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インドの最南端、コヴァーラムにて、知らない間に極悪人にされていた、この私、アジアの星一番のことは、既に、ここで紹介済みです。同じホテルに宿泊した、おだやかカップルさんに聞いたのでありました。そして、その疑いを晴らす為、厳しいメールを、カメラを売ったフロントへ送付しておきました。そしたら、返事が来ました。Dear, Hai, i am realy sorry u misunderstand me, come Japanise pepople come with same camara ,they have also the same problem then they ask me where u get this camara , then i said a Japanise sell the camara for 2000rs .(it is true that i said 2000 for that camara)I never said u are not honest if ure not honest u donot give camara for rs1000. I know that all Japanise are knowest . Sorry for all the trouble i beg your pardon if it hurt your heart i am sorry about this and one more time i never said to any body you are a cheat . kidly repaly for this mailregardssreejith良く、分からない英語ですが、一応は、謝っています。1000ルピーで売ったのを、2000ルピーで買ったと言ってしまった、と言う事も書いてあります。と言う訳であり、許してあげる事にしました。本件、2008年中に、1件落着です。
2008.12.30
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インドには、カースト制度が、まだ現存しています。日本で言えば、江戸時代の士農工商を、もっと厳しくしたようなものでしょう。カーストとは、ポルトガルのcasta(血統)に由来するようです。インドでは、古来から、バルナと言われる身分・階層があったようです。このバルナの元は、紀元前に遡り、前1500年頃に、中央アジアからインドやイランへ移住した古代民族アーリア人に、あります。彼らは、支配層をラジャーニャ、被支配者、平民をバイシャと呼んで差別していました。現在のインド社会で、バルナは、下記の四大身分を言います。バラモン 最上位の身分で、司祭者。祭式と教育を独占する特権階級。クシャトリア 第2位の身分。王侯及び武士階層。バイシャ 第3の身分。古くは農業、牧畜、商業に従う庶民をさしたが、のちに 商人のみに限られた。シュードラ第4の身分。隷属民で最下層。この下に、アウト・カーストと呼ばれる、カーストにさえ入れない、ハリジャン(不可触民)と言う階級があります。今でも、すごい宮殿に住む王族もいれば、ぼろいテントに生活する集団も、バスの中から、何度も見ました。バス通りからでも何度も見られるほどですから、実態は、もっとすごい人数になるのでしょう。ハリジャンは、そのカーストを嫌って、仏教や、モスリムに改宗する人も多いと聞きます。(アウランガーバードで)何故、このような身分階級が、延々と2千年も3千年も続くのでしょう?何故、身分格差のない、他の宗教に、もっと多くの人たちが改宗しないのでしょう?生まれた時から、そのように差別されて生きて育つと、それが、当たり前で、そこに居る方が居心地が良いのでしょうか? 確かに、その集団に属していれば、職業は、継承出来るようなので、何とか生きて行く事も出来るのでしょう。バルナとも関連しますが、ジャーティと言うのも、インドの社会集団を指します。ジャーティとは、 ヒンドゥー教のなかにみられ、通婚と共食を許され特定の職業と結びついた集団であります。その職業の区分は、3000余りあり、さらに、それが、25000種にも細分化されているそうです。これでは、その中から抜け出すのは、難しいでしょう。子供達を見ると、どの子も、素敵な笑顔をしています。乞食の女の子に、すごく利発そうな、素晴らしい笑顔の子もいました。僕の行く先々に現れて、にっこり笑うので、絶対に乞食に物を上げない主義の僕としても、心を動かされたほどです。きちんとした教育さえ受ければ、きっと素晴らしい女性に成長するでしょうが、乞食のまま一生を終えると思うと、やはり心が痛みます。その子達の、ほとんどは裸足です。汚い、洗った事のないような服を着ています。服を着ているのは、まだ良い方で、小さい子は、パンツもはいてません。その足も尻も、砂や泥で、汚れています。一方で、町や、バスで、着飾った子供達も見かけます。両親と一緒に、観光旅行に来ている子供達もいます。格差が激しいのですね。今後、インドも益々、経済成長して行くでしょうが、僕は中国のように、急激な経済成長は、難しい国ではないかと感じます。もっとゆるやかな成長となるのではないでしょうか?何故なら、カースト制度に安住する多くの人たちがいるからです。中国の場合、金儲けなら何でもすると言う、生きる力のようなものを、どこでも感じますし、恐ろしくさえ思います。それはインドでも感じますが、中国に比べるとそれが、小さいように思えます。インド国外に住むインド系の人たちは、商売上手で、いい生活をしている人も多いです。根は変わらないのでしょうから、やはり宗教の力は絶大です。日本にも身分制度があり、江戸時代には、士農工商にも入れない、「非人」、「えた」、と言う最下層に位置づけられた賤民がいました。生産的職業に就くことを許されず、牢獄や処刑場での雑役、卑俗な遊芸などに従事、「えた」は、死んだ牛馬の処理、罪人の処刑、皮革の製造などに従事し、特定の地域に居住させられました。この制度は、明治になってすぐ、4年に廃止されました。しかし、昭和の戦後になっても、あそこの地域には行くな、などと言われ、その制度が事実上、あるかのような差別が継続していたやに聞いたりもします。もしかしたら、地方では、今でも、ひそひそと言われているのかも知れません。日本のように、宗教とは関係なく、制度化された身分制度、それが解除されても、尚、60年も70年も残る身分制度です。インドのように、宗教と職業、さらに居住区に結びついた身分制度が、簡単に解消するとは、思えません。インドが、今後、どうなって行くのか、関心があります。
2008.12.23
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15日の早朝、日本へ帰国しました。もう日本4日目の朝です。インド、ネパール、バングラデシュ、徘徊中、コメントを頂いた方々、メールを頂いた方々、そして、ブログを読んで頂いた方々、多くの皆様方に厚く、御礼申し上げます。東京の、6畳一間に落ち着きますと、既に、インドの、あの喧騒が夢の中の出来事のように思えて来ます。旅の途中では、ネットには繋ぎますが、ブログを書くのが精一杯で、ニュースを読む時間には、ほとんど費やせませんでした。薄々は、分かってはいましたが、帰国してみますと、 * 原油価格の急落(140ドル台だったのが、40ドル台) * 円高、昨日は、なんと87円台 * 各社の人員整理。などなど、大きな変動で、驚いております。しかし、思うのは、生活の基盤ともなる、原油価格がこんなに大きく変動するようでは、誰もが、先行きの見通しが立て難いでしょう。この価格の調整さえ、出来ないようでは、日本のみならず、世界中が、不安になってしまいますねー。強いアメリカが、半身不随になりつつあるのが、影響しているのでしょうか?前々から、思っている事ですが、もう、いい加減、急成長は止めて、ゆったりと、ゆっくりと、成長するような世の中にして欲しいものです。だけど、人間の欲望は、切ないし、出し抜きたい小利口な奴は、どこにでも沢山いるし、まぁ、変る可能性は、ないでしょう。地球資源が欠乏し、新たな技術で、現在の人口を養っていけなくなったその頃、後退して、人口も減少し、ゆったりした生活に戻るのでしょうか?
2008.12.18
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2008年12月 14日(日) 88日目本日は、夜行の飛行機で、成田へ向かうだけです。特段の予定はありません。ゆっくり起きて、ネット屋へ行くだけです。そうそう、昨夜、偶然もこう重なると、前世で何か親戚か、兄弟か、親子か、そんな縁があったのではないか、と不思議がってしまう偶然があありました。そうなんです。おだやかカップルさんに、又、会ったのです! 驚きですよねー!この広い、デリーで、どこに泊まっているかも知らないし、その後のスケジュールさえ、分かっていないのに、会ったのです。とあるレストランでの入り口で、メニューを見て、ここにするかどうか、思案中の時に、女性カップルさんから、肩を叩かれました。もう、ほんの2分か3分、遅かったら、僕は、他のレストランへ行っていた可能性が強かったのです。おだやかカップルさん、日本からの荷物を受け取れたそうです。EMSで発送して貰ったらしいですが、デリーに郵便局が二つあり、おまけに、1週間で届くはずが、10日間かかっていて、すんなりとは受領出来なかったとのことですが、結果的には、昨日、受け取る事が出来たそうです。僕と違って、まだまだ旅が続きますので、荷物も多いし、必要な物も、変わって来るでしょう。何かあれば、僕もお手伝いしますよ、と、お別れしました。この写真は、ジョードプルの3日目のディナーの時のものです。時間があるので、今回の旅で、持って来て良かったなー、若しくは、途中で買ったりして、役に立ったなー、と言うのを写真に撮りました。左 → 世界中、どこでも使えるコンセント。 これがないと日本製品を使う時に困ります。絶対に必要。 おだやかカップルさんへあげた、現地で購入した三箇所接続できる コンセントは、もっと便利でした。中 → 懐中電灯。 インドは、毎日、停電になるので、これも必須です。 夜中に起きて、電気をつけるにも、重宝します。現地で購入。右 → 洗濯紐。 途中で買いましたが、買ってから、洗濯干しがすごく楽になりました。 それまでは、椅子にかけたり、引っ掛ける所を探したり、面倒でした 左 → チャックつきの袋。 石鹸でなく、袋が便利でした。チャックつきの袋です。これには、塗れて 乾かない石鹸入れに使ったり、コーヒーや、クリープと、言った粉物入れに 使ったり、とっても重宝しました。中 → 日本から、持ってきた、ペットボトルです。 インドのペットボトルは、ペラペラで持ち運びに不安との情報を仕入れて、 日本から持って来ました。確かにペットボトルは、日本に比べると、ペラペラ で弱いです。しかし、ジュースなどの物は、しっかりしているので、わざわざ、 日本から持って行く必要はなかったですね。右 → 血圧計。 うつ病が悪化傾向にあると、血圧が上昇します。サウジでは、それで2回 入院しました。毎朝、毎晩、測りましたが、血圧って、振れますねー! どれが、ほんとの血圧か判断し兼ねる時もあります。まぁ、傾向を見るには、 在った方が、気持ちが落ち着きます。 蚊対策、6点セットです。左下の3点セット、腕に着ける防蚊器、防蚊スプレー、そして痒み止めです。右下のが、電気蚊取り器で、トルコで購入したのを、今でも使ってます。右上が、日本でもお馴染みの、蚊取線香。インド製です。右横が、防蚊クリーム、オドモス。インド製で効き目あります。要らなかったなー、と言うのが、下記の2点。大きなスプーンと櫛。小さいスプーンは活躍しましたが大きいの不要でした。櫛も身だしなみを、整えて行く様な場所は、バックパッカーに縁がなかったです。ポカリスェットの粉末。ペットボトルに入れるだけで、水分の吸収に良いので、持って行くようにってどこかでアドバイスがありました。全く使いません。不要です。荷物が多くなっただけでした。 左 → 鍵を、成田空港で買いました。バックパックなどを盗まれないように 使う予定でしたが、実際には、あまり使わなかったです。中 → サングラスも、あまり使わなかったですねー。 使うのが、面倒です。右 → 日焼け止め。最初の半分は、かなり使いました。その後、日差しが 柔らかくなったので、使わなくなりました。 ,最終日に捨てて来たもの。左 → コヴァーラムで買った、ビーチ用。その後も使うことなかったです。中 → 100円ショップで買って行ったサンダル。これには、毎晩、お世話に なりました。宿でゆったりするには、サンダルが必要です。右 → ハサミ、ライター、ナイフ。 これらも、ずいぶん世話になりました。ナイフは、生姜の皮むいたり、 トマト切ったり、リンゴ食べるときに。 これも、毎晩、世話になりました。宿へチェックインする度に、大掃除をします。その時に、これを使います。雑巾も大活躍でしたが、汚いので写真には納めませんでした。 デリーでの宿です。今夜、JALの夜行で帰ります。
2008.12.17
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2008年12月 13日(土) 87日目デリーへ戻りました。87日振りであります。ニューデリー駅です。87日前、9月18日は、小雨でした。空港から、初めてのインド。バスに乗って来たら、どこか分からない所で降ろされて、暗くなるし、雨だし、変な奴につかまったら、かなわんし、すごく不安になったものです。ここが、懐かしの駅前に安宿街、メイン・バザールです。9月は、暑くて暑くて、とてもエアコンなしの部屋では、眠れないと思いましたが、今は、涼しいと言うより、寒いです。ジャイサルメール辺りから、寒い位の気温で、砂漠だからかなー? と思っていました。しかし、冬ですね、インドも。1年中、暑いと思っていた、サウジアラビアでさえ、コート着なければならない冬の時期があります。インドに冬があっても、当然でした。間抜けな考えであります。日本へ帰ったら、東京へ着くまでに、風邪ひくと困るので、セーターを買いました。50ルピー、100円です。どうして、こんなに安く売れるのでしょうか? 中古ですよね?そのまま着るのは、気持ち悪いので、洗ったら、泥水を煮しめたような色になりました。何度、洗った事でしょうか? きれいになりました。デリーの安宿、スカイ・ビュー・ゲストハウスの屋上へ、セーターを干しに行ったら、丁度、夕陽が沈む所でした。さて、昨夜のジャイプルで、ヌードルスープを食べに行くときです。リクシャーだと高いので、シティバスに乗って行きました。バス停近くから、シティパレス前まで、たったの5ルピーで行きます。便利です。運転手さんです。この少年が、助手(車掌)です。大声で、客集めして、小さい子供なのに大したもんだ、と思わされます。バス内を撮る為、少年にそこどけ、と言ったら、何故、俺を撮らない?と怒ってました。こいつは、僕の隣に座った奴ですが、ホモですぞ、きっと。僕の太股を触って来たのです。、驚きました。油断も隙もありません。これが、チベット族が、集まって売っているバザールです。旧市街の中にあります。チベット族は、共同性があるのか、こう言ったバザールは他の町でも見かけました。
2008.12.16
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2008年12月 12日(金) 86日目風の宮殿の目の前に、ラージャスターン州の警察本部がありました。見学させてくれと言ったら、このガードマン、絶対に入れてくれません。スタッフしか入れないって言うのです。「何言ってんだ、庶民の味方が、ポリスだろう?その市民(嘘です。旅行者です)が、見たいと言ってんだぞ!」、 と言ってもダメだの一点張りです。職務に忠実なところを褒めてあげて、写真を撮ってあげました。これが、ポリスの制服だと言ってました。町を歩けば、アーケードの柱も、ピンクです。ジャンタル・マンタルと言う、天文台へやって来ました。大金持ちの、当地のマハーラジャが、天文学に並々ならぬ興味を持って、この巨大な天文観測機器のを作ったそうです。彼の名は、サワーイ・ジャイ・スィン2世。風の宮殿からも見えた、このどでかい三角の物が、サムラート・ヤントラと言って、天文台です。日時計としては、2秒単位で計測できるそうです。そして、この三角の方向は、北極星を指しているとの事です。(昼間だったので、確認は出来ませんでした。)各種の形をした、観測機器があります。子午線通過時間や、惑星、星の位置を測定したり、太陽、惑星、星の位置を測定したり、建設より、280年経った今でも、現役で使われていると言うのですから、驚きです。 ここは、シティー・パレスです。今でも、マハーラジャの住居となっているものの、一部を博物館として公開しているそうです。入場料が、な、なんと、300ルピーもします。こう言うのは、もう何度も見たし、入場料も高いので、外観だけ写真撮ってパスしました。そんなシティ・パレスより、重要なものを、みっけました!旧市街内を歩いていたら、偶然、見たような光景に出会ったのです。これです。分かりますでしょうか? 屋台です。日本で言えば、ラーメン屋さんです。インド北方から来た、チベット族のようです。顔かたちは、日本人にそっくりです。彼らが、日本語を話したら、日本人の僕より、日本人らしい人も、結構、見受けられました。そして、ネパールや、チベット族、得意の「モモ」です。水餃子のようなものです。8ヶ入りで、たったの20円です。安いですねー!そして、ずっーーーーっと、食べていなかった、ヌードルスープ。こう言うの、食べたくなるのですよねー! でも、インドにはないのです。たまにあっても、スパゲッティ。若しくは、チョウミン。焼きそばの類です。スープ麺は、仲々、ありません。早速、注文しました。ものすご~く、うまいとは言えません。でも、うまいです。もし、これを日本で食べたら、なんじゃ、こりゃー! ふざけんな! って言う程度の味でしょう。でも、インド、ネパール、バングラデシュ、そして、インドを3ヶ月廻って来たこのアジアの星一番にとって、うまいのです。うまいのですよー!何味かなんて、分かりません。でも、麺を食べて、スープをごくりと飲む、たまりまへんなー! この屋台群、最初の夜に偶然見つけて、その夜、翌日の昼、そして、又、夜と、3回も同じもの食べました。1ヶ月半の赤ちゃんのお母さん、若奥さんは、もう、2回目から、僕が行くと、モモとラーメンを作り始めます。このヌードルスープですが、THUKPA、トゥッパと言うそうです。スペルを見ると、トクパと発音するのかと、思いますが、クは聞こえない程度に言うようです。もうじき、日本へ帰るのに、バスに乗って、はるばる、ここまで食べに来るのですから、食の欲は、恐ろしいものです。備考実は、毎日、カレー定食か、炒飯を食べてまして、コルカタでに日本食をご馳走になって以来、日本食は食べていません。不思議なもので、あまり日本食を食べたいって言う気がなかったのです。しかしながら、おだやカップルさんが、日本食をたべた~い! って言うのを聞いたら、何故か、ものすご~く、和食の味が恋しくなってしまいました。この心理、面白いですね。日本食は、食べられないものと、決め付けていたので、脳からそう言う指令が、胃とか腸に出ていて、食べたいと思わなかったのでしょう。自分の心ながら、面白いなー、と思いましたです。
