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「黄昏ぶらざ~ず1号」ことS田のおっちゃん。経済学部の博士課程。専門は計量経済学。博士課程といっても、もう12月に博士論文提出ということもあって、今年度からうちの学校で働きはじめている。役職は「Research Associate」。これは日本の大学で言えば何になるのだろう。。。日本でResearch Associateといえば「助手」なのだが、英国ではちょっと違う。研究室の雑用をやるのではなく、授業を受け持つのだから。「非常勤講師」よりは格が上か。常勤だから。でも「Lecturer」ではないので、常勤講師よりは下か。「非常勤講師」と「常勤講師」の中間くらいの位置づけか?まあ、そんな細かいことはどうでもいい。そのおっちゃんが芸術会館のカフェにやってきた。手になんか小さな小冊子を持って。なんすか、それ?「あ、ああ。これな。なんかな、図書館の下のカフェ(どういうわけか名前を「万華鏡」という)に置いてあったんや。読んでみるとな、『修士課程の留学生向け英語コース』いうのがあるらしいな。こんなんあるんや。知らんかったわ~。」インセッショナル・イングリッシュ・コースってやつですね。でも、これ最初は留学生でごった返すんですけど、そのうち、修士の勉強のほうが忙しくなって、次第に人が集まらなくなって、年明けには自然消滅するってやつですよ。「しかしな、そん中でこの『発音』の授業ちゅうのはどうなんかな。わし、英語のアクセントどうしても『関西弁』抜けへんねん。『This is なになに、やでえ~~~』ちゅう感じやろ?わし、学部生の講義やるやろ。学部生はイギリス人ばっかやし、やっぱちびっと恥ずかしとか思うて。。。。」講義は内容勝負ですから、大丈夫ですよ。それにS田さんの講義は数式ばっかりで難解なんだし。。。「いや、どうなんかな。1回この『発音』の授業顔出してみいへんか?あんたもいっしょにやらへん?」い、いや、いいですよ。S田さん、これあくまで「留学生」のための授業ですよ。S田さん、「先生」ですからね。「先生」が授業出とったら、それこそ恥ずかしいかも。。。。「う~~~~~ん。それもそやなあ。。。やっぱ、やめとこか」それにしても、おっちゃん。偶然「万華鏡」でパンフレットを拾った割には熱心な勧誘。どうも、ほんとはわざわざ語学学部の事務所に行って話を聞いてパンフレットをもらったらしい。。。。本気で修士の学生に混じって『発音』授業に出席するつもりだったのか。しかも、一人では恥ずかしいのでわたしを巻き込んで。。。。しかし、このS田のおっちゃん。アメリカのトップクラスのMBAを持ち、うちの学校の経済学修士を総代で修了。一流学術誌に論文がすでに載り、共著の本がCambridge University Pressから出版される予定。ちなみにおっちゃんの研究分野は、日本ではやっている人が5人もいない。わたしみたいな、なんちゃってPhDではなく、ほんとは筋金入りなのだ。でも、このおっちゃんのちょっとおちゃめな不安、わたしはとてもいいと思う。確か、米国留学経験がある親友「かわぽこ」に聞いた話だと思うが、米国の大学では、よく日本の「国際派」という方々の講演があるのだという。日本では「世界中を飛び回っていて、語学完璧」と自らを宣伝されている方々が多いらしいが、大体、講演を聞くと、すさまじい「カタカナ英語」でやたらでかい声で、「ユーノー」を連発するので、講演の内容がよくわからず、その上意味不明なジョークをやたら連発して、誰にも受けず、一人で「ガハハハ」と笑っているものらしい。。。日本で「国際派」とでかい顔をしていても、実際はそんなもんだ。それに比べれば、筋金入りの実力者であるS田のおっちゃんの謙虚さはとても好感が持てるものである。
2003年10月31日
あの方がうちの学校に帰ってきたようだ。K美さん。ビジネス学部の学部生。3年生だ。帰ってきたというのは、昨年度1年間、アメリカの大学へ交換留学で行ってたからだ。別に学部生というだけなら、これまでもこのHPに何人も登場したし、珍しくもなんともない。しかし、このK美さん。なんとわたしと同じ歳なのだ。K美さんは、短大を卒業後、大手電機メーカーに勤務。31歳のときに退社。英国の大学にファウンデーション(学部の入学準備コース)から入り直した。わたしと同じ年齢で、わたしと同じ時期に英国留学を始めたのだが、わたしが修士課程に直接入学したのに、なぜ彼女はファウンデーションから始めなければならなかったか?それは彼女が短大卒だったからだ。英国では短大卒は大学卒と認められない。大学院には入れないのだ。更に、学部への直接入学は留学生の場合、認められない。だから彼女はファウンデーションに入ったのだ。うちの学校のファウンデーションは、おらが街からバスで1時間くらい田舎にある。そこでK美さんは1年間、ほとんど外出せずに勉強三昧の日々を送った。寮生活である。周りは10代の若い子ばかり。しかも多国籍だ。文化も習慣もばらばら。32歳の女性が1人でその中に入るのは想像を絶する。。。しかし、1年間のファウンデーションをただ卒業すれば自動的にうちの学校に入学が認められるわけではない。うちの学校に入れる可能性は5%。K美さんは見事突破する。K美さんは33歳でうちの学校のビジネス学部に入学。わたしはここで初めて彼女に会った。彼女のがんばりというのは、わたしは見ていて自分が恥ずかしくなる。彼女は留学生活で起こる課題に全て正面からまともにぶつかるのだ。学部生が入る寮(当然周りはここでも10代ばかり。。。)に入り、キッチンで寮生と交流したり、パーティなどの行事にはほとんど参加して英語力の向上に努めた。英国人の彼氏までできた。(これは余計か。すみません。。。)授業は休むことはない。課題も手を抜くことはなく、期限どおりに全て提出。成績もいい。すでに書いたようにアメリカの大学との交換留学にも応募し、見事に合格。学部を卒業したら、そのままMBAに進みたいそうだ。その上彼女は、ロンドンやボストンで行われるジョブフェア(企業の合同説明会)にも積極的に参加、企業の面接を受けていた。まだ2年生なのに。。。これにはうちの学校の他の学部生(I恵ちゃん、S美ちゃんなど)もびっくりだった。それに比べるとわたしなどは、英語に不安があるにもかかわらず修士課程に直接入って、勉強を理由に寮生とはろくに交流せず、勉強もまともにぶつかるより、高得点が取れるように要領よくやったし、実力より、口で教授を言いくるめてPhD(博士課程)に進んだ。。。。K美さんのがんばりに比べると、ほんとわたしなどごまかしが多くて、恥ずかしくなる。しかしである。恥ずかしくはなるが、わたしは、このK美さんのがんばりを単純にすばらしいと言うつもりはない。「なにもそこまで。。。」と正直思うのだ。K美さんは、わたしと同じ35歳なのだ。彼女のすさまじい努力が、果たして報われるのだろうか、と思うのだ。どんなに大学でいい成績を収めようとも、MBAを取得するまでがんばろうとも、どんなに一生懸命就職活動をしようとも、やっぱりK美さんより、I恵ちゃんやS美ちゃんを企業は選ぶと思うのだ。キャリア?アップの方法として、どうしても学部から入り直さないといけなかったのだろうか。。。。わたしも留学生活を終えた後どうするのか、ということは以前相当に考えた。修士を修了した時点で、わたしは33歳。わたしは最初、この修士の1年で日本に帰国するつもりだったのだが、この歳ではいくら修士を持っていても一般企業などに就職はほぼ無理。最初留学を考えたときは、理想的なキャリア・アップができればいいな、と漠然と考えていた。しかし、次第に現実の厳しさが見えてきた。修士では留学で得られるものがほぼゼロだとわかってきた。成績をぎりぎりクリアしていて、いけるのであればPhDに上がって、いけるところまでいくしかない。わたしの年齢では、いけるとこまで行って学者になる以外にない、というのがわたしの最終的な結論だった。わたしは、ほんとは1年で帰りたかったのだ。MBAまでとって、バリキャリ・ウーマンとして活躍するというのはK美さんにとって理想なのかもしれないが、現実的に、どんなにがんばってもそこまでいけるのかどうか。学歴などなくてもキャリアを積み上げる方法はいくらでもある。留学という方法でなくてもよかったはずだ。K美さんには現実が見えているのか。見ないようにしているのか、見て、それでもあきらめずがんばっているのか。。。K美さんを見るたびに、ただ「がんばれ」というより、「うまくやってほしい」という気持ちになる。
2003年10月30日
いよいよ衆議院議員総選挙が公示されましたね。今日は、先日掲示板の書き込みを見て、ふと考えたことを書きたいと思います。自民党の73歳定年制による、中曽根元首相、宮沢元首相の議員引退問題。いったい誰が両長老に引導を渡したと思います?小泉首相に決まっているじゃないかと簡単に言うなかれ。最終的に引導を渡したのは、小泉首相でも、自民党執行部でもなく、「国民」なのです。両長老が最終的に議員引退を決断したのは、小選挙区で立候補しても、当選の見込みがないと判断したからです。当選の見込みがなかったのは、過去2回の総選挙において、比例代表で出馬していて、後援会が機能しないと判断したから?それは確かにそうでしょう。しかし、それ以上に重要だったのは、国民の間から「中曽根、宮沢の両長老は年齢に関係なく、政界に必要な人物だ」「両長老の過去の大変な実績に対して、小泉首相や自民党執行部は非礼じゃないか」という世論が形成されなかったことです。こういう世論が形成されれば、たとえ自民党の公認がなくても、後援会が機能してなくても両長老は選挙に出たはずです。例えば、かつて鈴木俊一元東京都知事は、高齢を理由に、都知事選の自民党公認を得られませんでした。これに対して、鈴木氏に同情の世論が集まり、鈴木氏は無所属で出馬、見事当選しました。こういう国民の支持を得られれば、党がどうあれ、後援会がどうあれ両長老は選挙に出たはずです。ところが、両長老に対しては、国民から議員として残ってほしいという声がほとんどなかった。。。。。よって小選挙区で出馬しても勝つ可能性がない。わたしは、これが最終的に両長老に引退を決断させた理由だと思います。もう一度言います。最終的に引導を渡したのは、小泉首相ではなく、自民党執行部でもなく「国民」だったのです。どんなに権力のある政治家でも、「国民」に選挙で信任されなければ、政治家ではいられません。「国民」一人一人の選挙での一票は、決して無力ではありません。ぜひ、総選挙に行きましょう。
2003年10月28日
最近、芸術会館のカフェに新しいアルバイトが入った。東洋系の女性だ。見た感じでは学部生だと思われる。ある日、レジに並んでいると、レジ打ちをしている彼女の名札が目に入った。「NAOMI」ナオミ。。。。えっ?日本人なんだ。中国系かと思っていたのに。。。。とちょっと意外に思いながら彼女が皿のかたづけの仕事でテーブルに来たときに日本語で声をかけてみた。「日本人ですか?」彼女はきょとんとしている。日本人ではないのだ。彼女は中国メインランド(共産中国)出身だった。「NAOMI」というのは彼女のニックネームで、日本名の「なおみ」ではなく、ジューイッシュ・ネームの「NAOMI」だったのだ。中国系の学生、というのは皆このナオミさんのような西洋風のニックネームを使っている。それは、中国系の名前が、西洋人にとって極端に覚えにくいからだ。中国系の名前って、「ちゃ、ちゅ、ちゃ。。。」みたいな名前でしょ?(失礼!)これ、西洋人からしたら覚えるのはものすごく困難だ。それで中国系の学生は皆、西洋風のニックネームを自分で決めて、それを留学生活で使っているのだ。ところが、そのニックネームというのが、ものすごいのだ。「ジョン」「ジェームズ」みたいな、平凡な名前などつけていない。「バーナード」「ビアトレス」。。。などなど、よりもよってという感じのド派手なニックネームをみんなつけているのだ。わたしが会ったなかで最高(最悪?)だったのは「ビスマルク」。そもそも「ビスマルク」ってファミリーネームだろうが、と思うのだが、ドイツの鉄血宰相の名前をニックネームに選ぶとはなんとも度胸があることだ。。。このニックネーム選びに関しては、中国系の若者たちは、ただかわいいとかかっこいいという基準だけでほとんど深く考えてないようだ。「ナオミ」に関しても、元々は旧約聖書に出てくる女性の名前で、ジューイッシュ(ユダヤ人)ネームだから、いろいろ意味があって、いろいろややこしいこともあろうかと思うのだが、そんなことは考えているようには思えない。そのうち、強そうだからとかいう理由で「ヒトラー」とか名乗る奴が出てきそうな気がする。そういう怖さがちょっと感じられるんだよね。中国系の若い子たちには。。。。もう1つどうにも違和感があるのは、この子達、「Please call me Naomi. (ナオミと呼んでください)」とは決して言わないんだよね。「I am Naomi.(わたしはナオミです)」と言うんだよね。これ、細かいことなのだけれど、どうにもわたしには違和感がある。自分が親からもらった本名のことはどう考えているのだろう、と疑問に思う。西洋人からしてもこれはとても違和感があると思う。黒髪、黒い瞳で小さな東洋人から「アイム、ビスマルク!」とか言われたら正直ちょっと困ると思う。中国は急速に成長している(ように見える)国なので、そこから来た留学生はとても興味深い点が多々あり、いろいろ今後も書きたいと思う。ちなみに日本人は、うちの学校に関してはほとんどニックネームを使う人はいない。基本的に日本人の名前は、西洋人に覚えてもらうのに特に問題がないからである。
2003年10月27日
