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2008.01.26
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カテゴリ: 日本映画
KAIRO, aka PULSE
Kiyoshi Kurosawa
118min
(DISCASにてレンタル)

*0.jpg

この映画の中の恐怖(?)というのは、パソコンに現れる映像を見て、あるいは赤いテープで封印された部屋の中に入ってしまうことで、その人が段々物思いに耽っているようになって、周囲の人ともつき合おうとしなくなって、やがて自殺(体も消滅)してしまう。そして地上からどんどん人が居なくなる。そういうものです。しかしこのホラーの面はいわば外面であって、実は幽霊でもオカルトでもない、もっと別のことを寓意的に描いているのだと思います。

*1.jpg

例えば昔東京から横浜に電車に乗っていこうとすると、まず出札口で「横浜2等1枚」とか言うと、ガラスの向こうの係の駅員さんが目の前の棚に並んだたくさんの切符のなかから 東京→横浜 の切符を1枚抜き取って、日付けを印字して、お金と引き換えに渡してくれた。そして改札口に行くと専用の切符切りハサミを持った係の駅員さんがいて、お客さんの流れが不均一だとに「チャランチャラン・チャラン・チャラン」と空切りで音を鳴らしてリズムを取ってたりりするのだけれど、こちらが手渡す切符を受け取るとハサミを入れ、それをまた返してくれた。単に行きずりではあるけれど、既に2人の人との関係を持ったことになる。それが今は無人の券売機で切符買って、無人の自動改札に切符を入れるだけ。人との関わりはない。人件費削減の合理化なのだけれど、券売機や自動改札という機械を作る技術がないと実現できないわけで、テクノロジーの産物だ。技術が進歩して人と人との関係性が減少する。子供たちは昔は学校や近所の友達と外で遊んだけれど、今は一人家でファミコンやプレステ。そして大人はパソコン・インターネットの世界。リアルの人間関係そっちのけでブログや自分のサイトにうつつをぬかす。それと直接の関係があるかないかはともかく、他人との関係の持ち方を知らない電車男が話題になり、引きこもりなる人々も少なくない。「一緒に遊ぼうよ!」という友達の誘いに対して「今日は家でテレビゲームするから(あるいは今日は塾だから、も)」と断ったとすれば、断られた子供にとっては断った子供が自分の前から消滅したことに他ならない。今まで買い物に来ていたお客さんがネット・ショッピングをするようになって店に来なくなれば、店員にとってはそのお客さんという人間が消えたことだ。ネットにのめり込んでリアルのつき合いが減った人の知人にとっては、その人が(部分的・一時的ではあっても)居なくなったことに他ならない。本来あるべき人間同志の関係性がなくなるということは、それぞれの人にとって他者が消えることであり、こうしてテクノロジー、とりわけインターネットによって人間性が疎外されていく現代に疑問を呈した映画なのだと思う。

*2.jpg

物語は、最初と最後(役所広司出演部分)が洋上の船でつながる枠構造におさめられているが、本体部分は観葉植物販売会社勤務の工藤ミチの物語と、大学生川島亮介の物語が平行して描かれ、終結部で2人の物語が統合される形式となっている。ミチの部分では職場の同僚の田口が自殺していなくなり、彼の残したフロッピーか何かに見入ってしまったもう一人の同僚矢部も消えてしまった。亮介の部分では使い始めたパソコンが不思議なサイトにつながってしまい、やがて彼の回りでも人が消えてゆく。共通するのはある種のサイトを見てしまうと、あるいは赤いテープで封印された部屋に入ってしまうと、孤独感に襲われ、やがて消えてゆくということだ。ここでパソコンというのはもろパソコン・インターネットの世界ではあるが、赤いテープの封印も四角いドアや窓の周囲に赤いテープを貼ることで赤い四角形が描かれており、パソコンのモニターを象徴するかのようである。映画の中で大学院生の吉崎は「霊界での受容容量がいっぱいになり、それがこの世界に溢れ出してきている。そしてその霊界からやってきた幽霊と出会ってしまった人は孤独感から自殺に追い込まれ消滅する。」と、また「一度このシステム、つまり " 回路 " が成立してしまうと、それが自律的に作動する。」と語る。ホラー映画仕立てだから霊界だの幽霊だのと言うが、これは人間のリアルな関係を捨ててパソコンやインターネットのバーチャルな世界に行ってしまった人、つまりは我々の前から人間の実質として消えてしまったに等しい人の暗喩であり、回路というのは社会のシステムや風潮のことだ。だから「霊界と現実世界で起こることの関係がわからない」といった良く目にする感想は映画の見方を根本から間違っていることを示しているのではないだろうか。大学生川島亮介の物語として見ると非常にわかりやすい。パソコンは持ってはいるもののまだ使ったことがなかった彼が、パソコンを使うようになり、そして霊界、すなわちバーチャルなインターネットの世界の虜になり、やがて・・・。