2008.12.15
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2008年12月 12日(金) 86日目ジャイプルの町です。ピンクシティーと呼ばれていうそうです。ここは旧市街のシティパレスに近い通りですが、ピンクと言うか、明るい茶色って言う感じです。ジャイプルに来たら、日本の人力車から由来の名前、リクシャーが多く走っており、あぁ、北の方へ戻って来たのだなぁー、と感慨を新たにします。コルカタには、リクシャーいました。その南方のプリー、あのうんこ通りのあるプリーにも、リクシャーは沢山ありました。しかし、タミール・ナドゥ州に入った辺りから、ぱったりリクシャーが影を潜め、オートリクシャー天国でありました。ケララ州にも、カルナータカ州にも、マハーラシュトラ州にも、クジャラート州にも、リクシャーはなかったです。それが、このジャイプールにて、突如、リクシャーが復活です。経済状態の影響なのでしょうか? 北の方面にリクシャーが多いです。因みに、バングラデシュでは、全ての都市にリクシャーがありました。さて、市内の中心にある、風の宮殿と呼ばれている、ハワ・マハイです。かつて、宮殿の女性達が、ここから町を見下ろしたと言いますが、確かにとても、気分良い、ほんわかした感じの宮殿です。町の東側を見たところです。宮殿の内部と、一番上の階です。幅が極端に狭く、右端の写真、分かりますかね? 肩幅くらい程度の幅しかありません。この階の目的は、風を受けて涼みながら町を見下ろす、そう言った事にしか使い道がないように思えます。でも、贅沢ですね。 これが町の北側です。丘の上に、ナルガール要塞がうっすらと見えます。歴代皇帝が、要塞として利用してきたものです。かわいらしい部屋です。入り口の仕切りはありませんが、小さな部屋となっています。外を眺めるか、涼むか、そう言う使い方でしょう。今、宮殿全体を補修中で、多くのワーカーが働いていました。補修の土に色が、ピンク・シティーを作る色になっています。 このように、部屋と言うか、小さなお休み所みたいなものがあります。こうやって、宮殿の女性達は、な町を眺めていたのでしょう。優雅ですねー! 宮殿の女性になりたいものです。
2008.12.14
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2008年12月 11日(木) 85日目「旅がらす2号」を嫁に出してしまったので、朝の時間が侘しい感じです。朝起きると、まず「旅がらす」、にてコップ1杯のお湯を沸かします。そして生姜をすりおろし、熱い生姜紅茶を、ゆっくり飲みます。紅茶は、タージ・マハルと言う、銘柄です。こちらでは、ティバッグが普及していないのか、見つからない時が多いので、あった時は多めに買います、こんな事なら、ダージリンで、100バッグほど買って置くのだったと悔やんだりしました。ゆっくりと、ラップトップで何かしながら、生姜紅茶を飲み終わったら、もう1杯、お湯をを沸かします。朝食のコーヒー用です。朝、外食するのは、面倒なので、「旅がらす」があると本当に便利です。コーヒー、パン、バナナ、リンゴ、トマト、ゆで卵が朝食の定番です。ゆで卵も、この「旅がらす」で作ります。始めは失敗しましたが、途中から皮がつるりと剥けるように、ゆで卵つくり名人になっています。水と卵を「旅がらす」に入れて、沸かします。沸騰したら、それから5分程で、スイッチを切り、お湯を水と入れ替えます。水が卵の熱で温まるので、2回ほど入れ替えます。これで、「皮つるり剥けゆで卵」の完成です。水に入れっぱなしにして置くと、皮が剥けにくくなるのですね。色々試して、それが分かりました。さて、「旅がらす」なしの朝食を済ませ、ジャイプールへ移動です。プライベートバスの出発が、11時までないので、公営バスか、汽車で行くことにしていました。汽車のチケットも、旅行代理店では、150ルピーの汽車代に対して、50ルピーも手数料を取るので、席があれば、自分で買おうと駅まで行きました。結論を言うと、よほど時間の余裕がない限り、手数料を支払っても、代理店で、汽車の切符は買った方が良いです。駅での切符の買い方が面倒で、駅員の態度も、ほぼどこも良くありません。今回も、切符売り場に並んで、ようやく順番が回って来たら、ここではなく、別の売り場へ行けと言います。仕方なく、マネージャー室のような所へ聞きに言ったら、親切にブッキングオフィスへ連れて行ってくれて、切符を買ってくれました。そして、一時期、このジョードプル駅で、待ってました。しかし、切符を良く見ると、自由席です。確認すると、指定席は満席でないと、言うのです。すると、、もし席がなかったら、立ちっぱなしで、6時間も行かねばなりません。無理です。そんなこんなで、結局、チケットをキャンセルし、公営バスで行く事になってしまいました。この間、リクシャー20ルピー、キャンセル代10ルピーを使いました。1時間も、時間をロスしました。手数料支払った方が良いですよね?でも、こうやって、実際に試して見ないと、どんだけ、楽しているのか、損しているのか、分かりません。久しぶりに公営バスに乗りました。私営のデラックスバスとは、ずいぶん違います。私営は、1列、通路、2列の座席が普通です。しかし、公営バスは、2列、通路、3列ですから、どちらが楽か、一目瞭然です。しかも、料金は、ほとんど同じです。途中、菜の花畑がありました。え? 菜の花? 今頃? おかしいなー?と、思って、隣の若者に聞いてみました。そしたら、マスタードだそうです。干した実を粉末にしたのを使うのですね。マスタードが、こんなに綺麗な黄色の絨毯のようだとは知らなかったです。見渡す限り、一面のマスタード畑です。公営バスは、隣に誰が乗るのか楽しみです。そして、この日は、クリケットチームが乗り込んで来ました。若いので、大騒ぎしっ放しです。始めにちょっと相手をしてあげたら、調子に乗って来て、対応に、大変でした。 ジョードプルから、ジャイプールまで、丁度、8時間でした。17時30分着。この後、ホテルが大変でした。良いのが見つかるどころか、ホテルが旧市街のどの辺にあるか分からず、重たいバックパックを背負って、2時間以上歩き回りました。結局、旧市街には見つからず、バス停に近い、ところで見つけました。300ルピー、エアコンなし。温水シャワーなし。広くて、清潔で、使いやすいし、申し分ないのですが、もう朝晩は寒い位の気温になっているのに、温水シャワーがないのです。バケツで、温水を持って来てくれるのですが、これでは、身体を洗うのに面倒です。洗っている途中で、バケツの温水が不足するので、追加のバケツを催促を、どうしたら良いのでしょうか? フロントは、バケツで何杯でも準備するって言うけど、ちょっと、無理でしょう。
2008.12.14
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久しぶりに、1日、2回目のアップです。ラップトップを、ネット屋さんへ持ち込むことを覚えてから、ほとんどどこのネット屋でも、繋げるようになりました。=============================== 2008年12月 10日(水) 84日目今夜、おだやかカップルさんと、3回目のディナーです。皆さんは、明日デリーへ向かいます。僕は、ジャイプールへ向かいます。従いまして、、今夜が3回目で最終のディナーなのであります。おだやかカップルさんが、見つけてくれた、町の中心、時計塔に近いレストランへ行きました。そしたら、屋上のレストランへ行き着く前に、結婚式が行われるので、レストランは、一般客は入れない、と言われました。仕方なく、その人が教えてくれたレストランへ行きました。ここジョードプルは、レストランに恵まれていません。宿のレストランは、はっきり言って不味かったです。食べ物にうるさくない僕でも、うまくないと思いました。昨夜行った所も、ゲストハウスの屋上でしたが、やはり味はイマイチでした。今夜もダメだろうなー、と冷えたビールを飲みながら、料理を待ちました。仲々、来ません。その代わりに、物売りとか、ビレッジツアーとか、そう言う人たちがやって来ます。(屋上なのに)結婚式で、レストランやってないよ、と言った奴が、このレストランで注文をとってます。どうも、嵌められたかなー? ひどい料理かもしれんなー?などと話しながらも、ビールで、いい加減、いい気持ちになった頃、料理が出て来ました。う~ん、見た目、Ok! 量も多い。食べて、う~ん、Ok! 最終のディナーに、相応しい味と量です。パコーラと、マカロニと、野菜です。僕が一人の食事ならば、食べない物が並んでいます。おだやかカップルさんのお陰で、パコーラも食べられました。 これは、ディナーと関係ないですが、泊まった宿、ヒル・ビュー・ゲストハウスです。オーナーの、女主人!っていう名がぴったりのザフランさん、この人が、面白い。冗談の通じる人です。部屋も最も、高い見晴らしの良い位置にあり、お湯も24時間、豊富に出ます。問題は、食事だけで、その他は、申し分ありません。おまけに、乾燥しているのか、洗濯物がすぐに乾きます。ジャイサルメールでは、1日、外に干していても、乾いたのか? と言うようでした。夕食時、おだやかカップルさんと、色々な話をしました。もう東南アジアから、始まって半年も旅を続け、さらに1年とかの長い期間、これからも旅を続けるそうです。コルカタで会った、出世しないタイプの人と異なり、僕の話も快く話せるように聞いてくれて、自分達の事も、しゃべり過ぎないような感じで話してくれます。とっても、後味が良いって言うのでしょうか、又、お話をしたくなる方々でした。話の中で、湯沸かし器のことになりました。札幌で探したが見つからなかったとの事です。僕も茨城で探しましたが、ありませんでした。秋葉原でも、一種類しかありません。サンヨーの、TABIGARASUです。名前が良いですよね? 「旅がらす」って言うのです。亜州の星次郎にぴったりのネーミングです。これがそうです。「旅がらす」って名前のわりに、スマートではありませんか?コードもコップも、この中に収容出来て、持ち運びも便利です。コップも熱湯を注いでも、手で持てるように、熱伝導率が低いです。これが仲々の優れものでありまして、僕の海外の旅には欠かせないものです。「初代旅がらす」は、ラオスのルアンパパーンで、空焚きして修理不能となりました。これは、「2代目旅がらす」です。三度笠みたいに、蓋をちょっとずらして見ました。粋でしょう?この愛着のある、旅がらすですが、おだやかカップルさんん宅へ嫁入りすることになりました。これから、1年も世界を旅する、おだやかカップルさんです。是非、「旅がらす2号」を、お供にさせて貰いたいと思ったのであります。僕は、日本へ帰ったら、又、「旅がらす3号」を買えば良いのですから。おだやかカップルさんですから、きっと、大切に使ってくれると思います。じゃーな! 旅がらす2号! 元気で世界を廻って来いよ!じゃーな! 旅がらす2号! たまには、便りくれよ! 元気でな!
2008.12.13
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2008年12月 10日(水) 84日目ホテルのすぐ後ろですが、ジョードプルの、ハイライト、メラーンガル砦へ行きました。ホテルから5分も登ると、ジャイ・ポール(勝利の門)があります。この門を通ると、250ルピーの入場料を支払わねばなりません。入場券と共に、日本語のオーディオガイドを貸してくれます。この辺りは、戦いで大砲を打ち込まれて、穴が出来たのが、そのまま残っています。ファティ・ポール門と言います。ローハー・ポール(鉄の門)です。この門には、像が体当たり出来ないように、鉄の突起が取り付けられたり、勢いをつけて、何かをぶつけて壊されないように、直角になっています。この所に、多くの手形の浮き彫りがありますが、王が亡くなった時に、殉死した妃たちをあらわすそうです。殉死と言うのも、どこの国でもあったのですねー。宮殿です。宮殿の中には、王様や、お妃が使用した、御輿などが、沢山陳列されております。 モーティ・マハル(真珠の宮殿)と呼ばれ、王様が私的な謁見に利用した部屋だそうです。妃たちは、この部屋には座れず、壁の上部に桟敷席のような小さな部屋が、5部屋準備されて、そこから、謁見を聞いていたそうです。ここは、江戸時代で言えば、大奥のような場所で、女性しか入れない広場だったそうです。殉死と言い、大奥と言い、どこの国でも、そんなのがあるのですねー。外壁の上には、大砲が数多く、置いてあります。町を見下ろすと、やはり青っぽさが、目立ちます。全ての家が、青で統一されている訳でもないのですが。外壁の上です。アグラーで、タージ・マハールを建設した、シャージャハーン王の母親は、ここの部族から、お嫁に行ったそうです。しかし、ここのラジプート族は、誇り高く、他の部族へ嫁に出しても、他から嫁を貰う事はなかったそうです。強かったのですね、ラジプート族。
2008.12.13
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2008年12月 9日(火) 83日目いつの間にか、このアジアの星一番、性質の悪い、最低日本人にされてました。驚きました。善人が息をしているような、この僕が、悪人になっていたとは!実は、大変な偶然で、この話を聞きました。この広いインドで、こんな偶然があって良いものか、と言うお話です。昨夜、一緒に夕食した、札幌から来た、落ち着いて、おだやかな、いつも笑顔でいるお二人、(以後、おだやかカップルさんと呼びます)、と、今夜も一緒にディナーでした。お伝えした通り、このお二人とは、ウダイプルですれ違いでしたが、お会いしました。名前も名乗らず、ちょっと会話しただけです。そして、ここジョードプルで、再会したのであります。そしたら、何と、コヴァーラムで、同じホテルに泊まっていたのですよ!1週間ほど、時期はずれていたようですが、お二人は、インドの南を僕と反対廻りしていたのです。それだけでも、驚きなのですが、さらに、ギョギョッとしたのは、例の壊れたカメラの件です。直せるから、とか言ってカメラを1日預けた、フロントの奴、事実と全く異なる事を、おだやかカップルさんに、言っていたと言うのです。1.僕は、1000ルピーで売った。(宿代2泊分と相殺) 彼は、2000ルピーで買ったと説明。2.僕には、給料が5000ルピー、1000ルピーは厳しい。500ルピーにしてくれ、と。 しかし、給料3000ルピーしかないのに、2000ルピーで買わされた。と説明。3.僕は、壊れている事を、十分説明し、彼が直すからと言うので丸1日預けた。 彼は、夜、見せて貰って、壊れている事を知らないで買わされた、と説明。そして、何とか、直らないだろうか? などと、涙目で、お二人に訴えたようです。とんでもない日本人に、騙された、と言って、もう今にも死にそうなほど、しょんぼり、ガックリしていたと言うのです。で、おだやかカップルさんは、ひどい日本人がいたものだ、と憤慨していたと言うのです。すっかり、知らない所で、悪者にされていた、アジアの星一番です。僕の説明を聞いて、インド人は嘘つきだなー、と、おだやかカップルさん、呆れ返っていました。今でも、あいつ、会う日本人へ同じように、泣き付いて、この僕を悪者にしていると思うと、腹が立って来ます。そうだ! 彼は、日本で職を探してくれ、とか言って、メールアドレスをくれたはずだ。どっかに残っているかな? ありました。ホテル名 Hotel SUN SET名前 SREEJITH M.Cメール PrinceKovalam@gmail.com よーし! 文句言ってやる!
