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何もしないのに、厭世的になるのは卑怯だ。確かに人間社会は歪んでいるが、それはそうなるだけの理由があるし、それだけ人間の野望が大きいからでもある。だれでも厭世的になるのに苦労は要らないが、厭世的にならないようにするためにはそれだけの努力が必要だと思う。そしてそれはその人次第でスケールも違うに違いない。然し、簡単にできる人は簡単にできなくもなるのだと思う。・人は何か欠点があるものだ。それは一人ひとり、育った環境も、人間の能力も違うからだし、日々変化している社会環境によるものもある。何の不中もなく暮らしていた人が、色んな重大な不幸に遇うこともある。配偶者が死んで、違う暮らしにもなるだろう。そういう大変化で、厭世的になる人は多いようだ。人の人生の夫々のステージには、いつも愉しいことだけがあるわけではない。・へ2・・・恵まれて暮らしてきたほど、そのひとの大手術があれば、そのあとの予後は善くないようだ。どうやら、ひとはみな公平にできているようだ。「蟻とキリギリス」の物語は、誰の上にも訪れるらしい。私などは若いころ苦労していないので、いまごろ苦労をしなければならない運命のようだ。それだけ、厭世的にならないようにしようと思う。
2023.06.17
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カフーバンダ。右脳 A-10神経概して日本人のスピーチやエッセイは面白くないものが多い。ブログも同じだ。どこか本音と違うから、解釈力がないと誤解もする。ジョークも未熟だ。私のブログもそうだろう。どうやら、左脳(自分脳)が、邪魔をするらしい。右脳では、判っているのに左脳のことばに「置き換える」ことが下手だし、基本的なスキルができていない。左脳中心に慣らされている。これでは右脳のもつ本来のパワーを、殆ど生かすことができないでいる。左脳では、アドレナリン系のホルモン由来で早死にするだろう。脳の解析は、遅れている。脳は、残された最大の未開拓地だろう。これから、未知との遭遇だ。それにしても、ある研究者の話では、皮肉なことに右脳の能力を高めるには座禅や坊主の修行が、有効なのだという。どうやら、恵まれた生活や、隠遁生活ではストレスを排除できない。右脳中心ではないからだ。どうやら、近道は、強いて言えば、DM生活が長生きの秘訣らしい。勿論それだけでは駄目で、プラス思考と愉快に暮らさねばならないという。別に貧富の差ではない。キーワードは、A-10神経が前頭連合野で開放されることだという。「置き換える」ことは、何とも厄介だ。
2023.06.17
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カフーバンダ。段々年齢を取ってくると、目の前で起きてくることの裏まで見える。そしていつも、それが因果応報だと思う。自分の見たいものを追いかけてもいる。そしてそれが好きにも嫌いにもなる。自分を本当に知ってしているか、といえば殆ど知らないから、結果も思いがけないように思うのだ。日々好きなことを言っていると、軽薄な人間の心情が吐露される。 ・前の写真は、ヴュルツブルクのレジデンツの「階段の間」の写真のポスターだが、昨日EUIJ-九州センターの市民向けの講演会で、教室内に展示されていた。ドイツ人の女子大名物の先生が司会をされていたが、EUのそれぞれの国の紹介の写真があった。27か国のEU加盟の中で23の公用語があるという話だった。国連と違うEUの統合がある。講義は知らないことを教えてくれる。 ・へ2・・・EUのどこかへ行ったことのある人は、参加した20人の中でどれだけかと尋ねられたが殆どの人が手を挙げていた。流石に関心があるから参加したのだろう。EUは日本にはまだ遠い存在でしかないが、アメリカよりもこれからはRUだという思いが、日本のこころある知識人には多いのではないだろうか。現実は相当違いもする。留学生も少ない。これで中国に色んな意味で勝つはずはないと痛感した。
2023.06.17
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Kafu Banta。近過ぎて見えないこともある。近視眼的といわれるが、そういうことは意外と自分で解っていないことがある。いわれて気付くものだが、其れがなかなか素直に受け入れられないでいる。外国人の目から容易に分かることが日本人同士では、判らないこともあるのではないだろうか。甘いといわれても何が甘いのか真剣に考えないと分からなかったりもする。真剣も、口ばかりでは解らないこともある。あなたはこうでしたよ、といわれて、そうだったかも知れないと思うこともあり、違うこともある。 ・自分がどう見られているのか、よほど客観的に冷静になれる人でないと、適切な意見をき一生聴けないかも知れない。そういう分かる人に逢えるとは限らないから。自分とは厄介な生き物だとつくづく思いもする。何しろ気分屋でもある。その時々で違いもする。然し、それは誰しも同じなのではないだろうか。悪行をするものが悪人になるのだ。それを決めるのは社会の規範でしかないからだ。 ・へ2・・・好くやったと思うのは自分の判断でしかないかも知れない。100%満足などありはしない。建前と本音も違う。正直だという人がどこまで正直と言えるかは厳格には判断できる筈もない。脳からドーパミンが出て、その時は幸福感があってもすぐに消えてしまう。麻薬と同じで際限のない繰り返しだ。もっと広い草原を歩いた方が・・・どれだけ楽しいだろうか。
2023.06.16
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ローテンブルク。過去の日々は、どこかで読んだ本の一章のリフレインのようになる。ひとは自分の目で物を見ているのではない、自分の脳で見てイメージしている。視覚、嗅覚、味覚のメカニズムを先ず昆虫のケースから解説され、ヒト、哺乳類の感覚について易しい解説だった。何故肥満になるのか、白色脂肪細胞と褐色脂肪細胞、そして交感神経と副交感神経の相違について、写真を交えながら解り易い解説を聴いた。肥満遺伝子(ob)とレプチンの話も。 ・肥満の予防は、 「三食を規則的に 愉しくゆっくりと食べ、食べ過ぎないこと」 「適度な運動をすること」 「ストレスをため込まないこと」心の空腹感で食べないことでしかない。肥満とは、脂肪細胞(体脂肪)が過剰に蓄積した状態。ヒト成人で300億個なのに対して肥満では400億個~600億個になる。 ・へ2・・・何のために科学が進化しているのか、その恩恵を受けないでいる社会がある。それは正しい知識を必要な人たちに与えない政治の責任でもあるだろう。政府ばかりに責任を押し付けても社会は善くならないように、皆の責任でもある。自分たちの欲望を優先する限り社会は善くならないのではないか。皆哲学を学んだとしても、或いは聖書を読んだとして、一人一人の解釈が違うようにバラバラである限り、どんなことばも届かない。
2023.06.16
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モロッコ フエズ市街。人間は、これから起きることを予見できる動物である。だから絶望もするが、問題はそれが正しいかだろう。勘違いや、見当違いもある。あの偉大なる指導者だって、自分を見損なっているのかもしれない。愚かにものほど、他人からの忠告を聞こうとしないらしい。他人様を巻き添えにしてはならないのだ。どんな石ころが、明日に輝きだすかということを考えると楽しくなる。愉快だ。然し、果たしてそれがどんなものかとなると見当がつかない。偶然の所産としての未来がある。石炭から石油へ、そして原子力へ、それは化石燃料から原子力でもあるが、核の脅威が兵器としてだけではなく、人の手で容易に安全な管理できる代物ではないことが再認識されようとしている。 ・勝手な判断がされて54もの原子炉が日本の狭い国土に配置され、しかもそれは住居から直ぐ近くの場所にある。地震が起きると予想されるド真ん中に建設されていた原子炉もあった。それも海岸にある。巨大津波はないという前提なのだろうか。明日は、明るい未来だけではなく、暗転するかもしれないのだ。 ・へ2・・・時代の商品価値を決めるのは、大衆の関心が何に向くかで変化している。その世論をコントロールしようとする政府が必死になって方策を探している。贅沢がこの社会を豊かにすると考えてきた。それがまた変化しつつある。毎日肉を食べるようになってからだは大きくなってきたが、病気も増えている。からだを動かさないのも健康には良くない。自分の日常を見直す時だろう。
2023.06.16
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一つの森は、一つの水源となる水系で出来ているものが多いのかどうか知らないが、メインとなる水系があると聴いた。そこが枯れると、また違うその代わりとなる水系が出来なければ滅んでもしまう。植物にも生存競争がある。高く太陽に向かって伸びるのもそれだけ陽射しを受けようとするからだ。いくつかの条件を乗り越え風にも雨にも強い樹木に成長していく。 ・1000年経たないと屋久杉ではないそうだ。人間はそんなに長生きではないが、自立して活きて行くためには20年間近い年月がなければならない。それこそ親や家族や、医者や教育者や、活かしてくれるだけの食料や、さまざまのものがなければ暮らしてはいけないだろう。スポーツや芸術もある。 ・へ2・・・街を清掃して呉れている人たちもいる。今度の震災では、様ざまな人たちが目に見えないところで危険な仕事や、人が嫌がることを引き受けて真剣に取り組んでいる。その人たちが社会には必要でもある。大地は私たち生命を足もとで支えてくれている。すべてのものが揃っているからこうして生きて居れるのだ。森を守ることが、人権を守ることでもある。人権を守らない社会は、森も枯れるだろう。