松山千春氏の楽曲を全く音楽理論的根拠のない、私の勝手な解釈により紹介することで、人生と恋愛を考える(?)このコーナー。このところ、世間で袋叩きにあっている人たちについて書いてきたので、このコーナーでも、別に袋叩きというわけではないが、その真価からすれば、なぜか肩身の狭い思いをしているこの曲を取り上げたい。「長い夜」言わずと知れた松山千春氏最大のヒット曲。80年代POPSの最高峰とも言っていい曲。若い方も聞いたことはなくても、物まね番組でコロッケが頭カパカパの曲といえば、見たことがあるんじゃないかな。まずはいつものように曲の世界から入る。著作権の問題で、いつものようにわたしが書き直しますが、松山さんがステップ踏みながら歌うのを頭から取っ払って、ゆっくりと1文字1文字読んでください。--------------------------------------------------------------恋にゆれる 心ひとつお前だけを 追いかけているよおいでここへ 僕のそばにもえるような 口づけをあげる長い夜を 飛び越えてみたいお前だけに この愛を誓う重ねたうでの ぬくもりにとまどう 二人恋にゆれる 心ひとつお前だけを 抱きしめていたいだから僕の 胸のときめききこえたなら 飛び込んでおいで長い夜を 飛び越えてみたいお前だけに この愛を誓う星降る夜に 誘われてとまどう 二人長い夜を 飛び越えてみたいお前だけに この愛を誓う重ねたうでの ぬくもりにとまどう 二人(JASRAC許諾第J070214365号)-----------------------------------------------------------わたし、いろんな松山千春のファンサイトとか訪問してるんですけど、どうもこの曲、ファンの方々に嫌われてはいないまでもあんまりに好かれてないみたいだ。なんなのだろう。あの、松山氏がステップ踏みながら歌う歌謡ロック風のアレンジが原因だろうか?フォークソングじゃないからか?商業主義に走ったと映ったのか?あま~いラブソングで深みがないからか?「わたしは『長い夜』で松山千春は終わったと思い、ファンを辞めた」なんて人もいたな。これはちょっとこわいな。。。。わたしはこの曲、好きですね。まず、カラオケで楽しませてもらっている。なが~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~い♪は、数多い曲のなかでも、屈指の聞かせどころを持つ曲でしょう。ずいぶん歌わせてもらいましたし、世話に(?)なりました。あと、先ほど「ゆっくりと1文字1文字読んでください」と書いたけど、この曲のメッセージ、とても優しくて、熱いのだ。「歌謡ロック風のアレンジ」と「松山千春=フォークソング」というこだわりが、この曲のすばらしさを隠してしまっていたかもしれない。わたしがこの「長い夜」の隠れた魅力に気づいたのは、アルバム「季節の旅人」に収録された夏目一朗氏アレンジの、アコースティック・ギター中心のスローバラード・バージョンの「長い夜」を聴いたとき。(どうでもいいが、夏目氏は同郷らしい。。。)これはオリジナル曲では隠されていた、言葉の1つ1つの優しさ、熱さが心にストレートに伝わってくる。わたしは声を大にしていいたい。「長い夜」。いい曲です。シングル 1981年3月21日発売アルバム「起承転結II」収録 1981年11月27日発売アルバム「旅立ち」収録 1986年10月25日発売アルバム「風景」収録 1996年4月20日発売。アルバム「季節の旅人」収録 2001年3月31日発売。---------------------------------------------------「松山千春」バックナンバーはこちら。
2003年10月26日
1.「うちの学校」を選んだ理由さて、英国の各大学院に提出する推薦状も作り終わり、いよいよ入学願書を提出することとなった。わたしは合計15校に提出することに決めた。大学院に13校、大学院進学準備コース(ポストグラデュエート・ファウンデーション)2校で、合計15校だ。この時点になると、情報も入ってきて英国の大学のいろんな状況がわかってくるのでファウンデーションにいくつもりは100%なくなっていた。ただ、ブリティッシュカウンシルにはファウンデーションに出願することを強く勧められるので、出しただけだった。出願は無料だからね。大体どこの学校を第一志望にするかもほぼ決まってきていた。「うちの学校」である。なぜ「うちの学校」を第一志望にしたのか。それは「学校の総合ランキング」が英国で4位だったからである。そして、それは既に応募を締め切っていて、わたしが出願できないオックスフォード大、ケンブリッジ大、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス(LSE)を除くと、最上位の学校だったからだ。実は「政治学部」のランキングに限ると、その当時「うちの学校」はかなり低い評価を受けていた。(しかし、それはある有名な教授の死去による一時的な低評価であり、元々は高評価であることを確認していた。ちなみに、現在は元々の評価に戻っている。)このわたしの判断は、巷で言われている留学の常識と違っているところがあると思う。巷の「留学情報誌」や「留学体験記」にはこのようなこと書いてあることが多い。「留学の学校選びは、日本のように大学の知名度や総合ランキングで選ぶのではなく、どの大学のどの学部に、どんな教授がいて、どんな研究がなされていて、それが自分の興味と合うかどうかで決めるべきだ」わたしは、半分は当たっていないこともないと思うが、半分ははずれていると思った。なんとなく直感でそう思ったのだが、今振り返っても、わたしの判断は当たっていたと確信する。わたしは「大学の総合ランキング」というのは、少なくとも英国留学に関しては、学校選びで最も重要なものだと考える。わたしがそう考えるいくつかの理由がある。1つには、英国自体がいまだ階級社会であり、日本以上の学歴社会であること。わたしが見るに、オックスフォード、ケンブリッジ、LSEの卒業生とその他の学校の卒業生では、その後の社会的地位が明らかに違う。ということは、留学してみたとき、交流できる学生の質が上位校とその他の学校では明らかに違うということだ。周囲の学生の質。これは留学では決して軽視してはならない要素なのだ。自分がしっかりしていれば周囲は関係ないというかもしれない。しかし人間そんなに強いもんじゃない。周囲には強く影響を受けるものだ。上位校は別格だという考え方もあるかもしれない。しかし、わたしは中堅校を志望する場合にも、総合ランキングでどれくらいに位置する学校なのかは重要だと思う。これには1つ例を挙げたい。うちの学校と同じ街に、もう1つ大学がある。この「となりの学校」は、自動車のデザインだけは英国ではなく世界で3番、その他の学部はぼろぼろ、という学校だ。「となりの学校」の前をわたしが夜たまたま通りかかったときのことである。きーっ!という女性の叫び声が聞こえたかと思ったら、わたしの目の前で学生と思われる女性2人がハイヒール手に大流血の殴り合い。それを10人くらいの男子学生たちがひゅーっ!とはやしながら見ている。。。。。こんなことは「うちの学校」では起こりえない。。。。学生の質が根本的に「うちの学校」と、「となりの学校」では違うのだ。「いくら自動車のデザインを学びたくたって、周囲の学生がこんなに品が悪いと、これでは全く勉強にならんよ」と、この学校に来ていた日本人の学生はかつてわたしに言った。これなら、ランキングが世界で3番でなくても、例えば10番くらいでも、他の学部も合わせて総合的に学生の質が高い学校にいったほうが、よく勉強ができる。次に考えなきゃいかんのは、学校の設備面のことだ。総合ランキングが上位であればあるほど、学校全体がやる気に満ちているので、設備面が充実しているものだ。図書館の蔵書の充実度、IT施設が充実しているか、理系であれば実験室は設備がしっかりしているか、寮は安全か、生活必需品は学校内で買えるか。。。こういう設備面がしっかりしてなければ、いくらその学校に高名な教授がぽつんと1人座っていたとしても、しっかりと勉強などできっこないのだ。更に言えば、留学する前に考えていた自分の興味など、いざ大学院に入ってみると、あっという間に崩れるもんだ。わたしなど、修士課程のコースが始まって3日目にはすべて崩れた。わたしが留学前に考えていた「政治」と「政治学」ではレベルの深さが全く違っていたことを痛感した。だから、留学する前に細かく「ここの大学のこの先生からこのことを学びたい」などと考えないほうがいい。どうせそんなもの崩れるのだから。もっとおおらかに、「政治学がやりたい」「経済学がやりたい」「社会学がやりたい」という程度に考えておけばいいのだと思う。ということで、今日は巷の「留学情報誌」「留学体験記」にあまり書いてない、留学の学校選びの際に「大学の総合ランキング」を重視することを書いた。もちろんわたしは「半分は」と書いたように、「どの大学のどの学部に、どんな教授がいて、どんな研究がなされていて」を考慮しなくていいというつもりはない。まず自分の学びたい分野が強い学校をリストアップした上で、最後は「総合ランキング」を重視したらいいということだ。わたしの場合はまず「政治学」が強い学校を13校リストアップした。そして、「総合ランキング」が最上位である「うちの学校」を第一志望とした、ということである。----------------------------------「英国留学回想録」バックナンバーはこちら。
2003年10月25日
さて、今日は「かみぽこぽこ」記念すべき200回です!今日は200回記念として、「かみぽこぽこ」の過去を振り返り、ベスト10を選出したいと思います。10位「かみぽこ異人交遊録(4)心優しき『世界最強の女』」インド人政治学者、インディラ・カーン博士の強烈な個性と優しさを表現しようと試みました。いや、ほんとに尊敬してやまないすばらしい女性です。9位「F井!そんなもんだよ」初期のボケキャラ、F井の魅力が最大に発揮された日記。それにしてもかわいい女の子がいるかどうかで就職先を決めるなんてねえ~。今の若い人は率直というか、自然体でいいところがありますね。8位「10日:卒業式(4)ハナちゃん他、編」写真を使った日記。会場を埋め尽くした卒業生、ずらり並んだ教授陣、威厳ある卒業式の雰囲気を、多少なりともお伝えできたかなと思います。そして、なによりも最高の成績で卒業したハナちゃん、おめでとう!7位「小泉人事の妙:麻生総務相」「かみぽこ政治学」では、これがよく書けてるかなあ、と思いました。「敵は内側に、味方は外側に」という自民党人事の鉄則。政治は、いくつかの法則というか、決まりごとを頭に入れながらみてみると、一見不思議に思える動きでも、明快にその理由がわかるものなんです。これからも、そういう政治の見方のポイントというものを、少しでも提示していきたいです。6位「男の手料理:マリアちゃんのぺペロンチーノ」美しくて、できる女。天が二物を与えたギリシャ人バリキャリ美女、マリアちゃんの作るぺペロンチーノを紹介しました。かっこいい女性だったね。5位「おそるべし!E美ちゃんの指導教官懐柔策」E美ちゃんもすごい人でしたね。最初冷たかった指導教官をいかにしてE美ちゃんが味方につけたかを書いて見ました。日本的なものを極めたところに国際的なものがある、ということでしょうか。4位「松山千春『都会の天使』」今も不夜城と呼ばれる高層ビルの中で働き続けるわたしの同期入社の奴らを激励したい気持ちで書きました。3位「英国留学回想録:推薦状(3)」「『一度決めたことを最後までやり通すこと』がどんな要領よく立ち振ることよりも勝ること。そして、それをやり通した時にだけ、誰かが骨を拾ってくれること。」この、わたしにとって絶対的な教訓を得た、6ヶ月間の長く厳しい体験を描写しました。2位「欧州選手権予選:イングランドVSマセドニア」最低最悪の日記として書いたのですが、意外な大絶賛を受けました。でも、この日記は、実はただふざけただけではなく、いろんな要素を含ませました。イングランド労働者の「英国を世界一と妄信」「スコットランド人との遺恨」「欧州中堅国に対する蔑視」「東洋に対する蔑視」などなどを表現したつもりです。文章のテンポのよさも気に入ってます。1位「イラク戦争:イラクよ粘れ!がんばれ!!」これはHPを始めたばかりの頃であるし、HPでの文章の書き方もよくわかってなかった。内容的にも、やっぱりこれじゃいかんだろ、と思います。大変なアクセス数でしたが、多くの人の感情を害したことだと思います。しかし、それだけにわたしにとっては最も勉強になった日記であり、やはり1位はこれかなあ、と思いました。それでは、今後ともよろしくお願いします。
2003年10月24日
学術雑誌に掲載される論文が完成したとほぼ同時に、先週申し込んでいた来年4月の学会発表について、学会側からe-mailで連絡が来た。どうやら発表をやらせてくれるらしい内容だった。ちょっと驚いた。なぜ驚いたかというと、今回申し込んだ学会は9月に発表した学会とは規模が違うからだ。9月に発表した学会は、「英国で日本のことを研究している人たちの学会」で、非常に小規模の学会だった。今回は、このHPの「ああ、研究室…(--;)」のシリーズでわたしにタコ足買わせられた(「ああ、研究室...(--;)・10」)ヒュー・プレスコット教授が会長をやっている「英国政治学協会」の年次総会での学会発表だ。この学会は規模がでかい。でかいだけでなく、なんか偉そうだ。なにが偉そうって、だいたいこの学会の正式名称が偉そうだ。「The Political Studies Association」という。日本語で言えば「ザ・政治学協会」だ。いや、英国に本部があり、大多数の会員が英国人であり、まぎれもなく「英国・政治学協会」なのだが、学会の名称にはどこにも「英国」の文字はない。。。。「アメリカ政治学協会」が「The American Political Studies Association」であるのにかかわらずにである。例えば、これはみなさんによりなじみのあるサッカーの話に近いものがあると思われる。FIFA(国際サッカー協会)UEFA(欧州サッカー協会)FA (イングランドサッカー協会)要は、最初に設立されたサッカー協会がイングランド協会だから「The Football Association」と名乗っていると。「ザ・政治学協会」は、これに近い話なんじゃなかろうか。まあ、ある意味どうでもいい話なんで、誰にも確認したことはないが、多分正しいと思う。世界で最初に設立された政治学の学会だから「ザ・政治学協会」ということだろうと。(違っていたらすみませんね。まあ、要はなんだか偉そうだということです。)この学会への研究発表の申し込みは、なかば冗談半分だった。この年次総会は、「日本政治学会」がえらいさんを1名視察に派遣するようだし、昨年の発表者には、うちのHPで「世界最強の女」と紹介したあのインディラ・カーン博士も名を連ねている。。。。(「心優しき『世界最強の女』」)だから、どうせだめだろうと思って申し込んでみた。それが。。。。「PhDの学生さんは大歓迎です。スケジュールの詳細は来年1月に連絡します」との返事。はあ?ほんとにやっちゃっていいの??経済学部の博士課程にいる、S田のおっちゃんに聞いてみた。おっちゃん曰く「経済学もいっしょや。『ロイヤル・エコノミックス・ソサエティー』ってのがあってな、要は『王室・経済学会』なんやけどな。学会発表申し込むと、ほぼ全員やらしてくれるんや。表面的には格式ばっとるけどな、実際は英国だけの学会やから、参加も少ないからな。PhDはウェルカムやで。」経済学も政治学と同じらしい。。。。格式と権威を表面的には非常に重んじるけど、内実は、結構敷居が低い。。。。これが英国流らしい。