2008.12.12
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2008年12月 9日(火) 83日目ジョードプルの夜明けです。昨夜、真夜中を過ぎても、町中にマイクで、お祈りのような声が流れました。朝も、5時頃から、7時頃も流れていました。どうも、イスラムだけでなく、ヒンドゥーも、マイクでお祈りを流しているようです。仏教徒の者にとって、騒がしいだけですが、お互いの宗教同士、仲良く共同生活を営んでいるのでしょう。ジョードプルの夜明けです。ホテルの屋上からの景色ですが、さすが、ブルーシティーと呼ばれているだけあって、「青の夜明け」、と言った感じです。。ホテルは、この砦の下にあります。この砦、町の北西にありますが、本当に目立ちます。町の通りは狭く、初めて訪ねた人にとっては、とても分かり難いです。 ジャスワン・タダここも高台にあります。旧市街の砦の中にあります。マハーラジャの、ジャスワン・スィン2世を偲んで建てられた廟です。まぁ、良い眺めの所に作ったもので、お墓にしておくのは、勿体無いです。親族の廟も近くにあります。その向こうに、メヘラーンガル砦が見えます。どこからでも、目立つ砦です。このジャスワン・タダの裏側ですが、岩の上に、万里の頂上のような、塀が見えます。この中が、旧市街です。到るところに、このような城砦が築かれています。戦いに明け暮れて来た人類の歴史を目の当たりに見るようですね。ジャスワン・タダから、町を見下ろして見ました。この町には、庶民が食べる食堂が見当たりません。あるのは、ゲストハウスの屋上にある、ルーフトップ・レストランばかりです。泊まっている宿にもありますが、味が今ひとつ、値段も高く、推奨出来ません。町の中心、時計塔の真下に、オムレツ・ショップがありました。サンドイッチですが、うまかったです。しかし、これだけでは、まだ腹一杯にならなかったので、少し歩いて、ミンコーフィン(ローカルから聞いた名前)とか言うミルクに何か入れたようなのを、食べました。
2008.12.10
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2008年12月 8日(月) 82日目もう1泊、ジャイサルメールに泊まろうと思っていました。しかし、やる事もないし、宿のお湯シャワーも水だし、移動する事にします。ジャイサルメール、もう来る事ないだろうなー、と、窓を開けたら、朝陽に鳥達が集団で、飛んでいました。こりゃー、絵になる一瞬だ、と、慌ててカメラを持ち出し、シャッターを押しました。如何でしょうか?砦の外から、泊まった部屋を記念に撮りました。中央に、ボヤッっとした木があります。その右側の、四角い建物の一番右端が、泊まった部屋です。バスは、砂漠と言うか、サウジアラビアと同様な、土漠の中を走ります。サウジと異なるのは、そんなに背は高くないですが、木が沢山ある事です。雨の量が違うのでしょうね。 ジョードプルの旧市街中心地、時計台まで辿り着きました。ジャイサルメールから、バスで、5時間15分でした。行きは4時間とちょっとで着きましたが、本日は、道端で待っている人を、乗せたり、降ろしたりしたので、1時間も、余分にかかりました。デラックスバスとは、名ばかりです。この町は、宿が多いのか、安くて小奇麗なホテルが多いです。町を見下ろす、メヘラーンガル砦のすぐ下にある、見晴らしが最高と言う、ヒル・ビュー・ゲストハウスを見てから決めようと思ってました。その前に見たホテルの、「マハーラジャの部屋」とか言う部屋は、すっごく広くて、清潔で、ソファーもあれば、執務可能なデスクもあり、贅沢な部屋でした。それで、250ルピー。よっぽどここに決めようと思ったのですが、やはり、ヒル・ビュー・ゲストハウスを見てからと、砦の方へ向かったのであります。ヒル・ビュー・ゲストハウスの部屋と値段を聞いて、マハラジャの部屋のあるホテルにしようと、部屋を出ました。そしたら、何と、ウダイプルで同じホテルで会った、日本人のカップルさんとバッタリ出会ったのです。4~5日前に、僕がチェックアウトした部屋に、チェックインした人達です。「おー! 奇遇ですなー!」、と再会を喜びました。二度も会うのは、何かの縁と、「マハラジャの部屋」は諦めて、この、ヒル・ビュー・ゲストハウスに決めたのであります。
2008.12.10
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2008年12月 7日(日) 81日目暇だなー! 暇だ。 移動もなし。 観光もなし。 何もしない1日。パンもある。リンゴもある。トマトもある。バナナもある。卵もある。コーヒーも、紅茶も、砂糖も、皆んなある。よって、買い物の必要もない。暇だ。一昨日は、夜中から朝まで大雨で、昼まで停電。よって10時間も寝た。昨日も移動なし。よって、8時間以上寝た。よって眠たくもない。暇だ。そうそう、砂漠の国、ラージャスターン、最後にプルと名の付く町が多いです。 ウダイプル 然り。 ジョードプル 然り。 ジャイプル 然り。寒いから、プルプル震えとんかいな? と思ったら違います。プルって言うから、昔、何かを引っ張ったのかいな? 違いますなー!プルとは、「城壁に囲まれた町」、と言う意味だそうです。ウダイプルは、確かに城壁に囲まれていました。これから行く、ジョードプル、ジャイプルは、確認します。ここ、ジャイサルメールも城壁に囲まれていますが、プルは付いてません。城壁と言うより、城砦だからかなー? 最後にメールと名の付く町が、他にもありますので、若しかしたら、城砦のような意味かも知れません。誰かに、聞いて見ます。(忘れなかったら)あまりに暇だし、体がむずむず、動かせ! と指示しているようなので、夕刻、砦の中を散歩に出かけました。子供達が集まって何やらやっています。小さな広場です。こりゃー、クリケットですなー! 野球のようなものですが、バットが、平板のようになって」いますし、打ち方も全然、違います。イギリス支配が長かったからクリケットが市民に普及しているようです。そう言えば、独立以来紛争の耐えないインドとパキスタン、カシミールでの所有権を巡って、対立しています。しかしながら、クリケット外交と称して、両国が、クリケットの試合を行い、話し合いの雰囲気も出てきたとか?良いことですねー!城砦の中は狭いです。ゆっくり廻って、後戻りしたり、クリケット見たりしても、1時間も必要としません。ホテルに帰って来ると、人が大勢集まり、大騒ぎしております。我が宿泊するホテルへの道が人で溢れ、通れない程です。皆さん、ビール飲んで酔っ払って、踊ったりする奴もいます。何だろう? と見ていると、ラクダに乗った貴公子が現れました。どうも、結婚式のようです。花婿は、ラクダに乗った人だと分かりました。花婿の後ろに乗っているのは、花嫁には見えませんねー?これが、ホテルの前にある、結婚式場です。結婚式のご一行様は、小さな飾ったトラックを先頭に、踊る集団、楽器隊、(と言っても、4~5名ですが)、ラクダに乗った花婿、その後、さらに着飾った女性陣が、ゆっくり、しかし、喧しく、砦を降りて行きました。その後、静寂が訪れました。部屋の窓からの夜景です。冷え込みます。
2008.12.08
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2008年12月 7日(日) 81日目最悪の悪徳商人宿、HOTEL ANURAG を朝一番にて引き払いました。悪徳だけでなく、小便臭いのも、居たくない理由です。入り口を入った所から、小便臭いのです。で、城砦の中にやって来ました。この砦の中にも、ホテルが沢山あったのを、一昨日、見ていたからです。砦に入り、坂を登って行きます。右に曲がり左に曲がり、道なりに進むと、ちょっとした広場があり、右手に進むと、ホテルの名前が書いてありました。HOTEL MOTI PALACE と書いてあります。150ルピーと言うので、2階の部屋へ案内して貰いました。ん? 何、これー? って言う部屋です。穴倉かいな?部屋の入り口についている石段は屋上へ行けるようになってます。穴倉の入り口へ入って見ると、う~ん、別に悪くありません。ベッドでなく、インドでは珍しい(たぶん)、床敷きタイプの部屋です。右手側に、隠しカーテンのようなものがあります。カーテンを開けて見ると、ん~? ちょっとしたお休み処です。窓を開けて見て、驚きました。こんな素晴らしい景色なのです! 砦の外が一望出来ます。ここに決めました。この城砦、穴倉部屋に、立て籠もるつもりです。仲々、秘密小屋みたいで、面白いですよ。トルコのカッパドキアに、岩窟部屋のホテルがありましたが、雰囲気はそれに似ています。ですが、窓がなかったです。ここは、窓を開けると、別世界が見えますので、こちらの優勢勝ちです。レストランも、見晴らしが良いです。部屋の上へ登って見ると、さらに良い景色です。日本語の古本、売ってたなー。買って来るか?
2008.12.08
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2008年12月 6日(土) 80日目このジャイサルメールへは、「砂漠への旅」、を楽しみやって来ました。これまで、砂漠では、下記の3箇所で、キャンプしました。 ヨルダンのワディラム エジプトの白砂漠 モロッコのサハラ砂漠それぞれ、良さは異なりますが、どこも素晴らしく、砂漠大好き人間になっています。サウジでも砂漠に寝ようと、折り畳み簡易ベッド、シュラフも購入しましたが、運転手アシュラフが、ヘビが出るので、怖いとか言い出し、断念した事もあります。砂漠でのキャンプに、余裕の日程を取るために、途中、アーマダーバードや、ジョードプルをスルーして、早めて来たのです。しかしながら、「砂漠への旅」、は、断念しました。昨日の昼、小雨があり、大丈夫かなー? と思っていたら、夜中に雷を伴う大雨が降ったのであります。それは、朝方まで降り続きました。全市内が、停電してしまうほどの、大雨です。昼過ぎまで、電気の送電は、停止されていました。インドは、どこの都市でも、日中の停電は、毎日ありますが、本日の停電は、大雨のせいと言うことです。、水道まで止まってしまって、午後3時の現在でも、水が出ません。このような天候状態で、砂漠に出ていったら、それでなくても、夜は冷えて分厚い毛布を何枚も重ねなければ寒いのに、凍え死んでしまいます。(オーバーな表現ですが、風邪をひくことは間違いないです。)何故なら、このツアー、テントを持って行かず、砂漠の上に、そのまま寝るのです。1500ルピーも取って、テントなしです。それは、それで、とても良い(満天の星空を見ながら寝るのが最高)のですが、雨対策の説明が、何にもありません。不安です。モロッコのサハラ砂漠で寝た時は、雲一つない好天から、夜中に状況は一変し、砂嵐となり、慌てて、テント内へ、駆け込んだ事もありました。よって、大変、残念ながら、砂漠行きを、断念した次第です。支払い済みの、1500ルピーの返却については、予想通り、物凄く、揉めました。揉めに揉めて、ぶっ飛ばしてやろうと思ったこと、5回、蹴っ飛ばしてやろうと思ったこと、8回であります。結果、1100ルピーの返却となりました。宿代を、80ルピーと破格の値段にしておいて、砂漠ツアーでボロ儲けする宿屋です。一旦、懐に納めた金を、返す訳がありません。最初は、夕方、砂漠へ連れて行く、とか、何とか言ってました。1ルピーたるも、返すものか、と言った説明振りです。次には、色んな経費が既にかかっていると、言う理由で、500ルピーを返却すると言うのです。それから、揉めに揉めた訳であります。最終的に、1泊、200ルピーで泊まった計算になりますので、それで、妥協しました。こう言う、観光を目的としている町では、このような揉め事は、いつでも有り得ます。それを、如何にトラブルを少なくするか、皆さん、頭を痛めていると思います。あんまり、後味が良くないですね。いずれにしても、通常より格別に安い宿代に、何か裏があると思わねばなりません。分かっていても引っかかってしまう所が、アホですねー。まぁ、悪天候で無理に出かけて、風邪ひいて寝込むよりは、ずっとマシな結果であります。
2008.12.07
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2008年12月 5日(金) 79日目砂漠の町、ラージャースターン州のジャイサルメールへやって来ました。ウダイプルから夜行寝台バスでジョードプルへ朝5時着。すぐにバスを乗り換えて、ジョードプルからジャイサルメールへ移動、10時着。最も、効率の良い、移動方法です。80ルピー、200円もしないホテルにチェックインしました。何故、こんなに安いか、裏があります。砂漠ツアーで、元を取る、と言うか、ぼろ儲けするのです。宿の雑記長に、日本人の方のコメントがあり、宿のオーナーに見せられました。そこには、「1泊2日の砂漠ツアーに参加、1500ルピー。この町の他のツアーも比較したが、値段も内容も、一番良かった」、と言うような内容が記載されていました。それで、まぁ良いか、と申し込みしました。しかしながら、町へ出て見ると、概ね1泊400ルピー、1泊2日だと、800~900ルピーが、相場なのすね。行き先、内容が違うと行っても、そんな大幅に異なる訳はありません。よって、ボロい儲けの、「儲けさせ主」、となってしまった訳です。それは、自分の責任。仕方ないとして、町の散策に出かけました。町の中心、アマル・サガル門です。町の高台にある、フォートの入り口です。フォートの中ですが、今も、市民は、ここで生活しています。砦そのものの、建物です。このような城砦です。大砲も、いまだに置いてあります。観光客用でしょうが、絶対に観光客に見つからないような場所にありました。ジャイナ教寺院もフォート内にあります。ジャイサルメールの町並みです。砂漠の町って、どこでも砂漠の色に同化させた色合いですね。イエロータウンとか、オーカータウンと名づけたいような町です。町の反対側は、緑が多いです。町の南に、美しい湖があると言うので、歩いて行って見ました。湖と言うか、沼でした。時間がなければ、無理してまで、行かなくても良い所だと思います。
2008.12.06
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2008年12月 4日(木) 78日目本日も、得意のチャリを借りて、ウダイプルを一周して来ました。この町は、坂道が多く、全部乗って走るのは、難しく、押して登った所も結構ありました。まず、ビチョラー湖に浮かぶ、島の宮殿を見に行きました。この町には、ビチョラー湖と、ファテー・サーガル湖と二つありますが、二つ共、人造湖です。16世紀、ムガル帝国の攻撃を受けて、チットールガルを追われたメワールの王、ウダイ・スインは、ここに都を移し、川を堰き止めて、人造湖を作ったのです。水がなければ、多くの人々が生活出来ませんから、賢明な王であります。それが、延々と今の世でも、貴重な水として、使われているのであります。次に、ウダイプルのハイライト、シティー・パレスへ行きました。ここは、今でもマハーラーナの住居として使用されているとの事ですが、その一部が、博物館として、一般公開されております。このパレスは、高台にあるので、町が一望出来ます。反対側を見れば、人造湖のビチョラー湖が見えます。自分で作った、湖を見ながら、食事したり、眠ったり、休んだり、王様でなければ出来ない事ですねー。昨日、あまりに静かで、良い雰囲気だったので、ファテー・サーガル湖へもう一度来ました。同じく、静かな佇まいであります。「侍女たちの庭園」です。18世紀の始めに、王様が侍女たちの為に造った庭園です。ブーゲンビリアが美しく、派手やかに、咲き誇っていました。ローク・カーラ・マンダル民族博物館へも行きました。ラージャスターン地方の民族衣装や、人形、仮面などが展示されている、小さな博物館です。人形劇を行ってくれます。「パペットショー」と言うので、何だと思ったら、パペットって指人形の事なのですね。一時期、「パペット、マペット」とか言って、芸人がテレビに出てましたが、そのまんまの名前だったのです。(今頃、知りました。)最後が、ジャグデッュ寺院です。お馴染みのヒンドゥー寺院ですが、ヴィシュヌ寺院で、シヴァはいません。今夜も、夜行バスで次の目的地へ移動します。夜行バスの方が、日程的な効率がよく、宿代も必要ないし、おまけに良く眠れるので、夜行寝台バス愛好家なりました。但し、全てが、快適な寝台ではないです。道路がデコボコで、通路側に壁がなかったり、窓にカーテンがないと、かなり、しんどいです。ですが、椅子席より、身体を伸ばして横になれる分、当然ながら、楽であります。
