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2008.01.19
XML
カテゴリ: フランス映画
ALICE ET MARTIN
Andre Techine
124min
(DISCASにてレンタル)

***0.jpg

アンドレ・テシネの作品は日本ではなかなか見られない。昨今はギャスパー・ウリエルの魅力なのか『かげろう』が若い女子を中心に人気があったりしますが、自分はまだ見ていません。20年以上前に見たカトリーヌ・ドヌーヴとパトリック・ドベールの出た『海辺のホテルにて』だけしか見てないかも知れません。やはり同じ監督の作品なんですね。良くは憶えていないものの、似た雰囲気を思い出しました。この映画では主演のジュリエット・ビノシュが素敵ですが、それとは別にこういう映画をもっと多くの方に味わってもらいたいな~と思い、テーマに「おすすめ映画」を選びました。もともと感性的に捉えた人間を描いているのでしょうが、映画作りとしては意図的な部分が豊富で、それを分析して見るのも一つの楽しみです。見ていて主人公男性マルタンの父親ヴィクトールの墓にわざとらしく(?)天使の像があったのと、逆受胎告知を思わせるシーンがあって、この物語は各人物の天使性、つまり明るく、保護し、幸せをもたらす面と、その逆の面の対比がかなりはっきりしていることに気付きました。また父殺しはオイディプスの変形でもあり、ならばイオカステ、つまり母親は誰かというと、3人プラス海の4つをマルタンは持つ。フランス語では別の語ですが母と海は同じ発音のラ・メールです。10才のマルタンが実の父親に引き取られた直後のシーンで、昼間だけれど雨戸を閉めて暗くなった部屋に父ヴィクトールは登場する。明るい天使ではなく闇をもたらす者としてのヴィクトールが描かれている。あるいはヴィクトールの標本にされた蝶やはく製の動物は、死んではいるけれど姿は生きているままで、マルタンが生きながら真に生きていないことを象徴しているかのようであり、地球儀や世界地図はマルタンが外の世界に出ていくことの象徴でもある、等々。こういう細部の小物と人物の状況や心理を分析的に関連付けて見るのは面白いし、監督の意図が何処にあるかが読み取れるわけです。

***1.jpg

(以下ややネタバレ含む)
フランス南西部の都市カオールで美容院を営む実の母ジャニーヌのもとで暮らす少年のマルタン。このジャニーヌがマルタンの一人目の母。父親は離れた所に住む地方の企業家ヴィクトール。彼女はヴィクトールとの日々は幸せだったと語るけれど、身重で(あるいは幼いマルタンを連れて)ヴィクトールのもとを逃げ、一人でマルタンを育てた。ヴィクトールは経済的援助はしていたのかも知れないが(←これはボクの想像)、マルタンを認知せず、マルタンは私生児として育った。ヴィクトールにはリュシーという妻がいて、フランソワ、フレデリック、バンジャマンの3人の息子(マルタンの異母兄弟)がいるのだけれど、その辺の関係がはっきりしない。ジャニーヌが先妻でリュシーが後妻のような解説もあるけれど、マルタンはバンジャマンら異母兄弟より年少だからそれはおかしい。リュシーという妻があっての愛人ジャニーヌが正しいのではないだろうか。実母ジャニーヌはマルタンに父親ヴィクトールの下で暮らすように強いる。ヴィクトールにとってはたぶん4人目の息子をも支配しようという感情なのではないだろうか。マルタンは10才にして楽園を喪失する。すべてを支配しようとする実父ヴィクトール。マルタンは父に気に入られようと努力もするが空回りするだけだ。二人目の母である養母リュシーはそれなりにマルタンに優しい。それは子供の頃のマルタンが病気になったときの母親らしさや、そんなことには無関心なヴィクトールをよそに20才の誕生日にはシャンパンを用意して祝ってくれるという形で描かれている。バンジャマンはそんな父親のもとを去って役者志望でパリに出ていたが、マルタンの誕生日で帰省した。しかしヴィクトールは自分の支配下から抜けたバンジャマンは嬉しい存在ではない。深夜バンジャマンとマルタンが飲んでいると兄フランソワから「工場で待っていると父に伝えてくれ」と電話がある。二人が工場に行くとフランソワは首をくくっていた。自由に自分の人生を生きるべきだというバンジャマンの勧めもあって、マルタンはパリに出ることを決心して荷物をまとめるが、それに気付いたリュシーはヴィクトールに告げ口をする。母親であるよりもまるで小学生の子供だ。ヴィクトールの全き支配下にあるとも言えるし、後半に出てくる孫(フレデリックの息子)が母親に服従していない姿との対比も印象的。ヴィクトールと口論になったマルタンは父を階段から突き落とし、結果父を殺してしまう。動転して家を飛び出したマルタンは、金もなく田舎をさまよい逃げるが、農家の鶏舎に忍び込んで卵を盗んだり、ただ空腹を満たすことしかない動物のようだ。死んでハエのたかる鹿の死体を啄む猛禽の映像はその象徴だ。そして動物が罠にかかるがごとく捕まってしまう。醜聞を良しとしないリュシーが農家に弁済し釈放されるが、父の死も事故ということになっていた。

