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テレビで、川越のうなぎ屋で、必ず出てくる「○○○屋」に行ってきた。四千円はウナギが二枚、六千円は三枚。薄くしかれたご飯に、痩せほそったウナギが並んでいる。タレも薄味。僕がこの有名ウナギ店で食べたのは五六年前だろうか。その時にも感じたのは「あれ前と違うな?」だった。今回も、さらにそう感じた。もっと言うと、恩師がお元気なころだから四十年前の話し。恩師とお弟子さんらと「川越祭り」を見学した時のこと。川越祭りの質問を先生からされて、お弟子らはタジタジ。兄弟子はと言えば国立大学の教授だったりで、僕は二十は離れる末席の弟子でペイペイの若造なり。老舗うなぎ屋の場所も店内も先生は覚えている。ウナギの良し悪しは「白焼き」で分かるとか。先生は白焼きとタレの二種類を注文。我々はと言えば、先生に質問されたらとんでもないことになるのを知っている。だいの大人が人前でも怒鳴られるのだから、ウマイもマズイも分からん状態。“前に来た時とは変わりましたね”とひと言。どちらも半分も食べずに下膳。やばそう!我々はと言えば、その雰囲気から早食いをして逃げるように店を出た。後日、レッスンに伺うと、レッスンではなく、川越祭りやウナギの話しになった。家に帰れば中学生の子供がいる年齢。先生のレッスンは地獄なりの大汗、真剣勝負ですか。こんかい、お土産を買った。紙袋は真っ白。店の屋号などの印刷がない、真っ白、どこかで買ってきたような紙袋だった。何代もつづき、テレビでも放映され、外国人でごったがえし、何もしなくても客の方から押し寄せるのだから「左うちわ」ですか。残念な現実を見て来ました。四千円のウナギを食べて後悔。四人の人にあげた方が良かったと。
2024.11.30
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なんとなく「年間固有」を見ている。しばらく続けようと思う。我が教会に行ってきた。教会の外には「ド派手」なクリスマス装飾がされている。これでもか、これでもかと言いたそうに、まぁ~日本人にはない発想だね。誰がやったのか想像できる。ミサでは、ベトナム人信徒が御御堂がいっぱい。教会に行ってきた。「教会維持費」の袋を取りに。我が教会の信徒は何人ぐらいなのか?百人か二百人か、じつに小さな教会で、本来だとアットホームな、居心地のイイ教会であるはずだが、僕的には真逆ですか。だから、年に一度か二度、つまりクリスマスと復活祭くらいか、聖母被昇天ミサくらいかなぁ~行くのは。ミサに与って不快感をもって帰宅するのだから行かない方がイイとなる。みなさん、何も感じないのかなぁ~、大人だから黙っているのかもしれない。ミサの中で聖歌隊?が歌う。聞くにたえないフルートの素人演奏を聞かされ、聖書朗読では義務的朗読であったり、どれを見ても謙虚さを感じない。見え見えで自己主張と言うか、神への賛美よりも自身への賛美かな、そんなふうに僕には感じる。まえはこんなじゃなかったと思う。時代かなぁ~「教会維持費」は信徒の義務であたりまえだが、半年まとめてということになる。信徒の名前がずらりと並んでいるが、数えてはいないがもしかすると百人いるかいなかいかな?カタカナの名前をさがすと十人いないかなぁ~。あれぇ? 日曜のミサには外国人がいっぱいになるのに?そうか、「教会維持費」は払っていないんだ。ミサの中で献金するから、これが外国流らしいが「郷に入っては郷に従え」で払うべきだねぇ~色々な意味で、これら外国人信徒の何かしらの負担を、日本人信徒がすると言うことになるのに。神父はこの辺のことを考えてくれないと。カトリックの信徒は「紳士」だから物申さない。この態度が悪い方向に向かうんだよね。はたしてこれでイイのかなぁ~こんなことをしているから信徒離れになるのに。
2024.11.30
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鳥は食べ物があるから来る食べ物がなければ来ないただそれだけ鳥は感謝をしない人も感謝を求めないウインウイン
2024.11.29
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三島先生のことを少しブログに書いたのを、また聞きで連絡いただいた。僕の墓参りはコロナ後していないが、その知り合いは行って来たという。僕とは系列違いなので共通点はほとんどないが嬉しい限り。なんだかある種の動きがあるとか、僕は野に埋もれた存在だから遠慮した。精神だけだが、それでも一代限りです。
2024.11.28