2023.06.16
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女子大で「達者で長生き」という講座の最終日で、修了書を貰って来たが、これで何十枚目かだろう。それこそ体育館での実習でもあり、九大の講師からの直接指導であり、受講者が少ないのは勿体無いよう。健康に対して、皆は関心が無いわけではないが、どうも自分のこととして考えることが少ないのではないだろうか。 ・それこそ、基礎的な知識が大切だし、どのようなストレッチがあり、自分の歩幅はどれくらいあるのか、それはどうして調べるのか。5分間歩いてみて、自分の歩数を数えて、測ってみたりする。遣り方を色々教えてもらった。今更ウオーキングの効果でもないが、やはり参加してみるものだと思った。 ・へ2・・・貯筋というのば、カネではなく、筋肉を蓄えること。足だけではなく全身の柔軟性もある。これからストレッチングもしたい。
2023.06.16
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Kafu Banta成人するころには、その人だけの精神の地勢図ができあがる。だから恋人どうしで映画を見ても、感じ方はまったくちがう。映画のなかで認知するところもちがえば、そこから連想される個人的な思考や記憶も違うからだ。脳の内部環境は、つねに新しい刺激を求めていて、この情報に対する貪欲さは、脳の基本的な性質のひとつであり、それは人間の見せる基本的な反応でもある。目は脳幹がコントロールしており動くものであれば、それを追いかける。それは、向日葵が太陽を追いかけるのと同じで意識的なものでは全くない。それでも、死んでいるに等しい人間の目で追いかけられればいい気持ちしないだろう。生まれついての性質と環境から受ける影響が交錯しているために二つとして同じ脳は存在はしない。双子もクローンでさえも、胎児期の鳥渡した違いが、脳の発達に影響を及ぼすため、生まれてくるころには独自の脳を持っている。脳の始まりとは、胎児が成長する過程で、のちに背推になる神経管の上端がふくらんだものだ。生まれるころにはおとなと同じ1兆個のニューロンができている。ただし、新生児のニューロンは未成熟である。少なくとも新生児の脳の配線は、子宮内の環境が大きくかかわっている。妊娠中にカレーばかり食べていた母親の子どもは、スパイシーな食べ物を好む傾向がある。母親の血液に溶け込んだカレーの香辛料に晒されて好みが形成される訳だ。女の子はお喋りが上手で、男の子が空間的な作業が得意という典型的な性差は、胎内のホルモンシャワーを浴びた胎児の脳が形成されるためだ。そして、アポトーシスの未完成が精神障害の引き金になり、不必要な細胞の間引きの過程で「サヴァン症候群」「ダウン症候群」が発生してしまうらしい。脳のなかには、成熟するまでに成人までかかる前頭葉があり、青少年が年長者にくらべて感情的、衝動的なのはそのためだといわれる。
2023.06.16
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読書が面白いのは、視点の面白さでもある。だから童話でも駄作でも、読み方次第で果てしなく興味が湧いても来る。読者の読解力が問われもする。今日は梶井講座の最後の日で、そのひとつに「温泉」というのがあり、それが三作品あり、みな「断片」である。作品ではなく断片である。作家が、書きかけている。それを並べてある。文学をできたものしか喜ばないのは、文学を娯楽にしている者たちだろう。 ・文学者は、少しシビアに読むのではなかろうか。表からばかりではその建物の造りが見えないからだ。素人はばらばらにしても組立直すことができない。解体屋でしかないのだろう。自分では書こうとはしない。無駄な努力をしない。無駄かどうか遣って見ようともせず、他人の描いた建物ばかり見ている。花を見ても観賞するだけなのだろう。他人が苦労していても、自分はバスの窓から覗いているだけで、人生を終わろうと考えている。 ・へ2・・・ひとは元々勝手な生物でもある。だから自分の好きなものを見て好きなことを考えようとする。梶井も自分が肺病で死んでしまうと諦感していた。彼が結核が現代になりこんなに簡単に克服されるとは思ってもみなかっただろう。ひとは自分の心の中にデッドロックを造ってしまう。それは、何でもないかも知れないのに。がんもあと5年もすれば、特効薬ができるかも知れない。自分の一生を生きているのは胡桃のフレーム・オブ・レファレンス の中でしかないのだ。
2023.06.16
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スイス。 スイスはアルプスの山脈の中央部にありながら、鉱山資源に乏しく、畑地も少なく、穀物も不足していた。19世紀産業革命に成功するまで貧しい国であった。その貧しさを救ったのが、「血の輸出」という傭兵による出稼ぎであった。すなわち山国と地形とスイス傭兵こそがスイス産業革命の成功を担保したのだ。・19世紀になり、ナポレオンはイギリスの経済封鎖を狙って大陸封鎖令を出し、スイス産業に有利に働いた。産業の勃興により傭兵出稼ぎが必要なくなり、豊富で安価な労働力を確保できたからである。ヨーロッパ各地に散っていた多数の傭兵が各地の技術データや市場データを持ち帰ったからでもあるという。更に山河の多い豊富な水量が動力としての水力となって貢献したといわれる。・へ2・・・小国でありながら、永世中立を成し遂げている根底には、「血の輸出」という歴史があったからでもあるのだろう。そして、傭兵たちから得られた情報こそが、彼らの知恵となったのだろう。それは、現代においてどのような形で残っているのだろうか。その継承こそが強かに生き残りをかけた外交能力ではないだろうか。スイス傭兵は、主にスイス人によって構成される傭兵部隊で、15世紀から18世紀にかけてヨーロッパ各国の様々な戦争に参加した。フランス革命の際にもテュイルリー宮殿に殺到する民衆に対してルイ16世が攻撃命令を出さなかったため大部分が虐殺された。革命時にはスイス衛兵は廃止されたが、ナポレオン時代に復活し、7月革命時に再び廃止された。特にフランス王家とローマ教皇に雇われた衛兵隊が名高く、後者は現在でもバチカン市国のスイス衛兵隊として存在する。
2023.06.16
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カフーバンダ。幸せの岬。これだけ科学が進歩して、IT社会だというのに、独裁政治とか、専制主義とか強権社会があるのは、恥ずかしいことだ。基本的人権さえない社会がある。故国を追われたり離れた人が、1億人以上だという報道がある。横暴な人間たちが、権力をほしいままにしているのだ。格差社会が終わらないのは、強欲な人間たちがいるからだろう。核戦争の脅威がたかまっているという。それこそ中世の王様になろうという人たちがいるのだ。情けない。ある人種に属するからといって、その人が必ずしもその民族のステレオタイプ(固定観念)化された文化を受け入れているとは限らない。それは、文化は学習によって身に付く行動でもあるからで、人種はそうではない。生物学的・身体的な特徴は、甚だ不明確である。人種は寧ろ社会的な構成概念で成立する存在であるというのが、最近の心理学や他の社会学者の意見だ。遺伝子や環境によってひとの特質を取得するとすれば、社会的背景によって変化する。更に、人間は自分たちがそれぞれの社会や文化の構成概念だと思い込んでいるため、各自が、異なる人種の定義を持っている。人種とは、分類や名ばかりの存在ではなく、次元的な規模を伴った連続体であると信じている文化もある。また、ブラジル人の多くは、人種とは遺伝するものではなく、経済的または地理的な移動によって変化するものだと信じている。社会経済的な影響による人の移動は、肌の色や髪の毛の質といった身体的な特質に変化を及ぼすものだと信じる国さえある。機能的で心理的な現象が文化を形成し、その意味が人種に意義を与えるのであろう。それは、つねに変動しており、ステレオタイプは、いつでもリセットされる運命にある。その時がいつくるかは判らないが、それを用心深く観ることだろう。
2023.06.16
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飽食の時代でないと美食も出来ない。その美食が健康も損なう。贅沢したいという気持ちが、他人を軽蔑したり、社会的地位を絶対なものと考え勝ちにもなる、高慢や不遜も生まれる。自分のためにこの社会があると思うことは悪いことではないが、他人の権利も同様に認められるかだ。自惚れ屋が他人を蔑視することに繋がる。確り民主主義の精神を理解できているか?どうも狭い視野しかない人間には難しい。人は不完全な存在でしかない。 ・恵まれた環境で育った人間が、社会の底辺に目が向かなくなるのは、利己的な生活から来る。自分にとって利益にならないものを視ようとしなくなるからだ。人間の健やかな暮らしにとって何が必要なものであるか見分けることができなければ、健やかな人生を生きることはできない。それは多過ぎても少な過ぎても得られない。美しいものに触れたいという努力がなければ何も視ることはできない。自分の内面にあるものと向き合わねば、心の癒しにはならない。 ・へ2・・・セレブな生活がもてはやされているようだが、そんな暮らしに皆ができるわけではない。贅沢に憧れるこころにこそ、堕落の罠がある。蜘蛛の糸などない。青い鳥も飛んではいない。人間には自分の身体に相応しい食べ物があり、必要な量も、それを噛み砕き、消化し、それを重力や運動によって速やかに排泄し、清潔な生活をする責任がある。自分を活かしてくれるからだを顧みないことは破滅への道でしかない。
2023.06.16