2008.12.05
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2008年12月 3日(水) 77日目ディーウから夜行寝台バスで、アーマダーバードへ。そして、すぐにバスを乗り換え、正午過ぎに、ウダイプルへ着きました。グジャラート州から、ラージャスターン州へ移動した訳です。ラージャスターンの州名は、「ラージプートの土地」と言うのが語源で、ラージプートとは、イスラム勢力と勇敢に戦った、ヒンドゥーの戦士がいた、ラージプート族を言い、この地が本拠地だったからだそうです。従って、イスラムの国、パキスタンと長い国境腺を有しているものの、イスラム色が強い訳でもないとの事です。西部地区には、広大な砂漠があります。さて、ウダイプル。何の知識もなくやって来ましたが、山と、湖に囲まれています。静かな湖面に、山が映えています。チャイを飲みながら、この静かな湖面を見ておりました。いつの間にか、太陽が下の方へ降りて来ています。湖に浮かぶ、あの小さな島が、ネルー公園になっています。あぁ、もう夕陽に変わっています。太陽が赤みを帯びて、沈み始めると、とっても早く感じます。もう、あと、1分で、山の向こうへ、帰って行くでしょう。
2008.12.05
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2008年12月 2日(火) 76日目あらー? 今日は、もう12月ですぞ! それも2日です!もうインド方面の旅も、残り2週間もない、日程となってしまいました。とっても、淋しい気がします。そしたら、次は、どこへ行こうか? などと考えている始末です。仕方のない、貧乏旅人ですねー。何を考えているやら?(何も考えてないな。)下記は、インド方面の前から、行きたいと思っていた地域です。サウジの時、運転手とか、秘書とか、事務員とか、ティボーイが、みんなこちら方面だったので、インド大陸へ来てしまったのです。 1.中南米 2.アフリカ(ブラックアフリカ) 3.東欧と旧ソビエトの国々上記、何れも、これまで、全く訪れていない国々です。(東欧のハンガリーとオーストリアは、ちょこっと行きましたが。)しかし、今まで、全く考えていなかったのですが、「インド一周」の完遂間際になって、突然、頭に思い浮かんだのが、「日本一周」も良いなー、と、言う事なんです。何故、そう思ったのか、理由は分かりません。そう思ってしまいました。廻るなら、50cc以下の、バイクか、スクーターですね。何か、目的がないといかんですねー? 漠然と廻るのも良いけど、プラス何かあると、廻りやすい。ブログ関係の方々を訪ね歩く。良い考えですが、住所の分かっている人は、2人か3人しかいません。ダメすね、この案は。そうだ、全ての都道府県の観光課を訪ねて、スタンプを貰いながら廻るってのは、どうでしょう? 北海道は、道庁だけでは、すぐに終わってしまうので、市役所も含めるとして。バイクには、幟旗を取り付けます。書く文字は下記です。 貧乏旅人 アジアの星一番(通称ほっしー) 日本一周 旅の途中「日本一周 旅の途中」ってのが、よろしくないですね。何か良いタイトルありませんでしょうかねー?1日、150キロくらい走ったら、日本一周、幾日位かかるか計算します。四国一周で、1200キロあります。これで、8日間。九州は、その2倍として、16日間。北海道は、九州と同じとして、16日間。本州は、30日間。ざっと、2ヵ月半? う~ん、これでは、金がかかり過ぎるなー!今、インドの旅、最初は、エアコン、ホットシャワー付きのホテルなどと、贅沢な高級バックパッカーやってましたし、タージ・マハルのように、入場料を、750ルピーも取るような観光地も多かったので、1日、3000円近くを必要としました。しかし、後半は、エアコンなし、水シャワーのみ、蚊付きの部屋に格下げしましたので、1日、1500円で過ごしています。これだと、1ヶ月4万5千円。1年で、54万円です。これなら、サウジ出稼ぎ資金がありますので、何年も、何年も、さらに、何年も旅を続ける事が可能です。サウジ出稼ぎは、おっきかったですねー。自由気まま、行きたい放題の旅が出来ます。しかし、日本一周。、2ヵ月半。1日、8000円は必要でしょう。すると、60万円です! 海外格安の旅だったら、1年分の費用です。う~ん、考えるなー!そうだ! テントを持っていこう。簡易テントで良いでしょう。3日に2日は、テントで寝る。3日に1日だけ、格安民宿とか、お寺とかに、泊まる、これなら、半分以下、うまく行けば、三分の一以下の経費で、廻れるはずだ。おー! 良い考えだなー!いや、バイクは買わなければいかんぞ。バッグとかも必要だなー。テントも雨具も必要だなー。ありゃー、結構、事前準備費用がかかりそう。良い考えも、大したことないか?バイク日本一周くらいで、スポンサーになってくれる会社ないですよねー?スクーター会社とか、バイク会社で、1台貸してくれると、安上がりで、廻れるのですがねー。もう少し、考えよう。来期の中国留学申し込み期限が、12月中旬と聞いているのです。それまでに、留学するのか、しないで、別の何かをやるのか、来年の予定を決めねばなりません。下記のどれが良いでしょうか?1.中国語学留学する。2.中南米の旅3.アフリカ(ブラックアフリカ)の旅4.東欧と旧ソビエトの国々の旅5.バイク日本一周上記で、来年、実際に行った項目を推薦した方には、記念品を贈呈する事と致します。(嘘っこなしってことで。)さてディーウ、今夜の夜行バスでお別れです。これが、ディーウ島の、全景です。地図がないのか、買えなかったので、観光局へ行って、写真を撮らせて貰いました。右手、東側が、ディーウの町です。左手、西側の端が漁村です。漁村から町まで、チャリできっちり1時間はかかりましたので、10数キロでしょうか?真ん中の入江模様の所が、ナゴア・ビーチです。昨日、時間切れで、行きそびれたフォートへ行って来ました。大砲が、海を見据えていました。フォートの奥にある塔からの、ディーウの町の眺めです。町と行っても、繁華街は、数分あるけば、通り過ぎてしまします。だから、良いのですが。
2008.12.03
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本日も、2回目の更新です。 ================================2008年12月 1日(月) 75日目本日は、大変、充実した1日でありました。チャリで、ディーウを1周したのです。小さい島だからと、余裕こいて、ゆっくり出発したら、6時間かかり、帰り着いたのは、夕方の5時でした。途中、お昼食べたり、チャイ飲んだり、空を見上げたり、海を見つめたり、村人と話したり、気の向くままだったので、時間がかかりました。もっと、早めに出発したら、良かったです。さて、朝。市場で、非常食のバナナ、そして朝食用のリンゴ、トマトを購入。活気があります。ここは、女性の店主が多いです。 ディーウの町からすぐ近くにある、ケーブ。上から見ると野原のようなのですが、ケーブがあります。1番から11番まで、番号が付けられていました。 チャクラティス・ビーチです。このビーチの先に、岩の丘があり、そこから、歌声が聞こえるので行って見ました。そしたら、かけ声に合わせて、踊る狂っている女性がいます。一緒に踊ろうって、雰囲気ではありません。神がかり的な踊りです。ヒンドゥー教のお祈り見たいでした。お供えのお菓子を、食べろと、二つ差し出されましたが、丁重にお断りしました。 さらに、チャリを進めると、広大な岩の丘がありました。チャリを置いて、歩いて行きました。そしたら、海を見つめる、ベンチがありました。何を考えているのでしょう?時々、町と言うか、村と言うか、家並みが現れます。インドっぽくないですね。ゆったりした感じがするのは、家の造りのせいだけでもないようです。車が少なく、且つ、砂埃がないからだと思います。インドの内陸部は、ハンピを除いて、バンガロールも、バダミも、ビジャプールも、砂埃だらけで、早く次へ移動したい気持ちに駆られました。さて、この果物の名前は、何と言うでしょうか? ココナッツと一緒に、地元の、おばちゃんが売っていました。名前を聞いたら、「おっかぁ」、と言うらしいです。「おっかぁ」ですよ!「おっかぁ」、皮むいて貰って味見しましたが、甘いのですが、水分が少なく、あまり、おいしくありません。それでも、5ルピー(10円強)もします。そして、「おっかぁ」、は、故郷にいるのかと、思いきや、こんな木の上にいました。 ディーウ最高級のビーチ、ナゴアに着きました。あの高級ホテルがある、リゾート地区です。高級と言っても、4000円も出せば、泊まれるホテルですけどね。高級リゾート地らしく、ビキニの女性も、寝転んでいます。ビキニ女性を見つめる、アジアの星一番の、愛車「ピンク号」、です。(見るなよ! ピンク号!)チャリを走らせていると、突然、寺院が現れたりします。コムテマタ・ビーチに着きました。ひろ~い、ビーチですが、だれ~もいません。いるのは、犬だけです。漁村に着きました。恐ろしいほどの舟の数々です。この写真のずっと手前から、ずっと向こうまで、船が係留されています。これ、全部、魚の干物を作っている所です。おばさんや、娘さんが、干物魚の頭を取る作業をしています。ニコニコ談笑しながらの作業、見ているこちらまで、ほのぼのとした気持ちになるのは、何故でしょうか?このように、干している所もありますが、地面に並べているのが、圧倒的に多いです。以上、盛り沢山の、ディーウ島一周でした。この漁村から、ディーウの町まで、懸命に漕いで、1時間かかりました。ずっと、わずかな登り坂で、疲れました。そのお陰で、ビールがより一層、うまく飲めましたが・・・。
2008.12.02
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2008年11月30日(日) 74日目コヴァーラム以来のビールです! う~ん、ゴックン! うまい! ここは、カーティヤワール半島の南沖に浮かぶ島、ディーウです。インドの西部、グジャラート州のアラビア海に突出するのが、カーティヤワール半島であります。その南端に位置する小島で、面積は38.5km2、人口は約23,000人。こんなにネオンが華やかな、海辺通りです。このグジャラート州(注1)は、州全体が禁酒州になっています。しかし、ここ、ディーウのみが、特別で、アルコールOKです。ビールも、大瓶で45ルピー、100円弱ですから、コヴァーラムより安い価格で飲むことが出来ます。せっかくの、ネオン街、ビールのつまみに、野菜煮込みを頼みました。トマト味プラスガーリック味です。ボリュームたっぷりで、これでお腹一杯です。こんな海を見ながら、飲んでいました。本日は、朝、ジュナーガルからバスに乗りました。7時45分発と、昨日、確認していましたので、早めに来て、席を確保しようと30分前の、7時15分には、バス停に着きました。しかし、ここもインド、バスが、仲々来ません。何度、確認に行っても、もうすぐ来るって言うばかりです。定刻の7時45分になっても来ません。5分過ぎ、10分過ぎても、まだバスは来ません。あっちに聞き、こっちに聞き、聞き廻ったところ、バスはもう来ていました。運転手が、お茶を飲みに行って帰って来ないって言うのです。インドですねー!僕も、お茶を飲みに行きました。こぼれるほど、注いでサービス良いです。日本の、立ち飲み屋さんの、お酒の注ぎ方見たいです。運転手さん、お茶を飲み終わり、悠々と、バスに向かいます。もう定刻の25分も過ぎているのに、図太い神経ですねー。8時15分になって、ようやく出発しました。きちんとした4番バス停に止まっていたのは、たった3分ほどです。よっぽど注意していないと、置いてきぼりに会います。ケシェッド →ベラベル →コディナル →ウナ、と4つの町を経由してディーウへ着きました。こんな田舎に町があるのか、と言うほど人が住んでいます。10億人もいるのだから、どこにでも住むのでしょう。「歩き方」にも、このディーウは、5行程度しか載っていません。従いまして、バス停に着いても、どこへ行っていいやら、さっぱり分かりません。仕方ないので、ビーチはどこにある? と聞いてそちらへ歩き始めました。こんな道を、テクテク、とバックパック背負って歩きました。しかし、ビーチへは、7キロの道のりがありました。昨日は、6000段は間違いなくあったであろう、ギルナール山へ登り、何故かふくらはぎ(脹脛)が痛い。後ろを振り向き、振り向き、リクシャーが来ないか歩きましたが、ここは少ないですね、リクシャー。バス停で確認はしていたのです。ビーチまでは、50ルピーだと。しかし、この50ルピーは。高すぎます。ですが、どうもそれが、ここの相場らしいのです。きっともっと安いのがあるはずだ、と歩き始めました。地元の人の足が、必要であり、そんなに高いのに乗れるはずがないのです。かなり、歩いた頃、荷台のついたリクシャーがやって来ました。やはり10ルピーでビーチまで行けました。看板が出ています。ん? 名古屋ビーチ?いつのまに、rokoさんの住む、名古屋に来てしまったのだ?名古屋ビーチなんて、あったのか?んー? おかしいなー?と良くみたら、ナゴアでした。紛らわしい名称ですなー。後で、地元の人に聞いたら、ナゴアとは、ポルトガル語だそうです。意味は分かりませんでしたが。ここのビーチ付近に泊まろうとホテルへ行きますと、な、なんと、2100ルピー。大慌てで、フロントから逃げ出しました。何軒かあるホテル、全部聞きましたが、一番安いので、1200ルピー。ここに泊まるのは、諦めました。帰りが、又、問題です。リクシャーの連中、50ルピーだの、ひどい奴は、80ルピーだのと、無茶苦茶言います。重いバックパック背負って、歩くのも嫌だなー、と思いますが、安さを追求するバックパッカー、へこたれる訳には参りません。歩き出しました。しかし、数百m歩いた所で疲れて、道端に座り込みました。こう言う時って、結構、心細いのですよ。お金をわずかに多く出せば、楽になるのですが、それも癪だし、初心貫かねばならないし・・・。リクシャーが1台泊まって、80ルピーだとか言うので、無視しました。時速5キロほどで走る、大型オンボロトラクターのようなのが来たので、乗せて貰おうと思ったら、断られました。まぁ、一度、止まったら、2度と動き出しそうもないトラクターでしたが・・・。インド人3名を乗せたリクシャーが止まりました。20ルピーで乗せると言います。もう疲れているし、それで妥協しました。市内は、バス停から歩いて、10分もありません。ガイドブックって、多少の誤記はあっても、重要で必要ですねー!そう言う情報があれば、わざわざ、ビーチまで、行かなくて済んだのです。行って帰って来るのに、3時間も要しています。さて、ホテルです。200ルピーで見つけました。HOTEL RAABHです。チェックインして、ネット屋へ行って、冒頭のレストランで、ビールとなったのでありました。注1 グジャラート州グジャラート州は、南はアラビア湾に面し、北はラージャースターン州、東がマハーラーシュトラ州、西はパキスタンと接しています。5世紀以降、北方の騎馬民族であるフン族の侵攻を受けたり、11世紀以降はイスラム勢力の支配下におかれました。ジャイナ教の聖地、パリタナもあり、ヒンドゥー教、イスラム教、ジャイナ教、キリスト教、仏教などなど、宗教が混在しています。ジャイナ教の影響も強く、禁酒州になっているようです。ここは、乾燥地帯と湿地地帯に囲まれていて、古くから、綿花の栽培が盛んであった模様。綿布の輸出でこの地方は、豊かであったそうです。それで、道路も整備されているのかも知れません。畑に見られた白い花を付けたのが、綿花だったのかなー?
