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2008.09.23
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カテゴリ: 日本映画
ワンダフルライフ

Hirokazu KoreEda
118min(1 : 1.66、日本語)
(桜坂劇場 ホールBにて)

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まず書いておきます。なかなか良い映画で、楽しませてもらいました。こんなことを冒頭に書くのは、この先批判的なことを書いてしまいそうな予想があるから、非常に充実した2時間を与えてもらったこと、観賞後の印象も見て良かったと思ったこと、そういう点はしっかりと指摘しておこうと思ったのです。ところで1999年のこの作品、その5年前のトルナトーレの 『記憶の扉』 という映画がヒントになっているような気がして仕方がありません。全然違う映画だけれど、根幹は似通っていると思います。すぐ上に「批判的なことを書いてしまいそう」と書いたのですが、そうボクに批判的ことを感じさせるあり方は、トルナトーレについてボクが持っている批判と良く似ています。もし是枝監督が『記憶の扉』をヒントにしているならば、是枝監督が同じような映画作りのトルナトーレの作品に関心を持ったという意味で、面白いことだと思います。ちなみに是枝作品ではこの『ワンダフルライフ』、トルナトーレでは『記憶の扉』が、それぞれいちばん好きかも知れません。ところで、それではその共通する批判とは何か。

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映画にはあまりにも色々なものがあって、すべての映画がひとくくりにされている状況は不思議でもあります。映画雑誌なんていうのは、『スイング・ジャーナル』と『音楽の友』と『ロッキン・オン』と『バーン』と『歌の手帳』と・・・、とにかくそういうものすべてを一色他(←これで字いいのかな?)にしたようなもの。クラシックからロック、ポップス、歌謡曲、演歌、民謡、雅楽、小歌、民族音楽等々すべて垣根がないかのごとくです。だからそれぞれの映画作品は、それぞれに固有の作られ方や見方がある。でも是枝作品というのは、いわゆる「作家の映画(le film de l'auteur)」という部類の映画で、多く原作・脚本・監督・編集は監督自らがやり、人間や社会の本性を問題にしたり考察する体のものでしょう。そういう体の映画にボクが期待するのは、求めるのは、扱うテーマに関してのその作家の深い考察なんですね。その考察を映画にしろと言うわけではなく、根本にその考察があって、その上で作品を作って欲しいということです。

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その考察の結果は、何も革新的である必要はないし、突飛である必要もない。ごくごく常識的な発想でもかまわない。しかし、それが作家の人生や、人間や、哲学や、思想や、生き方や、そういうものに深く根ざした「本人のもの」でなければならない。もちろん本人にとってまだ「?」マーク付きのものであっても。でもトルナトーレも是枝も、そしてソクーロフもそうかも知れないけれど、一般的に、常識的に認められた、あるいはやや革新的でも世の一部では認められたような発想、そういうものを「やや深めた」程度で、しょせんは借り物なんですね。その上に立脚して、上手い映画作りで、それらしく見せている。そのことを知っていて、作為的に作った作品なら、それはそれとして良いんですが、恐らく作家本人も、自分の深い思想だと思い込んでいるのではないかと思う。この一種の「お底の浅さ」が気になる人たちなんです。

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見ていて予想が簡単に出来てしまったことだから、 ややネタバレにはなるけれど 書いてしまえば、所長以下職員たちというのは、死んで同じように施設に送られて来ながら、人生の幸福の時を選ぶことが出来ずに、このリンボに留まっている人たちだ。たとえば望月は、若くして大平洋戦争に出征して戦死していて、生きていれば今回彼が面接を担当することになった渡辺という71才の老人とほぼ同い年なのだ。もちろん死んでから年を取ることはないので、望月はここでは20才ぐらいの青年のままだ。アシスタントの しおり の人生は多く語られないが、彼女は18、9才で、正職員ではなくアシスタントをしていることから考えて、まだ死んで日が浅いのだろう。

やや余談になるけれども忘れないうちに書いておくと、ここの施設の職員たちは以上の5名。死者は男女半々いるはずなのに、男が80%と女20%。しかも紅一点の しおり はアシスタントで、所長は男性だ。後半に出てくる再現フィルム制作班の人々のおおかたも男性だ。しおりは最後に正職員になり、新しく男性1人がアシスタントにはなる。それが現実日本社会の反映だと言えなくもないが、それでも女性が少な過ぎる男性中心社会だ(この作品は戦前ではなく1999年の作品だ)。いかに脚本・監督の是枝裕和が無反省に男性優位社会に安住しているかが見てとれる。

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話を戻そう。リンボなどと西洋的なことを言わずに日本的に言うなら、ここの職員たちは、死んだけれど成仏できない人々だ。生活、感情は生きている人のごとくであり、余暇に職員のある者は紅茶の趣味を楽しみ、望月や しおり はそれぞれ読書をし、お風呂にも気持ち善さそうに入っている。もともとが架空に作られた設定だから何でもありなのだけれど、大平洋戦争で死んだ望月は年を取ることのない永遠の青年として今もここにあり、数年前(?)に死んだであろう しおり はその望月に恋しているようでもある。ある日カメラを手に再現フィルムに必要な竹の写真を撮りに行った しおり は街(現世の)に行ってしまい、これやあれやの余計な写真を撮ってきてしまう。生への執着を捨てられないからこそ、天国に昇ることが出来ずにここにいるわけだ。映画の物語性のある要素としては、以上書いてきたことと、あといちばんの中心ストーリーである、渡辺という老人と望月の話なのだけれど、ネタバレになるのでそれはここでは書かないでおく。ドキュメンタリスト出身の是枝監督で、前半の各死者との面接はドキュメンタリータッチだ。

題名が示すように人間の生を、そのささやかな幸福に見ようという、生の肯定のような話で、それ自体は非常に美しくも魅力的だ。映画自体は楽しませてもらったけれど、見終わって反芻してみると、何処かどうしても馴染めない何かがモヤモヤと残った。死後この施設に送られてくるのは、生前善人であった人たちだけなのだろうか?。生前悪人であった人は地獄落ちで、ここには送られてはこないのだろうか?。そうだとしたら人を善人と悪人に二分などできるのだろうか?。たとえ善人であったとして、彼らの生に罪はなかったのだろうか?。人間の生を喜怒哀楽に還元してしまって、いちばん大切な思い出に集約してしまって良いのだろうか?。そういうことがこの映画の主旨ではないことは十分に理解しつつも、またこの物語の主旨が死後ではなく生前にあることを理解しつつも、人の生を総括するといった話なのに、そこに罪意識が欠如しているというオメデタさにどうしても抵抗感をもってしまう。影響関係があるにせよないにせよ、トルナトーレの『記憶の扉』が罪意識を中心に据えているのに対して、是枝がおめでたく人生最良の思い出を描いているのが、キリスト教文化のヨーロッパと日本の文化的差異として面白い。

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Last updated  2009.08.24 08:15:36
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