全1188件 (1188件中 801-850件目)
< 1 ... 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 ... 24 >
2012年8月17(金) アフリカ縦断の旅 52日目リビングストンのシェフ バンダ本日は、何もする事がありません。いや、何もしない事にしたのです。それでも、ここ数日のスケジュールを考えねばなりませんし、結構、時間を取られます。結局、下記のようなスケジュールにしました。 8月18日(土) リビングストン →ビクトリアフォールズ(ジンバブエ) 8月19日(日) ビクトリアフォールズ(ジンバブエ) 8月20日(月) ジンバブエ →ボツワナ →ザンビアこの20日は、ジンバブエのビクトリアフォールズを出発し、ボツワナに入国します。そして、チョべ国立公園で、サファリを楽しみ、その後、ザンビアへ戻ります。何故、こんな面倒な事をするかと言いますと、ザンビアのビザが50ドルもするのです。そして、ジンバブエは、30ドル。ボツワナがビザ代不要。さらに、ボツワナの、チョベ国立公園に近い、カサネと言う町には、最低でも、60ドル位の宿しかないようなのです。それらを考え合わせると、 ザンビア →ジンバブエ(ビザ:30ドル) ビクトリアの滝を見る。 ジンバブエ →ボツワナ(ビザ:無料) チョべ国立公園でサファリ ボツワナ →ザンビア(ビザ:50ドル) ボツワナからリビングストンへボツワナには高いから泊まらない。と、このような、スケジュールが、一番良いと言う結果になりました。チョベ国立公園の、サファリは、メールで申込みました。本来ならば、90ドルと安い(今の宿だと、140ドル)のですが、ジンバブエ国境まで、迎えに来て貰い、サファリが終わった後、ザンビア国境まで送って貰うので、その費用を40ドル取られます。ですから、合計130ドルです。まぁ、止むを得ないですね。面前ならば、ネゴするのですが、メールなので、もう、それで、手を打ちました。尚、インターケープと言う、南アフリカでは、高級なバス会社がありますが、ここリビングストンから、ナミビアの首都、ヴィントフックへ行くバスは、日曜日と、水曜日の、週2便しかありません。従って、リビングストンに戻ってから、22日(水)まで、待って、そのバスに乗ることにしました。35万シリングですから、6千円位します、ドルですと75ドル。高いですね。でも、これも仕方ありません。16時間もかかるので、良いバスに乗りたいです。さて、食事ですが、宿のFawlty Towersで、食べています。3万5千シリング(約600円)と、高いのですが、美味しいのです。本日が4泊目ですが、初日は、午前2時に着いたので夕食はなしです。2日目は、魚料理で、ティラピアでした。タルタルソースで、美味しかったです。二日目は、牛肉です。スペアーリブソース味でした。肉は、柔らかくしてくれと、頼みましたので、その通り焼きあがりました。美味ですね。そして、今夜は、ポークです。昼は、牛肉弁当を買って来て食べましたが、量がすごく多くて、食べ過ぎです。昼からお腹が空きません。味もまぁまぁ、です。1万4千クワチャ、230円位です。そんな事で、リビングストンの、食生活は、充実しておりました。この人が、シェフのバンダさんです。良く笑う明るい人で、大変楽しい人ですね。それも加わり、ここで食べたくなります。この人も、料理人です。バンダさんと一緒に働いている、グラディスさんです。デブですが、この人も明るくて、楽しいです。パンケーキとか、一人2枚の所、3枚くれたり、サービス満点です。スケベーな話にも、積極的です。手伝ってやるよ、お皿1枚洗ったら、キス1回でどうだ? と聞けば、OK、OKと言うし、まぁ、面白いです。お二人、揃って、写真に納まって貰いました。こう見ると、色の黒さが、全く違いますね。会って話をしている時は、あんまり気にならない、と言うか、色が黒いな、と思うだけですが。でも、ずいぶんと、黒さが違いますね。と言うような訳で、料理人の方と、仲良くなったので、楽しい4泊を過ごす事が出来ました。人間関係は、重要ですね。ドミでも、ほとんど一人で使っていましたし、リビングルームの、円卓も一人で、使い放題ですから、シングルルームよりも、ずっと居心地が良かったです。
2012.09.08
コメント(2)
2012年8月16(木) アフリカ縦断の旅 51日目ビクトリアの滝 ザンビア側より 後半入場して来た道を引き返します。全景は、見渡せませんが、迫力ある、ビクトリアの滝です。皆さん、濡れながらも、滝を眺めています。引き返して、入場手続所から見ると、右手に曲がります。よく見えますね。滝の上です。急に静かになります。この写真の向こう側に見える橋が、国境の橋です。手前に見えるのは、ザンビア側から、滝を見る為の橋です。水は、不思議ですね。このように静かな水が、滝になると荒々しくなります。津波が、その最たるものですね。次は、入場手続所から、左手に進み、川に降りて行きます。この辺り、猿が多くて、時には、バッグを狙って、人間を襲って来ます。それで、倒木の細いのを選んで、杖を作り、防御体制を作ってから歩きます。アジアの星一番は、慎重なので、さらに、小石を10個ほど持ちました。帰り道、アジアの星一番のちょっと前を歩いていた、白人女性、あまり大きくないバックパックを背負っていましたが、猿が後ろから、そっと忍び寄り、そのバックパックに、しがみつきました。アジアの星一番が、駆け足で近寄り、棒で追い払いましたが、ここの猿、危ないですね。15分ほど、降るとありました。あの国境の橋の下に近い場所です。国境の橋に、人が吊り下がっております。なんじゃあれは?あの有名な、バンジージャンプをやっているのですね。せっかく、滝の下まで行けると思ったのに、全く滝は見えません。それで、岩場を伝って、滝が見えないか、恐る恐る、三点支持で渡って見ました。おおー! 見えて来ましたね。ここの右側が、ザンビア、左側が、ジンバブエです。流れ落ちる、滝は、どちらのものでしょう? ザンビア側かなー?観光客の皆さん、滝の見えない場所で、国境の橋から飛び降りる、バンジージャンプを見ています。岩場を歩かないと見られない、貴重な映像です。見納めに、もう一枚、撮りました。数日後には、ジンバブエに行くので、国境の橋の上を歩くのですが、10時に出発し、ザンビア側を全部見ても、まだ、2時間半も経っていません。それで、国境の橋へ行って見る事にしました。ザンビア側のイミグレーションで、紙切れに、スタンプを押ししてくれます。歩いて行くと、ゆで卵売りがいました。一つ買って食べました。一個17円です。物価の割に、アフリカでは、卵の値段は高いです。先ほど、川の下で見たのと、同じ景色です。上から、見ているので、ここの方が、滝がよく見えますね。逆に言えば、川の流れの迫力が、岩場で見るのとは、違います。帰りは、ミニバスに乗って帰って来ました。50円で市内まで帰れます。ゆっくりゆっくり見て回って、途中で、弁当を食べても、3時間半。そんなに広くはないですね。南米の、イグアスの滝と比較すると、こちらの方が、小規模です。イグアスの滝が、若々しい青年の兄とすれば、ここビクトリアの滝は、小学生高学年か、中学生辺りの、妹と言った感じでしょうか?
2012.09.07
コメント(4)
2012年8月16(木) アフリカ縦断の旅 51日目ビクトリアの滝 ザンビア側より 前半 宿で、ビクトリアの滝まで、無料で送ってくれるので、それに乗って出かけました。毎日、10時発です。入口には、市内から、たった10分程度で着きます。こんな親子が、お出迎えです。入場料は、96000シリング(1600円)です。円高の計算ですから、安く感じますね。入場券を購入し、数分歩くと、入場者を記載する手続所があります。それを通ると、すぐに滝が見えて来ます。おー! 凄いですねー! 滝、滝、滝です!ここは、入口側に近い場所です。水量が少ないので、激しい滝ではないです。ちょっと、歩くと、このような雰囲気です。滝とは、反対側へ行く、小道がありました。誰もそちらには行きませんが、好奇心旺盛なアジアの星一番は、行きますね。遠くの方に、高架橋が見えます。予備知識なしでやって来ましたが、これは、どうも、ザンビアとジンバブエの国境の橋のようです。又、滝側に戻りました。時には、水しぶきが飛んでくるので、カメラを守らねばなりません。滝壺です。4月頃の、水量が多い時は、水しぶきが凄くて、滝を見るよりも、水を被りに来たと言う感じになるそうです。一方、10月を過ぎると、水量が少なくなるので、今の8月が、一番良いと聞きました。左側の崖の上に、人が見えますが、あそこは、ジンバブエ側です。虹が見えました。滝と、虹と、花です。三拍子揃って、美しい景観です。花は、これです。ビクトリアの滝には、華厳の滝が、何十本ある、と言っても良いでしょうね?これから、滝の上流、そして、滝から落ちた水が流れる、川の方へ行って見ようと思います。続く
2012.09.06
コメント(4)
2012年8月15(水) アフリカ縦断の旅 50日目リビングストンの宿ルサカ空港から、市内へのタクシー、市内に着いて、白人と、10万、5万と、支払い金額を確認していると、運転手が、「15万クワチャづつだ!」、と言い出しました。白人は、素直に、すぐ15万クワチャを支払ってしまいました。困ったのは、アジアの星一番です。15万が、5万に安くなったと思って、相乗りしているのに、絶対に支払わないと頑張りましたが、後ろの荷物入れに入っている、バックパックを返してくれません。止むなく、ネゴの結果、10万クワチャ支払わせられました。悔しいですなー。腹立ちますなー。ルサカは、大嫌いになりました。尚15万クワチャとは、2500円程度です。32US$位ですね。その無茶苦茶タクシーに降ろされた所は、一番安いゲストハウスと言うのに、50US$もします。そんな高い所には、泊まれませんん。近くのゲストハウスも見ましたが、やはり同じような値段です。もう、リビングストンへ、直接行こう、と、バス停へ向かいます。色んな人が声をかけて来ます。、必ずマージン欲しさだと思うので、極力相手にしませんが、バスに乗る直前に、このバスだと言って、バックパックを車内に、運んだ男がいます。乗務員だとばかり思っていたのに、関係ない男らしく、そいつが、お釣りの1万クワチャ(170円相当)を、持ち去ったとのこと。乗務員とグルになっているのだと思いますが、ここでも損しました。おまけに、バスが満席になるまで、出発せず、午後3時に乗ったのに、出発したのは、午後6時。3時に出て、6時間かかると言うので、午後9時には着くから、宿もなんとかなるだろうと、思っていたのです。そして、リビングストンに、着いたのは、何と翌日の午前2時。本当に疲れました。バスに乗ってから、11時間かかりました。ダルエスサラムの宿を出たのが、朝の9時、それから、飛行場へタクシーで移動し、飛行場で待ち、飛行機に、2時間15分乗って、午後1時半、ルサカに着ルサカで、タクシートラブルなどを経て、翌日の夜中の2時に、ようやくリビングストンに到着。合計17時間の、大移動でした。飛行機の機内では、寒くて、待っているバスの中は、暑くて、走り出したバスは、暑いのか、寒いのか、分からないような状況。せっかく、休養して、体調も戻ったのに、風邪症状の体調不良が心配です。そして、泊まったのが、この宿。Fawlty Towersです。どなたかのブログで知った、宿ですが、ドミですが、WiFiがフリー、無料と言う事に惹かれて、ここにした次第です。5万クワチャ(830円)です。WiFiは、今は無料ではなく、下記の料金を取られました。(無料でなくなりました。) 1時間 9、000クワチャ 2時間 15、000クワチャ24時間 25,000クワチャ上に記載の時間は、使った時間だけ消費されて、残り時間は、又、使えます。従って、24時間も買っておけば、1週間いても、使えますね。1日、3時間も、ネットに繋いでいないでしょうから。午前2時、バス停に着きましたが、一人で宿を探すには、ちょっと時間帯が悪いです。隣に座った人が、宿を探すと言うので、一緒に探そうと、タクシーに乗ったのです。タクシーに乗るほどの距離ではありませんでいたが、2万クワチャ(330円)で済みました。勿論半額で、割り勘ですが。この2段ベッドの下段が、アジアの星一番のベッドです。この宿、町の中心から、ちょっとだけ、外れていますが、メイン道路に面しています。昼食は、チキンライス弁当を買って来ました。それに、別に買ったトマトを添えました。これが、以外に美味しく頂きました。やっぱり、ライスが良いですね。芋やバナナや、ポテトチップスは駄目です。宿の中庭です。仲々、良い雰囲気でしょう?テントを張って、泊まっている人もいます。ドミだと、10ドル位、テントを張っても、8ドル位するようなので、テントの意味があんまりないと思うのですが、バックパッカーは、少しでも、節約したいのですね。アジアの星一番は、超高級バックパッカーですから、テントには泊まりません。プールも付いています。夕方、洗濯物を取りに行ったら、プールサイドから日本語が聞こえます。「なんだろう?」と声をかけてみました。男性1名 →ザンビアで会社を興し、社長をしている青年。女性2名 →エホバの証人、と言うキリスト教の布教のボランティアをやっていると言っていました。3人とも、既に、ここに3年住んでいると言っていました。居るのですねー、こう言う方々も。貴重な情報も教えて貰いました。
2012.09.05
コメント(2)
2012年8月14(火) アフリカ縦断の旅 49日目タンザニアからザンビアへ昨日、約束したタクシー運転手、もし来なかったら、もうダラダラ(ミニバス)では間に合わないし、高いタクシーでも、乗って行かねばならない、と腹を括っておりました。しかしながら、約束の9時半の、さらに30分前、9時には、宿の受付にやって来ました。驚きましたね。そして、少し嬉しくなりました。普通のタクシーです。弟だと言って、運転手を紹介してくれました。時間は、早いし、まだ、タンザニアシリングが残っていたので、コーヒーに入れるクリープを買いたい、と言うと、スーパーへ連れて行ってくれました。2軒廻ってなかったので、アジアの星一番は、諦めましたが、彼らは、まだ次のスーパーへ行こうとしていました、親切ですね。余分な料金を要求されるのではないかと、少しだけ心配しましたが、約束の10USドルだけです。良い人が見つかったものです。ここが、飛行場の待合室です。ダルエスサラームは、実質的な、タンザニアの首都ですが、飛行場は、田舎の県庁辺りの飛行場より劣る感じです。この飛行機に乗ります。何と言う機種か、見るのを忘れました小さいですね。時間通りに飛び立ちました。これが、ダルエスサラームを上空から見た風景です。飛び立つとすぐに、昼食です。12時に出発し、13時15分には、着陸なので、早くしないと、いけないのだろうなー、と思っておりました。味は、申し分ないですが、量が少ないですね。小さなパンが1個だけです。ビールは、どうですか? と勧められたので、狂犬病の予防接種以来、蕁麻疹が怖くて、飲んでいませんでしたが、頼んでみました。モシ、と言って、ザンビアのビールです。かなり、苦いですね。2ヶ月以上、飲んでいなかったからか? とも思いましたが、そうではないと思います。苦いビールです。グレートザンビアンラガーと、書いてあります。アルコール分は、4%です。久しぶりに飲む、ビール、苦すぎますが、ビールは美味しい。蕁麻疹が、出なければ、又、飲み始めるかも知れません。1日が、終わって、夕食の時に飲むビール、「生きている証」と感じました。禁酒中は、その感覚を忘れていました。やはり、健康であれば、飲みたいですね。これが、機内です。50人乗りの、飛行機ですが、なんと、乗客は、6名のみ。乗員は、女性2名、男性1名。それに操縦士、副操縦士の2名ですから、乗員と乗客が、ほぼい同じです。こんなので、赤字にならないのでしょうか?1時間も経ち、もうそろそろ、着陸かな? と思ったら、下方に大きな湖が見えて来ました。何と言う名前の湖か、パーサーに聞いて見た所、「マラウィ湖」との答えです。「えー! マラウィ湖?」もう、着陸かと思っていたのに、まだマラウィ上空? だとするとおかしいなー?まだ、半分程度しか、飛んでない事になります。ハッとして、ガイドブックを取り出しました。時差があるのですねー!ルサカ13時15分と言うのは、タンザニア時間では、14時15分です。実際の飛行時間は、1時間15分でなく、2時間15分でした。そう思ったら、「寒いなー!」、と寒さを感じます。機内温度が低すぎます。もう到着と思っていたので、我慢できたのですね。ザンビアへ入った辺りの風景です。何にもありませんね。蛇行した川が見えます。荒地のようです。タンザニア時間14時、2時間飛んだ頃ですが、ようやく下降し、ルサカ近辺の景色が見えるようになりました。ルサカの飛行場、首都の飛行場なのに、市内への交通機関がタクシーしかありません。モシと同じです。最低ですね。タクシー運転手が寄って来ます。15万クワチャと言います。大体30数ドルです。高いですねー! こりゃー、一人では無理、と相乗りの人たちを待ちました。白人カップルと、黒人3人組が、一緒で良いと言うので、10万クワチャ払って貰って、5万クワチャ、自分で払おうと思っておりました。これで、ずいぶん、節約出来た、と喜んで、景色の見ていたのであります。ところが、市内へ着いてから、問題発生です。この素晴らしい景色とは、全く無関係の、腹立つ結果となりました。
2012.09.04
コメント(6)
2012年8月13(月) アフリカ縦断の旅 48日目ザンジバルからダルエスサラームへさて、本当にゆったりした、パジェのパラダイス・ビーチ・バンガローですが、4泊しました。その間、日本食を、毎日食べて、体力回復、これから、後半の「アフリカ縦断の旅」の為に、充電致しました。本日は、この快適なリゾート地から、ダルエス・サラームへ戻ります。ここ、パジェの、パラダイス・ビーチ・バンガローには、図書館があります。日本人・三浦沙織さんが経営していますので、その図書館の大半は、日本語の小説や、ガイドブック、週刊誌などです。長期滞在でも、飽きませんね。今回は、 笹沢左保の「人喰い」 藤沢周平の「闇の歯車」 浅田次郎の「憑神」 群ようこの「無印OL物語」 浅田次郎の「月のしずく」 宮本輝の「青が散る」などを、読みました。本を読みながら、眠くなれば、居眠りして、飽きれば、美しい砂浜を散歩し、そして、腹が減れば、美味しい、日本食に舌鼓をうつ。貧乏旅人より、リゾートライフの方が、良いですね。さて、これが、昨夜の宿の食事です。キングフィッシュです。始めの頃は、ご飯が少なくて、お替りをしても、持ってくるのが遅くて、腹立ちました。しかし、今は、始めから、ご飯も多くしてくれます。ただ、ご飯が、ちょっと臭いがあって、カレーのような食べ物でないと、せっかくのオカズの味が、落ちてしまうのですね。それが残念だなー、と思っていました。しかしながら、この夜のご飯は、日本のご飯に、そっくりです。炊き方を変えてもこのように味は変わらないでしょう。米を変えたのですね、きっと。キングフィッシュ。切り身も大きくて、とっても、美味しかったです。味噌汁です。これから、又、しばらく味噌汁とも、オサラバなので、少しづつ、飲みました。今朝です。バンガローの廻りを朝早くから、夕方暗くなるまで、ガサゴソと動き回っている鳥です。飼っているのです。大きいので、向かって来たら、怖いですよ。沢山いますから。本当は、昨日、ストーンタウンに移動し、本日、9時半発のフェリーに乗る予定でした。ですが、パラダイスビーチバンガローの食事を食べたい、と願うのと、ストーンタウンに魅力を感じないので、12時半のフェリーに電話で変更して貰って、本日、出発にしたのです。御陰で、キングフィッシュと美味しいご飯も食べられて良かったです。ダラダラと呼ばれるミニバス、何時間かかるか、分からないので、宿を早めに8時45分に出発しました。そしたら、5分も待たないで、ダラダラが走ってきて、来る時より、ずっと順調に走ったのです。それで、10時10分には、ストーンタウンに着いてしまいました。いくら何でも、早過ぎです。ネットカフェでなく、いつも行っていた、ASMINI PALACEでネットする事にしました。ここは、ロビーにWiFiが飛んでいて、コーラとか、飲み物を頼むと、無料で、WiFiを使わせてくれます。何時間でも良いので、ネットカフェより、ずっと割安なんですね。船の出る、ギリギリまで、ネットを楽しみました。船は、予定通り、12時半出発。この小島が、シュノーケリングやなどを楽しむ、対岸の島です。レストランもあるようです。数十ドルと高いので行きませんでしたが。ダルエスサラームでは、何もするつもりもありません。明日の空港行きの為、バス停の極力近い所に泊まろうと思いましたが、高いホテルしかありませんね。それで、フェリー乗り場から、結構歩きましたが、Al Urubaホテルにしました。1万7千シリングですから、880円ですね、安いです。部屋も、清潔で、お湯シャワーも出ますし、非常に良いですね。50US$とかの、宿を何軒か見ましたが、値段と内容を比べたら、ここは、格安です。冷蔵庫も、テレビも、机も椅子も、全て完備されております。さらに良いのは、部屋が明るい事です。せっかくのいい部屋なので、洗濯も済ませました。宿の前の通りです。明日の空港行きバス停を探しに出かけました。ここが、クロックタワーです。あちこちで、聞きながら、探しましたが、今ひとつ、正確な情報が得られません。歩き廻って、腹は減るし、ダラダラが遅れて、飛行機の時間に間に合わないと困るし、どうしようか?と悩みながら、歩いていたら、こんな物を見つけました。粉を練って、麺棒で広げて、その上に、野菜や肉を刻んだものを乗せて、最後に、卵を乗せます。そして、焼くのです。ひとつ、1500シリング(80円)ですが、まぁ、アフリカの食料としては、いける方ですね。もう一つ食べたかったです。腹は膨れても、明日の空港への移動の問題は解決していません。そしたら、一人の黒人が、話しかけて来ました。ツアーのアレンジをやっていると言う人ですが、話をしていたら、空港まで、10ドルで行くと言うのです。相場は、どの程度か分かりませんが、ダラダラだと、1時間か、2時間か、どの位かかるか分からない、と言う返事ばかりだったので、このタクシーを頼むことにしました。一応、本日の問題は解決です。
