴らすことには成功して いない。即ち、事件の構造が一橋氏が想定する形に近いものだったとしても、これにS少年が (あるいはその父親が)関与していたという疑いはなお消えないのである。 この一橋氏の著書が労作であることは十分認めるが、最初の情報提供者のイメージが?みに くいこと(この人は警察関係者ではないのか?)、一橋氏が覆面をかぶっていること等の理由 から、私は同書の内容に対し、僅かながら疑念を抱いている。
2010年07月08日
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三億円事件突っ走った参考人報道 ★歴史の現場 20世紀事件史 毎日新聞社 2,310円・税込 (送料無料) 文 ・ 齊藤善也 「歴史の現場 20世紀事件史」 毎日新聞社 (2000年06月)より 一部を掲載・敬称略 ■解決は時間の問題 その朝、東京では雨が降っていた。警視庁記者クラブ「七社会」で殺人や強盗事件を 扱う捜査一課を担当していた根上磐(32)は宿直明けの記者から電話で事件発生を 知らされた。第一報では被害額は2900万円だった。タクシーを拾って現場へ急いだ。 車中で聞いたニュースでは被害額が次第に増え、現場に到着した頃には約三億円に まで膨れ上がっていた。 当時、サラリーマンの平均年収は70万6300円だった。 同じ担当だった加納嘉昭(33)も調布市内の自宅からタクシーで急行した。現場には まだ、犯人が乗り捨てた白バイが置かれたままだった。被害金額の大きさに興奮しな がら取材を始めたが、「正直言って三日勝負の事件。楽勝ペースだと思った」という。 なぜか。---- それは遺留品が多かったからだ。 間もなく立川市内の少年グループが捜査線上に浮上し、調べが始まる。捜査本部は 犯人に直結するとみられる情報捜査を先行させ、時が過ぎていった。 ■別件逮捕と誤報 事件から1年後の69年12月11日夜。発生当時から 捜査一課担当記者の長兄格として取材に当たって いた井草隆雄(35)は親しい刑事の家を訪ねた。 「家に上がったら、刑事が丸い蛍光灯を持って来て、 その周囲を黒い紙で囲った。その明りの中で見せて くれたのが『秘』と刻印された捜査資料だった。」 資料には捜査本部が重要参考人としてマークして いたある男性に関する情報が網羅されていた。 疑われている理由は (1)事件現場の地理に精通している。 (2)現金が奪われた銀行の支店に事件前に送られ てきた特徴的な脅迫状の書き方が出来る。 (3)日頃「大金持ちになって世間をあっと言わせる」 と話していた-- などだ。しかし、最近も質屋に 通っているなど幾つかの否定材料もあった。 警視庁の捜査幹部から本社に電話がかかった。 「捜査に差し障りがあるから」と記事の掲載を見合わせ るよう求めてきた。-- しかし輪転機は止まらなかった。 『三億円事件に重要参考人 極秘に身辺捜査始める 筆跡は不一致、数日中に白黒』 朝刊の社会面トップに大きな見出しが躍った。さらに、男性にヘルメットを被せた合成 写真を捜査本部が公開していた犯人のモンタージュ写真と対比する形で掲載した。 しかし、任意同行から約40時間後の13日夜、男性の無実が判明する。事件当時、 都内の会社で面接試験を受けていたことが分かり、男性は直ちに釈放された。 「世紀の大スクープ」は一転して誤報となり、捜査は振り出しに戻った。 ■時効で捜査敗北 「刑事は自分の経験則で動く。しかしこの事件では犯人の方が刑事の発想のはるか 先を行っていた。大金を手にしたら仲間割れが起きるはず、という見方などから捜査 本部は単独犯説に傾いていたが、これが失敗につながった」(根上) 「犯人は犯行時、ヘルメット姿でマスクをしていた。あのモンタージュが犯人の実像に どれだけ近かったのか甚だ疑問」(加納) 時効の年の75年3月、定年を迎えた捜査一課の敏腕刑事、平塚八兵衛(故人)は 自らも加わった三億円事件捜査に次のような言葉を残している。 「砂浜に家を建てたような捜査だった」 ※写真は某氏製作の犯人フィギュア。某・TVドラマの主人公をモデルに しているため顔は元・G.Sの「あの方」にそっくり。 (情報提供/J氏) (解説)サイズ1/6のカスタムフィギュア。三億円入りジュラルミンケース付属。 ドラゴン社ボディに彩色済レジン製ヘッドを装着。衣裳は70年代の白バイ 隊員風にカスタマイズ。ヘルメットはヘッド部に固定しており脱着不可。 バイクはACTION.MANポリスバイクをモディファイ。前後足回りはT社 CB750の物に交換してディティールアップ。 ライトの電飾ギミック搭載。
2010年06月19日