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カフーバンダ。住み分けて暮らしていたほうが確かに安定する社会かも知れないが、やはり議論し、批判し合うのも必要だ。カネに対する認識が日本人は甘いのではないだろうか。けちで金をためることしか考えないひとの財産も大したことにはならないだろう。国を相手に或いは外国をだまして大金持ちになった欧米社会がある。交易の常識を知らないために、黄金の国ジパングの日本の金は海外流失してしまい明治政府は四苦八苦した。 ・議論をしない体質が、国際社会では通用しない。日本の大学で学ぼうとする学生が世界では少ないのもそのためだ。知識は使うためにある。デスクワークだけでは絵に描いた餅でしかない。日本国内では通用しても海外では通用しないものをいつまでも後生大事にしている。つねにあたらしい知識を手に入れる必要がある。定年になり、これからやることはないというのも寂しい。 ・へ2・・・自然科学の専門分野だけで満足してしまうようなひとは時代遅れだ。政治だって、経済だってある。騙されないためではなく、人間を知るためのあらゆる面を開拓すべきなのだろう。若いころ充分な倚り人生を有意義にするためのスキルを殆ど受けていない。それはこの国が国民の命を軽く見ていたからでもある。自分を取り戻すことから始めなければならない。弁証法的学問でなければならないのだ。
2023.06.15
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カフーバンダ。環境に適応しながら生きているとすれば、当然時代は変化しており、そこに暮らしていく人間も環境に応じて生活を変化させねばならない。私たち自身のこころも体も、その環境によって変化もしている。脚の長い現代の日本の若者には、江戸時代の腰に差していた脇差は、歩き難いに違いない。今では丁髷も相撲取りくらいでしかない。50年前、今の私たちのこうした日常の在りようを想像できたであろうか。恐らく誰にもできなかったことだろう。 ・時代は物凄い速さで変化もしている。世界観や、価値観も変化する筈だ。平等な社会で、学力を競うことで、競争するのが公正な方法だと当時は多くの人たちに思われてきたが、果してそれは正しかったのだろうか。読み書きを覚え、数学を学び、歴史やその他の学問もしたが、肝心の生きるために必要なスキルは殆んどなかった。誰にも教えられなかったからでもある。この社会で無駄死にをしないために、それに対応するスキルがないということが、私たちには大きなダメージにもなってきたことはいえるだろう。 ・へ2・・・然し、どうやらそういう必要なスキルを受けている人たちが、殆んど世界中を探してもどこにもいないのかも知れない。ただほんの一部の上流社会の中であるくらいのスキルかも知れない。できもしないことを言っても仕方がないのだろうか。そうかも知れない。日本の首相が一年ももたずに交替している。彼らに共通するのは、スキルがないことだ。ビジョンもない。何もないのに国家のリーダーになっているからだ。誰も彼らの脳みそを鍛えようとはしなかったのだろうか。国家に優れたリーダーがいなければ、百年の計どころではない。下手をすると戦前の日本のような、国民不在の国家にもなりかねない。
2023.06.15
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高野山参り。「木食僧」とは米穀を断ち、木の実だけを食べて修行した僧侶をいう。木食円空・木喰行道が全国に特異な仏像を残している。 ・へ2・・・幕藩体制に支配された近世社会で、仏教は形骸化し生気を失ったと理解されているが、檀家制度に縛られない僧侶たちもいた。彼らは限られた自由の中で、真摯に仏の道を探り求めた、あまりにも激しく、潔い求道者たちだ。自分の名さえ残そうとしなかった。 ・江戸幕府の厳しい支配の中で、為政者との妥協によって生き延びようとした僧侶たちがいた。そして世俗から遁れひっそりと求道を続けた僧侶たちの中に木食僧もいた。 ・風外慧薫(1568~1654?) ・弾誓上人(1552~1611) ・澄禅上人(? ~1721) ・唯念上人 ・へ2・・・史料が確認された円空や行道が注目されているが、その他の木食僧については断片的な記録しかない。埋没しているのではないだろうか。学術的な研究は極めて少ないという。閉塞した社会に民間信仰が如何なるものであったか、鮮やかに際立たせ描いて見せる研究者はいないのだろうか。海外物を漁るだけではなく、骨太の研究があってもおかしくはない。 ・まさに現代の中で「漂泊する聖」たちがいてもいいのではないかというのか。 ・へ2・・・山頭火は「うしろすがたのしぐれていくか」と詠じたが、そこにあるのは卑屈ではない。脈々とつながる日本人の精神があるのではないだろうか。衒いのない生き方があると思う。 ・沈黙の(時代)森に入り、隠されたものを探すのも面白い。
2023.06.15
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果報バンダ。カフーパンタではなく、カフーバンダでした訂正します。神経質だったが、随分無神経になっている。鈍感になっているのだろう。他人の話を聴かないと注意されたこともあるが、一々聴いてはおれないこともあった。これだけ気を遣っているのに、気付いてくれないと他人を恨んだりしたが、それも徒だと知った。人の行為は簡単に理解できるようなものではない。複雑すぎてそれを知ろうと思えば、とんでもないほどの時間がかかってしまうだろう。そして事実は、流動的でもある。ふつうの企業は5年間だと言われる。 ・もっとサイクルは早くなっているかも知れない。企業は次々潰れてしまう。終身雇用でもない。正規と非正規と、昔とは比較のしようもない。格差社会が拡がってもいる。あちこちで外国語が飛び交ってもいる。妻たちは別れたいというのに、何を戸惑っているのだろうか。男たちは、自分を見詰め直さねばならないのだ。その時が来ている。 ・へ2・・・要らないと言われる前に、私たちにはしなければならないことは沢山ある。この社会から疎外されてきた。蓑虫のように社会や、妻たちにぶら下がっても「塩が無い」。さっさと見切りをつけて旅に出るしかない。妻子を視てばかりいても仕方がない。もう違う世界に生きているのだ。次元の違いは如何ともし難い。そう思う。
2023.06.15
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果報パンタ。およそ、ひとの幸福とは似通って平凡だが、苦悩はひとそれぞれ千差万別にある。四苦八苦している。もっとゆっくり考えられないものだろうか。しかし不幸感で固まった意識を解きほぐすことはできるだろう。それは宗教でなくともできるだろう。地獄も極楽もひとが創った概念でしかない。幸福ではなく極楽を求めるのであれば話は別だろうか。 物書きというのは、自分勝手なことを書いているがそれが自覚できているかで相当違ったものになるだろう。自分の意識内でしかわからないのだから、他者を認めなければ自己本位なものになる。ひとの「幸福」も、一般的な幸せのコンセプトでしか語ることはできないだろう。 ある芥川賞を貰った僧侶が、如何にもわかったようなことを書いている。修行者であることを忘れている。世間から認知された坊主だと勘違いしている。世の中を知ったつもりでもいる。何かできるのではないかと思いあがるのだろうか。それが自分の仕事だと思うのだろうか。それで、他人に幸福を齎すことができるとおもうだろうか。よくわからないが、釈迦に説法のような本を出している。 少し理解できるから全部分ると思っているのではないか。それが「極楽」や「地獄」の話をしている。頭を丸めれば坊主になるのでもないし、仏教の教本を読むから理解したとは言えない。解らないことを分かっているように言うのは虚偽でしかない。他人も分かっているだろうと憶測をしてはならないし、理解できないと思うのも不遜でしかない。
2023.06.15
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1931年9月「満州事変」が勃発して、思想界の右傾化が強化された。治安立法強化政策のもとでの権力による国民思想画一化の方向を極端にまでに進めたといわれる。京大事件、美濃部事件と連なる大学の自由が攻撃された。それはやがてなだれ現象となり、いくつくはてが待っていた。 日露戦争で与謝野晶子が「君死にたまうことなかれ」と反戦歌をつくった。勿論そればかりではないが、その屈折した感情はむしろ儚くも悲しいものだ。のみ込まれていく濁流の断末魔のようでもある。 家永三郎の「続わたしが思うこと」の中で、紹介している一文がある。 「・・・ノートを写すためか下をむいていて先生の入室に気づかなかった一人の学友は、「あなたは敬礼をしましたか?」と叱責された。学生を「あなた」と呼ぶのは、「君」という文字は至尊についてだけ用いるものという先生の信念によるものである。小学校に逆戻りしたおもいがした」と書いている。まさに教師と学生が分断されていったのだろう。 付和雷同ということばは好きではない。しかしそれが時に大衆を狂わせるかもしれない。ナチズムがそうであり、天皇神格化もそうであった。これは ひとのもつ meme がかかわっている。狂気はなだれ現象を起こしかねないだろう。
2023.06.15