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以下は2008年5月29日加筆分です。


kairo0.jpg

この作品、最初に見たのは昨年の5月で、レビュー書いていないと思ったら既に書いていました。 『叫』 『降霊』 『LOFT』 『ドッペルゲンガー 』等を見たついでに記憶で書いたんですね。この作品を1年前に見たとき、DISCASのレンタルで1回見ただけだったのですが、実は良く解らないところがあった。で、もう1度見てからと思ってその時はレビュー書かなかった。で今回安価な中古ビデオがあったので買ったわけです。2度目に見たら良く解りました。最初に見て解らなかったのは、実は役者さんの顔なんですね。テレビは見ないし、昨今の日本映画もそれほど見ていないから、知っている顔は役所広司と風吹ジュンぐらいで、加藤晴彦と小雪はすぐ区別ついたのですが、麻生久美子とか有坂来瞳とか、あれ?、これあのミチだっけ?、って感じで、少々混乱して見てました。麻生久美子っていう人はこの映画では主人公なわけだけれど、女優としてのボクの印象は「平凡」って感じですが、小雪って人は、なかなか独特の味があって、フランス映画とかに出しても通用しそうですね。

kairo1.jpg

前回1月に書いたレビューを読み返して感じたのは、印象としては間違っていないのだけれど、ネットのバーチャル性の問題を中心に書いていて、この映画のもう一つのテーマである人と人とのかかわりの問題にあまり触れてないということです。もちろんこの2つのテーマは互いに関連したものではありますが。一種の倫理の問題でもあります。植物栽培会社に勤めるミチの上司が言う「人の悩みにどれだけ他者がかかわれるのか?」という問題であり、小雪の大学院の先輩の作ったプログラムにある、点と点は近付きたがるけれど、近付き過ぎると反発したり消滅したりするという問題であり、小雪(役名は春江ですか)の語るこの世の人の孤独の問題です。

kairo2.jpg

この問題は、小雪が加藤晴彦に言う「誰かとつながっていたいからインターネットをするのか?」ということで、第1のバーチャルというテーマとつながっているわけです。これはどこの国の人についても同じことなのでしょうが、特に日本社会的テーマでもある気がします。それは日本人が「和」を重んじるからです。誰かとつながっているためには同調が求められる。卑近な例で言うと、これはある友人が言っていたことなんですが、喫茶店に友人・仲間と5人ぐらいで入って、他の4人が「コーヒー」「僕もコーヒー」って先に言ってしまうと、「自分はコーラ」って言いにくい無言の圧力を感じてしまうってことです。まして「チョコレートパフェとアイスティー」とはもっと言い出しにくい。つまり自分を曲げてまで同調することを求められる。西洋社会のように「異」をもって他者と関係を持つっていうのではないんですね。一事が万事こういいう性格を持つから、他者とつながっていたいけれど、他者とつながるのはウザクもあるわけです。

kairo3.jpg

こういう同調と和を受け入れていれば、西欧社会のような孤独を感じないでオメデタク生きられるのですが、それをウザイと感じて離反したときには、たった1人の孤独(孤立)が待っている。西欧社会の人々は最初から孤独であって、だから孤独同志の求め合いの文化があるけれど、日本では単なる孤立になってしまう。余談ながらちょこちょこ書いていることだけれど、統計的に日本人はセックスの回数、特に未婚者のセックスの回数が極端に少ないらしいけれど、それはセックスが孤独同志の求め合いを癒すものだからなんですね。

kairo4.jpg

黒沢作品に描かれる「日本人」、日本的文化から見ると見えにくい面もあるのだけれど、例えば西欧的視点で見ていくと、日本人である(日本社会である)ゆえの人々の病性が見えてくる気がするのですが、みなさんはいかがでしょうか?。

kairo5.jpg




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Last updated  2008.07.06 23:13:24
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Re:『回路』黒沢清監督(日本2000)(01/26)  
aire_rino  さん
もう普通の人には信じてもらえない超感覚的な問題なんですけどね。
実は私の実感として1つの人間も1つの未成仏霊も
「肉体」の有り無しの違いだけで本質は同じだと思うんですよ。
だからこの作品のテーマの“孤独”も赤いテープで自身を部屋やPCに閉じ込めることで、能動的に自らを孤独に追い込んでいるという点で人間と未成仏霊の共通点を見ることができて、その辺を黒沢監督は他作品でも表現されていますよね。
ただもし霊界に対しての感覚も私と同じだとしたら、いまここは霊界と同次元に存在するからこそ、人間と幽霊も同じ存在にできる訳で・・回路で繋ぐ設定がどうしても不自然だったんですよ。。。 (2008.01.27 08:49:27)