2008.12.02
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2008年11月29日(土) 73日目朝4時出発とか、朝6時出発が良いと、ホテルのフロントに言われました。しかし、移動でない時くらいは、少しゆっくり起きたいです。宿を8時半に出発しました。この町には、リクシャーはなく、オートリクシャーだけです。どこでもそうですが、言い値で乗ったら、どえらく高く付きます。交渉は、もうずいぶん慣れました。事前に、ホテルとか、商店で、行き先の価格を聞いておきます。値段を聞くと、概ね、2倍位に言って来ます。特にバス発着場などで待っているリクシャーは、法外な値段を言って来ます。そう言うのには乗らない方が懸命。町を流しているリクシャーは、普通の値段を言ってくるのが多いです。交渉ですが、値段を聞いて高かったら、アホな! と言う素振りをして、すぐに歩き出す事です。乗せたい場合、追いかけて来ます。乗りたい素振りを見せたら、あまり値段は下がりません。どこでも、リクシャーは、余るほどいますから、乗り損ねる事はないので、納得行くリクシャーがつかまるまで、粘ることです。今回の場合、30ルピー位と聞いてました。2台のリクシャーに聞いたら、2台共50ルピー。30と言ったら、首を振って行ってしまいました。こりゃ、ホテルで聞いた価格がおかしいか? とその後のリクシャーと交渉。35ルピーにて妥結しました。やっぱり粘って見ることだなー、と再認識した次第です。ギルナール山へ向かいました。バングラデシュのリクシャーは、ゴテゴテに飾って走っていますが、ここのオートは、そんな派手ではありません。客席の壁には、好きな写真を飾っています。このリクシャーは、女優さんです。有名らしいです。 さて、1万階段あると言うギルナール山の麓に着きました。きちんと、今が何段目か、数値が書いてあります。ここは90段目です。1500段まで来ました。ここまで40分かかりました。えー! するってぇーと、1万階段まで、220分かかります。まだ3時間以上?ひゃー、大変だ、こりゃー!振り返ると、景色で、登ってきたことが分かります。ギルナールの麓の町と、調度、山と山の間に、ジュナーガルの町が、遠く見えます。こんな所を登って行きます。信者の皆さん、お年寄りもゆっくりと登っています。きついでしょうねー! この階段。そして、多くの人が、裸足なのです。石段ですよ! 痛くないのですかねー! 3000段まで来ました。1時間半かかっています。見上げると、頂上は、はるか、遠くであります。厳しいなー!息があがります。しかし、3800段のところに、こんな門がありました。 おー! りっぱな寺院です。ここが、ジャイナ教の寺院群のようです。ジャーンデラサと呼ばれています。さらに登ると、ジャイナ教寺院群が、一望出来ました。その後、階段の表示がありませんので、何段登ったのか分かりません。しかし、ほどなく、次に寺院がある山がありました。たぶん、ジェーンデラサから、1000段程度しか登ってないはずなので、5000段程度のところでしょうか?アンバジと言う場所で、ヒンドゥー教の寺院です。階段は、麓からずっと石で出来た、立派なものです。ここは急で、万里の頂上を思い起こさせます。遥か下の方に、湖が見えます。天と地の境が分かりません。この山の上にあるのが、最後のヒンドィー寺院で、グルデタートリィーです。常に、完遂を求めるアジアの星一番なのですが、風が強く、急階段、です。そして、極度の高所恐怖症なものですから、あそこまで、辿り着くのは無理と判断し、断念しました。残念ですが・・・。悔しいのですが・・・。9時に登り始めて、調度、12時にここに到着。3時間掛かりました。最後のグルデタトリィーまで行ったら、さらに1時間は掛かったでしょう。しばし、この頂上で下界を見下ろしていました。30分もゆったりと過ごし、下山しようとすると、途中、少し一緒に歩いた先生が、僕の腕を引っ張り、生徒の方へ連れて行きます。一緒に写真を撮ってくれと、言うのです。こんなに多くの生徒です。女子は、女子で集まっています。男子より少ないですねー。この娘達の多くも、裸足で登って来ました。帰りも、裸足で飛ぶように降りて行きましたよ。すごいですねー。ここは、観光客が少ないのか、日本人の訪れるのが少ないのか、皆さん、興味を持って声をかけてくれます。中には、調子に乗る少年もいます。そう言う奴には、頭を指して、指をクルクルっと廻し、最後にパァーっと、手を広げて上に上げます。そうです、クルクルパァー、とやるのです。頭の悪い奴は、クルクルカァー! とか言って、パァーと言えません。「ほんと、お前は、アホやなー! お前が、クルクルパァー!」、と言えば、女子生徒陣、大笑い、大うけですこれ、以前も、インドのどこかでやったのですが、大うけです。ここでは、特に女子生徒に受けて、ずっと真似していました。「クルクルパァー! クルクルパァー!」、と合唱しながら、降りて行きました。今後、この辺りで、日本人を見たら、クルクルパァー、と言うかも知れません。でも、それは、上記の理由から言うのであって、日本人を、クルクルパァーと言っているのではありませんから、ご了承願います。追記1万段の階段がある、とそのように聞いて行きました。しかし、実際には、1万段もないようです。僕が行った地点で、少なく見積もって、5000段、多く見積もって、6000段。そして最後の寺院まで、1000~1500段とすれば、6000段から7500段位が、実際の所でしょう。それでも、すごい段数です。麓から、頂上まで、全て完璧な石段で作られております。途中、水や、お菓子、果物なども売っていますから、お金さえ持って行けば、荷物なしでも、可能です。山には、不思議な冷気があり、気持ちも穏やかになるような気がします。苦労して登って、振り返った景色と、爽やかな風には、寿命が延びた気さえします。ジュナガールへ行きましたら、1泊余分にして、是非、登っ欲しいと思います。
2008.12.01
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本日、2回目の更新です。現在は、グジャラート州の先端、ディーウと言う、ポルトガルが500年支配していた島、現在は、政府直轄地になっている島に来ています。============================2008年11月28日(金) 72日目アーマダーバードに、夜行寝台バスで、朝の8時に着きました。グジャラート州の、ほとんど日本人が行かないであろう町などへ行って見ようと考えています。半島のように突き出た部分へ行くので、アーマダーバードへは、又、帰って来なければならない地形なのです。アーマダーバードのどこで降ろされたかも分からない状況でした。民間バスなので、バス停に行けないようです。地図を広げ、近くを通る人に聞きまくると、市内から3キロも離れた、動物園の所にいるのです。全く、変な場所に降ろされてしまったわい、と嘆きながら、歩いていました。声をかけてきた、オートリクシャと話をしていると、今すぐに行けば、目指すジュナーガル行きのデラックスバスが出るとのことです。行きました。信用して行きました。それで、チケットも買えて、飛び乗りました。夜行寝台バスに似ています。下段は全て椅子席で、上段は全てベッドです。観光客らしき人は、誰もいません。アジアの星一番さんだけです。道路が良いので、驚きました。ほとんど知られていない土地なので、ガタガタ道を想定していたのです。しかしながら、完璧な片側2車線の高速道路です。上掲の写真の高速道路が、ずっと続きます。「決死の49時間バスの旅」では、デコボコ道により、座席の半分は、飛び跳ねて、外れてしまいました。インド北部の道路です。ビハール州でした。ここグジャラート州は、経済が発展しているのかも知れません。道路が良くなったのは、カルナータカ州からです。タミルナードゥ州も、ケーララ州も、こんなに立派な高速道路はありません。それと、デラックス寝台バスが、以前の州にあったのかどうか、定かではありませんが、僕は、そのバスに遭遇していません。たぶん、ないのでしょう。と言うことは? 道路状況が良くなると、デラックスバスが走り出す。デコボコ道を、デラックス寝台で行っても眠れませんものね。きっとこの僕の推定は当たっていると思います。僕の席は、一番前で、見晴らしの良い、快適な席でした。しかし、途中、乗客が降りていくと、車掌が、「ベッドで寝て行ったらどう?」と無料で、席移動を認めてくれました。お言葉に甘えて、ダブルのスリーパー席へ。う~ん、広い!これなら、新婚旅行でも、泊まれるわ、と思いましたです。この快適なバスも、途中で降ろされました。降りたら、車掌が付いてきて、乗り合いのオ-トリクシャの運ちゃんへお金を払っています。そのリクシャで、ジュナーガルまで、行って欲しいと言うのです。面白いシステムだなー、と思いましたが、20分で着くって言うので、はいはい、分かりました、とそのリクシャーに乗ったのであります。そしたら、なんと、1時間もかかりました。まぁ、外の田舎の景色を堪能しながらだったので、退屈はしませんでしたがね。夜行バスから、すぐにバスを乗り換え、最終的にはリクシャーで、着きましたが昨日、夕方出発して、調度24時間です。49時間の次の記録となりました。ジュナーガルの街です。いくつか見て、バス停の近くのホテル・ピクニックに決めました。エアコンなし、お湯は午前中のみ(最近はいつもこう言ったホテル)で、250ルピー、500円少々の部屋です。こんな風に、片方のベッドに、荷物を全部広げます。ですから、シングルではちょっと狭いのですよねー。屋上からの、眺めです。向こうに見える山が、ギルナール山と言います。ジャイナ教の一大聖地があり、階段を、1万段登ると行き着くと言うのです。1万段って、すごいですよねー! 100段を、100回登る訳です。ここは、ディーウへの通過点で、1泊したら、明日の朝、早く出立するつもりでいました。しかし、もう1泊して、この山へ登って見たくなりました。
2008.11.30
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2008年11月27日(木) 71日目昨日の夜遅くか、本日の未明、ムンバイ(ボンベイ)にて、テロ事件がありました。アウランガーバードは、ムンバイから、350キロ離れています。最初の予定では、ゴアからムンバイへ行くつもりでした。しかしながら、ハンピがとっても良いと言う噂を聞き、予定変更し、ゴアを止めて、内陸廻りしました。ピジャプールからは、ムンバイ行きのバスが多いのですが、ムンバイへは行かず、ムンバイから200キロにあるプネーと言う都市で途中下車し、アウランガーバードへやって来たのです。いずれにしても、時期と言い、場所と言い、テロ事件とニアミスしていました。死亡や怪我をされた方には、誠に申し訳なく、冥福を祈るばかりでありますが、結果的に、僕としては、わずかな差で、事件を避けておりました。心配してメールを頂いた方や、このブログにコメントして頂いた方に、お礼を申し上げます。ありがとうございました。=================================さて、マハーラーシュトラ州から、グジャラート州へ移動します。先日、夜行寝台バスと言うのを見ました。そして、和風美人さん達も、その夜行寝台バスに乗って、ムンバイから来たと聞きました。僕も、それに乗って見たくて、予約してありました。このバスです。見るからに、デラックスバスであります。これが、車内です。前の方は、下段が普通の椅子席で、後ろの方は、上段、下段共に、寝台です。寝台席を、スリーパーと言いますが、汽車のスリーパーは3等席です。ローカルが乗る、かなりひどいもので、日本人としては乗りたくないと聞きます。高級バックパッカーの僕も、まだ経験していません。バスのスリーパー。これは、仲々、快適ですぞ!両側のカーテンを閉めると全くの個室です。あくびしようが、足をおっぴらこうが、問題ありません。パンツ脱ごうが分かりません。(誰も脱ぎませんが)ちょっと狭いですが、こんな感じです。窓側のカーテンを開けると、全面ガラス窓です。景色を見るには最高です。この日、北へ進みます。僕のベッドは、左側です。西向きって事です。暮れなずむインド。それを見ながらバスは走ります。良いですよー! 最高です!チーナさんの隣の席とどっちが良いかなー? 感じ良さが違うので比較は無理ですが、このスリーパー、気に入りました。外の景色です。快適な、スリーパーなのですが、一つだけ難点がありました。エアコン付きのデラックスバスなのですが、ACはエアコンの略でなく、エアークーラーでしょう?って、質問したい位、温度調整出来ていません。寒いです。それもすごく!で、何故かと言うと、冷えた空気が、調整口からでなく、穴が開いていて、そこから、がんがん、個室の僕の小さな部屋に流れ込んでくるのです。まず一つは、ハンカチを押し込んで、流れを止めました。問題は、真ん中にいくつも小さな穴が開いている箇所です。マイソールのマハーラージャ宮殿で貰ったガイドブックを千切り、本の修理用に買った、セロテープで張り付けました。この対策で、全く冷えた空気は、漏れてきません。これで快適です。22時から、朝の6時まで、たっぷり8時間、快眠しました。ホテルで、蚊の心配をしながら寝るより、ゆっくり眠れたほどです。朝の車窓の景色です。アウランガーバードから、アーマダーバード。15時間半の夜行寝台。600ルピー、1200円少々です。椅子席と、50ルピーしか違いませんので、絶対にスリーパーの方が、良いですね。
2008.11.30
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2008年11月26日(水) 70日目砦を見終わったら、次は、世界遺産、エローラへ出発です。僕の席はありません。もう諦めていましたから、運転席への仕切りを開けて、入ろうとすると、車掌さんが、「こちらに来て見て下さい。」、と言うのです。見ると、一番後ろの席の真ん中に、背もたれもなく、且つ、座布団敷いた、臨時の席がありました。「なんじゃ、こりゃー!」、むかっとして、「半額返せ!」 と言おうとしましたら、その両隣が、和風美人Bさんと、タイ風美人さんなのです。文句言わずに、すぐOKにしました。 (軟弱~! 意思なし~!)和風美人Bさんの隣の、窓側が、和風美人Aさんです。タイ風美人さんの隣の、窓側が、、謎の青年です。謎のまま座っています。謎の女性は、見えません。謎は謎を呼びます。タイ風美人さんから、「両手に花だから、我慢してね!」、胸中、察っせられたが如くの言葉が発せられました。ま、多少、ケツは痛くとも、多少、腹筋を使おうとも(背もたれがないから、腹筋が必要なのです。)、旅の話に花が咲いて、楽しいひと時は、あっと言う間に過ぎ去り、エローラに着きました。ここには、34窟あり、3つの宗教寺院があります。仏教窟群 1~12窟ヒンドゥー窟群 13~29窟ジャイナ窟群 30~34窟ガイドは、まず、仏教窟の、10窟の前に来て、足を止めました。入場門が、16窟と17窟の間にあるので、10窟を見ると言う事は、1~9窟はどうするのだろう? と奇異に感じました。アジアの星一番は、仏教徒であります。退職願を提出し、受理されずに最終出勤日が来てしまいましたが、その足で、四国88箇所お遍路の旅に出るほど、信心深いのです。(ほんとかー!)第10窟には、ストゥーパが祀られています。その正面に、仏像があります。ここは、7~8世紀に作られたとの事ですが、これより以前は、仏像より、ストゥーパが主であったのに、これは、仏像が大きくなっています。現代の我々が、拝んでいる仏像は、お釈迦様が亡くなってから、1000年以上過ぎてから、作られるようになったのですねー!ほんとに、お釈迦様の、顔なのかどうかなんて、分かりませんね。 次は、仏教窟群の最後、第12窟です。(予想通り、9窟まで飛ばされました)こんな、3階建てのようになっています。山の上から、掘り進めて来たので、足場は使っていないとガイドから説明がありました。設計、施工、監督、チェック、これらの仕事は、並大抵の技術では、出来上がりません。この僧侶の寝室も、岩をくり抜いて作られました。ベッドも、枕もあります。3階は講堂に使われたようですが、奥には、仏像が並んでいました。やはり仏教徒にとって、親しみ安い、そんな感じがします。講堂、奥に仏像がある3階の柱です。ごっついです。当時、どのような強度計算をして、柱の太さを決めたのでしょう?手抜き計算、手抜き工事、を行う業者さんに教えてあげたいほど、頑丈な柱です。次は、ヒンドゥー窟群へ向かいます。その中でも、もっとも巨大で、さすが世界遺産、と唸らせるだけの、16窟、カイラーサナータ寺院です。すごいですよ! 写真では、分からないかなー?これを、上から掘り下げて作ったのです。彫り始めてから、1世紀、100年以上の期間を完成までに要したとの事。ガイドは150年と言ってました。中へ入ると、全て掘り出しで作られた、塔から、像から、寺院などあります。やはり、ここは、ヒンドゥー教。シヴァのリンガが祀られています。信者の皆さんは、これに触って、有難がっていました。ジャイナ教の石窟、第32窟です。仏教より、ジャイナ教の方が、早く出来た(紀元前6世紀)、その開祖のマハービーラ像は、仏像にそっくりです。成り立ちより、仏教が、ジャイナ教を取り入れたって事になります。ここで、もう午後の2時過ぎ。タイ風美人さんは、昨夜食べたきり、何も食べてない、腹減ったー!と、お疲れ気味です。ムンバイから深夜バスで、朝着いて、そのまま、ツアーに参加したようです。疲れますよね。レストラン。 「一緒に食べましょう、」、と日本人グループのテーブルを作りました。昨日、運転席で僕と一緒だった、インド人青年もこのテーブルに参加です。僕は例の如くターリーで、進歩ありません。タイ風美人さんもターリーにしました。インド青年もターリーです。和風美人さん達は、インド青年に聞いて、検討の末、何やら僕の知らないものを頼みました。料理に対する興味がありますよね? 僕とは違います。(緑色のカレーが来ました)そして謎の青年は、サンドイッチを頼みました。まだ言葉を交わしてないので、謎の青年のままです。そう言えば、謎の女性は、どこへ行ったのでしょう?レストランの近くには来たのです。おかしいなー? やはり謎です。ここでは、インド青年と、謎の青年の会話が、とっても面白く笑えました。英語と日本語での会話です。言葉で表すのは難しいですが、とにかく、すごく笑えました。二人とも、真面目に会話してたのです。謎の女性。僕らが食事終わって、ゆったりと歩いて、バスの方へ向かっていると、何やら買うようです。謎を解明したい僕としては、近づいて行くしかありません。そしたら、グァバを、5ヶも買い込んでいました。全部切り込み入れて貰って、塩とマサラを混ぜたものを、擦り込んで貰ってましたから、昼食にするのでしょう。ダイエット中でしょうか?もう、ほとんど、観光完了ってな、雰囲気でありました。が、しかし、まだまだ、あります。ジョテル・シバ・テンプルだったと思います。クルダーバード、イスラムの聖人たちの墓を集めた聖地。寄付の依頼だけが、妙に心に残っただけ。行かなくても良い場所です。次が、ビービー・カ・マクバラー。通称、ミニ・タージ・マハルと呼ばれる。アウラングセーブ帝の息子のアザム・シャーが、母のラビア・ドゥラーンを偲んで建てた廟。写真だけ見ると、タージ・マハルに劣らないように見えますが、規模も、大理石の使用なども、全く適いません。もしタージ・マハルを見ていなければ、「おー!」、と思うかも知れません。もうこれで終わりか?と思ったらまだありました。パーンチャッキーとか言う、水車場です。10kmも離れた所から水を引き、製粉していたそうです。池で、魚に餌をくれていたら、皆さんとはぐれてしまって、焦りました。又、置いて行かれたと思ったとです。本日の、工程、全て完了。バスの中で、記念撮影です。皆さん、良い笑顔ですねー!化粧が、アジアの星一番と似ています。2日間、皆さんと一緒で、楽しかったです。 ありがとう! 元気でねー!機会がありましたら、どこかで、お会いしましょう!追記この日の夜行で、謎の青年と、和風美人さん達は、別々ですが、ムンバイへ向かったのです。テロのあった日です。翌朝、日本で、ニュースが流れている頃、皆さん、ムンバイに着いたはずです。テロ直撃でなく、その後だったので、怪我とか直接の影響はないでしょうが、テロ後の都市へ入っていったので、何かと不都合があったのではないでしょうか。無事、日本に帰られた事と信じます。追記その2謎の青年、なんて書いてごめんなさい。ホテルへ来てくれたらしいですね? 僕が夜行の出発まで、僕の部屋で時間をつぶしたらいい、とか、お誘いした時に、乗り気でなさそうだったので、ネット屋へ行ってしまいました。しかも、いつもより遅くて、2時間もかかってしまったのです。ホテルに帰ったら、フロントが、友人のマサキが来た、と伝えてくれました。ほんと、すみませんでした。追記その3謎の女性、と、ストーリー上、書きましたが、きちんとした方です。あまりみんなで、わいわいするのが好きでないだけの方です。最初の日の後半、バスの席が隣だったので、色々と、話は伺いました。このブログを読む確立、ほとんどゼロ%でしょうから、謝っても意味ありませんが、一風変わっているとか、謎の女性とか書いてしまって、深謝申し上げます。追記その4和風美人Aさんは、聞き上手です。僕は、相当親しくならない限り、若しくは、僕より無口な人たちばかりでない限り、概ね、聞き役が多いのです。しかしながら、少し、しゃべり過ぎました。ブログでは、正体を見破られないように、慎重に書いています。僕の正体をばらさないで下さいね。(もし、見てくれた場合の話です。)