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あさの太陽を見るのは一つのよこびでもある。殊に、身体が軽い時の気分というのはかけがえがない気持にもなる。できれば、清々しい場所で日の出がみたいという飽くなき願望も湧いてくるが、中々そういうわけにもいかない。どうやら、その爽やかにも神々しい太陽を写したいと思っているが、どうもそのショットが無理のようだ。何せ、ここは、人の住む住宅地でもあるのだ。肩を寄せ合って生きてもいる。その中で、自分一人で生きているわけでもなく、私一人の太陽でもない。 ・どこに行っても電線は付いて回る。嫌になるほどどこにでもある。一時は地下に埋めるという話があったがいつのことになることやらわかりはしない。恐らく近未来での話だろう。ライフライン無しには生きてはいけない。分かっちゃいるけど、もう少し、工夫はないものか。せめて、樹木でも増やして、乾いた道路を冷やしてほしい。外で運動したくても、これでは汚れた大気で病気になりそうだ。それこそ運動するだけ多く吸い込んだ有毒な化学物質もあるだろう。 ・へ2・・・人が歩くところからくらい太陽が、まっすぐに見えて欲しいものだ。そういえば人家もある。これは無理か。プロムナードからくらいは、どうだろうか。段々、壮大な野心が萎んでいくようでもある。それでも、太陽から見れば、それは砂粒よりも小さな人間の嘆きでしかないだろう。
2023.06.15
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ヴイース巡礼教会。松果体(メラトニン)や視床下部(体温調節中枢)が生体リズムの中にあって、光に反応すると考えられている。ドーパミンにしろ、加齢による劣化もある。睡眠の質が低下するのも、ホルモンの分泌にかかわっているようだ。朝から、太陽のたっぷりとある白い光が活動に向けた体調造りに重要であると、昨日の講師の話である。そして、昼間充分な照度と高色温度の光が浴びることが、夜のメラトニン分泌を高め、深い眠りのために重要であるという。更に夜の黄色い光が自然の眠りを誘い、深い眠りの確保のためなるとの話であった。 ・朝の10時から16時までの間。(殊に、10時~12時 14時~16時)に日照を浴びる時間によって統計的にも気分が変わることが証明されている。日照時間の短い冬と、長い春や夏とでは気分が違うのは私たちも感じていることだ。現代社会は、昼と夜を逆転した人々を生みだしている。朝の日射しを受けず、昼間眠り、夜起きている人も多い。生体リズムが破壊されてホルモン異常も起きているに違いない。ホルモン異常による病気が、精神や肉体に影響を及ぼさない筈はないだろう。 ・へ2・・・緩やかにホルモンの分泌が減少していき、若い時ほど、ホルモンのいくつかの調整機能が落ちて来るのは仕方がないが、生体リズムを壊すようなことをしてはいないだろうか。仕事によっては止むを得ない人々も出てくるのは仕方がないことだろうが、それに対する手当てがないわけではない。ヒトも花も美しく生きれない筈はないだろう。そのためにはどうしなければならないかでもある。
2023.06.15
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果報パンタ。幸せの岬。「ゆえに曰く、ひとはカーマ(慾)より成る。カーマに従ってクラツ(意向)あり、クラツに従ってカルマ(業)あり、カルマによってサムサーラ(輪廻)あり」(ブリハダラーヌヤカ・ウパニシャッド)。浄行によりて浄となり、悪行によりて悪となる。ひとは善人でも悪人にもなる。それは行い次第なのだ。然し、「罪障あるものは生まれ返り、罪障なく清浄であれば生まれ変わらないと説く」。一旦人と生まれて、ここにいう罪障無き人間はいるのだろうか。「悟りを開くもの」とは解釈次第ではない筈だ。誰が言うからではない。絶対評価であれば誰にもできはしない。 ・この世に罪なきものはいない。「輪廻転生」「悟り」といいながら、悟りを開けなければ、「輪廻」に堕ちるのだ。たとえ畜生や蛇に生まれ変わろうと、ひとが厭だと思うだけではないだろうか。確かに生命由来は、同じ宇宙のチリには違いないが。教えのために作られた説教でしかないのだろうか。一歩も二歩も退いて読んでいると、熱が冷めてくる。書いた人間の知識が凡庸でしかないからだろうか。それとも請け売りだからか。 ・へ2・・・絶景を見ると言葉はいらない。ただ感動をするというのは、なんと心を刺激させるものだろうか。どれだけあっても負担にはならない。いいものを見たという心地よさを感じる。
2023.06.15
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果報パンタ。・どうも自分には理解できないことばかりが日常の中で起きているが、それは、多分それでも誰かのためであり、何かの役になってもいるに違いない。私には視えないところで、繋がっている社会がある。テレビでは、CMが流れているが、それは生理用品だったり、高価な車だったり、からだに有害な煙草や酒の宣伝もされる。どこから見ても無意味なドラマのようにみえるだけだが、それでも何かの利益を生んでもいるのだろう。 ・「リビング・ダイニング・キッチン」というタイトルの講座で、どんな話だろうと思っていたが、それこそ、どんな講座も、自分に関係のないものはないのだという気持ちがした。日本人の庶民が自分の家を持ち、2DKが登場したのは、1951年の公団の2万戸が最初でしかない。木造で30年で建物は焼却してしまう。そんな家しか持たないから、家具まで考えることもなかったのだ。注文住宅も、建築士の活躍も少ないのも当然だ。好い勉強をしてきた。・へ2・・・1クールという自分の人生も、「(自分の人生に)相応しく死にたい」という願望になりつつある。人はぽっくりと死ぬのではない。何度もその時を思いながら暮らしてもいる。それは自分の体力の劣化で感じてもいる。その時に相応しい活き方とは?昨日思っていたことと今日の違いは、措かれた環境でも違う。あんなに寒かった朝も、今朝は19℃だ。然しこれもまた、すぐに変化する。自分に相応しいものとは、自分が創出すものらしい。
2023.06.14
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トルコ。ひとは、日常の平凡な出来事に、意味をもったものに変換できるかだ。感情は、われわれの好き嫌いや、物事の善悪を知らせて、自分が何者かを教え、周囲のひととの調和を図るものだ。D.マツモトの「文化心理学」の中で、アメリカ人は一般的にフィーリングを大切にする。そして、自分の取巻く世界を感覚的に理解する人は、アメリカ社会では成熟した大人とみなされるという。彼らは、アメリカ社会で受け入れられることが、人生の成功者であると信じて疑おうとしない人たちだ。どこの国にも弱点がいくつもあるだろう。個人にも言える。どれだけ客観的にこの社会を理解しているだろうか。「日常の無機質な出来事」は自分にとって、なにを指すか?それを、自分の価値観とどれだけ「変換」できているか。枯れた花ほど根が少ししかない。脳の神経細胞のような根が、少しづつ枯れて行ったのだろう。土の中では、そのことが着々と進んでいたのだ。人間も同じだろう。日々失われているのだ。知らないのは知ろうとしない自分なのだろう。
2023.06.14
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果報パンタ。トインビーの「歴史の研究」の中に「復古主義」の解決に、 ああ、わたしはもと来た道を取って返し、 もう一度あの昔の小道を踏むことを切望する。 ・・・ 前へ前へと進む人がいるが、 できることなら、わたしは後に戻りたい。 (17世紀の詩人ヘンリー・ヴォーンの詩の引用)「社会的に解体しつつある世界に生まれおちた人間の魂に現われる行動と感情の種々の様態」。前に進もうとする気持ちと、昔が好かったという気持ちが交錯している。そのどちらを行くかだろう。時間は不可逆的であり、若いころに帰りたいが帰ることはできない。確かに懐かしむ気持ちは捨てきれないのが、叶わぬ夢だ。
2023.06.14
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果報パンタ。ネガティブ・マインドになると遣ること為すこと上手くいかなくなる。何かを達成しても、満足できなくなる。不安が付きまとい、気持ちが低調になり明るく物事を考えられなくなるからでもある。遺伝子の設計図は成長と生殖と移動と死を1クールにしたものだ。赤ん坊はどこまでも可愛く、老人は果てしなく醜くなるようにできている。深遠な企みのある設計が用意されている。 ・何をしても楽しくないのだから、先は無い。活動している間が、そのひとの一生になる。動かない心臓や脳では生きておれないし、血流も止まれば枯れる。加齢から来る様々な障害を乗り越えていかなければならない。これまで簡単にできていたことができなくなる。走ることもできなくなるし、立ち上がることも容易ではないかもしれない。呼吸も肺が使わないと狭まる。脳の委縮もある。新しい仕事が苦手にもなる。 ・へ2・・・視覚が弱ると情報が狭まって来る。他の五感も同じだ。愛されなくなると途端に枯れ始める花のよう愛も消える。この世とおさらばすることだけ考えるようにもなる。何かを新たにチャレンジしようという気もなくなってしまう。再生産できないものは、消滅していくしかない。然し、ものは考えようであろう。自然の摂理を理解していれば、それに立ち向かう生き方もできるだろう。自分にできることをやるまで。
2023.06.14