2003年10月23日
わたしの指導教官の1人である、ドン・キーン博士に会った。学術雑誌の載せるわたしの論文の原稿をチェックしてもらっていた。1週間前に原稿を渡していたので、そろそろいいかと思って昨日彼にメールを入れてみた。ちなみに原稿の締め切りは来週末。ドンは、「授業が午後2時―2時15分くらいまである。2時半くらいに来てくれ。ちなみに3時から会議がある。」と返事してきた。2時半に彼のオフィスに行く。「おお、読んだぜ。お前の原稿。これでいいぜ。問題ないよ。ほらよ!」と彼から原稿を返される。見ると、最初のページのタイトルが直してある。「これのほうがベターだと思う」これについてはわたしに異論はなく、彼の言うとおり論文タイトルを変更することにした。ちなみにタイトルは日本語で書くと「官僚、政治家、政策変化:新制度論アプローチ」となる。よくわかんないね。。。。次のページをめくる。最初の数行に少し赤線が引いてあった。その後は、最後まで20数ページ、なんの添削もない。「問題ないと思うぜ。」と彼は言うものの、(この野郎。読んでないな。。。)とわたしは内心思った。まあ、今回の論文はそれほど重要なものでもないし、最終的な博士論文から考えると、中間点にも達してない段階での、仮説の発表と途中経過報告みたいなもんだ。誰かが読んで、穴を見つけて指摘してくれれば歓迎ってなもんだ。ドンがぱらぱらめくって、論文の体裁が問題ないようだったら、それでいいのだ。だから、わたしはドンの「問題ないぜ」というコメントについては、「ありがとう。じゃあ、これで提出するよ」とだけ言った。それにしても、彼がそれほど熱心にわたしの原稿を読んでくれなかったのは、この論文がそれほど重要なものではないということを理解していると同時に、彼の仕事が忙しすぎるということがある。昨日、「教授は余裕があり、若い講師は余裕がない」ということを書いたが、英国の若手の大学講師はほんとに仕事量が多いのだ。まず授業をたくさん担当されられる。その上学部の事務仕事がある。英国の大学には、基本的に日本の大学でいうところの助手にあたるポジションがない。各研究室には、講師が一人ぽつんといるだけ。助手にあたる人が部屋のなかにいたりしない。講師は授業の準備から学部の雑用まで、日本であれば助手がやるだろうことも全部自分でやっている。更に、自分の研究をしなければならない。教授クラスならともかく、ドン(わたしと同じくらいの年齢で、うちの学校に常勤として採用されたのは2年前)クラスの若い講師だと、毎年論文を発表し続けなければ、2-3年以内にクビだ。英国の若手の大学講師は大変なのである。わたしは日本人の目で見て、大概の英国人は仕事量が少ないと思うが、大学講師は比較的勤勉に思う。それでも、日本の若手サラリーマンに比べれば全然たいしたことはないが。さて、ドンとの面談の時間わずか5分。帰り際に彼に聞いてみた。「今年の修士課程の学生はどうだい?」彼は言った。「いい学生もいれば、悪い学生もいる。毎年同じさ」そして、彼はにやりと笑ってこう続けた。「しかし、悪い学生も、何人かはいい学生に変わってくるさ。お前のように、努力してな。」どんなに忙しくても、学生に対する暖かさを失うことはない。ドン・キーンとはそういう男である。さて、これでわたしの学術雑誌への論文はこれで完成した。今週中には提出したいと思う。
2003年10月22日
さて、9月末にうちの学校の新年度が始まって、3週間が過ぎた。うちの学校では、最初の2週間で各授業のイントロダクションがある。この期間に学生は様々な科目の授業に出席して講師の説明を聞いて、3週目に自分が選択する科目を決める。学部生は必修科目が多いのであまり選択の余地がないが、修士課程は選択の余地が多い。そして、この授業の選択を誤ると、悲惨な思いをすることになる。わたしはPhD(日本の大学院でいう「博士課程後期」)なので、もちろん授業などないわけだが、わたしのアジトである芸術会館のカフェで周りを見回すと、授業のリストを眺めながらうんうんうなっている学生がたくさんいる。。。悩め、苦しめ、若人たちよ。。。。と、わたしはほほえましく思うわけだが、今日は、わたしの3年前の修士時代の経験、わたしの周りの日本人学生の経験から、この「授業の選択」についていくつかのポイントを挙げてみたいと思う。(今年英国の大学院修士課程に入った方々、ごめんなさい。もう遅いよね。ふふふふ。。。。)1. 教授(professor)は優しい。教授というと、日本では偉そうに権威ぶってたりするので敬遠したりしたくなるが、まずこの日本的感覚を捨てるべし。うちの学校の日本人の間のほぼ統一見解として、「教授は優しい」のだ。なぜなら、教授は気持ちに余裕がある。学校での地位も名誉も保障されているので、気持ちがギスギスしてないのだ。それから、これは重要なのだが、教授からすれば、修士の学生などひよこも同然。修士の学生が書くエッセイ(小論文)や修士論文など、学生側はなにか世界的な発見でもしたような気で一生懸命書くもんだが、教授からすれば読むに堪えない程度のものにすぎない。教授というのは、そのことを長年の指導の経験からじゅうぶんに理解しているので、読むに堪えない程度のものでも、好意的に評価してくれるのだ。言い換えれば、修士課程の学生に求められるレベルというのを的確に理解して、きちんと評価してくれるのだ。2. 若い講師には気をつけろ。これは教授の逆。若い講師は気持ちに余裕がないし、修士過程の学生に求められるレベルがどの程度なのか理解していない人が多い。自分もまだ若いから学生と張り合ってしまって、学生の書いたものが自分と同じレベルにないからと思って、「君の書いていることはおもしろくない」「君の書いていることは理論的に穴が多いね」ってな感じで、不当に辛口に評価してしまう傾向がある。「修士の学生はしょせん修士の学生、自分とは違う」ということを忘れてしまって気合が入りすぎてしまう若い講師が多いのだ。3. きつい女性の先生を選べ。授業のイントロダクションにいくと、いかにもって感じのきつそ~な女性の先生がいたりする。こういう先生は、なんでも毎日10冊の本を学生で分担して読んで、毎週全員自分の担当についてプレゼンテーションをした後、ディスカッションしましょうね~ってな感じで授業のプログラムを理路整然と説明してくれる。しかし、ここで「こりゃあかんわ、逃げよ!」と思ってはいかんのである。こういうきつい感じの女性の先生は、きちんきちんとプログラムを進めようとする几帳面さが息苦しいが、同時に、学生に対しても几帳面に対応してくれる。学生側が逃げずに1つ1つの課題をこなしていけば、非常に丁寧に対応してくれるのだ。評価も公平であり、書いたエッセイのいい部分と悪い部分を的確に指摘してくれる。わたしの指導教官、イタリア人ソフィア・デラ=ロッサが典型的なこのタイプである。逃げなくてよかった~~~。4. 優しそうな男性講師は要注意。これがきつい女性の先生の逆。だいたい男の優しそうな講師というのは、学生が質問しても「ああ、いいよ、いいよ」というような適当な答え方をする人が多い。この時、学生は「ああ、優しくていい先生だなあ」って思うわけだ。それで、「いいよいいよ」で何ヶ月もたって、ああ、いい先生だから楽勝だろうと思って、小論文を提出して、評価が返ってきて愕然とすることになる。「落第。。。。なんで?あんな優しそうな先生が。。。。」男の講師は、細部は適当だけど、評価という大事なポイントははずさないでしっかりと仕事する。以上、「授業の選択」について、4点ほどわたしの思うところを指摘してみた。まあ、なんじゃかんじゃ言って、楽勝とかそんなことより自分の興味のある科目を取ればいいという、単純な話ではあるんだけどね。しかし、なんか書いていて、これは学校だけじゃなく会社とかの処世術にも少しはつながるような。。。。なんて思ってしまった。それじゃ、また。
2003年10月21日
先日の「鈴木宗男と松山千春」に少し付け加えたいと思う。まず、最初に断っておきたいのだけれど、わたしは鈴木宗男を擁護する気は全くない。そうではあるが、この問題について少し書き加えておきたい。特に、わたしは掲示板上で「外務省の政策決定過程はどうなんだ?」と、書きこんだ人に聞いた。だから、それについて多少なりともわたしの思うところを書いておかないとフェアじゃないと思う。外務省と鈴木氏の関係について言うと、わたしにはこう見える。鈴木氏は、外務省内の組織と権限をよく把握していたと思える。つまり、様々な政策課題について、省内のどの部署の誰と交渉すれば物事は動くかを、よく理解して行動していた。だから鈴木氏が動けば、外務省はそれに応えざるを得なくなり、これを後から外務省側から見えば、「恫喝」ということになり、政治家の役所に対する不当な過度の介入と徹底的に批判された。同様の批判は、田中真紀子外相と外務省の問題の時にもあり、田中外相の言動は、外務省の「外交政策の継続性」を無視したものと一方的に批判された。しかし、わたしはこう思う。”選挙で選ばれた”政治家による”選挙で選ばれない”役所の意思決定への関与を不当な介入と一方的に批判するのは、議会制民主主義の健全性の維持という観点から、いかがなものかと疑問に思う。更にもう1つ言いたい。鈴木氏は現在係争中の受託収賄罪等の罪状について、これを全面否認している。わたしは彼が全面否認している以上、裁判が終了するまでは彼の主張を感情的に全て無視するのではなく、ある程度は尊重して聞くことも必要だと思う。これは鈴木氏に対してだけではなく、辻元氏にも、他の疑惑の政治家に対してもわたしは同様の考えだ。民主主義国家・日本を守る、法治国家・日本を守る、という観点から、この鈴木宗男問題に対しては決して感情的になることなく、冷静に見つめる姿勢が必要だとわたしは思います。わたしは鈴木宗男の将来は関心がないですが、この人の問題を感情的に扱うことによる、日本の民主主義の将来は非常に憂慮します。今日は少しだけ書きましたが、後日もっと詳しく書きたいと思います。
2003年10月20日
「60時間」これはわたしのスケジュール管理のキーワードだ。もう少し具体的にいうと、この「60時間」というのは、「1週間のわたしの『勤務時間』の目標」。つまり、わたしは週60時間、研究に自分の時間を費やすことに決めている。なぜ「60時間」なのか?その根拠は、わたしの会社時代の勤務時間にある。わたしの「たこちゅー商事」サラリーマン時代の一ヶ月の勤務時間はだいたい以下の通りだった。1週間の平日勤務時間:7時間/日 X 5日 = 35時間:(1)1ヶ月:(1)X 4週間 =140時間:(2)残業:(午後5時~10時)X 20日 = 100時間:(3)合計:(2)+(3)=240時間これを4週間で割ると「週60時間」となる。わたしはこれを今のスケジュール管理の1つの基準にしているのだ。今、わたしは時間の拘束がほとんどない生活をしている。サラリーマン時代のように朝早く起きて、1時間以上も満員電車に揺られ、夜遅くまで働かないといけないということはない。孤独な研究のプレッシャーというのはもちろんある。それは、会社という最終的には上司が責任を取る組織に属するより厳しいところはある。研究については、全て私自身の責任だ。しかし、わたしは時間管理という面では、会社時代よりはるかに楽な生活をしているのもまた事実だ。だが、わたしの同期入社の奴らは、今でも毎朝満員電車に乗って、夜遅くまで残業しているのである。わたしはいろんな事情があったとはいえ、その会社を辞めた。 残っている同期の奴らには、本当に申し訳ないと思うし、厳しい経済状況の中だが、本当にがんばってほしいと思う。だから、わたしもせめて彼らの勤務時間と同じ時間、研究をがんばりたいと思うのだ。-------------------------------------------------------また「かわぽこ」がイスラエルから来たので、今日からロンドンに行ってきます。「かみぽこぽこ」は水曜日に再開です。掲示板、返事できないですけど、ごめんなさいね。
2003年10月19日
