11月26日(火)
近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(100)
岩波書店藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。
(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。
「若き歌人らに」(1)
歌を作るものの生活は硝子ばりの中の生活です。
ここではすべての姿がむき出しです。すべての姿がむき出しであると共にすべての姿をかくすことが出来ません。ここでは嘘が言えないと同時にあるままの真実以上が語れないのです。吾々はこうした点に立って作歌しているのです。歌とはそう言う文学です。もう少し考えて見ましょう。言う迄もなく短歌は型のきまった小詩型です。吾々の先人はこの詩型の中であらゆる事をこころみたのです。この中に虚構を盛ろうとした事もあれば、何か空想的な夢の世界を持ち込もうともしました。あらゆる文学のイズムがこの詩型でこころみられました。明治以後の短歌史だけをふりかえって見て
もよいでしょう。そうして、其の場合何が出来たのでしょうか。すべてが今はほろんでしまい、忘れられてしまっいました。何故でしょうか。いかなる試みも、この短詩型では、 きざ と言う手痛い報復をして来るからです。他の、あらゆる文芸型式にもまして、短歌では きざ であることが致命的です。 きざ であることが作品の生命をきめてしまう文学なのです。何故なのでしょうか。答えは堂々めぐりをするがたった三十一音の小詩型だからです。それは人間の生命のある頂点に於いて、感動を短く切り取る文学であるからです。せっぱつまった声を、そのまま切りとる文学であるからです。言いかえればここでは一人の人間の生ま身な声の直写しか行い得ないのです。これほど作者と作品のぢかな文学はないのです。文学としての営為は、感動のどこをいかに切りとるかと言うことと、とにかくそれを定型詩としてまとめるだけです。それ以上のことはすべてこのぢかな精神営為の間からはみ出してしまうのです。少しの不純、少しのみぶりもこ
こでは作品からみにくくはみ出てしまうのです。それが作品の きざ となるのです。
(つづく)
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