2012.09.03
コメント(4)
2012年8月12(日) アフリカ縦断の旅 47日目ザンジバルのからゆきさん 宿の日本食さて、ザンジバル島、日本からは、ものすごーーーーく、遠い地域でありますが、この島に、からゆきさんが、売られて来ていたそうなんです。驚きました。昨年、東マレーシアの、サバ州で、山崎朋子のからゆきさんの本を読みましたが、アフリカの方まで、売られて来ていたとは、信じられません。10数名の日本女性が、働いていたそうです。その方々、わずか、50年前まで、この地に生きておられたそうです。どれだけ、産まれ故郷が恋しかったでしょうねー。さて、食事の話にしましょう。アフリカに来て、腹一杯食べております。これは、マグロステーキ定食です。どうですか? このマグロステーキ、美味しいですぞ!それから、味噌汁。2ヶ月ぶりに、味噌汁と飲みました。うまいですなー! こんなうまい飲み物、世界で見つかりませんぞ! 100円ショップで、味噌汁買って来るのでした。昼食は、冷し中華です。これで、2回目の冷し中華。これも、美味しいですぞ! 量もたっぷりだし、最高です。この麺は、確か、ストーンタウンで、干してあった麺ですね。中国人っぽい人たちが、作っていたものでしょう、きっと。夕食です。パンプキンのサラダ。これは、宿のサービスです。そして、漬け丼。今まで、トンカツ定食とか、マグロステーキ定食とか、食べましたが、ライスが少ないのです。ライスか、若しくは、ポテトなのですが、白人達には、きっと足らないでしょうねー。腹減って仕方ないのではないかなー?アジアの星一番は、ご飯を、お替りして、食べましたから、腹一杯です。そして、漬け丼のライスも、大盛りにしてくれと、事前に頼んで置きました。少なめに見えるでしょうが、ご飯も多いです。漬け、美味かったですなー。本当においしかったです。惜しむらくは、ご飯の味です。しかし、漬け丼の場合、漬けの味が強いので、ご飯の不味さが薄まります。トンカツ定食の時は、ご飯の臭みが邪魔して、且つ、トンカツソースがないもので、美味しさが、半減でした。満足、満足。こんなロマンチック街道を、ちょこっと歩いて、自分のバンガローへ戻ります。
2012.09.02
コメント(4)
2012年8月11(土) アフリカ縦断の旅 46日目信じ難いアルピノ狩りタンザニアを含む、東アフリカには、土着宗教の忌まわしい迷信が、未だに多く残っているそうです。ある人のブログで、読みましたが、早朝発の、エチオピアのバスは、予約制でないので、先を争い、ようやく座席を確保し、出発したそうな。日中、物凄く暑くなって来たそうです。勿論エアコンなどはないバスです。それで、窓を開けたら、すぐに閉めろ! と言われ、「なんでや?」と思って聞いたら、窓を開けると、悪霊が入ってくる、と言うのだそうです。それで、汗びっしょりで、何故か臭いバスの中、長い時間、我慢せざるをえなかった、と言うのです。「嘘だろ?」、と思いましたですね。そのブログを読んで。実際、今まで、エチオピア、ケニア、ウガンダ、ルワンダ、タンザニアと廻って来て、そんな事実に、お目に掛かった事がありません。しかし、ここには、呪術を使う、シャーマンと呼ばれる人たちがおり、それを信じる多くの大衆がいると言うのです。近くの事件では、2008年、コンゴでのサッカーの試合中、選手、観衆を巻き込んだ乱闘がおこり、複数の死傷者が出たようです。この事件のきっかけは、劣勢チームの選手が、戦況を好転させる為に、呪文を唱え始め、これに相手チームが、激怒したからだと言います。呪術を、信じているのですね。ですから、もしかしたら、そのエチオピアからのバス、シャーマンが、窓を開けると悪霊が来る、と言ったのかも知れません。それから、東アフリカには、「アルビノ狩り」と言うのがあるそうです。アルビノとは、先天的な色素異常により、肌が白くなる病状で、世界では、2万人に一人の確率なのに、東アフリカでは、3千人に一人がアルビノだそうです。シャーマンが言います。「アルビノの人肉は幸福をもたらす。」と。それで、アルビノの人肉は、高値で取引されるので、アルビノを狙った、誘惑や殺人事件、いわゆる、「アルビノ狩り」を行う輩がいるそうです。五体満足なアルビノは、この辺りの年収の、180倍の値段で売買されるそうな。そんな事が、現実的にあるそうですから、「窓を開けたら悪霊が来る。」なんて言うのを、信じるとしても、嘘八百、デタラメとは、言えないでしょうね。信じ難い話でした。
2012.09.01
コメント(6)
2012年8月10(金) アフリカ縦断の旅 45日目ザンジバル島 パジェでゆったり海のリゾート、パジェ。早寝早起きです。太陽が昇る前に、海岸の散歩に出かけました。朝陽が登ってきます。ここが、宿のレストランです。アジアの星一番以外、誰も、まだ起きだして来ません。無人のレストラン。ここが、アジアの星一番が住む部屋より、もっと値段の高いバンガローへの入口であります。如何にも、リゾートって感じです。ここが、そうです。建物は、たぶん同じでしょう。しかし、ロケーションが違います。このバンガロー、海岸に面しています。ドアを開ければ、海です。一方、アジアの星一番のバンガロー、ドアを開ければ、鶏小屋です。その差が、数十ドルのようですね。どうですか? 朝の海岸。気持ち良いですねー! 早朝散歩。近所の、オバさん達が、貝を拾っています。小さな貝なのですが、沢山いますねー! 味噌汁に入れたら美味しそうです。もう朝陽も、ずいぶん登って来ましたので、一旦、宿に帰ります。朝食を食べて、部屋で一休みしてから、パジェの村が、どんなものか、散策に出かけました。それに、宿の昼食は、1万シリング以上しますので、地元の食堂で、昼食を食べようかと、出かけたのであります。一直線に延びる、道路と青い空。牛ものんびり、歩いています。小さな売店はありますが、食堂らしき所は、見つかりませんでした。地元の人は、家で食べ、旅行者は、ホテルやゲストハウスで食べるのでしょう。仕方なく、食パンを1000シリング(50円)で買い、水1.5Lを、同じく、1000シリング(50円)で、買い、宿で買えば、2000シリングなので、重いけど、1000シリング(50円)儲けた、と思いながら、歩いていました。ずいぶん歩きましたが、何もないので、海辺方面へ、歩きます。ここも、リゾートホテルですね。値段を聞きまわりましたが、今居る、40ドルより、安い部屋は見つかりません。この辺りは、皆さん、沢山の人が、カイトをやっています。スノボーのような板に乗り、凧を操りながら、海を滑ります。ウインドサーフィンのようなものですね。気持ちよさそうです。これには、挑戦したかったですが、病み上がりで、慎重です。何れ、やってみようと、思って、この日は、我慢しました。子供たちが、拾った貝です。こんな小さいのですが、面白いように採れます。この子供が採りました。こう言う風景良いですねー! 好きではないですか?アジアの星一番は、大好きです。さて、夕食です。トンカツ定食にしましたが、これは、サービスのようです。ここで、採れた貝のサラダと言って、三浦おばさまが、出してくれました。貝なので、蕁麻疹が出やしないか、心配しながらも、完食しました。幸い、当日も、翌日も、蕁麻疹は出ません。もう治ったのかなー?トンカツです。味は、最高に良かったです。しかし、残念な事に、ソースがないのです。「ソース」のないトンカツ、「超高級」の付かない、バックパッカーのようで、物足りません。それに、準備が非常に遅いですね。蕁麻疹の心配がまだ残っているので、好きなビールも飲まずですから、手持ち無沙汰です。午後7時から食べるからと、予約したのに、7時に行くと、7時15分と言い、7時半になっても、まだ出てきません。トンカツが出されてから、ご飯が出てくるのに、5分もかかります。なんと、のろまでしょうか?ご飯のお代わりをして、25分待ちました。三浦おばさまに言ったら、1分で出てくるのに、一体、どうしているのでしょう?ソースがない、遅い、それが、不満です。
2012.08.31
コメント(2)
2012年8月28(火) アフリカ縦断の旅 63日目ヴィントフックの中華街昨日のブログで、既に記載しましたが、この日は、両替と、バスチケットの購入で、ヴィントフックの町を、随分歩きました。最終的に、ベイリス・レオライナーのバスチケットを購入しましたが、何故、そんなに、歩いたかと言いますと、1.両替屋へ行ったら、パスポートがないと、両替してくれないと言います。 (宿に、パスポートは保管中)2.念の為、旅行代理店へ行き、バスの値段を確認。インターケープのバス代が 恐ろしく値上がりしている事を知る。3.念の為、インターケープのオフィスへ行き、値段を確認。代理店より安いものの、 やはり、恐ろしく高い。4.宿に帰り、パスポートを持って、両替屋へ。旅行代理店へ行き、ベイリス・レオライナーのチケットを購入。 (ベイリス・レオライナーのオフィスは、市内にないので、代理店で買うしかない。)こんな調子でした。お陰様で、1万5千歩も歩きました。疲れきってしまっていたのですが、宿で話をしていたら、このヴィントフックに中華街があると聞きつけました。こりゃー、行かないかんわい、と、早速出かけました。タクシーしか行く手段がないので、乗りましたが、18ドル(180円)で、何故か帰りは、9ドル(90円)であります。CHANA TOWN 中国城、と看板がありました。この看板がないと、中華街かどうか、全く分かりません。入口に門があって、入って見ると、こんな風景です。どこが、中華街? ですか? と言うような、建物が並んでいます。建物の外側から見にくいですが、お店があります。確かに中国語で書いてあります。建物の入口に、番号が書いてあり、それぞれ、お店が違うようです。衣類が多いですが、何でも、売っています。ぐるっと廻って、反対側の通りに来ました。かなり広いです。が、この写真で見るように、外からは、中華街かどうか、全くわかりませんんね。衣類、雑貨屋です。奥行が深く、お店の中に入って、見ないと、何を売っているのか、良く分かりませんね。中国語でなく、英語で、「中華街へようこそ!」、と電光掲示板にあります。アジアの星一番の、中華街のイメージは、食であります。しかしながら、ここには、どうも、1軒のレストランしかないようです。ここが、レストランの入口です。この若い黒人の女性は、お店の前に並べてある、商品を売っています。彼女に聞いてみたら、この中華街は、10年ほど前に出来た、と言う事です。念の為、他の人にも聞いてみましたが、やはり10年程前と言うので、たぶん、そんな時期なのでしょうね。中国人は、逞しいですね。このように、海外の遠くの国に、簡単に中華街を作って、住み着いてしまうのですから。日本人には、真似出来ません。何人位、中国人(中国系)が住んでいるのか、何人かに聞いて見ましたが、分かりません。お店の数からして、少なくとも、千人以上は住んでいると思います。
2012.08.30
コメント(0)
2012年8月9(木) アフリカ縦断の旅 44日目ストーンタウンからパジェへ昨夜、ラマダンの日中は、レストランが開いていません。そして、暗くなると路上の屋台が一斉に食事を売り出します。でも、どれだけ、清潔か分かりません。それで、ルーフトップレストランへ行きました。屋上にあるレストランです。暗くなると、ローソクで灯りを点けてくれます。ロマンティックですが、一人ですから、別にローソクでなくとも明るければ良いですね。焼そばを頼みました。ローカル食より、美味しく頂きました。さて、本日、何もない世界遺産の町、ストーンタウンから、日本女性経営の宿がある、パジェに移動します。この宿、バックパッカーには、高すぎるのですが、病み上がりで且つ、ろくなものを食べていなかったので、静養しながら、日本食でも食べて、元気を取り戻そうと考えたのであります。ストーンタウンを出発しました。10分も走らない内に、停車です。こんな所で、座席が満席になるまで、待ちます。通る車を見ていると、日本語で書いてある車が多いので、日本に居るのかと勘違いしそうです。車もトヨタがすごく多く、スズキや他の車を含めると、99%は、日本車です。45分位待って、ようやくダラダラ(ミニバス)は、再出発しました。どうして、ダラダラ、と呼ぶのか、分かりました。ダラダラと走るからですね。(きっと←これ嘘です。)景色は、南国の海らしくなって来ました。ストーンタウンとは、全く違います。パジェの村を通り越して、パラダイス・ビーチ・バンガローの入口でダラダラから、降ろして貰いました。これが入口の道です。部屋は、シングル、水シャワー、トイレ付き 40ドルシングル、シャワー、トイレは共同 20ドル写真では、分かりにくいですが、全て、草で出来ています。虫がいそうですね。風情はあって良いのですが、机も椅子もなく、パソコンも使いにくいです。ドミ、(見たのは、2段ベッドひとつ、壊れた2段ベッドの下だけ)の3人部屋 20ドル。勿論、ドミはシャワー、トイレは共同です。ちょっとだけ、悩みましたが、せっかく来た、リゾート、そして、超高級バックパッカーとなったアジアの星一番です。奮発して、1泊、40ドルにしました。部屋です。一応、ベッドに、生の花も置いてあります。リゾートらしいですね。結構、部屋も広く、物置場所も、多いです。シャワーは、水シャワーですが、洗濯し易いように、洗面器もあり、水も豊富に出るので、まぁ、これで、十分でしょう。リゾート地です。一泊、40ドルも支払って、お金持ちの気分で、海岸を散歩します。砂は、あくまで白く、美しいいです。オバさんと娘さんたちで、漁をしています。網を二人で、引っ張るだけの簡単な漁です。どんな魚が漁れるのか、暫く眺めていました。のどかですね。1回で、多い時は、小魚が10数匹取れます。少ない時は、3匹程度ですが、繰り返し繰り返し、獲っていました。昼食は、早速、日本料理、冷し中華です。1万2千シリングですから、600円です。こちらの物価にしたら、ベラボーに高いです。でも、冷し中華の割に、スープが多く、量も、かなり多く、味も、日本で食べるものに比べたら、数ランクは落ちますが、まぁ、美味しいと感じました。アフリカに来て、始めて、美味しいと思いました。(モシで飲んだ、トマトスープは、美味しかったですが。)宿代と食事で、1日、5千円ほど、かかりますが、3日間の贅沢をします。尚、ここの経営者、三浦沙織さん、受付に居たようですが、全く挨拶なしです。ちょっと、何と言うか、気分良くないですね。いらっしゃいませ、とか、「カリブ」とか、経営者なら、一言位、言ったらどうでしょう?満室で、儲かっているから、慢心しているのでしょうか?そう言えば、南米の日本人宿でも、横柄な日本人経営者がいました。メールでの返事が、無茶ひどくて、行きませんでしたが・・・。 何れにしても、接待業、客が喜ぶような態度で接して欲しいですね。追記この受付にいた女性は、お客さんで、経営者の方ではありませんでした。経営者の、三浦沙織さんは、きちんと挨拶してくれました。サービス業の方は、こうでなければ、行けませんね。誤解する所でした。
2012.08.30
コメント(0)
2012年8月8(水) アフリカ縦断の旅 43日目ザンジバル島ストーンタウン散策昨日、同じタンザニアなのに、何故、入国が必要か? と疑問がありました。どうも歴史的背景があるようです。1964年以前は、ザンジバル共和国で別の国だったのですね。それが、タンガニーカ共和国と併合して、タンザニア連合共和国が出来たのです。それで、ザンジバル人は、未だに、ザンジバルを独立国とする気風を持っているとの事です。それで、七面倒臭い、イミグレーションがあるのですね。さて、ここストーンタウン、町自体が世界遺産らしいです。それで、いつもの通り、散策に出かけました。町の道は狭く、曲がりくねって、迷路のようになっています。その迷路の道も、すぐに突き抜けて、海に出ます。これは、漁に出る船ですね。これは、「驚嘆の家」と呼ばれ、100年ほど前までは、スルタンが住んでいたようです。海岸通りを歩いていると、プライベートビーチがありました。白人どもが、沢山、お茶したり、食べたり、喋っております。たぶん、シングルが一晩で、100ドルとか、150ドル位するのでしょう。もっと高いかな? プールもありました。狭い道を、迷いながら、歩きました。しかし、どこが、世界遺産なの? と素朴な疑問が湧く、町であります。同じ、世界遺産の町でも、イエメンのサナアなどとは、比べ物になりません。あまりに面白くないので、一旦、宿まで戻り、ロンドンオリンピックを見ていましたが、魚市場がありそうなので、又、出かけました。町の北の端です。何だか、分かりませんが、沢山の人たちが、海の中まで入っています。荷揚げの魚を待っているのでしょうか?荷揚げされた魚は、すぐ近くで売られています。太刀魚でしょうか? その向こうには、ピンクの魚も見えます。魚市場も大した事ないので、さらに北の端を歩いて見ましたら、麺が沢山干してありました。どうも中国人っぽい人たちが、作っているようです。こんな麺、埃だらけなのは嫌ですが、食べて見たいですね。アフリカの料理は、あんまり、口に合わないので。そんな事で、世界遺産の町、ストーンタウンは、たった数時間で見終わりました。何故、こんな島に、皆さんが、沢山来るのか、分かりません。追記後で、日本人の旅人のブログを読んだり、話を聞くと、このストーンタウンを気に入っていると言う方々が、多いです。アフリカ的でなく、アラブの感じがする、迷路の町。そんな所が好まれるようです。アジアの星一番の場合、中東各国は、ほとんど訪問しており、アラブの雰囲気は知っているので、ここが特別と感じなかったようです。それに、着いて早々、不要なイミグレで待たされるし、客引きとのトラブルもありましたし、ラマダンで、食事にありつけなかったし、感動を抑える、出来事も沢山ありましたからね。その町、その土地を気に入るかどうか?人によって、様々であるな、と再認識した次第であります。
2012.08.29
コメント(2)
2012年8月7(火) アフリカ縦断の旅 42日目ザンジバル島へ夜は、やるべき事もなく、早寝するので、朝も早く起きてしまいます。朝一番の、生姜紅茶は、復活しました。風邪対策になるのかどうかは、分かりませんが、実績が結果を示しているので、又、飲み続ける事にしました。生姜紅茶を飲んでも、それでも、まだ、朝は早いです。散歩しました。エチオピアや、ウガンダにもあった、路上コーヒー店です。一杯、100シリング(5円)の、キリマンジャロコーヒーです。YWCAは、朝食付きです。パンにソーセージに卵、そんな程度ですが、朝ですから、それで、十分ですね。そして、ザンベジエアーラインのオフィスが開く、8時過ぎに、このビルへ行きました。(向こう側に見えるビルです。航空会社が何社か入っています。)ここで、マラウィのリロングウエィから、ザンビアのルサカまでのエアーチケットの値段を確認し、100ドル代だったら、タンザン鉄道に乗り、マラウィへも行く、それ以上だったら、ダルエスサラームから、ルサカまで、278ドルなので、マラウィは諦める。このように決めていました。結果、リロングウェイからルサカは、330ドル。他社は、500ドル以上とかなり高額な為、タンザニアから、ザンビアへひとっ飛びする事に決めました。さて、ザンジバル島への移動です。YWCAから波止場まで、歩いて10分もかかりません。危険と言われている、ダルエスサラームですが、朝だからか、危険な匂いは、しませんでした。2等は35ドル、ファーストクラスは40ドル。超高級バックパッカーのアジアの星一番は、迷わず、ファーストクラスです。(しかし、高いですね。)9時40分。10分遅れて出港です。途中、こんな舟を見かけます。風情がありますね。舟を繰っている人は、仕事でしょうから、そんな風情は感じないでしょうが、こちら、気楽なバックパッカー、「ええ眺めや!」、と思いながら、眺めておりました。2時間、丁度。ザンジバル島に着きました。ここを降りてからが大変でした。その1ここ、ザンジバル島は、タンザニアのはずなのに、入国手続きが必要なのです。どうしてでしょう? 出国していないのに、2回入国した事になります。こんなのも、始めての経験ですね。おまけに炎天下、1時間も待たされました。全く、意味のない、イミグレーションです。その2イミグレーションを出たら、宿の客引きが、寄って来ます。適当に足らったつもりが、二人の客引きがしつっこくて、いくら、着いて来るな、と言っても、着いて来ます。まるで、インドのヴァラーナシィの客引きです。一人は、15分位で、帰って行きましたが、もう一人は、絶対に帰りません。同じ道を、行ったり来たりしても、着いて来ます。もう面倒になって、南の町、パジェに直接行こうとしましたが、今度は、ダラダラ(ミニバス)の客引きに、1万シリングだ、と吹っかけられ、パジェを断念。この間、既に1時間を経過。客引きは、諦めようとしません。こんなに、しつっこい客引きも、世界広しと言えど、インド以来ですね。もう困ってしまって、警察署に駆け込みました。警察署に行くと、客引きは、道路の反対側へ、素知らぬ顔で、行きました。ポリスに事情を話し、少し休ませて貰いました。ポリスは、ゲストハウスを紹介すると言ってくれましたが、それも辞退して、10分ほど、休んで、目指す、Pearl GHへ向かいました。今度は、さすがの客引きも、警察の面倒になるのは、嫌なのか、着いて来ません。何と、1時間半も掛かって、客引きを引き離したのです。チェックイン出来ました。水シャワー、トイレ付き、蚊帳付きのシングルルーム、12US$です。水の出が悪いので、洗濯は面倒でしたが、自前のシーツを洗い、ズボンも洗い、シャツも洗い、下着も洗って、気分爽快です。しかし、問題、その3です。ザンジバル島は、モスリムが圧倒的に多い島。そして今は、ラマダンです。食事をする所がないのです。止むなく、昼は、買い置きのパンで、我慢し、夜は、薄暗くなるまで待って、屋台で、ポテトを食べました。アフリカは、美味しい食事がないのが、困りますね。あぁ、味噌汁に、ご飯、食いてぇ!