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きょう26日は葬儀にワイフと参列。高齢になると参列者も数えるほどになるようだ。2019年11月22日は中国武漢市で怪しい病気が出たとか出ないとか、みるみるうちに全世界に広がり生活困窮におちいり今にいたる。独裁主義は悪魔の巣窟で、絶対に忘れちゃいけない。同年翌日の11月23日にはハレルヤ!ハレルヤと大騒ぎ。中国の病気のことは知らずにハレルヤ連呼の平和ボケ日本国民。パパ様がきて新しいミサのあり方?みたいなイヤな予感を僕は感じた、あぁーこれまでか、と。あれからもう五年になりますね。1970年11月25日には、我が人性で大ショックを受けた、54年前、僕が結婚して二年目。あぁやっぱり、これだったんだと、三島先生が45才で割腹した。あの衝撃は僕には今もなお強く記憶している、思い出もたくさんある、一緒に歌をうたい、お客さんの前で先生が歌う伴奏もした、結婚して丁度一年経った頃のことで、クラシックかジャズかと悩んだ時で先生からアドバイスをいただいた頃だった。わざわざお店に真剣を持参して下さり、日本刀の見聞きを伝授いただき、真剣での居合を始めた。僕の弱点は決断だと先生に見抜かれていた。銀座に銀巴里があった頃の話しで55年近く前の話しですか。
2024.11.26
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きのう24日は「王であるキリスト」の祭日だった。今週は詩編配分第2週だが、25日は「年間固有」の「王であるキリスト」1209p.にページが飛ぶ。あっちを開きこっちを開きそして戻って、なんてややっこしい。僕もそうだが、高齢者だと聖務日課が難しくなりますか。きょうからまた通常の第2週に戻りました。30日の夕方から、また第1週にもどり「待降節」が始まります。待ちに待った待降節です。待降節になると思い出す。草津の信徒さんが2017年の春に、体調が悪くなり、“待降節まで頑張らないと”と言ってたんです。とんでもない仕事?が舞い込んで、人を信用して、ロウソクの炎を短くした。質問者が有名な映画監督という筋書きで「ハンセン病を語る」記録を作る企画でかんせいした。なんせ映画監督が作るのだから。しかし、僕的には僕の感では「アヤシイ」と思ったんですが、結果的には僕が正しかった。最後の最後の土壇場で彼が断わって終わりとなった。そんなことで人生を短くし、待降節どころじゃぁ~なくなって7月に88才で召された。待降節を迎えると彼を思い出します。もう少し生きて、ハンセン病とハンセン病療養所内の教会のことを発言してもらいたかった。
2024.11.25
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ハンセン病療養所に入れられると、基本的には死ぬまで。煙になって家に帰るということ。せめて死ぬときは読経の中で。国立だから宗教はオハット。だから望むなら自分たちで寺社を建てるならその場所を提供しましょうというのが国のスタンスなり。温泉で知られる草津には聖公会が古くからあったので英国教会のライ信徒さんがいた。プロテスタントとカソリックはいない。そんな中、三人のカソリック教徒が転園して来たがここには教会がない。教え的に近い聖公会に入ることになる。なぜなら、死は平等にあるのだから。草津療養所に一人のカソリック看護婦が来た。それでカソリック信徒の居ることが知られるのが始まりである。近くの教会まで車で一時間半。そこの下部組織となって、司祭と信徒が来るようになった。教会の組織上、上の教会から司祭が来ることになる。なんせ、療養所の存在そのものが世間では知られず、高い塀におおわれている不気味な施設。門には監視員がいるし、門の前を通るとイヤな臭いがする、が住人のササヤキ。この三人の信徒の存在を知り、司祭は来ないわけにはいかなくなった。この教会の教会維持費は上の教会に信徒義務として出すわけだ。出すのは当然だが、ここで亡くなると、常識的には上の教会からお花が届いても不思議はない。が、ここでは、それすらなかった。「花一本こなかった」と聞いた。僕が訪問しだした35年頃まではそうだったと聞く。そのころでも、司祭と同伴の教会役員一人程度だけ、雪の季節は雪を理由に来ない。信徒の交流なんぞはとんでもない話しである。この教会に信徒が来だしたのは、ハンセン病裁判で世間に知られるようになってからである。この教会の歴史も知らずに、である。
2024.11.25
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遠距離電車で面会に来た人がいる。何度かあった記憶がある。とは言え、食堂での会話くらい。ライ病が遺伝と誤った流言飛語が本当に感じる病者の家族がいる。父親は死んだと聞かされ社会人になってすぐに、療養所にいると母親から聞かされ、療養所を訪ねたのは50数年前。このころだと患者さんが千人はいたころで、治療も環境も意識もまだまだ十分ではない時代。二十歳にもならない女性が療養所を訪ねる情景がなんとなく理解できる。父親の顔はおかされてなく娘に似ていてすぐに分かったとか。僕の療養所訪問はその十年後だから、まるで違う療養所環境だが、それでも今思い出しても厳しいキツイものを感じるし、吐き気さえ覚える環境だった。多少は共通点が見いだせて会話をした。これ以上は話せないが、あの頃を知らずして、今の療養所の環境だけを見て感想を述べる訪問者には抵抗感がある。そりゃそうだ。医者付き看護婦付き介護人付き、食事は上げ膳据え膳で掃除から何でもしてもらえるんだから、はた目には、裁判前の療養所を知らないと“幸せてぇ~”と口から出ても不思議はない。教会も同じですね。
2024.11.24