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タイの仏教は上座部(テラワーダ)仏教で、インドからチベット経て中国に伝えられて、日本に伝来した大乗仏教とは違う系譜にあるようだ。大乗仏教は、すべての信者を平等に救済するということを大目的にして、信じる者はみな救われるという仏教である。それに対して厳しい修行と禁欲を以て出家修行した僧侶でなければ救済の道がない。少数しか救われない意味で俗称小乗仏教と呼ばれたが、世界仏教会議で使用禁止になった。・内と外からの評価が相当違うのが日本仏教だろう。日本に伝承した仏教とは、すっかり中国化した仏教だった。それは寺院や僧侶の僧衣や祭具の装飾からも明らかで、寺も中国から来たもので、これは役所を意味した。僧は官吏であった。ブッダも外国の効験あらたかな神であろうという漠然としたもので、その内容は日本のカミと同じようなものだろうと考えられた。したがって神道に巫女がいるように、最初は僧侶には三人の女性があてがわれていたという。 ・へ2・・・日本人らしい早とちりで軽薄さだろうか。悟りや涅槃は無視されて、経典は正しく翻訳されることはなく一種の祈祷呪文と解釈されていた。貴族や朝廷などの加持祈祷するものとして仏教が受容されたのだ。やがて平安時代になると、日本のカミと仏が重なって考えられた。「平家物語」の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・猛き者もついには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」こそ、仏教に対する日本人の大きな誤解をまねいた。鎌倉時代になり、ようやく道元「正法眼蔵」で悟りと涅槃が説かれている。国家統制のための戸籍管理の道具、キリスト教の蔓延を阻止するための道具でしかない。つまり、仏教思想は明治時代まで宗教として自立していないということだろう。日本化された仏教は習俗でしかなく、仏教本来の苦しみからの離脱でも、そこからの脱却を願う積極的な姿勢でもなく、日本仏教は自己救済という宗教の力を持ち得ないというべきだろう。世界宗教と競り合うほどの宗教らしい芯をもっていないというべきだろう。
2023.06.14
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果報パンタ。他人には言えない悩みもあるが、それは誰にいっても仕方がないつまらないことだ。突き詰めればどんなことも個人的な問題でしかない。世の中のことを私が決めているのではない普遍的にあろうとしてもできることではない。今朝は晴れて小鳥のさえずる声がしきりするが、一年で一番日の出の早い時間を知っているようだ。もうすでに日の出の時間は過ぎている。 ・朝焼けの好いショットの場所も少ないが、もたもたしている間に時間は過ぎたようだ。午後から金曜講座の2回目がある。カフェであるのはしっていたが、以前は学外であっていたが、今回は学内にできた新装オープンしたばかりの洒落たカフェであり、20人の定員を10人オーバーして開催されている人気の講座だ。 ・へ2・・・場所も近いので前回は徒歩で出かけたが、日中も暑くなったので、自転車にしようとかと思っている。これから、楽しいことも悲しいことも色々あるが、そうやり直しのきかないことが増えても来る。何時か遣り損なうに違いない。こころ失念せず、こころ顚倒せず、心身にもろもろの苦痛なく、禅定にいるがごとくとはいけそうにない。読経でもしながらウオーキングをしてきます。日々怠ることなかれ。
2023.06.14
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果報パンタ。自分を尊大にするか相手を卑下しようとするのは常套手段だが、これでは争いごとの種にもなる。優位に立とうとするあまり、結局躓きもする。急がば回れは、古人の教えで昔からある。安倍氏の3本の矢もだれかの入知恵だろう。小手先で構造改革ができるはずはない。日本の官僚たちが甘い汁を吸い続けているのは、日本の政治家たちが無能だからだ。 ・権力を持つべきでない人たちが、権力の座に座り続けている。威張るのは自分たちが弱いからに過ぎない。自信がないから威張るのだ。弱みを見せまいとする。公開するより非公開の方がト号が好いからだが、それが結局ダメージになっていく。腐敗が骨まで達していく。資本主義から社会主義になり、元に戻ることはないと教わったが違うだろうか。 ・へ2・・・物理の法則が、人間社会ではモザイクになる。自分の小さい体験で世の中をコントロールすることはできない。ひとが他人より優位に立つことはないのであり、あるとすれば幻想でしかない。
2023.06.14
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果報パンタ。日の出は、日本の各地で一番日の出の早い時間なのだろう。北海道の最東部とは1時間くらいの時間の差がある。関東に住んでいて、やはり一番の違いを感じたのは日照時間だった気がする。太陽とともに毎日を過ごしてきた。 ・自分を天才というヒトの談話を聴いていたが、そう威張ることでもない。どんなに天才でも、二人分の人生ではないからだ。凡人は、天才を尊敬することはあっても軽蔑することはない。身分社会を造り出してきた貴族趣味でしかない愚かな天才が多い。密教も畏敬されようとして密教になったのだろう。人を脅す道具を使うのは未だにある。 ・へ2・・・あいつは馬鹿だというのは、自分を相手より優越した立場に立と有するからであり、喧嘩を売るものでしかない。世界のことを知らなかった明治までの日本人たちは、こよみさえ世界と同調できなかった。法を守るという法の支配が、仏教でいう法なのではない。法の概念がまだまだ混乱している。法は、国家を縛るのであり、国民の権利を縛るのではない。 世界のどこへ行っても太陽はついて来る。人は小さいスケールでしかない。
2023.06.14
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果報パンタ。人の運命もそのひとの閃きの果てにあるのかもしれない。目覚めた時が起きた時だ。今日何があろうと、それは誰にもわからない。あるのは自分に対する感情であり、行動でしかない。止めるか続けるか決める歯止めは自分の意志だろう。人は無駄なことをしたがる。他人を理解することなどできはしない。何故なら自分自身でさえ、理解できないからだ。人と社会とすれ違いの中で生きてもいる。自分の中の生体リズムは、この環境に適応しようとしてストレスを起こしている。 ・他人が信用ならないのではなく、自分さえ信用ならないのだ。馬に乗った騎士が人間の姿でもある。1400gの腸の気妙な容貌の末裔が、胡桃の中の宇宙を操作している。皮膚に包まれた泡の中で何が起きているのだろうか。美しいと思う幻想は、仕組まれた脳の演出でしかない。いつか朽ちてしまう枯葉のように炭素化するだろう。残り湯とシャワーを浴びて今日が始まる。得体の知れない暗闇が待ち構えている一日の。そして一瞬の・・・。 ・へ2・・・突然より大きな存在に踏み潰された昆虫のように生命は終わりを告げるだろう。人間が昆虫を観察するように、人間もより膨大な誰かに観察されているのではないだろうか。そして、突然消される。小さい存在は、ただ消される運命でしかない。潰される。それだけだ。大きな理由を探しても、所詮は理解できはしない。より大きな世界の存在を視ることはないからだ。
2023.06.14
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果報パンタ。兵役があれば、それは国民の義務になる。愛国心が同のではない。戦争になれば、敵を殺すか殺されるかにもなあるだろう。ロシアやウクライナの兵士たちは、それで戦場で殺し合いをしている。善良な人々を、なぜそういう立場に立たせるのだろうか。それは政府の責任でもある。どんな政府であるか、それが問題だ。国民の命を虫けらと思ている人たちが政治をしているのだ。そういうことが、21世紀の現代でも起こっている。無理を通そうとする人間たちがいるのだ。平和がいかに大事であるか、民主主義の意味が問われている。頑張り過ぎず、暫く頑張るまいと。疲れたわけではないが、プレスをかけ過ぎるとストレスになり、却って逆効果になる。根を詰め過ぎると目が霞んでしまう。いい加減な人間が、それほど上手く遣れるはずがない。どこか無理をしている。無理を承知で遣れる時間は短い。鳥渡テストで良かったから、いつも優秀なのはそうはいない。 ・欲を出すのは悪くないが、過ぎると傍迷惑にもなる。他人の世界を侵さないことだろう。人は急ぎ過ぎて遣り損ないがちだ。判っているようで解っていないのは、自分の勝手な思い込みでしかない。努力をすれば何でもできるだろう。然し時を俟たねばならない。それを知るのは年の功でもある。 ・へ2・・・今年になって、これまでの文学講座や一年間ある講座が無くなったりして、女子大との縁が薄くなりかけている。教授や職員の退職など、組織の改編があり、鳥渡、
2023.06.14
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果報パンタ。沖縄本島は、3回目で、直近は、10年前だから、相当同じ場所でも違っている。この果報パンでは、最初だったこともあるが、その壮大さに感激した。まだ見ていないこんな場所もあるのだと。10年前ももちろんこのブログもやっていたので、当時の写真もいろいろあるが、確かに、ここはどことも違う。そのスケールが違うからだろう。 ・それほどチャンスがあるのではないから、いける時にしか行けない。時間もあまり余生があるまい。だから今しかないのだろう。ツアーは楽しむべきもので、生き甲斐というのではない。見なければならないというものはないのだ。見ていいなと思えばいい。日本では、生きがいとよく言うが、外国にはない概念でもあるらしい。日本語らしいのだ。 ・へ2・・・ブログもいつまでやれるかわからないが、日記だから、気が向けば書くだろう。おそらく友人知人たちも、私と同じで高齢で加齢に苦しんでいるに相違ない。だから敢えて話しかけないでいる。昔の思い出の中で、語り合えばいいだけだ。宇宙の終わりもあるだろう。ヒトの運命も一瞬でしかないのであり、類的存在として自分もいる。 ・
2023.06.14