いや~、「千春と宗男」なんて書くからいけなかった。。。千春と宗男を憎悪する人から呪いがかかったのか?朝、シャワーを浴びて、ひげをそってると、ブチッ!って音がして、きえええええええ~~~~~~~~~、くちびるから大流血。。。で、こんなふうに絆創膏貼るはめに。。。ひえええええええ~~~~~~~~~、怖い~~~~~~~~~~~~~~~。宗男嫌いの呪いじゃ~~~~~~~~。あわわわわわわわ~~~~~~~~~。ということで、気を取り直して今日は「英国留学回想録」--------------------------------------------------------------------------------------5.サイン・サイン・サイン(2000年5月)推薦状の文章ができあがると、推薦人のナカハタ監督と、T参院議員からのサインをもらわないといけない。推薦状は、推薦人の所属する組織のヘッドレターのついた用紙を使わないといけない。ナカハタ監督だと「大学のヘッドレター」T参院議員だと「政党のヘッドレター」である。大学のヘッドレターは、大学に勤めている友人から入手した。最終的に15校に出願することにしたので、予備も含めて20枚くらいもらった。その用紙に、うちでプリントアウトして、監督のオフィスを訪ねた。平日の10時くらいだった。オフィスの応接に通され、そこで1枚1枚サインをもらった。監督は推薦状の内容を見ることもなく、さっさとサインした。サインが終わると、「よし、これでええな。がんばれよ!」という感じで、ほとんど雑談もせずオフィスを後にした。まあ、多忙な平日にお願いしたので、仕方のないことだった。自分も1年前には、サラリーマンとして同じような忙しい毎日を送っていた。それを今、失っている自分を少し寂しく思った。Tさんのほうは、事務所に連絡すると、秘書のHKさんから「事務所に来るとき、フロッピー持ってきて。事務所でヘッドレターにプリントアウトしよう」と言われた。それで、土曜日の午後、Tさんが地元に帰っている時だったのだが、HKさんがいる参院議員会館に出かけた。まず15枚サインが必要だというと、HKさんは「そんなにいるの?」とびっくりした。まあ、仕方がない。ブリティッシュカウンシルのBUPSコース(今はEdUKと言うらしい。。。)のコースメートは、大体平均5校くらい出願することにしていただろうか。この15校という出願数は、ちょっと多すぎる。ただ英国の大学院は、基本的に出願は無料だし(一部そうではない学校もあるが。。。)わたしはとにかく精神的にも、年齢的にも余裕がなかった。どこの学校がわたしを入れてくれるのかわからないし、ほんとに留学できるのかどうかすら疑わしいと思っていた。でも、どうしても留学したかった。留学せねばならないと思っていた。だから、ピンからキリまで目についた学校は手当たり次第に出願するしかなかった。(どれがピンで、どれがキリかすら、このときはわからなかったのだが。。。)HKさんのコンピューターにフロッピーを、プリンターに「政党のヘッドレター」をセットして、かたかた。。。と推薦状のプリントアウトを始めた。そして、おもむろにHKさんが万年筆を取り出し、紙に向かってさらさらと何か書き始めた。紙には、ちょっと崩したような感じで「T,T,T,T,」とTさんの名前がいくつも書かれていた。HKさんは、Tさんのサインを練習し始めたのだ。そう、もうこれも時効だと思うからいうが、わたしがもらったT参院議員のサインとは、HKさんが書いたものなのだ。これ立派な公文書偽造なのだが、TさんとHKさんの名誉のために言っておくと、HKさんはこういうことをしたのはもちろん最初で最後だ。通常、日本ではサインではなく印鑑だし、HKさん、うまく漢字を崩せるようになるまで実に15分も練習していた。「おお、サイン、いい感じになってきたねえ。なんか、うちの先生(Tさん)、大物政治家って感じじゃん」なんだかわかんないが、HKさんサインをしながら妙に満足げだ。「先生が本でも出したら、HKさんが裏表紙にサインしたらどうですか?」わたしもなんだかよくわかんない突っ込みをしていた。しかし、この作業は時間がかかった。まず、推薦状は学校ごとに少しずつ違う内容だ。要は、「OX大学御中」「△☆大学御中」という、宛先が15学校全部違う。内容も、出願するコースに合わせて、微妙に変えてある。だから、1校1校ごとにフロッピーのファイルを開いて、「印刷」キーをクリックする。。。。そして、プリントアウトされたら、内容を一度確認して、ようやくHKさんがサインだ。サインもHKさんが「芸術的に」「大物政治家っぽく」することに妙にこだわったので、一枚ごとに練習を繰り返してから本番だ。。。(結構楽しそうにやってたけどね。。。。。)こういう面倒な作業の繰り返しだ。なんと全ての推薦状にサインが終わるまで2時間以上もかかった。忙しい国会議員の秘書さんにこんなに時間を使わせて、ほんとに申し訳ないと思った。わたしは深々と頭をさげて議員会館を後にした。しかし作り話やら、偽造サインやら、この推薦状は問題だらけだったのだが、TさんとHKさんがここまでしてくれたことに対しては、わたしは絶対に2人には恥はかかせられないと心に誓った。----------------------------------「英国留学回想録」バックナンバーはこちら。
2003年10月18日
受託収賄罪などに問われ、東京地裁で公判中の鈴木宗男前衆院議員(55)は18日、衆院選への立候補を断念することを明らかにした。断念の理由については「胃がんの手術のため」と述べた。鈴木前議員は18日、北海道釧路市で開かれた地元後援会の拡大役員会に出席。席上、後援者らに自ら胃がんであることを告白したうえで、28日に公示される衆院選には立候補しない考えを示した。支援者の間では一時、同郷の歌手・松山千春さんと新党を結成し、比例北海道ブロックへの立候補も取りざたされていた。(読売新聞)どうやら結論が出たようだ。この件については、結論が出たときに書こうと思っていた。しかし、マスコミ報道で伝わる類の話は、ここでわたしが今更書く必要などない。わたしはこの件に関して、わたしの個人的な経験に基づき思うところを1つ書いてみたいと思う。松山千春氏は、鈴木宗男氏を一貫して擁護し続けている。鈴木氏の外務省に絡む疑惑が発覚してから受託収賄罪で逮捕されて、今日に至るまで一貫してである。しかも、それは影ながら支えるというのではなく、堂々とマスコミに登場しての擁護である。自身の新曲PRのTV出演すらほとんどしない人がである。わたしは正直、これはものすごいことだと思うのだ。それは単にわたしが長年の松山千春ファンであるからそう思うのではない。わたしの個人的経験からしてものすごいと思うのである。わたしがかつて選挙に出かかったことは、このHP上で何度も書いている。その際、いろんな人が寄ってきたのだが、少なからずわたしをサポートしようという人たちもいた。20代~40代のサラリーマン、工場経営者、商店の店主から公務員などなど様々な一種の異業種交流会のようなグループだった。最初は調子よかった。「自分たちの代表を立てたい。」「政治を変えるため、若い人を国会に出したい。」ということでわたしの選挙のために積極的に動いてくれようとした。ところが次第に話がおかしくなってきた。このグループの人たちが次々とこんな風に言い始めたのだ。「応援はしますが、『青年会議所』にばれたら困りますので、わたしは表には出ない形で動きたいのですが。」「『商店会』は自民党支持ですので、わたしが他の候補を応援するのは表向きできません。」「わたしの活動が『労組』にばれないようお願いします。」「『別の大物候補』に大変な恩義があります。この『大物』と同じ選挙区から出るなら、わたしは応援から降ります。」「父親が自民党支持なんです。」などなど。。。。。わたしは職を辞して選挙に出ようとしていた。それに対して、口では「すばらしいことだ。若い人が政治を志すなら支援したい」と言いながら、いざとなったらみんな世間を気にして逃げていった。いや、これはわたしの魅力のなさが根本的な問題だったのだとは思っているが。それに比べて、松山千春氏はどうだ。確かに鈴木宗男氏は彼にとって足寄高校の先輩だ。後援会の青年部部長もしていたという。だからといって、これほどまでに公然と鈴木氏を擁護しようとすることが彼にとってなんのメリットがあるのか?ヒット曲は久しくないとはいえ、コンスタントに毎年2枚のシングルとアルバムを出し続けられるセールスはキープし、年2回のコンサート・ツアーは全てチケット完売。人生相談で若者の支持を集め、彼の雑誌は常に売り切れ。「長い夜」や「大空と大地の中で」でカラオケ印税もしっかり入ってくる。鈴木氏擁護でこれを全部失う可能性があるのだ。表面的には隠れて、陰で支援すればいいではないか。なのに、鈴木氏の疑惑発覚後、松山千春氏はマスコミの面前に堂々と現れ、その言動は徹頭徹尾一貫していて、まったくブレない。わたしの経験からして、これはなかなかできないことなのである。人は自分がかわいいものなのだから。鈴木宗男氏が正しいとか、正しくないとかはわたしにはよくわからないし、それをここで論じるつもりはない。しかし、松山千春氏の一貫した言動は、実におそるべきものである。松山氏を見て、自らを恥じる人はものすごくたくさんいるとわたしは思う。
2003年10月17日
ず~~~~っとほってけぼりになっていました。「私の研究」いや、書こう書こうと思っているのだが、日々起こる様々な出来事や、個性的な人との出会いを書き留めておこうとすると、どうしても後回しになってしまうのです。「かみぽこぽこ」では、そもそも政治に関するコーナーを2つ用意しておりました。1つは「かみぽこ政治学」。これはご存知の通り、定期的に更新されている「かみぽこの政治の見方・入門編」ともいうべきものです。これに対して「私の研究」。これは、時事問題を論ずるのではなく、難解な「政治学」をわかりやすく紹介してみたいという目的で始めました。このコーナー、「政治とは何か」みたいな単純に見えて、実は非常に定義が難しい話から始めてしまったのが失敗でした。こういう話をきちんと書くには、難解な理論書を大量に読んで、それをきちんと理解した上で、誰が読んでもわかるように噛み砕いて書かなければなりません。それはわたしにとっていい勉強になるのは間違いないのだけれど、ちょっと時間がかかりすぎるのです。そこで、「私の研究」は、かみぽこが実際に日々あーでもない、こーでもないとうんうんうなりながらやっていることをそのままつらつらと書いてみることにしました。ということで、スタート。まず、わたしがやってることを説明させてもらうと、「政策決定過程論」と呼ばれる政治学の1研究分野に類するものです。これは、政治の舞台(例えば国会、県議会、など)で政策がどのような過程を経て決定していくかを調べる研究分野です。「漢字の間にひらがなを入れただけやないか!」って?ごもっとも。それじゃまず「どのような過程を経て決定していくかを調べる」とはどういうことかを説明するために、かつて使った簡単な例を使いましょう。7人の男が街を歩いています。彼らはディナーを食べるレストランを探しています。街にはフランス料理屋とイタリア料理屋があります。例えば、ある7人グループでは、いつも一番年下の男が、「俺が見てくる」といって走って2つの店にいきます。彼はシェフに会って、「今日のシェフのおすすめメニューはなんなのか」確認して帰ってきます。彼はこれをグループの最年長の男に報告。最年長の男は「今日はイタリアンにする!」とか決断します。また別のグループでは、いつも3人ずつイタリア料理派とフランス料理派がいるとします。そして、中間派の1人がどちらの料理に決断するかがによってその日のディナーが決まる。つまり、7人の男がこの街で、最終的にどっちの料理屋に行くかが、どのような手順で決まっていくのか、それがいつも同じ手順なのか、そうでないのか、ということを調べる。これが「決定の過程を研究する」ことです。そして、この研究の目的は、「一番年下の男」や「中間派の男」の決断がいつも「はずれ」なのでこれらのグループはいつもうまいディナーにありつけないとか、「一番年下の男」は経験不足で適切な決断をできず、それに対して「中間派の男」は判断が適切。よって、2番目のグループのほうが満足度が高い、やっぱり経験は重要だ、とかつまり、物事が決断されていく手順が適切かどうか、そこに問題があるならどこなのかを分析していくことです。この分析を「政治の世界」に対してやる。つまり、国会や地方議会で政治家や官僚、農協や経済団体、業界団体などの様々な行動によって政策が決まっていく手順を調べ、その中の問題点を明らかにしていく。これが「政策決定過程」論という政治学の1分野です。これでいいんかいな?わかります??ま、今日はあんまり突っ込まんといてください。最初やし。徐々に行きましょう。これねえ、10日に1回くらい更新したいんですけど、どうなることやら。。。。
2003年10月16日
久しぶりにマルチェロに会った。以前「かみぽこ異人交遊録」に登場してもらった、(6月9日日記 「マルチェロ」)わたしのコースメートのアルゼンチン人だ。「おお、かみぽこ。忙しいぜ。忙しい。」彼は言う。今年は学部生の授業は受け持たないらしいが、学部の事務仕事をしているらしい。その上、彼の住んでる学校が所有するフラットの責任者もやってるらしい。なんでも20人くらいいっしょに住んでいるらしく、大変だと。もちろん研究もわたしと同じく大事な時期だ。まあ、彼はいつも忙しそうにしてる。それを結構まじめに話すし、以前書いたように長身で、長髪、大きな瞳がきらーん!の男前なのだが、申し訳ないけど、どこか滑稽なところがある。。。。~~~~~~~~芸術会館のカフェでお茶を飲んでると、R君が来た。R君は「かみぽこぽこ」初登場。今年英語教授法の博士課程に入った日本人だ。しかし、うちの学校ではわたしよりベテランだ。まず最初に、JYA(日本の大学生対象の1年間の留学プログラム)でうちの学校に来て、その後、英語教授法の修士課程で再びうちの学校に来た。そして、今年博士課程に入った。実にうちの学校に3回目の入学だ。。。。。その彼がなんとマルチェロが責任者のフラットに住んでるという。R君曰く。「マルチェロさん。忙しそうですよね。朝、キッチンで『トイレットペーパー代の10ポンド覚えてるか?』って会う人会う人に言って、必死にお金を徴収してますよ。」このフラットではトイレは共同。そのトイレットペーパー代を共同生活の20人から徴収するのに毎日必死なのだという。なるほど、そりゃ忙しいわけだ。。。しかし、1人1人声をかけて徴収する以外に、他のやり方はないのかね?~~~~~~~~同じく芸術会館のカフェでお茶を飲んでると、社会学修士課程のN子ちゃんが来た。「学校の寮の歓迎パーティが礼拝堂であったんですけど、マルチェロさんが来てたよ」あいつ、学校の寮と関係ないやんか。ほんとあいつ、どこのパーティにも顔出してるんだな。相変わらずのパーティアニマルか?「なんか、みんなの前に立って、『サルサ』のステップ教えてましたよ。でも、パーティはアジア人ばっかりで、初歩の初歩から教えなくちゃならなくて、汗びっしょりになってやってましたよ。。。なんか、ものすごくまじめに一生懸命教えてるんで、おかしかった。。。」~~~~~~~~結局マルチェロの「忙しい。忙しいぜ」ってなんなんだろう?あいつ、結局人に頼まれると断れないんだろうな。憎めない奴だ。サッカー・アルゼンチン代表に3人はいそうなイケメンなのに、トイレットペーパー代を必死に集めたり、「1、2、3、4。。。」と汗だくになってサルサのステップを教えている。。。。そんな姿を頭に思い浮かべて、わたしは少し苦笑してしまった。。。