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ハンセン病を知らない人はいないだろう。久しぶりに宿泊施設が同宿だった。ハンセン病療養所だけに、何とも言えない雰囲気を感じる。同宿の時、入所者さん親族だと、なんとなく気まずい。言葉を選ぶ。親族でないと、これまた腹の探り合いのようで・・・親族関係者の面会以外なら、ここに何をしに来たのか?ということになる。観光地とは違うのだから。僕の今までの感触では、ハンセン病が学位論文のテーマに安易か、当然のことながら、医師看護婦の学生だったり、さらには、ハンセン病者への思いやりからか訪問し共に生きましょうなんてお節介自己欺瞞の輩である。ライ病を研究し論文にする。これって書きやすい研究テーマ。いまさら聴取しても、入所者さんは平均年齢八十過ぎ、ライ病の真実実態を語るには歳をとり過ぎているから、ライ者自身も真実を語れない年齢にある。共に生きよう、なんてご丁寧にお節介をするグループもある。名刺まで作って。療養所には元気なライ者がもう少ないし、そんな訪問を歓迎しない現実にある事に気がつかないお節介者である。これはたちが悪いし「誤解」される可能性が大きい。物忘れがひどく、被害者意識がひどく、物がなくなったりと大騒ぎをする患者さんもいる。こんなトラブルを抱えている。それなのに「共に生きよう」なんて大きなお世話である。心当たりのある人は気を付けてもらいたい。僕も含めて、ライ病療養所にいるライ元患者さんは我々を必要としていないということです。むしろ、そっとしておいて欲しいということです。介護や面倒は専門の介護看護婦や医者がいるのですから。療養所からすると、こういった社会のお節介者は迷惑なのが実態です。
2024.11.22
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クリスマスの飾りつけをどうしようか?誰の口からも、なにも出ない。重い雰囲気。老女信徒が言った。「イエス様はどこでお生まれになったか?」誰もがホッとした、だろう。コロナ前の11月のミサ後に飾り付けをしていたのに。去年から飾り付けはなし。イイと言えばイイが、シャバの教会の真似事くらいはしたいよね、心情的には。誰の口からも、なにも出ない。これが現代のカソリックの姿なり、でしょう。さらに言うなら、幸せな人だけが集まる。イイたくはないがイイたくなる。
2024.11.21
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草津の療養所に一人残されたカソリック信徒さんは89才。一人して教会を守っている。湿気が激しく御御堂はカビが舞っている。毎日、窓を開け、それも湿気と老朽で窓がなかなか開かない。全てがカビだらけ。庭の花を祭壇と御像に飾っている。家から教会まで歩くだけで汗だく。帰って着替える。たった一二分歩いただけで汗だくになる、こんな老女なのに、会いに来る人が結構いるわけだ。九十になる老女に対する配慮はみじんもない。こんな面会は老女には苦行ですね。みなさん、そんな配慮をすべきではないか?見ていてそう感じるのは考え過ぎか。ベンツに乗ってハンセン病施設の中にある教会に来て、ハンセン病には無頓着。教会やハンセン病の話しを聞くでなく、○○神父様にお会いできて嬉しい! なんておべっかを言って、ただ帰るだけじゃぁ、ここに来る意味があるのだろうか。
2024.11.21
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13日に草津教会で「死者の日」のミサが終わったばかりなのだが、来月11日に二週間も早く「主の降誕ミサ」がある。今年は、日中ミサの準備を早めにすることにする。そろそろ忙しくなるので、今のうちに準備をしておかないと。主の生誕の祭壇には、小さな、家庭用の御像があるだけ。(ここにあった主の生誕の御像は、ある修道人にもっていった。なぜなら、罰当たりな言い方をすると断捨離かな。コロナ前は、羊飼いや動物もにぎやかに、ツリーなども飾ったんですが、人数がいないとできないの理由。)“馬屋の不衛生な場所でイエスは生まれた”というから、こんな飾りっ気なしの教会があってもイイかもしれない。そうは言ってもどうなんでしょうか。合点がいかない。なんの準備もしない。せめて聖歌だけでも、と思ってます。なんだか、やりきれない気持ちだけがふくらみます。せめて音楽だけでもと思いながらも、息子は演奏会、ワイフは疲れで草津には行けないし・・・音楽のないミサは寂しいですね。
2024.11.20
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きのうは、時間のやりくりをして、やっとパイプの葉を、電車に乗って川越駅前の店に買いに行ってきた。一週間、パイプの葉をきらし、普通のタバコを吸っていたのでノドが痛く咳がひどくで、タバコは確実に有害だと実感。この間、病院で処方された咳止めの吸入薬を吸入していたが、パイプに切り替えると咳が出なくなった。タバコがやめられない人は、パイプに替えることをお勧めします。親戚の家の庭に「柿」を獲りに行ってきた。大きい柿の木だから、目の悪い僕には難しくなってきた。それでも「欲」には勝てない。どうするの?そんなにとって?すきだから。ひとにはあげない。独り占め。「欲」のかたまりだぁ~まぁ~素直でイイかなぁ~まだこんな気持ちがあるうちは、創作ができそうです。