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果報パンタ。「幸せ岬」沖縄本島屈指の絶景穴場スポット。・「李陵」は、三者三様をまとめている。・中島の視点が他とは違う。・司馬遷ではなく、李陵をメインにしている事。・核。天道是か非か。だから司馬遷を書く。報われない李陵を書いている。・好みが他の作家とちがう。視点が違う。・森鴎外「意地」。乃木希典を書いている。・「こころ」は、乃木は、何で死んだか解らない。・しず。乃木の奥さんの名前。・新聞を信じていない。リアルな取り上げ方。・軍人は肝心なことを口にしない。・西郷も違う。乃木は似ている。・他人に死なれて平気ではない。西郷と月照。当時は知られていた。・乃木と203高地。先生が殺したK。・小説をリアルに読む必要がある。「こころ」も違ってくる。・当り前のこと。皆が感じていて口に出さないこと。・中島は、何故鴎外を研究したのか。歴史小説。・漢文の素養が、鴎外、漱石の時代と、谷崎、芥川では差がある。中島は漢文の素養がある。・中島には、鴎外が意識されたのではないか。・運命と意地の張り合い。意地を繰り返す。・司馬遷「天道是か非か」。腐刑。・創・・・作ではない。作為。創造。・のべてつくらず。創造。・「史記」人物が浮き上がるように書く。人物がリアルに描かれること。歴史家の書き方ではない。中島が司馬遷をそのように考えている。・人間が精彩あるように書く。歴史家とは違う。・大江健三郎。創造を生み出す力。クリエーション。(述べて作らず)・作為ではない。・述べる。一人ひとりの人間。個性と個性がぶつかり合う。・実践。小説を書く小説家。アンドレジイド。太宰。昭和初期に流行った。・最晩年の作品でもある。・腐刑に遭った後に同じように書けるか?当り前ではない。人間ではなくなったあと。・李徴と李陵。・「山月記」李徴と「李陵」司馬遷。レトリックが繋がっている。・宿命的因縁。・詩をつくることを止められない李徴。史を書くことを止められない司馬遷。・三人の宿命。捕虜になる。内向する人物。題材にし難い。・中島の好み。李陵。それが特徴。・子路と通して孔子を書いている。・中心にすべきものを外している。ものの見方。・述志の文学。こころざしがなへんにあるか。・李陵は、捕虜になった。構図的。この世にかけた活き方。生の違い。こころざしを描く。・作家好みの李陵。・蘇武。
2023.06.13
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世に一等の流(やから)有り 悠悠として木頭に似たり 語を出すも知解(ちげ)無く 云うらくは我れ百(なべ)て憂えずと 道を問えば道を解せず 仏を問えば仏も求めず 子細に推尋すれば 悠然として一場の愁 (「寒山詩」より)つまり、「心源湛寂」の処を悟りの境と思って、それを信受し、死守し、悠悠と生きているのは、亡者だということだ。所謂「見性」を持たないものを云う。道を問えば、道のことは知らないというし、仏を問えば、仏を求めずという類だろう。古典が、段々遠のくようでは文化の衰退だ。より深く学ぶことは、より理解することではないか。聖書でも、仏教でも何でも関心をもって研究すべきだろう,と思う。表面的なことで済ましてしまうから、いつまでもショートしてしまう。どれも全部が正しいのではない。正しいものを集めればいいのではないか。異教徒として知ろうとしないのは、限界でしかない。堂々と議論すればいいのだ。論理を尽すべきだ。少し、フットワークが悪くなっている。ああだこうだではなく、気楽にぶらりと出かけるくらいが好い。そうすれば、思いがけないものがあったりする。
2023.06.13
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沖縄。気配が感じられる。夜明け前か。寝る前考えていたのは、極意というには痴がましいが、鳥渡そんな気がした。つまり正気を喪い掛けた時が突然変異もするというようなことではないか、否そこまではいかないまでも集中力の一端も出るかもしれない。くたくたになるまで遣ったあとの刹那にくるハイではないか。それと気配は違う。これは予感に近い。 ・人の役割は一人ひとり違う。朝の鐘を鳴らす人もいる。最期の別れに立ち会って呉れる人もいる。人と人はことばを遣い理解が簡単なようでそうでもない。自分自身の真意さえ気づかない人さえいる。縁取りされた世界を自分のものと信じている。蛇のように旧い皮を脱皮できないのだ。 ・へ2・・・遣り過ぎまいとして、いつも門前で引き返してしまうのだろう。臆病な自分との闘いは、死ぬまで続きそうだ。嘲笑されまいとすればするほど嘲笑される。日本政府のように。焦れば焦るほどそうなる。自分の暮らしも同じだ。何か為そうとするものが大き過ぎる。小さい存在であることを忘却している。日々は苦界になる。何もせず生きる道を選択すべきかもしれない。
2023.06.13
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ぬちまーす製塩工場見物。何もしないのに、厭世的になるのは卑怯だ。確かに人間社会は歪んでいるが、それはそうなるだけの理由があるし、それだけ人間の野望が大きいからでもある。だれでも厭世的になるのに苦労は要らないが、厭世的にならないようにするためにはそれだけの努力が必要だと思う。そしてそれはその人次第でスケールも違うに違いない。然し、簡単にできる人は簡単にできなくもなるのだと思う。・人は何か欠点があるものだ。それは一人ひとり、育った環境も、人間の能力も違うからだし、日々変化している社会環境によるものもある。何の不中もなく暮らしていた人が、色んな重大な不幸に遇うこともある。配偶者が死んで、違う暮らしにもなるだろう。そういう大変化で、厭世的になる人は多いようだ。人の人生の夫々のステージには、いつも愉しいことだけがあるわけではない。・へ2・・・恵まれて暮らしてきたほど、そのひとの大手術があれば、そのあとの予後は善くないようだ。どうやら、ひとはみな公平にできているようだ。「蟻とキリギリス」の物語は、誰の上にも訪れるらしい。私などは若いころ苦労していないので、いまごろ苦労をしなければならない運命のようだ。それだけ、厭世的にならないようにしようと思う。
2023.06.13
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21世紀になれば、科学文明が花開いて、世界は一つになり理想的な世界になるだろうと期待していたが、そうはならなかった。東西冷戦があり、ソ連は崩壊したが、独り勝ちと思われたアメリカが経済的格差と差別社を解決できない二大政党のエゴイストたちによって普遍的理性を喪失させている。もはや世界のリーダーとしての信頼性はない。トランプ氏の存在さえ処理できていない。 ・民主主義とは、何だろうか。その本質さえ理解されていない。権力にぶら下がっていては、進歩など期待することはできないのだ。独裁者たちのパワーに呑み込まれているのではないだろうか。法の支配とは、普遍的で公正な法の存在によって成立するのであり、悪法であってはならない。それを見極めるだけの識見がなければならない。広い識見と深い洞察力によって得られるものだ。 ・へ2・・・権力は腐敗するといわれるが、まさに世界中で起きている。正しい判断がされないままロシアのウクライナ侵略さえ起きている。しかも1年半も過ぎても解決していない。弱肉強食でしかない。正義は勝たなければならない。そうでなければ、悲惨な戦争は終わらないからだ。
2023.06.13
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タージマハール。それは、私だけではない。生命のあるものすべてに寿命がある。不死でありたいと思わないでもないが、それは不可能でしかないのだろう。それこそ贅沢な暮らしをしている人たちは、あの世の天国を求めはしないのだろう。或いは偽装の信者たちなのだろうか。自分たちの国が世界一だというのだろう。それにふさわしいことをしただろうか。 ・謂わば、死に至る病を抱えている。重篤か、まだそうではないか。まだ遠い人もいる。のんびり生きていられる人は幸運でしかない。これまで父母が死んでいったが、今度は、私の順序だろう。平均年齢までそれほど年月があるのではなるまい。リスクの高い持病もある。遺伝もある。 ・へ2・・・だんだんと夜眠れなくなっている。どうやら自分のゴールも近いのではないだろうか。欲張りだけでは生きてはいられない。最近の日本を見ていると、誠実な人たちが少なくなっているように見えてならない。公務員がはたして公僕と言えるだろうか。権力者の走狗になってはいないだろうか。飴とサーカスでローマ帝国は滅んだ。歴史を学ばないものは何度も過ちを繰り返すしかない。
2023.06.13
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沖縄県うるま市。混在した社会の特徴は、人の軽さと重さが複雑化する。高度化した社会では、その社会に適応できるための教育は不可欠でもある。経済が優先して、庶民は置いて行かれがちになる。必要な人間だけが優遇され、一般の大衆は差別されてしまう。それが愚かな大衆かどうかはわからない。先鋭化して行く国際社会では、情報の遅延が致命傷にもなるからだ。学者は、時に高慢であり、気紛れであり、無恥でもある。優しさは一時のことでしかない。 ・知識を共有化できない社会は衰退する。先生がいつまでも学生を見下している間は、相互理解に進歩は望めないだろう。生徒が理解するように努力しない教師は先生ではない。何が足りないかを指摘できないようでは視えていないのと同じだろう。先日、高速道を行くバスに乗った時、長い高い壁の横を通ったが、高いビルの上部だけしか見えなかった。それを観ながら、自分も段々歳をとり高い長い壁が周囲を取り囲こまれるようになっているのではないかと云う思いに捉われた。 ・へ2・・・正しく物事を把握できるためには、多くの要件がいる。原因が自分にあるものと自分以外にあるものがある。他人がいつも優しく親切な人ばかりではない。差別することが当然だという高慢な人間もいるし、無恥なひともいるだろう。大学が市民から尊敬され支持されなければその国家の将来はない。開かれた大学が必要なのは国際社会がそれを必要としているからに外ならない。その努力をしない大学は消されるだろう。志の高い人間を育てる社会こそこれから望まれると思う。桶狭間の戦いではないが、北朝鮮から奇襲でもされたら、日本はひとたまりもあるまい。口ばかりでは国は守れない。植民地政策というのがあるが、大きな注射で、植民地のひとびとの血液を吸い上げていたらしい。そういえば、罪人たちの食事の塩分を与えないで今季をそぐというのがあったらしい。やりかたはさまざまだが、抵抗をさせないためにあらゆることがされていた。兵糧攻めで締め上げるという手もある。ロシアにはどうせ勝てないとおもわせるためのプロパガンダがされている。汚い手を使う。総力戦なのだ。然し歴史は思いがけないことが起きるものだ。そうして進化もしてきた。保守は、革新に敗れる時が来る。
