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2008.03.13
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カテゴリ: フランス映画
L'AMOUR PAR TERRE
Jacques Rivette
129min
(所有VHS)

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この映画、『地に堕ちた愛』ってタイトルはいかがなものでしょうか?。なにか「堕落した愛」って感じがしますが、原題にそういう負の意味合いをはたしてリヴェットは込めたかどうか大いに疑問です。この映画はリヴェット監督の作品によくあるように( 『セリーヌとジュリーは舟でゆく』 『彼女たちの舞台』 『恋ごころ』 など)、映画中芝居の物語です。「PAR TERRE」とフランス語で言うと「地面に」という意味なんですが、西洋の劇場建築の一階平土間をも意味する、あるいは連想させる語だと思います。映画冒頭に出てくるアパルトマンでの芝居上演にしても、この映画のメインストーリーであるリハーサルを重ねて最後に上演される芝居も、アパルトマンや屋敷の部屋での上演で、決して床面=「平土間」から一段高くなったステージ上では演じられません。原題は「平土間の愛」とか「平土間に下ろした愛」という意味で、決して完成したものとしてではなく、芝居というものを地に下ろして分析・考察しようということだと思います。そしてもちろん愛を考察する物語でもあるわけです。

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映画はエミリー(ジェーン・バーキン)とシャルロット(ジェラルディン・チャップリン)の2人の舞台役者が、一風変わった劇作家・演出家クレマン・ロックモール(ジャン=ピエール・カルフォン)の大邸宅に移り住んで、シルヴァーノともども一週間という短い期間で、まだ最終幕の台本は明かされぬある芝居を仕上げて、最後に上演するというものだ。屋敷には開かずの間があって、そこから不思議な物音(あるいは幻聴)が聞こえてくる。

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映画は、なんだかわからないけれど何人もの人が夕暮れのパリの街のとあるアパルトマンの一室に案内されるシーンで始まる。そこには1人の男と2人の女がいる。女2人は上手いこと顔を合わせない。でもその様子を案内された人々は見ていて、当の男と女の3人はその人々の存在に気付かない様子。始まりから何か狐につままれたような訳の解らぬシーンなのだが、これは実はアパルトマンを使った芝居上演だった。リヴェット監督は、冒頭から映画を見ている観客を、現実と芝居の虚構の混交した世界に誘い込む。

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そしてこの3人の役者エミリー、シャルロット、シルヴァーノはクレマン・ロックモールに雇われ、彼の屋敷で稽古をし、上演することになる。そのキッカケとなるのは3人が勝手に改作して上演していたのはロックモールの戯曲だったこと。創作して戯曲を書く劇作家、それを上演する際に役者が勝手にもたらす変更。上演される舞台というのは一体誰が作るものなのか?。

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屋敷にはクレマンの友人でライバル(?)のポール(アンドレ・デュソリエ)、クレマンの現在のパートナー(?)のエレオノール、足音をたてずに歩くので「狼足」と呼ばれる使用人のヴィルジル(ラズロ・サボ)等がいた。このヴィルジルは Virgil となっているが Virgile と書いてもほぼ発音は同じで、これは『アエネイス』を書いた古代ローマの詩人ウェルギリウスのことだ。執事のようでありながら、部屋ではシェークスピアをフィンランド語に翻訳してタイプしている。

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エミリーは自分が死ぬ場面を幻視したりで、それは現実の予知なのか芝居のシーンの一部なのか、どこまでが現実で虚構なのかがわからない物語なのだが、足音をたてずにどこへでも出没する狼足ことヴィルジルはすべての観察者でもあり、一見単なる使用人のようで、実はすべての仕掛人かも知れず、彼がタイプしている原稿こそが芝居(あるいは映画)の全貌なのかも知れない。

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こうした中でシャルロットとエミリーはクレマンやポールに惹かれていく。最初のアパルトマン上演では男1人に女2人の三角関係だったが、ここでも現実(?)にクレマンやポールをめぐるシャルロットとエミリーの複雑な関係が進行する。そして彼女たちが演ずる芝居には女性役は一つしかなく、最初にそれを得るのはシャルロットで、エミリーはズボン役に甘んじるが、セリフを憶えられないシャルロットに代わってエミリーが彼女の役で稽古したりもする。ポールはマジシャン(ちなみに『セリーヌとジュリー・・』のセリーヌもマジシャンだった)だが、クレマンとポールの対抗関係は芝居とマジックのそれでもある。開かずの扉の中にある隠されたピエス piece(部屋=芝居)とは何か。そこは居なくなったクレマンの元妻ベアトリスの部屋だった。そして上演に向けてシャルロットたちが稽古している芝居とは、このベアトリスをめぐるクレマンとポールの抗争の実話の物語であることがわかってくる。クレマンから鍵を渡されたシャルロットは部屋に入るが、もちろんベアトリスはいない。探究される真理、芝居かマジックか、何重もの三角関係や愛の行方は、そして芝居の最終幕は、すべては空の部屋に象徴されるように謎のままだ。上演の日がやってきて観客が招かれ芝居が上演され、最終幕の原稿が役者に渡される。そして赤い服の女ベアトリスが屋敷にやってくる・・・。

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ジャック・リヴェットの映画、今まで見た中ではいちばん古い1974年の 『セリーヌとジュリーは舟でゆく』 と、いちばん新しい2001年の 『恋ごころ』 の完成度が高く、ボクもより好きな作品だが、彼の迷宮のような世界に身をまかせるのはいつも楽しい。映画、演劇、そして時代のせいかときにやや政治的な気分、そういうものを扱ったリヴェットだけれど、もう一つ彼は女あるいは女優を美しく魅力的に登場させる。『セリーヌとジュリー・・』ではラブリエ、ベルトとオジエ、ピジェ、『恋ごころ』ではバリバール、バスレール、フージェロルだったが、 『北の橋』 (1981)のオジエ母娘、この『地に堕ちた愛』(1984)のバーキンとチャップリン、 『彼女たちの舞台』 (1988)のオジエと他の4人、『美しき諍い女』(1991)のベアール、映画が現実の虚構の迷宮なら、女優たちについては、現実の役者と彼女たちが演じる役という虚構、この映画における役者の不思議を堪能させてくれる。この作品はもともと170分と長~い映画のいつものリヴェットだが、2時間に短縮することで公開に漕ぎ着けたらしい。オリジナル170分版もあるとのこと、そちらも見てみたい。

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Last updated  2008.04.29 00:35:13
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