ラッコの映画生活

ラッコの映画生活

PR

×

Calendar

Comments

Jeraldanact@ Проститутки метро Электросила Брат замминистра инфраструктуры Украины…
SdvillkeS@ ИнтерЛабСервис [url=https://chimmed.ru/ ]brueggemannal…
hydraGes@ Новая ссылка на гидру v3 новый сайт гидры v3 <a href=https://hydraruzpnew4afonion…
間違い@ Re:『沈黙の行方』トム・マクローリン監督(米・加2001)(02/21) 姉ではなく、妹です。 なので、弟ではなく…
RogerEQ@ Это вам будет по вкусу разработка сайтов веб сервис - <a hr…

Profile

racquo

racquo

Favorite Blog

コイケランド koike1970さん
Kabu + Plus エースNo1さん
行きかふ人も又 はる **さん
Nobubuのbu… Nobubuさん

Keyword Search

▼キーワード検索

2008.01.18
XML
カテゴリ: フランス映画
LA FEMME PUBLIQUE

110min
(所有DVD)

*-0.jpg

難物監督と言えばよいでしょうか、アンジェイ・ズラウスキー。その1984年フランスでの作品。この人はチェコ系のポーランド人らしいですね。作品リストを見ると、『夜の第三部分』『悪魔』『ポゼッション』『私生活のない女』『狂気の愛』『美しさと哀しみと』『シルバー・グローブ/銀の惑星』『私の夜はあなたの昼より美しい』『愛人日記』『ワルシャワの柔肌』『フィデリテ』等で、狂気・暴力・性・死・哲学・政治・宗教などが絡み合った作品が多く、見る人の評価や好き嫌いが別れる作品ばかり。でも物凄く濃いインパクトがあって、この人の作品だという個性があります。現代の人間の生を実存的に考察している感じで、ボクは好きな方です。日本ではイザベル・アジャーニ出演の『ポゼッション』、ソフィー・マルソーの『狂気の愛』や『私の夜はあなたの昼より美しい』に人気がありますが、ボクは(全部を見ているわけではありませんが)『ワルシャワの柔肌』が面白かった。この『私生活のない女』も見たいと思いつつレンタルなども見つからず、今回比較的安くDVDが買えたので購入しました。ヴァレリー・カプリスキーのヌードを期待して見る方々もいらっしゃるようですが、ボカシは煩く不快で、カットは困りますが、カプリスキーのヌードもヘア無修正版なんていうのもどうでも良いです。ちなみにヴァレリー・カプリスキーはパリ郊外ヌイーの生まれで、カプリスキーというのはお母さんの旧姓。このお母さんはポーランド系かロシア系なんでしょうかね。

*-1.jpg

カメラは名撮影監督サッシャ・ヴィエルニーが回していて美しいのですが、露出的な短いスカートの服を着たヴァレリー・カプリスキーが足早に闊歩(ないし小走り)するのをローアングルで追ったトラヴェリングショットで始まります。場所はパリらしいんですが、これポーランドでなくパリなの(?)と疑ってしまうような暗い寂びれた感じ。この背景と女の様子と緊迫した空気、これだけで既にズラウスキーの世界。この人は女を闊歩させるのが好きですね。 『ワルシャワの柔肌』 も最初と最後がそうでした。カプリスキー演じる20才のエテルはやや複雑な家庭環境にあるんですが、嫌でも何でも生まれた以上人は生きなければならない。懸命に目的を持って前向きに生きるなどというまだ楽観的な生ではなく、どんな面倒な条件に置かれ、面倒な事々が降りかかってくる日々であっても、生きるしかない(自殺をする以外は)。それは受動ではなく、強制された能動。生きるというのはそういうことなのでしょう。この緊迫した女の闊歩はそんなことを表現しているように感じさせます。彼女はとあるさびれたバー(カフェ)の店員を捕まえて、中にいる男に渡してくれと金をあずける。エテルは男に会うのを避けて逃げている。後でわかるのはこれは母親と別れて出て行った父親で、今は浮浪者の生活をしているらしい。でもこの父と娘は妙に親密な関係でもあって、父親がアメ玉のようなものを前歯にくわえたのを娘が前歯で受け取る、互いに了解しているお決まりの行動をする。エテルは家で母親と二人暮らし。この母親が凄く暗くて、夫が出ていったことが彼女の精神を荒廃させてしまったようだ。娘との関係がこれまた妙で、変な共犯意識のようなものが有るような無いような。娘の気に入りそうな服を作ったりして、娘にに迎合して気に入られようとしているような感じで、精神的には娘にすがろうとしている。あるいは経済的に生活の糧を稼いでいるのが娘で、頭が上がらないのだろうか。出来てしまったそんな家族関係の条件・環境がイヤになっていながらもそれを続けるしかない。