2003年10月15日
もう結構前の話になる。なんせわたしが学会に行く前の話だ。書こう書こうと思って、延び延びになってしまっていた。ということで、今日は「かみぽこカーの車検」。まず最初に、わが愛車「かみぽこカー」について書こうと思う。これまで断片的に何度か書いてきたが、ちゃんと書いてきたことはなかったから。「かみぽこカー」日産マイクラ(欧州版マーチ)。色:白。1996年産。特徴:女性を乗せるとついてもいないターボエンジンが動き出し、絶好調になる。 男性を乗せるととたんにエンジンが「ぷすぷす。。。」とか言い出す。 基本的にオーナーに性格がそっくり。 どりゃ~~~~~~~~っとか、ぬおおお~~~~~~~っとか言いながら走る。わたしで3人目のオーナー。2年前に内閣府からうちの学校に派遣されていたHさん(内閣府からうちの学校に派遣されていた)N子さん(総務省から派遣されていた)の日本人役人夫婦から購入。その「かみぽこカー」の年一度の車検が9月にあった。今日は英国の車検(MOT検査)について紹介したい。MOTとはMinistry of Transport(運輸省)のことで、日本の車検に相当。英国では、新車購入から3年後に最初の検査を、その後は1年に1回検査を受けなければならない。検査は、MOT認可の自動車修理工場で行う。検査内容は日本の車検に比べると簡単で、ブレーキ、タイヤ、ステアリング、シートベルト、照明関係などの機能チェック。検査そのものは1時間くらいで終わってしまい、MOT検査証を発行してもらって終わり。2年前に初めてMOT検査を受けたとき、工場の受付の人から、「コーヒーか、お茶かどっちがいい?飲みながら待ってれば検査終わるから。。。」とか言われて、ええ?車検でしょ??とびっくりした思い出がある。MOT検査の値段も、約35ポンド(7000円くらい)だ。この検査だけでは、とても全てをチェックしきれないので、わたしはこれ以外に、毎年3月同じ工場で車の定期検査を依頼している。これは多少お金がかかって、約300ポンド(6万円くらい)する。これは、わたしが「郷に入っても、郷に従わない」ことの1つである。英国では「D.I.Y」(Do it yourself)といって、業者に依頼しないで自分でやることをよしとする考え方がある。例えば、家の壁を自分で塗り替えたり、本棚を自分で作ったり。車の整備を整備工場に出さないで自分でするのも、一般的だ。エンジンオイルを取り替えたり、タイヤを取り替えたり、エンジンの部品を取り替えたり、全部自分でやろうとする人が多い。しかしですよ。。。。。高速道路を走っていると、必ず途中でタイヤがコロコロ転がっていたり、故障で止まっている車を見かけたりする。そうそう、この間シェフィールドから帰ってる途中に、衝突してる形跡がどこにもないのに、1台でごごごごご~~~っと炎上している車を見た。わたしは、英国でこんなに故障している車が多いのは、「D.I.Y」のせいだと思う。日本の感覚でいうと、車ってそんなに簡単に壊れるものではないと思う。ちゃんと整備していれば。だから、わたしは車については、英国の習慣に従わない。昨日の「1人暮らし」もそうだが、これは「郷に入っても、郷は従わない」のだ。車は、間違うと命に関わるのだから。車検後、かみぽこカーは絶好調、のはずだ。。。なのに、男を乗せるとあいかわらず怠けている。ほんとにしょうがいないやつだ。
2003年10月14日
いつものように、学校の芸術会館のカフェで、コーヒーを飲んでいた。そこへO田がやってきた。O田は「かみぽこぽこ」初登場。経済学部の博士課程(PhD)だ。あの、S田のおっちゃんの後輩にあたる。O田は実はうちの学校2年目である。昨年度は経済学部修士課程に在籍していた。それを修了し、今年度からPhDに上がった。彼は、職歴もある。うちの学校に来る前は外資系証券会社でディーラーをやっていた。バリバリ儲けとったらしい。そう、S田のおっちゃんやわたし、「黄昏ぶらざ~ず」と同じ道を歩んでいるかわいい後輩なのだ。ただ違うのは、「黄昏ぶらざ~ず」がただのおっさんなにの対し、O田はまだぴちぴちの20台。。。。。これから彼は帰国した「白井秀和」ことR太郎君に代わり、男前キャラとして活躍してもらうつもりです。わたしはO田に聞いた。「家、どうなった?」O田は、昨年度は大学の寮に住んでいた。しかし、これは英国の大学では普通だと思うのだが、大学は住む場所を保障してくれるのは1年目だけで、2年目からは学校の外に自分でフラットを探さなければならない。わたしもそうだった。ただ、わたしの場合は学校の外に住んでいた日本人が帰国するので、そのフラットを引き継いだ。だから大家さんとの契約など、問題なくスムースにいった。ラッキーだったと思う。ただ、わたしは本来2人で住めるフラットに1人で住んでいる。なぜなら、学生が住める一人暮らしのフラットは、うちの学校の周りにはほとんどないからである。だから時々、一緒に住みたいと言ってくる人がいる。実はO田も一緒に住めるかわたしに問い合わせてきた。2人で住めるところなのだから、当然家賃は高い。しかし、わたしはO田の申し出も含めて全て断ってきた。なぜか。わたしは一人暮らしにこだわったのである。理由はいくつかある。まず、30歳を過ぎて、若い人と住む場所を、特にキッチンやトイレ、シャワーを共用するというのは、はっきり言って嫌だったからである。また、もし一緒に住むのが外国人だと、外国人とリラックスタイムまで英語で会話しなければならない。気が休まる暇がない。そんなのは勘弁だ。1年の修士課程なら、それも勉強だろうが、3-4年かかるPhDでそれだと気が狂ってしまうと思った。とにかく、長丁場の研究生活である。多少金がかかっても、無駄なストレスを少しでも感じないような研究環境を整えることにわたしは徹したのだ。これは英国ではちょっと変わった考え方らしい。うちの学校のような田舎だけではなく、ロンドンなどでも一人暮らしのフラットを見つけるのは難しい。独身の人なら、学生でなくサラリーマンなどでも、他人と一つ屋根の下で共同生活をするのは普通らしい。わたしは一人暮らしを始めるとき、あるとても国際交流に熱心な日本人女性から説教を受けた。「外国にいるんだから、外国人と一緒に住んで、いろいろ学ぶべきです。」まあそれも一理あるかもしれない。しかしそれは青臭いアマチュアリズムだとわたしは思う。わたしは学生ではあるが、同時に研究者としては教授陣と同じ土俵で競うプロでもある。プロの仕事をするための環境を整えることがなによりも優先されるべきだと思う。だからわたしは、研究生活の根本である住居というところで妥協する気にはなれない。別に外人のまねなど一生懸命しなくても、プロとしての研究成果を出していけば、自然といろんな場で認められて国際交流などできるようになる。話がだいぶずれてしまったが、「家はどうした?」というわたしの質問に、O田は「一人暮らしします。やっぱり他人とは住めません。研究に集中したいですから。」と言った。「一人暮らし派」の誕生である。外国で勉強する際、「これは外国の人に合わせられる」「これはゆずれない」というものを明確に分けて行動できるようにならないと、とても成功はおぼつかない、とわたしは思う。
2003年10月13日
松山千春氏の楽曲を全く音楽理論的根拠のない、私の勝手な解釈により紹介することで、人生と恋愛を考える(?)このコーナー。衆議院が解散した。松山千春氏の周囲も、なんだか騒がしいようだ。そこで、今日はこの曲。「La La La」まずは、いつものように曲の世界から。-------------------------------------君に伝えたい事 口に出せずにいるとやがてこの世は終わり 告げてしまいそうだね愛を守るために 何をしようかひざまずいて祈る事 銃をかついで戦う背中を向けて逃げる事 このまま歌を歌うのLaLaLa LaLaLa LaLaLa君を愛しているよ たとえどんな時でも愛は永遠のもの 星のはるかかなたで愛を守るために 何をしようかただひたすら待ち続ける やられる前にやっつける泣き叫びすがりつく事 このまま歌を歌うのLaLaLa LaLaLa LaLaLaLaLaLa LaLaLa (JASRAC許諾第J070214365号)------------------------------------シンプルなメッセージではある。しかし、そのメッセージは深い。「愛する人を守るために、何をしますか?」「ひざまずいて祈ることですか」「銃をかついで戦いますますか」「背中を向けて逃げますか」「ただひたすらに待ち続けますか」「やられるまえにやっつけてしまいますか」「泣き叫び誰かにすがりつきますか」そして、「このまま歌を歌い続けますか」しかし、千春さんは答えを言ってくれない。LaLaLa LaLaLa LaLaLa~♪と歌うだけ。「愛するものを守るために何をするのか」それを考え、決めるのは「国」でも「社会」でも「政治家」でも「役人」でも「アメリカ」でも「宗教家」でも、そして「歌手」でも。。。誰でもない。誰も考えてくれない。誰も決めてくれないのだ。「愛する人をどう守るか」それを決めるのは「あなた自身」。あなたが自分で考えて、自分で決断して、自分で行動するしかない。逃げるんですか、戦うんですか?さあ、あなたはどうしますか?このシンプルな曲は、わたしたち一人一人に、鋭く覚悟を問うている。アルバム「La La La」収録 2000年5月10日発売アルバム「季節の旅人」収録 2001年3月31日発売 ---------------------------------------------「松山千春」バックナンバーはこちら。
2003年10月12日
さあ~、今日はフットボールがわが「かみぽこ家」にやってきましたよ~!ふっぼ~る いず かみん ほ~む♪いっつ か~みん ほ~む♪いっつ か~みん♪今日はSKY SPORTS 1で「欧州選手権予選:イングランドVSトルコ」を観戦です。さて、今日は前回大絶賛の嵐だった(?)「なりきりイングランド労働者」で再び日本に伝わらない英国人の真の姿をお伝えしたいと思います。~~~~~~~~~~~~~~おう、俺や。かみぽこや。文句はないやろな?今日は、ほんまに命かかっとるで~~!欧州選手権予選7組の最終戦や。わが無敵の大英帝国様様が、トルコと対戦や。わが大英帝国様様は、引き分け以上で予選突破やで。まあ、今日も楽勝にきまっとるがな。なんせ相手はターキーやで。ターキー。七面鳥野郎どもなど、わが大英帝国様様の相手ではないわ。今日はイスタンブールで試合やで。どや、スタジアム見てみい。わが大英帝国を応援するダチどもでうまっとるわ。。。わ?わ?わわ?わわわ?わわわわ?わわわわわ?ぬおおおおお~~~~~~~~~~~~~~~~~。スタンド全部真っ赤やないか~~~~~~~~~~。(ご存知の通り、赤はトルコのユニフォームの色。)ど、ど、どこにもダチどもがおらへん。ど、ど、ど、どないなっとんや~~~~~~~~~~。なに?(新聞見てみる。)イングランド・サポーターは前の試合で場内乱入したので、この試合観戦禁止やと??なぬ?「イスタンブール空港で隠れて入国しようとしたイングランド人45人拘束」やと??このサッカー場にイングランド人、ひとりもおらんのけ???きえええええええ~~~~~~~~~~~~~~。われらがお・デービッド・おベッカム様、お・マイケル・おオーウェン様が殺されてまうがな~~~~~~~~~~~~~~。ひえええええええ~~~~~~~~~~~~~~。ばばばばばばばばばば!!!!!!!!!な、なんの音や?は、は、発炎筒や。スタンドから真っ赤の煙があがっとる。。。。七面鳥野郎ども、試合も始まっとらんのに、狂っとるわ。。。。。こ、こ、怖い~~~~~~~~~~~~~~。と、と、とりあえず、わが大英帝国様様のメンバー発表やで。GK 1 ジェームズDF 3 コール 6 キャンベル 5 テリー 2 G・ネヴィルMF 4 ジェラード 7 ベッカム(主将) 8 スコールズ 11バットFW 9 ルーニー 10へスキーは?心配せんでもオーウェン様欠場??けが???よかったな、殺されんですんで???あほ!そういう問題ちゃうがな。ほ?リオがおらんがな。世界一のDFであるおリオ・おファーディナンド様が。。。なに?薬物検査受け忘れて、メンバーからはずされたやと??その処分に選手が怒って、試合ボイコット寸前やったやと???ひ?キーロン・ダイアーがレイプ疑惑??さ・い・あ・く・や・ん・か。。。。。。。こ・れ・で・し・あ・い・で・き・る・の?さあ、気を取り直して国歌斉唱や!「GOD SAVE THE QUEEN!」気合入れて歌うで。ごっ。。。ごっ。。。ごっ。。。あれ?ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~なんやあ、このブーイングは。ま、まったくわが誇り高き大英帝国様様の国歌、きこえんやないか。七面鳥野郎どもの国歌や。さあ、負けずにブーイングするで。で、で、で、。。。。。♪~♪~♪~♪~お、おう。け、結構きれいな曲やんけ。試合開始や。お、わが大英帝国様様、なかなかええ動きやないけ。おお、コーナーキックや。お・ベッカム様がけるで!しいいいいいいいい~~~~~ん。なんじゃ、この葬式みたいな静けさは。