2024.11.18
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司祭の関係で二人の女性信徒がミサに来た。ミサ後の紹介で、軽井沢からだと聞いた。タバコを吸いに外に出るとベンツがあった。何しに来たんだろうか?司祭にあうために、ここ草津は近いから、だろう。神父様にお会いしたい。ただそれだけで、ハンセン病施設に来たんだろう。ベンツに乗って。まわりまわって、このブログの話しが伝わるかもしれない。そう願いたい。草津のミサは、ライ病で苦しみカソリック信徒になり召された信徒が残された教会。千数百人のほかの病者さんの霊魂のためのミサに来るのとは考えが違う。
2024.11.16
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ミサ後の信徒宅での会話で、今回は、一つの提案がだされた。日本人の若い司祭と言っても50過ぎ。草津教会のライ信徒の日を決めてミサを献げてはどうか?と。基本的には大賛成。いままでそう思いつつ、そんな話しを何度もしてきたことか。草津のライ療養所の信徒ばかりか、ここで亡くなった全ライ患者さんのためのミサと墓参。それに重監房跡地に、草津のバスターミナルからの徒歩。年に一度、そんな日が来るかもしれない・・・まぁ、僕は関係したくないが・・・
2024.11.15
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草津への150キロの距離がつらくなってきた。トイレタイムを一回くらいで三時間かかる。最近は、運転しながらの創作行為が難しくなってきたのを感じる。歳ですねぇ~実感。ただ単に三時間を運転するだけの時間の無駄と言うものです。そんなことを感じるようになりました。ミサは教会の信徒ひとり。初めて?の信徒姉妹が軽井沢から、出好き夫婦、北軽からいつもの信徒、元園の看護婦信徒、それに園のリハビリの先生二人。司祭二人と、助祭、聖公会司祭。もう少し、ここだけのミサ所作があってもイイのではと、つくづく思う。立つのも座るのも、「これ肉なり」の場面で鈴がなったり、ひざまづいたり、そんなことを常々感じています。大河の前の小言です。祭壇の前には小さな花があった。まるで墓参の花のようだ。出好き夫妻のやることはこの程度の感覚ですかね。いつもながら、日本人司祭と北軽信徒と彼女の家で一時間強の雑談。
2024.11.14
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昨夜は大雨。11月なのに。日本だけじゃないのだろう。雨災害に無縁な国や、砂漠に雨が降ったり、意識ある国だけが対策をしても地球レベルでないと解決しない。戦争をしたりイガミアイをしていては話しにならない。もう国際レベルの時代をむかえている。地球レベルでの話し合いができなければ、地球の終末しかない。自由か共産かの考え方の戦いがある以上どうにもならない。天使と悪魔の戦いですか。詩編150篇を見ていた。人間の最高の表現方法は、笛を吹き、歌をうたい、それに合わせて踊る姿ですかね。絵をかいたり文章を書いたり声を出して喜んだり、そうではなさそう。音楽が神様からの最高の贈り物ですかね。笛と太鼓とシンバルと歌とあるようだが、具体的な楽器は何だったんだろうか?と。僕は宗教にうといから想像もできない。
2024.11.11
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来週の火曜日は草津です。あれもこれもで、まだ準備もしていない。13日のミサは、17日の「年間第33主日」のミサになるが、2日の「死者の日」もかねることになる。ここん所が一番大事ですか。隔離されたハンセン病療養所の中の教会で召された信徒と、ここで亡くなられた一千数百人のライ患者さんの霊魂のために。司祭が二人、聖公会司祭が一人、終身助祭一人によるミサが月に一度、草津教会である。信徒は一人だけ。外部からけっこう来ますが、これが僕的にはイイ迷惑、教会だから「来ないで下さい」とも言えない。同じ教会と言っても、ここ草津教会は本来ハンセン病療養所内の病者信徒の教会だった。いまでこそ誰でも入ることができるが、隔離された時期は療養所の存在そのものが知られていなかった。だから、シャバの教会とは全く違う。その辺のことを理解しないで、紳士淑女が来るのだからタチが悪い。僕的には不快感を通り越すと言うことです。少しづつ、個人的にそんな話しを、来る信徒に言うことにしている。この教会の信徒さんは90ですもの。ゆっくりとミサに与る環境を作ってあげたいです。ミサが終わり、神父と信徒が話しをしている。それが楽しみでわざわざ来るんでしょう。この光景は、自分の教会ですればイイでしょうに。この教会の一人の信徒と神父が話しのできる環境を作ってあげないと。そんな不満をポロリともらしたのを何度も聞いている。だって、一番近くの教会から来る信徒でも車で一時間強、僕なんぞ川越だと三時間、東京からだと時間とカネをかけて来る意味が分からない。死者ミサの曲を「奉納」と「聖体拝領」で歌おうと思う。フランス人司祭と療養所信徒には懐かしい曲だろうが、ほかの人には歌ったことがない曲になりますか。ここ二・三十年前から歌われない聖歌です。今の曲と違ってイイ歌詞の歌が多いですね。