2012.08.28
コメント(6)
2012年8月6(月) アフリカ縦断の旅 41日目モシからダルエスサラームへ 1週間も滞在し、その間、寝ていただけのモシに、サヨナラをする日がやって来ました。体調は、昨日と変わっていないのに、移動は、気を引き締めるのか、わずかながら、体調が良くなったような気がします。6時半集合、7時出発と、チケットに書いてあったので、6時半に宿を出発しました。バス停に着いたのは、6時37分位だったでしょうか?バッファローか? と呼び込みに言われ、「乗れ乗れ」、とバックパックも車台下の荷物入れに、入れられ、バスチケットの座席8番を、5番に変更され、あっと言う間もなく、バスは、6時40分に出発しました。遅れるのが、普通のアフリカのバス、驚きましたねー!写真の撮れる窓側から、勝手に通路側に変えられてしまいましたが、座席はソファーのようで、座り心地は良いです。道路も、平原を一直線に伸びています。このような、マサイマラのサファリに行くような景色の中を、バスは走ります。象やライオンが、出てくるのではないか、と思わされますが、居ませんね。平原ですが、木は多いです。緑り豊か、って表現をしたい風景です。道路脇の民家です。ウガンダもそうでしたが、土の色が、真っ赤ですね。関東ローム層の赤土より、ずっと赤いです。その赤い土で、日干しレンガを作り、家を作っているので、家の壁も、赤いです。こんな道路脇の、風景です。ここは、木が少ないですね。もっと、小さな木が多く、茂っている場所が多かったです。このように、広い土地で、何か栽培しています。道路脇に、ポリ袋に入れた、荷物が、出されており、何だろうなー? とずっと見ていましたが、分かりません。1袋だったり、10袋位だったり、します。それを、トラックが回収して行きます。炭だったのかなー? 一車線ですが、相変わらず、平原をまっすぐに伸びる道路を走ります。7時間で着くと行っていましたが、既に、8時間を超えています。隣のおばさんに、何時に着く? と聞いても、笑うばかりで、分からん、と言います。この広大な大地、1時間や2時間、大差がないのでしょう。アジアの星一番も、気にしない事にしました。そうそう、10時頃、バスが止まり、食堂があったので、弁当に詰めて貰いました。美味しかったですねー。ライスに、チキンに、牛肉に、野菜に沢山入っていました。美味しく食べるのは、昨日のトマトスープを除けば、10日振り以上でしょうか?美味しく食べられるって事は、体調も良くなっているって事ですね。良かった、良かった。満足して、居眠りしておりました。さて、9時間が経ち、ダルエスサラームに着きました。タクシー運転手が、群がりよって来ます。勿論、相手にしません。この町には、「ダラダラ」と呼ばれる、ミニバスがあります。何度も、聞きながら、その乗り場へやって来ました。この辺りの雰囲気で、危険は、感じません。これが、「ダラダラ」の、車内です。普通のミニバスです。20分以上、乗って市内に着きましたが、300シリング(15円)です。ダラダラは、中央郵便局の前で降りましたが、そのすぐ隣に、YWCAがあります。危険な町と言われているので、あんまり歩かなくても泊まれる場所を選びました。トイレ・シャワー共同だと、1万シリング(500円)ですが、ツインルームのトイレ・シャワー付きにしました。2万5千シリング(1300円)です。シャワー室です。シャワー室の電気は点かないし、シャワーは水だし、お値段の割には、お粗末な部屋と、対応です。モシの宿の方が、ずっと良かったですね。しかしながら、客は、多いです。シングルに泊まりたかったのに、満室でした。シャワー・トイレ、共同の部屋も、ほぼ埋まっています。ほとんどの客が、白人です。モシと同様、白人の観光客が多いです。YWCAの近くに、YMCAもあります。そちらで、夕食を食べて来ました。3600シリング(180円)です。追記早速、エアーチケットを調べに、航空会社数軒を回りました。ダルエスサラームから、ザンビアのルサカ 最安値 278US$。リロングウェイから、ルサカ 627US$何と、リロングウェイまで、汽車とバスを乗り継ぎ、そこから飛行機に乗った方が、圧倒的に高いです。リロングウェイから乗る人が少ないし、飛行機会社もケニア航空位しかないので、高いそうです。飛行機で、ひとっ飛びの、case-3に、心が動いています。リロングウェイから、安い飛行機がないか、さらに調べて貰って、明日、決める事にしました。
2012.08.27
コメント(4)
2012年8月5(日) アフリカ縦断の旅 40日目モシ7日目 モシの町散策 モシの町を、散歩して来ました。何にもない町ですね。キリマンジャロがなかったら、もっともっと、田舎だと思うと、可哀相な位、小さな町です。しかし、白人は、多いです。今までの、どの町よりも、白人が多いです。レストランの客全員が、白人、などと言う光景も宿のすぐ近くで見ました。しかし、日本人には、出会っていません。アフリカでは、アディスアベバの宿、ナイロビの宿、その2回しか、会っていません。きっと、沢山の日本人は来ていると思うのですが、アジアの星一番の宿泊する宿と、違うのでしょうね。南米では、バスとか、汽車とか、宿とかで、結構、日本人に会いました。アフリカで、こんなに会わないとは、思いませんでした。さて、確か、初日に、キリマンジャロが少し見えましたが、今日も、ほんのりと見えています。この写真では、わからないですね?これで、分かるでしょうか? 雲の色と、雪を被ったキリマンジャロが似ているので、写真だと、非常に分かりにくいです。もう一度、引いて写真を撮ってみます。まぁ、分かりにくいですよね。でも、これがキリマンジャロなのです。町の中心? かな、クロックタワーです。病気だったので、ずっと食欲もなく、毎日、2食しか食べていません。本日も、食欲がなく、食べたいなー、と思うものがありません。たまたま、何でも屋のレストランがあったので、入って見ました。トマトスープ、これは、美味しい。久ぶさに美味しかったです。チャーハンです。まぁまぁ、論評したくない程度です。さて、モシ以降のスケジュールですが、ずっと迷っています。ザンジバル島に、1週間程度滞在しようとしていますが、これは変わりません。その後のスケジュールなのですが、タンザン鉄道に丸1日乗って、ムベヤへ行き、マラウィにバスで入る。このタンザン鉄道、火曜と金曜の週2回しか出ていません。実は、この汽車に乗ろうと、今までの工程を調整して来たのです。ですが、10日近い、熱と体調不良で、その後の、きついバスの旅に不安を感じてしまっているのです。タンザニアから、マラウィ、モザンビーク、ジンバブエを通って、ビクトリアフォールへ行く予定でした。すると、下記のような時間がかかります。 ダルエスサラーム →ムベヤ 汽車 丸1日 ムベヤ →国境 2時間 ミニバス 国境 →カロンガ 1時間半 ミニバス(マラウィ入国) カロンガ →ムズズ 5時間 ミニバス ムズズ →ブランタイヤ 夜行バス17時→7時 ブランタイヤ →ハラレ 11時間~15時間 (モザンビークを通ってジンバブエへ) ハラレ →リビングストン 12時間又は ハラレ →ブラワヨ 汽車 10時間 ブラワヨ →リビングストン バス 6~8時間まぁ、この程度の、汽車とバスの旅、健康体のバックパッカーなら、簡単、簡単、楽勝、楽勝、と言った工程なのです。しかしながら、気弱になっているアジアの星一番、この程度の汽車とバスの旅に、「大変だなー、大丈夫かなー?」、と不安がる気持ちなのです。又、4日も、5日も、寝込むのは、嫌だなー、と考えてしまうのですね。それで、タンザン鉄道には、乗って見たいし、マラウィのリロングウェイまで汽車とバスで行って、その後、飛行機で移動しようかと考えました。ダルエスサラームから、ひとっ飛びで、ザンビアへ入る方法も考えました。case-1 汽車とバスで、予定通り。case-2 マラウィまで予定通り、その後飛行機case-3 ダルエスサラームから、飛行機この3ケースになります。ダルエスサラームへ行き、マラウィからの飛行機が、200ドル代だったら、case-2に決めよう、この日の結論でした。
2012.08.26
コメント(4)
2012年8月4(土) アフリカ縦断の旅 39日目モシ6日目 今後の予定 モシに、もう丸5日間も滞在しています。何をしたか、丸々4日間ベッドの中におりました。それでも、毎日、ほんのちょっとですが、外出はしました。食事をせねばならないし、ネット屋にも行きましたから。それで、その間、キリマンジャロが見られたのは、たった1回です。曇り空が、多く、仲々、見られませんね。晴れた日であっても、キリマンジャロは、雲に隠れて見えません。恥ずかしがり屋なんですね、キリマンジャロは。さて、いつまでも、モシに留まっている訳には参りません。キリマンジャロに登るのは無理だし、1日トレッキングとかもありますが、病み上がりに、無理はしたくありません。セレンゲティサファリも行きたいですが、マサイマラとくっついた場所なので、既に行ったマサイマラと似ているだろうし、そこも止めです。そうすると、移動しかありません。次の場所も、ゆったりするザンジバルなので、1日、バスに乗れば、又、静養可能です。それで、今日、明日と、体調整備の為、さらにゆったりし、明後日、月曜日にダルエスサラームに移動する事にしました。と言う事で、バス停に行って見ました。バス停は、メインストリートの、ほぼど真ん中にあり、宿から歩いて、5~6分で、便利です。歩いていると、あちこちから、声がかかり、ダルエスサラーム行きのチケット売り場は、苦もなく探せます。声を掛けられすぎて、煩いですが、商売熱心なのでしょう。色々聞いて見ますと、ダルエスサラーム行きの、豪華大型バスを運行している会社は、3社あるようです。それぞれ、2種類のバスがあるようで、1.3列、通路、2列のバス。1万7千シリング(880円)2.2列、通路、2列のバス。2万5千シリング(1300円)3.2列、通路、2列のバス。2万8千シリング(1450円)病み上がりを考慮し、最高額のバスにしようと悩んでいたら、バッファローというバス会社が、結構、強引で、そこで、2万5千シリングのチケットを買わされてしまいました。やはり、体調不十分ですね。普段なら、絶対に、こう言う強引な手法に負けないのですが・・・。ともあれ、ダルエスサラーム行きのバスチケットは、確保しました。因みに、アフリカで危険な町、ベストスリーと言われているのは、下記です。第一位 南アフリカ ヨハネスブルグ第二位 タンザニア ダルエスサラーム第三位 ケニア ナイロビ第一位:ヨハネスブルグは、誰もが認めている危険な町、動かせません。しかし、第一位と第二位は、人によって意見が分かれます。長距離バス停から、市内まで、遠いのですね、ダルエスサラームは。それで、心配は、膨らみます。
2012.08.24
コメント(4)
2012年8月3(金) アフリカ縦断の旅 38日目モシ5日目 病院へ行く 一昨夜の夜から、36度まで、熱は下がり、その後も、1日半、熱は平熱です。しかしながら、身体はだるく、鼻詰まりは治らず、口をいつも開けて息をするもので、口は乾く、喉は乾く、そして疲れます。いくら休養しても、疲れは取れず、さらに疲れるばかりです。いよいよ、「アフリカ縦断の旅」、を中断して、日本へ帰らねばならないか?と、帰国便を調べておりました。しかし、帰国するにしても、このままの体調不良では帰るのも難しいです。なんせ、ここは、タンザニアの中央部。一旦、大きな町に出なければなりません。そこで、帰国便を買うことになりますが、日本直行便はないでしょうから、ドバイとかで待ち、香港で待ち、とか、きっと待ち時間が、多いです。何れにしても、体調を元に戻さねばなりませぬ。それで、本日の午後、宿に紹介して貰って、病院へ出かけました。マラリア検査をしました。 →異常なし。この検査、血を採るのですが、いきなり、何の予告もなく、指の先に、グサッっと針を刺されましたので、痛いのなんのって・・・。 優しくないです。まぁ、それでも、異常ないことは、確かめられました。医者の診断です。扁桃腺が、腫れているから、そのせいで、熱がでているのだろう。 との事です。扁桃腺の炎症防止、痛み止め、アレルギー防止薬、点鼻薬、を貰い帰りました。診察料、3万シリング(1500円)、薬代1万2千5百シリング(600円強)物価に比べると、診察料は、ベラボーに高いですが、これで体調不良が治れば、安いものです。医者にも行ったし、宿の屋上に行って見ました。屋上から見た眺めです。これが、モシのメインストリートです。これは、メインストリートのから、キリマンジャロの反対方向を見た所です。この宿に泊まっています。(向こう側の高い建物)4泊目から、長期滞在だから、安くせぇ、と値段交渉し、2万シリングから、1万5千シリングにして貰いました。1泊750円ですよ。しかも朝食付き。安いですねー!部屋も広く、悪くないです。何故、皆さん、バックパッカーホテルなんぞと言う、高い宿に泊まるのでしょう?あそこは、1泊12ドル、部屋は、物凄く狭い。シャワー、トイレ共同。良い所、何もないです。さてベッド生活、4日目。明日は、普通の生活が、出来るでしょうか?
2012.08.23
コメント(6)
2012年8月2(木) アフリカ縦断の旅 37日目モシ4日目 本日も終日ベッドの中熱が出てから7日目。もう丸2日、ベッドに潜り込んでいます。今朝方、熱は、平熱以下に下がりましたが、鼻は詰まっているし、身体もだるい。又、いつ、熱が上がるか分からないので、本日も、ベッドに居る事にします。寝て、うつらうつらしていると、悪い方向を考えます。マラリアではないのか? アフリカ縦断の旅、37日目ですが、対策を十分に取っているためか、蚊に刺された事はありません。ですから、マラリアのはずはないのです。それに、マラリアならば、もっと高熱が出ていいはずです。エボラ出血熱? 丁度、旅した、ウガンダ、ルワンダで、10数名の死者が出たらしい。メールや、ブログのコメントで、教えてくれる方が、おられます。時期がぴったりなのですね。潜伏期間を遅い方の、半月と考えれば、その時期もぴったり。オーマイガァット! やめてくれ!但し、頭痛、筋肉痛、嘔吐は、ありません、若干、下痢気味ではありますが、1日2食で、熱もあり、薬漬けですから、下痢になっても仕方ありません。そんな事で、心配ばかりしています。熱は、朝、35度台、昼も35度台、夕方、35.8度。夜36度、と平熱です。しかしながら、鼻が詰まっており、口を開けて、息をするため、寝にくい。極めて寝にくく、苦しい。そんな事で、丸3日目の、ベッド生活も、同じように暮れました。
2012.08.22
コメント(2)
2012年8月1(水) アフリカ縦断の旅 36日目モシ3日目 終日ベッドの中 終日、ベッドの中。風邪薬を飲み、毛布をもう1枚貸して貰い、うつ病の薬ものみ、そして、現地購入の、ジンマシンの薬も飲み、ベッドに籠っています。薬漬けですね。昨日も終日ベッドの中なので、熟睡は出来ません。うとうとしております。それで、もし、このままの状況が、数日続くようであれば、「アフリカ縦断の旅」を中断し、一旦、日本へ帰ろうとの考えも、浮かんでは消えています。病気は、心を弱くしますね。しかし、今度の度に出る前に、決めた事は、 「無理しない」、 「安全と健康」は金で買う。と言う二つの項目です。熱が出たのは、ルワンダのキガリです。6日目。これだけ、熱(微熱ですが)長く続くと、心配になって来ます。寝ていても、暑くなったり、寒くなったり、忙しいです。昼中は、熱も37度以上が続いていましたが、夜中の3時頃には、熱も下がり、身体も楽になって来ました。熱を測って見たら、35度です。ええー? 冷血人間か?どうも、汗を掻いたので、体温が下がっているようです。熱は下がりましたが、これで、また熱が上がった事、数回なので、安心出来ません。引き続き静養が、必要です。
2012.08.21
コメント(0)
2012年7月31(火) アフリカ縦断の旅 35日目モシにて1日中寝る キリマンジャロ見えた バックパッカーホテル、受付にWiFiあり、部屋でも電波は超弱いですが、たまに接続出来ます。共同シャワーは、大量のお湯も出ます。共同トイレも大きくて綺麗です。しかしながら、アジアの星一番は、超高級バックパッカー、部屋にシャワーやトイレがついてないのは、明らかに惨めな気分です。熱があり、体調は優れませんが、ホテル探しです。メイン道路沿いに、沢山ホテルはあります。何軒か見て廻り、Hotel New Castle に決めました。WiFiはありませんが、シャワー、トイレは部屋についており、蚊帳も大きなのが付いています。そして朝食付きです。WiFiを除けば、完璧です。お値段は、2万シリング(1000円)です。シャワーは、シャワー先端電熱器型です。トイレ室とシャワー室は分離されています。バックパッカーホテルと部屋の広さを比べると雲泥の差で。ここの方が断然よろしいです。熱があるのですが、ネットカフェを探しに出ました。そしたら、あれはなんだ?見えませんねー! もう少しアップにして見ましょう。まだ、見えませんねー!さらに、アップして見ましょう。見えましたか? キリマンジャロ山です。標高、5895m。アフリカの最高峰です。ここに登りたかったのですが、体調も思わしくなく、最終日が夜中の零時に出発で、10時間以上歩いて、頂上へ、それから、さらに下山、と信じられない、工程なので、諦めていました。せめて、眺めるだけでも、とモシにやって来た理由です。これで、よく見えましたね。見える部分は、真っ白の雪です。冬登山ですね。やはり僕には無理です。ネットカフェで、30分、ブログをアップしたりしましたが、熱が37.3度と上がって来たので、この日は、1日中、寝ていました。もう5日も、熱が上がったり、下がったりの連続です。モシで完全休養し、体調が万全に戻るまで、静養するつもりです。
2012.08.19
コメント(6)
2012年7月30(月) アフリカ縦断の旅 34日目ムワンダからモシ 熱にうなされる昨日の夕方から、夜中にかけて、熱にうなされました。治ったと思ったら、又、熱が出ます。何ででしょう?治りきらない内に、長距離移動したりするからでしょうか?本日も、飛行機ながら、長距離移動です。午前中は、ホテルに付いている、朝食を食べた以外、ずっと寝ていました。そして、午後3時、遅い昼食です。ビクトリア湖の魚を食べて見ました。すぐ近くに、マイホテルと言うのがありましたが、ここはWiFiがあります。4万シリング(2千円)ですが、よっぽど移ろうと思いましたが、体調も悪く、ネットする時間もなさそうなので、止めました。19時、エアータンザニアは、予定通り、出発です。この飛行機も、座席は、自由と、チケットに書いてありました。到着した空港は、キリマンジャロ空港で、アルーシャと、モシの間にあります。ホテルは見当たりません。バスもないと言います。タクシーしかないのです。客引きは、50ドルと言います。飛行機代が、90ドルで、わずか、すごそこのタクシー代が、50ドルとは、ベラボーではないか? と顔をしかめます。誰か、一緒に行く人はいないか、周りを見渡すも、皆、白人の団体客で、迎えが来るようです。便乗させて貰おうと思いましたが、皆さん、乗り気になってくれません。お金を払うからと言っても、Yesの回答は貰えませんでした。空港に泊まろうかとも、思いましたが、この体調不良で、こんな所に泊まったら、重体になる、「安全と健康は金で買う。」今回の旅の、方針を思い出しました。50ドルをなんとか、30ドルまで負けさせました。目指す、Coffee Tree Hotelへ行ったら、世界中、どこを探しても、こんな受付はいないだろうと言う、受付娘がいました。色々聞いても、居眠りしているし、ろくに返事もしない。10分位、聞いていましたが、呆れ返って、出て来ました。こんな受付を置く、オーナーの顔を見たいものです。タクシーを返さないで良かったです。ひとつしか、ホテルを調べていません。運転手に、適当な宿を紹介して貰いました。その名も、バックパッカーホテル。狭い部屋です。非常に狭いです。しかし、受付嬢の対応は、良かったです。もう、夜の9時だし、明日、別のホテルを探す事にして、ここで1晩過ごす事にしたのであります。尚、シャワー、トイレは、共同、WiFiは、受付辺りでは繋がる。これで、12ドルです。高いですね。シャワーの、お湯は、大量に出ます。これは嬉しい。どでかい、象の小便位の、お湯が出ますぞ。(例えが悪い)
2012.08.18
コメント(4)