世界的英雄であらせられる、お・ベッカムのコーナーキックやいうのに。調子狂うのう。。。ポテッ。。。。あら?お・ベッカム様も調子狂うてしもた。へんなとこ蹴ってもうたわ。わああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ~~~~~~~~~~~~な、な、なんやねん。七面鳥野郎どもがボール持っただけで、どーゆー騒ぎやねん。わああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ~~~~~~~~~~~~あ、あかん、七面鳥野郎どものシュートや。おお、ジェームズ、ナイスセーブやで。35分。。。しい~~~~~~~~~~~~~~~~~~んん。な、なんや、急に静まり返りよったで?は、ジェラードがペナルティエリアで転んどる。もしかして、PK?あんまり静かなんで、わからんかったわ。ほんまに調子狂うのお。今日は。。。そんじゃ、気を取り直して、ぬおおおおおおおおお~~~~~~~~~~~~~、やっときたチャンスじゃ~~~~~~~~~~~~い。さあ、、偉大なるわれらがお・ベッカム様がけるで!ずるっ!ぽてっ。。。。。。。あら、お・ベッカム様、すべってころんでもうた。。。。PK失敗。こらあ、七面鳥野郎ども!おんどれら、地面に細工しよったな?後でどついたるぞ、どついた、た、た、た。。。。わああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ばばばばばばばばばばばばばば!うわっ!また発炎筒や。こ、こ、こりゃあかん。逃げよ。ハーフタイム。。。なんとか0-0で耐えたで。あと45分や。はあああ~~~~~~。は?おベッカム様と七面鳥野郎がドレッシングルームへの帰り道で小競り合い??七面鳥野郎がおベッカム様の鼻をつついたやと???このくそがきゃ~~~~~、なにしとんねん。後でケバブ屋襲撃したる!え?ケバブ屋でフィッシュアンドチップス売っとる??そ、そうか。フィッシュアンドチップス食えんようになるのもこまるのう。。。。襲撃はやめとこか。お?テレビ画面に東洋の猿どもの国のおなごどもが映っとるやないけ。七面鳥のユニフォーム着とるやないけ。なんや、イルハンとかいう4流選手の応援?このおなごども、我ら大英帝国様様が命を賭けて戦っとるというに、なにとぼけたことしとんねん。はよ、サル山に帰って寝とれ!後半。。。もう、前半だけで疲れてもうたがな。わあああああああああああああああああ~~~~~~~~~~~~~~~~~わあああああああああああああああああ~~~~~~~~~~~~~~~~~おお、七面鳥野郎どもの猛攻撃や。ど、ど、ど、どないしょ~~~~~~~~。わあああああああああああああああああ~~~~~~~~~~~~~~~~~~わあああああああああああああああああ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ああ、神様、なんとかしたってくれ~~~~~。????しかし、わが大英帝国様様、よう守っとるわ。おお、こいつら、命がけのディフェンスや。おお、キャンベル。やっぱ顔怖いであんた。同じ人類とは思えんな。。。ぴっぴ~!しいいいいいいいいいいいいいい~~~~~~~~~~~~~~~~ん。あれ、場内静まりかえりよったけど、もしかしてし・あ・い・しゅ・う・りょ・お~??????0-0。引き分けや。ちうことは、もしかしてわが大英帝国様様、欧州選手権予選7組、一位で通過?な、なんや、ようわからんわ。もう、つかれたわ。。。。。腹減ったけどケバブ屋行くのやめとこ。。。七面鳥野郎どもに襲撃されるわ。今日は静かにしとこ。。。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~大変失礼致しました。民族蔑視発言乱発になってしまいました。ここに陳謝いたします。m(_ _)m少しでも、英国労働者階級の実態が伝われば幸甚です。また、アウェーで戦うのが、どれほどこわいことなのかが少しでも伝われば、なお幸甚です。ごきげんよう。
2003年10月11日
4.推薦状を作る。(2000年5月)さて、大学の体育会のナカハタ監督、T参院議員の2人から大学への推薦人になってもらうことを快諾してもらった。そこで、わたしは「推薦状の作成」に取り掛かった。推薦状の作成?推薦状というのは、推薦人に書いてもらうもんじゃないの?という、当然の疑問があると思う。しかし、留学に関わったことのある人ならご存知だと思うが、日本では「推薦状」というのは、自分で英語で作って、それを推薦人に確認してもらってサインをもらうもんだ。もちろん、まれに英語ができる先生などが自分で書いてくれるケースがあるが、だいたいはサインするだけだ。これは常識となっているといっていい。あるうちの学校の日本人学生は、推薦状を依頼して、書くことまでお願いしたら「こういうものは、書いて持ってくるもんだ。常識ですよ!」と、推薦人の先生に説教されたそうだ。それもどうかと思うが、まあ推薦人の機嫌を損ねてもなんなので、気をつけましょう。わたしの場合は2人に対して「英語で草稿を作ってきますので、確認してください」と先に申し出た。それが礼儀だと思ったのと同時に、推薦状の内容について、自分の思うとおりにしたかったからだ。わたしは日本語で推薦状を作り始めた。なぜ日本語かというと、ブリティッシュカウンシルBUPSコースのダイレクター、ジョーが翻訳家を紹介してくれたからだ。推薦状をわたしのつたない英語で、という訳にはいかない。だから、今回はまずわたしが日本語で書いて、金を払ってプロにパーフェクトな英文に仕上げてもらうことにした。ナカハタ監督の推薦状はそんなに問題ではなかった。監督の推薦状は、わたしの人間性を証明してもらうのが目的だ。「かみぽこは大学時代、学生連盟関東支部幹事長として、指導力を発揮した。そちらの大学でも、セミナーにおいて、積極的に周りをリードして、貢献するであろう。」とかなんとかいう感じの内容ですぐ作った。問題はT参院議員の推薦状だった。以前書いたように、わたしは大学時代の先生と連絡が途絶えていた。ところが、英国の大学から求められる推薦状は「学問的素養を証明するもの1通」とある。要するに大学の先生の推薦状を要求するものだ。わたしは、知りもしない大学の先生に頭を下げて推薦状を頼んだりせず、T参院議員の推薦状を「学問的素養を証明するもの」として作ろうとした。これについては、親友かわぽこのアドバイスを得た。かわぽことは、わたしの「たこちゅー商事」時代の同期入社で、テキサス大学卒業。たこちゅー商事をわたしより先に退社して、LSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)の修士を修了。この時は、外資系IT会社の日本支社に勤務していた。彼が、LSEに出願したとき、実は同じ問題に遭遇したのだ。彼はたこちゅー商事を入社6年で退社。その時、彼もテキサス大学時代の教授とは連絡が取れなかったのだ。そこで彼は、知り合いの国会議員の推薦状をそれに代用した。その推薦状の内容は「国会議員の勉強会に参加して、政策立案の中心メンバーとして活躍した」というものだった。これは全くの作り話である。わたしはかわぽこのアドバイスに従って推薦状を作った。T参院議員の推薦状はこういう内容になった。「かみぽこは、わたしの主催する政治勉強会に中心メンバーとして参加し、とくに外交問題のセミナー、選挙制度のセミナーでは指導的立場に立って、政策立案に貢献した。日本の選挙制度は英国の小選挙制を参考とした方向で改革され、かみぽこが英国の政治制度を現地で学ぶのは、わたしにとって、大変喜ばしいことであり、また貴校にとっても、日本選挙制度改革の現状をかみぽこを通して知ることは大変有益であると信じる。よって、わたしはかみぽこを貴校の学生としてふさわしいと強く推薦する」このT参院議員の勉強会うんぬんは、全部うそである。もうこれは時効であると勝手に判断するし、留学を志す人に有益な「ほんとの話」だと思うし、うちの学校に対してわたしは一定の貢献は果たしてきていると確信しているので、ここに正直に打ち明ける。ただ、以前にも書いたが、これはまれな最悪のケースをどうしたか、という話だ。もちろんちゃんと大学の先生からきちっと推薦状をもらうことが正しいやり方だ。後に、この推薦状は問題を引き起こすのである。(続く)
2003年10月10日
今日もいつものように午後3時過ぎに芸術会館のカフェに行ってコーヒーを飲みながら本を読んでいた。そこへやってきたのは珍しくスティーブン。(彼については5月29日日記「哲学者(?)スティーブン」ご覧ください。)哲学部のPhD。イギリス人。外見は、長身、痩せ型。カーリーヘアが、ちょっとだけ後退。丸めがね。年齢、たぶん27歳。昨年まで文学部の修士にいて、いま日本で働いているS子ちゃんの彼氏。かなりのぼけキャラである。スティーブン曰く、「夏休みに2ヶ月。。。日本に。。。。行ってきた。。。。」ほう。S子ちゃんに会いに。どうだった。「よかった。。。S子のおとーさんも、おかーさんも、いい人だったし。。。しかし、」しかし?「S子はほとんど毎日仕事で。。。。相手して、くれなかった。。。。」それはそれは。「しかもS子は毎日1時間半も電車に乗って仕事に行くんだ。クレイジーだ。だから、ほとんど一人でいろんなとこ行った。」どこに行ったのさ?「新宿、人が多くて、駅もとても複雑で。。。迷った。。。。ところで、ものすごい驚いたんだけど。。。。」何が?「道を人に聞いたんだ。。。。一回じゃよくわからんから。。。目的地に着くまで何人も。。。そしたら、どの人も『アメリカ人ですか?』『アメリカのどこから来たんですか?』って聞くんだ。。。。『いや、イギリス人だ』って答えると、ものすごいびっくりされて。。。日本じゃ、外人は全員アメリカ人だと思ってんの??こんなに違うじゃないか『英国人』と『アメリカ人』!」まあ確かに、そういう人は多いわね。「お台場へ行ったんだ。。。。。ゲームセンターは入って、自動車のゲームをやった。隣に小学校の女の子が座ったので競争したら。。。負けちゃった。。。。」ああ、英国人、車の運転てきとうだもんね。。。「それにしても。。。ほとんど本物の車と変わらんじゃないか、あのゲーム。。。な、な、なんてハイテクなんだ?日本は。。。」「それから、京都に行きたくて、新幹線に乗った。。。。」ほう。「途中で『富士山』が見えたんだ。でも、新幹線の窓が小さすぎて、ちょこっとしか見えなかった。。。。楽しみにしてたのに。。。」ああ、あんたでかいからね。。。スティーブンは、相変わらずボケながらも日本の夏を満喫したようです。しかし、スティーブンの英語「。。。。。。」多すぎる。会うたびに片言英語になってるような。。。。英国人のくせに。ちょっと気になるなあ。。。。
2003年10月09日
今日は「かみぽこ政治学」です。したがって、HP版とメルマガ版で違うものを載せます。メルマガ版は政治色を排して留学情報提供に集中したいからです。HPで「時事放談」をやるときは、メルマガでは過去の日記を掲載します。こうすればHPの常連さんも、「かみぽこぽこ」の過去からの流れを把握でき、メルマガを登録していただく意味が出てくるかと。。。。今日のメルマガ版は3月22日日記「近所の写真屋さん」を改訂して載せます。わたしがいうのもなんですが、かわいい日記です。そちらもご覧ください。------------------------------------最近日本の政界で大流行のこれ。。。「マニフェスト」これ、元々英国で選挙の際に政党から出版されているもの。英国在住者としてはこれを取り上げないわけにはいかないだろう。ということで、今日の「かみぽこ政治学」は、「マニフェストなんてちゃんちゃらおかしい!」。まず、「マニフェスト」自体について説明する。マニフェストとは、一言でいうと、「政党の国民に対する約束」。マニフェストは、政党が掲げる政策が書かれた数十ページの厚さがある週刊誌程度の大きさの小冊子.。1冊約2ポンド(約400円程度)で市販されている。英国国民はこのマニフェストを買って、各党の政策を比較し、選挙での判断材料とする。その結果、英国の選挙は日本と違って「政策が選択の基準となる選挙」になると。。。。。。。。ここまでは、通常に日本に住んでいて新聞とか見れば書いてあること。誤解を恐れず、はっきり言わせてもらう。うそつけ!と。バリバリの英国労働者階級出身にして、わたしの指導教官。新進気鋭の政治学者ドン・キーン博士は手をブンブン振りながらこうコメントする。「マニフェスト?ああ、あんなもん誰も読まない、読まない」これが英国人の本音は、庶民感覚を知るドンのこの短いコメントに集約されている。でも、「英国はマニフェストによって、政策中心の選挙をやってるから、日本も導入すべきだって議論になってるよ」とわたしがいうと、ドンは、ぶわっははははは!と大笑いした後、こう言った。「あのな、かみぽこ。英国のよ、医療制度(NHS)を見てみろ。地下鉄や鉄道などの悲惨な輸送手段を見てみろ。ぼろぼろに崩壊した教育制度を見てみろ。労働党はな、1901年からマニフェストやってんだよ。100年以上たって、なにが実現したって言うんだ?いつまでたっても口だけでよ、なんにも変わんないじゃないか。逆に日本のよ、国民皆保険制度、過去事故死者ゼロ、1分も遅れない新幹線、世界一の識字率を誇る義務教育制度。なんで日本がマニフェストやんなきゃいけないんだ?俺にはさっぱりわからんぜ」日本に住んでいるとピンとこないだろうが、ドンがわたしに言ったことは、英国に一度でも住んだことがある人ならわかるはず。病院に行くと、流血したまま8時間待たされることがある。鉄道はすぐ止まる。それだけではなく、よく脱線して死者がでる。列車に乗るのは命がけだ。。。。英国は確かに19世紀から20世紀初頭、他国に先駆けて近代化した。しかし、そこから後は二大政党制で政権が交代するたびに、全ての政策がひっくり返る。その繰り返しなのだ。その結果、例えば労働党政権が医療改革をやっていたのを、保守党が政権を獲得すると、いや鉄道インフラの整備が先だと政策を変えてしまって、医療改革がたなざらしになる。