2008.11.29
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2008年11月26日(水) 70日目本日も、1日ツアーに参加することにしました。ツアーは、なんつっても、効率よく、廻れることに、魅力があります。例のにっくきフロントのいるホテル・カルティキの前でバスを待ちます。昨日、同様20分過ぎてもバスは来ません。昨日は、定刻25分を過ぎてバスが来たのに、今日は来ません。にっくきフロントに会いたくありませんが、「バスが来ねぇー!」、と言いに行きました。そいつは、「すぐ来るから待っておれ」、と言いおります。35分過ぎてもバスは来ません。もう一度言いに行くも上記の繰り返し。45分過ぎて、もう、完璧、あったま来ました。「バス会社に連絡せぇ!」、とにっくきフロントに大喝しましたです。本日のツアー、どうしても参加せねばならない理由があるのです。実は、昨日の、美しき日本女性の二人連れ、このツアーに参加しているのです。昨日、聞きました。本日、又、会える。それを楽しみに、眠れない一晩を過ごしたのです。昨日の別れ際、「又、あした~!」って、吸い込まれそうな笑顔で手を振ってくれたのです。我が顔が、10cmほど、前に動いてしまったほどです。故に、絶対、ツアーに参加せねばなりませぬ。にっくきフロント、渋々、電話をかけています。電話が繋がったら、受話器を僕の方へよこします。アホですね、こいつ。「アホ! お前からチケット買ったのだ! お前が話をつけよ!」、又、大喝しました。何やら、話していました。にっくきフロント、責任感などかけらもありません。すぐ近くなので、「その旅行代理店へ行け」、と言うばかりです。普段なら、徹底抗戦するのでありますが、「時間は過ぎる→美人二人連れに会えなくなる。」、この構図が頭をよぎって、代理店へ急ぎました。「バスはいつ来るんじゃ! 45分も待って、まだ来ないぞ!」、といきなり大喝です。彼らは、慌てて、どこやらへ電話しています。にっくきフロントとは対応が違います。受話器から顔をあげ、「もう、バスは、とっくに行ってしまった!」と言ってから、しきりに、「ジャパニーズ、ジャパニーズ!」、と相手先に言ってます。もう、この時は、ツアーへの参加は、ほぼ諦めていました。定刻の1時間近くが過ぎているのです。もう、ツアーバスは、ずっと先の方へ行っているでしょう。後は、如何に、払い戻しプラス慰謝料をせしめるか、若しくは、どこかをタダで観光させるか、そっち方面を考えていたのです。そしたら、車で、ツアーバスを追いかけて、ツアーに参加して貰う、と言うのです。「お! そうか。」、諦めていた美人二人連れ(以降、和風美人と言う)に会えそうです。そこの一番の責任者、渡したチケット、返してくれません。マネージャーが付いて行くから、問題ないと言いおります。心配はありましたが、先を急ぐので、そのまま出発しました。(大丈夫か? チケットなしで?)運転手と、マネージャーとか言うのが一緒です。「飛ばせ! 飛ばせ!」、と助手席で、手に汗をかきながら、叫び続けます。運転手も、素直です。ぶっ飛ばします。「お! あぶねぇー! ちょっとスピード落とせ!」、ったく勝手な客です。素直な運転手、安全運転に戻りました。こんな所で事故でもおこされては、元も子もありません。途切れ途切れの会話で確認したのは、「ダウラターバード砦」へ向かっているとの事です。市内から、10数キロあるって言っています。着きました。砦です。空が青いです!真っ青です!「じゃー!」、運転手とマネージャー、帰ろうとしてます。「待て、待て!」、ここで帰られては、チケットもないし、ツアー参加の証明するものが何もありません。カトマンドゥで騙され、「決死の49時間バスの旅」になってしまった、苦い経験もあります。「バスの運転手と話が付くまで、絶対に帰ったらいかんぞ!」、と指示します。すると、「ここで、あんたも待つか?」、などとのんびりした事を言うのです。「何の為に、ツアーに参加したんじゃ? 砦をみなけりゃー、意味ない!」すると、絵葉書売りを連れて来て、彼が中にいるガイドまで連れて行くと言います。それで、そっちへ歩き、入ろうとすると入場料が100ルピーも必要です。「あ、まずい、ますい!」ここに、何時までいるのか分かりません。絵葉書売りに聞くと、12時までここにいるって言います。しかし、全く信用出来ません。それで、また、マネージャーが待っている所まで、戻りました。面倒な事です。バスの運転手も一緒に居ました。集合は、11時半と確認出来て、今は、10時45分。まだ45分あるので、やれやれ、一安心。これで、ツアー参加、OK、問題なし! さぁー、和風美人のいるツアーに追いつこうと、振り向き歩き始めましたです。そしたら、新たな問題発生。座席がない、と運転手が言っています。昨日と同じです。オーバーブッキングです。運転手の所の席があるし、昨日と違って、10分おきに止まるようなツアーだから、良いだろう? とか、何とか言っています。今は、一度は、諦めた和風美人に会ったも同然な所まで来ています。時間も過ぎる一方だし、文句言っている暇も、交渉している暇もありません。「半額返せよ!」、とだけ言って、入場門へ急ぎました。」大砲がありました。写真だけ撮って、先を急ぎます。何やら門があり、塔が見えました。が、先を急ぎます。ヤギが、こんな高い塀の上にいます。でも、先を急ぎます。おー! いました! 小柄な方の、和風美人Bさんです。ほっそりとした脚は、昨日のままです。(当たり前じゃ! 1日で痩せるか!)ツアー団体の、一番後ろを、ゆったりゆったり歩いています。僕は、「ほぉー」、と数回、深呼吸をして、息を整えました。そして、そんなに急いだ素振りは、全く見せず(そのつもり)、「こんにちわ!」と挨拶しました。振り向いて、「あらー! 来ないのかと話していたのです!」、と、これまた、昨日の笑顔と同じです。いやー、嬉しいですなー、ようやく追いつきました。まぁ、色々とあるものです。砦の頂上から見る、雄大な景色。そこを通り抜ける、爽やかな風。ええなー! 何と、気持ちいいのじゃろ! あれー? ツアーの人たちを見ると、昨日の、「謎の青年」がいます。あれー? 昨日の、一風変わった、「謎の女性」もいます。あれー? さらに、新たな、「タイ風美人」、の日本人もいます。本日のツアーも、日本人6名であります。その2に、続く追記頂上へ登るときに、真っ暗な洞窟を通りました。「コウモリが沢山いるー!」とか、皆さん言っています。しかし、僕には全く見えません。おかしいなー、急いで来たので、目がおかしくなったか? 懐中電灯を手探りで、ショルダーバッグから取り出して、スイッチ入れても、全く見えません。「な、なんだ、ど、どうしたんだ?」 とこれまた、手探りで、皆さんの後を、追いました。明るい所へ出ても、何だか薄暗いです。サングラスをかけたままでした。見える訳あえりません。不細工な顔を、少しでも隠して、和風美人さんに会おうと、サングラスしていたのです。追いつくのに懸命で、全く忘れてました。全く、間抜けで、ドジな奴です。 ん? 俺のことか? そうだった。俺の事です。
2008.11.28
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2008年11月25日(火) 69日目欧米系の人たちが、名前を呼び合う時に、ファーストネームを省略したニックネームで呼び合いますよね?僕の場合、マッシーとか呼ばれている地域もあります。マットと呼ばれている地域もあります。しかし、最近は、聞かれたら、ホッシーと読んでくれ、と言っております。アジアの星一番(注6)の、星から、→星 →ほし →ほっし →ホッシーとなる訳であります。そしたら、その「ほっし」ですが、あの天竺を旅した、三蔵法師ですね、その呼び名、「さんぞうほうし」の他に、「さんぞうほっし」、とも呼ぶそうです。「さんぞうほっし」「あじあのほっし」 おー!何となく、似てますねー!1380年も前に、天竺を旅した、「さんぞうほっし」2008年の今、その天竺を旅する、「あじあのほっし」驚きました。「アジアの星一番」が、「三蔵法師」、に似ているとは!(無理やり、こじつけてんじゃーねぇーの?)しかし、三蔵法師さんには、孫悟空、猪八戒、沙悟浄を共にして歩きました。アジアの星一番は、たった一人です。三蔵法師さんは、天竺から、経典を持ち帰ると言う大仕事、待望を持って歩きました。一方、アジアの星一番は? えー? いったい、何を目的としているんだ! えー! どうなんだ! どうなんだ!良く分かりません。そこに国があるから、歩いているだけなんです。何とも、大望のない人物じゃのー! へぇ、すんませんです。まぁ、そう言うことに関しては、良く分からんので、三蔵法師について、少し調べて見ました。中国、唐代初期のお坊さんで、玄奘(げんじょう)って人がいます。この人が、「三蔵法師」、なんですね。玄奘さん、629年長安を出発し、西域(注1)を経てインドに入り、戒賢(注2)について唯識の思想などを学びました。645年に仏舎利・仏像及び経論を携えて、帰国し、太宗の庇護のもと「大般若経」「などの仏典を漢訳。インド旅行記でもある「大唐西域記」も残したそうですが、地誌的資料として、大変、重要であるとの事です。そして、その後、そののち、その旅を素材にした「西遊記」が作られたと言うのです。 玄奘三蔵。三蔵法師。三蔵(注3)注1: 西域とは中国の西方地域を中国人が総称した語。狭義には。タリム盆地(注4)をいい、漢代にここに分立したオアシス諸国家を西域三十六国と総称した。注2: 戒賢(かいげん)古代インド、マガダ国(注5)那爛陀(ナランダ)寺の僧。サマタンタ国の王族出身。玄奘の師。注3: 三蔵とは、仏教の聖典群を三種に分けたもの。経蔵、律蔵、論蔵の総称。また、仏教聖典の総称。三蔵に通暁した僧を敬って言う語。特に玄奘を敬って言う語。注4: タリム盆地とは、中国、新疆ウイグル自治区南部にある盆地。注5: マガダ国古代インド、ガンジス川中流域に興った王国。紀元前6世紀頃から栄え、仏教・ジャイナ教の発祥地。都はラージャグリハ、のちパークリプトラ。前4世紀、マウリヤ朝のもとにインドを統一。前1世紀に滅亡。摩伽陀国とも書く。注6: アジアの星一番とは21世紀を当てもなく、世界の片隅を歩き回っている男。どんな大望があるか不明。(たぶん、何も考えてない。)ほとんど、住所不定。ブログ書くのを、唯一の楽しみにしている変わった奴。金は、生きるために必要な最小限度のみを持つ生物。時には、亜州の星次郎と名乗る場合もあり。人に会うと、意味なく愛想笑いをする癖あり。(なんでや~?)作詞作曲したりする癖もあり。(但し、誰も聞かない。)一般人の如く、美しい女性には、興味あるらしい。一般人と異なり、心の美しい女性には、さらに興味あるらしい。一応、脳はあるらしいが、記憶力は悪い。色は黒い、だが、インド人より黒くはない。脚力はありそう。だが、胆力はない。すぐに、おたおたする模様。権力に逆らう癖あり。しかし、すぐに撤回する。(なさけねぇー)持病は、うつ病。薬はかかせない。けなされると、いつまでも、うじうじする癖あり。日本人で、2番目にケチな奴。人より先に歩くことを嫌う。奥ゆかしいのでなく、単に意思がないだけの奴。持ち物は、仲々、捨てられない奴。不要なものまで持ち歩いて、重てぇー。とか言っている馬鹿な奴。何でも食う生物。脳が少ない分、胃腸が強いらしい。文明人でもないのに、蚊には弱いらしい。メールを貰うと、妙に喜び、2日以内には返事を書く、律儀な奴。こう言う、意味もない事を書いている暇人。 う~ん、疲れた、まだまだあるけど、注は、ひとまず完了。
2008.11.27
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2008年11月25日(火) 69日目さて、バスも、運転手の後ろの荷物置き場のような席から、客席となり、快適となりましたので、アジャンターの話です。アジャンター。聞いたことありますか? デカン高原の北西、アウランガバードから約100キロ、ムンバイからだと、450キロの所にある、断崖中腹に刻まれた、仏教寺院群です。1983年に世界遺産に登録されました。インドの知識は、ほとんどなかったですが、行きたいな、と思っていた所は、 * アグラの、タージ・マハル * ヒンドゥー教の聖地、ヴァラーナスィー * 東海岸のリゾート地、プリー * 最南端のリゾート地、コヴァーラムそれと、この辺りだったのです。実際、来て見てから、こんなに良い所があったのか! と感服する地も多く在りましたが、ヴァラーナスィーのように、ガックリする所もありました。さて、ここ、アジャンターはどうでしょうか?明日行く、エローラと合わせて、断崖寺院群です。バスで、2時間20分、11時15分に、アジャンターの麓に着きました。ここから、別料金で、シャトルバスに乗り換えです。シャトルバスに乗り換えて、一番後ろの席の、ど真ん中に座りました。そしたら、妙齢の美しい女性が二人、左隣に座ったのです。日本人です。韓国人ではありません。でも、お二人、おしとやかで、ギャプギャピと話したりしません。言葉も聞こえないので、日本人と明確に判明するまでに、少し時間がかかりました。分かった時には、終点でした。そして、少し歩くと見えてきました。岸壁洞窟寺院群。ここには、寺院が30窟あります。これが2回の時代に分けられて造られたとの事です。第1期 →紀元前1世紀頃(上部座仏教期) 前期窟と呼んでいる。第2期 →紀元5世紀頃(大乗仏教期) 後期窟と呼んでいる。ここでは、壁画が大きな見どころですインドの絵画は古代から発展していたとの事ですが、高温多湿なため、ほとんど残っていないそうです。しかし、ここには、例外的に残っているのです。ここは、写真撮影可能ですが、フラッシュを焚いてはいけないので、うまく写真は撮れません。これで、最高に良く取れた物です。仏陀の生誕から、様々な、絵画が描かれています。柱や、天井、壁などにも、仏陀に関する彫刻が、施されています。 入り口は、大体、こんな感じです。一番奥に、仏陀が納められています。色んな仏像があります。 まだ、まだ、先に岩窟があります。同じようなので、正直なところ、少し、飽きて来ます。せっかくの遺跡、そんな風に思ったらいけないのですが・・・。調度、真ん中、第15窟の辺りに、エレファント・ゲートがあります。これは、彫りかけ途中で放棄されてしまった第24窟です。途方もない時間がかかるので、何らかの理由により、中止されたのでしょう。実際に見られる、最後の窟が、第26窟です。紀元前は、まだ、仏像が仏教として造られておらず、ストゥーパと言う塔を祭っていたようです。これは、そのストゥーパの中に、仏像を安置した、一体型のものです。これは、これで、素晴らしいですね。 一応、全部、見終わりました。おー! アジアの星一番さん、水なんか持って、リラックスしていますねー!この写真は、シャトルバスで隣に座った、二人連れの日本女性さんが、「撮りましょうか?」、と声をかけてくれて、撮ってくれたものです。このバスツアー、日本人の方が、6名もいました。過去2番目に多い人数です。一番多かったのは、ヴァラーナスィーから、ポカラへ行くバス。白人半数、日本人半数で、圧倒的に日本人が多かったので驚いたものでした。それ以来、同じバスに日本人を見たのは? 見かけなかったなー?コルカタ以来、プリーで一人、コヴァーラムで一人、二人しか会ってません。それが、1日で、且つ、同じバスで、同じツアーで、一気に6人ですから心も浮き立ちます。男性1名 →東南アジアを廻り(ラオスには1ヶ月いたとか)、カタールまで サッカーを見に行き、インドも、これから、2ヶ月廻ると言う青年。男性1名 →話をしなかったので不明の青年。(謎の青年)女性1名 →カジュラーホーに1ヶ月滞在。僕が行こうとしている、ジャイサルメール へも行き、インド2ヶ月滞在。若干、変っているかな? って方。 (謎の女性)女性お二人 →1週間の急ぎ旅。お二人とも、とっても素直そうで、人柄が良さそうな方。 ムンバイ →ヴァラーナスィー →ムンバイ →アウランガーバードと 来たと言ってました。この、お二人連れと、一緒に。かなり遅い昼食を食べましたが、日本語で話せるって、そりゃー、ええもんやなー! と感じました。え? 「何言ってる! 美しい女性と一緒が嬉しいのだろ?」 ですと?本心、見破られたり! ち、違います!そりゃー、ほら、むさい男より、良いですけどー、日本語で、旅の話したり出来るのが、嬉しいのです。日本語、話す機会、ほとんどないですもの。と言うことで、69日目、始めは最悪、結果は、最良で完結です。