2012年7月29(日) アフリカ縦断の旅 33日目ムワンザ市内散策ぐっすり寝たせいか、少しは気分が良くなったような気がします。しかしながら、体調十分とは言えません。何となく、体調不良です。ムワンザから次のモシへ移動する為の、手段を決めねばなりません。ムアンザからモシのバス 朝6時発、12時間、4万シリング(2千円)ムワンザからモシの飛行機、プレシジョン航空、235ドル(1万9千円) 同上 エアータンザニア 90ドル(7千2百円)躊躇せず、エアータンザニアのエアーチケットを買いました。バス、12時間は、信用出来ません。15時間以上かかるでしょう。さて、これが、宿泊している、Christmas Tree Hotelです。何とも、季節に合わない、(と感じる)ホテルですが、外観は可愛いです。部屋は、ちょっと、狭くて、変わった形ですが、使い勝手は悪くないです。お値段は、16000シリング(800円)ですから、お安いです。一応、机と椅子もあり、コンセントもあり、パソコンも開けます。しかし、シャワーの電熱器が壊れていて、お湯が出ません。頼めば、バケツに、熱いお湯を持って来てくれるので、それで、シャワーを浴びます。風邪気味には、きついですが、止むを得ません。部屋からのズームアップしたビクトリア湖です。一応、湖が見えます。エアーチケットを買いに行った時の町の様子です。町の中心、クロックタワーです。南米では、クロックタワーが、どこの街にもあって、良い目印になりましたが、ここにもありました。ビクトリア湖の、魚の水揚げ場、フェリーもこのすぐ近くから出ます。写真、撮れ、撮れ、と魚にかけてあった、カバーを取って見せてくれました。喉が渇いて仕方ありません。薬のせいでしょうか?オレンジを一つ200シリング(10円)で買ったら、とても美味しかったので、5ヶ買いました。この辺りから、夕日が映えるビクトリア湖が、とても、美しいらしいです。まだ、昼ですから、夕日には、ほど遠いですが、行って見ました。男どもが、ビクトリア湖を眺めています。様になりませんな。ビスマルク・ロックと呼ばれる、かろうじて、バランスを取りながら、岩に乗っている岩があります。これです。良く、落ないものです。こう言うのは、世界中にありますね。こちらに立っている、全裸の男、この写真に何ら関係ありません。ビスマルク・ロックを撮って、あとで見たら。全裸の男が立っていたのです。ビクトリア湖で、身体を洗っていた男です。夕方、太陽が沈む頃、もう一度、来ようと宿へ帰りました。しかしながら、夕方5時頃より、37.8度もの熱が出て、すぐさま、寝込み、ビクトリア湖の夕日は見られずでした。夜、大量の汗を掻き、翌日の、朝方には、平熱に戻ったのであります。(かのように、思った、翌日の朝でした)
2012.08.17
コメント(4)
2012年7月28(土) アフリカ縦断の旅 32日目ルワンダからタンザニア 72ヵ国目 本日は、ルワンダから、タンザニアへ大移動です。しかし、昨日、どうも身体がだるいなー、と感じ、昼頃、1時間ほど、昼寝しました。起きても、スッキリせず、熱を測って見ると、37.3度もあります。こりゃー遺憾、と遅い昼食を無理やり食べて、風邪薬を飲んで、寝ました。バスの出発は、朝5時半。もし、熱が下がらなければ、バス代は勿体無いですが、キャンセルして、延期にせねばなりません。時々目が覚めますが、ずっと寝て、起きたのは、午前3時。体調万全とは行きませんが、何とか、出発できそうなので、起きだして準備を始めたのであります。バスは、満席なるも、大型バスで、乗り心地は満点です。予定通りの時間に、バスは出発。乗ってすぐに居眠りを始めます。そして、尻ポケットに入れている財布が、半分ほど、出ている事に気付き、きっちり、入れ直して、ボタンもかけました。尻ポケットに入れた財布を無くした事が何度もあるので、ボタンをいつも掛ける事を忘れないようにしています。居眠りから目が覚めると、ルワンダとは景色が一変。小山の風景から、平坦な畑が見えます。そして、午前9時、出発して、2時間半。国境に着きました。(ルワンダとタンザニアには、1時間の時差があります。ルワンダ時間で朝8時、タンザニア時間で、午前9時に到着です。)バスから降りて、歩き始め、尻ポケットに手を当てると、な、なんと、財布がありません。すぐにバスに戻ったものの、ありません。おかしいですねー? この間、わずか数分です。あれだけ、気を付けていたのに、ボタンが外れて財布が滑り出てしまったのでしょうか?230ドルの現金。30ドル相当のタンザニアシリング、拾った奴は、ほくそ笑んでいるでしょうな。体調の悪さに増して、もうがっくりです。ルワンダの国境出国は、簡単。手続きはすぐに完了。ここが、タンザニアとの国境です。川の上、橋を歩いています。国境の川です。水は綺麗です。タンザニアへの入国には、ビザの取得が必要です。ここは非常に親切で、ビザの申請書を書く必要はありません。係官が書いてくれたのか、元々、書類が不要なのかは、分かりません。それで、ルワンダ出国から、タンザニア入国の全ての手続きが、1時間で完了です。早いですね。しかしながら、それからが長かったです。車、特にトラックが多く、それが、邪魔して、我々の乗るべき、バスがやって来ないのです。風邪が治りきらず、頭もフラフラするのに、路上で待つ辛さ。おまけに、財布を無くしてしまった残念さ。全く心細いです。午前11時、ようやく出発です。ムワンザまで、380キロあります。平均時速60キロで走っても、6時間、午後5時着。平均時速50キロで走ったら、7時間半、午後6時半着。平均火速40キロならば、9時間半、午後午後8時半着。まぁ、平均時速、60キロは無理でも、50キロでは行くだろう。丁度、暗くなる頃だなー? と体調を不安視しながら、おぼろに計算していました。タンザニアに入ってから、途中の風景です。広々とした荒地も見えました。ガハマと言う所についたのが、午後15時10分。ここで、ムワンザ行きの客は、降ろされます。次のバスはどれなのかさっぱり分かりません。ムワンザへ行くのは、アジアの星一番一人のようです。タクシーのようなの車、それに乗れ、(全く無関係の車だった)あそこの大型バスだ(ダルエスサラム行きだった)そして、結局、そこには、乗り換えのバスはなく、疲れて居るのに、無駄に、荷物の運搬を行っただけ。 それで、再び同じバスに乗り、別のバス乗り場へ連れて行かれました。ミニバスです。豪華バスが聞いて呆れません。ボロのミニバスです。おまけに、荷物置き場はありません。補助椅子しかあいていません。何時に着くのかなー? 早く着いて欲しいなー? 窓の外を眺めます。ムアンザに着いたのは、夜の9時半。疲れ切りました。なんと、15時間かかりました。風邪は、さらに悪化しています。聞いて回ると、バス停から、町まで、10キロほどありそう。もう歩くのは無理です。バス停の近くに泊まって、明日、町へ移動しようと思っても、宿は、見つかりません。止むなく、ぼったくりバイクタクシー(ボダボダ)と七面倒臭い交渉を行い、6000とか5000シリングと言うのを、3500シリングに負けさせ、町の中心に近い、ホテルにたどり着きました。22時半、ホテル着。着替える暇もなく、ばったりと、ベッドの倒れ込みました。
2012.08.16
コメント(0)
2012年7月27(金) アフリカ縦断の旅 31日目ルワンダの感想狂犬病の予防注射をして蕁麻疹が出来て以来、8年も飲み続けた、生姜紅茶は止めていました。生姜は良くないと言われたからです。昨日、市場で、生姜を見かけたので、買って来ました。今朝、久しぶりに生姜紅茶を飲みました。はてさて、蕁麻疹出るのか、否か?ここ、Hope Guest House は、簡単ですが、朝食付きです。それに、大きなバス停のすぐ近くなので、便利です。さて、本日は、暇です。明日、午前4時起きして、タンザニアへバスで出発します。丸々1日あるので、どこかへ行こうかと思いましたが、ブログの下書きもせねばならないし、宿で、ゆっくりする事にしました。さて、時間もあります。つらつらと、ルワンダについて考えてみます。ルワンダに関して、ここに来るまで、全く知識はなく、ここへ来るかどうかさえ、迷ったのであります。ウガンダは、バックパッカー初心者にお勧めの国、と聞いておりましたので、行きたかったのです。しかし、ある意味、その期待は裏切られました。何故ならば、首都カンパラは、まるでインドのようなのであります。騒然、雑然。、埃、人、バイク、ミニバス、それらが、入り混じったすごい町です。一方、小学校から、先生は英語で教えるし、公用語が英語ですから、どこへ行っても英語が通じます。英米のような発音で話す人も多いので、うますぎて、逆に分かり難いって事さえありました。結果、言葉の問題では、旅しやすかったと言う国でありました。 それで、ルワンダですが、結論から言いますと、気に入りました。今までのアフリカで、一番好きな国になるかも知れません。何故なのか、考えて見ました。1.ぼられる事がない。 靴磨き、バイクタクシー、買物、どれをとっても、現地人と同じ価格です。 これは、すごい事です。エジプトでは、この交渉で、疲れきってしまいました。 人間不信に陥ったものであります。2.ポリ袋の使用禁止。 入国時に、全てのポリ袋を没収されてしましました。バックパッカーにとっては、 必需品です。洗濯物が乾かず移動せねならない時、ポリ袋に入れます。 ゴミ入れにもなります。 しかし、これは、外国人に限らず、スーパーで買物をしても、ポリ袋でなく 紙袋に入れてくれます。徹底していますね。 どこの後進国も、不要なポリ袋を集めて燃やさない為、道路や、畑に 散らかっております。この徹底的なポリ袋排除。すごいですね。 きっと、コストは、もっと掛かっていると思うんですが・・・。3.バイクは必ず、ヘルメット着用。 アフリカ諸国は、国によって、名前は異なりますが、バイクをタクシーに 使用しております。(今までの国では。) ここルワンダでは、運転手は勿論、客もヘルメット着用です。 これも、徹底しています。ヘルメットなしで走っている人はいません。 この徹底度も、すごいですね。 因みに、他の国は、客はヘルメットなしで、乗せてくれました。 ただ、何百人が被ったか分からない、ヘルメットを被るのは、ちょっと 抵抗があります。安全の為ですから、仕方ないですが・・・。4.道路の舗装が整備されている。 これは、ウガンダからキガリへの道、キガリ市内、コンゴ国境への道を 走っただけの経験で、言うので、全土ではないかも知れませんが、道路の 舗装が整備されています。コンゴ国境への道は、全て山道ですが、凸凹は 全くありません。エチオピアとは、大違いです。 ここは、市内ですが、このように、きちんと整備されています。 カンパラなどでは、ボダボダ(バイク)から、振り落とされそうになります。5.市場も整然としている。 →昨日、アップした通り。 ウガンダの首都カンパラに泊まったホテルの前は、市場でした。 朝早くから、もうすごい騒音と雑然さ、唖然とします。 ここルワンダのキガリの東部に、キミロンコ市場と言うのがありました。 整然としています。細いですが、歩く道は、確保され、商品を棚に山積み されておりました。カンパラとは、大違いでした。 このように、かなり周辺諸国と異なります。長くなりますが、ルワンダについて、ちょっとだけ、説明させて頂きますと、昔、昔、アフリカのある所に、フツ族と、ツチ族が住んでおりました。フツ族は農耕民族、ツチ族は遊牧民族ですが、共存して、争いもなく、ルアンダ王国を作っていたとさ。19世紀、西欧の奴らがやって来ました。しかし、統治者は、かつての我が日本の同盟国、ドイツであります。ドイツは、ルワンダ王国の統治を使用し、間接統治を行いました。フツ族とツチ族の争いもありません。仲良く住み分けておりましたとさ。世界大戦で、ドイツが敗北すると、今度は、ベルギーがやって来ました。ベルギーは、王国を形骸化し、植民地化し、ツチ族をことさら優遇、利用し、自国の利益を増大させようとしたのであったそうな。それで、民族対立が、湧き起り、無残にも、国民の10%が虐殺される紛争に発展するのであります。虐殺された人々、80万人程度と言われておるそうな。白人とは何と、悪いことをする人種でありましょうや?今になって、人道だの、鯨を食うとは、野蛮だとか、言っていいものでしょうか?あぁ、疲れました。まだ、その虐殺は、20年経っていません。それが、これだけの規律を保って、経済も成長しているそうです。ルワンダ、ルワンダ人、すごいですね。ルワンダの庶民が食べる、定食です。芋類と、豆を混ぜております。IMYUMBATI、イミュンバテと言うそうです。これは、カンパラでも食べましたね。これで、500フラン(65円)です。飲み物は、ヨーグルトにしました。200フラン(26円)でした。ルワンダを、一言で言えば、小山の国。栃木県ではありません。小さな山の集まりと言う意味です。その小さな山を、畑にしたり、家を建てたり、最大限利用しています。北の方へ行けば、4500m級の山があるようなので、その辺りは、又、別の景観なのだと思いますが、今回はいけませんでした。 以上、ルワンダの感想でした。
2012.08.15
コメント(3)
2012年7月26(木) アフリカ縦断の旅 30日目キガリ市内散策 本日は、キガリ市内の散策です。出発前に、靴が汚れているのと、靴底が少し剥がれてしまっているので、修理と靴磨きをして貰いました。200フラン(26円)です。安いですね。靴も、綺麗になりました。まずは、1994年に行われた、ジェノサイド(集団殺戮)の記念館です。詳しくは、明日のブログで、簡単に説明しますが、フツ族と、ツチ族の戦いです。ここが、メモリアル・センターの入口です。バイクで、500フラン(65円)で、ここまで来れます。入場料は無料です。記念館から、市内のメインストリート辺りを眺めた所です。何度も言いますが、山の上に、繁華街があるのですね。テープでの説明は、15US$ですが、英語が理解出来ないと意味ないので、見て回るだけにしました。他の国のジェノサイドの展覧もありました。(例えば、カンボジャのポルポト、ドイツのヒットラーなど。)ここに、虐殺された人たちが、眠っているそうです。さて、虐殺、殺された人には、申し訳ないですが、あまり気持ち良いものではありません。一応、ざっと見て、タクシーパークへ戻りました。まだまだ、時間があります。それで、今度は、町の東側にある、市場、キミロンコ・マーケットへ行く事にしました。この市場は、キミロンコ・タクシーパークのすぐ隣にあるので、とても便利です。先日、キブ湖半で見た、煮干のようなのを、大量に売っております。こちらは、大きな魚です。ちょっと、食欲が湧いて来ないですね。やはり、ここにも、この葉っぱが売られておりました。この葉は、磨り潰して、ペースト状にして使うようです。野菜売り場のお兄さん。お母さんと一緒に商売しています。愛想も良く、気分よく、写真を撮らせてくれました。パイナップルにバナナ。個人では、こんなに大きいバナナは買えません。豆類です。この辺り、豆は、かなり食べますよ。主要な食物でしょう。果物類です。その他、洋服屋、カバン屋、土産物屋、雑貨屋、なんでもあります。今まで、見た市場に比べると、通り道は狭いですが、かなり整頓されています。国民性を現しているのでしょうか?
2012.08.13
コメント(4)
2012年7月25(水) アフリカ縦断の旅 29日目ちょっと遠いけど、キブ湖へ(コン国境)ルワンダ国内の、サファリは、高すぎて手が出ません。それで、ミニバスで3時間と、ちょっと遠いのですが、ルワンダとコンゴにまたがる、キブ湖へ行って見る事にしました。その前に、この袋を見て下さい。これは、スーパーで買物をした時に、入れてくれた袋です。紙製ですね。入国の時に、ポリ袋を没収されました。ルワンダ国内でも、ポリ袋は禁止されているのですね、きっと。ポリ袋は、便利ですが、地球に優しくありません。紙は、ポリ袋より弱いし、水に弱いし、濡れた物も入れられないし、不便ですが、地球に優しいです。ルワンダ、全く知らない国でありましたが、素晴らしい政策ですね。ミニバスにに乗って、キブ湖方面へ出発です。首都キガリから見ると、西方面になります。地図で見ると、左側ですね。町はすぐ抜けました。すると、このような、段々畑が、見えます。この写真では、ちょっと分かりにくいですが、ルワンダは、小さな山ばかりです。ルワンダは、国土の全部が、標高1000mから4500mで、丘陵地帯です。平坦部は少ないです。山の上まで、耕さねば、食料を作れないのでしょう。ここの人達は、荷物は、頭の上に乗せて運びます。どでかい、バナナや、ポリバケツの水、でかい木、なんでも、頭の上に乗せますね。そう言えば、ここでは、ロバ車とか、見なかったです。途中、1本だけ、川がありました。キブイエ(Kibuyr)の町には、2時間45分で着きました。全て山間部の道路ですが、全て舗装されていて、車も走り安い道路です。エチオピア辺りと比べると、格段に道路は良いですね。早速、小さな町の、食堂で、現地食を食べました。食べ放題で、1000フラン(130円)です。肉、豆、ポテト、野菜炒め、ライス、パスタなど。このような物が、現地食のようです。キブ湖方面へのバスとか、ミニバスとかありません。止むなく、バイクタクシー(ウガンダでは、ボダボダと言う呼び名でした)に乗って行きます。値段は交渉ですが、1500フラン(200円)支払いました。5分も走らないで、キブ湖へ着きました。キブ湖で捕れた、小魚を干していたので、カメラに、写真収めましたが、干してから、どうやって食べるのでしょう? 煮干ですかね?バイクを降りて、歩いて行くと、舟があります。これで、キブ湖を遊覧するようですが、1万5千フランだと言うし、乗っても風景は似たようなもの。超高級バックパッカーに昇格していますが、無駄遣いはしません。キブ湖は、ビクトリア湖に比べれば、まぁ、小さなものでありますが、山に囲まれておりますので、益々、小さく見えます。コンゴは、こちらの方面であると、教えて貰いましたが、小さい湖とは言っても、コンゴ側は見えませんでした。これは、町から数分歩いた所です。ここでも、小山の麓から、上まで、家が作られております。このミニバスで、やって来ました。2列、補助椅子(通路)、1列の座席で、アジアの星一番は、行きも帰りも1列の座席を確保しました。山間の道であり、道路は良いので、縦揺れはしませんが、ハンドルを切る度に、横に大きく揺れます。椅子がポリ製で、アジアの星一番のニッカボッカは、化繊ですから、良く滑って、隣の人に、覆いかぶさってしまいます。身体を動かさないよう、大変な労力を使いました。帰路途中の民家です。やはり、小山の下から上まで、家があります。首都のキガリから、コンゴ国境の、キブイエまでの間で、平坦な土地は見ていません。全て、山、山、山、山、山、の連続です。ミニバスの中から、景色を撮っていたら、偶然、現地の人が写りました。農作業からの帰りでしょうか? スコップを持っています。向こう側に見える山も、畑に開墾されていますね。往復、約、6時間の旅。ルワンダは四国の1.5倍程度の国土の、ようですが、ほぼ西半分を行って、帰って来た事になります。首都のキガリだけでなく、コンゴの国境まで、見られて良かったです。行き帰りのミニバス、昼食代やら、水も買いましたが、全て含めて、1200円程度でした。キガリに帰って来て、ネットして、夕食です。やはり、ライスに、ポテトに、豆に、牛肉です。ルワンダでは、ずっと、この食事に、なりそうです。
2012.08.12
コメント(4)
2012年7月24(火) アフリカ縦断の旅 28日目ルワンダのキガリ着 71ヵ国目予定よりも、1時間半遅れて、ルワンダの首都、キガリに着きました。朝の7時半です。ウガンダの出国は、極めて簡単で、こりゃー良いわい、とほくそ笑みました。しかしながら、ルワンダへの入国に手間取りましたなー。1時間半ちょっと掛かりました。何故かと言うと、バスの中で、入国申請書をくれなかった事と、もう一つは、荷物検査に時間が掛かった事にあります。バックパックも全部開けられて、プラスチックの買物袋、これは、全て没収です。漏れると困るので、シャンプーを包んでいましたが、それも取られました。買物袋、有ると色々と便利なのですよね。ゴミ袋にもなるし。全て無くなりました。でも、これは、環境汚染をルワンダ政府は、防止しようといしているのでしょう。どこの後進国でも、ポリ袋が捨てられ、風に吹かれてピラピラしています。燃やさない限り、絶対に腐らない代物だし、良い事だと思います。宿探しです。ルワンダの情報は、「歩き方」には、4ページしかなく、安宿の情報もありません。従って歩くしかないです。着いたバス停周辺を、探し歩きました。ゲストハウスと言う文字が見えて来ました。部屋を見せて貰うと、割と清潔です。トイレには、大きなタライもあります。洗濯用ですね?リゾートホテルでもないのに、有難いですねー。ケチなゲストハウスでは、シャワー室で洗濯禁止、なんて所もありますから。トイレ、シャワー付きで、1万フラン、これを3泊するからと、9千フラン(1170円)に負けて貰いました。安いですねー。因みに、トイレ、シャワーが、共同だと、7千フラン(800円)です。ホテルからの眺め。このキガリの街は、坂が多いです。市の中心行く道も上りです。平坦ではないです。家も山の麓からてっぺんまで、作られています。近くの小奇麗な食堂に行きました。ウガンダで、食べたものと、ほぼ、同じですね。肉定食です。ライスに、バナナに、豆に、パスタです。これで、1200フラン(160円)です。値段も、ウガンダと、あんまり、変わらないですね。次の目的地、タンザニアのムアンザへのバス、直通が、週に2回しかありません。火曜日と土曜日です。今日は火曜日。次は土曜日です。直通に乗ると、ここに4泊しなければなりません。それで、ルワンダ国内の、ツアーがないか、旅行代理店を探しに出ました。ここが、市の中心と言われる辺りのようです。旅行代理店は、見つかりました。4~5社、訪ねて聞きましたが、ここは、個人ツアーしかやってないのですね。アジアの星一番のように一人ですと、とてつもなく、高くなってしまします。一人で、車を一台チャーターせねばならないからです。運転手を入れて、7人乗りのランクルと言っておりました。(どこも同じ)ですから、4人とか、5人のグループに入れて貰えれば、割り勘で安くなります。そう言うアレンジをやっていないのです。例えば、北部のアカゲラ国立公園、車代280US$,ガイド料30US$m入園料30US$、たった1日の、ツアーで、340US$もします。如何に、超高級バックパッカーに昇格したとは言え、これでは、行くのは無理です。さらに、マウンテンゴリラに会える、北西にある国立公園は、な、なんと、800US$も取るのです。ゴリラに会うだけでですぞ! ぶったまげました。これなら、ゴリラに似ている、ウガンダ人を探した方が、まだマシです。一応、3社に、メルアドを渡して、5人程度のクループに参加出来るなら、連絡して欲しいと、お願いして、出て来ました。ですが、期待薄ですね。きっとダメでしょう。あまり見るべき所もなさそうなので、飛行機で、タンザニアのキリマンジャロへ飛ぼうかと、エアーチケットを探しに歩きました。その代理店もすぐに何社か見つかりました。キガリ → キリマンジャロ 375US$ →ちょっと高過ぎ。バスで、ルワンザまで移動し、そこで、飛行機に乗った場合、226US$.やっぱり、予定通り、タンザニアのムアンザまで、バスで行く事に決定。夜行バスに乗って、キガリにやって来ましたが。バスはリクライニングで、大型バス。快適なバスで、睡眠も十分。このようなバスならば、夜行が良いですね。景色は見られませんが、宿代の節約、時間の節約が出来ます。