逆に労働党が政権を取り返すと、鉄道整備をやめて、たなざらしにして、再び医療改革を始める。。。。。。。。。。。万事そんな調子。その結果、マニフェストを始めて100年たっても、何にも変わっていないじゃないかということになる。これが間違いなく英国の実態なのです。でも、日本では政治家や学者が英国を視察して、マニフェストのすばらしさを報告してるじゃないか。かみぽこなどという無名の学者の卵の言うことなど信用できるかって?英国人ってのは、世界一宣伝の上手な人たちなのです。わざわざはるばる日本から客が来たら、「そりゃマニフェストをやれば、もう日本の政治はバラ色間違いなし」と美辞麗句を並べ立てて宣伝しますって。で、客が帰った後、「ああ、マニフェストなんて、誰も読んでない。はははは」とビール片手に笑っている。英国人とはそういう人たちなのだ。わざわざ日本からえらいさんが多数視察して、誠にご苦労なことでございますが、英国人の本音など、なんにも聞き出せてないわけだ。思い出してみてほしい。小選挙区制の導入。党首討論(クエスチュン・タイム)の導入。これ、「英国の制度を取り入れれば全てうまく行く」といって導入した制度。その結果は。。。わたしが言うまでもないよね。もう少し、具体的に説明したい。なぜマニフェストなんてちゃんちゃらおかしいのか?そもそもマニフェストの導入を日本で提唱し始めたのは、北川正恭・三重県知事など、地方自治体首長。で、地方でうまくいったから中央でも導入せよと。あのね。。。。地方と国では制度が全く違うわけ。知事は直接公選で選出されるし、「知事独裁制」と言ってもいいくらい、知事の権限は強い。確かにマニフェストを発表して、当選すれば、その通りに政策を実行していくことはやろうと思えば可能である。英国の政治状況も、この日本の地方自治体と似ている。仮に英国でマニフェストが機能しているとするならば、それは英国が二大政党制で、政権を獲ると「首相独裁制」といってもいいくらい権限が強く、やろうと思う政策は全て実行できる状況にあるからであるのだ。だから、まあ誰も読んでないという実態はあっても、マニフェストをやるというのはわからんでもない。それに対して、日本の国政は現状多党制で連立政権。政党間が政策協議を行い、妥協が成立して始めて政権が成立する。ここで「政党の国民に対する約束」と言ってマニフェストを作ったところで、どの政党も絶対に他党と妥協しなきゃ政権取れない。妥協するってことは、結局どの政党もマニフェスト通りに政策を実行しないってことだ。これじゃマニフェスト作っても意味ないじゃないか?マニフェストを作ってもどうせそれが守れないなら、それがこれまでの「政治家の公約違反」と何が違うの?という素朴な疑問をわたしは持つ。実は、ヨーロッパの議院内閣制の国で、「マニフェスト」などというものをやっているのは、「英国1カ国だけ」、という単純な事実がある。マニフェストがほんとに「政策が選択の基準となる選挙」をもたらすすばらしいものならば、日本なんかよりまず、英国に地理的に近いヨーロッパ諸国がこぞって導入するのではないのか?しかし、そんな事実はないのである。ヨーロッパでは、イギリスを除き、「連立政権」が常態である。つまり、常に複数の政党の政策面の妥協により政権が成立しているのが普通ということだ。これらの国はマニフェストなど全くやっていません。連立政権でマニフェストが無意味なことをよくわかっているからだ。しかし、例えばドイツの政治が連立政権で、マニフェストをやってないからといって、イギリスより制度的に劣るなどと言ったら、またドンに大笑いされるだろう。ということで、あえて言わせてもらいます。なにもかっこつけて「マニフェスト」などと横文字を使わないでも、「公約」を政治家が守ればいいだけ。「公約」を政治家が守るかどうか、有権者がしっかりチェックして、それを自らの投票行動に反映すればいいだけ。当たり前のことを当たり前に、まじめにすればいいだけことだ。------------------------------------「かみぽこ政治学」バックナンバーはこちら。
2003年10月08日
今日は久々に「かみぽこ異人交遊録」だ。いつ以来だっけ?「韓国のおばさん」以来??ということで、今日は「うちの学校の『トルシエ』監督」。マルコ。イタリア人。経済学の博士課程(PhD)。彼はわたしと同じ時期にうちの学校に来た。わたしは3年前の7月末、10月からの修士課程本コース開始の前に行われる、プレセッショナル・イングリッシュコースに通ったが、彼も同じコースに参加するため、ミラノからやってきた。このプレセッショナル・イングリッシュコースには主にラテン系、中華系、日本人の3種類の人種が参加していた。10月からの修士課程が始まる前に、英語力を強化する目的で行われるコースだ。だいたいラテン系というのは、意味不明に自信家な人が多く、「わたしは修士課程が修了したら、PhDに進むに決まっている」と、言い切っている人がほんとに多かった。わたしなど、その当時は1年の修士が終わったら日本に帰国して就職するつもりだったし、そもそもPhDとはなんなのか、よくわかってなかった。「PhDってなんじゃらほい?」だったのである。そんな中で1人、妙に自信なさげなイタリア人がいた。。。。マルコである。彼の顔は日本人なら一回見たら絶対忘れない。なんてったって、あの「フィリップ・トルシエ」前サッカー日本代表監督にそっくりなのだ。しかも、トルシエさんと同じようなメガネまでかけている。しかし、この「うちの学校のトルシエ」は赤鬼・トルシエ監督とは性格的に似ても似つかない。。。。マルコは自信たっぷりの周囲のラテン系学生とはかなり調子が違っていた。にこりともせず、むすっとした顔で「わたしはPhDに進めるかわからない。経済学修士は難しいコースだ。進みたいとは思うが、自信がない。。。」と繰り返し言っていた。また、彼は陽気で楽天的なラテン系のイメージとは実にほど遠く、「わたしは顔が悪いから。。。。」「わたしは悲しいほど女性にもてない。。。。」というのが口癖だった。みなさん、トルシエさんの顔を思い出して欲しい。日本人から見て、まあ男前かどうかは評価が分かれるところだろうが、そんなに悪い顔ってことはないのでは?しかし、ラテン人の感覚では、薄い顔というか、色気に欠ける退屈な顔ということになるようだ。その上、彼はイタリア人のくせに、しかもわたしより若いくせにファッションセンスが悪く、いつもよれよれのスーツをノーネクタイで着ていた。。。。イタリア人らしい、体にぴっち~~っと張り付いた服など一度も着たのを見たことがない。マルコは勉強態度は非常にまじめな奴だった。しかし、ラテン系学生の間では、「あいつは退屈な奴だよ」と、悪評ふんぷんだったのだ。。。。しかし、プレセッショナルコースが終わり、10月に本コースが始まると、こんな状況が少しずつ変わってくる。自信たっぷりのはずのラテン系学生と学校内ですれ違うと「かみぽこ。なんてストレスフルな毎日なんだ。。。」「かみぽこ。俺はもうやっていけない。こんなに勉強が大変とは思わなかった。。。」などと言い出す奴続出。。。。おいおい、あんたらみんなPhDに行くに決まっとるんちゃうんかい。。。更に年が明けて1月くらいになると、この人たちだんだん開きなってきた。「かみぽこ。やはり我々は人生を楽しむことが必要だ。こんな勉強などにストレスを感じている毎日は悲しい。パーティだ!パーティ!」こんなところで人生楽しんでどうすんねん。。。しかし彼らは続けて、「かみぽこ。なぜお前は毎日勉強ばかりしてるんだ。人生を楽しめ。お前はこのままでは豊かな人生は送れない。」とわたしに説教を始める始末。余計なお世話や。ほっといてんか!これが4月くらいになると、もうやけくそになる。。。。学校の寮の前の広場では、毎夜ラテン系のドンちゃん騒ぎが行われる。ギターをかき鳴らす奴。踊り狂うやつ。カンツオーネ、ボサノバ、サルサ、サンバ。。。いや、いろんなリズムの音楽が流れる、流れる。。。。今、わたしは学校の芸術会館のカフェでコーヒーを飲みながら周囲を見渡す。あのプレセッショナルコースの時、「わたしはPhDに行くに決まっている」といった奴ら。すっかり姿を消している。。。。PhDに進んだのは、かみぽこと「マルコ」の2人だけ。外国では、自己主張が何より大切だとよく言われる。こつこつまじめにやること以上に、自分をしっかりアピールすることが大切だと。しかし、わたしはマルコの姿を学校で見かけるたびに思う。まじめにこつこつ物事に取り組んでいく奴が最後に生き残ることは、世界のどこに行っても実は変わらないのだと。
2003年10月07日
今日は新コーナー、というわけではないんですが、「かみぽこぽこアーカイブズ」というのをこれから時々やってみようかなと。要は、過去の日記を再掲載することです。理由は2つ。1つは言うまでもなく、メルマガを始めたことです。メルマガを通じてはじめて「かみぽこ」の存在を知った方々に「かみぽこ」とはどんな人物なのかを自己紹介しなければなりません。もう1つの理由は、このHP自体の常連さんも、実は夏休み後にお付き合いが始まった方が多いことです。このHPの最初からの流れをご存じないと思います。例えばPhD(博士号)。初期の日記で説明しているのですがもう古い日記ですので、PhDってなんじゃらほい?って思ってる方も多いと思います。ということで、今日は「第一回かみぽこぽこアーカイブズ:PhDってなんじゃらほい?(2003年4月3日日記)お送りします。-------------------------------------------------------申し遅れましたが、このHP来てみて「PhDってなんじゃらほい?」って思っている人が多いんじゃないでしょうか??私は今、生活が研究バージョンに入りつつあるので、このHPは今後研究ネタが多くなると思われます。そこで、今日は「PhD」について少し説明をしたいと思います。まず、PhDの意味ですが、「PhD = Doctor of Philosophy = 哲学の博士」。これは、大学が主に文系といわれる分野での博士課程修了者に授与する学位のことです。学問の分野が「社会学」「人類学」「文学」「政治学」「経済学」。。。。と細かく分かれていても、学位は「哲学の博士」となります。さらに細かく言えば、この「哲学の博士」の後ろに、学問の分野がついて、政治学博士なら「PhD in Politics」、社会学博士なら 「PhD in Sociology」という学位になるのです。なんで「哲学の博士」となるのかは、誰かに聞いたり調べたりしたことはありません。私はあんまり細かいことが気になるたちではないので。すみません。私の勝手な解釈では、古代ギリシャのアリストテレスやプラトンの時代からの西洋の学問の伝統から、博士というものは哲学者であるとみなす、ということではないのかと思っています。。。。。つまり、私は今、英国の大学で「政治学博士」の学位を得る為に日々研究に没頭する日々(?)を送っているのであります。次に、どうすれば「PhD」はもらえるのか?それには、博士論文を所属の大学に提出し、審査を受け、パスする必要があります。博士論文の長さは、学校や学問分野によって違うと思いますが、私の場合は英文で約80000WORDS。80000WORDS???イメージがわきにくいと思います。まあ、本一冊です。優秀な博士論文はそのまま本になることもあります。では、PhDの日常とは?これは今後日記で書いていきますが、基本的には月一度論文指導の教授に会うくらいで、全く拘束がありません。公的な活動としては、関連の学会に出席したり、そこで研究発表、あと、学術雑誌に研究成果を発表したりすることがありますが、これも別にノルマになっているわけでもなく、自分の研究の向上に必要ならやるだけで、自己管理の範囲内です。PhDの学生のなかには、非常勤講師として、学部生のセミナーを受け持つ人がいます。これをやると準備とかに結構時間をとられ、忙しくなりますが。ちなみに私はやってません。え?わかんない??。。。う~ん、確かに。わかんないですよね??よし、こう言えばいいですかね???要するにですね、「売れない小説家」のようなもんです。 現状プータローみたいなもんで収入がなく、論文を書いて、それが認められれば大学とか研究機関に職を得られて、食っていけるようになると。 わかりましたでしょうか???? その辺はまた後々、お話しましょう。
2003年10月06日