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時代を先取りして逃げ去った「強奪犯」 文 ・ 田中正人 (読売新聞 1994年12月18日付朝刊 一部省略・敬称略) 「あれがもし、2、3千万円の事件だったら犯人を逮捕できたのではないか。 もちろん、我々はわずかな金額でも全力を尽くすが、あの事件だけは何が と言うのではなく、『三億の魔力』に振り回されたような気がする」 (事件当時捜査一課係長、後に時効まで特捜本部キャップの北野一男) 脅す、負傷させる、奪う、といった過去の単純な手口では到底分析出来 ない複雑さ。なかでも「時代を先取りした」と刑事たちを歯ぎしりさせたの が輸送車の見張り(追跡?)、白バイ、逃走用、と何台もの車を使い分け た事だ。 目的別に車を用意するのは、すでに欧米では大犯罪の『常識』だった。 しかし、日本では車がまだ『三種の神器』のひとつに数えられていたほど で、到底考えられなかっただろう」 (京都造型芸術大教授(文化精神医学)野田正彰) 犯行は綿密な計画に沿って成功したのか、それとも偶然成功したに過ぎ ないのか。 「犯人は車の有効性を十分承知していたはず。しかも白バイ改造でわかる ように遺留品はどこにでもあるものばかり。 さらに警察・国家の威信を 遊び心で悪用した。『制服警官』が現れただけで、注意深いはずの銀行員 たちが簡単に信じ込んでしまった」(同) 捜査側の思惑は外れ、カンと聞き込み、ブツからじっくりと犯人をたどる 伝統的な捜査は眼前の事件にそぐわなかった。 「反省材料がいっぱいあり、その後の刑事警察のあり方に大きな教訓を 与えた事件だった」 (読売社会部で捜査一課担当、後に警視庁記者クラブキャップ、伏見勝) 科学捜査が補助的にしか扱われていなかった。 捜査は常に時代の動きに即応しなければならないのに、車利用、大量 消費など時代の変化を読み取っていなかった。 面的な探索が主で、 ヘリコプターを使う等の立体的な緊配の発想もなかった。 「それらは今に生かされているとも思えない。教訓をむだにしている。 その意味では事件は今でも、まだ生きている」(同) 確かに、無念と思える科学捜査もあった。 例えば、白バイのスピーカーのペンキの下に付いていた5mm大の新聞 紙片。犯人がペンキを塗る際に使用した新聞で、配達先が分かれば アジトに直結する可能性があったが、この微小紙片が鑑定室に持ち込 まれたのは、事件から二年も経過した後だった。 事件は劇場犯罪のはしりともなった。財団法人・余暇開発センターが 事件の三年後に行った調査によると、「犯人はうまくやったと思う」が 東京都内で六割近くと、「早く捕まればいい」を上回った。 「誰をも傷付けず、知恵と工夫で大金をつかんだ」というイメージが生じ た。いざなぎ景気の上昇と相まって、『うまく立ち回れば成功する』との 発想に何らかの影響を与えたことは十分考えられる」(野田) 急に身近になった三億円という大金と、事件の受け止め方の"軽さ"が 大衆にも影を落としたフシがある。ギャンブル人口が急速に増えたのだ。 マイカーの購入者も増え始める。時代は大量消費とモータリゼーション への道をひた走っていた。事件もまた、そうした時代にのった犯行だった。 その上で警察、国家への信頼を逆用して白バイ警官になりすました犯人。 野田があえて言う。 「三億円事件は、国家というユニフォームを着て、 高度経済成長というハイウェイを 突っ走った先駆者だったのではないか」
2010年05月15日
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●今年も二ヶ月近くに渡ってお送りし ました「正月返上! Vol.3」、今回が いよいよ最終回となりました。 さて、東元町3の交差点から車とタクシー に分乗して一行が向かう次なる場所は 犯人が「三億円の現金を一時隠した」と される雑木林。 二年ぶりに訪れる場所は静かな住宅街 の中にひっそりと佇んでいました・・ ★関連過去記事 1 2 3 最終回 国分寺市北西部 三億円隠し場所 ~ 立川へ ~ (撮影・すぃけ~だ氏) ▲なんとなく霊気が漂うかのような(元)雑木林。 あまりにも広大で、一体どの辺りに隠した (埋めた)のか、今となっては皆目見当もつか ない・・のは当たり前。 一応、中央には昔から 残ると思われる、車が通れる道がある。 突き当たりにはこれまた古い民家があり、ゴミを 燃やす穴が掘られていた。皆、一瞬同じことを 考え、すぐに打ち消したに違いない(笑) 急遽ご参加下さり、車も使わせて頂いたK.T氏は ここでご帰還とのこと。残った5人はこの後の 予定である立川への移動をどうするかという事に なり、迷わずバス利用に決定。 ▲「市役所通り」なる道のバス停で時刻表を見ると ▲これは国分寺市が運営する「ぶんバス」で 一時間に二本しかない。「なんだ、ウチより田舎 四路線が運行されており、東元町の路線も じゃん」とバカにして乗り込むとなんと全線100円! ある。バスは通りを外れ、学校、老人ホーム 何というデフレ激安バス! ・・と思ったら・・ やら福祉センターを経由して走り回る! ▲バスはこんな狭い道もへっちゃらでバンバン ▲立川駅へ移動、「どこかで早く打ち上げを! 