2012.08.11
コメント(4)
2012年7月23(月) アフリカ縦断の旅 27日目カンパラで待機 パスポート受領これが、宿泊している、ツーリストホテルの目の前、ナカセロ・マーケットです。朝も、早くから、ワイワイガヤガヤ、すごい喧騒です。ごった返していますねー。この葉っぱ、かなり広い売り場面積でした。何でしょうか?実は、夜行バス出発の前に、夕食を食べましたが、この葉っぱも定食についていました。その前に、2回食べていた、食堂です。ですが、夜行バスに乗る時に、口の周りに、久しく出なかったジンマシンが出たのです。焦りますね。慌てますね。重慶で、1ヶ月以上、悩まされたジンマシン。この葉っぱのせいでしょうか?「アフリカ縦断の旅」、出発前夜、寿司を食べて、同じように口の周りに、ジンマシンが出て以来です。あの時は、慌てて、夜間診療で、薬を貰ったのですが、その薬を、飲みました。(翌朝、このジンマシンは、引っ込みました。良かった、ホッ。)こんな風にバイクで、運び込む人もいます。こんな風に、ネコで、買った(?)モノを、運ぶ人もいます。車の行列の中、恐れもせず、どんどん、押していました。そして、午後、パスポートを貰いに、ルワンダ大使館へ行かねばなりません。バイクのタクシー、ボダボダと言いますが、その運転手と交渉して、3千シリングで、往復する事で、妥結しました。そして、少し走ったら、運転しながら、もっと支払ってくれ、と言い出しました。話が纏まって、出発したのに、アジアの星一番には、余分に支払いつもりは、全くありません。ですが、運転手もしつっこです。それで、「もう、ここで、降りる、止まれ!」、と結構、怒って指示を出しました。そしたら、運転手、「もう、結構、走ったから千シリングだ」と、言いますが、アジアの星一番は、無視です。ルワンダには、そんな汚い手を使う人はいないと言う、噂でしたが、居るのですねー。ったく、腹立つなー、と、思いつつ、ここは、どこだ? とキョロキョロしながら、歩いておりました。すると、恰幅の良い、紳士風な黒人が、「どこへ行く?ルワンダ大使館? 乗せて行ってやる。」、と車のドアを開けました。こう言うのが、迷うんですねー。乗って良いものか、悪いものか?どこかへ連れ去られたら、一巻の終わりです。ナイロビだったら、絶対に乗りませんが、犯罪がアフリカで一番少ないと言われております、ウガンダです。乗せて貰いました。彼は、アジアの星一番が、中国人と思い込んでおります。「一緒に商売をしよう。」、と。その魂胆から、親切だったのですね。まぁ、適当に話を合わせておきました。メルアド交換をしたので、何かを言って来るかも知れません。パスポートは、無事受領。しかも、ボダボダの支払いをせずに。そして、エチオピアで買った、マウスが、もうダメになりそうなので、購入の為、カンパラのメインストリート、カンパラ通りに行きました。そしたら、こんな看板が、二つもありました。なんと、大川隆法先生ではないですか!驚きましたね! ウガンダの首都まで、手を伸ばしているのです。すごいですねー!昼食です。チキン定食です。定食だと、同じような感じですね。ライスに、豆に、バナナ、ポテト類です。これで、4千シリング(135円)です。この日は、夕方5時頃より、すごい雷と共に、大雨が降りました。雨は、エチオピアのアディスアベバ以来です。午後9時発の、夜行バス。そのバス停まで行かねばなりません。ボダボダで行こうとしていたので、2千シリングしか残していません。しかし、ボダボダはバイク。雨が降っていたら、びしょ濡れです。それでなくとも、何が良くなかったのか、口の周りにジンマシン。雨さん、止んで下さいよ! と神に祈りました。午後8時頃小雨になったので、仕込み杖の中の傘を頼りに歩き出しました。そしたら、本当に、ポツッ、ポツッっと言ったような雨に変わったのです。傘は不要です。祈りが通じましたねー! 20分、急ぎ足で歩いて、濡れずにバス停に着きました。しかし、汗でびっしょりです。
2012.08.10
コメント(6)
2012年7月22(日) アフリカ縦断の旅 26日目ジンジャからカンパラへビクトリア湖の朝です。ホテルの位置の関係で、湖から太陽が登って着ません。 それは、ちょっと、残念ですが、朝靄の湖も良いものです。湖の辺に降りて行こうと、ホテルからの道をちょっと下がったら、彼がいました。沢山、猿がいます。こちらは、毛づくろ位を行っています。小さな赤ちゃんを抱いているのですが見えますか猿が沢山いるし、道も草に覆われているので、湖畔に降りるのは諦めました。エチオピアのアワサ湖は、湖畔を、ずっーーーーっと、歩けたのに、ここは、ダメです。本日は、予定より長居してしまった、ジンジャを去り、カンパラへ戻ります。いつもの、タクシー(乗合ミニバス)に乗って、2時間です。短い旅を楽しんで、カンパラに戻って来ました。そして、すぐに、明日のルワンダ行きバスチケットを買いに行きます。1日、5~6本のバスが出ています。アジアの星一番は、最終の21時発、夜行バスチケットにしました。4万シリング(1300円強)です。9時間で着くと言っていましたが、ここで、本当? って話を聞きました。国境で、ルワンダのビザが取得できると言うのです。そうであれば、わざわざ、2回も、ルワンダ大使館へ行く必要もなかったです。ルワンダ大使館で、聞いた時は、国境でビザは発給しないと言っていたのですがねー? 大使館の話の方が本当でしょう。それにしても、紛らわしい情報です。バスチケット購入後、遅い昼食にしました。アフリカに来て、一度も魚は食べていませんが、日本にも輸出されていると言うビクトリア湖で漁れる、白身魚を、食べて見なければなりません。美味しいです。中国では、魚が美味しくなく、且つ高いので、ほとんど食べた事がありません。同じ理由で、海外で、魚を食べる回数は、極端に少ないですが、この位の味ならばもっと回数を増やしても良いですね。ご飯も、このように盛ってくれました。これで、5500シリング(180円強)です。お値段も、手頃です。夜は、宿の前にある、ナカセロ・マーケット内の食堂へ行こうと思いました。お皿を洗っている所を見たら、桶の中の水は替えないで洗うものですから、真っ黒です。ちょっと、食べる気になれません。それで、前にも行った、ビル内の食堂へ行きました。夜の8時頃です。もう、閉店です、入口ドアを閉める寸前でした。そこを、頼み込んで、これしかない、と言うのがこれです。バナナビーンズ、と言っていましたので、バナナに豆の料理です。ですが、ポテトも入っていましたね。味は、よろしかったです。重慶飯店の、チャーハンより、数段美味しかったです。
2012.08.09
コメント(2)
2012年7月21(土) アフリカ縦断の旅 25日目白ナイルでカヤック昨日は、ラフティングでしたが、救命隊のカヤックが、あまりに格好良かったものですから、カヤックもやって見たいと思いました。昨日のオフィスで、話をすると、一人でも教える、且つ、1日60US$だが、50US$に負けると言うので、すぐに申し込んでおきました。1日60ドルと言うのは、どこかで見た価格です。たぶんホテルで手配すると、10ドルはホテルの取り分になるので、直接申し込んで来た人に、10ドル値引きしても、彼らの収入は同じなのでしょう。きっとそうです。昨日と同様、宿まで迎えに来て貰いました。昨日と、同じ景色の前で、待ちます。パンを買って置いたら、カビが生えて来たので、鳥の餌にしようと、持参しました。しかし、鳥が全く来ません。それで、小さくポロポロと、壁の上に撒いたら、蟻がやって来て運んでおります。働き者ですね、蟻さんは。本日は、段取りが悪く、仲々、始まりません。どうも、インストラクターの、カヤックが、来ないようなのです。痺れを切らした、アジアの星一番、マネージャーに文句を言いました。ここのマネージャー、インド系です。そう言えば、カンパラのホテルもインド系のマネージャー、今、泊まっているホテルの取締役もインド系。マネージメントクラスに、インド系が多いですね。インストラクターのカヤックは到着しませんが、準備を開始です。9時に着いたのに、もう11時前です。2時間近く待ちました。スカートのようなものを穿いて、それの端にゴムが付いています。それをカヤックの周囲に、付けて、水がカヤックの中に入らないようにします。そして、横転した時の、立ち上がり方の練習です。カヤックを反対にして、アジアの星一番は、水中で逆さになっています。手だけ、見えています。ひぇー! ゴホォ、ゴホッ、苦しい!と、やっております。この他、横転したら、櫂を使って、起き上がる練習を、何度もします。仲々、うまく行かないものですね。今度は、漕ぐ練習です。仲々、真っ直ぐに進まないのです。漕ぐ時に、体重移動してしまうと、右に体重をかけると、右へ曲がり、左に体重をかけると、左に曲がります。これが、上流へ向かう時に、曲がりが、さらに大きくなって、時には、進行方向の反対側に向いてしまうこともあります。多くの現地人に見られていました。彼らは、舟で見学のようです。1時間半程、白ナイルの川の上で、横転したり、起き上がったり、櫂を漕いだり結構、腰も疲れます。昨日、日焼けした、太股から膝も痛いです。最終的には、このように、すいすいと漕げるようになった次第です。でも、横転時の起き上がりには、まだ自信がありません。本来は、4時間位、練習するのに、段取りの悪さで、たった1時間半だけです。普通、2日間の講習で、横転立ち上がりが、きっちり出来るとの事でした。また、機会があれば、挑戦したいと思います。
2012.08.08
コメント(2)
2012年7月20(金) アフリカ縦断の旅 24日目ラフティングで、白ナイルに放り出される櫂を流された、ベルギー夫人、慌てず、騒がず、レスキューが櫂を拾って、届けるのを待っていました。このボートが、救命隊の本部です。このでかいボートを一人で漕いでいます。この他、カヤックで、4名が、守ってくれます。ポイント以外は、このようにとても静かな流れです。ですから、全員で、一生懸命、漕がねばなりません。かなり疲れます。まだ、ポイント1を通過しただけなのに、腕が痛くなって来ました。何と言うのか、水鳥が結構多くて、首を出したり、水に潜ったりしています。しかしながら、他の川の動物は、見当たりませんね。落ちたとき、怖いので、ワニはいないか確認しましたが、ここには、いないそうです。二つ目のポイントは、グレード4で、一つ目より、簡単なのですが、僕の前に座った、ベルギー夫人だけが、ボートから、振り落とされました。慌てず騒がずどころか、大慌てでした。幸い、ボートの廻りにある、ロープを掴んでいたので、ボートから離れる事はなく、運転手に引っ張り上げられて、無傷で、無事でした。彼女は、超ビキニを穿いておりましたが、引っ張り上げられた時に、ずり落ち、後ろから見ると、丸裸同然です。気が動転しているのか、超ビキニパンティがずり下がったまま、僕の前に座りました。ほとんど、穿いてないのと同じですから、尻の割れ目も、全開です。見たくもないのですが、櫂を漕ぐ時に、前の人と、タイミングを合わせないと、ぶつかります。止むなく、見えてしまうのですねー。困りましたなー。三つめのポイントです。結構、波は大きかったが、全員無事に通過。レシキュー隊の、カヤック、うまくカヤックを操作して、激流をすいすい、下って行きます。格好良いですねー。あんな風に乗りたいですよ。激流を無事、降りて、一安心の、皆さんです。さて、11時20分ころ、出発して、腹が減って来ました。時計がないので、何時か、分かりません。後で知りましたが、午後2時、昼食です。ボートに乗ったまま、昼食を食べます。スパゲッティとパスタでした。腹が減っているから、うまかっですね。白ナイル川の上で、昼食を食べるとは思わなかったです。各ポイントを下り降り、残りは、あと二つ。ポイント7、とポイント8です。ポイント7が、グレード4。ポイント8が、グレード5。最後のポイント8では、ほぼ100%、ボートが転覆すると聞かされて胸の動機が激しくなります。その前の、ポイント7です。これで、グレード4なのですよ。怖々と乗り出しますが、最後の、ポイント8に、気が向いており、皆さん、比較的、リラックスしております。そうしたら、全員の櫂が揃わず、ボートが横向きになったまま、激流に突っ込みました。横波をもろに被って、全員が転落。落ちると思っていなかったので、多少、慌てましたが、じっとしていれば、浮かび上がると、割と、余裕を持っていました。案の定、浮かび上がりました。一息、大きく息を吸ったら、すぐに次の大波に襲われました。これには、驚きました!慌てました!天と地が、どちらか分かりません。どっちを向いているのか分かりませんが、無意識に、足をバタバタさせてしまっていました。く、苦しいー! 苦しいー! このままでは、死ぬぞ!ゴホッ、ゴホッ、ナイルの水を飲んでしまいました。やばいぞー! こりゃー、やばいぞ! と、もがいていたら、ようやく、水の上に浮かび上がりました。波ももう、少ない所です。良かった・・・。 周囲を見回すと、ベルギー人の、若い娘が、ゴホゴホッやりながら、川に流されています。カヤックのレスキューが大活躍です。すぐに助けに来てくれました。そして、大型ボートに救助され、ホットしている皆さんです。恐れていた、最後の、ポイント8は、グレード5の割には、全然、難しくなく、気抜けした感じで、通過しました。たぶん、ここは、舵取り運転手が、わざと転覆するように仕掛けるのではないかと思いますね。激流も、そんなに長くないので、転覆しても、割と簡単に助けられるからです。ナイル川に落ちて、怖さを楽しみ、そして大笑いして完了。それが、ここのラフティングの、アレンジメントではないかと思うのです。しかし、我々は、思わぬ、ポイント7で、転覆しましたので、最後は転覆させず、スムースに通過させたのだと思います。こうして、全長27キロ、ポイント1からポイント8を無事通過しました。11時20分位出発して、午後5時20分着。6時間かかりました。皆さん、お疲れですが、満足した表情です。ラフティング、始めて経験しました。6時間もの間、直射日光に晒され、びしょ濡れになり、そして乾き、又、びしょ濡れになり、そして、乾きの、繰り返し。滝のない場所は、櫂を漕ぎっぱなし。かなりの体力を必要としますが、面白いです。白人たちが、夢中になるのも、今回で、良く分かりました。75US$でしたが、満足な、1日でした。あ、そうそう、ここ、朝食に、昼食に、夕食まで、付いているのですよ。
2012.08.07
コメント(2)
2012年7月20(金) アフリカ縦断の旅 24日目白ナイル川の源流でラフティング宿へ帰る途中、思わぬ展開で、ラフティングが出来る事になりました。ラフティングを頼んでくれた、ホテルへ歩いて移動します。5分位ですね。親切なフロントだなー、と昨日は思っていたのですが、その親切なカラクリが今朝、分かりました。客を紹介したホテルは、マージンが貰えるのです。迎えに来た、ラフティングの人に、フロントが、「10ドル」と要求したのが、聞こえましたから。単なる親切にしては、別のホテルに泊まっている客に対して、電話代も使って、親切過ぎるなー、と思ってはいました。お金のせいです。さて、宿から、25分ほどで、ラフティング会社のあるオフィスに着きました。ビクトリア湖から流れ出した、白ナイルです。静かですね。小鳥も、木に止まって、動かず、休んでいます。ここのオフィスには、宿泊施設のドミもあり、勿論汚いですが、トイレもシャワールームもあります。テントを張って、そこに泊まる事も出来ます。ここから、ボートで出発するのかと思ったら、乗り場はもっと下流のようです。総勢、13人、車で移動です。途中、小さな部落が見えます。これが、民家です。この辺り、水道は来ていないらしく、部落に共同井戸があって、そこから、ポリタンクに水を入れて、各家庭に持ち帰っていました。子供たちも、ポリタンクを頭に乗せたり、手伝っています。学校でしょうね、子供たちが沢山遊んでいます。ここにも、学校です。この辺りの子供たちは、我々を乗せた車が通ると、手を振ってくれます。この子たちを、ミニバスの中から、写真を撮りました。みんな、大喜びで、手を大きく振ります。そして、バスについて走って来ます。ほら、ずっと手を振りながら、付いて来るのですよ。出来れば、ミニバスから降りて、写真を撮りたかったですが、無理でした。おおよそ、1時間で、ボート出発地点に着きました。ここです。ここで、色々な、説明を受けます。救命具の付け方、そして重要な事は、ボートが転覆、若しくは、傾いて、ボートから落ちた時の対応です。良く説明してくれました。参加者は、ベルギーから来た数家族の10名。ドイツ美人女性と、黒人のカップル。単身のアジアの星一番、総勢、13名です。ボートは、8人乗りなので、7名と、6名に別れました。アジアの星一番は、女性の多い7名組。黒人も我々のグループです。ボートに乗って、櫂の漕ぎ方、大波が来た時の、櫂の持ち方、しゃがみ方、などなど、実践で、練習します。そして、ポイント1、いきなり、グレード5の難関です。ここを下り落ちます。かなり、急で、怖かったですな。僕の前に座った、ベルギー夫人、ここで、櫂を、波にさらわれてしまいました。全長27キロ、全部で、八つのポイントを、下ります。まだ、一つ目をクリアしただけであります。続く
2012.08.05
コメント(6)
2012年7月19(木) アフリカ縦断の旅 23日目ジンジャ市内散策ホテルの朝食です。沢山食べておこうと、食パン4枚貰いました。フルーツ類も豊富です。ホテル廻りを紹介します。ここは、ビクトリア湖に面した、部屋です。アジアの星一番の部屋よりもお値段は、高いですね。ここから見える、湖面です。写真を撮っていたら、私を撮れと言ってきた従業員。容姿に自信があるのでしょうか? 背は高い人でした。遠くにかすかに見える舟、釣りをしているのかと、ズームで撮って見ました。あっちゃ、おしっこしてます。ホテル内のプールです。アジアの星一番の部屋の前です。その隣には、ゴルフコースもあります。ホテルとは別経営ですが。部屋に篭っていても、面白くないし、ホテルの食事は高いので、町まで歩いて行く事にしました。日程に余裕もあるので、ラフティングとかのアクティビティも、探したいと思って。こんな道です。田舎道。エチオピアのアワサ湖に似ていますね。15分ほど歩くと、町の外れに着きました。中心の道路を歩きます。食堂は、何軒かありましたが、6千シリング以上と結構、お高いです。昨日の、美味しくて安い、3千シリングは見当たりません。通りには、白人が多く歩いています。白人は、その辺りの食堂で食べています。これが、市内のメインストリートです。とても、田舎に見えますね? 確かに田舎ですが、実際は、もう少し、町です。お店が、見えないので、田舎に見えますね。これが、数百メートルしかありません。小さな町です。ようやく、安食堂を見つけました。昨日と同様、肉定食です。ライスの、上に白く見えるのが、ウガリ。黄色いのは、パンプキンのようなものですね。味は薄めでした。肉のスープに付けて食べると丁度良かったです。市場へ行って見ました。今、市場は改装中で、臨時の場所のようです。靴屋さん。日本なら、確実に捨てるような靴も、修理して売っています。服屋さん。皆さん、リラックスしながらも、興味深く、見つめられます。分かりにくいですが、家具屋さん雑貨屋さん。写真には、全部収めきれませんが、食料売り場もあります。なんでも、売っていますね。食堂もあります。溜水でお皿を洗っているのが見えましたが、その水の色が、真っ黒です。それを見てしまうと食べる気が失せますね。もう一つの目的の、旅行代理店のようなお店が見つからず、諦めて帰ります。普通の民家です。町の中に、旅行代理店は、見つかりませんでした。諦めて、ビクトリア湖に近い、道を歩いて帰ったら、アジアの星一番が泊まっているホテルより、高級そうなホテルがありました。そこへ入って言って聞くと、1泊80US$ほどします。こりゃー、ダメだわい、と帰りかけましたが、Rafting、と言う文字が目に入り、確認すると手配出来るとの事です。ですが、1日125US$だと言います。いや1日75US$の会社があるはずだ、と言ってもないと言います。それで、アジアの星一番の持っている電話番号を教えて、ようやく手配出来ました。受付の彼は、内容は同じなので、客が安いのを望めば、こちらを紹介出来る、選択肢が増えた、と喜んでいました。これで、目的達成出来そうです。いつもの道を歩いて帰ったら、見つからないホテル。アジアの星一番が歩けば、目的達成される、と言う格言が増えそうです。