2023.06.13
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相手を視てしまう傾向は誰にでもある。だから油断もする。油断をしてはならないのに油断してしまう。人は愚かである。自分を貶めもするからだ。それは多くは、油断から来る。他人を軽蔑ばかりしていると、自分も何れは軽蔑される時が来る。韓国語が解かれば、今度のツアーももっと価値のあるものになっただろうし、意味もあったのかもしれない。日韓関係はお互いに言葉が通じないというハンディを背負って交流している。両方が解かる人がより深く理解もする。解かっているが何も言わないだけかもしれない。 ・ことばの真ん中は沈黙している。喋らない文化が日韓にはある。解かっているようで解かっていないし、解からないことが解かってもいる。妙な捩じれた関係があるのではないか。解かるべき人が解からないも知れないのだ。中国に対する日韓の違いがその象徴的な意味でもある。何れにしても、いまがどうではない。これからが問題だ。どちらが前向きに生きているのだろうか? ・へ2・・・面子だけではない。実力を付けなければならない。欧米に対する態度もある。気持ちが負けていては勝つ見込みがない。卑下しては勝つかの性がない。どれだけ自己の欠点を克服できるかだ。浮かれているものを払いのけて何が残るだろうか?それが問題だ
2023.06.12
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ルーブル美術館。・コーランの詩文は(伝統的な韻律詩文は複雑だったが)単純な韻律の散文詩で、誰でも唱えやすく、そのコーランの音楽性にも魅了されるといわれる。しかしそれよりも重要なのは、ムハンマドが無学文盲にもかかわらず、これほど美しい詩文をつくりだせるはずがなく、にもかかわらず、だからこそ、確かに神からの言葉なのだ、とアラブ人たちは信じたことだ。 ・メディナに住んでいた人々は農業で生計を立てていたが、ムハンマドが連れてきたイスラム教徒は農業になじみのない人々であった。そこで彼らは飢えないために、メッカからくる隊商を襲って金品を強奪した。事実上の強盗であるが、何かを生産するという観念がまったくないため、金品や女子を強奪することは正当な経済的行為として認められており、彼らの冒険であり、娯楽でさえあったという。彼らはこういう戦いを「ジハード」と呼んでいた。 多神教徒をみつけしだい殺し、またはこれを捕虜にし、拘禁し、あらゆる計略でこれをまちぶせよ。(第9 悔悟章5) そのとき、なんじらは、彼らの首をはね、また彼らのそれぞれの指先を打ち切れ。・・・信仰するものよ、なんじたが不信者の進撃に遭うときは、決して彼らに背を向けてはならぬ。(第8 戦利品章12~) ・イスラム教では来世は現世のつづきであり、そしてアッラーのために死ぬならば楽園行きが保証される。ジハードに参加することは宗教的美徳の証とされたのだ。どうやら日本人の常識をはるかに超えている世界がある。
2023.06.12
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ユダヤ系アメリカ人シンシア・オジック(1928~)「ショールの女」(1989)の紹介が女子大の講座であったことがある。「ユダヤ人」とは誰か」というテーマだった。ローザというユダヤ人の少女が、幸せなワルシャワでの少女時代からユダヤ人絶滅政策によって強制収容所で最悪のスラム地区ゲットーで(すし詰め状態の50万人と同じように)不潔、飢餓、チフスの中で暮らす。しかも孤立する。(外界から完全に隔離されていた。) ・凍える寒さ・・地獄のような寒さ。 ショールの中で乳児マグダが死んでいる。 ・空腹・・・・・ジャガイモ1個のためなら魂を売ってもよい、というものが空腹である。 ・ローザは生き残り、ホロコースト難民としてアメリカへ。彼女は58歳、トラウマ、自己嫌悪、他者不信に悩み、偏屈で、気難しい女性になり、今はマイアミの安ホテルに滞在している。35年後もホロコーストは終わっていない。 過去>現在 過去のトラウマにとらわれたままである。 ・メンターとなる人はいた。71歳ユダヤ人。ローザのメンターになる。 メンターとなるひとの叡知 ・「お茶を飲み、おしゃべりしよう」 ・「私は申請用紙かね。よかろう。お前さんが申請し、私が受理しよう」 ・「どんなことにもいい面と悪い面がある」 現実的でなければ生きていけない。 ・ユダヤ性の回復。ウィットがなければならない。感謝のこころ。ローザはポーランド人・ユダヤ人、そしてアメリカ人という重層している。そこにアイデンティティの確立ができるかであろう。そして「アウシュヴィッツは終わらない」。
2023.06.12
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桂林。自分で物事を判断するというスキルが欠如していると言われる。今日の教育は、課題を与えられ、それを決まったルールに従えば解決することのできた時代の手法でしかない。何が、問題の核心であり、それにどう取り組まねばならないか、その「問題の所在」を、つねに把握しながら考えて行かなければならない。刻々と状況は変化していく。かっての日中や。日米関係ではない。既成概念では通用しない。かって優秀だった人もいまはそうではない。 ・目先の幻影に惑わされない目を持たねばこれから役に立たない。悪を為す人たちはその目標を見失った人でもあるだろう。物事を真剣に考えている時にそんな自身の利益のことを考える余裕はないはずだからだ。人は悩み多き存在でもある。迷いながら生きてもいるだろう。迷わない人間がいるとしたら、それは人間ではない。この多細胞には選択しかないからである。未だ、完璧に生きた人間など存在しないのだ。寧ろどこまで自分の弱点をカバーできるかでしかない。愚か者の軽薄さが時に利巧者の全存在に勝つこともあるだろう。それが人間でもあるのではないだろうか。 ・へ2・・・人間は変わるものである。自分の脳をどこに連れて行くかで決まると言えるかもしれない。それが、個としての私たちの役務でもあるだろう。自分が何をするのか、それは置かれた状況次第でもある。それに耐えられるかどうかだろう。日頃何をしているかでもある。何かを求めねば、何も得られない。そこになにがあるか、一歩を踏み出さねば何も知ることはできないのだろう。わたしは、いま、つかれたるもののごとく、歩いている。
2023.06.12
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浜北嘉島。個人的に人生の成功者だとしても、国家が敗戦すれば、無残な目にも合うだろう。熊本は、大災害の少ないところだと思っていたが、大地震があり、大きな水害もあった。のんびり平穏に暮らしていたひとでさえ突然のアクシデントもある。日本沈没もあるかもしれない。もちろん核戦争も。地球の誕生があれば、終わりも必ずある。太陽に飲み込まれる時も来るだろう。秋葉原の通り魔事件は携帯に異常な書き込みがあったと報道されている。自分の行動を克明に書き込んでいたようだ。それを誰も見ていなかったのだろうか?雑踏の中の孤独というか。それもまた、3,000回という記事が、どこか虚しいものに思える。疎外されている人間の悲哀でしかないだろうか。被疑者は中学まで優秀だったのだそうだ。進学校に進み挫折した。もっと世の中には学力のあるひとはいる。小さなエリアでしかなかった中学で優秀でも、より広いエリアから集まる競争社会で敗れる人は当然大半はいる。その一人に過ぎないが、中にはストイックに折れてしまう人もいる。 ・そこから、這い上がってきたし、そこからがその人間の真価が問われもする。何故それが理解できなかったのだろうか。有触れた一例に過ぎないことを学ぶチャンスはなかったのだろうか。これも、使い捨て時代の事例でしかないのだろうか。どうもおかしいと、周囲を冷静に見回してみるスキルがなかっただろうか。種子には、生きていくだけの環境がなければならない。それを準備できなければ芽を出すことはできない。それだけの土壌がなければならない。水と養分と太陽の光が必要である。人間も生物であり、自然の摂理に従っている。然も自分で考えるという頭脳があるのだ。 ・へ2・・・成長には障害がつきものである。そしてそれは大抵は乗り越えることができる。乗り越えるだけの遺伝子が用意されてもいるからだ。子供時代は親や周囲の人たちから愛情を一身に受けて成長していく。言葉を覚えていく。自分が周囲から守られているという自信が、心に平安をあたえもする。然し、現代社会でさえ人の心の深奥を覗くことはできないでいる。個体が、何を考えているかをチェックすることはできない。それは行動で垣間見られることでしかない。この社会はどういう人間をつくりだそうとしているだろうか。問いなおしてみなければならないのではないだろうか。どうも、行き場をなくしたネズミの暴走を想起させずにはおれない。