走り回る! イカスぞ、ぶんバス!しかし国分 ハアハア・・」とはやる気持ちを抑え、見上げれば 寺市の運営だけあって途中、市役所で何分も ここは「スーパー稲毛屋」跡。立川グループの 停車し、結局西国分寺の駅まで相当時間が 少年らがダイナマイトに見せかけた発炎筒で かかった。 それでも太っ腹だぞ、国分寺市! 脅しレジの金を奪った場所はドラッグストアに。 (撮影・すぃけ~だ氏) やはり立川駅北口、 立川グループの少年 らのたまり場だった スナック「ドラム」。 他に「ジャニーズ」 などがある。建物は 当時のまま?? この後、5人は 怒涛の打ち上げ へとなだれ込む。 よく食べ、よく 飲み、三度目の 「正月返上!」は めでたくお開きに。 ▼一見、見づらいですが、よく見ると目がチカチカします(笑)「全行程」とありますが「東元町3」まで。 1.多磨農協(現・JAマインズ多磨支店) 府中市白糸台1-11 2.綿新跡(現・綿新ビル) 同1-16 3.旧・興亜土木 白糸台3-27 4.A教諭宅 5.西武多磨川線多磨駅(旧・多磨墓地前駅)南踏切 6.歯科医宅 7.多磨駐在所 紅葉丘2 (8.大國魂神社) 9.第三現場(偽白バイ待機) 栄町2 10.第一(犯行)現場 栄町3 府中刑務所北側・学園通り 11.現・デニーズ西国分寺店角 西元町3 12. 第二現場(現金積み替え現場) 西元町3 13.親子の車と遭遇のT字路 東元町3 14. 東元町3の国分寺街道(小川山府中線)と元町通りの交差点(犯人の行方が途絶えた場所) 15. 国分寺市北西部・現金の隠し場所とされる地点からJR立川駅北口周辺へ ★おつかれさまでした 「正月返上!」 また来年 ・・・
2010年02月28日
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●「正月返上! Vol.3」、今回が最終回の 予定でしたが、思ったより写真の枚数がありましたので、もう一回延長いたします。 ★関連過去記事 1 2 3 4 第七回 危機一発 T字路 ~ 東元町 3 交差点 ~ ▲第二現場で輸送車から紺色カローラに現金を積み替えた犯人はこの画面奥から手前へと 疾走、右から来た車とあわや衝突しかける(?) 車には病院へ向かう親子が乗っていた。 犯人はハンドルを切りかえすと写真左方向へ走り去った・・ 皆さん、各方向を観察してます。(下地図・●印) ▲途中、牛乳配達の男性に目撃されたのを ▲すぃけ~だ氏は実にうまく写真を撮っているが 最後に犯人の行方が途絶えた「東元町3」 とにかく今回は狭い路地が多く建物で日陰に の交差点へと一同、ゾロゾロと向かう。 なったり逆光で人物が真っ黒になり苦労した。 ▲詳細についてはさすがに書き尽くした(笑)感があるので上の「関連過去記事」をご覧下さい。 (下地図・●印) ▲ (空中写真・昭和54年より) 「東元町3 交差点」への道は「元町通り」なる 名称で、国分寺街道と府中街道を結ぶ抜け道に なっている。 左下の白くて丸いものは桜の木。 参加者の一人、マスク姿のK.T氏はなんとその 辺りに車を放置して徒歩で参加していた。 一向はここから「三億円の隠し場所」とされて いる雑木林へと移動するため、氏の車とタクシー に分乗して○○町を目指したのであった。 サトハチ氏ナメ(笑) (最終回へつづく)
2010年02月19日
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●さて、いよいよ佳境に入ってまいりました 三億円事件の現場を往く 「正月返上捜査 Vol.3」、 今回は府中刑務所裏の犯行現場に別れを 告げ、犯人の逃走経路をたどって府中街道 から東八道路を横切り、現・デニーズ脇の 路地から国分寺史跡は七重の塔跡脇のH家 墓前へと到達。 歩いてみると距離は意外に短く、散歩コース にもちょうどよい感じでした(笑) ★三億円事件なんて知らん!方は こちらを ★関連過去記事 1 2 3 4 5 第六回 府中街道 ~ 第二現場 国分寺史跡 ~ 現金輸送車を奪った犯人が府中街道から ここへ入り込んだというのが一応の定説と なっている国分寺市西元町3-6の交差点。 角のデニーズは「西国分寺店」。 わたしには外観がデニーズというより 「サイゼリア」に見える・・ (下地図●) 「in →」と書かれた黄色い看板が犯人の 行き先を指し示していると言えよう(笑) のどかな70年代前半の頃(撮影・小説男氏) ▲事件当日の犯行時刻前後にこの道の先に ▲ただし目撃証言があやふやで、こちらの写真 白のコロナが停まっているのが目撃されて 奥・第二現場出口側の可能性もあったりする。 いる。 (下地図・▲から×印を撮影) (すぃけ~だ氏撮影) 事件当日、雨でなけれ (「刑事一代」ほかより サトハチ氏情報) ば遺跡発掘作業が行われているはずだった。 ▲犯人が現金を輸送車から紺色カローラに積み ▲一応お約束ということで墓に手を合わす私。 かえ逃走したH家墓前にて一同記念撮影。 「今年こそビューチーなねえちゃんと・・(祈)」 霊が写っているかもしれない(笑) (地図●) (↑ ここで祈願するな)上写真左の茂みです。 ネット地図を見てい ていつも気になった のが、この「プレイ ステーション」で ある。(地図●より) こんな所にゲームセ ンター?いや待てよ 風俗関係か?(笑) (↑「プレイガール」 世代) その謎が今回判明 した。 (下左写真) なんとNPO法人に よる子供の 社会授業施設 だった。(赤面) この看板を見たとき 脱力したのはいうま でもない。 ▲道中で見つけた某・著名な建築家の方の お宅。 異様なオーラを放っていた。 ← 犯人は北側の道を一気に突き進み、この T字路を左折した。行く手には親子が乗る 車と遭遇した「危機一発T字路」が・・ 背中に哀愁と加齢臭を漂わせた男たちが 行く!!(わたしだけ?) ●次回は・・ 「危機一発T字路」から 「東元町3交差点」へ!! つづく
2010年02月12日
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●事件の関連現場へお出かけになった方 ならどなたも感じることだと思うが、実際 驚くほど感慨というものが少なく、拍子 抜けしてしまう。(もちろん個人差あり 笑) その最たる場所が意外にもこの犯行現場、 通称「第一現場」だと思う。 南側の視界をさえぎる府中刑務所の高い 灰色の塀はパステル調壁画の時代を経て 無味乾燥なパネル式に姿を変えた。 期待したほどの感動がない理由は、 「景観が変ってしまったから」だけなのか? ★ますますチンプンカンプンな方は こちらを ★関連過去記事 1 2 3 第五回 ~ 第一現場 府中刑務所裏 ~ ▲クロベエさんもおっしゃっていたが、この刑務所の塀は東西に伸びており、写真を撮ろうと するとどうしても逆光で日陰になってしまうという、マニア泣かせのポイントでもある。 ▲右のサトハチ氏の前の道路際が犯行現場あたりになる。(旧・監視塔の塀の角から20m弱) この部分は塀を刑務所敷地内へ入り込ませて歩道を広くし、ベンチなぞ置いてなんとか 明るい雰囲気にしようと、府中市の苦心のあとがうかがえる。 (最下段地図・●印) ▲一連のモノクロ写真はすぃけ~だ氏が昨年 12月に撮影したもの。 右は府中第九小前の歩道橋の手すりに 登って撮った刑務所内と東芝府中工場 方面。先生、僕がいけないって言ったのに 先に登ったのは井上くんです(笑)(地図・●) 犯行現場前のダストボックス脇には、資源 ゴミのアルミ缶とビンがきちんと分別して 出されていた(笑)もう撤去されたであろう "それ自体もゴミになってしまった"、1万5 千個のダストボックスが気にかかる。 (でも今、鉄って高いんだっけか?) ▲3年前に作った画像、やっと日の目を見る(笑) ▼今回は久々に空中写真サイトから昭和49年。 ●次回は「第二現場」へ! つづく
2010年02月05日
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第四回 晴見町 ~ 第三現場 ~ 明星学苑角 ●遠い日の幻を追い求めるかのような正月返上捜査、今回は京王線府中駅で井上氏、 急遽参加のご愛読者、T.K氏と合流、一行は南側から晴見町、東京農工大脇を経て 第三現場方面への住宅街を進んだ。 ★チンプンカンプンな方は こちらを ▲全員集合後、晴見町にて。(最下段地図・●印) ▲学園通りが近づく。 このゴミ箱も・・(地図●) ▲犯人が輸送車通過をひたすら 府中名物のダストボックスがいよいよ姿を消す。▲ 待った第三現場出口付近。 事件では脅迫状の置き場所に、また犯行時、 (すぃけ~だ氏撮影) (地図●) 偽ダイナマイトに驚いた行員の隠れ場所として なじみ深い。市外からの投棄、分別の不徹底 ★関連過去記事 1 2 3 4 5 などでゴミの年間処理費用は"三億円”に達した。 ▲情報通り、第三現場はG.Sが取り壊され、更地になっていた。牛丼店の工事は始まっただろうか。 写真ではまるで井上氏が仕切ってるかに見えるがけしてそうではない(笑) (地図●) ▲すぃけ~だ氏撮影の反対側。上の特大写真を ▲東八道路の角を曲がり、明星学苑を目指す。 どこから撮ったかわかりますね? 正面はかつて南側にあった栄町交番。 (●) ▲第三現場~学園通りのデルタ地帯には当時から残る民家や会社もある。 写真上もその ひとつで(地図●)この辺に関してもサトハチ氏が異常に詳しく、地図片手に確認していた。 下は明星学苑角の交差点、広い歩道やベンチ、とても清潔な公衆トイレがある。 (●) 残念ながら緑のゴミ箱は消えてしまうが、市民生活のために惜しみなくお金が使われて いて、とても住みやすそうな街、という印象を持った。 ●次回こそいよいよ犯行現場です! つづく
2010年01月29日
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●多磨農協に四回目の脅迫状が届いた 6月25日朝7時過ぎ、全回の踏切付近の 会社員宅の板塀に新聞を使った脅迫状が 貼られているのを家人が発見。 2時間後には今回最初に向かった西武多摩 川線多磨駅構内にボール紙に赤い字で書か れた脅迫状が貼られているのが目撃される。 これは何者かが持ち去ったため、詳細不明 との事だがなるほど、改めて資料本を読み 返してみてもこの件に触れている物は意外 に少なかった。 ★脅迫関連一覧 第三回 西武多摩川線多磨駅 ~ 多磨駐在所 ~ 京王線府中駅 ▲多磨駅は昭和4年、多磨墓地(現・多磨霊園) ▲2000年に東京外語大が府中に移転した際、 の最寄駅の「多磨墓地前駅」として開業。 駅名を「東京外国語大学前駅」に変更しよう 2001年「多磨駅」に改称。(最下段地図●印) とした所、周辺の墓石業者の猛烈な反対に↓ ▲あって実現しなかったが、その後、大病院の ▲その1時間前にはやはり赤色ぺんてるパスで 府中移転が決定し、「縁起が悪い」からか 新聞に書かれた脅迫状がここの郵便ポストに 駅名から「墓地前」の3文字が消えた。 投げ込まれる。各場所は、さながら「見学 駅から多磨霊園への道中には墓石店が並ぶ。 コース」のように並んでいる。 (地図●印) ▲多磨霊園はもう目と鼻の先、角を過ぎると ▲先の脅迫状事件のひと月後の7月25日、 いきなり多磨駐在所のおまわりさんと目が ここに男の声で「近くに爆発物を仕掛けた」 合って驚いた(笑)彼が仁王立ちで睨みを との電話が、また8月22日には「果たし状」 利かしているので正面からの写真は断念。 と書かれた脅迫状が届いた。 (地図●印) ▲さて、多磨霊園を後にした一行は、この後 ▲ご覧のようなスゴイ人出で列は一向に進ま タクシーの相乗りで2km南西の京王線府中駅 ない! 本殿到達は早々にあきらめ、記念 へ移動、井上氏と急遽参加のT.K氏との合流 写真を撮って引き返す。左から風月堂氏、 前に 「大國魂神社」 にて初詣及び、事件の すぃけ~だ氏、ヒゲをたくわえてる私(笑) 早期解決(笑)を祈願しようと向かったが・・ サトハチ氏、撮影。 (地図●印) ●次回はいよいよ犯行現場方面へ向かいます! つづく
2010年01月22日
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●多磨農協への5回目・最後の脅迫状を 届けるよう指示され、拒否したのは白糸 台に住み、事件の最有力容疑者といわれた S少年が通っていた明星高校の教師だった。 農協から手紙を置いた甲州街道脇までの 距離は1kmあり、普段歩きなれない足には ややしんどかったが、手紙の場所から 教師宅までも300m以上ある。 手紙の置き場所周辺の、もっと近くの 民家を名指ししなかったのはなぜか? やはり偶然ではなかったのか?? 第二回 A教師宅付近 (旧興亜土木) ~ 朝日町通り ~ 多磨駅踏切 ▲正面奥が旧「興亜土木」で、現在は他の会社に変っている模様。 空き地は興亜土木が 借りていたのか「国有地」とする話もある。 「会社員T方」はその背景にある家ではなく、 画面右手の甲州街道下になる。 ここも現在は家が変り、別の方がお住まいの模様。 下の方では風月堂氏が事件とは関係ないものをカメラに収めている(笑) 関連記事 ▲集合場所での目印は「青いジャンパー」だった ▲石段自体は古びていたが、当時モノか? のに「白いジャンパー」を着て行った私(笑) (画像内文・「刑事一代」新潮文庫より) 教師宅はこの奥だが歩くと意外に距離があった。 (最下段地図・●印 → ●印) ▲白糸台から朝日町通りへ出ると、広大な敷地に ▲一行は東京外語大前の路地を折れ、この 「お台場か」と見紛うような建物がそびえ立つ。 ブログに幾度か登場した西武多磨川線多磨 かつての「関東村」跡地の警察大学校である。 駅(当時・多磨墓地前駅)南の踏切を目指す。 それにしてもゼイタクすぎやしませんか? (地図・紫矢印) 関連記事 (地図・●印) 関連記事 ▲下町情緒あふれるせまっ苦しい歩行者・自転車専用踏切。反対側より。 ▲画面奥が多磨駅。 ▲左の「VOW!」な物件は旧・興亜土木前で発見。 ●次回は多磨駅前から脅迫状を投げ込まれた 「府中は男性の比率が多い」という意味か? 歯科医へ進み、多磨駐在所で警察官にガンを 飛ばし府中駅へ逃走(笑)、大混雑の大國魂 右の踏切警報機のトラメガはサトハチ氏によ 神社・・ほかをお送りします。 ると、事件当時盗難されていたという情報が あるらしい。見るとやはり、「TOA製」だった。 (写真・2、3、5、8枚目撮影 / すぃけ~だ氏) (つづく)
2010年01月14日