Re:『回路』黒沢清監督(日本2000)(01/26)  
はる*37  さん
黒沢清監督には役所さんの出演が多いようですね。
写真に見えているのは麻生久美子かな。

インターネットにうつつを抜かして、リアルな人間関係が薄れる
それは現実的な問題ですね。
きっとそうなっている人も多いでしょうし、
私自身も気をつけていたいところです。
今の世の中、強盗さえも、刃物を突きつけるでもなく
カゴごと盗んで走り去っていく・・・嫌な世の中になってきましたね。。 (2008.01.27 12:28:47)

aire_rinoさん  
racquo  さん
>人間と幽霊も同じ存在にできる訳で・・回路で繋ぐ設定

黒沢監督というのは、結局は、最終的に、幽霊ではなく人間を
描きたいのだと思います。だから

>霊界に対しての感覚も私と同じだと

しても、霊界は人間界を描くために利用している素材でしかない。
超感覚的な実感として

>1つの人間も1つの未成仏霊も「肉体」の有り無しの違いだけで本質

は同じでも、「孤独」でもなんでも人間の感覚で捉えたものを、
未成仏霊に投影しているだけなのではないでしょうか。
だから整合性のある形で未成仏霊界をも描くことに関心はない。
そんな感じがします。

(2008.01.27 16:34:09)

はる*37さん  
racquo  さん
ミチ役は麻生久美子ですね。
黒沢映画の役者としては役所広司以外に風吹ジュンも出てます。

技術がリアルな人間関係を薄れてさせるということは、
例えば人力車や馬車より電車は運転士との人間関係は薄いし、
電車が自動運転になれば人間関係は消滅します。
話は少しズレますが、親が妙にうるさいことばかり言うから、
学校の教師は、教師と生徒の人間関係を薄めるしかなくなる。
お金にゆとりがでたらブランド志向に行ってしまって、
モノの本質を忘れたり、自分で何かを考えたり感じたりをしなくなる。
いずれにせよ、自分というのが何であって、
そういう自分は他者とどういう関係にあって、
そしてその他者に対する自分の責任とは何か、
というような本来あるべき人間の問が希薄になっていく。

(2008.01.27 16:35:37)

やっぱり・・・  
見てないのでなんとも言えませんが、
やはり、人間が一番怖いんでしょうね・・

見当違いだったら、すいません!!(笑)
なんが、写真だけで十分怖いです。 (2008.01.27 23:19:52)

Nobubuさん  
racquo  さん
レス遅れてごめんなさい。
言い訳すると、今の仮環境の古いブラウザだと、
ブログ管理ページの新着コメント欄が表示されないので、
見落としてしまいました。

やっぱり人間が恐いのは確かなのだけれど、
究極的には他者よりも自分といいう人間が
いちばん恐いのかも知れません。
黒沢映画の中では、ボクの見た中ではやはり
いちばんゾクゾクと恐いかも知れません。
殺人シーンなんかはないのですが。

(2008.01.30 00:56:09)

Re:『回路』黒沢清監督(日本2000)(01/26)  
aire_rino  さん
偶然、黒沢監督著のあんちょこ本があったので、
読んできちゃいました♪

やっぱり幽界飽和状態や回路は幽霊としての人間を描く為の材料でしたね。
私の超感覚的な固定観念が邪魔して解釈できなかった矛盾
「飽和状態なのに何で殺すの?」という問題は殺したと言うよりも
これ以上幽界に人が増えないように自分で孤独のしみに
入っていかせるよう仕組んだ風な解説でした。
小雪はしみにされる前に自殺した…という訳です。
なんだかスッキリしました~
本当はUFOの侵略を描きたかったとか
最後に出てくる飛行機の話や他作品の解説も載ってましたよ♪
(2008.01.30 05:26:55)

aire_rinoさん  
racquo  さん
あんちょこ本、なんてものがあるんですね。
みんなわかろうともがいている(笑)!。

ジャック・リヴェットの『セリーヌとジュリーは舟でゆく』
のレビューを今夜あたりに書こうかと思っていますが、
この作品について「1度目は眠り、2度目は良くわからず、
3度目でおおまかにわかり、4度目で全体のあらすじがわかり、
5度目で謎が解けた」というレビューがamazonに載っています。
でもこの映画ってそんなにわかろうとする必要があるのかな?、
っていうのが1度だけ見た時点でのボクの感想です。

>小雪はしみにされる前に自殺した…という訳です。

そう言えば彼女だけ違う最後ですね。
でもその前に着けていた黒い無気味な仮面な何なんでしょう。

(2008.01.30 20:48:08)

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