*-2.jpg

生活のために素人カメラマン相手のヌードモデルをして稼いでいるが、エテルは女優志願。オーディションで鬼才の映画監督ケスリングの目にとまり、ドストエフスキーの『悪霊』を翻案した映画のリサ役に抜てきされる。しかしなかなか監督の要求する演技が出来ない。ケスリングは「各シーンを巧く演じようとするのでなく、役のリサになれ!」と言う。この映画の原題は『La femme publique』。 la は英語の the femme publique はフランス語読みでは ピュブリック だが、意味は日本語で言う パブリック 。「誰か特定の人の」ではなく「みんなの」ということだ。変な訳をすれば「公衆の女」。彼女はヌードモデルをしている。普通女は自分のヌードを公衆には晒さない。しかし彼女は金で誰にでもヌードを晒すわけで、ヌードは既に「公衆」のものだった。ケスリングは「役になれ」と言う。個人エテルが役リサの各シーンを演じて見せるだけでは、彼女は彼女自身を公衆に晒してはいない。ケスリングの要求は彼女がエテルであることを捨ててリサになれと言うのではない。エテルでありながらにしてリサになれということだ。そうなったとき彼女はリサの役として彼女自身を公衆に晒すのだ。

*-3.jpg

(ネタバレはなるべくしないために経緯は書かないが)エテルはケスリングにかくまわれ、雇われてもいるらしいチェコ人の亡命者ミランと知り合う。ミランは恋人だった女優エレナが忘れられない。才能がないとケスリングに非難されたエテルは、やがてエレナの身代わりとしてミランの恋人役を引き受け、ミランの部屋で暮らし始める。思い込みか空想か、妄想か狂気か、ミランはエレナとして彼女を愛した。髪まで染めてエテルはエレナになっていく。しかしこれはエテルとしてエレナになることであり、正にケスリングが要求したのと同じことだ。そういうシーンが実際にあるわけではないけれど、エテルがエレナとしてミランに抱かれて喘ぎ声をあげたとしたら、それはエテルがエレナの喘ぎを演じているのではなく、喘ぎ自体はエレナその人の実際のものだ。役になるというのはこういうことなのだ。つまり演技を公衆に見せるのではなく、役を通してその人自身を公衆(映画カメラあるいはスクリーン)に晒すことであり、「 La femme publique 公衆の女 」になることだ。映画の面白いのはこの点であり、ボクが諏訪敦彦監督の作品のレビューなどで書いていることと同じだ。こうして撮影現場に戻ったエテルはリサをケスリングの要求するように演じることが出来た。新しい本物の女優の誕生だ。

*-4.jpg

映画には2つの殺人事件も絡んで描かれる。一つはエレナらしき女性の殺人であり、もう一つはパリを訪問していた次期枢機卿とも噂されるリトアニアの大司教の暗殺事件。ケスリングやミランへのエテルの疑惑が描かれる。カトリック教会というのはポーランド等では一つの政治勢力としての意味をも持っている。ローマ教皇となったポーランド出身のヨハネ・パウロ2世の存在は連体等ポーランドの反体制(対ソ)民主化運動に大きな意味を持ったが、それを象徴するかのようであり、ならば体制としては暗殺して亡き者にもしたいわけだ。ミランはどこか(だれか)に操られる存在でもあるのか(?)。映画にはそんな政治的気分も絡んでいる。映画中映画の撮影で、ケスリング演じるスタヴローキンのセリフに「大きな蜘蛛」というのがあるが、これはイングマール・ベルイマンの『鏡の中にある如く』の蜘蛛でもある。

*-5.jpg




監督別作品リストはここから
アイウエオ順作品リストはここから
映画に関する雑文リストはここから





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.01.19 03:10:46
コメント(9) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: