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テーマ: ニュース(100297)




三億円事件 
こだわり続ける元捜査員 【 前 編 】
戦後史開封(昭和4  戦後史開封
 昭和40年代編


    扶桑社文庫
  750円 送料無料
 (オリジナル版は絶版)

「戦後史開封」(同取材班・編) 産経新聞社 扶桑社(1995年 1月)より一部を掲載・敬称略


「犯人の知られざるアジトが国分寺市の恋ヶ窪にあった---。

奪った現金をそこで何かに積み替えたのだ」  と、今もひとつの確信にこだわり続けるのは、
  事件二ヶ月後の昭和44年2月から45年5月まで警視庁捜査一課係長として特別捜査本部に
  詰めていた 齊藤訓正(68) (以下、年齢は1994年当時)だ。
斉藤がその「恋ヶ窪」にこだわるのはなぜか。

「犯行現場離脱を急ぐ犯人は、現金を積み替えた第二現場から真っ直ぐ第四現場の本町
  住宅へ向かったというのが定説だが、一旦は小金井とは逆方向に向かったのを、近くの親子
  連れが目撃している。つまり、犯人は右折しても左折しても大差ない所へ行こうとしていた。
  それは地理的に恋ヶ窪しかない」

   犯人の車を目撃したのは国分寺市東元町の農業、 本田正一(78) 達雄(47) の親子。
  車で東へ向かっていた二人は、T字路の現場で右(南)方向から方向指示器をつけずに
  突っ込んでくるカローラを見つけ、曲がり角の前に車を止めた。
                           12月にしては珍しい土砂降りの雨で、辺りは暗い。 

   達雄は、  ”座高が高く顔の長い男がカローラの運転席に
身体を斜めにするように
座っていた” -- のを記憶している。

「一度は左折しようとして我々の車にぶつかりそうになり、一旦バックし、今度は右折して
   猛スピードで去っていった」

斉藤は、この「出合い頭」をもっと重視するよう捜査会議で何度も主張した。しかし、発生直後の
  有力情報の氾濫や、捜査上の余裕が少ないとの理由でなかなか受け入れられなかったという。


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     七つ道具で睨みをきかせた。 (昭和41年5月) 「決定版 昭和史 16 昭和元禄」  毎日新聞社より



「第四現場の本町住宅に運んだカローラの中で金をトランクから抜き取ったという説も根強かった
  が、車中は狭いし無理があった。恋ヶ窪のアジトで作業を済ませ、空きトランクごと団地に捨てに
  行ったのだ」
と斉藤は推理する。

   しかし”アジト”はとうとう発見されなかった。 捜査員の中にも 「恋ヶ窪重視論は推測の域を
  出ないのでは」
という声があった。だが 、「捜査初期は情報、捜査材料が多すぎ、本当のポイント
  を見逃しかねない状態に陥っていた」
という斉藤の胸中には、 「もう少し早く恋ヶ窪に目を向けて
  いたら」
との思いがよぎる。同時に、 「自分の捜査方針が正しかったのか、今となっては分から
  ない」
ともいう。



   事件発生時の警視庁機動捜査隊長で、44年4月からは捜査一課長として陣頭指揮をとった
武藤三男(77) 「犯人はいくら運ばれているかを承知して現金輸送車を狙った。状況からみて
  それは間違いない。けどね、三億円なんて普通、強奪されるって考えられる額じゃなかったよ」

   事件から5年もたった49年3月から捜査一課長の 南雲寛治(74) は、当初の「これはいただきだ」
  という楽観ムードとは全く逆の展開の、何とも「気が重い」状態で事件を引き継ぐことになる。  
「今後どう捜査を進めたらいいのか、見当もつかなかった」 と振り返る。

   奪われた巨額の金の行方もさっぱり?めなかった。 50年5月から捜査本部に投入された
石井千代松(68)は 、金が動きそうなところは微に入り細にわたりチェックしたと強調する。
「大変な金額を強奪した犯人がそれを捨てたわけはないが、百万円以上の金が動いた
  形跡がないんだ」


  三億円事件以前、戦前戦後を通じて現金強奪事件での最高被害額は昭和40年9月、
  青森県弘前市の青森銀行弘前支店前で起こったひったくりの「三千百万円」。
  多額とはいえ、三億円事件の十分の一。 犯人は約二ヵ月後に捕まった。

                                                     (つづく)





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最終更新日  2010年12月13日 16時33分11秒
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