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さて、三回目となりました三億円事件・ ゆかりの地を訪ねる恒例の物好き企画、 「正月返上」。 今回はサトハチ氏の発案により多摩農協を 中心とした犯人の脅迫場所巡りに始まり、 第一~第三現場を南から徒歩でたどり、 立川グループの巣窟で盛大に打ち上げ、 燃え尽きる(笑)というものでした。 参加者はレギュラーのサトハチ氏、井上氏 私に、発顔合わせの風月堂氏とすぃけ~だ 氏、当日急遽ご参加のT.K氏の6名でした。 ★誰よりも早く富士山を発見するという能力において 私の右に出る者はいない。 (新甲州街道より) ★農協ほか脅迫関連一覧 第一回 多磨農協 ~ 綿新 ~ A教師宅 ▲ご存知、三億円事件における犯人の脅迫の中心となった多磨農協(現・JAマインズ多磨支店) 参加者第一陣の左からサトハチ氏、すぃけ~だ氏、風月堂氏。朝9時半に京王線多磨霊園駅に 集合、最初の目的地。 井上氏、T.K氏は13時に府中駅にて合流と相成った。(下地図・●印) ・・「初春や みんな仲良く 心霊写真」(笑) 建物自体は当時から変らず、改築を重ねて きたらしい。 もっと道路から奥まっているかと思ったがそう でもない。その道路は思ったより狭く、「競馬 場へ向かう車で渋滞した」というがなんだか 想像出来ない感じ。 現在はどうなのか? それでも正月だからとボンヤリしてると左右 から時折り車が飛ばしてくる。 かつて犯人が敷地内を伺い、脅迫状を置いた はずの場所はそんな事実は嘘のように、41年目 のおだやかな新春の日差しを浴びて輝いていた。 ・・「競馬勝ち 預けてみたい 農協へ」 ▲そこから裏手へ向かい、旧甲州街道を右折すると三回目の脅迫に利用された寝具店 「綿新」が 立派なビルとなってそびえ立つ。 農協は目と鼻の先で「なるほど、ここは 目を付けられるな」と感じる。 ビルは間口はさほどでもないが奥行きがある。 サトハチさんによるとこの辺の地主さんらしい・・。 (下地図・●印) ・・ふとん屋の 名まえにどうか 「エブリ寝具」 ▲犯人が農協へ脅迫状を届けるよう要請、それを ●なお、他の脅迫の舞台となった「府中ガスK.K 拒否した高校教諭宅も存在していた。「昭和な」 西部(営)」「同・本店」(跡)は調査コースから 趣きだったが当時の佇まいのままなのか? 遠いことから又の機会に。その他、「つくば観 (詳報は次回)(地図・●印) 光会社」なども時間の都合で省略しました。 (つづく)
2010年01月08日
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本年もアナロブログをご愛読いただき、 ありがとうございました。 正月返上大捜査 Vol.3 あなたもご参加を!! ●さて、余りにも急な告知ですが、恒例の「正月返上!再捜査」が 以下のスケジュールで決定しました。 ●日程作成・サトーハチロー 今回はアナロブログ読者のあなたもご参加いただけます! もし、「わたしも行きたい!」という変った方が いらっしゃいましたら(笑)、ぜひご参加お待ちしております。 ★期日 / 2010年 1月2日 (土) 交通費・飲食代は自己負担 (捜査車両が使えないため、電車や徒歩での移動です) 1)多摩農協を中心とした脅迫場所巡り 2)府中駅近くの大國魂神社(初詣、及び事件解決を祈願) 3)変わり果てた第3現場にて一同、感涙にむせぶ 4)立川周辺を荒らしまわる(ウソ)・・ (以上、予定) 1) → 2)→ 3)→ 国分寺駅 と進み、最後は 立○グループの巣窟である立川駅の歓楽街(の名残)で 飲みましょうか?途中、徒歩がツラくなったらバスや タクシーを使いましょう(笑) 京王線 多磨霊園駅からのご参加 → 9:30 改札口集合 京王線 府中駅からのご参加は → 13:00 南口集合 JR 立川駅からのご参加は → 16:00 南口集合 ※時間変更の場合あり ◎参加希望の方はなるべく事前にお名前、携帯番号、 参加場所をブログ・トップページ左の「メール」内・ 「メッセージを送る」よりお知らせ下さい。 (時間がずれた場合などの連絡の為) ★目印は「茶色のハンチングに青いジャンパー」の 「少年ジャンプの海賊マークに似た男(予定)」です(笑) ●現在までの参加者 (敬称略) オアシス地球 / 井上元宏&フレンズ / サトーハチロー / 風月堂 / すぃけ~だ / ROM専 T.K (なお今年、ツッチー刑事は実家で芋煮会(笑)のため欠勤) まったく、ヘンな時期の開催ですみませんが、多数の ご参加をお待ち申し上げます。(※この記事、後日更新あり)
2009年12月29日