2012.08.04
コメント(2)
2012年7月18(水) アフリカ縦断の旅 22日目カンパラからジンジャへウガンダのカンパラに来て、埃っぽい町だし、人が多く雑然としてインドのようだし、次の目的地に移動するかなー? と考えました。 が、せっかくここまで来て、カンパラだけでは、ちょっと寂しい、とジンジャへ行く事にしました。ジンジャから帰ったら、隣国、ルワンダへ移動しようと。そして、この朝、例の道子さんのブログを見ていて、重大なミスに気がつきました。ルワンダはビザが必要です。そして陸路での国境でビザが取得出来ないのです。あっちゃー! 困りました。 ルワンダ大使館へ行かねばなりません。ジンジャへ出発する前に、ルワンダ大使館へ向かいました。バイクタクシー(ボダボダと呼ぶらしい)に乗って行きます。ベトナムでは沢山走っている奴です。4000シリングと吹っかけて来ましたが、2000シリング(70円)に値切りました。これでも、ぼられているのかも知れません。ルワンダ大使館では、申請用紙に記載して、パスポートのコピー1枚、それから、写真1枚、を添付して、77,400シリング(2600円位)支払い、申請完了です。(パスポートのコピーも、写真も、沢山、準備して来たので、慌てずに済みました。)しかしながら、本日は、水曜日、明後日の金曜日にパスポートを返してくれるとの事です。 ええー! 3日間もかかるの?ジンジャは3泊ほどして帰ってくるつもりでいましたが、間に合いません。よって、6日後の、月曜日にパスポートを受領する事にしました。これで、ジンジャでの日程が、俄然、増えてしまいました。まぁ、でも、ブログを読んで、大正解でしたね。もし読んでいなかったら、夜中にウガンダールワンダの国境に着き、ルワンダへ入国出来ない羽目に陥っていたのですから。さて、ようやく、ジンジャへ出発出来ます。下見しておいた、タクシーパークへ、歩いて出かけます。タクシー(乗合ミニバス)は、すぐに見つかり、11時10分、出発です。街道は、緑豊かであります。これは、麦畑ですかね?これがタクシー(乗合ミニバス)の内部です。補助椅子入れて、3名が4列です。従いまして、12人乗りですね。背もたれは、垢で黒光りしています。茶畑のような、栽培も見られました。これ、お茶ですよね? 紅茶かな?これが、街道沿いの普通の民家です。川かと思いましたが、これが、ビクトリア湖と繋がっているのでしょう。ビクトリア湖の一部か、それに繋がる川でしょう。もうすぐジンジャのはず。ジンジャには、丁度2時間で着きました。旅をしていると、2時間のバスは、短いですね。あっと言う間、居眠りをする暇もなく着きました。早速、昼食です。タクシーパークのすぐ近くにあった食堂です。ライスに、パスタに、豆に、ポテトに、野菜に、肉と、栄養満点です。味もよろしいです。美味しい。これに、肉のスープも付いています。お値段は、3000シリング(100円程度)、安くて美味しい食事にありつけて、嬉しい限りです。さて、ホテル探しです。タクシーパークの近くを見ましたが、2万シリングですから、700円程度で、泊まれる宿がありました。普通のバックパッカーなら、泊まる宿です。しかしながら、アジアの星一番は、「超高級バックパッカー」、に昇格しております。止めて、次なる宿探し。町の中心の道路脇にありました。大した部屋でもないのに、3万6千シリング。WiFiもないし、歩き方では、2万6千だったのに、物凄い値上がりです。ここに泊まるのも止め。それで、地図から外れているリゾートホテルへ、ボダボダ(バイクタクシー)で向かいました。ここです。受付で、お値段を聞くと、6万2千シリングとの事。2千数百円です。WiFiがあるので、受付で接続出来るか確認しました。もし接続出来ないと意味ありません。 そしたら、パスワードを入力しても接続できません。プールサイドに行けば、パスワードなしで接続出来るといいますが、やはり接続出来ません。それなら、泊まる事は無理、安宿に泊まって、ネットカフェで繋ぐしかないな、とパソコンを仕舞い始めると、事務所へ行ってくれと言います。そして事務所へ行きました。ここでも、すったもんだありましたが、最終的に接続出来たのであります。やった! 部屋でネットが繋がる。ここが部屋です。WiFiの電波が一番強い部屋と言う事で、窓からの景色は悪く、ビクトリア湖も見えませんが、ネット優先としました。そして、ビクトリア湖も見えないので、5万2千シリング(1700円弱位)に負けてくれました。パソコン設定を行ってくれた人が、ここの取締役で、権限がある人だったのですね。部屋からの景色を諦め、ネットを優先したら、少し儲かりました。トイレ、シャワー室も広く、洗濯用に大きなタライもあります。さすが、リゾート的ホテル、長期滞在に向いています。ここが食堂です。朝食付きで、ここからは、ビクトリア湖が見えます。バーです。禁酒中のアジアの星一番には、関係ありません。と言う事で、ルワンダのビザ申請も済み、ジンジャでも良いホテルが見つかった、1日でした。
2012.08.03
コメント(2)
2012年7月17(火) アフリカ縦断の旅 21日目カンパラ市内散策 昨夜は、体調が悪い上に、夜行バス。そしてそれから、バックパック担いで市内をホテル探し。おまけに、カンパラの市内は、大通りを除くと、舗装が悪く、埃だらけ。さらに、すごい人、人、人、人、人の波。インドに来たのかい? と言う程の人の多さ、雑然さです。期待した静かな環境のウガンダに裏切られ、気弱になってしまい、このまま飛行機で、タンザニアのザンジバルへ移動しようかと、本気で考えました。同じバックパッカーの友人にも、その旨、メールを送ったのです。しかしながら、今朝、起きて見ますと、気分爽快。鼻の詰まりも、完全ではないものの良くなり、声の掠れもさらに良くなり、昨夜の、気弱さが、嘘のようです。ウガンダの、どこかへ行こう! と、気持ちが変わりました。やはり、健全な身体に健全な心が宿るのですねー!健康第一とは、常に思って、そうするべく、努力もしております、それを痛感し、体調が良くなりつつある事を、神に感謝しております。そして、それから、アジアの星一番の健康を陰ながら、毎日、祈ってくれる人に心より、有難いと感謝し、手を合わせております。さて、昨夜の夕食です。体調がよろしくない時ほど、うまいものを食べよう、と、そう思ったのであります。たまたま、カンパラには、「重慶飯店」、と言う、アジアの星一番が住む町の名前の付く中華料理屋があります。早速、ゆっくりながら、歩いて出かけました。メニューを見ると、結構なお値段です。一番安い、野菜チャーハンにしました。これが、不味いのですねー! 驚きました。味が、統一されていません。ご飯も、野菜が混じっていない塊もあります。きちんと炒めていません。中華は、どこへ行っても、落胆する事が少ないですが、これには参りました。重慶なんて、名前は使って欲しくないですね。今朝の朝食です。このツーリストホテル、朝食付きなのです。これは、これで、上等です。昨夜のチャーハンに比べたら、満点です。昼食です。地元の本当の食堂に行きました。牛肉スープです。これは、美味しいですね。 だんだん、食事内容が良くなって来ます。そして、ご飯に、ポテト類。ご飯にも、少しの甘味があり、オカズなしでも食べられます。中国の食堂のご飯より、美味しいです。彼は、相席となったウガンダ人、アベイ・ヤシン・ハッピイと言います。メルアドを教えて欲しい、facebookの友達になって欲しい、と言って来ました。ちょっと写りが暗いので、もう1枚、撮りました。しかし、カメラのせいとか、後ろの風景のせいでないですね。彼が、黒すぎるのでした。優しい、良い性格の青年のようでしたよ。いつか日本へ行きたいと言っていました。ウガンダの車は、ほとんど全部、日本製だと言っていました。ウガンダに、「車の製造会社はないのか?」 と聞くと「ない」、と答えます。ならば、「あなたが、その会社を作って、ウガンダ製の車を売ったらどうだ?」と言うと、「技術がない」、「金がない」、と答えました。そりゃ、そうですね。ビルの2階に、この食堂はありましたが、洋服屋さんなども入っています。このガラス、模様入りではないのですよ。鉄格子です。泥棒もいるのでしょうか?両替屋に行きました。2003年以前の、お札は、両替出来ないと言います。もし両替したいなら、20%程度、両替率が悪くなる、と言われました。これは、エチオピアでも同じでしたね。エチオピアは、2000年以前と区切っていました。何で古いお札は、安いんじゃ? そんなら、この私は安くて、若いあなたは高いのか? と聞いたら、隣にいた女性と共に、大笑いです。別のお札を出して、両替完了。すると、子供達が、髪を編んでいます。可愛いじゃ、ないですか?彼女たちは、姉妹らしく、お姉さんたちも、写真を撮ってくれ、と言います。皆さん、両替屋のおばさんの子供達です。なんだー、こんなに大きな子供たちがいるのか? そんなら、あんたも安いな?と、両替屋から出てきた女性に言ったら、又もや、大笑いでした。さて、明日は、カンパラからジンジャに行こうと思います。そのバスの出発場所を確かめにやって来ました。ここがタクシーパークと言います。エチオピアでは、マタツと読んでいましたが、ウガンダでは、タクシーと呼ぶらしいです。すごい沢山の車ですね。ナイロビは、大都市ですが、道路がマタツ乗り場でした。カンパラは、このように、タクシーパークがあります。あちこちへ出発するタクシー(乗合ミニバス)なので、中を歩いて見ますと、なんだー? 日本語です。大和農園外国部、と書いてあります。他にもないか、探しましたら、苦もなく探せました。ロータリーサービスです。さらに、ないか、歩いたら、苦もなく探せました。夢と心のインテリア、カーペット・カーテン・クロス、とあります。日本の中古車、多いのですねー! ミャンマーには、40年前の日本車が走り、イエメンにも、日本語をそのままにした車が走っています。こう言う面では、日本は活躍しています。写真を撮っていたら、物売りのおばちゃんが、写真を撮れ、と言って来ました。そう言えば、エチオピアでも、ケニアでもなかったですね。写真を撮れ、とは。やはり、ウガンダは人は、人懐っこいです。でも、この人と、車と、バイクと、埃です。この埃の中で、昼食を食べています。逞しいですねー。 文明人・アジアの星一番には、真似出来ません。さらに、歩いて、歩いて、ルワンダへ出発するバス停と事務所を探し、何時に出発か? 何時間かかるか? 乗車賃はいくらか? などを、情報収集し、又、このタクシーパークを通って、ホテルに戻りました。何度、見ても、すごい沢山の乗合ミニバスです。
2012.08.02
コメント(6)
2012年7月16(月) アフリカ縦断の旅 20日目ウガンダ入国 70ヵ国目 ウガンダ行きバスは、予定時刻をたった3分過ぎただけで、出発しました。これなら、正確無比と言って良いでしょう。バスは、33人乗り、座席指定、リクライニング、快適です。おまけに、隣には、デブのおじさんでなく、お尻はでかいですが、普通の体型のお嬢さんです。うふふ。このバスも、水は配布され、コークも配布され、ビスケットも配られました。座席のゆったりさなどは、東京から仙台や東北へ行く、高速バスなどよりよっぽど、ゆったりしております。他の人のブログを読むと、12時間かかると言われたが、24時間かかった、などとの記載もありましたが、出発して7時間半後の、朝3時半にはケニアを出国出来ました。ウガンダ入国は、4時20分です。ケニア側も、ウガンダ側も、イミグレーションは、手際よく、賄賂の要求もなく、全く、問題ありません。気持ち良く通過出来ました。朝、明るくなって来ると、学校へ行く生徒や、働きに出る人たちが、道路脇を歩いて行きます。市内に近くなった頃、こんなスタジアムがありました。サッカー場でしょうか? 立派ですね。8時半過ぎに、バス停に着きました。ほぼ予定通りです。しかし、カンパラのどこに着いたのか、分かりません。バイクのタクシーが寄って来ますが、取り敢えず、近くにあった銀行で両替。ついでに、そこで、ここがどこなのか、確認しました。目指すホテルは、結構な距離がありますが、歩きます。カンパラ通りと言う、カンパラの中心地に来ました。ここをさらに通り過ぎて、右へ曲がり、YWCAへいって見ました。女性専用のような名前ですが、男性も泊まれるとの情報を得ています。結果→止め。部屋も対して綺麗でないし、バストイレは共同です。WiFiもありません。2万シリング(650円位)ですが、超高級バックパッカーに向いていません。そして、今度は、カンパラ通りを渡って、反対側の888ホテルに向いました。すごい人です。タクシーパークの近くです。マーケットは目の前。結果→止め。部屋は汚く、WiFiもなし、お値段は、3万8千シリング(1200円位)ですが、やはり、泊まる気になりません。ここは、中国人の経営で、10歳位の息子さんが、受付にいて、中国語をしゃべるアジアの星一番に興味を持ち、彼が、部屋とか案内してくれました。(現地人の受付はいますが、たまたま、経営者の息子も受付に居た。)子供なのに、非常に親切で、その点だけ見ると泊まりたかったですが、周辺も、騒がしすぎるので、結局止めました。安宿は、まだまだありますが、最下級ですが、ホテルにしました。暑い上に、バックパック、ショルダーバッグ二つを持ち、汗がしたたり落ちます。Touriat Hotelにやって来ました。Wifiは、受付とレストランで使えます。部屋も悪くありません。トイレと、シャワー室も、一応、カーテンで仕切れます。(後で、水しか出ないことが判明し、がっかりしました。ボイラーが故障とか言っていましたが、動かしてない模様。)ここに決めました。お値段は、6万3千3百シリング(およそ2100円)です。まぁ、今回は、超高級バックパッカーですから、快適さを求めるのに、この程度の出費は、止むを得ませんね。ホテルの前は、市場です。野菜市場ですね。野菜が沢山売られています。バナナも売っていました。バナナ5本、1000シリング(35円)、トマト1袋、1000シリング(35円)を、朝食用に買ってしまいました。パンを買おうとして思い出したのですが、ホテルは朝食付きでした。失敗しました。買いすぎです。
2012.07.31
コメント(4)
2012年7月15(日) アフリカ縦断の旅 19日目ナイロビで待機 昨夜は、洗濯した後、寝込んで、何と、10時間も眠りました。よっぽど、疲れていたのですね。しかし、体調は、まだ思わしくはありません。頭が重く、寝起きの、すっきり感がないのです。今夜の20時に夜行バスが出発なので、それまで時間があります。昨夜、ブエノスアイレスから着いた彼女は、ジャングルジャンクションへ移って行きました。情報ノートの書き込みは、効果がありますね。アジアの星一番は、サファリで書けなかった、ブログの下書きをせねばなりません。3日分、たっぷりあります。午前中、全部使っても、書き終わりませんでした。昼食と、メールの受信の為、ネットカフェへ出かけます。ナイロビは、物価が高くって困るなー、と感じておりましたが、地元食堂に入ると、チキンライスが、180円でありました。味もまぁまぁだし、腹一杯になりました。そして、ネットカフェへ。ここ、メールは問題なく受信出来るのですが、発信が出来ません。Niftyの、何かが、問題なのでしょうか? それで、面倒ですが、滅多に使わないYahooのメールで、発信します。宿に、午後2時過ぎに戻ると、宿の人達は、昼食の真っ最中です。ウガリです。東アフリカの代表的な主食で、トウモロコシや、小麦、キャッサバなどの粉を湯で根気よくこねて、蒸したものだそうです。アジアの星一番も少し食べさせて貰いました。味は、薄味です。ですが、噛んでいると、何やら、味を感じます。エチオピアのインジェラは、遠慮したいですが、これなら、食べられます。それに、黒っぽいのが横にありますが、野菜のおかずです。ウガリと一緒に、つまんで食べていました。さて、「地球の歩き方」による、ナイロビの安全情報を紹介しますと、1.ナイロビは歩かないで、タクシーを利用せよ タウン中心部以外は、昼間でも絶対に歩かないで欲しい。 バックパッカーも狙われる。2.自分だけは、安全と思う人に 「歩き方」は、危険と大げさに書いてある、とたかを括って被害に 遭う人がいるかも知れない。危険な場所とは、過去に被害にあった 人がいる場所で、危険と言われない場所でも、被害に遭うかも知れない。3.ナイロビ銀座を歩くなら、用心して 既に記載した、ナイロビ銀座は、昼間なら、唯一、歩ける地域である。 しかし、単独でなく必ず複数で、且つ、現地の人と一緒に行って欲しい。このような内容です。これを読む限り、単独では、昼間でも一歩も出るな、って事になりますよね?慎重なアジアの星一番でも、これでは、窮屈過ぎます。複数なら歩いても良いと言うナイロビ銀座以外の、マタツ乗り場や、その付近も食べに出かけたり、買い物に出かけたりしました。サファリで会った、日系ハーフのアメリカ女性も、そんなに危ないとは思わない、と言っていましたし、空港から乗せてもらった、運転手も、治安は良くなっていると言っていました。確かに、慎重過ぎる事で、問題は減りますが、これだけ、危険と言われると、行動に困りますね。そんなこんなで、出発の、20時が迫って来ました。喉は相変わらず痛みがあり、声の掠れも良くはなっていますが、話がし難い。鼻も詰まって、口で息をせねばなりません。体調は、今ひとつ、優れませんが、出発です。
2012.07.30
コメント(2)
2012年7月14(土) アフリカ縦断の旅 18日目マサイマラ・サファリツアー 3日目後半 サファリ最終日は、午前8時半前に、終了です。最終日にライオンのメスたちを見られました。それ以外は、これまでとあまり変わりません。シマウマです。ヌーです。英語の綴りは、GNUなので、アメリカ人は、グヌーと発音していましたです。でも、アジアの星一番の辞書では、ヌーですね。どちらが、正しいのでしょう?ヌーは、まだ、タンザニアの、セレンゲティ公園にいるようで、こちらには、まだ少ないです。もう数週間ほどすると、大群が、移動して来るとの事。3ヶ月ほどで、草を食べ尽くし、又、戻って行くとガイドに説明されました。朝食後、9時20分に、キャンプを出発。キャンプの食事は、不味くもなく、うまくもなく、と言った所で、困るのは、量が少ない事です。車の同じグループ毎に、鍋が準備されるのですが、毎回ポーランド人が、先にお皿に盛ります。その後、例えば、スープが残っていないとか、パンがないとか、アメリカ人とアジアの星一番が、食べ損なう事が、しばしばありました。このトヨタの車、我々が、3日間乗った車です。真ん中のルーフが、開いて、そこから、動物たちを眺めます。アジアの星一番は、助手席だったので、低い位置からしか、見られませんでした。(少し、残念でしたね)帰りの道ですが、広大さを除けば、日本の景色に似ています。トウモロコシ畑や、麦畑が多く見られました。宿泊した、キャンプ。アジアの星一番が泊まった小屋です。実際は、テントなのですが、テントの上に、屋根が付いています。内部です。一応、テントに窓があり、窓のテントを巻き上げられるようになっていますが、内部は、暗いですね。中で、懐中電灯がないと、身動きも取れないです。そして、中にコンセントもありません。従って、パソコンも使えず、カメラの充電も出来ません。そして、22時には、消灯で、真っ暗になります。ここが、食堂です。ここでは、コンセントがあり、充電する事が出来ます。しかし、電源が入るのは、夕方6時半以降で22時までです。サファリから戻る途中、昼前頃から、喉が少し痛くなり、声が掠れて、話が、し難くなりました。たまに、こう言う状況になるのですが、医者に見て貰った事もあるものの、特に問題はなかったです。体調不良の兆候です。疲れているのでしょうか?サファリツアーから、ナイロビに戻ったのが、16時半。20時に、ウガンダへ向けて出発の夜行バスに乗る予定でした。しかしながら、朝、5時起きして、ずっと車の中の移動で、かなり疲れています。その兆候も現れています。既にバスチケットは、購入してしまっていますが、もし、手数料なしで、変更可能ならば、明日のバスに変更したくなりました。ニューケニアロッジで、バスチケットを買って貰ったので、宿の人と一緒に、チケット売り場へ行きました。歩いて1分位の近い所にあります。始めは、ダメだと言われましたが、宿の人が、粘り強く交渉してくれて、最終的に、明日のチケットに替えてくれました。そして、宿に戻ると、日本人女性が、チェックインしています。早速、話しかけられました。南米を北から南へ、半年間、廻って、アルゼンチンから、ヨハネスブルク経由、ナイロビに来たとのことで、一人では、危ないナイロビを、ちょっと案内することになりました。まず、ネットカフェです。彼女、南米から大移動して来たので、その間、家族に連絡が出来ず、お母さんと連絡が取れて良かったと喜んでくれました。しかし、そのネットカフェへ行く途中から、アジアの星一番は体調不良になっていたのです。鬱病の悪い時の症状です。頭が重く、フラつく症状であります。ネットして、マーケットで買い物して、夕食して帰る、約束でしたが、マーケットで、パンを買ったあと、もう立っているのも、厳しい状況になってしまいました。彼女には、申し訳なかったのですが、宿に戻るしかありません。宿に戻る途中、若干、体調が戻りました。おかしいですねー。何が原因で、どうして、こうなるのでしょう?部屋で休んでいると、体調も回復したので、サファリで汚れた衣服一式を手洗いして干しました。マーケットにいる時には、洗濯が出来る体調に戻るとは、とても、思えなかったのですが・・・。でも、バスを1日、遅らせて良かったです。