2008.11.27
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2008年11月25日(火) 69日目今後の予定は、当地では、世界遺産巡りです。ツアーに参加です。 本日は、アジャンター 明日は、エローラ、そしてアウランガーバード市内そして、その次の日に、夜行バスで、アーマダーバードへ向かう予定です。ここら辺のホテル、チェックアウト時間が、24時間制で、チェックインしてから、24時間までなら、いつでも良いのです。日本のように10時とか、他の国に多く見られる、昼の12時とかではないのです。で、ここのホテルには、11時45分にチェックインしました。これだと、夜行に乗る日は、午後の居場所がありません。3泊する予定でしたので、フロントと交渉しました。今日、昼は観光に出て不在。よって、朝出かけるときに、チェックアウトする。夕方、帰ってきたら、チェックインするので、部屋はそのままキープして欲しい、と。そしたら、それはダメだ、と言う回答なのです。荷物は全部纏めて、預けろと。バックパックに詰めるのが面倒なのです。それで、何度もしつっこく交渉しましたが、融通の効かない日本のお役所見たいな奴で、最期まで、首を縦に振りません。こう言う時には、気短になる僕は、このホテルに連泊する気がなくなっています。 「分かった! チェックアウトする! 2度とこのホテルには泊まらん!」と、睨み付けて。しかし、アホですよねー! むざむざ、客を一人、手放した訳です。彼らにとって、何もせずとも良いのです。まぁ、変な奴は、どこの国にでもいるのです。そんなこんなで、慌てて、荷物をパッキングして、8時半、ホテルの前でツアーバスを待つも、バスが来ません。憎たらしいフロントに、何度も聞くも、「待て」、と言うばかり。バカヤロ! 俺は、犬じゃーないのだ! 待て、待て! ばっかりで、他の言葉は知らんのか! このヤロー! 次は、お手! などと良いかかねない、大馬鹿フロントです。25分も遅れて、バスがやって来ました。ツアーチケットは、ホテルで手配して貰ったもので、フロントのアホの奴め! と益々腹が立って来ます。そしてバスです。僕の席がありません。「どこじゃ? どこじゃ? 僕の席はどこじゃいな?」、と聞くと、なんと、客席とは仕切られた、運転手の後ろの、物置みたいな所です。僕と、もう一人、最後に乗ったインド人の青年も、同じく物置席です。客席は? と見れば、リクライニングではないものの、デラックスです。「くっそー! あのフロントめ!」、と、フロントのせいにして怒ってます。見晴らしは良いのです。一番前ですからね。何だよー、今日は、ついてない日か? とノートブックを取り出して見れば、旅に出てから、69日目です。あれー? 番号の中で、2番目に好きな数値です。あかしいなー? こう言う日は、良い事があるはずなのに?ジンクスが崩れたか? とちょっと沈む心持です。でも、隣に座った、インド人青年が良い奴で、退屈しません。ハイダラバードから来たと言ってましたが、色んなインドの話をしてくれました。インドの観光地の話、仕事の話、物価の話、宗教の話、最近の若者の宗教感、などなど、あっと言う間に1時間、2時間と過ぎ去って行きます。話し好きです。しかしながら、背もたれが、木枠とボードなので、背中が痛くて溜まりません。それで、話の合間に、その隣にいる乗務員へ、「こんな席ときちんとした席の金額は同じでは、おかしい。半額にしろ!」、、と繰り返し要求してました。調度、2時間程度経った頃、休憩がありました。そして、バスに乗り込む時、乗務員が、後ろの客席に座ってくれ、と言って来ました。「ん~? 満席なのに、どうして?」、と思いましたが、そりゃー、客席の方がいいに決まっています。ここから、良い事が、始まりました。==============================アジャンター観光(別掲)後、アウランガーバードへ戻り、ホテル探しです。セントラルバスステーション近辺に、あのにっくき、受付のいるホテルがありました。それで、汽車の駅周辺を探して見る事にしたのです。しかし、気に行ったところ、ありません。で、バス停近くに戻りましたが、あのホテルだけには、絶対に泊まりたくないので、今度は、ホテル探しも必死です。ありました。見つかりました。バス停の道路を隔てた、向こう側にホテルが沢山建ち並んでいます。その内の1軒。Hotel Green Palace。広いです。そして、シャワールームが新しくて、清潔です。おまけに、ホットシャワーが、24時間使えるのです。その又、おまけに、お値段は、250ルピー、ちょっきりです。あの、あほんだらフロントのいる、ほてる、カルティキ(Kartiki)は、もっと狭く、お湯も午前中3時間しか出ないのに、350ルピーです。まぁ、1発で決めてしまうと、こう言うことになりますね。時間がないとか、夜が遅いとか、なら仕方ありませんが、もう少し、数軒、見てから決めるべきでした。アジャンター編 続く
2008.11.26
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2008年11月24日(月) 68日目ピジャプールは、埃っぽい町です。っぽいって、言うか、もう砂埃そのものの町です。何だか、砂が肺の底に溜まって来て、体重が増加したのでは? と思えるほどの、砂埃です。どの町でも、同じですが、そのような埃の道路の端で、パイナップルを切って売っていたり、油で揚げたのを売っていたりして、皆さん、それを食ってます。見るべき箇所を、ホテルで教えて貰いましたが、ネット屋へ行ったきりで、洗濯に終始した1日でありました。夜行バス待ちの日です。デラックスバスの夜行なので、一般のバス乗り場と違う所から出発します。夜の7時なのに、停電で、町中が暗くて、歩きにくくて仕方ありません。知らない間に、糞を踏んづけているかも知れませんが、仕方ないです。バス停に行って見ますと、「ほぉー」っと感心した、寝台バスってのがありました。僕はインドで初めて見たので、写真を撮らせて貰いました。デラックスリクライニングの夜行バスより、30%増しほどの値段で、乗れるようです。これも良いかも知れませんね。僕の乗ったバスは、デラックスですが、リクライニングです。8時間の乗車で、450ルピーだから、一般のバスに比べると、どうでしょうか? 2倍位の値段になるでしょうか?しかし、高級バックパッカーでも、このバスで、十分です。このバスで十分なのですが、不満なのは、テレビ(DVD)を、ずっとつけている事です。しかも、音量が、どでかいのです。サービスと言うけど、こんなサービスは不要です。20時に乗ってから、24時まで、ガンガンかけっ放しです。うるさいです。このバスの行き先は、ムンバイなのですが、僕は、途中のプネーで降ります。朝の4時に着くのです。ですから、バスに乗ったら、すぐに眠りの体制に入りたかったのに、全くダメです。うるさいです。ほんと、うるさいです。中国と同じですね、これは。ボリュームを下げてくれと、言っても全く聞く耳を持っていません。若しかしたら、インド人や、中国人の鼓膜は、日本人より、厚く頑丈に出来ているのかも知れません。iPodなんて、聞けやしません。何故、ムンバイを避けたかと言うと、もう大きな都市は、遠慮したい、って気持ちが強いのと、残りの日程に余裕を持たせて、砂漠へ行って見たい、と言う理由です。ムンバイはホテルが無茶苦茶高いって理由もありますが。食事は、いつもこんなものです。北部では、ターリー、南部では、ミールスと呼ばれる、インド式定食です。何が入っているのか分かりませんが、がんがん、毎日食べてます。チャパティーと言うパンより、ご飯の方が好きなので、希望を聞いてくれる食堂では、チャパティーを止めて、ライスを多くして貰っています。最近は。うまいと思うようになって来ました。とにかく値段が安いです。ここは、ホテルのレストランなので、40ルピー、80円強と高いですが、町の食堂ですと、20ルピー、40円ちょっと位です。毎食これにすれば、1日、200円以下の食費で、生活出来ます。でも、たまには、肉も食べたくなるので、チキンビリヤニとか、チキンフライドライスとかも、食べてます。「粗食の旅」、と名づけても良いでしょう。宿は、ホテル・カルティキ。面倒なので、一発で決めました。珍しいですね。必ず、数軒は見ないと決めないのですがねー。特別に気に入った訳ではありませんが、まぁ、こんなものだろうと決めました。350ルピー、700円強です。逆光で見難いですが、まぁまぁの部屋です。宿に着いて、決まってする事があります。徹底的に、拭き掃除をします。雑巾も持って歩いています。 洗面所の洗面台。 大きなバケツと、小さなバケツ。 机と椅子。ここらを、徹底的に拭きます。決まって始めは、雑巾が真っ黒になります。どんな掃除をしているのか分かりませんが、真っ黒にまでならないでも、茶色くはなります。綺麗好きな僕としては、堪らないのであります。こう言う面も自分では好きではないですねー。うつ病になる位だから、結構、神経質なんです。旧市街のバザールへ行って来ました。全く普通の町で、何ら特筆すべき事項は、見当たらないバザールでした。この町も、埃っぽいです。最近、ネット屋さんへ、ラップトップを持ち込んで、アップする事を覚えました。日本語を読み込めないネット屋さんが多いので、諦めていたのですが、今でも、たまに、メール交換している、元の会社のお客さんから、教えて貰いました。自分のラップトップですから、操作し易いですし、必要な記事などもダウンロード出来るし、良い事尽くめです。
2008.11.26
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2008年11月23日(日) 67日目昨日、パッタダカルから、バダミへ帰ったとき、チーナさんより、言われました。「ピジャプールは宿が少なくて、部屋が取り難い。予約した方が良い、とロンプラに書いてある。」、と、見せてくれました。確かに、Hardとか書いてあります。一人だったら、それでも、行って部屋を見てからにするのですが、そう言われたら、予約しない訳に行きません。STDとか書いてある、電話屋さんへ行きました。チーナさんが、本を持って、僕は小銭を投入しながら、ホテルと話します。「あのー、シングルルーム、二部屋予約したいのですが・・・」そしたら、シングルは、満席でダブルルームしか空いてないとの答えです。チーナさんへ、ダブルルームしか空いてない、値段は320ルピー、って言ったら、な、なんと、「一部屋で良い」って言うのです。「そ、それ、ど、どう言う意味ー?」って聞かねばならないのですが、小銭はボトボト、受話器に落っこちて行くし、そんなに小銭持ってないし、一部屋だけ予約しました。そんな状態でも、値切ることは忘れません。280ルピーにしました。チーナさん、部屋をシェアーしたいようなのです。まだ、僕が受話器を持っている時に、そう言いました。しかし、シェアーって言ったって、ダブルルームと言ったら、ダブルベッドが一つですよ? それにチーナさんと、キりウ君と、そして、この僕が一緒に寝る訳ですよね?無理、無理、それって無理。眠れません。で、電話終わってから、一部屋は取れたから、向こうへ着いてから、もう一つ探しましょうね、って言ったのです。そしたら、ちょっと怪訝な顔してましたが、「探します。」、と答えてくれました。「ほぉー、ふぅー」、っとため息をついたです。一瞬、どうなる事やら、と思いました。僕はバックパッカーでも、高級なバックパッカーなのです。ドミには泊まりません。荷物の整理の仕方が悪いのか、宿に着いたら、バックパックの中身を、全部、出して広げないと気が済まないのです。そうしないと、今度、詰め込む時に、うまく行かないのですね。何しろ、パンパン、ギリギリの荷物ですから、ちょっと下手に詰め込むと、入りきらない物が出て来るのです。移動の時間です。チーナさんは、キリウ君を連れて、もうバス停で待っていました。ピジャプールまでの直行バスがないので、バガルコットで、又もや乗り換えです。3人で座れるのは、一番後ろの席しかありません。バスの後ろの席って、道がデコボコしていると、一番弾む席なのですね。ガタンゴトン、すごい弾みようです。バスの屋根は高いので、屋根に頭をぶつける事はありませんが、弾みます。キリウ君、大喜び! 弾まない所でも、身体を揺らして、はしゃいでいます。廻りは、見渡す限りの荒野か、若しくは、ひろ~い畑。 インド、人口も多いですが、土地も、広大です。そして、バガルコットで、乗り換えです。チーナさん、どんどん汽車の駅に向かいます。僕はバスの方が便利って聞いていたのですが、何せ、この辺りの情報は、「歩き方」には何も載っていません。「ロンプラ」を持っているチーナさんに従うしかないのです。駅へ行って見ると、たった今、10分前に出発した所で、次の列車は、ほぼ、2時間待ちです。チーナさんは、もう、そこで待つつもりで、爽やかな風が通る、ベンチを見つけて、キリウ君と座っています。僕は、駅長室へ、汽車の内容を確認しに行きました。親切な駅長さんで、列車とバスをきちんと比較してくれました。バス代は、汽車の倍するが、30分に1本は出ている。次の汽車は急行だが、バスと同じ位の、2時間かかる。早くピジャプールに着きたいなら、バスの方を、お奨めする、と。次の汽車は、午後3時40分。2時間かかったら、着く頃には、夕暮れです。宿の心配もあるし、早く着きたいので、バスで行くことにしました。ここからの道は、それほどガタガタではなく、ハンピからの風景同様、ひまわり街道です。ひまわり街道その2、です。バスの車窓には、黄色のお花畑。隣には、スタイルも良く、美しい人妻、お母さんでもある、チーナさん。そして、外から、一斉に僕らを見上げる、笑顔の(ような)ひまわりさんたち。幸せだなー!バスと、女性と、黄色の車窓。この場面、以前にもあったなー、と思いました。忘れもしない、中国の安徽省、世界遺産の黄山へ行った帰りのバスです。隣には、杭州大学の女子大生、車窓には、同じ黄色でも、一面の菜の花。色々とあった、黄山でしたなぁー。などと、深い感慨。以上、昨日の出来事でした。え? 今日は、どうしてるのか? ですと?いーじゃないですか! 何してたって! たまには教えない事もあるのです。ひ!・み!・つ! です。
2008.11.25
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2008年11月22日(土) 66日目 パッタダカル行きのバスは、7時45分。 バス停まで、あくびをしながら歩いて、行きました。 そしたら、 ん? 見慣れた人がいます。 昨日のウクライナ人母子です。 会ったとたんに、「良かったー!」、と言いました。嬉しそうです。 今度は、「一緒に行って下さい。」、と明確に言われました。次の移動先の ビジャプールへも、一緒に行って欲しいと言われました。 こりゃー、何かあるわい、と、もてない僕には、有り得ない事がおきているので、 そう思ったのであります。 それを察したのではないでしょうが、彼女が言うには、この辺りは、観光客が 少なく、白人は少ないので、やたら触って来たりするので、嫌なのだ、で一緒に 行って欲しい、と言う事でありました。 なんじゃい! ボディガードかい! そりゃー、そうですよね、過去の実績より、もてるはずがないのです。 僕にボディガード役は務まりそうもありませんが、一緒に行くだけで、 役に立つなら、一緒に行きましょう、ってなことになりました。 バスの座席、僕は別の席に座ろうとしたのですが、彼女は隣に座れと言います。 ボディガードであることを忘れていました。役目としては、ピタリと寄り添って、 ガードせねばならないのでしたね。でも、あんまり近寄り過ぎて、セクハラって 思われても困ります。微妙な距離を保たねばなりません。 難しい。 バスは、とてつもなく田舎道を走ります。牛車が来ると、バスはそれを 待っていなければなりません。 何なのか、分かりませんが、日本の大きな祭りの神輿のようなのが ありました。これも牛が引っ張ると聞きましたが、何なのかまで分かりません。 40分くらいで、パッタダカルに着きました。 確かに田舎です。町らしきものはなく、ちょっとした家の間を歩いて行くと、 美しい公園のような、そして遺跡が見えて来ました。 入場口へ着くと、ウクライナ人(チーナさんと言います)が、「ここは入場料が 250ルピーもする。外から十分見えるし、入らなくてもいい、とロンプラにも 書いてある」、と言って、入らないと言うのです。 僕に、「どうする?」って聞くので、そう言えばそうだなー、とも思ったのですが、 思いとは裏腹に、「入る」と答えてしまいました。 そしたら、「この子だけ、連れて行って!」、と、息子(キリウと言います)、を僕の 方へ押し出して来ます。 こ、困りました。 キリウ君、可愛いし、ちょっと遊ぶ分には良いのですが、英語も日本語も 話せないし、連れて行っても、説明も出来ないし、話も出来ません。 そして、普段の僕には、とても出来ないことをやってのけました。 どうしたかって? チケットを、2枚買ったのです。500ルピーも出してです。 ドケチの僕にしては、信じがたい行動であります。0.5ルピーでさえも、 お釣りをよこせ! と、どこかで、、揉めた人物と、同一人物とも思えません。 やる時は、やるもんですなー、アジアの星一番さん! チーナさん、喜びました。 僕は、「じゃー、1時間後に、ここで」、と、一緒に見て歩く事はしませんでした。 一緒に見て、感想など言ったりするのは、とても不得手であることを知って いますので、それを避けた訳であります。 遺跡場内は、とても綺麗に整備されております。 さて、1987年、世界遺産に登録された、この寺院群ですが、6世紀にデカン地方を 治めていたチャルキャ朝によって、建てられたのであります。 当時の首都バダミでしたが、首都から30km離れたパッタダカルを「戴冠の都」として、 多くの寺院を建立したのです。(よー、知ってるなー! :調べました。 トラさんへ) 北方型寺院群の中の、ジャンブリンガ寺院です。 これも、北方系の寺院で、ガラガナータ寺院です。 北方型は、屋根が丸くなっています。 この中にもリンガが祀られています。 次が南方型の、サンガメーシュワラ寺院です。 彫刻が施されています。 ヴィルーバークシャ寺院です。これは、8世紀に南のパッラヴァ朝との戦いに 勝った王の名誉を称えて、王妃ローカ・マハーデーヴィによって建てられたのだ そうです。王妃も金持ちですねー! どう言う風に、王様との財産を分けていた のでしょう? この寺院が、ここでは、最も大きいです。 ここでも、ご本尊は、リンガでした。 ここは、ほぼ完璧に、保存されていました。イスラム勢力に破壊されずに 残ったのですね。田舎であるし、小規模であるから、イスラムも破壊せずに 置いたのでしょうか? 因みに、チーナさん母子の、行きのバス代も、帰りのバス代も、僕が全部支払いました。 どうして、しまったのでしょうか? アジアの星一番? そして、今後、どうなるのでしょうか?