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★さらに大きく、豪華になりました。 日産セドリック ●今回は、やはりもこさん御提供の写真で「日産セドリック1900カスタム(30型) 1963年製・後期型」。 三億円事件では言わずと知れた「現金輸送車」。 残念ながらこれも色は黒ではなく、メタリック系のブルーのようです。 ▲スタイルはもちろん、室内・インパネ周りもアメ車の影響がかなり強いですね。 オーナーの方はかなり今風の装備を積んでらっしゃるが、オーディオはやっぱり「8トラ」。 ★あっ、「多摩 5」ナンバーが・・
2009年12月25日
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★今だ現役・「プラス100ccの余裕」 ~ カローラ生誕43年 ●去る11月28日に神宮外苑の聖徳記念絵画館前で行われた 「トヨタ博物館 クラシックカー フェスタ in 神宮外苑」に三億円事件の 犯行に二台が使用されたあの 「トヨタ カローラ KE10」 が登場!! すばらしい写真のご提供とレポートは「もこさん」。 現金輸送車、 「日産セドリック1900(30型)」も後日掲載します。 ●もこさん、ありがとうございました。 ★もこさんの「交通ルール啓発ブログ」 ▲コネクターらしきものに 目が行ってしまうのは 私だけだろうか?(笑) ●なお、このカローラは 「三億円事件を番組で 取り上げるので車を借 用したい」とテレビ局 から依頼があったが、 「色を緑に塗りかえる」 ことが条件だったので 貸さなかった、という エピソードがある。 あの「草色カローラ」役を 逃したわけだがそりゃ~ イヤですよねえ。こちらはサトハチさん御提供の カローラの新聞広告だが、 なんと事件当日の掲載!! 上、1100、2ドア・デラックス、 下、スプリンター(デラックス)。 " 若返り旋風 "を「三億円 事件」に置き換えたかった が、やめておきました(笑) 価格はやはり現在の300万 以上、といったところか?
2009年12月18日
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本日、発生41年!! ★変わりゆく ゆかりの地 3 「東京懐かし散歩」で見る 国分寺 ~ 府中 ● 「昭和・大正・明治の地図でいく 東京懐かし散歩」 (赤岩州五・交通新聞社) ・・なる本を図書館でパラパラめくっていると 「逃げて府中 ダービーと三億円」の タイトルで筆者様が古書店で見つけたという地図が解説入りで掲載されていた。 (「逃げて府中」で「飛んでイスタンブール」を連想した 笑) 表記がないそうだが昭和38年頃と推測され、「押切間」「八幡前」など初めて聞く町名が並ぶ。 まだ武蔵野線がなかったり、北西の国分寺第四小の位置が現在と微妙に違ったりする。 第二現場や国分寺駅周辺の道路が省略されているのがちょっと残念。 現金輸送の「Bコース」が設定できません・・(笑) (詳しくは本書をご一読ください) ●東芝町 / 昭和15年に東芝府中工場が竣工。昭和36年に所在地名が東芝町となる。 三億円事件で奪われた現金は府中工場へ運ばれる予定のものだった。 ●貨物線 / 明治43年、東京砂利鉄道として開業した。 昭和48年、府中 - 新松戸間が武蔵野線として開業。 ●学園通り / 昭和43年12月10日午前9時20分頃、白バイの警官を装った男が 現金輸送車を停止させた。) ●府中刑務所 / 昭和10年、巣鴨より移転。 日本最大の刑務所。(以上、原文のまま) ▲こちらは同書籍に載っていた昭和45年、上地図から七年後、三億円事件から二年後の地図。 西元町、東元町などの町名は昭和39年の市制施行時からではないかと思われる。
2009年12月10日
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臨時増刊号! ★変わりゆく ゆかりの地 2 偽白バイ出撃場所 第 三 現 場 (府中市 栄町 2-11) ●「第三現場」といえば、三億円事件において犯人が緑色のカローラを 乗り捨て、偽白バイで犯行現場の府中刑務所裏へと「出撃」した場所。 事件後は東八道路が開通し、空き地はガソリンスタンドになっていた。 今回、ここの近くにお住まいの「近所のものさん」より、「スタンドが取り壊されて 更地になった」という情報をいただき、写真も送っていただきましたのでここに ご紹介するものであります。 近所のものさん、ありがとうございました。 まず左の小説男氏撮影の 写真(70年代前半)と比較 していただきたい。 正面・奥の家は東側の三角 屋根部分を増築しており、 右手奥の家も屋根のライン が同じで大きな変化はない。 上写真手前の東八道路は この土地をかなりの部分削り 取っている。白バイ・カローラ の位置を何とか特定したい のだが(笑)思ったよりも 東八側であるらしい?? 旧・ガソリンスタンドは 残ったこの土地いっぱいに 建てられていたようだ。 ★第三現場・過去記事 1 2 3 4 ▲左は「三億円強奪事件 ホシを追い続けた七年間の捜査メモ」の図を天地逆にして簡略化。 「大栄ストアー」は貸店舗とアパートとして、「富士商会」は「りそな銀行」のATMなどが 入る立派なビル(左下写真・中央奥)となって今も残る。 ▲脇道を逆(南)方向より。 ▲事件当時! 動画 「犯行再現映像」 より ▲クロベエ氏より3年前にご提供の写真。 窓が開いてます・・ ●「近所のものさん」によると、スタンド跡地はチェーン系の牛丼店になるらしいとの事。 (Y家かS家でしょうか?) 近いうちにこの牛丼店で事件に想いをはせながら、牛丼を ほおばってみたいと思っています。 いや、「牛鮭定食」がいいな・・・