ちゃんちゃかちゃーんん!みなみなさまがた。ついに「メルマガ版:かみぽこぽこ」創刊号、発刊いたしました。発行元は「メルマガ天国」です。↓ここから登録できます。http://melten.com/m/16167.html よろしく!実は、先日報告したメルマガの内容を少し変更します。「留学回想録完全版」はやめて、「毎日の日記」をメルマガ化します。あ、もちろん「時事放談」と「松山千春」はメルマガの趣旨とずれるので、はずしますが。。。詳しくは下記をご覧ください。「メルマガ版:かみぽこぽこ」創刊号は以下の通り発行致しました。ご覧ください。------------------------------「かみぽこぽこ:英国大学院留学記」創刊号 2003/10/06☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆こんにちは。「かみぽこぽこ:英国大学院留学記」執筆者の「かみぽこ」です。わたしは英国のある大学(このメルマガでは「うちの学校」と表現します。)の博士課程でPhD(博士号)取得を目指している者です。専門は政治学です。わたしは35歳です。日本で「たこちゅー商事」(もちろん仮名です。。。)という某大手商社(え?某になってないって??)の国内部署に8年勤務して退社、1年間の迷える日々を経て、2000年10月に「うちの学校」の修士課程に入りました。そして、1年の修士課程をなんとかかんとか修了し、いま、博士課程で研究生活を送っています。在英4年目に入ってます。今日から、1. わたしの英国での研究生活、個性あふれる人々との交流を「日記」として、不定期(頻繁)に配信。2. 会社退社から現在までを回想を「英国留学回想録」として、毎週日曜日に配信。という形で皆様に紹介したいと思います。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆わたしはこのメルマガを始めるにあたって、1つ思うことがあります。それは世に氾濫しているいわゆる留学体験記のたぐいの本を読んだ時に感じるある種の違和感です。曰く「外国人との日々の交流で、異文化の面白さを学んだ」「セミナーで、外国人のエリートと刺激的な議論をした」「厳しい日々を送ったが、真の実力がついたと思う」などなど。これは正直言って、これ「ほんまかいな?」と思うわけです。外国に行って外国語で全てやんなきゃいけないのに、そんなにかっこよく行くもんなの?異文化ってそんなに簡単に理解できるもんなの??それ以前に、そんなにみんな簡単に親しげに、外国人に対して話しかけてくれるもんなの?まあ、そういう方々はきっととても優秀なエリートなのだろう、と思います。わたしが経験してきたことはこれとは違います。大変な失敗ばかりでした。相手とうまく言葉が通じなくて一生懸命主張してると、相手が怖がって警察を呼ばれかけたこともある。(しかも3度も。。。。)失敗しながらなんとかかんとか、周囲の人間に通常考えられないくらいの理解と協力を得ながら、手探りでやってきたのです。わたしは、通常の留学体験記では到底お目にかかれない、しかし実は留学生活ではよくあることを、自分の記憶が残っているうちにどこかに書き残して、整理しておこうと思ったのです。これがこのメルマガ発刊の理由です。わたしは実は約半年前から、「かみぽこぽこ」というHPで、この「日記」と「留学回想録」を中心に英国留学体験記を作り始めました。このメルマガはその延長線上にあります。従って、皆さんにお断りしておきたいのですが、このメルマガ「かみぽこぽこ:英国大学院留学記」はHPの延長線上として始まります。「日記」については、今日のことから読んでもまあ問題ないと思いますが、「回想録」はわたしが留学を志してから1ヶ月たった時点から、このメルマガでは始めます。それ以前の「回想録」に興味をお持ちの場合は、下記のHP版「かみぽこぽこ」をご覧いただきたいと思います。それでは、今後ともよろしくお願いします。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆<執筆者/発行責任者>かみぽこ<連絡先>kingofartscentre@hotmail.com<HP版「かみぽこぽこ」>http://plaza.rakuten.co.jp/kingofartscentre/
2003年10月05日
3.T参院議員ナカハタ監督から大学への推薦状をもらえることを快諾したもらったら、次はT参院議員である。永田町の参院議員会館へ電話を入れて、訪問した。英国留学については、3月に会った時に話していた。今回は大学へ出す願書、そして推薦状が必要なことを話した。Tさんは、推薦状がいるとわたしが言った瞬間に「いいよ」と即答した。以前書いたことだが、Tさんは「食えなくなったらなんでも言って来い」とわたしに言ってくれている。それで今回その言葉通りにわたしの申し出を快諾してくれたわけだが、今日はこのTさんとわたしの関係について書いてみたいと思う。わたしが若気の至りで、政治家になろうとしたことはすでに書いた。今から4年前の6月に会社を辞めて、ある政党の候補者公募に合格したまではよかった。ところがここからが大変だったのだ。。。まず問題だったのは、党本部が「候補者公募に合格したら、後は希望の選挙区の党支部と直接話してくれ。」という方針だったことだ。党本部は人材を選ぶけど、あとは地方でやってくれということだ。当時のわたしはよく言えば理想に燃えてたのだろうが、まあ、端的に言えば青かったというか、「選挙区と候補者の関係が密すぎるのはいけない。候補者は落下傘であるべきだ」などど考えて、自分と全く縁がない、しかしその政党が歴史的に強い県での落下傘候補としての立候補を希望した。あほだな。。。。しかし、そういう県はやはり立候補希望者が多いというか、公募合格者の中で、8人がその県からの立候補を希望していた。それに対し、候補者が空席となっている選挙区はわずか2つだった。。。わたしは党県連の面接を受けたが、あまり感触はよくなかった。後から聞いた話だと、立候補希望者8人中7番目の評価だったそうだ。それも今考えると当然だと思う。あの頃のわたしでは、何の人間的魅力もない。ただ、大企業にいる人間が立候補を希望したということで、珍しかったから公募に合格させただけだったからだ。ところがこの候補者選びは、面接の結果だけでは決まらず、混乱を極める。まず面接で1位と2位の評価を受けた人が辞退したらしい。奥さんや家族の反対を受けたとか。。。次に現職の国会議員や、県会議員のいろんな思惑がからんだ。わたしのところにも、ある県会議員から「500万出してくれたら、応援しますぜ」という電話があったりした。まあ、即座に断ったけど。。。国会議員間の県内の派閥対立もあった。わたしは最初別の議員の世話になろうとしたのだけれど、すぐにポイ捨てされ、また別の議員にもポイ捨てされ、だった。こういうことに嫌気がさして、立候補希望を辞退する人間が次々出る中で、わたしは粘っていた。3番目に会ったのが、T参院議員だった。T参院議員は、中学校の教頭という経歴を持っており、わたしが学校の先生の息子と知ると、すごく気に入ってくれた。もちろんTさん自身も、党県連内の混乱を抑えるため(どういう混乱かは、わたしは詳しく知らないが。。。)わたしに連絡してくれたには違いなかったが。。。10月ころには、Tさんの調整もあって、ある選挙区から立候補がほぼ決まりかけた(らしい)。その間わたしがやっていたことは、ひたすら待つこと。いろんな電話が掛かってくる。政治のいろんな関係者からわたしといっしょに動きませんか、系の誘惑の電話だ。それを「今、わたしのために動いて下さっている方があり、その方のお世話になるのを決めています。だからせっかくですがお断りします。その方の名前?それは申し訳ないですが、言えません」と言って切る。それだけがわたしのやることだった。11月になると、事態は暗転した。わたしを候補者に予定した選挙区に、隣の選挙区の元職が鞍替えをしたいと希望して、その希望が通ったということだった。そしてわたしにはその元職の選挙区、他党の超大物がいる選挙区での立候補が打診された。これにはTさんが「今回はあきらめて下さい。この超大物とは勝負にならないし、あなたは使い捨てになる。」と言い、わたしもそれに従った。これで、わたしが政治家になる望みは絶たれた。しかし、Tさんはこう付け加えた。「今回、6月から11月まで長い間お待たせして本当に申し訳ありませんでした。ご迷惑をかけたことに関して、必ずお返しします。何かわたしの助けが必要なことがあったら、なんでも言ってください。」それで、わたしは今回英国留学に当たり、大学への推薦状をTさんにお願いした。Tさんは約束どおり、即答でOKしてくれた。わたしは日本に帰国するたびに、参院議員会館にTさんを訪ねる。そしてTさんは昼食をご馳走してくれる。Tさんとわたしの人間関係が残ったのは、別に難しい理由があるわけではない。元々わたしは8人中7番目。優秀だから関係が残ったわけではない。「ただ、わたしが1度決めたこと(総選挙に立候補すること)を最後まで自分から辞めると言わなかった」それが理由である。もしわたしがもっと賢くて、最終的にだめだという結果を言い渡される前に、自分から立候補を辞退していたら、Tさんとの関係は絶対に続かなかっただろう。わたしが愚直に最後までがんばり通したから、最後にTさんが拾ってくれた。これは後から思ったことだし、後日詳しく書くのだが、もしTさんの推薦状がなければ、うちの学校はわたしに入学許可を出さなかっただろう。「現職の国会議員の推薦状」が強烈に効いて、わたしはうちの学校に入れたし、今、ここにいる。。。「一度決めたことを最後までやり通すこと」がどんな要領よく立ち振ることよりも勝ること。そして、それをやり通した時にだけ、誰かが骨を拾ってくれること。わたしが、若気の至りによるなさけない経験から得た、絶対的な教訓である。
2003年10月04日
え~~い、ちょっと忙しすぎるで、このところ。。。。「かみぽこぽこ」メルマガ化は発表してしまったし、学術論文の原稿は書かないといけないし、来年春の別の学会での発表のプロポーザルを作らないといけないし、ある学術雑誌の編集者の仕事も始まる予定。もちろんわたしのPhDの研究そのものも大事な時期だ。。。昨日はほんとに疲れて「かみぽこぽこ」も更新できなかったし、今日も疲れている。ということで、今日は気楽にいこう!「かみぽこの『ほんとに』(?)使える英語表現」わたしはこれで弱肉強食の留学生活(?)を乗り切ってきました。いや、ほんとに。。。そして、これらは、ありとあらゆる英会話本が紹介してないもんです。貴重ですよ!みな、心して読むように!!1."How can I say (in English)?"「(英語で)どう言ったらいいんでしょう?」授業などで、どう言ったらいいかわからなくなったら、こう言った後、「ううううう~~~~」と顔をしかめてうなる。そしたら先生が「あ、いいわよ、いいわよ」とか言ってくれて発言しなくてすみます。2."How about you?"「お前はどうだ?」「どうだ研究の進み具合は」とか友達に聞かれて、「うん。まあ進んでるよ」とか軽く答えたあとに言う。そしたら、特にラテン系の人は喜んで気持ちよく10分くらい話してくれます。3."Sorry, I don’t know..."「すんません。わかりません」これもセミナーとかで使えます。こう言って、「うううう~~~~」とうなれば、隣の席のラテン系がすぐ発言を求めて数分間は話してくれるでしょう。4."How’s your holiday?"「休日はどうだった?」特に月曜日、ばったり友達に会ったとき、挨拶を交わした後、即座にこう聞けば、特にラテン系は10分間は喜んで話してくれるでしょう。その結果、その人から「あいつはいい奴だ」という高評価を得られるでしょう。5."What’s your subject(major)?"「あなたの専門分野はなんですか?」こう聞けば、特にラテン系は自信たっぷりに10分間一生懸命説明してくれるでしょう。6."I agree with you."「あなたの意見に賛成です」特にラテン系が気持ちよく意見を言っているとき、ちらっと横からつぶやく。そしたら、さらに彼らは気分をよくして10分間余分に話してくれるでしょう。7."I think so."上に同じ。8."Are you busy?"「忙しいですか」こう聞くと、「いやー、忙しいんだ」と言って、10分間は必死に自らの多忙さを多角的に主張してくれます。特にラテン系は。日本人からすると、どこが忙しいのかよくわからないことが多いのですが。。。9."Oh, I have a schedule..."「あ、予定があるので」どうにも、相手の話が終わらないとき、(特にラテン系)強制的に会話を終了したければ、時計を見ながらこうつぶやく。それでも、帰り道をいっしょについてきて、しゃべり続けてくれる友情厚いありがたい方もいますが。。。あれれ?なんか、ラテン系との付き合い方、みたいになってしまった。ま、いっか。。。え?全然使えないって??まあ冗談ですよ。じょーだん。あんまり目くじら立てないようにね。そんじゃ、また。
2003年10月03日
本日は大発表です!私、かみぽこはこの度「かみぽこぽこ」のメルマガ化を決断致しましたので、ここに発表致します。なんでいきなりそんなことを思いついたのかって?いや、単純な話です。「かみぽこぽこ」を始めて半年、1日平均100件くらいのアクセス数になるまでにこのHPも成長致しました。だから、そろそろ次の展開を考えてもいいのかなと。メルマガ化といっても、このHPをそのままメルマガにしても、いったいなんのことやら焦点が絞れません。なにしろちゃんぽん状態の私の頭の中をそのままHPにしただけですから。。。。そこで、まず「英国留学回想録」をメルマガ化します。なぜ、「回想録」なのか?このHPの掲示板への書き込み、私書箱へのお便り、そして何より回想録を更新した日にアクセス数が増える、などなどを考えると、「留学」に関心を持つ人は多いと思われます。より人々の目に触れる機会が増えるだろうメルマガでやってみる価値はあるかな、と。そして、「回想録」の持つオリジナリティー。つまり、「成功体験の羅列にならない留学体験記」も、既存の留学体験記の本やメルマガをチェックする限り、そこそこ勝負できるかな、というふうに判断しました。もちろん、このHPにすでに書かれているものそのままではしょうがないです。以前書いたものとは、私の考え方がすでに変わっていたり、新たな事実や情報を書き加えたい部分もあります。よって、まずHPで発表したものを加筆・修正して、「かみぽこ英国留学記・完全版」として発表する形で、メルマガ化したいと思ってます。ちなみに、他にメルマガ化が考えられるものとして「かみぽこ政治学」がありますが、これはちょっとメルマガにするのはまだしんどいかな、と。「政治の見方の提示」という意味では自信は持ってますが、世の中には感情的に政治を見る人が多いですから、HPならともかく、メルマガでは批判が大量に来て、いちいち対処するのがめんどうになるかもしれません。「かみぽこぽこ」は、あくまで本業に差しさわりがない部分で作っているものですから。したがって、「かみぽこ政治学」はメルマガ化致しません。その代わり、書きたまってきたら、将来的には「政治入門書」として出版化を考えたいと思ってます。。。。。と、考えてるのはここまで。どこからメルマガ化するのか、とか詳細は全く考えてないです。1週間以内にはいろいろ調べて、またご報告します。それでは、取り急ぎご報告まで。
2003年10月01日
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