2012.07.27
コメント(8)
2012年7月14(土) アフリカ縦断の旅 18日目マサイマラ・サファリツアー 3日目前半サファリも最終日です。オスライオンは見ましたが、メスライオンは見ていません。幸運な人は。、ライオンの狩りを見た人も、ブログなどによるといるようです。それが見られるか、どうか?6時45分、キャンプ発。ポーランド人も、勿論、日本人のアジアの星一番は、出発時刻の6時半前には、ランクルに乗って待っていました。しかしながら、アメリカ人の二人が遅れて来たのです。日米ハーフですが、ソーリーの一言もありませんでした。ポーランド人の、悪口をあれだけ、沢山言っていたのだから、遅れた時には、「すみません。」の一言が、あって欲しかったです。それは、ともかく、大草原の夜明けです。気持ち良いですね。今朝も、トムソンガゼルが、昨日、チーターに仲間を殺された事など、何ら、なかったかの如く、草を食んでいます。名前は、忘れてしまいました。飛べない(たぶん)鳥、鶏のような鳥です。ブリモスのような、羽根ですね。さぁ、ライオンがいたようです。運転手慌てて、道路でない、草原を横切って、ライオンの方向を目指します。いましたねー。悠然と、7~8頭のライオンが歩いて行きます。ランクルのすぐ、傍を歩いて行きます。怖いので、慌てて、窓を閉めました。ライオンも、車は襲って来ないし、安全であると知っているようです。ライオンの狩りは、見られませんでしたが、まぁ、野生のライオンを見られて良かったです。トムソンガゼル達、ライオンに食われなくて良かったね。インパラくん達も、ライオンに食われなくて、良かったね。小さな、ディクディクです。これは、あんまり見かけなかったです。群れでいないからでしょうね。どこにでもいる、象です。もう象がいても、誰もカメラを向けません。続く
2012.07.25
コメント(8)
2012年7月13(金) アフリカ縦断の旅 17日目マサイマラ・サファリツアー 2日目後半 マラ川の近くで、昼食となりました。猿が結構います。昼食を食べていると、欲しそうに、猿が見ております。この後、猿は行動を起し、この女性の弁当の中の、バナナと、パンを素早く獲って逃げました。丁度、見ていたのですが、素早い動きですね。因みに、この方が、アメリカ人のサーシャさんです。お母さんが岩手県出身の日本人、お父さんがアメリカ人で、今、ナイロビで働いているそうです。なんとも、国際的ですね。そして、スワヒリ語も、勉強しているらしいですが、自己紹介の時に、名前と、日本の出身県を言ったりしますが、熊本県の人は、ケニアでは、言わない方が良いと教えられました。熊本県の、「クマモト」、とは、女性の、秘密部分を言うらしいです。ケニア人に、後で確認してみたら、やはり、そのようです。これは、リスの仲間でしょうか? 猿と同様、弁当の、お溢れを狙っています。この刺のある木、このサファリには多いです。運転手の説明では、アカシアと、言う名前の木だと言うことです。アカシア サンマ、と名前を覚えましたので、間違いないはずです。全身が撮れなかったのが、残念ですが、カラフルな、レインボーアガマです、トカゲの一種ですが、キレイな色をしています。そして、又もや、象の群れです。これも、キレイな鳥を見つけました。ライラックブッポウソウです。何やら、無線から、言っています。運転手が慌てて、ハンドルを握り直し、どこやらへ、向かいました。居ました。このだだっ広い草原で、狩りをしたのです。チーターですね。必死で獲った獲物に、食らいついています。ですが、時々、不安そうに、周囲を見回しています。せっかく、努力して、仕留めた獲物ですが、ライオンに横取りされたり、ハイエナに横取りされたり、狩りが成功しても、安心して食べていられないらしいです。このチーター、お腹が膨らんでいて、もうじき、出産のようです。チーターは、2ヶ月半の妊娠期間で、赤ちゃんを産むとの事でした。狩りが厳しい運動なので、長い期間、子供をお腹に置いておけないのでしょう。これが、チーターの獲物を横取りしようとしている、ハイエナです。チーターの狩りは、午後6時過ぎでしたが、翌朝には、骨だけだったそうです。ハイエナが平らげたのでしょう。自然は、厳しいし残酷ですが、無駄はないですね。サファリ、色んな動物を身近で見られますが、ハンティングは、やはり、ここの最大の見もの、ハイライトですね。穫られた動物は、可哀相ですが。今回の9人のグループは、 ポーランド人の学生4人組 ポーランド人のカップル2名 アメリカ人のカップル2名 そして、アジアの星一番で、合計、9名です。キャンプでは、同じ、テーブルで、食べねばならないので、嫌でも、話をせねばなりません。(別に嫌と言うわけではないですが・・・)ポーランド人は、全員、英語を話しますが、やはり母国語の方が、話しやすいのか、食事時は、ほとんどポーランド語で、話しています。従って、自然、ポーランド人6名、アメリカ人2名とアジアの星一番の3名に、別れてしまいますね。ポーランド人4名の学生は、ケニア、ウガンダ、タンザニアと廻るようです。ポーランド人のカップルは、エジプトのカイロからケニアに入り、この後は、タンザニアのキリマンジャロに登るそうです。アメリカ人の女性は、既報の通り。そしてその彼氏MITらしいですが、彼女にアメリカから、会いに来たようです。そんなグループで、廻っています。
2012.07.24
コメント(2)
2012年7月13(金) アフリカ縦断の旅 17日目マサイマラ・サファリツアー 2日目前半 昨夜の宿は、ENCHORD WILDLIFE CAMP、と言う名前のキャンプでした。9人参加なので、一人部屋だと、喜んでいいたら、部屋に入ったら、荷物が置いてあります。なんじゃー、と、がっかりしました。そしたら、相棒は、中国人です。そして、何と、重慶の人なのです。奇遇ですねー!まさか、ケニアのサファリキャンプで、アジアの星一番が住む重慶、その同じ重慶の人と相部屋になるとは・・・。彼は、31歳で、西アフリカの国を担当していて、今は休みで、ケニアに遊びに来ているとの事。危険と言われる西アフリカを股にかけて仕事をしています。すごいですねー、中国。アフリカは、もう中国の一部見たいなものですね。さて、サファリ2日目。7時朝食で、7時半出発の予定が、朝食の準備が遅れて、8時出発となりました。このキャンプのケニア人、挨拶は丁寧で良いのですが、やることは、遅いです。慇懃なのですが、だめです。不合格。昨日と同じく、いきなりバッファローの群れと出会いました。ハーテビーストです。これは、ケニアの南部、タンザニアの北部、ですから、この辺りの荒地に生息する、レイヨウの一種らしいです。象がいました。ここは、象が多いですねー。ここで、象を見られないって事は、有り得ないでしょう。高い空に、一本の木、いい景色でがありませんか?いえ、木を撮ったのではないのです。猿が、木に腰掛けて、いたのです。それで、写真を撮りました。この「アフリカ縦断の旅」用に購入した、フジフィルムの倍率の高いカメラなので、こんなに遠くでも、撮れます。ヒヒの家族です。川べりで、ゆったりしておりました。そして、昼頃、マラ川に到着しました。この写真では、何にもいないように見えるでしょうが、カバが沢山潜んでいるのです。目だけ出ているので、ほとんど居るのか、居ないのか、分かりませんが、時々、こうやって、姿を現す、カバもいます。これは、何でしょう?石ころ? 違います。亀です。道路に、ころりと落ちていました。危うく、車に、轢かれそうでしたが、運転手兼ガイドの話では、良く道路を見ながら、運転しているので、轢き殺す事は、絶対にないと言っていました。キリンです。やっぱり優雅ですねー!顔は、優雅と言うか、愛嬌のある、とぼけた顔なんですね。歩く姿は、サファリの中では、一番、おっとりして優雅です。ふわふあっと、動いています。マラ川のちょっと手前ですが、ケニアとタンザニアの国境がありました。この碑の右側が、ケニア、左側が、タンザニアです。アジアの星一番は、ケニアとタンザニアを、ここで、5~6往復しました。しかも、ビザ代も支払わずに。ここ、マサイ・マラは、隣国、タンザニアのセレンゲティ国立公園と隣接しています。良く、テレビで見る、ヌーの大移動ですが、タンザニアからケニアへ、そして、ケニアのマサイ・マラの草を食い尽くすと、又、タンザニアへ、と移動するそうです。アジアの星一番の、服装です。今回の、「アフリカ縦断の旅」、蚊や虫に刺されないよう、ニッカボッカを着用しています。運転手には、サファリには、最適の服装だと、褒められました。別の運転手は、タンザニアの、どこかの制服に似ている、とか言われました。ニッカボッカだけでなく、ワークマンで、上着も、手袋も、手甲脚絆も、蚊除けネットも、靴下も、全て揃えました。仕事着だけあって、動きやすいです。それに、洗濯してすぐに乾くのも、旅用には良いですね。但し、ちょっと恥ずかしいです。イスタンブール辺りでは、異様な服装に見えたかも知れませんね。遠く、タンザニアを、見つめる、ニッカボッカ姿の、アジアの星一番です。続く
2012.07.23
コメント(0)
2012年7月12(木) アフリカ縦断の旅 16日目マサイマラ・サファリツアー 1日目後半 バッファローのとぼけた顔を見た後、何やらが歩いているのが見えました。これは、ダチョウですね。仲良く歩く番です。夫婦ですね。黒に白が混じっているのが、オスで、茶色と言うか灰色が、メスです。あぁ、キリンが、遠くを見つめています。長い首を下げて、草を食べていますね。キリンは動作が優雅です。次は、像のファミリーです。妊娠期間2年、子育て期間2年と、子育て期間が人間に次いで、 長い像です。(たぶん)ライオンが、草原の中に、佇んでいました。ご存知、オスライオンは、怠け者です。多くの観光客が見ていても、悠然と、しておりました。カンムリ鶴です。見えますか? 頭に冠を被ったようなトサカがあるので、このような名前が付けられたようです。美しい鳥ですね。これは、次に訪ねる予定の国、ウガンダの国鳥だそうです。インパラの群れです。多いですねー! インパラ。16時から、18時半の、わずか2時間半でしたが、かなり多くの野生動物を見る事が出来ました。
2012.07.22
コメント(3)
2012年7月12(木) アフリカ縦断の旅 16日目マサイマラ・サファリツアー 1日目前半 サファリへ、向けて出発です。宿の前まで、車が迎えに来るとばかり、思っていたら、さにあらず。重いバックパック担いで、歩きました。(宿の人が連れて行ってくれましたが、5分以上歩いたでしょうか?)ランクルが待っていました。普通、1台に最大6名と聞いていましたが、既に、白人グループが6名乗っていました。アジアの星一番は、一人なので、助手席になってしまいます。さて、出発か? と思いきや、さにあらず。もう一人参加すると言うのです。サファリを予約する時、一人だから、一人部屋だよな? と確認しましたが、「そうなる」、との回答を得ていました。もし、8人になると、二人部屋になる可能性があります。困ったなー、やだなー、と思っておりました。美女とでも二人部屋はやだなー。すると、ほどなくして、一人ではなく、カップルが現れました。全部で、9人になります。9人乗りですから、満席になりました。それで、一人部屋確保、と、ほっとしたのであります。しかしながら、ここで、一悶着。白人グループの女性が、ものすごい口調で文句を言い出しました。「6人と言うことで、申し込んだ。それが9人何て、信じられない。我々は、バイトしてお金を貯めて、楽しみにケニアに来たのだ。9人は、困る。」と繰り返し言い、後から来た二人に、「別の日にしたら?」、と言う始末。まぁ、でも、9人は変わりません。少し遅れて、9時10分出発です。町を抜けると、こんな風景です。日本の道路を走っているような景色です。1時間も走ると、すごく見晴らしの良い所へ来ました。皆さんが、車の中から、写真を撮ろうとすると、停車するから、と止まりました。ここで、ケニア人と、雑談していたら、スワヒリ語を教えてくれました。ジャンボ → こんにちわカリブ → ようこそ ハクナマタタ → 問題ないアサンテサナ → どうもありがとうコワヘイリ → さようならポレポレ → ゆっくりゆっくりこんな景色を見ながら、スワヒリ語を教えて貰ったのであります。又、ランクルは走ります。良い道路ですねー! 快適なドライブです。ナイロビを出発して、丁度3時間。ナロックの町に着きました。ここで、昼食です。9人ですが、まだ知り合いでもないので、別々に食べます。昼食を食べ終わって、外に出ようとしたら、遅れて来たカップルの女性が「同じグループですよね?」、とすごく流暢な英語で聞いて来ました。アジアの星一番は、流暢とは言えない、英語で、答えました。そしたら、なんと、その女性、急に日本語で話しだしたのです。聞いて見ると、アメリカ人で、アメリカで産まれ育ったが、母親が日本人なのだそうです。岩手県出身でだそうで、何度も、祖父祖母のいる岩手へも行ったそうです。いや、驚きました。その後、しばし、朝のトラブルについて、ひどい奴らだ、と文句を言い合ったものです。まだ、サファリパークへ入らないのに、野生の動物がいます。これは、言わずと知れた、シマウマす。さて、キャンプに寄ったものの、部屋割りも出来ておらず、飲み物も飲めず、待たされた末、16時過ぎ、サファリに出発しました。ここは、もうサファリパーク内です。さっそく、黒くてでかい動物達が、目に止まります。バッファローです。憎めないとぼけた顔してますねー。ですが、こんな顔して、気性が荒いらしく、百獣の王・ライオンでも傷つける事もあるらしいです。続く
2012.07.21
コメント(6)
2012年7月11(水) アフリカ縦断の旅 15日目ケニアの予定決定昨日、ナイロビに着きましたが、ここナイロビから、どのように旅を続けるか?まだ決めていなかったのです。ナイロビから、マダガスカルへ行って、又、戻ってくるか?マダガスカルは、南アフリカから行くことにして、ウガンダへ移動するか?この、どちらかなのですが、マダガスカルまでの、飛行機の便と値段も、気になります。それから、マサイマラのサファリツアー、を4日間にすると、最終日がナクル湖になるのです。ウガンダへ移動するとすれば、ナクル湖は、ウガンダへ行く、途中なのです。ですから、4日間のツアーにして、最終日に、ナクルで降りれば、ずいぶんと、時間の節約になります。そんな事で、どうするか、調べに宿を出ました。この宿の辺りは、ケニアの各地へ出発する、車が多いです。これです。これは、マタツ、と呼ばれる、乗合ミニバスで、ケニアの主要各都市だけでなく、タンザニアにも行くようです。すごい数の、マタツ(Matatu)です。こんな路地にも、マタツが待っています。ここが、ケニヤッタアベニューと言う通りです。この通りと、ヒルトンホテルのある北側の道路、ママ・ンギナ・ストリートに挟まれた地域が、日本で言えば、銀座に相当する地域のようです。写真では、田舎っぽく、見えますが、かなりの大都市ですぞ。アディスアベバから来たので、尚更、大都市に感じます。アディスアベバも大きい都市なのでしょうが、どこがメインなのか、分からない、雑然とした大きさです。でも、ナイロビは、ここがシティセンター、と言う感じがします。このケニヤッタアベジューを、暫く歩いて、4ブロック進んだ所を、右に曲がると、「五星中国飯店」、があり、250円位で、定食が食べられると言います。しかも、WiFiが、繋がり、使い放題との事です。それで、行って見ましたが、WiFiがつながるのに、ネットに繋がらないと言う状況です。時々、あるのですよね、こう言う状況が。それに、お値段も、650円位で、ずいぶん高いです。ネットをするのが、目的だったので、ここでは食べるのは、止めて、立ち食いのサンドイッチとコーヒーで昼食としました。で、200円で済んだのであります。そして、ヒルトンホテルの一角にある、旅行代理店に行って、情報聴取です。サファリは、1日当たり、123US$でした。ニュケニアロッジは、110US$です。マダガスカルへの往復エアーチケットは、762US$でした。念の為、ネットでも調べて見ましたが、マダガスカル航空で、600ユーロ以上でしたから、かなり高いですね。キナバルで知り合った、道子さんは、世界一周の旅に出て、もう1年半を超えますが、先月か、先々月で、485US$で、行ったようなのです。それで、マダガスカルへ行くのは、後にすることにしたのであります。行きたいですから、たぶん、旅の最終、南アフリカから行く事になろうかと思います。その頃、お金が残っていれば、ですが・・・。これが、ヒルトンホテルです。夕食は、宿の近くのレストランで、チキンビリヤニを、食べました。サウジに居た時に、インド人の運転手を連れて、よく食べたものです。ボリュームもあり、チキンもでかいし、味もよろしかったです。昨日の、スパゲティの量が少なかったので、今夜は満足です。ニューケニアロッジに戻って、明日から、2泊3日の、サファリツアーに参加することに決めました。330US$で、車、宿、食事、全て込みです。一応、部屋を紹介しておきます。宿を替わりたかったほどですから、大した部屋ではありません。でも、シングルルームの個室で、シャワー、トイレ付きで、1000円ですから、文句は言えません。そして、シャワーがこれです。南米の宿で、良く見かけたホットシャワーです。この先っぽに、ヒーターが入っているのですね。それで、水がお湯になって出てきます。湯量が少ないのが、難点ですが、一応、ホットシャワーです。と言うことで、明日から、マサイマラ・サファリツアーに行って来ます。追記近くに、2000シリングで、ネットも繋がり、快適なホテルがありました。宿を移ろうと、慌てて、ニューケニアロッジへ戻ったら、チェックアウトは、9時半までだ、と言うのです。いくらなんでも、そりゃー、早すぎるだろう? と文句を言いましたが、ここナイロビのホテルのチェックアウト時間は、大体、10時とかが多いようなのです。そんな事で、ホテルも移動せず、ケニアのスケジュールが決定しました。もし、ホテルを移動していたら、別のスケジュールになっていたでしょうね。それから、ニューケニアロッジの、日本人用情報ノートに、この宿で、盗まれたと言う書き込みがあり、別の宿へ移動した方が良い、と何人もが書いていました。アジアの星一番は、高級バックパッカーなので、シングルルームを使用しています。それでも、1000円です。ドミだと聞き忘れましたが、たぶん、700円位でしょう。宿の人も親切で、盗難に会う、と言う雰囲気は全く感じない、宿ですが、実際に盗難にあった、と言うのですから、そうなのでしょうね。移った方が良いと書かれていた、宿です。<Jungle Junctions> ドミトリー 1,000Ksh テント 550Ksh 全室共同シャワー WIFIあり ホットシャワー キッチン 情報ノートヒルトン横のバス乗り場から46番に乗ってアンボセリストリートで下車。アンボセリストリートを数十メートル歩き、右手に見えるJJ'sと書かれた黒い門のところ(キャラクターが描かれています)。
2012.07.20
コメント(4)