2009年11月21日
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臨時増刊号!★変わりゆく ゆかりの地 1 ヤマハ青バイク目撃場所 大 政 寿 司 ●またしても 「マニアックすぎる」 ネタで恐縮ですが・・(笑) 犯人の物らしきヤマハ 青バイクの目撃地点で ある京王線・高幡不動 駅前・「大政寿司」の 写真を今年3月に送って 下さったすぃけ~だ氏 より、その後また店舗が 改装されたとの情報を いただきました。 ▲まるで「高級割烹か!」 と見紛うばかりの外観に。 なんか政治家のセンセイ方が 秘密の会談なぞ持ちそうな 雰囲気ですなあ ??(笑) 09年4月11日の記事より すぃけ~だ氏撮影の写真。 (2009年 3月30日 撮影) どうやらざっと10年周期 くらいで改装なさっている 模様ですね。 09年3月31日の記事より Mont Akagi氏撮影の写真。 (1992年 10月30日 撮影) しかし、大政寿司の方が このページを見たら驚く だろうなあ(笑) これに1968年頃の写真が 加われば、「40年間の お店の歴史」が完成する んですけどねえ。 ●次回は ---- 「近所のものさん」 御提供による 「第三現場のその後」 をお送りします。
2009年11月06日
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臨時増刊号! 近藤昭二氏に会った! ●8月の14日・・だからもう二ヶ月近くも経ってしまいましたが、かねてからおなじみ、 平成の怪人・井上元宏氏より「近藤昭二先生に会わせてあげます」とお誘いを 受けていて、やっとそれが実現したのでここにレポートしておくものであります。 近藤昭二氏といえば、フリーの脚本家、ディレクターとして「ニワトリはハダシだ(2003)」 「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言(1985)」 「ロケーション(1984)」 作家・ジャーネリストとして『月食の迷路』(文藝春秋)、『捜査一課・謎の殺人事件簿』 (二見書房)などの著書があり、私には何と言っても 「今明らかになる!衝撃犯罪と 未解決事件の謎」(二見文庫・下写真)の著者としてなじみ深い方である。 実はこの本こそ三億円事件関連としては私が最初に読んだものでもある。 ・・待ち合わせした居酒屋は都内・某所ということだったが着いてみると神奈川だった(笑)ミーハーな私は本とマジックを持参、サインをお願いしたのであった!裏表紙にデカデカと書いてもらおうとしたが井上氏に「こすれて消えてしまう」と有難きアドバイスを頂き最初のページに。サトハチ氏も別の著書にサインしてもらってたゾ!ミーハーだなあ(笑) 遅れていくとすでに井上氏、サトーハチロー氏と先生で「三億円事件再捜査会議」は 始まっていた。先生は焼酎をゆっくりとたしなんでおられた。幾多の修羅場を潜り抜けて きただけあり、さすがにその眼光は鋭く、どこか近寄りがたいオーラを放っている気がした。 話題はやはり「S少年関係」が中心になる。 とにかく、井上氏から超・マニアックな質問が飛ぶ。私にはチンプンカンプンである。 先生はその一つ一つに「う~ん・・」としばし考え込まれる。何しろ事件からは41年と いう気の遠くなるような時間が経っているし、ひとつ答えを導き出すのも容易では ないようだ。 ・・それにしても注文した「中ジョッキ」が遅い・・(笑) 話の内容は残念ながらここには書けない事ばかりだが、うれしいニュースをひとつ。 現在、先生は三億円関係の決定版ともいえる新作を執筆中とのことで、来年には 刊行予定とのこと。かなり「踏み込んだ」内容になりそうなので期待したいと思います。 こうして片道の所要時間2時間半、滞在時間も2時間半(笑)あっという間に時間は 過ぎ去り、井上氏に圧倒された私は用意した質問をするのを忘れてしまった。 またの再会をお約束してこの日はお開き、となったのであった。 ▲サトハチ氏が事件当時の「毎日グラフ」(1968年12月29日号)で発見した"あまりに 昭和すぎる"「第三現場入口」。 現在は「東八道路」に寸断され、見る影もない。
2009年10月10日
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