2024.11.09
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今日11月8日は、年間第31週。聖務日課は詩編配分第3週。4週で一巡、その繰り返し。人間と言うやつは、同じことを繰り返していると、言われたとおりだけでは満足しなくなる。聖務日課は詩編からなる。詩編は何冊も出版されているので、そのうち見比べもしたくなる。あれ!違うんじゃぁーねぇ~と言うことになる。何がイイのかワルイのか、何が正しいのか分からなくなる。仏典を初心者用に分かりやすくした!なんて聞いたことはない。原典をいじっちゃーイケナイよねぇ。きょうの「読書課」の詩編は三つに分けて詩編69篇が唱和される。だが、22~29節が抜けている。ぬかす理由があるのだろうが素人には分からない話し。今どきの文章は、ヒラガナばかりで読みにくい。詩編51の4節に「わたしを清めてください」とある。「清め」でなく「浄め」じゃないのかなぁ~。そんな事を言いだすといたる所で、言えばきりがないが、出版する前に精査すべきことじゃないのかなぁ~。おんなじ節で「あるもの」だkつたり「ある者」だったり、これってオカシクねぇー?「罪びと」とあるが「罪人」じゃぁ~ないのかなぁ~。同じ詩編51の18節に「あなたはいけにえを望まれず、はんさいをささげても喜ばれない。」とある。「いけにえ」は「生贄」、「はんさい」は「燔祭」と書かなきゃぁー、「ささげ」は漢字で書かなきゃね。それも「捧げ」か「献げ」かも書き分けないと。9節に「雪より白く」とある。僕は雪国出だから、雪とその白さを理解できる。詩編が作られた国も雪国なんだぁー同じ雪国なんだぁ~なんて考えたぁー
2024.11.08
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期待する間もなく決定。あっという間の横綱相撲。有識者解説者のあおりで視聴者は釘付け。とんでもない、はじめっから相撲にもならん横綱相撲。あのパフォーマンス的で人を傷つても平気な無礼な口の利き方。ショービジネスでは通用しても政治では如何なものか。世の中が求めてる政治なんですかね。黒人というが無理に黒人とイイ、両親が学者で環境にありながら無理に中産階級とイイ、同情を買う平民黒人女性と誰の目にも映った。元大統領でふざけた人間。女性がらみも、政治漏洩だろうが、扇動の黒幕だろうが、裁判中だろうがおかまいなし。まるで西部劇の悪役。ようは金の世の中ですか。金があれば何でもできると、子供たちも学んだでしょう。
2024.11.06
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世の中の流れが、「民主」か「共和」かで大きく変わる。これからの投票結果に注目してる。考えてみると、世界には女性のトップがかなりいますね。世界第一位の大国の大統領が、女性、それもインド系の。世界第一位の大国の大統領が、元大統領の返り咲き、大金持ちの好き勝手、成金的ですね、けっして紳士じゃァない。そんなことが許されるのが移民国のイイとこなのか・・・女性的政治で地球が平和になるのだろうか。共産独裁国の横行にどう対処するのだろうか。女性的権限で対応できるのだろうか。原爆のスイッチを押すだけの度胸があるのだろうか。戦争になれば、大統領の決定で若者が死の戦場に行くことになる、それにサインが出来るのだろうか、できるかもね、日本の女性法務大臣は絞首刑執行のサインを何回書いたか覚えてますか、それもカトリック信者です。いざとなると、女性は男性よりも強いかも。民主になるか、共和になるか。
2024.11.05
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ウクライナが悲惨。戦争だから当然の状況と言えばそれまでだが、両国間の歴史があるにせよ、いきなり侵攻されてのウクライナは気の毒。地獄絵ですね。地獄の黙示録。自国の軍事力では思い通りに侵略ができず、他国の力を借り出した。それじゃぁウクライナを助ける国はあるのだろうか。敵国に攻めない程度の兵器なら提供しましょうと。けっして戦争には加担しない。兵器の使用制限を付けて、おまけに賞味期限の切れそうな、廃棄処分をしないですむ武器の提供になる。けっして戦争には参加せず助けてはくれない。これが平和を共有する国々と言えるのだろうか。宗教新聞をみた。戦争をやめましょう。みんなで祈りましょうと呼びかけている。きょうは死者の日です。
2024.11.02
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理解力が低いので覚えられない。したがって時間はかかるが、書いて理解するしかない。書いていると、いろんな作曲の材料としてのヒントが得られる。そうは言っても書く時間はどうなのかと、無駄なのかと自問自答ですか。まぁ、やっとこの歳になって書く作業も一段落ついたようだし、すこしは本業に精を出さないと時間がない。今年2024年もあと二ケ月。ほんとうに早い。コロナとウクライナ、ちっぽけな我が人生にも大きな障壁だった。ウクライナは、身近な問題なので、いまも一日中、情報が気になる。おまけに、下の孫が中東から帰還してホッとしたつかの間、今度は上の孫らしい。すべてがシークレットだけに心配。もう行ってるんだろう。あした1日は「諸聖人」の祭日。あさって2日は「死者の日」。聖務日課の先調べをしてみると、どうなんでしょうねぇ、聖書も詩編も文章が違うし意味も微妙。また、これで時間がさかれる。イイのかワルイのか・・・昨夜は、深夜の怒鳴り声で寝れず、目に留まった聖ロヨラの「霊操」を久しぶりに開いた。
2024.10.31
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TBS昼の番組で、国民民主党の玉木雄一郎代表は、決選投票の場合でも国民民主党は「玉木雄一郎」と書くと述べた。間違いなく、誰もがその発言を聞いた。あれっ!二人のどっちかを決める決選投票に、他の人の名前(玉木雄一郎)を書いてもイイの?イイんだ!それじゃぁ~、今度の参院選に、僕自身の名前を書いて投票するのもアリだね。AかBを選ぶのにCはダメでしょうに!我が家では娘がアメリカに帰った。僕にとっては台風あけです。
2024.10.30
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期日前投票所で「投票用紙」をながめた。与野党のほんのわずかな名前があった。白紙にするか。書くなら、ここしかない。投票数を一俵でも増やして今後に期待する。帰宅の車中でフと思った。感想会のシスターは、どこに投票するのかなぁ~~~なんて事を。シスターのほとんどがシャバで生活したことがない。修道院の中でも沈黙生活だし。エスカレーターにのったことのないシスターが多い。携帯電話を手にしたこともない、なにこれ?って・・・テレビも週刊誌も極一部しか見ないシスターが、どこに投票するのかなぁ~~~そういえば、そんな話しを感想会シスターと話したことがない。今度聞いてみよう、忘れないで。
2024.10.29
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おおまか、誰もが思う通りの結果。与党は内部に遺恨を残す予想通りの中(チュウ)負け。野党は万々歳で調子に乗って、これから自己主張でバラバラ。大勝じゃないから、与党の大姑、野党の小姑に気を使いながら、にらみ顔総理がどうやるのか見もの。野党が臨時的政権を作って、もうイヤ、もうやめた、とお手上げで野党政権はなし崩し。そんなこと前にもあったのを思い出す。与党の負け組が黙っちゃいない。参議院がまっている。
2024.10.28
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きょうはドジャースとヤンキースの第二試合目。BSを見るとやってなぁ~い。あきらめた。ライ療養所の入所者さんから電話あり。見てる!とBSでやっていない、というと地上波だよ8チャンネル!とありがとうホントだ途中から見ることができた。彼とこんな話しができるようになったこと。感無量なり。 今夜は馬券予想のように選挙当選予想が楽しみ。地元から全国まで予想してる。
2024.10.27
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選挙が熱い。熱いのは立候補者だけ。車からガンガンがなり立てるのは「お騒がせ禁止条例」なんてなかったっけ?防災のスピーカーが、朝から晩まで行方不明者の知らせで世間を暗くしているのに、そのうえに選挙だから。選挙のあり方を政治家が変えないと。
2024.10.26
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ウクライナ情勢から目がはなせない。地球の裏側とは言えども目がはなせない。ある意味で、日本もウクライナと同じ環境だからだ。隣国コレアは、ウクライナとは距離を作り外交辞令程度を維持していた。なぜなら北とは休戦状態にあるというのが理由らしい。(日本も同じスタンスだから偉そうには言えないけど)やばいよ、ほれみろ、北がロシアとくっついちゃった。栄養失調のゾンビみたいな軍隊に実践体験をさせ、おまけに近代戦の経験と知識を付けたら、コレアなんか一瞬だもんね。今になってあわててウクライナさぁ~んと近づいても誰も信用しないってわけだ。なんでまたコレアは首都を北と、目と鼻の先に置きっぱなしなのが不思議。両班の伝統かノンビリしてる。日本も、もうヤバクなってきた。
2024.10.25
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選挙に行ってきました。インターネットの時代。何もかもが携帯電話で出来る時代にあって、なぜ、わざわざ投票会場に行かなければならないのか不思議。お上のやることに、口にでは反対しても、なんだかんだと言いながら、結局は「お上のいいなり」になる平民。あわれなものです。総背番号大反対!といいながら、名前をモダーンにしたマイナンバーカードにして、カードを作るとお金がもらえるにつられてカードを作ったり。貧しい庶民は、なんだかんだ言ってもお上のイイなりですね。学生運動のハシクレが政治の巨大な力を目の当たりにして挫折した学生時代。もうこんりんざい、政治には向き合わないと政治には沈黙の抵抗。ときおり反骨精神は起こるが学生運動のトラウマ。マイナンバーに抵抗するも、結局はお上の権力には挫折しへつらった。与党も野党も庶民を助けてはくれない。野党の各グループは、歩み寄り結束する気持ちがない。ウクライナが商業主義と共産主義の間で苦しんでいる。ウクライナは兵士不足で、女性が戦場に率先していくようになる。その結果、ウクライナは核保有国となり中立国の道を歩むんでしょう。ナトーなんぞは何の役にもたたないのだから。日本もそうですね。いつまでもアメリカの傘の下ではいられない。核を持ち中立国となることです。そんなことを考えながら投票してきました。 与党の金カネ金の金欲政治を知りながらも、それでも与党の強さはどこからくるのか? 政治は雲上の人のやること、お上にお任せしていればイイというヘツライ民度ですね。なんせ、投票権も人権なんぞは、自然にもらったお国柄だもの。
2024.10.24
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僕らは同級生だから76才。学生時代とほとんど変わらぬ声しつ。これには驚いた。ワイフの場合、日本の音大では常識的発声法でとくに去勢はされず、ドイツでなおされ、日本でそれを続ける環境いあったのが幸運でした。今の声楽の発声法だと五十代で終わりかな。あの歌い方では。本来の歌の歴史だと、せいぜい五百人か。理想的には教会のキャパ。現在では、商業的に儲かるが優先で千人二千人を集めないと。そうなると声楽の発声法が変わるわけだ。これが今の発声法。浪花節を歌うために声をつぶすのと似て、クラシックは逆に大きな声を出す強い声体が求められる。そして歌う寿命を短くするという事。ほんらいは教会レベルで歌われてきた。シェークスピアの時代もそうだった。ベルカント。これじたいが、鐘の音のような透き通った歌声を意味し、教会の空間に響きわたった歌い方を意味していた。いまもベルカント唱法と言っているが違う。千人二千人のホールを想定している。だから声帯に負担をかけという事。イイかワルイか、僕には分かりませんが、ここでいっても詮無いこと。空間に一本の線となって放射線上に響く声質には驚かされた。
2024.10.24
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「みんなで歌いましょう」なんてタイトルで地域の公民館でワイフが隔月かに続けている。イスを数えると八十前後の人が集まってくれる。前半は奥さんが弾き語り、後半は皆さんと一緒。弾き語りだから自分で伴奏をする。伴奏者がまわりにはいない。金を出せば幾らでもいるが、なんせ「金の世の中」だから。会費は千円。会場費を払って、残りはウクライナに送金。久しぶりに奥さんの声を聞いた。感無量。
2024.10.23
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娘さんと奥さんと二人で温泉だと。二人して相談して、僕ぬきで決めて、昨日から二泊三日だと。奥さんは、娘あいてに、ウップンをはらせてストレス解消してることでしょう。僕もまけじと、一人してノンビリ、なんの気兼ねもなくリラックスできる。今日と明日の晩まで何をしようか?パソコンに入れた「聖務日課」の見直しかな。聖務日課を入力し始めて何年になるかなぁ~米塚さんがまだまだ健在の頃だから十数年前から入力しだした。なんせ、頭が悪いから読むだけでは頭に入らない。だから書く。つまり入力しないと。まぁ、いつでも検索できるので便利ではあるが。それにしても、ずいぶんと、無駄な時間を過ごしているということかぁ~この時間を創作にまわすとイイのに~今日現在で729ページ、61万8321文字、入力したことになる。聖務日課は詩編が中心だから、詩編の入力は別口でとっくに終えてる。ご承知のとおり詩編の本は何種類もある。カトリックで使われている詩編も幾種類もある。頭の悪い僕なんぞは、どれを使うか、お手上げである。こうして調べながらの入力をしていると、この「入力作業」と「信仰」とは別物で、無駄ばっかりしている自分に腹が立つ。
2024.10.23
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おすぎとピーコさん。たしか二つか三つ年上だったか。永六輔さんの紹介で映画評論のおすぎさんと。そのあと兄の服飾評論のピーコさんに。シェイクスピアの舞台と衣裳が中心に。銀座で仕事の合間によく逢った。ずいぶん昔の話し。兄弟がテレビに出て忙しくなってから、僕の作品の傾向が変わったのもあって、自然とご無沙汰になった。あの頃は、銀座と新宿二丁目で、シャンソンをやるとのことで、けっこう時間を作ってスタジオで歌の練習に付き合った。あの頃は、タバコは洋モクと言われた高級品、それにウイスキーはジョニ黒とジャックダニエルの時代。そんな時代だった。音大生も音大卒も音楽活動が選べる時代だった。「どうしてこんな道を選んだのかねぇ~歌舞伎者は野垂れ死によぉ~あんたもねぇ~」と考えさせられるがもう遅い。ですか。。。。。祈りつつ