2023.06.12
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浜北嘉島。個人的に人生の成功者だとしても、国家g敗戦すれば、無残な目にも合うだろう。熊本は、大災害の少ないところだと思っていたが、大地震があり、大きな水害もあった。のんびり平穏に暮らしていたひとでさえ突然のアクシデントもある。日本沈没もあるかもしれない。もちろん核戦争も。地球の誕生があれば、終わりも必ずある。太陽に飲み込まれる時も来るだろう。秋葉原の通り魔事件は携帯に異常な書き込みがあったと報道されている。自分の行動を克明に書き込んでいたようだ。それを誰も見ていなかったのだろうか?雑踏の中の孤独というか。それもまた、3,000回という記事が、どこか虚しいものに思える。疎外されている人間の悲哀でしかないだろうか。被疑者は中学まで優秀だったのだそうだ。進学校に進み挫折した。もっと世の中には学力のあるひとはいる。小さなエリアでしかなかった中学で優秀でも、より広いエリアから集まる競争社会で敗れる人は当然大半はいる。その一人に過ぎないが、中にはストイックに折れてしまう人もいる。 ・そこから、這い上がってきたし、そこからがその人間の真価が問われもする。何故それが理解できなかったのだろうか。有触れた一例に過ぎないことを学ぶチャンスはなかったのだろうか。これも、使い捨て時代の事例でしかないのだろうか。どうもおかしいと、周囲を冷静に見回してみるスキルがなかっただろうか。種子には、生きていくだけの環境がなければならない。それを準備できなければ芽を出すことはできない。それだけの土壌がなければならない。水と養分と太陽の光が必要である。人間も生物であり、自然の摂理に従っている。然も自分で考えるという頭脳があるのだ。 ・へ2・・・成長には障害がつきものである。そしてそれは大抵は乗り越えることができる。乗り越えるだけの遺伝子が用意されてもいるからだ。子供時代は親や周囲の人たちから愛情を一身に受けて成長していく。言葉を覚えていく。自分が周囲から守られているという自信が、心に平安をあたえもする。然し、現代社会でさえ人の心の深奥を覗くことはできないでいる。個体が、何を考えているかをチェックすることはできない。それは行動で垣間見られることでしかない。この社会はどういう人間をつくりだそうとしているだろうか。問いなおしてみなければならないのではないだろうか。どうも、行き場をなくしたネズミの暴走を想起させずにはおれない。
2023.06.12
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モンサンミッシェル島内。誰でも平和主義者といっている。少なくとも誰も表立って平和主義を否定していないだろう。テロを定義するコンセプトは難しい。然し平和主義を根幹に持たないのではないだろう。にも拘らず、暴力を優先する考えには多くの人は与しない。個人的は平和主義でありながら国事行為においてそうではない国家がある。表と裏を使い分けるという狡猾な国家もある。それが国益だと信じてもいる。宗教が利用されてもいるだろう。飽くまでも平和は、儚い願望でしかなく、この世界は弱肉強食でしかなく、平和主義は勝利することができないのだろうか。 ・暴力が止まらないのは。世界中で「無知と貧困」が続く限り解決できないだろうか。理不尽に殺戮が繰り返される。競争社会に絶望した若者が<切れた>といっては無益な殺人をする。ひとびとは震え上がるだけでなにもできないのだろうか。ひとを容易に殺傷して顧みない人間がどこにもいるのだろうか。人間性を失ったグループが暗闇から善良な人々を襲うのだろうか。それを知りながら黙認しているのではないだろうか。或いはそれさえできない警察機関だろうか。何れにしても、まともではない。暴力はひとつの支配の有効な手段だからだろうか。 ・へ2・・・国家と個人、国家と暴力という図式を考えるとき、暴力が誰に向けられるかということでもある。暴力の横行する社会にするかどうかは、私たちの平和への決意によるのではないだろうか。理不尽を許さない社会にするためにすべきことは色々あるだろう。それは容易できることではないが、非暴力の精神は間違ってはいない。「暴力の否定」こそ現代社会の根底になければならない。
2023.06.12
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ロシアもウクライナも勝利にこだわっているが、その意味はかなり違うだろう。ロシアは、野心の実現であるが、ウクライナは、恐怖からの解放でもあるからだ。ロシアには、メンツなどという権利はない。犯罪行為をすれば、法の支配によって裁かれるべきだ。特権などありはしない。国家は、悪をなさないのではなく、悪をしてはならないのだ。人道に反する行為は、たとえ誰だろうと許されない。勝とうとするから負けがあるのだろう。本当の加齢の怖さを知っているのは誰だろうか。知識で知っているのは専門家たちだろう。その人たちは多くを語ろうとはしない。最早あるところまで知っているに違いない。少なくとも優れた科学者であれば分かるはずだろう。ど素人の私にだって、自分の中のある程度のことが分かるのだから、・・・。でも、あるリミッツがある。相手が悪過ぎるだろう。膨大すぎるだろうか?それを悪魔にしてしまうのは軽薄だろう。それほど間抜けでもない。 ・逃げつづけることは、長寿のコツなのだろうか。確かに、闘って得られるものでもない。勝つはずのない加齢であり、老化でもある。すべてに限界があり、そして死もある。死を生の両極にする考えではない。然し、生が終わる瞬間に恐怖は感じている。或る種のリセットがあるからだろうか。それは、その時のことでしかない。自分の老化のことを利口なひとは口にしないものだ。それが、何になると思っている。それは、自分が周囲から軽く見られるようになることを知っているからだろう。軽いくなった侮蔑される社会でもあるからだろう。いまや敬老の精神はどこにもない。畏敬の念がない。 ・へ2・・・社会に係わらなければ、その行為は無為であるのだろう。飽くまでも個体のことでしかない。花も色んな枯れ方がある。華やかであるほど最期は哀れである。だから、手助けをしてやらねばならないだろう。それが美への礼儀でもある。本当の美を知る者にはその優しさが必要なのだろう。優れた科学者であり優秀な医者は多くの死にゆく人々を知っているし、神でもなければ別だろうが、人の生命が限りのあることを証明できるだろう。花の中に人生を見る人は多く、そして哀れ
2023.06.12
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浜北嘉島。勿論一度しかない人生は、ゲームではない。併しそれを比喩的に表現していないとは言わないが、他人事のようにしてはいないか。入院したとき、医師たちから指示されたことをしないひとを多く見かけた。カロリー制限されているのに、隠れて食べていた人さえいた。折角病院食で高い入院費を支払っているし、それこそ入院さえできない人もいるのに、その大事な自分のメディカル・ステージを知るチャンスなのに、自分の欲望だけに安易に従っているのだろう。何のための治療か分からない。 ・医者も患者を甘やかせている。然し病気は甘くはない。医者がどんなに厳しくとも正しいことをアドバイスしてくれることが患者のためであろう。だから医者は尊敬される価値もあるのだ。ただ薬づけで救えるわけではない。患者たちは、自分の病気に正面から向き合うことができないのだろうか。そういうひともいるだろうが、知識が足りないひともいるに違いない。それは誰の責任だろうか。知ることができるのに知らないだけだろうか。またもや、社会の責任だろうか。どうも、責任の所在が不明確だ。そうして、人の命も軽く扱われてもいる。 ・へ2・・・この社会が、ゲーム的な仮想社会だからだろうか。仮想と現実の見分けのつかないひとが若者の特質ではなくなっているだろうか。いい大人がマンガを読んでいたりするし、一日テレビばかり見ているひともいる。何かしなければ人間はどんなに才能があっても凋んでしまうだろう。現実の社会が甘いのではない。甘やかせている政治があるからではないだろうか。犬をつけれて散歩をしている人を見かけるが、あれは犬のためにはなるが、人間には運動にはならない。真剣さがなければブレーキは効かない。病気と闘うにはゲームでは勝てないと思う。
2023.06.12
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リスク管理について、おざなりのことしか考えていない。はたして、それで大丈夫なのだろうか。殺されてもいい人はいないが、「二度と繰り返さないで・・・」という遺族の言葉がむなしく聞こえてならない。犯人は、気の狂った男だったのだろうか。こういう事件は。また真似をするひとがいるものだ。謂わば現象になる。既にその傾向はかなり前からはじまっていのではないだろうか。人間不信を増長させることばかり起きる。それだけではない。マス・メディアが煽動しさえする。 ・話題の無くなるのが怖いように見えさえする。何かニュースが流れ続けている。そしてすぐに忘却されていく。もう半年前のことを忘れてしまう。その期間が段々短くなっているだろう。もう1年周期さえ、うっとおしいとさえ思われ出している。 ・へ2・・・なぜ大国は、虚勢を張ろうとするのだろうか。何でも自分たちが有利である必要はないはずだ。謙虚であってこそ、むしろ尊敬されるのであり、、支配しようとばかりするのは、嫌われるのは当然だろう。世界の人々は、ロシアや、中国や、そしてアメリカも同じだが、理想社会だとはだれも思っていない。
2023.06.12
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