***2.jpg

そんなマルタンがパリのバンジャマンの安アパートを突然訪ねるとバンジャマンと同居するアリス(ジュリエット・ビノシュ)がいた。ゲイのバンジャマンと肉体関係はなかったが、二人は深い絆で結ばれていた。このアリスをマルタンは愛するようになるが、それは父ヴィクトールの支配によって標本の世界に閉じ込められていたマルタンが外の世界に出て初めて接した女性だからだ。最初アリスはそんなマルタンの愛を受け入れない。マルタンはあまりに成長を欠いた子供だからだ。アリスはマルタンより10才年長。しかし結局彼女は自らをマルタンの愛にゆだねる。アリスはマルタンにとって3人目の母としての性格も兼ね、愛人(妻)でもあり母でもある存在だからオイディプスにとってのイオカステだ。(ちなみにマルタンはスカウトされて広告写真のモデルとして売れっ子になっていた。)しかしやがてアリスは妊娠をし、そのことをマルタンに告げる。アリスは受胎告知の天使ガブリエル。でも真に精神的に独立して父親になることを受け入れるためには、マルタンには障壁があった。それは過去の精算だ。それゆえアリスによる我が子の受胎告知は彼の精神を破壊してしまう。スペインのひと気のない海岸の家を借りて2人で住んでいたが、マルタンはアリスを既に母としても恋人としても受け付けなかった。ただ海で泳ぐことで母(la mere)たる海(la mer)に自らをゆだねることができるのみなのだ。

***3.jpg

映画の原題は「アリスとマルタン」。日本語題名『溺れゆく女』は「つまらぬ愛に溺れて破滅していく女」か何かを想像させるが、ジュリエット・ビノシュの演じたアリスという女性はそんな女ではない。ひとたびマルタンの愛を受け入れ、愛したら、何があろうとマルタンを支え、建設的な未来に向かおうという、前向きで決して後を見ない魅力的な女性だ。父性が社会の象徴であるなら、子供であるマルタンが消化して父(社会)との関係を築き、自分が父になるという物語であり、それを支えるのは母であり妻であるアリスの愛なのだ。必ずしも喜びに満ちたものではないが、心に残るハッピーエンドなのだろう。

***4.jpg




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Last updated  2008.01.20 02:20:32
コメント(4) | コメントを書く


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つかみ所がなくて・・  
はる*37  さん
どの位置からも感情移入できなかった作品でした。
バイオリニスト役のビノシュが、弾いたふりをしているのがみえみえで、そんなことばかり覚えています。
とはいいながら、ビノシュはなかなか好きな作品も多くて、きっとトリコロールで始めて観たのですがその頃から好きです。

こちちらはレンタル店に並んでいますね♪

(2008.01.20 08:10:58)

ビノッシュ~  
とても好きな女優さんです。
私は、大好きな映画「English Patient」を見て
からビノッシュの魅力に気づきましたが、
見ていない作品も多いです。この作品も気になります。あっでも、この作品の前にギャスパー君の
「かげろう」を見たいですね・・(笑) (2008.01.20 11:27:41)

はる*37さん  
racquo  さん
映画監督に対してこんなことを言ったら批判の言葉になるかも知れませんが、
このアンドレ・テシネという人は不器用な監督なのだと思います。
最近見た映画で言えば『題名のない子守唄』のトルナトーレなんかは、
逆に(良くも悪くも)巧い映画作りをする人で、その対極とでも言うか。

だいたい最初の方での「10年後」なんてテロップは不必要だし、
124分という決して短くない時間の使い方が下手だと思います。
中間部に(アリスに過去を語るという枠で)回想を入れた全体の作りも
素朴だと言えば簡明な作りだけれど、編集の効果というのが使えていない。
あれならその中間部でもっと過去を濃く描いて、
冒頭の子供時代のシーンは無しにした方が良い。
ビノシュのヴァイオリンがお粗末なのも同じ土壌でしょうね。
比べるとソーテの『愛を弾く女』のベアールのヴァイオリンは巧かった。

ある意味『題名のない子守唄』と『溺れゆく女』は似た構造の映画なのだけれど、
ではトルナトーレがイレーネという人物について掘り下げ、理解していることと、
テシネがマルタンを捉えている仕方と、どちらがより人間考察が深いかというと、
かならずしもトルナトーレの方がテシネより深いとも言えない。
むしろテシネの方が深いかも知れない。
でも映画作りは不器用で、だからレビュー冒頭に書いたように、
(映画に入って感情移入する見方ではなく)
分析的に頭で見たら理解が出来て面白い作品なのではないのかな(?)
というわけなのです。

(2008.01.20 22:53:03)

Nobubuさん  
racquo  さん
この映画の中でビノシュが大声でケタケタ笑うシーンがあるのですが、
その笑い方と声が『ポンヌフの恋人』にあったのと全く同じで、
あれあれまあまあという感じで、これは良いんだか悪いんだか。
昨日の日記の『私生活のない女』の中に、作中の映画監督が
「そのシーン、そのシーンを巧く演じるのでなく、役の人物になれ!」
というのがあって、まさにそれは正解なのだけれど、
2つ別の役で同じ演技(笑い方)というのは、
「巧く演じるビノシュの技法」として批判すべきなのか、
それとも「役になったビノシュがビノシュとして同じ笑い」
をしていると評価すべきか、
とにかく『溺れ・・』を見ながら『ポンヌフ』を感じて、
ちょっと妙な気分でした。
レビューに書き忘れたのですが、
この映画のライティングは女性名撮影監督の
キャロリーヌ・シャンプティエがやっていて、
ビノシュを写す光の具合も含めて、美しい映像でした。

(2008.01.20 22:53:44)

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