2012年7月10(火) アフリカ縦断の旅 14日目69カ国目、ケニア入国 ナイロビへ 本日は、エチオピアからケニアへ移動です。既報の通り、陸路での国境越えは諦め、貧乏旅人らしからぬ、飛行機で移動です。今回は、高級バックパッカーのその上を行く、超高級バックパッカーになりました。これから、アジアの星一番の名称は、「超高級バックパッカー」、とします。さて、宿を丁度、昼の12時に出発し、25分ほどで空港に到着しました。超高級バックパッカーですから、タクシーに乗っての移動です。うふふ。150ブル(700円ちょっと)でも、お金持ちの気分ですな。イスタンブールから到着した空港ですが、到着した時には、気づかなかった椅子が、沢山並んでいます。これです。これは、非常に良いですね。これなら、横になって寝る事が出来ます。アジアの星一番の経験では、このように、寝そべる事が出来る椅子が、世界の国々の空港の中にあった記憶はありません。エチオピア、やりますな。と言うか、何故、こんな椅子を沢山準備したのでしょう?アジアの星一番も、寝心地、座り心地が、どうか、使って見ました。非常に、良いですよ。これなら、一晩、ここに寝ても、全く問題ありません。さて、この椅子に置いてある、ステッキ、今回の、「アフリカ縦断の旅」用にネットで購入したものです。何と、1万円以上する高級なステッキなのです。何故、こんな物を買ったか? と言いますと、タイのチェンマイで経験したのですが、野良犬がいると、怖いのですね。特にアフリカは、狂犬病の犬がいるかも知れません。それで、いつも何か持っていたかったのです。傘を代用しようかと思いましたが、「四国88箇所お遍路」、を思い出して、杖を持って、旅しても良いだろうと思ったのです。そして、このステッキ、優れものなのは、この中に、傘が入っているのです。ステッキ兼傘なのです。仕込み杖とも言われています、これは、便利です。エチオピアは雨季です。雨季でも、ずっと降り続く雨ではないのですね。数時間降って止むような雨です。いつ降ってくるか分かりません。それで、いつも、このステッキを持って歩いているので、雨に濡れる事はありません。と言うことで、「傘の仕込み杖」、の紹介でした。飛行機は、ケニアエアー。予定通り、アディスアベバを14時25分に出発し、予定通り、ケニアのナイロビに、16時30分に着きました。ケニアエアー、飛行機にしては、珍しく、座席は自由です。どこにでも座って結構です、とアナウンスがありました。飛行機は座席指定ですよね?短い時間なので、いつもは通路側を予約するのですが、写真を撮りやすいようにせっかく、窓側にしたのに、通路側しか空いていません。こんなのも、始めての経験です。ナイロビの飛行場です。広いですね。ナイロビは、危険だとの事で、予約した宿、ニューケニアロッジへ、迎えを頼みました。超高級バックパッカーですからね、お出迎えは当然です。ケニアシリングと、US$の交換レートは、丁度、日本円と、US$のレートに同じでした。ですから、非常に値段の価値が分かりやすいです。(因みに、円は、81円/US$と計算して、ケニアシリングと同じです。)1000シリングならが、1000円です。空港への出迎えは、1500シリングですから、1500円です。ガソリンスタンドに掲げてあった、ガソリンの値段、115.5シリングでした。と言うことは、115.5円です。日本より、ずいぶん安いですね。道路は悪くないですが、渋滞がひどいです。空港から市内まで、たった18キロしかないのに、1時間10分もかかりました。メーターでないので、時間がかかっても、問題ありませんが、これがメーター制だったら、心臓に悪いです。渋滞ですから、走っている車種も確認できます。トヨタの車が多いですねー! すごく多いです。運転手とも話しましたが、10台中、7~8台は、トヨタ車と言う割合です。市内の、議会が開催される所まできました。Parliamentです。宿泊する、安宿ニューケニアロッジは、ヒルトンホテルの近くなのですが、宿の廻りは、市の中心と思わせる雰囲気は、ありません。宿に着いて、一息入れると、もう夜の8時に近いです。夕食に出かけるにも、怖いので、宿で、最も近いレストランで、WiFiの接続可能な、お店、と聞いて出かけました。確かに、歩いて、3分ほどで、ホテルに併設したレストランがありました。取り敢えず、スパゲッティを頼んで、早速、WiFiに接続しようとすると、WiFiに繋がっているのに、「接続若しくは接続限定」と出てきて、ネットに繋ぐことも出来ず、メールの受発信も出来ません。これは、良くある事なのです。ルーターなどの電源を切って、しばらく待って、電源を入れ直すと、繋がる時もあるのですが、そのように説明しても、そんな操作はしてくれません。おまけに、スパゲッティの量も少なく、味も、普通以下。何の為に、出かけたのか、意味不明のまま、怖々と歩いて、宿に帰りました。
2012.07.19
コメント(6)
2012年7月9(月) アフリカ縦断の旅 13日目アディスアベバ市内散歩 大問題であった、パソコンの電源コード、買えました。アディスアベバは、市の中心地、繁華街がどこなのか、分かりません。どこの国の町でも、大体、あの辺りに行けば、買い物は出来ると言うような場所があると思うのですが、ここは、あちこちに散らばっているようです。ヒルトンホテルの近くに、パソコンショップが沢山あると言うので、分り難い道を聞きながら、歩いて行きました。エチオピア人も、地図を見るのは、苦手なようで、地図を見せても、誰も分かりませんね。それで、取り敢えず、ヒルトンホテルに行って、そこで、客の振りをして、パソコン店を聞こうと考えました。いつもの手であります。ここは、ヒルトンホテルへ行く途中の高台、パレス:大統領官邸のある場所です。大統領官邸は、すごい広さです。そこから、アディスアベバの町が一望出来ます。ヒルトンホテルへ行くと、厳重なセキュリュティチェックを経て中へ入れます。そして、客の振りして、お店を聞くと、何とヒルトンホテル内に、パソコンを扱っているお店があったのです。始め、85ドルとか、ベラボーな値段を言ったので、どうしようか迷いましたが、50ドルなら買うと、ずっと言っていたら、本当に50ドルにしてくれました。後で、考えて見れば、50ドルって高いですよね? それも、とてつもなく高い。中国なら、500円も出さないで、買えそうです。焦って高いものを買ってしまいました。しかし、これで、パソコンが使えるようになるので、少々高くとも、品質も良いだろうし、満足であります。一つ、問題が片付きましたが、まだ買わねばならない紛失物があります。マルカートへ出かけます。市内には、ミニバスが走っていますので、それに乗って行きますが、「マルカート、マルカート」と叫んで、そちら方面へ行くミニバスを、見つけなければなりません。大体、そう言っていると、地元の人が、教えてくれます。ここは、ミニバスを待っていた、大統領官邸の前ですが、おかしなデザインの建物がありました。建物が曲がっています。中の部屋は、どうなっているのでしょう?マルカートとは、イタリア語で、市場と言う意味のようです。イタリアに侵略されていた頃の名残の名前が、そのまま残っています。普通、自国語の名前に戻すと思うのですが、一応アムハラ語が公用語になっているようですが、多言語国なので、イタリア語を、そのまま地名に使っても、違和感がないのでしょうかね?そう言えば、ピアッサ(広場)も、そのままイタリア語が使われています。ここアディスアベバのマルカートは、東アフリカ一番の規模があるそうです。買い物の前に、腹ごしらえです。小さな食堂で、フライドライス、チャーハンですね。これを食べました。肉入りのチャーハンです。お値段は、45ブル(200円位)します。ここが、マルカートの入口の道路ですが、マルカートは広すぎて、どこに何を売っているのか、さっぱり分かりません。「何を買いたい?」、と行ってくる輩は、案内料を取るか、若しくは、お店からいくばくかのお金を貰えるのか、結構、しつっこいです。大体、そう言う輩は無視しますが、お店の人たちに聞くと、きちんと教えてくれます。マウスは、80ブルを60ブルに負けさせて買いました。270円です。セーターは、揉めにに揉めましたが、250ブルを、150ブルにさせました。700円弱で買いましたが、それでも、お店は、ずいぶん、儲けているのでしょう。ここは、昼は、結構、暑いのですが、夕方から冷えます。普通の長袖シャツ来てウインドブレーカー来ても寒いです。ベストは無くしてしまったし、これから行く、ケニアのナイロビも寒そうなんで、セーターを買った次第です。バッグは、80ブルを70ブル(300円強)で買いましたが、持ち手が長すぎるので、路上のミシン屋さんに、直して貰いました。10ブル(45円)でした。一応、最低限の物は、購入出来たので、ホテルに帰り、近くの食堂で夕食です。これは、スパゲッティに、フライドライス、その真ん中に、インジェラのようなのがあって、色んな味が楽しめると思い、注文しました。インジェラは、やはり酸味が強すぎます。普通の食パンも付いていたので、このパンと、一緒に食べました。35ブル(160円)です。この娘さんが、ここの看板娘です。明るくて、働き者です。何故か、この女性、韓国人は嫌いだ、と言っていました。
2012.07.18
コメント(2)
2012年7月8(日) アフリカ縦断の旅 12日目再び、アディスアベバへ、大問題発生 アワサと言う名前さえ知らなかった町ですが、4泊もしました。アワサ湖畔にある町で、ホテルはさらに、市内から外れて、湖畔の近く。とても、満足の行く、ゆったりした滞在でした。インジェラと言う、エチオピアの主食の酸っぱいパンも食べ、バジャッジと言う、三輪タクシーにも乗り、何だか、意味不明の魚市場へも行き、静かな湖畔の、散歩道をゆったり歩く。ケニアへのフライトが、7月10日となった為、アワサに来られて良かったです。さて、エチオピアですが、人口は、8000万人強で、アフリカ53ヵ国の内、第3位の人口なのですね。人口から言えば大国であります。しかしながら、一人あたりの国民総所得は、下から数えて6位。たった280ドルしかないのです。まぁ、ですから、貧しい国なのですね。それから、何百年も前から、にっくき白人に蹂躙されてきたアフリカ諸国。どの地域も勝手に分割されたり、植民地化され、ひどいのは奴隷売買でした。しかし、この国、エチオピアは、アフリカで、唯一、主権を守り続けた独立国なのです。東南アジアで言えば、タイと同じような理由もあって、植民地化されなかったようです。さて、それでは、又、スカイバスに乗って、アディスアベバへ向かいます。ここまで、前日の7月7日(土)アワサのホテルで書きましたが、この後、大問題が発生したのです。この8日の朝、4時半起きして、紅茶を飲みながら、ネットをして、その後、朝食を食べて、パッキングして、6時半に宿を出発するつもりでした。問題その1 ブッフェの朝食時間に間に合わないので、パンとジャム程度は、準備すると ホテルは言っていましたが、何の準備もされません。約束は守られえません。 朝食を、食いっぱぐれました。問題その2 朝、4時半に、中国で買った携帯電話の目覚ましで、起きました。 (携帯電話は、目覚まし用に持参したもの。) そしたら、電気が点きません。停電です。 慌てて、リセぷションに降りて 行くと、真っ暗な中、二人が、ソファーで熟睡しています。 たたき起こして、何とかしろ! と、怒鳴り散らしました。 しぶしぶ、起きだして、作業しだしましたが、け結局、出発まで、電気来ず。問題その3 電気が来ないので、ネットも出来ず、紅茶も飲めず、暗闇のなか、懐中電灯の 明かりを頼りに、パッキングしました。この懐中電灯、ランプにもなる優れもので アフリカ縦断の旅の為に購入したものです。こんな時に役に立ちました。 しかし、薄暗闇には違いありません。パッキングに、1時間もかかりました。問題その4 バス停へ行く為に、バジャッジ(三輪タクシー)を頼んでおきましたが、うすのろの リセプション、停電も直せないばかりか、バジャッジの手配もしていません。 止むなく、予定より早く、6時にバス停に向かって歩き出しました。問題その5 これが、一番の問題ですが、15分ほど、歩いたら、バジャッジの運転手が、 バス停に行くと声をかけて来ました。既に3人載っています。相乗りです。 値段を聞くと、いつも10ブルと吹っかけてくるのに、この運転手は、1.8ブル、 と、 全く、現地人用の、値段を言います。 それで、全部歩くつもりでしたが、そのバジャッジに乗りました。この時に、大問題が発生です。荷物は、いつもの、1.ショルダーバッグ(お金やパスポートが入っている大事なもの)、2.バックパック(旅行用具一式、お金も入っています。)、と、ちょっとした物を入れる3.手持ちバッグ、の3つです。バジャッジから、降りるとき、わずか5分程度乗っただけですが、その手持ちバッグがないのです。慌てました。しかし、ありません。乗った時にいた同乗者は、途中で、女性が一人降り、バス停まで、残りの二人と一緒に来たのです。この手持ちバッグの中には、 パソコンの電源コード、パソコンのマウス、カメラの充電器、懐中電気、 携帯電話、ベスト、トイレットペーパー、蚊除け器、蚊スプレー、かゆみ止め薬 鬱病の常用薬、ジンマシンの薬、など、重要なものが、沢山、入っていたのであります。全く困りました。しかし、対策はありません。たぶん、バジャッジに乗るとき、大きなバックパックを、バジャッジに乗せるのに、気を取られて、手持ちバッグを路上に落としてしまったのでしょう。盗られた事は、考えられないのです。7時5分アワサ出発。11時35分、到着。バスは、順調に走り、アディスアベバに帰って来ました。しかし、こころは、落ち込み、元気ありません。もし、パソコンの電源コードが買えなかったら、パソコンが使えません。ブログも書けません。ネットで調べる事も出来ません。ネット人間ですから、もし、電源コードがなかったら、新しいパソコンを買うか、と、バスの中で、そこまで考えていました。隣に座っている、妙齢のお嬢さんに、パソコンの電源コード、バッテリーチャージャーをアディスアベバで買えないか? と聞いた所、色は真っ黒ですが、優しいお嬢さんで、携帯電話で、友人に買える場所を聞いてくれました。しかし、本日は、日曜日、お店は休みなので、明日でないと買えないとの事。でも、買えそうな雰囲気なので、少し、安心しました。電源コードが、買えそうと分かったら、今度は、薬が心配です。鬱病の症状が好ましくないので、ずっと夜のみ、1回飲んでいたのを、昼も増やし、旅に出てから、1日、2回飲んでいました。その半分の薬を手持ちバッグに入れていたのです。これから、1日、1回のみ、飲む分しか残っていません。ジンマシンの薬は、イスタンブールで買ったもので、日本で貰ったものは、バックパックに入れてあり、無事でした。しかし、合計、20日分しかありません。中国で買った携帯電話、1000元以上したのに、勿体無い。懐中電気も、新品で、優れものなのに、勿体無い。朝から、全く、ついてない一日でした。
2012.07.17
コメント(4)
2012年7月7(土) アフリカ縦断の旅 11日目アワサ湖畔再び散歩ホテルのフロントで話していたら、魚市場があると言います。暇だから、見学に出かけました。途中、出会った家族です。嫌がらずに、写真を撮らせてくれました。将来、美人になるでしょうか?さらに、その途中、土産売りの、子供が土産を買わないか? とついて来ます。そんなに、しつっこい子供でもないので、話しながら歩きました。彼の話だと、魚市場に入るのに、観光客は、50ブル支払う必要がある、と、言います。ガイドが一緒なら、20ブルだが、「おいらが、ガイドで、付いて行くか?」と聞いて来るではなりませんか。「嘘つけぇー!」、と思って断りました。魚市場に行くのに、どうして、入場料を払わねばならないのでしょうか?彼に、別れを告げて、その魚市場の入口に行くと、大きな背格好のお兄さんが、「50ブル」、と要求して来ました。 「ありゃ、本当なのか?」「どうして、払わねばならぬ?」、と押し問答になったのであります。そしたら、そのお兄さん、では、ボスの所へ来てくれ、と言い出しました。遠くの方だと、やばいかな、と思いましたが、すぐ側の掘っ立て小屋です。「観光客は、50ブル!」、と、そのボスも言います。それで、アジアの星一番は言いました。「僕は観光客でない。エチオピアで働いている。」、と。 「IDを見せろ。」「アディスアベバに置いてきた。」 「アディスアベバから来たのなら、観光客だ。」「いや、ちゃんと働いているから、観光客でない。」そんな、やり取りの後、「1ブルなら支払う。」、と言うと、ダメだとの答え。「2ブルまでしか、支払わない。もっと払えと言うなら、入らない。」そうしたら、ボス、ニヤッと笑って、「じゃー、あんたは、タダで良いよ。」と、言ってくれました。やりましたねー、粘り勝ちです。でも、こんな所なのに、入場料を取るのは、おかしいですよ。市場と言うから、魚が沢山並べてあると思いますよね?しかし、何にも、そんな建屋もないし、どこが市場? と眺め廻します。舟の辺りで、人だかりがしています。何と、舟で獲ってきたばかりの魚を、その舟の所で売っているのです。新鮮は、新鮮です。獲りたてです。面白いですね。こんな市場は始めて見ました。舟が帰って来ると、買いたい人たちが、その舟の方へ、ドット移動するのです。そして、その魚を揚げて、売っているお店も、舟の着く、反対側、入場料を取る掘っ立て小屋の方に、10軒ほどあります。まぁ、50ブルも、入場料を取ると言う考え方が、分かりません。払わなくて良かったです。そして、それから、アワサ湖畔の散歩です。こんな道が、湖畔沿いにずっとあります。この写真には見えませんが、コーヒー屋さんやら、ボート屋さんも、結構ありました。ペリカンもいますね。葦で作った舟で、釣りに出かける漁師さん。気持ちよさそうにスイスイと湖面を走って行きます。漁から帰って来た人達です。ここは、市場とは全く別の場所ですから、どこで、魚を売るのでしょう? 自家用かなー?こんな魚です。この湖には、食べられる魚が、3種類いると言っていました。3時間以上、ゆっくろりと、湖畔を歩いたり、眺めたり、休んだりしながら散歩しました。鳥も沢山いました。せっかく撮った写真なので、縮小して小さくしますが、載せますね。
2012.07.16
コメント(4)
2012年7月7(土) アフリカ縦断の旅 11日目エチオピアの主食 インジェラ アディスアベバへ帰る、チケットを買わねばなりません。ホテルは、アワサ湖畔にあり、市内へは、少し距離があります。大通りまで、歩いて、出ることにしました。何故ならば、ここアワサでの足は、バジャッジと呼ぶ、タクシーがあるのです、この三輪自動車がそうです。結構、便利でして、大通りから市内まで、たった2ブル、10円もしないで行けます。しかしながら、ホテルへの帰りは、観光客故、足元を見られ、10ブル(45円)も、取られます。腹立ちますが、仕方ないですね。スカイバスのオフィスを探しました。情報がないので、聞くしかありません。この町には、あまり高層ビルはありませんが、4階建ての4階に、ひっそりと事務所がありました。丁度、食事時で、事務員さん、昼食を食べています。写真を撮らせて貰いましたが、これが、典型的なエチオピアの食事です。左側にあるのが、主食の「インジェラ」です。彼女の発音通りに書きました。イとエの間のような言い方だったので、「エンジェラ」かも知れません。食べろ、と薦めてくれたので、味見させて貰いましたが、酸っぱいですよ。クレープ状のパンですね。そう言えば、ホテルの朝食にもありました。そして、右側がおかずですが、何かの葉っぱと、ジャガイモもありました。辛いですね。ワットと呼ばれるようです。二人共、箸とかフォークを使わず、指でつまんで食べていました。インド風の食べ方でした。美人なのだから、ちゃんと写真を撮らせろ、と言って撮ったものです。ちょっと気取ってますか? 右側の娘は、自分の容姿に自信持ってますね。スカイバスのオフィスのビルから、アワサ湖方面を見た所です。かすか向こうに、アワサ湖が見えます。その反対方面です。左端に、ガブリエル教会が見えます。ビルの外からは見えませんが、中には、こんなお店も入っています。7月8日(日)に、アディスアベバへ帰る、バスチケット、無事購入出来ました。夕食は、エチオピア料理を食べたいと、ホテルのレストランで、お勧めのものをオーダーしました。ラム肉です。味は、ちょっと胡椒っぽいのが効いていて、おいしいのですが、肉が固くて全体としては、不合格な味です。本当にラムでしょうか? 若しかしたら、年寄羊ではなかったのかな?そして、これが、「インジェラ」です。このタレを付けて食べますが、酸っぱ過ぎて、アジアの星一番には、合いません。それで、この「インジェラ」は、普通のパンに、替えて貰いました。これに、ミネラルウォーターを頼んで、65ブル(約300円)でした。どうも、エチオピア料理は、僕には合いません。明日から、又、スパゲッティにしましょう。
2012.07.14
コメント(4)
2012年7月6(金) アフリカ縦断の旅 10日目アワサ湖周辺散策さて、時間はあります。アワサ湖畔のホテル、オアシスホテルに滞在中。蚊もいないし、南京虫の被害にもあっていません。まぁ、でも、中国の重慶で作った、手作り寝袋シーツの中に入って寝ていますので、仮に南京虫がいても、入って来れませんが。朝食付きなので、レストランに行きます。簡単な朝食だ、と聞いていましたが、ブッフェスタイルで、一応、朝食としては、充分です。下側にあるのは、エチオピア料理だと言っていました。ちょっと辛いですね。スープです。薄味で、あまり美味しくありません。スープは、この一種類しかないので、飲みましたが・・・。溜まった洗濯物も、全部洗って、湖の散策です。このアワサ湖は、129平方キロあると言う事です。ですから、猪苗代湖より大きく、サロマ湖より小さい湖と言う事になります。日本にあれば、第4位の大きさです。水鳥が沢山いることで、有名なようです。散歩しているとどこにでもいます。ここには、ペリカン、ハゲコウ、ズキンハゲワシ、トビ、オオハシガラスなどの鳥が沢山集まって来るそうです。ペリカンは僕も見ました。ですが、他の鳥は、見分けが付きません。湖畔の散歩道も、全てが繋がって、歩けるのではないので、一旦、大通りに戻りました。そしたら、こんなお店がありました。何でしょうか?コーヒー屋さんです。上の彼女が、売っています。せっかくなので、飲みました。1杯、2.5ブル。10円ちょっとです。アディスアベバでは、7ブル位ですから、この道端のコーヒー屋さんは安いです。味も悪くないですよ。再び、湖畔に戻りました。ここは、レストランの敷地のようで、湖に向かって、椅子が並べてあります。ここで、現地の人たちが、コーヒーを飲みながら、湖を眺めています。サルの仲間も、沢山います。これは、クロシロコロブスと呼ばれるようですが、人間に慣れていますね。人間の近くで、平気で遊んでいます。アワサ湖畔の森林には、フィグツリーと言う大木が多く、その果実が食べられるので、クロシロコロブスが多いそうです。 その他、ギンガオサイチョウ、オウム、アオバト、キツツキ、カマハシ、ヒタキなどがいて、鳥好きの人なら、喜んで見続けることが出来ます。アジアの星一番は、鳥の名前も、良く知りませんが、静かな湖畔は見飽きません。辺に佇んで、物思いに耽っていたら、太陽が、西の空に沈んで行く時間となりました。
2012.07.11
コメント(8)
全1188件 (1188件中 801-850件目)