2024.10.23
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おすぎとピーコさん。時代の流れを感じますね。映画とファッションの評論が厳しかった。真剣だった。おすぎとピーコさんとは映画の見聞きを教えてもらった。たしか僕との接点はシェークスピアだった。あの頃は、僕が三十代だった。評論と言えば、音楽も厳しかった。恩師を介して音楽評論の野村光一さんから多くを学んだ。口先だけの評論ではなく、先を見越しての厳しい道筋を示す評論だった。今のように、やりたい放題、言いたい放題、評論家のいない時代とは違って、どの分野でも責任が第一だった気がする。もう四十年前の話し。
2024.10.22
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きょうは年間第29主日娘が僕にもたらした「文明開化の鐘の音」。娘が〇△さんと携帯で会話している。流ちょうな日本語?ちょっと違うが・・・AI相手に、質問しているとか。こりゃぁ~便利だ。もう、人に頭を下げて聞かなくてもイイ。先生だ生徒だと、なんのシガラミもいらない。携帯電話を相手に何でも解決する。わずらわしい人間関係は不要。そんな現実にビックリした。
2024.10.20
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きょうは第四土曜日。昼で終わり、夕方から、年間第29主日の前晩となる。また第一主日に戻る。同じ事の繰り返しだが、自身が日々変化するのを少しは感じる。そりゃそうだぁー。いくら頭が悪くても何十年もやってれば。お経もそうですかね。読み書き発音も分からぬお経を、ただ黙々と続けてる。人間の好奇心か、少しづつでも理解してゆく。そうこうして、何となく分かったつもりになった頃にお迎えが来るということだ。僕の兄弟子が言ったことを今でも思い出す。「肉を食べ、血をすする」 これが分らん、と・・・僕なんぞは、分かったふりをしているだけ。兄弟子のように正直にはなれない。ただペトロのように。ついてきなさい。はいわかりました。これでイイのかも。いま何の気なしにモーツァルトの総譜を見ている。楽器の使い方が、天才なんでしょうね。今のように大掛かりなオーケストラだと、本来のオリジナリティーな響きは感じられない。いま現在が最高と勘違いしている。本来は繊細な派手さだった、のが想像できる。一管と二管、四管では別物ですね。これらは儲け主義に毒された時代の結果ですか。
2024.10.19
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俳優の西田敏行さんが亡くなられた。同年だけに、そろそろお迎えに来る年頃なんだぁ~と。バタンキューが理想的で誰もがそう望む。神様仏様にお願いするしかない。アメリカにいる娘が一人して昨夜里帰り。二週間の滞在らしい。北海道や沖縄から飛行機に乗って来るのとは違う。国際結婚。人の恋愛や結婚は、親にしても口が出せない話し。なんとなく辛いものがありますね。
2024.10.18
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いっせいに何もかもが故障するもの。調理器がおかしい、レンジもおかしい、椅子も・・・イスなんていつ壊れても不思議はない、ガタガタだ。これで怪我をしたらどうするのかなぁ~ それを言っても直しもしない。レンジが新しくなった。あれ古そうだ。新中古か?いや使い古し。間違いない。なぜ間違いないかというと、これは亡くなった〇〇さんの遺品だとか。イイじゃない再利用は。それがそうとは言えない。国のことだからしっかり購入しているはずだ、とのこと。ここに「仕組み」が、どうもありそうだ。いま思い出すと、冷蔵庫の時もそうだった。一年前の話しか。冷蔵庫が壊れているので、その話しを福祉課に言った。翌月には新しくなっていた。誰が見ても新しいとは言えない。ポロっと口から出た話し。亡くなられた入所さんの使い古しだとのこと。そう言えば、そんなこと、長く行ってると心当たりが幾つもある。この話しを入所さんに話すと、それは誰々さんが亡くなった品じゃないかと。捨てずに再利用は「美談」だが、その裏には人生がありそうだ。ワケアリが。本当かどうか知らない無責任な話しだが。色々その裏にはあるようで、ここでは「言わぬが花」。それは、療養所の歴史がありそう。その昔は「この座敷豚」と、人間以下の税金の無駄遣い。人間以下のあつかいだったのだから、職員の入所者さんへの態度は想像できる。この歴史が慣習となり、今は違うとイイながらも引き継がれていると実感することが幾らでもある。定年退職しても残る。退職後もその威厳は職場にある。現職は何も言えない。習慣は引き継がれる。遺品が新品購入に化ける瞬間でもある。こんなこと考えればきりがない。
2024.10.14
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