2008.11.24
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本日も、2回目の更新です。まだ、2日分、追いつきません。============================== 2008年11月21日(金) 65日目 次の世界遺産、パッタダカル行きの直接バスはありません。バダミ行きの バスに乗って行くと教えられました。 しかしながら、朝7時のが1本しかない、とか、7時、9時、11時がある、 とか、どこで聞いても、情報が定かでありません。 「歩き方」には、1日2本、7時と13時とあります。7時と言うのが3箇所で 出てきたので、この7時発ってのは、正しそうです。 しかし、その7時に乗るには、宿を6時前に出なければなりません。 ここハンピから、ホスペット(バスで40分)に出て、そのホスペット発が 7時なのです。 乗ろうと思ってましたが、寝坊しました。 7時20分頃、ハンピのバス停へ行ってバスを待っていると、妙齢の白人が 声をかけて来ました。スタイルも良くて、それで、美人さんなんですよ! 「どこへ行くのですか?」、と。 「バダミへ行く」、と答えると、 「良かったー! 私もそこへ行くのです。」、と喜ぶのです。 はてさて、産まれてこの方、持てた経験のない、私、アジアの星一番さんは、 こう言うとき、気の効いた会話が出来ません。しどろもどろです。 おたおた、もたもた、ばっかりです。 「ユークレイン」から来たと言います。何度聞いても、「ユークレイン」としか 聞こえません。一応、私、アジアの星一番は、世界中の国へ行きたいと 願っているものですから、行った事のない国でも、聞けばおぼろげながら、 どの辺りだくらいは、分かるはずです。 しかし、「ユークレイン」、と言う国は聞いたことありません。 首をかしげていると、「ロシアの近くの小さい国」、「ウクライナ」、とか言う単語も 聞こえました。 「え? ウクライナ?」、と確認すると、「そう、ウクライナです!」、と嬉しそうに 言うではありませんか! 「じゃー、キエフが首都で、ソビエト連邦が解体した1990年頃、独立した ウクライナですか? 黒海の北ではなかったですか?」、と知っていることを 全部並べました。 そうしたら、英語では、「ユークレイン」と言うらしく、現地では、「ウクライナ」 と、日本で言うような発音らしいのです。現地語で国を言われたので、 すごく嬉しいようでした。 一緒に行きたいと言うので、断る理由もないし、断っても、結局、一緒に 行くことになるので、「はい! 行きましょう!」 と、答えました。 そしたら、おいでおいで、と、手招きをしています。 「ん? なんじゃー?」 、とそちらを見たら、小さい子供が歩いてきます。 小さなバックパックを背負い、青い目をしています。 「息子です」って、紹介されました。 僕は、てっきり、24~25歳くらいの独身かと思っておりました。 息子ですって言われて、びっくらこいたです。 まぁ、子供がいようが、いまいが、旅の道連れ、関係はありません。 独身美人さんから、声を掛けられても、疾しい気持ちは全くありませんから。 ほんとです。でも、ちょっと残念かな。いや、子供がいた方が、気楽です。 複雑ですなー。 又々、前置きが長くなりましたが、ハンピからホスペットへ行き、そして バダミ行きのバスに乗っております。外は畑ですが、ひまわりばっかりです。 「ひまわり街道」、と名づけましたバダミ行き、ひまわり街道です。 バタミのバス停で、「じゃー、僕はこの近くのホテル探すので・・・」、とさよならを 言いました。彼女は、一緒にホテル探しをするつもりでいたらしく、拍子抜け したような表情で、何か言いたそうでした。 ホテルは、バス停の近くです。 300ルピーの安宿ですが、トイペがあります。トイペを置くホテルは珍しいです。 白人の客が多いのかも知れません。 早速、この町の売りもの、ケーブへ出かけて見ます。 これが、大通りです。村の小道見たいですねー。 この町は、豚が普通の通行人の如く、多く居ます。飼い主は誰なのか? 野良豚かなー? 自分の家がどこか、豚には分からないでしょう。 ここバダミは、ハンピから、200キロも離れていないと思いますが、印象は ずいぶん異なります。ハンピは表向きアルコールは禁止のようで、酒屋も ないし、レストランにもビールはありません。写真を撮ってくれと言う、住民も ほとんど皆無です。 しかし、ここバダミは、酒屋もあります。バーと言う看板も見えます。 そして、写真を撮ってくれ! と言う人が多いですねー。 この家族もそうです。 バタミ・ケーブは、町の裏山みたいに近くです。 これが、バタミの町並みです。白い家が多いですね。 豚だけでなく、サルも非常に多く、町なかにも出てきます。ここでは、サルさん、町を見下ろしていました。 崖を繰り抜いて、作られた、洞窟寺院です。 地元の生徒も見学に来ていました。 湖もあります。
2008.11.23
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2008年11月20日(木) 64日目 この、「そよ風の里」、でゆっくりと、何もしないで、1日を過ごそうと 思っておりました。朝は、ゆっくり起きて、生姜紅茶飲んで、そして、 ゆっくりと、朝食を食べても、まだ、8時半です。 何でも見てやろう、とか、早く移動しよう、とか、いつも考えているので、 何もしない時を過ごすのが、不得手になっているようです。 で、ネット屋へ行きました。 そしたら、あっちゃー! 写真が満タンで、もう追加出来ません。 焦りましたねー! Ver4を作るのはどうすれば良かったかなー? どんどん、時間が過ぎれば、 お金も、どんどん、支払う必要があります。 10分→→20分→→30分→→→1時間→→→2時間 試行錯誤を繰り返し、2時間過ぎた頃に、ようやく、Ver3に似たものを、 作ることが出来ました。 あ~ぁ、良かった、良かった。 と終わった思いましたが、まだ、一つもアップ出来ていません。 全部完了したら、もう12時半を廻っています。でもタイミングとしては 調度良い時に、写真容量オーバーとなりました。何故なら、こんなゆっくり したのは、ネパールのポカラと、インド北方のダージリン、最南端のコヴァーラム そして、ここです。 移動が忙しい時や、ネット屋がない所だったら、何日もアップ出来なかった はずです。色々とラッキーです。 ブログ更新して、昼食食べて、大満足して、深呼吸しながらプラプラと、川の 方へ歩いて行きました。岩と水です。 ここを、渡って、対岸へ行くようです。一寸法師の舟に乗って見たかった ですが、ここは、極、普通のモーターボートでした。ちょっと残念。 向こう側へ渡ったら、岸辺では、牛が草を食んでます。 のどかですねー! 岸の向こうには、何もないのかと思いましたが、小さな宿もあり、 お店もあります。「歩き方」には、何にも載っていませんが、白人が多いので、 「ロンプラ」には、載っているのでしょう。 こちらにも、巨人が石遊びしたような、何で、そんな所に大きな石が 乗っているの? と言う景色が見えます。 どんどん、どんどん歩き、さらに、どんどん歩いて行ったら、田んぼが 見えて来ました。この内陸部へ入ってから、痩せた畑しかなかった ですが、水さえあれば、田んぼを作るのですねー。 もう刈り入れも済み、家族総出で、藁を集めている田んぼもありました。 子供も一緒に働いてました。「家族ー!」って感じです。 やっぱり、気になりますねー! この岩。 どうにも、自然に、残った岩のように、見えないのですがねー。 何千年、何万年もの年月を経て、硬い所が、このように残ったのでしょうか? 辺鄙なハンピ。今夜、泊まると、4泊となります。 急いで移動したり、連泊したり、情緒不安定な、この頃の旅程です。 が、明日には、観光客は、ほとんど行かないと言う、さらに辺鄙な 世界遺産を見に行こうと思います。ここからバスで、6時間ほどらしいです。 パッタダカルと言う、地名ですが、さて、どんな遺跡なのでしょう? 楽しみです。
2008.11.23
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本日、2回目の更新です。ハンピ、ちょっとしつっこいですが、もう少し付き合って下さいませ。============================== 2008年11月19日(水) 63日目 ロータス・マハルにやって来ました。昨日行った、ヴィッタラ寺院とここは、 入場料、250ルピーを徴収します。1日に2箇所行けば、250ルピー券、 共通で入れます。しかし、日にちがずれると、両方で、500ルピーも 支払う必要があります。 昨日は、ヴィッタラ寺院への入場は、諦め、外から見ました。 しかし、昨日、今日と、ここハンピを廻って、良く整備されているし、人手も かかっているので、考えを改めました。 入場して見る価値があるかどうか、分からずとも、きっちり、250ルピー 支払おうと、思ったのであります。(ほんとです) そして、入り口へ来て見ると、こんな横断幕がありました。 「WORD HERITAGE WEEK」 と書いてあります。「世界遺産週間」ですね。 11月19日から25日です。本日から、その週間の始まりです。 へぇー、こんな週間があるのかー! とチケット売り場へ向かいました。 そしたら? 入場料不要! って言うのです。 「へぇー? 何ででっしゃろ?」、と 思わず、声を出していました。 聞くと、世界遺産週間なので、この日、本日のみ、入場無料なのだそうです。 「おー! やったー!」、と正直、思いましたですねー。 先ほどまで、これだけ整備されている世界遺産だから、入場料を支払って 維持費に使って貰おうと、思っていた気持ちは、どっかへ、すっ飛んで行きました。 しっかし、そよ風みたいに、爽やかでない、心ですねー。 そんなはした金、得したなんて思わず、しっかり払ってやれよー! と叱り付けて あげたいようです。もう単なる、ケチですね。しかも、ドケチ。超ドケチです。 嫌われるよなー、その性格。 まぁ、でも、ラッキーでしょう? 500ルピーって言えば、2泊分ですもんねー。ケチと言われようと、ドケチと 言われようと、得したのは、間違いないのです。、 で、堂々と、胸張って、チケットなしで、入場しました。内側から見た門です。 次は基礎しか残っていませんが、王妃様の宮殿です。 風呂もそうでしたが、この基礎から見るに、王妃様、贅沢してましたねー! これが、有名な、ロータス・マハルです。その名の通り、蓮を連想 させる建物でしょうか? ヒンドゥーでもあり、イスラムでもある、両者 融合の建築様式だとの事です。 そして、これも又、有名な、エレファント・ステイブルです。 そして、昨日、入場しなかった、ハンピのハイライト、ヴィッタラ寺院へと、 向かいました。北群遺跡と反対であるし、自転車でも行けず、歩かねば ならないのですが、何しろ、無料と言う言葉に弱いのでありまして、歩くのも、 無料であるし、行くしかないのです。 来ました! 昨日入場を諦めた所です。もうここは、塔門の内側。 入場して、内側から見た塔門です。 こんなのは、今まで沢山見た、ヒンドゥー寺院にもありませんでした。 車が付いた、寺院があります。塔門を入って真正面です。 これが、本殿です。 このような、彫刻が柱や壁に沢山施されております。 カジュラーホーに沢山あった、ミトゥナ像(男女交合像)もあるらしいですが、 見つかりませんでした。同じようなものらしいです。 本殿の日陰で、そよ風にあたっていたら、昨日の門番がやって来ました。 話し込んでいたら、掃除のおばさん達もやって来ました。 写真を撮って欲しいのやら、恥ずかしいのやら、写真を撮ろうとすると、逃げ回ります。 どっかで、こんなシーンがあったなー? と思ったら、コーチンの女子高でした。 若くても、歳をとっても、同じだなー、追いかけるなら、女子高生の方が、 やっぱり良いよなー、と思いつつも、態度に現さないで、遊んでました。 右端の、黄色のを着ている人が、面白いのです。 そして、はやし立てたり、通訳したり、盛り上げている警備員さんです。 全く楽しい、1時間ほどでした。帰ろうとすると、写真を送ってくれと、住所を渡されました。 3枚送ってくれ、と頼まれましたが、「何を言っとんのじゃ! 人数分、 ぜ~んぶ、送っちゃるぞ!」、と、大見得を切ってしまいました。 記憶力、悪いからなー。忘れないようにしなければなりませぬ。 バングラの人にも、手紙を送らな、いけないし、帰国したら、忙しいぞ。
2008.11.22
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2008年11月19日(水) 63日目 南遺跡群から、北遺跡群へ向かいます。 その途中に、通称:アンダーグランド寺院と言うのがありました。 屋根の高さが、地上高さと同じくらいです。土地は無限と言うほどあるのに、 何故、こんなのを作ったのでしょう? 謎です。(僕には) こう言う石垣の壁が沢山あります。綺麗に切り取った石ですよね。 ここは、14世紀から16世紀にかけて栄えた、ヴィジャヤナガル王国の 都だったそうです。 岩だらけの内陸の荒野に、何故このように大規模な寺院群を作ったのか? 相当多くの人たちが住み、訪れたのでしょう。 しかし、イスラム勢力の侵攻により、破壊され、廃墟となり、こうして、 静かな、村になったのであります。 今も、まだ、埋もれている遺跡が沢山あります。 このように、多くの人たちが、作業に取り組み、発掘しております。 これを、見て下さい! 広大ですねー! 信じられないほどです! シリアのパルミラ遺跡も広いと感じましたが、それが幾つもあるのです。 これは、その一部です。 このチャリで廻りました。1日借りて、30ルピー、60円強です。 ポカラも安く過ごせると思いましたが、あそこでは、1日、100ルピーほど しましたね。為替が違いますけど、150円くらいですから、ここの方が、 ずっと安いです。 羊も、こうやって、普通にいます。 ハザーラ・ラーマ寺院です。 この寺院の前で、チョコアイスを食べました。何でかと言うと、水以外の 食べ物、何にも持って来なくて、そしてお店はありません。腹減ったので、 アイスでごまかしました。 ここに自転車か歩きで来るなら、水とちょっとした食べ物は、必携です。 「クイーンズバス」へやって来ました。、王妃の風呂とでも訳すのでしょうか? 周囲は、綺麗に整備されています。 風呂と言うより、プールですねー!日本の温泉でも、こんなでかいのは 珍しいでしょう。こんな広い風呂に、入っても落ち着かないと思いますが? そこは、王妃、召使が何十人も一緒に入って、世話をやくのでしょうね。 ハンピの遺跡、続く
2008.11.22
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焦りました。又、写真の容量が、一杯になってしまったのです。新規に、Ver4を作るのに、結構な時間を要しましたが、何とか、ここにオープンする事が出来ました。今後とも、よろしく、お願い申し上げます。============================2008年11月19日(水) 63日目ハンピ3連発の、3連発目です。(Ver3からの続きです)この世界遺産の村、ハンピを、「そよ風の里」、と銘々しました。風が気持ち良いのです。爽やかなのです。「風と共に生きる!」 ってな感じなのです。歩いていて、ふと、大木の下に、立ち止まったとき、自転車を、ふと、岩陰に止めて、うしろを振り返ったとき、そよ風が、頬を、心を、心地よく、なぞってくれます。「あぁー、良いなー!」、無条件にそう感じます。「あぁ、生きているんだなー、生きててよかったなー!」、そう感じます。そんな、「そよ風の里」、から、お送りします。=============================本日は、自転車を借りて、名所巡りすることにしました。南遺跡群と、北遺跡群です。ホスペットから着いたバス停の横を通り、坂道を登ります。急な坂道なので、自転車を降りて、押して登ります。フーハー、フーハー。きついです。登りきると、右手に、もう遺跡の建物が見えます。これ、どっかで見たのと似ているなー? としばし考えました。うん、そうだ! ギリシャの丘の上にある、パルテノン神殿です。柱の数、構造、太さ、全て違いますが、雰囲気が、何となく、似ていると思いませんか?ハンピの町が一望できます。僕は、向こう側の木々が見える手前の宿に泊まっています。木々が繁っている辺りは、トゥンガバドラー川のようです。ハンピの中心通りのバザール。その突き当たりに見えるのが、このヴィルーパークシャ寺院です。遺跡の町ー! って言う雰囲気十分ですよねー!さて、ここから、南と北の遺跡群を、チャリを漕いで、廻ったのですが、岩が多いのです。岩だらけです。昨日、歩いた東遺跡群の方がもっと岩だらけですが、ここも多いです。誰が、こんな風に岩を積んだの? と聞きたくなるように、岩があります。もしかしたら、大昔、巨人が住んでいて、積み木遊びをしたのかと想像して見たくなるような岩があります。 参道かと思ったら、バザールだそうです。街頭市場って言うのでしょうか?大きな都市だったのですよねー!クリシュナ寺院です。今日は、空が青いですねー! 気持ちいいです。続けて、写真を、2枚どうぞ。次が、ナラシンハ像。人獅子です。その隣に、それほど大きくない建物がありました。何が入っているのだろう? と鉄格子の中を覗き込みました。リンガです! ちょっと見飽きた感もありますが、もうご存知ですね?カニャークマリの浜辺にも祭ってありました。知らない人が見たら、「なんじゃ、これ?」って思うでしょうねー!さらに続きます。
2008.11.20
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